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キャンセルカルチャー 「大衆的検閲」の行く先

ネットで調べると「キャンセルカルチャー」とは「社会的に好ましくない発言や行動をしたとして個人や組織をSNSなどで糾弾し、不買運動を起こしたり、ボイコットしたりすることで、社会から排除しようとする動きのこと」と説明されている。不正義・差別的なものに声をあげることは重要。

一方、「正義」を一面的にかざして、気に入らないものを排除する行動が、人々の行動、言動を窮屈にし、逆説的に、堂々と好ましくない発言をする達の言動が、一種の「開放感」「いごごちのよさ」を作り出すという悪影響を及ばしているのではないか、とう指摘がある。ハッとする指摘だった。よくよく考える必要がある。

 

 こたつぬこさんが、「桐野夏生『大衆的検閲について』(雑誌『世界』20232月号)は、キャンセルカルチャーが吹き荒れるなかで何度も読まれるべきでしょう。 」とよびかけ、内容の要点を紹介している。

改めて重要さを実感している。

 同時期の雑誌でのインタビュー記事もあわせて・・・ 別角度で内田氏の論考。学びのためのメモとして

桐野夏生「大衆的検閲について」  こたつぬこ 3/11/2024

https://twitter.com/sangituyama/status/1766814976109670605

[桐野夏生「《自粛》の概念がいかに容易に、他人の自由を束縛するものに転化するか、我々は目の当たりにした」婦人公論 23/1/16 】

https://fujinkoron.jp/articles/-/7484  

フリーライダーの効用  内田樹 2024-03-11 lundi

http://blog.tatsuru.com/2024/03/11_0911.html

桐野夏生「大衆的検閲について」

この論文は、202211月にジャカルタで開催された国際出版連合大会における桐野の基調講演がもとである。 桐野はジャカルタにゆかりのある林芙美子をとりあげ、戦前戦中の国家検閲と「隣人監視システム」について論じる。

 

【平和で自由な国の検閲】

自由を保障されている平和な国で、我々作家の表現の自由を奪うものは何か。それは国家でも政治的集団でもなく、ごくごく普通の人々による「大衆的検閲」とでも名付けたくなるような圧力である。

私は、ネットによる歪な世論形成が不寛容さの醸成に一役買っているのではないかと考える...ラベリングは単純な二元論だ。右翼か左翼か、フェミニストかアンチフェミニストか、民主党か共和党か。この二元論は当然ながら分断を生む。

分断が激しくなれば、お互いの誹謗中傷も激化する。わかりやすい正義感が形成されれば、そこから外れた他人をいとも簡単に誹謗中傷するようになるだろう...わかりやすい正義感の発露である

対立を煽られ、相手を誹謗中傷することで快を得るように「軌道を測られている」としたら、私たちの欲望は品性下劣な方向に、あるいはわかりやすい「正義」を希求するように、と向けられて行っても気づかないだろう。

 

【「正義」が作家を滅ぼす】

もちろん、SNSによって、これまで社会で耳を傾けられてこなかった人たちが声を上げ、新たな運動を創り出してきたことの意義は大きい。問題なのは、ひとたび「悪」「敵」のラベルが貼られると、どんな言葉の礫を投げてもよし、何を言ってもよし、とされる風潮だ

あたかも人民裁判のごとく過去を裁くには、人権的配慮も必要なのに、その配慮を誰もしなくなったのはなぜか。なぜ急に日本は、そして世界は、そのようにモラリスティクな「正義」を行使するようになったのか。

 

【大衆的検閲の正体】

人間はたくさんの間違いを犯す。嘘をついたり、他人に意地悪をしたり、既婚者とわかっても好きになったり、他人にいろんな迷惑をかけて生きている...自分の中に引かれたラインを越えてしまった人々について、小説は書いてきた。

「正しさ」とは何か。私たち作家が困惑しているのは、今、人々の中に強くなっている、この「正しい」ものだけを求める気持ちだ。コンプライアンスは必要だが、表現においての規制は危険である。その危険性に気づかない点が「大衆的検閲」の正体でもある

文学は、人間の弱さを基盤とした、他者への想像力がその根幹だ。そして、自分自身と他者との関係のなかに、新しい価値を創造してゆくものである。とはいえ、過去の優れた作品の中でも、差別的な表現にぶつかることがある。小説の中だとはいえ、差別されて書かれる側は不快の念を持つ。

しかしそれは、その時代に生きた作家の、ある面でも限界を表すものだ。批評精神を持って読む必要はあるが、変えてはいけない。そうした過去の時代の限界を知り、乗り越えようと抗う中でこそ、他者への想像力は磨かれ、新しい文学作品を生んでいくのだと思う。

 

 【すべての表現は自由である】

 日本では、福島での原発事故以後、人々の同調圧力が強まり、政治も国民の自由を制限するほうに向かった。またネットによる「正義」感の醸成と発露も恐ろしかった。

近い将来、戦時中のような言論弾圧が起きるかもしれないと考えた私は、2016年から『日没』という小説を書いた。これはある作家が、読者の告発によって政府の収容施設に入れられ、思想矯正を受ける物語だった。

まるで私の書いた『日没』と同じようなことが、現実で起き始めている。国家ではなく、読者による告発である。世界でも同じような問題が起きている、ととある国の出版社が語ってくれた。

私の中にあるもう一つの懸念と危惧は、これまで一緒に表現の自由を守るために闘ってくれた、強い絆で結ばれていた出版社が、読者を獲得するためにこれらの「大衆的検閲」に協力するのではないかという怖れである。

 「(電子化がすすみ作品が)一コンテンツになった途端(作品の)神通力は失われ、だだのテキストに過ぎなくなった。文脈を無視して内容が差別的と断じられたり、言葉狩りの憂き目にあうことも多々起きるようになった」。

あらゆる表現と多様性に満ちた「小説」という面白く自由な世界をネットが狭め不自由にさせている。アルゴリズムによってもたらされた不寛容な精神に流されて、ごく普通の人々が国家権力による検閲のような振る舞いをすることは過去の文学作品に対してももちろん現在の作品にもあってはならない。

すべての表現は自由であるべきだ。作家も、そして出版社も、表現の自由を守るために、今まで以上に、強い絆を求めて闘っていかなければならないと思う。

 

【桐野夏生「《自粛》の概念がいかに容易に、他人の自由を束縛するものに転化するか、我々は目の当たりにした」婦人公論 23/1/16】 https://fujinkoron.jp/articles/-/7484  

国際出版連合世界大会が、インドネシアのジャカルタで3年ぶりに開催 ~ 犯罪に手を染めてしまう主婦、代理出産を迫られた貧困女子…社会に顧みられることのない女性たちと、その痛みを鋭い視点で描き続ける作家・桐野夏生さん。

3年ぶりの開催となった国際出版連合世界大会

2022年1110日から3日間、国際出版連合世界大会が、インドネシアのジャカルタでコロナ禍を経て3年ぶりに開催されました。

出版業界にも国際的な団体があることをご存じでしょうか。表現の自由や著作権の保護、また出版業界の発展を推進するためのNPO団体、国際出版連合(International Publishers Association=IPA)は1896年に創立。世界73カ国で構成され、平時は2年ごとに業界の課題を議論するための大会を開催しています。

『OUT』や『グロテスク』など多くの著作が翻訳され、海外でも知名度の高い桐野さん。世界的な大会でスピーチを行うという機会に、担当編集者が同行しました。

 

久々の海外旅行に胸ときめいたものの、インドネシア入国に必須の「PeduliLindungi」というコロナワクチン接種を証明するアプリが鬼門で、日本の「COCOA」アプリ同様不具合が多く、何度も携帯を放り投げることに……。入国時だけでなく、ジャカルタ滞在中はホテルやショッピングモールなど、あらゆる場所で提示を求められました。

 

会場は熱気に包まれて

インドネシアのスカルノハッタ国際空港到着時、我々同行者が入国審査に手間取るなか、桐野さんはVIPとして特別ゲートに。本大会が国際的なイベントだということの証です。

会場は街の中心に位置するフェアモントホテル。天井の高い豪華な会場には、ジャカルタのジャーナリストや作家、編集者をはじめ、スイスやイギリス、ブラジル、タイ、オランダなど各国から大勢の出版関係者が集っています。

11月10日、初日の朝8時から大会はスタート。「テクノロジーが出版の自由に与える影響」など、さまざまなな議題のスピーチやディスカッションが行われ、ジャカルタの平均気温30度に負けないほどの熱気に包まれていました。

 

ジャカルタのジャーナリストや作家、編集者はもちろんのこと、スイスやイギリス、ブラジル、タイ、オランダなど各国から大勢の出版関係者が集まった)

 

桐野さんは2日目の1111日、「表現・出版の自由」をテーマに登壇。インドネシアには『ナニカアル』という作品の取材のために訪れたことがある、と数百人の観衆を前にスピーチの口火を切りました。

 

『ナニカアル』は作家・林芙美子をモデルにした小説で、彼女たち作家が第二次世界大戦中に「徴用」という形で召集され、インドネシアなどに派遣されたことが描かれています。桐野さんは作品にも登場する当時の日本軍が行った出版物の厳しい検閲について触れ、民間人の間にも「隣組」という組織が作られ、互いの監視や密告が横行したことについて言及しました。

 

「すべての表現は自由であるべきだ」

そして現代の日本でも、コロナの自粛要請に従わない飲食店に対するバッシングが起こるなど、当時の「隣組」を彷彿とさせる状況に陥っていることについて「《自粛》という概念が、いかに容易に、他人の自由を束縛するものに転化するかを、我々は目の当たりにしました」と会場に語り掛けました。

2011年の福島原発事故以来、日本社会の同調圧力が強まっているという危惧から『日没』を書いた、と話す桐野さん。『日没』は、ある作家が、読者の告発によって政府の収容施設に入れられ、思想矯正を受ける物語です。

一方で、配偶者がいる男女の恋愛小説を刊行した出版社に「不倫の話なんか書くな」という抗議があったことを例に出しながら、「《正しい》ものだけを求める気持ちが、大衆的検閲へと繋がっていく」と危機感を募らせます。

「文学には、人間の弱さを基礎とした、〈他者への想像力〉がその根幹にあります。そして、自分自身と他者との関係のなかに、新しい価値を創造してゆくものなのです」

「すべての表現は自由であるべきだ」という力強い言葉でスピーチを締めくくった桐野さんの元に、会場から「我が国も似た状況になっています」といった感想が寄せられました。あまりにも多い共感の声に、「日本以外の場所でも同じ状況なんですね」と驚く桐野さん。

 

モスクと教会が隣り合って建っていた

終演後、桐野さんとともにジャカルタの書店に立ち寄ると、英訳版『OUT』が並んでおり、各国で読まれる作品力の強さを実感。その後、東南アジア一の大きさを誇るモスク「イスティクラル」にも足を運ぶと、隣りには大聖堂「カテドラル」が建ち並んでおり、案内人の方から「モスクと教会はなるべく隣同士になるよう作られています」と説明を受けました。

インドネシア人の大半はイスラム教信仰ですが、イスラム教だけでなく、ヒンドゥー教、キリスト教、仏教、儒教が「国教」として定められている多宗教国家でもあります。そのため、それぞれを尊重し、互いをなるべく理解し合えるよう、物理的な距離の近さを意識しているそうです。奇しくも桐野さんが語った「他者への想像力」の重要性について考えさせられる瞬間でした。

 

人間の弱さを見つめ、表現することに真摯に向き合い続けてきた桐野夏生さんの新連載「オパールの火」。国際的な場での刺激を得て、どんな展開を見せるのか。女性に寄り添い続ける桐野さんが紡ぐフェミニズム黎明期の物語から、目が離せません。

 

[フリーライダーの効用  内田樹 2024-03-11】

 高齢者の集団自決が高齢化対策の秘策であると公言した若い経済学者の発言が話題を呼んでいる。
 彼の言う「人間は引き際が重要だと思う」ということにも「過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎる」という事実の摘示にも私は同意する。

でも、使えないやつは有害無益だから、集団から追い出すべきだという論には同意しない。人道的な立場からというよりは組織人としての経験に基づいてそう思うのである。


 組織に寄生して、何も価値を生み出さず、むしろ新しい活動の妨害をする「フリーライダー」はどのような集団にも一定数含まれる。この「無駄飯食い」の比率を下げることはたしかに集団のパフォーマンスを向上させることにある程度までは役立つだろう。ただし、「ある程度」までである。というのは「無駄飯食いの排除」作業に割く手間暇がある限度を超えると、その作業自体が集団のパフォーマンスを著しく低下させるからである。


 組織を率いた経験がある人なら誰でもフリーライダーを一掃する秘策が存在しないことを知っている。そんな暇があったら、組織を活性化し、新しい価値を創出してくれる「オーバーアチーバー」を一人でも増やし、彼らが愉快に働ける環境を整備する方がはるかに費用対効果がよいということも知っている。

 それに、若い方たちはご存じないだろうけれど、あらゆるパニック映画は「強者だけのグループを作って、自分たちだけ助かろうとする人たち」と「子どもや老人を一人も取り残さないために無理をする人たち」が対比されて、「自分たちだけが助かろうとする人たち」がまず死ぬという話型を繰り返している。

「集団の中で最も弱いものをも取り残さず救える仕組みを作る」ためにどうすればいいのかについて深く思量することは(たとえそれが実現できなくとも)、集団を生き延びさせる上では有用だということを人類は早い段階で学んだのである。(2023年1月16日、)

 

 

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