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マルクス 複線的・非還元主義的な歴史理論への探求

  ケヴィン・アンダーセンソン 「周縁のマルクス」の「結論」を主にしたメモ

・マルクスの著作の全体的な軌道が示すもの~ 複線的。非還元主義的な歴史理論の創造 /非西欧社会の複雑性と差異の分析  /発展ないし革命の単一的なモデルに束縛されることを拒否

 

*「進歩史観」の誕生の背景についてメモしたもの

アニミズム対二元論 脱成長の社会: 土佐のまつりごと

〇1848年「共産党宣言」  社会進歩の単線的概念を採用

・前資本主義国を「遅れた社会」  

中国・・・「最も野蛮」な社会、新しい社会システムに「強制的に侵食され近代化される運命」

インド・・1853NT  「歴史のない社会」「受動的」、共同体社会関係が「東洋的専制主義」の堅固な基礎

  → 「植民地主義がどんな場合でもそれに続いて進歩をもたらすのである」

    (その後、進歩史観、オリエンタリスト的知識、として批判の対象に)

ロシア 民主主義・社会主義の運動の最大の脅威/ロシアの専制を、モンゴル制服から継承した「東洋的専制主義の一形態と考えていた。それは共同体的所有関係に根ざすものとみなしていた。

53NT  インド独立を支援

近代化されたインドは植民地主義化から脱出する途を見つけるだろう/植民地主義それ自身「野蛮」の一形態と叙述。/ インドの独立を支援する主な欧州の思想家の最初の実例 イ・ハビーフの評価

   *「宣言」の立脚点から変化し、より複雑、弁証法的な見方に

56-57NT 反植民地主義の側面がより顕著に

 ・第二次アヘン戦争とインドでのセポイの乱の時期の英国に対する中国の抵抗を支持

 ・ロシア  迫っていた農奴解放と農業革命の可能性に注目するなど見方の変化

 ・この新しい考えを「要綱」(57-58)に採用をはじめた~真に複線的な歴史理論へ

    ・アジア社会は、マルクスが西欧について描写した生産様式の継起的発展の経路--古代ギリシア・ローマ的、封建的、資本主義違う経路で発展してきたと捉えた

・さらに原初的ローマ社会の共同体所有関係をインドと比較し、この形式が民主的にも専制的にもなり得ると強調

〇60年代、欧州と北米中心に研究  資本論一巻初版、二巻・三巻となる草稿の大部分を書き上げた

 ・同時に資本論の中で、ナショナリズム、人種、エスニシティ―について資本批判と結びつけて展開

   南北戦争(61-65)  人種と階級の弁証法 ~ 白人の人種差別が労働者全体を阻害した」と批判/奴隷化された黒人労働者階級の主体性(自らを解放する闘い)が北軍を有利にする/最良の国際連帯の例として北部による南部綿花の経済封鎖が、イギリスの産業中心地で引き起こした厳しい経済的損失にかかわらず、英国労働者が行った北部への惜しみない援助をあたえたことを述べた

 ・63年 ポーランドの反乱~ 民族独立の回復めざす/ 国際的な支援のネットワーク、国際労働者協会の結成

 ・67年 インターナショナルは、その後アイルランドのたたかいにも関与

*マルクスの生涯のうち最も持続的な労働運動の関与が奴隷制・人種差別、民族的抑圧を背景になされた。

〇英国とアイルランドについての新たな理論的立場

 ・以前 最も先進的な資本主義社会の産物である英国労働運動が権力を取り、それからアイルランド独立を可能にする

 ・69‐70年 アイルランドの独立がはじめに成し遂げなくてはならない。英国労働者のアイルランド人にたいする民族主義的傲慢さと強権的な横柄さ・・・のために、自らを英国の支配階級と結びつける虚偽意識を発展させており・・・階級的な紛争を弱体化させている 

➡ この隘路は英国労働者によるアイルランドの民族独立の直接支援によってのみ突破することができる。それはアイルランドからの移民が下層プロレタリアートとなっている英国の労働者を再結合させる

  →英労働者 賃金低下の原因を移民に見、移民は英労働運動を、彼らを支配する英国社会と同一視し妨害

マルクスは、英国におけるアイルランド人の状況とアメリカ系アフリカ人の状況を対比 /同僚である黒人労働者と対立して白人植民者と結合していた米南部の白人貧困層を対比

*これらの構想は、断続的でサブテーマとしてだけであると言え、資本論、特にフランス語版に取り入れられている

 ➡本源的蓄積で概説された移行は、ただ西欧にだけ適応できる。/非西欧社会の未来は西欧に規定されない

*「資本論」  奴隷制・人種差別を取り上げ、アメリカ先住民の根絶とアフリカ人の奴隷化が初期の資本主義発展の主要な要素をなしていたことを示した/ 労働運動において、奴隷制と人種差別の有害な役割を指摘 「黒人の焼き印が押されているところでは、白人労働者は自らを解放することはできない」/奴隷制の終焉はアメリカの労働者に、重要な新しい可能性を拓く、と結論した。・・・66年、全米で展開された8時間労働のたたか

〇70年代 強い関心をもってきたアジアへ立ち返り、他方、ロシアへの研究を始める

〇79‐82年 非西欧社会、非ヨーロッパ社会の最新の研究、北米・豪の先住民の研究のノート作成

  ~ 核心的なテーマの1つが、共同体的な社会関係と所有形態

 ・ノートは、それらを断続的、間接的にしかしめしていないが・・・たとえば、インドについては

・ 以前の「歴史なき社会」という見方から、歴史的発展の新たな理解・・・数世紀にわたる相対的に連続的なものであるが、クランにもとづく形態から地縁的共同体への重要な変化を持つ 

・/以前の「受動性」ではなく、中世のムスリムの侵略、英国の植民地主義に対し、強い抵抗が共同体的社会形態にもとづくもの

*他地域の研究も含め・・・私的所有形態の ために共同体的関係を破壊しようとする西欧植民地主義に対し、共同体的形態が持つ頑強制を理解する様になった /この時までに、植民地主義の進歩性と言う考えを放棄

〇ジェンダーについて

・1840年代の著作と同様に79‐82年ノートの重要なテーマ

・マルクスとエンゲルスの直接的比較が可能 ~マルクスのモーガンノートを元にエンゲルスが「起源」を執筆

 「起源」・・・女性の平等を断固として防衛、初期社会主義運動でジェンダーについて全面的に論じて唯一の著作

  マ 平等で共同体的な無文字社会のジェンダー関係のどんな理想化も避ける傾向

     →つねに、社会領域の内部に二重性と矛盾を認める弁証法的見方をもって臨んだ

  マ 階級社会の出現による「女性の歴史的敗北」という単純な見方を共有してないように見える

    ジェンダー関係を階級社会の起源の考察だけでなく、資本に対する潜在的な抵抗の源泉としても見ていた

〇ロシア  非西欧社会 複線的理論 79-82

・資本論は、ロシアの将来につい明確な予言を提供することを繰り返し断固として否定

が、ロシアの共同体的社会の社会構造が西欧の前資本主義の共同体と明らかに違うことに注目

 → この差異は、ロシアが資本主義に吸収されるのを回避できるなら社会発展と近代化の足場となる可能性

・ロシアの村落に基づく社会革命は資本主義発展の痛みを回避しつつ西欧的近代化の活かせる可能性がある

・「宣言」ロシア語版序文  資本論フランス語版を基礎に書かれた複線的理論の素描

→ロシア農村共同体に基づく社会変革は、西欧の労働者階級の運動の側でのパラレルな社会変革と結合することによってのみ、可能となるであろうからである

  • 中国。インドの反植民地主義運動を西洋労働者階級の同盟を見なしていた。ポーランド、アイルランドの民族運動も同様にみなした。ロシアに於いても西洋労働運動というカウンターパートナーと結びつくなら、共産主義的発展が非資本主義的ロシアでも可能であると述べている

 ➡社会変革の複線的理論への発展/同時に、奴隷・人種差別、民族、ジェンダーと階級との交差に注目。その社会の特殊性の具体的現れを、資本の批判という全体の中心との関連でとらえ、時に、その特殊性が全体の規定的要因となるとし、様々な社会集団の中での社会変革の在り方を探求した

 

〇複線的アプローチ  今日のグルーバル資本主義のもとでの意義

 今日の移民排斥・人種差別、ジェンダー不平等の問題---これらを分析し、問題を資本批判と切り離すことないマルクスの理論的視座は重要・有益な見地を提供する

 

 ◆資本論の叙述構造とフランス語版での理論的発展 

 ①資本論の叙述構造と

 ・主体と客体の転倒  資本の抽象的で非人格的な力が・・・自己発展的な主体

資本の価値形態は「この過程の支配的主体」、生きた人間的主体である労働者は客体

 ・主体の第二のタイプ 「労働日」 非人間化に対する抵抗から近代の革命主体として労働者階級を自己構成する

   →資本主義的生産は自然過程の必然性をもってそれ自身の否定を生だす。これは否定の否定である」

      ヘーゲル的概念  破壊的な「空虚な否定」でなく「否定のうちにある肯定」、創造的側面

 ・ポスト資本主義社会 ・・・ 「共同的生産手段で労働する自由な人間のアソシエ―ション」

   →その世界は、商品物神の歪んだレンズあるいは「ベール」を取り除き、社会関係を明確に見ることを可能とする

 ・このようなものが第一巻の弁証法的構造 論理的なものが歴史的なものに対し優位を占める

   → この後に、「資本の本源的蓄積」という資本主義の歴史的起源を取り扱った

   *発展の単線的モデルと言う問題を含む

 ② フランス語版での理論的発展

 ・編集における重大問題  エンゲルスの第二・三巻の編集において、フランス語版の改定内容を採用しなかったこと。

  (マルクス死後の第一巻のドイツ語第三・四版においてもフランス語版と理論的採用されてない)

 ・フランス語版  マルクス自身が非常に広範に手を入れた最後の版

 ・重要な変更

1 序文「産業のより発展した国は、発展の遅れた国にたいして、ほかならぬその国自陣の未来の姿を示している」

   ~この部分への批判  資本論の弱点は「組み込まれた楽観的で単線的な決定論」(テオドール・シャニン)など

 ➡「産業的により発達した国は、産業上の経路の上でこれに続く国々に対し、それらの国々自身の未来を示すだけである」 /50年代から始まっていた単線主義からの離脱していく、思想の発展の一例

2 「本源的蓄積」 土地収奪の歴史について国により様々であると述べ文章に、「それはイングランドにおいてのみ典型的な形態をとっており、それゆえわれわれはイングランドを例にとる」を追加、また別の箇所で「西ヨーロッパの他のすべての国も、同じ運命を通過する」と追加。と 地理的限定を加えた。

 ➡ザス―リッチへの手紙 「この過程の歴史的宿命性は、西ヨーロッパに明示的に限定している」「資本論はロシアの将来問題について何も語っていない」

 

★ロシアの雑誌がマルクスの歴史観は「世界のすべての国民に資本主義を普遍的な発展法則としておしつける図式的な歴史哲学だ」と批判したことに対する“マルクスから『オーチェストヴェンヌィエ・ザビスキ』編集部への手紙

「本源的蓄積に関する章は、西ヨーロッパの中で、資本主義的な経済秩序が封建的経済秩序の胎内から生まれた道筋を跡づけようとしたものであって、それ以上のことを意図したものではありません。・・・

西ヨーロッパにおける資本主義の生成に関する私の歴史スケッチを、すべての諸国民に宿命的に押し付けられるような、普遍的に進行する歴史哲学に転化することが彼[批判者]には絶対に必要なのです。しかし、彼には申し訳ありませんが、それはご容赦願いたいものです。(それは私には過分の名誉であると 同時にあまりの恥辱でもあります。)・・・

こうしたしだいで、驚くほど類似した諸事件であっても、異なる歴史的環境の中を通るうちに全く様々な結果をもたらすのです。それらについてそれぞれの進化を別々に研究し、その後でそれらを比較するなら、その現象を解明する鍵を人は容易に発見することでしょう。しかし、超時代的だということがその至高の長所だといった普遍的な歴史哲学理論を、全てに通じる万能の合鍵のように使ったとしても、そこに辿り着くことは決してできないでしょう。」

 

★ エンゲルス 1890年の「ヨーゼフ・ブロッホへの手紙」

「唯物史観によれば、歴史における究極の規定要因は、現実の生の生産および再生産です。それ以上のことは、マルクスも私もかって主張したことがありません。いまこれを、経済的要因が唯一の規定的要因である、というふうにねじまげる人があるならば、その人は、あの命題を無意味な抽象的な不合理な空語にかえてしまうのです。」

 

 

 バックラッシュとしての「進歩史観」 (再録)

・1703年 北米せん住民カンディアロンク  対話本出版 フランス軍副司令官カオンタン、フランス宣教師の記録

 パリの競争的、金に執着、支配・命令的、路上のホームレスの放置への批判   自由、平等、互恵

 印刷技術の発展とともに、西欧にカルチャーショックをもたらした。

  バックラッシュとしての「進歩史観」  「未開」で小集団なので平等として排除の枠組みをつくった

 

・ 1751年 テュルゴー  採集、牧畜、農耕、都市の4段階 進歩史観を提唱

   先住民の 「自由、平等」は、進歩のあらわれでなく、未開の証明、とする論をだした。

 (万物の黎明 クレーバー、ウェングロウ)

 

西欧の自由は「所有権」の自由のことであったが、そこにカンディアロンクの「自由、平等」が接ぎ木され「人権宣言へ」

 

*カンディアロンク:ヨーロッパ啓蒙思想の源流となった先住民の賢者  AI        

カンディアロンクは、17世紀後半から18世紀初頭にかけてモントリオール周辺に住んでいたウェンダット族の政治的指導者であり、その雄弁さで知られていました。彼はキリスト教に反対し、ヨーロッパの人々の風俗や考え方に辛辣な意見を述べることもありました。

 フランス人との対話

カンディアロンクの知的な会話は、フランス軍司令官も高く評価し、夕食に招かれてはフランス人と議論を交わしていました。特に、副司令官だったラオンタンという人物が、カンディアロンクとの対話を「旅する良識ある未開人との珍奇なる対話」(1703年)という著作にまとめ、ヨーロッパで出版しました。この本は、ヨーロッパの啓蒙思想に大きな影響を与えたとされています。

 ヨーロッパ社会への批判

カンディアロンクは、ヨーロッパ社会と自分たちの「平等な社会」を対比させ、特に「金銭への追求」というヨーロッパ人の文化や経済システムについて繰り返し言及し、批判していました。彼は、ヨーロッパにおける法や宗教による懲罰装置が必要なのは、その経済システムに原因があると論じています。

 啓蒙思想への影響

多くの学者は、カンディアロンクのような先住民の知識人によるヨーロッパ社会への批判が、ルソーの「人間不平等起源論」に影響を与え、ヨーロッパの啓蒙思想の発展に繋がったと指摘しています。先住民たちが自由と相互扶助について議論する合理的な対話スタイルは、後のヨーロッパ啓蒙主義のスタイルとみなされるようになったと言われています。

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