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 レーニンと民主集中制~批判の自由と行動の統一(メモ)      

 資本主義か行き詰まり、生命が生きていく環境の崩壊が差し迫っているもとで、変革の運動をどう構築するのか、が問われている。

 その点に関して、聴涛弘氏の遺言とも言える新著「ソ連共産党とは何だったのか」から、「レーニンと民主集中制」についての論稿のメモ。

  そここには、あくまで「批判の自由」を擁護したレーニンの姿が見え、一方、スターリンによる「新しい型の党」という捏造--「一枚岩」「異論を許さない」という自らの独裁運営を、レーニンの名を利用して合理化してきたというのが本津と思い。

 スターリンが「創造」した、この「定説」に、どこまで批判的検討がなされて、今があるのか・・・ 勉強がたりないな!

 課題に、メモ

 ダウンロード - e383ace383bce3838be383b3e381a8e6b091e4b8bbe99b86e4b8ade588b6e380802603.docx

 

 レーニンと民主集中制(メモ)      

 「ソ連共産党とは何だったのか」 聴涛弘  2603より

 

〇21条のコミンテルン加入条件(2回大会 1920)  2年後に誤り認める

 ➡ 内戦時のロシアで作られたあまりにもロシア的にもの  レーニンの反省 22年・4回大会

「ほとんど一貫してロシア的であり」「ロシアの条件」のみから出発し「ロシア精神がつらぬいている」ので「外国人の誰もそれを理解するものはいないだろう」とのべ、事実上撤回

・レーニン 「私は(大会期間中)、いろいろな国の多数の代議員と詳しく話してみたいと思っている。私は、われわれが

、この決議で大きな誤りを犯したという印゛象、つまり、われわれが自分で成功の道を断ってしまったという印象をうけた」「ロシア革命から5年たったいま、・・・・やっといま、学ぶ機会をえたところである」

 

〇「言論の自由」をつねに保障したレーニン   4つの歴史的な節目

1.ロシア共産党創立時    「民主集中制」の概念もない

・あったのは「中央集権制」 ~ロシア各地に散在する「マルクス主義サークル」の統一体にまとめることが最重要の課題であり、過酷な帝政ロシアのもとで「職業革命家」の秘密結社として党をつくらざるをえなかったから

・民主集中制の用語が登場  05年、第一回党協議会の「党の再組織」決議 が、具体的展開は無い

  党の実態は、ポリシェビキ派とメンシェビキ派の連合体として創設されたから、本格的な問題にならず

 

2. 「批判の自由と行動の統一」

・「正しくない」と思う方針が決定された場合、それを克服するため「党の集会」「大衆集会」「出版物」でも「いかなるところで完全に批判する自由がある」 /ただし、党を「分裂」させることはあってはならず、決定に「矛盾する行動」を呼び掛けてはならない。

 

 例) 05年革命の結果 反動政治の隠れ蓑として国会(ドゥーマ)が開設。この選挙に参加するかどうか

→決定は参加。公示後は選挙のボイコットを呼びかけてはならない。が、公示までは批判は自由

 

・「決定後の批判の自由」   「行動の統一」を必要としないもの   将来の土地所有の在り方、将来の武装蜂起  

 

・「批判の自由と行動の統一」こそ「民主集中制」の要との主張に対し ➡ この方針は、分派の存在を前提にしたものであり、12年に「日和見主義的潮流全体」と絶縁した「新しい型の党」をつくることを目指すようになったとして、この定式を民主集中制の要とするのは「誤り」との見解が対置されてきた (実際はどうだたのか ↓)

 

3 「解党派メンシェビキ」を除名  「新しい型の党」について   

・12年 6回全国協議会(プラハ)で、レーニンは「解党派メンシェビキ」を除名 ~ 05~07年第一次ロシア革命が敗北、「ストルイピンの反動期」、徹底的な弾圧の中で、ツァーリズムの許容する範囲内で活動する党に変え、党を事実上解体する「解党派メンシェビキ」が誕生。レーニンはこの潮流を抱えていては革命はできないと判断

 

・注目点   「党維持派メンシェビキ」は除名せず  プレハーノフ、トトロツキー派は残った

        ボ派内の「召還派」(非合法活動だけで国会議員の召還を主張)も解党は主張せずに残った

   除名したのは「解党派」だけ。引き続き、党内にはいくつかの潮流が存在 ! 

 

「新しい型の党」  (メモ者  スターリンが「創造」したものか )

・「ソ連共産党史」  プラハ協議会で「日和見主義者は一掃」され、「党の真の統一がつくりだされ」、「新しい型の党」になった、と記述 ~ 事実を歪めたもの。 協議会でのレーニンの報告、諸決議に「新しい型の党」の用語はない

 

(メモ者 当時のソ連共産党の「権威」が、「一枚岩の党」というモデルを、「常識化」させたのではないか。その影響の総括、その反省を生かした組織方針の形成過程はどうなっているのか?)

 

4. 「分派禁止」と「言論の自由」の保障

・すべての分派の禁止   21年・10回大会 10月革命の4年後/ 同時に、異論の発表の自由を保障

・背景 干渉戦争・内戦、「戦時共産主義」の導入、経済の疲弊による民衆の反抗・クロンシュタットの反乱~党が真の危機に襲われ、特別に「党の統一」が重要になったため。この中でも「言論の自由」を重視

 

・「分派禁止決議」 7項目中の第4

「党のいろいろの欠陥は無条件に批判すべきである」、方針の分析・実践上の経験の評価・決定実行の点検・誤りを是正する方法の研究・等々は「直接に全党員の審議に付されなければならない。このため大会は『討議用リーフレット』や特別の論集をもっと規則的に発行するよう、また、批判が、プロレタリアートの階級的を助けるような形式をとらないで、実質的に行われることを、たゆまず目標とするよう、指令する」

 

~討論の中でレーニンは、分派を形成している反対派の幹部に、反対派の見解は「機関誌の紙上で、25万部も印刷され」、十分な討議が行われたではないか、また自分の革命闘争の経験を書いた本を最近出版しているが、さらに「第二巻を出すなら。どうぞ!」と発言。

 また、「われわれが間違っていると考えるなら、わが国には、小冊子を何十冊も発行する可能性がある」。「何か言いたい若い同志がいるなら、どうぞそうしてくれたまえ。われわれは諸君の論文を印刷しよう」とも。

 ただし「われわれは討論クラブではない」、現在きわめて困難な条件のもとで「1つに団結しなければならない」

  •  
  • 「階級敵を利する」ような形をとらないで行うと言ったのは厳しい状況下で述べたもの。批判・異論の発表が「階級的を利する」と考えたわけではない。
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5 分派について

・レーニンの定義 「別の政綱を持ち、ある程度門戸を閉ざし、自己のグループ的な規律をつくりだそうとするグループ」

            偏向・色合い・潮流の言葉を使っている。分派防止決議と別に「潮流または偏向」の報告を採決

→除名の対象とせず、出版物も活用し「もっと詳しく意見を交換」しようと述べている。/異論の存在を当然視。

 

★こうした内容が、正確に引き継がれているのか、どんな論議がされてきたのか。改めて学びたい

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