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「空白の90年代」考~前進を目指して

・「空白の10年」(29大会報告) 年6千人 「年平均の新入党者は、概数で、1970年代は年3万人、80年代は年1万5千人、90年代は年6千人、2000年代は年1万1千人、2010年代は年8千人となっています。」(2020年代 4千人)

・「90年代が特に大きく落ち込み、およそ10年間にわたって新入党者の「空白の期間」ともいうべき時期がつくられています。」として、党歴構成の報告   ( )内の入党年はメモ者

 

・その原因を「党員拡大」に加え「機関誌拡大」を党建設の根幹に据え、事実上、党員拡大を後景におしやった、と自己分析をしている。このことを、自分なりに考えてみたい。

 まず数字的データ・・・

 

1.数字的なもの 客観データ

・90年代 党員拡大6万人 前半の4年間は「1万人超」(20大会)、後の6年間で5万人弱

    *・20大会 94年7月  幹部会報告「前大会(90年7月)以来、1万人を超える入党者」 

➡ 98年、参院選の躍進など90年代後半は、年1万人近い拡大、前半の4倍近い拡大では?

 

・党歴構成からみても、84~93年の落ち込みが大きい、と思われる

党歴0年~9年(14‐23年入党)17・7%、10年~19年(04-13年)14・0%、20年~29年(94-03年)11・0%、30年~39年(84‐93年) 8・0%、40年~49年(74-83年)19・5%、50年以上(73年以前) 29・8%  

 

・90年 19大会 党建設の強調点  政治的思想的に強い党、青年の「広大な空白」・「柔軟で新鮮な接近」

   民青同盟員数  84年 22万人  96年 1.6万人 うち党員数 84年 7万人 96年 0.7万人(中北)

・19大会2中総 「実態のない党員」の解決   20大会までの4年間で約12万人の「解決」

 

➡ 80年代半ばから90年代半ばの青年分野の党建設の困難性が、今も大きな影を落としている。/90年代後半の躍進〈比例820万票など〉、その後、イラク戦争、年越し派遣村などの平和・反貧困の運動の中での一定の回復か 

 

★87年の「2つの根幹」の決定〈宮本議長、村上委員長〉の問題〈改定2000年〉・・・そこを問題の核心とするには、実態を反映はどうだったのか。詳細なデータもなく判断できない(すくなくても年代別の入党、離党、死亡の推移とかが要るように思う )

 

≪背景≫

・80年代 臨調「行革」 3公社民営化、公務員の新規採用抑制 /80年社公合意、87年「連合」誕生

1983 ラングーン事件 1984 原水協分裂 1985 ゴルビー就任 1987 大韓航空機爆破事件 1989 天安門、ルーマニア革命、ベルリンの壁崩壊 1990 古在由重氏死去 訃報掲載せず 1991 ソ連崩壊

 

2.考察

〇「90年台が空白の10年」というが、前半と後半で大きく入党数が違っているおり、一様ではない。

80年代は、入党数数が、70年代より、「1万5千人減」と、最も減少幅が大きい。

90年には「青年分野が広大な空白」となっており、現在の党の構成で、83‐94年の入党者が最も少ないことから、80年代半ばから、90年代全般に、党員拡大で困難広がっていたと思われる。

 

*84‐93年の落ち込み 党除く・臨調行革・天安門・ソ連崩壊、就職氷河期・採用抑制、若者失業率の2倍化など

*80年代、党員数は微増、機関誌は、80年をピークに低下、大会前の「月間」で何とか維持、それも19大会まで。 

➡ 80年代からの影響力の後退は、青年学生分野の党員拡大と、赤旗読者の減少として顕在化したのでは? /とりわけ赤旗の陣地の後退は、財政問題〈活動の基盤〉に直結。そこに課題意識がいったのは当時としは当然と思う。

 

*90年(19大会)~94年(20大会)、2010年(25大会)~2014年(26大会) 実態のない党員の整理 ともに12万人と推測される~  94年~2010年の入党者 およそ16万人 ・・・12万人は、入党者の3/4にあたる。 「定着」が主な問題?

➡ 人の成長の仕方、そのための組織運営の手法~ 科学的な発達論、マネジメント論の研修が不可欠と思う(指導とは「納得」論、規約の学習だけでは対応しきれてないと思う。)

*地域のコミュニティの希薄化、子ども集団の崩壊、管理と競争の教育・教基法改悪、自己責任論の席巻・・・ 真ん中・青年学生世代の経験してきた環境は、それ以前と極めて大きな違いがあり、サポートの仕方も新たな創意と努力がもとめられたのだが。。。 それがどうだったのか、という思いは、今も続いている。それは「持続可能」なやり方か、と・・・

 

*95年阪神淡路大震災「ボランティア元年」、01年同時多発テロ・アフガン侵攻、03年イラク戦争反対・「国際ルール守れ」の運動、08年「年越し派遣村」、

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〇29大会 党員拡大目標

・28大会 党員27万 読者100万 → 29大会 25万、85万

➡ ・この4年間 入党 1.6万(年4千人) 死亡 2万 離党など 1.6万     /計2万人減

・29大会で決定した目標  24‐25年 党員2万、読者15万純増   26‐28年 8万、30万 純増

 24-25年.党員  年純増1万  拡大 1.9万人必要 (離党4千、死亡5千 28-29大会実績) 現在の5倍!!

26-28年         2.7万      3.6万人                                 9倍!!!!

 24‐28年 14.6万人、現在の党費納入数に匹敵、事実上、倍加運動では・・

*29大会で決定の党勢拡大目標・・・ 全党討議(民主的な討議)にかかっていない、という弱点を持つ

 

*党の周りに、どれだけ、ともに運動したり交流したりする人々を築けるか? 新たに広げられるか? その人たちと、信頼関係を築けるか? ・・・新たな結びつきを築く活動、お役立ち感を実感できる活動に、重点を置くべきでは・・・

 

 高知では、「お役立ち感」「メジャー感」という表現で、つねに議論されているのだが・・・

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