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「個体的所有の再建」の理解と革命論・組織論への影響

 竹内真澄d「思想から見た西と東」(本の泉社)の第一部「個体の覚醒」、特に第一章からのメモ。様々な問題意識にかみあう内容。

 実は妻と竹内氏は母親が姉妹で正月とか、家族ぐるみで交流していたが、その研究内容は知らなかった。以前献本して頂いたのは文学的な内容であり、西欧近代史の研究にもとづくマルクス理解には驚愕した。これをどう批判的に学ぶか、と思案している・・・ 学びは常に、アソシエーション的でなくてはならないと思う。

1.「個体的所有」を世に知らしめたデューリングの「功績」

 ・「否定の否定」 「生産手段との共同占有の基礎のうえに個体的所有を再建する」   

  ・デューリングの批判 マルクスの社会主義は「個体的にして同時に社会的である所有」という「もうろう世界」にある

    デューリングは、「個体的」と「個別的」を区別せず「私的」として誤読した。

  ・エンゲルスの反論  「私的」は生活手段、「社会的」は生産手段と対象が違う

    →これはデューリングの誤読と同じ視点からの「反論」/対象に対する「個体的」と「社会的」の同時性の解体

 

2.蓄積論の主題との関係

 労働主体と生産手段の関係の歴史的な変化であり、生産物の分配、生活手段の問題は副次的・・・・「生活手段」の言葉は「歴史的傾向」の説に1カ所だけ、しかもフランス語版では削除/マルクス死後の3版でエンゲルスが復活

・エンゲルスは、生活手段の説明に「商品論」から引用。社会主義結合体での全生産物の処理と商品社会との差の解明

・マルクス 74年から続く数年間  めまい、数時間はりつめて仕事するとあとがつづかない、と告白。/原稿を読み聞かせたことが、健康状態は? 全内容にマルクスが同意したと言えるのか?(しかも、マルクス死後の説明)

 

3.デューリングのマルクス批判の論理構成

16世紀以降の自営農・・・マルクスが「個体的私的所有」(労働主体の自由=個体的、私的所有の排他性を合成したもの)としたものを「個体的所有者」と簡略。

→ マルクスの意図を理解できず、「個体的」と「私的」を区別しない通俗的解釈に

・資本蓄積論の眼目・・・資本のもとでの労働の社会化と個体的所有の再建を統一的に理解する、という社会主義に固有な論理構造を明らかにしたこと。デューリングもエンゲルスもマルクスの論理構造を見落とした。

 

4 マルクスの人間解放=個体の解放

 ・資本主義社会の私人は、人間的諸個体の特殊歴史的な存在形態。私人の物質機根拠である私的所有を、その最高の段階である資本主義的私的所有とともに止揚するなら、私人が止揚され個体に転化し、人間の解放が成就される

→社会と個体が相互に媒介・浸透しあう「「社会的個体」の解放を意味する/労働主体の生産手段に対する主体的で自由な参加(メモ者 よって生産計画、剰余価値の処分の在り方)、個体の自由が生産手段の共同的所有のもとで「再建」される → 生産の総体的過程の中で、労働主体が、管理される大衆を脱し、政治的経済的生活のすべてを自らのものとして、自由に自己決定する主体として参画する人間解放の議論。

 

5 「私的」と「個体的」の概念の区別

・「歴史的傾向」・・労働主体と生産手段の結合(個体的私的所有)→分離(資本主義的私的所有)→再結合(個体的所有の再建)という所有形態の転換を蓄積論の視点から主題化した総括的記述

→ この所有形態論は、労働主体の「個体」性に迫ることを目標としたもの。アソシエーションにおける人間の「自由」論に通じる史観

・社会思想史の視点  ホッブス、ロックを経てスミスまで「個体的」と「私的」は完全一致→私人が旧共同体を壊す個体の自由をはじめて体現する主体であったから

➡ルター、カントの異論 皆私人であれば、どうやって国家を担う公民が生れるのか? ➡ヘーゲルによる展開 「私的」

を「個別的」に置き換え、「個別者」に対抗する「個体」という概念を彫琢し、個別者が個体に成長する過程を「教養」と名付けた ➡マルクス 個体の再建の根拠を資本蓄積論に於いて定式化 /西欧思想史を貫く「公私二元論」を産業革命後の「労資二元論」のメカニズムによって突破する。

 

・公私二元論・・・国家と市民社会。労資二元論・・市民社会における労働主体と生産手段の所有形態の転換の論理

・近代国家の政治目的・・資本が労働者の労働処分権をはく奪することの保証  ➡ 労働主体が生産手段を制御できれば、労働処分権を奪還でき、近代国家の存立根拠はなくなる。「個体的所有の再建」は、「公私二元論」を廃棄する

 

・労資二元論の克服は私人を前提に展開➡労働者が私人化(個別的労働者化)され、ゆえに(メモ者 物象の力のもと)社会化がおこる、というたゆみない資本蓄積過程をまたなければならない~「生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的な外皮とは調和できなくなる一点に到達する」との文が「個体的所有の再建」の直前に書かれた所以。

 

★「個体的所有の再建」  ・・ 生活手段と読み違えたことの深刻さ

・「生活手段」派 エンゲルス、レーニン、見田石介、林直道、不破哲三 ➡共通点は「私的」と「個体的」の区別に無頓着

 

・近代とは公私二元論と労資二元論によって構成されており、それを両面突破するのがマルクスの理論体系

➡「個体的所有の再建」という課題・・・私人を前提とした資本蓄積システムに内在して、私人を止揚すること、「資本の生産力」となっている私人(個別的労働者)を個体へと転換・止揚すること/ この理解の欠如は決定的!

 

・「資本の生産力」の克服…資本主義的所有を、国家的所有に付け替えてもできない

➡ 公私二元論の枠内で、国家計画を強めて市場を統制するタイプの社会主義は、「資本の生産力」を質的転換は無理

・「個体的所有の再建」論は、労働の在り方をコンビネーションからアソシエーションへと質的転換させ、個別者(私人)を、個体へと転換させることで生産諸力の質を変えること 

 

.経済と政治の接合

・若きレーニン「人民の友とは何か」 工場(経済)と党(政治)の関係を理論化

「ある人には恐ろしいものとしかみえない工場こそ、まさに資本主義的協業の形態であって、プロレタリアートを団結させ、訓練し、彼らに組織をつくることを教え、彼らをその他のすべての勤労非搾取人民層の先頭に立たせるのである。・・・ぐらつきやすいインテリゲンチャに、工場の搾取者としての側面(飢餓の恐怖にもとづく規律)と、その組織者としての側面(結合された共同労働の規律)との違いを教えたし、また今も教えている。ブルジョア的インテリゲンチャにはなかなか覚えこめない規律と組織を、プロレタリアートは、ほかならぬ工場というこの『学校』のおかげで、とくにやすやすわがものにしてしまう」

→ここでレーニンは 資本主義的協業が、工場の搾取者としての側面(飢餓の恐怖にもとづく規律)と、その組織者としての側面(結合された共同労働の規律)との違いを教えた、と論じている。

➡ が、マルクスは、「共同労働」の2つの歴史的形態  コンビネーション(結合された労働)とアソシエーション(結合する労働)をとりあげている。/が、レーニンは2つの形態を区別せず、ただちに前者を「社会主義の物質的基礎」と見た。よって、レーニンは、社会主義を「労働の完全な社会化」と規定し、そこで躓いた

・コンビネーションが「完全な社会化」に接近しても、社会主義にはならない。むしろ専制的社会が完成する

★ローザのレーニンへの警告 

・レーニン コンビネーションの組織性をブルジョア的競争の対立物とみて、これを党組織の基礎においた。~「自主管理的社会主義」を掲げることはあったが、コンビネーションを基礎とする故、マルクスが軽蔑した「1つの兵役的規律」を丸飲みする「民主集中制」(上級への絶対服従、横の連絡の禁止など)を構想した。

・Rルクセンブルグ  「あまりにも機械的な一見解」「社会民主主義的中央集権は、その中央権力への党の闘士たちの盲目的従順さ、機械的な服従を基礎とするものではない」ところがレーニンは「抑圧された一階級の盲目的従順」と「解放のために闘う一階級の組織された反乱」という対立しあう2つの概念を区別せぬまま、前者を「鉄の規律」と名付ける。「ブルジョアジーの手から一つの社会民主主義的中央員会の手へと置き換える」→ 「こういう状態は暗殺、人質の射殺等々といった公的生活の野蛮化をもたらさずにはおかないだろう」。このままではロシアの「社会主義はごくわずかな知識人たちによって机上から命令され、強制されるようなものになろう」と警告した。/どちらが正しいかったか言うまでもない

・ルクセンブルグは、工場の規律とは逆に、党の規律は「自発性と構成の弁証法」でつくられるべきと論じた

 

★全機構的命題  資本論の原理

・単に経済的命題だけではない。資本の生産力の否定のために個別者を個体に転換させるという全機構的命題と言う点を見過ごさない点が重要

・労働の社会化は、資本のもとでのコンビ根ネーション化としてのみ進行する。これ自体は専制支配の強化

・ゆえにアソシエーションへの移行が課題となるが、課題解決は経済内では完結しない。政治が重大な役割を持つ

/そのためには、個体的で自由なアソシエーション的主体を展望しなければならない。誰とでも意見を交え、党の内外の様々なレベルで公論を構築する自由なコミュニケーション的な主体を展望する必要がある

~カントの言う「理性の公的活用」に熟達し、ハーバーマスの言う「コミュニケーション的主体」を大量に生み出す必要がある。

・ソ連一国社会主義の誕生  労資二元論の克服が、変革主体の未成熟のもと、労働者階級にかわって国家が市場を統制するしかない状況が、労資二元論の克服が論理次元でまともに取り上げられないまま、国家(「公」)が市場()を統制すればよいというすり替えが現れ、そこに党と国家の融合論が介入した時に、プロレタリアートの使命は、党と国家に忠誠をつくすこと、という理屈ができあがった。

(メモ者 資本主義の深刻なゆきづまり 人口減、気候危機、貧困と格差の巨大化、民主主義の危機が顕在化するもと、パラダイムシフトが求められている。それゆえにに・・・)将来に希望の持てるアソシエーション社会の創造の基礎は、「個体的所有の再建」であり続ける。原点に立ち返った創造的探求が求められている。

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