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「日本共産党の百年」を学ぶ メモ

『日本共産党の百年』を発表  歴史への貢献と自己改革貫く 2023.7.25 - YouTube

(電子版では7/26に配信された記者会見のテキスト版が、HP上で紹介されてないのが残念)

・座談会『日本共産党の百年』を語る(上) 23/8/16

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2023-08-16/2023081603_01_0.html

・座談会『日本共産党の百年』を語る(下) 23/8/17

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2023-08-17/2023081703_01_0.html

 101年の激動の時代を、社会発展の促進体、国民の護民官とあらんとして苦闘してきた歴史。戦前の天皇制、戦後の対米従属-- 社会発展の障害物と真正面からむきあった歴史であり、ゆえに時の支配勢力が弾圧・抑圧の対象とされてきた。それと闘いながら道を切り開く努力を続けた歴史である。また、スターリン主義の呪縛と格闘し、その克服を進めてきた歴史でもある。

社会発展の促進体、国民の護民官とあらんとした歴史を未来につなげるために、深く学び、感性をみがき、より柔軟で、多様性を重んじ、市民の運動とフラットにつながる---そんなことを思うこのごろである

 なお、「百年」は全体のボリュームを抑えたために、記述がコンパクトになっている。それだけに、重要な部分--その時々で強調されたことが、さらっと書かれている部分もあり、・・・ どんな判断があつたのかも気になる。以下、「座談会」の内容、深めたい部分のメモ

≪深めたいところ≫ 

・ロシア革命 コミンテルン日本支部としての出発→ なし /その後のコミンテルンと解散コミンフォルムの影響不鮮明

  コミンテルン21か条の加入条件・・・内乱へ向けての非合法的機構の設置(第3条)、党内における「軍事的規律に近い鉄の規律」(第12条)、社会民主主義的綱領の改定(第15条)、党名の共産党への変更(第17条)、コミンテルンに反対する党員の除名(第21条)など  / 57規約にも影響 

・安全保障政策の発展に記述がない  中立(改憲)自衛から憲法全条項実現、自衛隊段階解消・活用論

                         自衛隊活用  民主連合政権下から野党共闘政権への発展

    → 民主的政権を、アメリカ帝国主義から守る「自衛」の力を持つ政策の発展的解消。「革命論」の発展

・50年問題  宮本 「分派」とのレッテル貼りとの闘いと固定的Gをつくらない配慮。機関誌発行・「批判の自由」の行使

 分派=規約を踏まえてない「臨時中央委員会」の立ち上げ。 内部問題=大衆組織への押し付けの反省

 大衆組織との関係では、党方針のおしつけ(00規約改定で克服)77年統一後の原水禁運動の分裂・古在氏除籍問題

・優生保護法の誤り  「臨中」による誤りでは? そけを誤りと認めるなら、武力闘争方針は? /この点の整理必要

・朝鮮戦争 アメリカ侵略の立場で運動 (「反共は戦争前夜の声」は、その立場での発言) 当時の党立場の反省は?

・北朝鮮との友好時期が明示されず、その後の「南進忠告」、覇権主義とのたたかいのつながりが見えにくい

・70年代 ユーロコミュニズムとの接近と離反 /不破・田口論争  /新日和見主義批判 /不破・上田自己批判

  → 民主集中制との関係で、重要なポイントでは?

・全学連、学園民主化闘争など学生運動の記述なし  ニセ「左翼」はあるが、個人的にはさみしい

2000年ごろ  野党外交がアセアン諸国との外交に限定

         特にイスラム諸国との交流(チュニジア評価含む)、ベネズエラとの関係確立

・ソ連東欧崩壊  その国内への影響、「体制選択論」攻撃などあまりに簡潔 /「新しい思考」などやたら詳しい

・ルーマニア評価を巡る問題  /前段の友好関係の記述なし

・コソボ空爆  NATOの圏外への初の軍事行動 「人道的介入」の危険性の指摘の欠如

        ロシアのウクライナ侵略も「人道的介入」の側面/ 昨今の大国の干渉の「口実」として深めるテーマ

2000 22大会 規約全面改訂 軍隊的規律から「循環型」の党へ   

「前衛党」「個人の上に・・」「「下級は・・」「無条件に実行」の削除、「内部問題」の記述の変化

 

2004 23大会 綱領「全面改訂の記述なし 「全面改訂とは目標達成か、路線転換」(20大会) 

「 スターリンの中世的影響の一掃」(90周年)

    「2つの敵」「革命の政府」の用語削除の意味、

 アメリカ帝国主義の評価の変化     → 安保政策、革命論の発展

   *綱領、規約の全面改訂の意義を、歴史的にもっと鮮明にすべきではないか

・「日本共産党を除く」の壁の崩壊。「国民との新しい関係」の記述欠如→ 支配勢力の攻撃による後退との評価と矛盾?

         あれだけ「壁がなくなった」と強調したのに、言葉としては、ちらっと出てくるだけ。

         なお、大会決定は「国政のおける」と限定的に「共産党のぞく体制の崩壊」を規定

新版「資本論」の発行 ~ 資本論・草稿の研究者から厳しい批判(谷野、川上)、または無視の現状

             不破流の「解釈」を党公認にしてよいのか?

                 マルクス晩年の「抜粋ノート」の翻訳編集作業をつうじた新たなマルクス像の発見、マルクスの再評価とあわせた世界的なブームの中で、理論交流をなぜしないのだろう?

                  → 科学的社会主義の「真理」の裁定者のように映らない言動が必要

〇最近の政治的問題

・気候危機の取り上げ方が弱い  物質代謝の単に自然発生的に生じた状態を破壊することに よって、再びそれを、社会的生産の規制的法則として、また人間の十分な発展に適合する形態で、体系的に確立することを強制する。

→ マルクス、エンゲルスも悩んだ「変革主体の形成」(イギリスの労働運動の低迷)への回答と見る味方も

・中東・アフリカなど変化  アメリカ型秩序への拒否、どちらかの大国につくのでない動き。「第三極」との評価

 

 

≪座談会『日本共産党の百年』を語る(上)≫

生きた攻防のプロセス 1922~2022

 日本共産党が7月25日に発表した『日本共産党の百年』―。編纂(へんさん)作業に参加した田中悠書記局次長、山口富男社会科学研究所副所長に、村主明子学習・教育局長代理、国民運動委員会の岩崎明日香さんが参加して、感想や決意を語り合いました。上下2回に分けて掲載します。(『前衛』10月号で詳報)

苦闘と開拓の歴史 「爽快」 村主

若い党員と共に学びたい 岩崎

 村主 びっくりするような反響です。8月10日時点でタブロイド判の注文が5万7千余部にいき在庫がなくなりました。多いときは1日1000部以上の新しい注文が来ることもあって、大変期待が大きいです。

 田中 さっそくうれしい感想も寄せられています。

 千葉の党員の方からは「『極めて読み応えがあり、(従って進まない)、深くて、ドラマチックであり、何よりも現代の眼(め)で書かれている』ことが感銘でした…党歴57年を超える自分ですが、当時のさまざまな事象が呼び起こされ、感動で涙が出そうになることがしばしばです。よくぞ編纂されたと、心より感謝申し上げます」というメールが寄せられました。

 

社会変革めざす先輩たちの努力

 山口 『百年』史がなぜそういう力を持つのか。社会変革を目指してたたかった先輩たちの真剣な努力が刻まれている。その力だと感じます。

 『百年』史は、党史としては『八十年』史に続く20年ぶりの発表になりました。『百年』史は、今日の党の政治的、理論的、組織的到達点を踏まえて、改めて党史の全体を振り返り、叙述するという新たな挑戦を行っています。

 志位和夫委員長が7月25日の発表会見で述べたように、全体を通じて最も心がけたことは、“わが党が古い政治にしがみつこうという勢力から、つねにさまざまな非難や攻撃にさらされ、それを打ち破りながら、自らの成長を図ってきた生きた攻防のプロセスとしての歴史を明らかにする”ことでした。

 第1章では、戦前の不屈のたたかい、22年から45年。第2章で戦後の45年から61年。第3章から第5章で綱領路線の確立以降の60年余りを取り上げ、各章の冒頭、あるいは節目で、「政治対決の弁証法」という基本的な観点に基づいて、その時期の総括的な記述を示し、各論に入るという新たな構成と叙述の工夫を行っています。

 また『百年』史は、日本の政治史、世界史についても、基本点での叙述を行い、そうした歴史の文脈の中で党が果たした役割を示しています。大局において党の100年は平和、民主主義、人権、暮らしなどさまざまな面で国民の苦難を軽減し、日本の社会進歩に貢献し、世界史の本流に立ってそれを促進した歴史です。

 もう一点、党自身の自己分析、自己改革の努力も強調されています。わが党の歴史の中には、さまざまな誤りもあり、歴史的な制約もあります。わが党の歴史は、それらに事実と道理に基づいて誠実に向き合い、科学的社会主義を土台として常に自己改革を進めてきた歴史です。『百年』史はそうした自己改革の足跡についても、詳しく明らかにしています。

 わが党に対して「誤りを一切認めない」などという事実に反する非難がありますが、『百年』史そのものが党の真の姿を語り、さまざまな批判や攻撃にも正面から答える内容を持っていることに注目したいと思います。

 100年を超える歴史を持つ政党は、日本では日本共産党だけです。その党が歴史への貢献と自己分析の両面で一貫した党史を持ち、『百年』史を発表したことは、政治史上も大きな意味を持つと思います。志位委員長の言葉を借りれば、「こうした党は世界を見渡しても、そうはない」わけですから。

 

広範な人々の共同財産となる

 村主 私は、この1世紀に日本と世界の発展にとって、日本共産党がどういう役割を果たしたのかを明らかにしたこと、そして、いまかけられているさまざまな攻撃にも、科学的社会主義の立場でどう変革をしながら頑張ってきたかも明らかにしている点で、読み終わって、感想を一言でいうと「爽快」です。100年分の苦闘と開拓の中身を得て、いまから切り開いていかなければならない私たちへの最大の励ましになると受けとめました。

 田中 私自身は、この100年の到達点に立って、先人たちが切り開いてきた党の理論的な到達点、政治的な到達点、また運動やたたかい、党建設、この歴史の財産を次の世代に伝えていく責任が、いまを生きる党員にはあることを強く感じました。『百年』史はまさに国民の歴史の重要な一部をなす、広範な人々の共同の財産となるものだと思います。

 岩崎 私は生まれが1986年で、入党は2006年です。100年の党史のうち、自分の政治的体験と重ねて読める範囲というのは多分5分の1ぐらいです。学習するうえでは大変ですが、若い党員のみなさんと一緒に頑張りたい。そのとき指標にしているのが、不破さんが『日本共産党史を語る』の最初のほうでいわれていた、党史を生きた形でつかむ、先人たちの気持ちや姿勢と合わせて学んでほしいという呼びかけです。その点で特に1章で、当時の先輩たちの思いが伝わってくるのは、学ぶ意欲がより高まる中身だと思いました。

 自分が入党してしばらくの間は「二大政党づくり」のもと、党が見えなくされていました。いまのような激しい党攻撃とのたたかいを体験するのは、実質上は初めてです。そういう形で読むと、いろんな攻防のプロセスを染み込むように読み学ぶという、これまで以上にそういう党史だと思います。

 

第1章

不屈の活動 戦前史の誇り 山口

 山口 『百年』史は第1章で戦前の党活動を三つの時期に分けて述べています。(1)党創立の初期の活動=22年から27年、(2)「ここに日本共産党あり」の旗を掲げた27年から35年、(3)次の時代を準備する不屈のたたかい、35年から45年の三つの時期に分けて述べています。この時期区分は、党史の編纂では初めてのものです。これは、迫害、弾圧に抗しての党自身の成長と発展という視点で、戦前の党の活動を捉えたものです。

 第1の時期は、党創立と初期の活動ですが、ここでは、天皇絶対の専制政治のもとで、政治活動の自由がありませんでしたから、党は非公然の政党として組織され、侵略戦争と植民地支配に反対し、国民主権の政治をつくるという民主主義の旗を立てました。

 第2の時期は、綱領的文書=27年テーゼの決定によって、天皇制権力に対しては非公然の形で党を建設しながら、「赤旗」(せっき)を28年2月に創刊し、国民の前には「ここに日本共産党あり」という旗を掲げての活動に踏み出した新しい時期です。

 第3の時期については、『百年』史では、新たな叙述が行われています。一つは各地での活動がさまざまな形で続いたこと。もう一つは、獄中や法廷でのたたかいが専制政治と侵略戦争に反対する党の立場を守り、戦後の新しい時代を準備する営みとなったという叙述です。

 田中 私は戦前史を、紹介された三つの区分で記述をしたことで、こんなに新鮮に読める第1章になるとは最初は思っていませんでした。

 その第1の時期、“一部の人で解党を決める”誤りを犯しながらも、くじけずに党を再建し運動を続けていく。それから第2の時期、国民の前に党が堂々と姿を現し、労働、生活の向上から政治的権利の獲得、平和などで、天皇制権力のもとでの抑圧に抗して素晴らしいたたかいを広げていく。そしてさまざまな弱点がありながらも革命路線の発展を遂げていく姿がよくわかります。

 第3の時期、35年以降は党が壊滅したという議論がありますが、各地のたたかいは続き、獄中闘争、法廷闘争によって、専制政治と侵略戦争に反対する営みを絶対に消さずに、いかにして次の時代を準備していったか。この区分で改めて捉えると、新しい戦前史が見えると思います。

 

党史に刻まれた女性党員の活動

 山口 新たな視点での解明では、日本共産党に参加した女性たちの不屈の活動があります。志位委員長の記者会見でも、記者からこの部分は2回読んだという質問があり、大変注目されたところです。

 ここでは、4人の女性活動家が中央をふくむ責任ある部署で活動し、どういう思いで厳しい時代をたたかい抜いたのか、その生きた姿を伝えています。

 戦前の天皇制権力は、“共産党は女性を踏み台にした非人間的な党”と攻撃し、同様の批判は戦後も繰り返されました。これに対し、当時、党指導部の一員だった宮本顕治さんの証言も紹介して、この攻撃が事実に全く反し、成り立つものではないと、きっぱり反論しています。

 もう一点は、党の戦前史の国民的意義です。党の戦前の不屈の活動は、「日本の戦前史の誇り」と書いています。戦前、わが党が置かれた状態は苦難に満ちていたけれども、その仕事、活動は、戦後の憲法の国民主権、基本的人権、恒久平和などの原則に大きく実を結びました。これは国民的財産です。

 もう一つは、反戦平和のとりくみが、今日のアジア諸国民との平和、友好を進める土台になっている。そういう活動として世界と日本の歴史にしっかり刻み込まれた、こういう国民的意義をもっていたことです。

 岩崎 私は、4人の女性活動家についての記述が大きく膨らんで、とくに中央を含む責任ある部署で活動していたことが、彼女たちの姿が目に浮かぶような叙述とともに、党史に刻まれたことにとても励まされました。

 当時のいろんな雑誌を見ても、女性党員に対するすさまじい誹謗(ひぼう)中傷がされています。女性党員が男性と一緒に、男性と同じくらい大事な仕事をやっているという事実は隠して人格をおとしめる攻撃がされています。それを考えると、戦後も女性の権利のために活動し、そしていまもジェンダー平等実現のために奮闘しているもとで、戦前の党を特筆するものとして、彼女たちの活動が明記されたのは本当にいいなと思います。

 一方で、共産党は「女性を踏み台にした非人間的な党」という戦前・戦後に繰り返されてきた攻撃との関係では、特に小林多喜二の『党生活者』にかなり攻撃が集中してきた経過があると思います。

 しかし多喜二の全集に残っている小説や戯曲の全部を読んでみると、初期の作品から、多喜二は一貫して、女性が貧困と性暴力と性的搾取に苦しめられていることを書き続けています。そういう男性の作家は、戦前どれだけいたでしょうか。しかも、あわれむように書くのではなく、女性が、そこからもがいて、立ちあがって尊厳を取り戻していくプロセスを、できる限り本人たちの実感に沿うように書くという姿勢です。例えば、「男性が救い出してハッピーエンド」みたいな作品を多喜二は書かないのです。

 田中 わが党を「凶悪犯」であるかのような報道や、侵略戦争推進のキャンペーンなど、メディアの犯罪的役割が補強されています。

 いま「赤旗」は、大軍拡・敵基地攻撃能力保有をすすめる岸田政権の戦争国家づくりに反対していますが、一方で他のメディアはほとんど沈黙しています。

 戦前のこの時代に、「赤旗」(せっき)が侵略戦争反対の旗印を掲げて頑張った一方で、(他のメディアが)戦争礼賛の流れに屈し、それを部数拡販の手段にしたことも書かれています。そういう「傷」が、戦後のメディアの中にも残っていることがたどれる戦前史にもなっています。

 

“名誉を救った”反戦のたたかい

 村主 「次の時代を準備する営み」ということが今回、党史にも刻まれたわけですが、改めてこの「次の時代を準備する営み」として、革命政党が戦前に誕生し、それが日本国憲法に実ったこと、現在のアジアなどとの平和外交にも生きるという意義は本当に大きいと感じます。

 山口 1945年8月の巨大な変化、転換をただちに受け入れられた人は少なかったと思います。宮本百合子さんは「歌声よおこれ」と呼びかけ、新たな創造の仕事に乗り出した。侵略戦争への協力を拒否し、その立場を守った表現者だからです。

 党は、戦後憲法をつくるときに、国民主権の立場をただちに表明します。日本国憲法の当初の案は、主権在民が明確でなかった。国会論戦と運動のなかで、それを書き込ませるわけですが、戦前の党の不屈のたたかいは、こういう形で明るい希望となり、実るわけです。だから、宮本顕治さんが亡くなったときに評論家の加藤周一さんが、「宮本さんは反戦によって日本人の名誉を救った」と言われた(2007年7月)。とても思いのこもった評価だと思います。

 岩崎 作家の三浦綾子さんが教師として子どもたち、生徒たちに軍国主義を正しいと信じて教えて、それが誤っていたとわかった時に、深い痛苦と悔恨、そして病気の中で苦しまれる。その時に心の支えになったのが百合子の小説で、感想を書こうと思って出せないでいたときに、百合子が亡くなってしまった。三浦さんが特に愛読されたのが『12年の手紙』なのだそうです。『12年の手紙』こそ、宮本文学のすべての鍵が隠されている豊饒(ほうじょう)な土壌だとおっしゃっていて、他のどの小説を読んだとしても、『12年の手紙』を読まなければ、本当に百合子を読んだことにはならないと言っておられます。自分たちがこれからどう生きていったらいいのかって、命も危ぶまれるほど苦しんでいる人たちに、そこからもう一度立ち上がる、生きる勇気を広げた、そういう役割を示し得たのが、このたたかいだったと思っています。

 村主 弾圧に抗してどのような成長と発展の努力があったのかという、この党史の角度は、すごく大事だと感じます。改めて三・一五大弾圧とか、四・一六の闘争とか、どんどん弾圧が苛烈になっていく中で、負けずにいろんなたたかいを続けていく。侵略戦争反対の旗を掲げ労働問題、農業問題などで国民の闘争を呼びかけていく。弾圧に抗しつつ、社会進歩の流れをつくろうというたたかいや裁判闘争があった。これは、次の100年に向かって、新しい日本の社会をつくる力にもなる。共産党の戦前史の開拓の息吹をつかめるものだと思います。

 

第2章

実践の中で綱領路線確立 田中

 山口 第2章の特徴は、日本軍国主義の敗北によって、党が合法政党としての活動を開始した45年から、党分裂という「五○年問題」の危機を経て、自主独立の立場、綱領路線を確立し、あらたな出発を遂げた61年までの時期を一つの章にまとめたことにあります。

 このまとめ方によって、深刻な危機や攻撃に対して真剣に立ち向かうことで、党が新たな道を切り開くという、この時代の「たたかいの弁証法」がくっきりつかめるようになったと思います。

 第1節は、45年~49年の敗戦後の政治体制の変化と党の発展のところですが、戦後の日本はアメリカを主力とした連合国軍の占領という初めての事態に置かれました。その中で再建された党は、主権在民を一貫して主張し、全面講和、外国軍の撤退、真の独立を求める。また労働者・国民の暮らしを守る闘争にとりくみ、1100万人が参加した民主主義擁護同盟という統一戦線組織が誕生しました。当時は、戦略路線の未確立という制約があり、個々の誤りもありましたけれども、主たる側面としては積極的で先駆的な活動をしました。

 第2節は、スターリンの干渉と「五○年問題」です。党の前進を恐れて、立ちふさがってきたのはアメリカ占領軍です。党を「民主主義の破壊者」と攻撃し、松川事件その他の謀略事件を、党と労働組合が引き起こしたかのように宣伝して弾圧に出ました。

 この時期に、より深刻な形でわが党の進路を破壊したのが、ソ連のスターリンによる謀略的な干渉でした。この干渉に呼応して分派をつくった人々が、公職追放という、中央委員会への弾圧を利用して、中央委員会を解体、党を分裂させる暴挙に出る。

 これが今日、私たちが「五○年問題」と呼んでいる、党に危機的な事態をもたらしたわけです。『百年』史では、スターリンの干渉作戦の全貌が、彼の打った具体的な手だてを含めて、ソ連解体後に明らかになった資料と、その後の研究も踏まえて明らかにしています。

 第3節は、党が大変な努力をして深刻な危機を乗り越え、58年の第7回大会で、どんな相手や大国の言いなりにならず、日本の進路は自分で決めるという自主独立路線を確立したこと、61年の第8回大会で綱領路線、国民多数の合意で異常なアメリカ言いなり、財界中心の政治を根本からただす民主主義革命を行い、さらに、国民多数の合意で社会主義を進める大方針を決めたことを明らかにしています。

 『百年』史では、55年~58年までの時期を党史上の「きわめて重要な時期」と位置づけて、その過程を立ち入って叙述し、「武装闘争方針の否定こそが、六一年綱領を確立する出発点となったのです」という規定づけを行っています。

 

波瀾万丈の歴史 一つながりに

 田中 この時期を一つの章にしてみると戦後、党の活動が合法的地位を獲得し、占領下での活動から綱領路線が確立され、また自主独立の立場を定めるまでの波瀾(はらん)万丈の歴史を一つながりに捉えることができる。分かりやすいまとめだと思いました。

 党史上の最大の危機、「五○年問題」という問題を克服し、その痛苦の体験の中から今の綱領路線につながる非常に大事な方針を導き出していく。武装闘争方針の否定から今の路線がつくられていったことは、共産党は、「いざというときには暴力革命を捨てていない」というような論に対して、歴史の事実から明快に反論していると思いました。

 岩崎 私もこの章が一番、一つの章にこの期間を区切ったことの意味を考えながら読みました。党史上の「きわめて重要な時期」ということに関わって、志位委員長が記者会見で、党分裂という最悪の危機を乗り越え、自主独立の路線と綱領路線という未来ある路線を打ち立ててきた、先達の理性と勇気に深い敬意を覚えざるを得ません、と言われたことがすごく印象に残っています。

 特に、「五○年問題」の歴史的教訓が三つ書かれているところで、この第3の、党の団結と統一を守ることを「党の生死にかかわる重要性」というような強い表現、掘り下げた記述になっているのはよくつかみたい中身だと思っています。

 山口 「党の生死にかかわる」との叙述にも、この時期の重要性が反映しています。

 村主 「党史上の極めて重要な時期」として、本当に苦労したときだった。その中から攻撃に立ち向かう足場をつくり、踏み出した先輩たちの苦闘と開拓は、現在の党の安保政策に対する攻撃、党の組織のあり方への攻撃に対しても、これは絶対に打ち破れる、打ち破らねばという確信を与えてくれます。私は、「党首公選制にすればいいじゃない」と言う方には、派閥や分派をつくることがどんなに党にとって有害なことか、この時期の苦闘を知っていただきたい。特に若い党員の方には、諄々(じゅんじゅん)とこういうことがあってね、こうだったんだよ、というように伝えていきたい。

 山口 日本共産党の自主独立の路線、綱領路線と組織路線が生まれてくる現場なんですね。

 田中 綱領の決定は第7回大会では現状規定と当面の革命の性格をめぐる不一致があることを踏まえて見送り、第8回大会まで引き続き討議します。単に議論だけで解決していくのではなくて、安保闘争をたたかい、そして党づくりに挑戦しながら、その実践の中で綱領路線を定めていく過程が書いてあるのも非常に大事な点です。その中に日曜版の創刊もありますし、やっぱり党勢拡大を「目標と計画」を持って進めていく。この実践を通して、綱領路線の確かさを全党の認識にしていく過程が叙述されています。

 

過去さかのぼり誤りを明らかに

 岩崎 旧「優生保護法」の改定に関わって、過去にさかのぼり誤りを明確にした。2018年に表明があったときは、当時はそういう状況だったのかと思ったのですが、そこからさらに精査を行って重大な誤りがあったと明確にされた。

 同じ章の中でハンガリー事件についても、過去に訂正をしたことも合わせて説明がされています。非常な混乱と困難の中にあった時期の党史ですけれども、混乱の時期だったからしょうがなかったということではなく、さかのぼって誤りを明らかにして教訓に残していくというあり方自体も学べる中身だと強く感じました。

 山口 「敵の出方」に関わる用語の意味とこの用語を廃棄した経過も詳しく書かれています。党に対する事実に基づかないさまざまな攻撃に対して、党史上答えておく必要があるものは盛り込まれています。(つづく)

 

『日本共産党の百年』〈目次〉

第一章 日本共産党の創立と戦前の不屈の活動(1922~45年)

(1)党創立と初期の活動(1922~27年)

(2)“ここに日本共産党あり”の旗を掲げて(1927~35年)

(3)次の時代を準備する不屈のたたかい(1935~45年)

(4)国民的な苦難の経験と党の不屈のたたかいの意義

第二章 戦後の十数年と日本共産党(1945~61年)

(1)敗戦後の政治体制の変化と党の発展(1945~49年)

(2)スターリンの干渉と「五〇年問題」(1950~55年)

(3)六一年綱領の決定と自主独立の立場の確立――「五〇年問題」の教訓(1955~61年)

 

 

≪座談会『日本共産党の百年』を語る(下)≫

 田中 第3章から5章は、1961年に綱領路線が確立して以後、60年余の歴史になります。20年ごとに区切りを入れ、第3章(60~70年代)、第4章(80~90年代)、第5章(2000年代~今日)の三つの章になっています。

 ただ20年ごとに区分したということにとどまらず、それぞれの章で、日本共産党が躍進を経験し、支配勢力の反共戦略に対する苦闘の中で、新しい成長と発展を勝ち取っている姿が記されています。各章に「政治対決の弁証法」のダイナミズムがあるのが、非常に味わい深いところです。

 

第3章

自主独立が全党の血肉に 岩崎

 田中 60年代は、綱領路線の確立以後、革新勢力の統一行動の発展、革新自治体の発展、本格的な政策活動、党建設の開拓的努力――など、本当に目覚ましい党の発展が記されています。この時期に日本における「議会の多数を得ての革命」の路線が生きた形で実践され、発展していく姿をかみしめながら読める部分だと思います。

 他方で、党は、ソ連、中国・毛沢東派の干渉とのたたかい――党内に分派をつくり、党を破壊し従わせる策動に遭います。それを正面から打ち破り、自主独立の路線をさらに確固たるものに発展させていく時期でもあります。

 

科学的社会主義 創造的な探求へ

 これらの努力が60年代末から70年代の「第一の躍進」に実ります。この躍進に対して、「自由社会を守れ」のスローガンのもと、党を“暴力と独裁の党”だとする反共キャンペーンが展開されます。党は、それに正面から対決し、そのなかで、科学的社会主義の自主的な理論的発展を勝ち取ります。科学的社会主義の創造的な探求を、反共キャンペーンに立ち向かう中で行った先輩たちの偉業には、深い敬意を抱かざるを得ません。

 岩崎 第2章の「五〇年問題」の総括文書の部分の記述を見ると、自主独立の立場が「どれだけ自覚的につかまれたかは、個々に相違はありました」と書かれています。つづく第3章では、ソ連、中国・毛沢東派の干渉とのたたかいを通じて、「自主独立の立場が全党の確信となってゆきました」と、発展しています。

 大国による干渉は、一部の党員だけでは決して打ち破れるようなものではない。そんな時に、「五〇年問題」を通じて確立された自主独立の立場を、一人ひとりの党員が自分の血肉にし、体得していくたたかいがなされた、その過程がよく分かります。また、干渉との激しいたたかいの最中でも、大局的な視点に立ち、外交活動の基本姿勢を発展させていく党の努力には、本当に圧倒されます。

 山口 「第一の躍進」の重要な特徴は、60年代に粘り強く続けられた党建設の前進という強固な土台のうえに実現した躍進ということにあります。これに対し、70年代前半から反共戦略が本格化していきます。ここで重要なのは、その時、党が、党の前進は“結束した強力な反革命”をつくりだし、それに正面から立ち向かうことによって、党が鍛えられて、「ほんとうの革命党に成長する」というマルクスの「階級闘争の弁証法」――今日「政治対決の弁証法」と呼ぶ――をつかんで前進への道を切り開こうとしたことです。攻撃に立ち向かう中で、党の立場が前進していったという流れがよく分かる部分です。

 

攻撃をはね返し 国政の場で役割

 70年代、反共攻撃が強まるなかで、とりわけ激しかったのは、宮本顕治委員長(当時)への攻撃です。国会が反共攻撃の場になるわけです。『百年』史では、その攻撃の最中に、宮本さんが、「ロッキード事件の追及と国会審議の正常化にむけた五党党首会談、衆院議長裁定への筋道をつける役割を果たし(た)」と記述しています。攻撃をはね返しながら、同時に、国政の場では堂々と役割を果たしている。前進してきた党の活動は、反共攻撃でもおしこめることはできなかったのですね。

 

第4章

筋を通す立場が力を発揮 田中

 田中 第4章は、80年代から90年代の時期です。60年代から70年代の躍進に対して、「社公合意」によって「オール与党」体制が敷かれるというところから80年代がスタートします。

 これに対して、党が、「無党派の人々との共同」という新しい統一戦線運動を提唱し、81年に全国革新懇が結成されます。革新懇運動は、その後、あらゆる統一戦線運動を草の根から支える土台となっています。

 「オール与党」体制のもとで、党は、国政選挙で「一進一退」を余儀なくされます。80年代末から金権腐敗政治が国民の批判を浴び、「オール与党」体制の矛盾が噴き出し、党の躍進の兆しがあらわれてきますが、中国・天安門事件や東欧・ソ連崩壊を利用した「体制選択論」攻撃などによって躍進は現実のものとなりませんでした。

 90年代前半、支配勢力が新たな“日本共産党封じ込め”の戦略として発動したのが、「自民か、非自民か」という偽りの対決構図をふりまき、日本共産党を選択肢の外に排除しようという策動でした。しかし、この作戦は、「非自民」勢力が、にわか仕立ての寄せ集めだったために、失敗に終わりました。

 

「オール与党」で国民が被害者に

 90年代後半から日本共産党の「第二の躍進」が起こってきます。80年代から90年代の流れをたどったときに、日本共産党が筋を通してぶれないで、国民の利益を守り抜くために奮闘したということの意義を非常に感じます。対米従属、大企業奉仕の政治に抜本転換の旗を掲げてたたかっていく――この筋を貫いたたたかいが、無党派層からの支持を得て、党史上最高の躍進につながっていきます。まさに“ぶれない党の真価”があらわれた時代です。同時に、党の自力が躍進についていっていないという弱点もありました。

 山口 「オール与党」体制のもとで“日本共産党封じ込め”が行われる時期に、この体制によって苦しめられたのはわが党だけではなく、国民全体だったという視点が大事です。

 臨調「行革」の名で新自由主義の路線が開始され、労働法制の規制緩和などによって、国民の暮らしに破壊的影響が与えられます。この時期から開始された新自由主義の矛盾が、近年では新型コロナ危機で、国民生活の中にはっきりと表れました。まさに「オール与党」体制の最大の被害者は国民だったということを歴史が証明しています。

 田中 『百年』史にあるように、90年代の新自由主義の悪法に国民の利益に立って対決したのが日本共産党でした。日経連が「新時代の『日本的経営』」を提言し、労働者の圧倒的部分を非正規雇用に変えていくこの戦略に沿って、労働者派遣法が次々に改悪され、99年についに原則自由化されます。このとき反対したのは日本共産党だけです。

筋通した論戦がその後に生きる

 そういう決定的場面でたたかい、きっぱりと筋を通して反対したということが、2000年代の派遣切り、貧困と格差のたたかいに生きているし、コロナ危機のもとでの非正規労働者の劣悪な待遇の問題での党の活動にも生きています。党の張った論陣が、その後の歴史の中で生きていくということの一つの表れだと思いました。

 村主 私は70年代の生まれなのですが、物心がつく80年代には、「社公合意」で臨調「行革」があり、いまにつながる新自由主義の路線が開始されます。そして社会主義・共産主義の問題では、ソ連が崩壊するなど、社会的に“定式化”されていたものが次々に変わっていくダイナミックな時期だったのだと、子ども時代を思い出しながら読みました。

 山口 4章あたりから、自らの体験と重ね合わせて読む人が増えてくると思います。それはとても大事なことで、自分自身の歩みを党史の中で確認・評価していく見方ができるのも『百年』史の魅力です。

 

第5章

「政治対決の弁証法」鋭く 田中

 田中 2000年代から今日までは、多くが今回新たに記述を起こした部分です。こうして一つの流れでまとめてみると、「政治対決の弁証法」が非常に鋭い形で表れた時期となっていることに気づかされます。

 90年代後半の党の躍進に対して危機感を抱いた支配勢力が、まず公明党・創価学会などを使った大規模な謀略的な反共攻撃を行いました。続いて財界主導の反動的政界再編による「二大政党の政権選択」のおしつけという反共戦略が組まれます。61年綱領確定以後、党にとって最大・最強の逆風として作用したのがこの「二大政党づくり」でした。

 こうした困難に立ち向かう中で、党は2000年の第22回党大会で党の組織と運営の民主主義的な性格をいっそう明瞭にする党規約の改定を行いました。04年の第23回党大会で61年綱領以来の理論的発展を集大成して、21世紀の党の新たな羅針盤となる綱領改定を行いました。

 その後、自民党政権の衰退、民主党政権の誕生、続いて民主党政権の自民党政治への屈服と矛盾の激化という、政治の大きな激動が起こりましたが、なかなか党の躍進にはつながりません。

 『百年』史では、2010年の参院選での後退を「きわめて重大に受け止め」、根本的な選挙総括を行い、「国民の探求にこたえ、展望を示す」という政策論、「綱領・古典の連続教室」などの党建設の新しい探求で努力を重ねていったことが述べられています。

 

逆流と分断越え 共闘の前進図る

 こうした一連の努力が実ったのが、13年から開始された「第三の躍進」です。この政治的躍進を力に、党は戦争法(安保法制)反対の国民的闘争の流れのもと、市民と野党の共闘で政治を変える新しい挑戦に踏み出していきます。共闘は17年総選挙で逆流と分断に見舞われながら、それを乗り越え、21年総選挙ではついに、政権交代に正面から挑戦するという政治的大攻勢をかけるところまで到達しました。

 これに対し、支配勢力は、反共闘、反日本共産党の攻撃に出てきます。この逆流とたたかい、前途を開こうと奮闘している最中、この攻防のプロセスの中で、党は創立100周年を迎えます。

 山口 第5章では、「政治対決の弁証法」が鋭い形で表れます。2010年代、20年代とめまぐるしく反共戦略が発動されるのです。相手はひとときも同じ戦略では来ない。こちらの対応を見ながら次々と手を打ってきます。

 田中 山口さんが言われるように、選挙のたびに逆流と分断の策動が極めて激しく行われました。とりわけ21年総選挙では、日本共産党が政権交代を掲げ、政治的大攻勢をかけます。本当に大きく攻め込んだのだけれど、支配勢力はさらに激しい反共・反共闘攻撃で応えた。この攻防のプロセスが一番激しく表れたのがこの時期です。

 

「現在進行形」の攻防のプロセス

 また、『百年』史が、「この攻防のプロセスは決着がついておらず、現在進行形で続いています」としているところも、非常に大事な現在の到達点の認識だと思います。

 村主 天皇絶対の専制政治とのたたかい、戦後の「五〇年問題」の苦闘やソ連覇権主義などとのたたかい、それを先輩たちは乗り越えてきた。この先に記される党史には、今まさに党にかけられている攻撃を打ち破り、前進した歴史を刻めるように力を尽くしたいですね。

 

最大のカギは党の強大化 山口

 田中 最後のむすびは、志位委員長が党創立100周年記念講演会で明らかにした、今日の党に生きる三つの特質(1)どんな困難があっても国民を裏切らず、社会進歩の大義を貫く不屈性(2)科学的社会主義を土台に、不断の自己改革の努力を続けてきた(3)国民との共同――統一戦線で政治を変えるという姿勢を貫いてきたこと――を改めて明記しています。その上で、これは『百年』史ならではの特徴ですが、党史が党建設の決意で締めくくられています。

 ここには、率直な自己分析性の発揮があります。党がなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していないということを率直に書き込むとともに、党が、「強く大きな党」をつくり、新しい世代に社会進歩の事業を継承し、希望ある未来をひらくために新たな挑戦を開始していることを述べて、党史を結んでいます。

 志位委員長は、『百年』史の発表記者会見で、来年1月に予定されている第29回党大会に向けて、「130%の党づくり」と若い世代、真ん中世代の党勢倍加に挑戦していることを述べましたが、『百年』史の最後の部分がこの決意で締めくくられているというのは、非常に重い意味を持っています。

 山口 支配勢力との攻防のプロセスは決着がついておらず、現在進行形だという話がありました。このプロセスを前進させる最大のカギは党自身を強く大きくすることです。これが『百年』史での歴史を踏まえた提起です。

 村主 志位委員長が党創立100周年記念講演会で明らかにした、党が持つ前進に転じる大きな可能性と条件(1)綱領路線の発展と歴史(2)自民党政治の行き詰まり(3)日本共産党の政治的影響力の大きさ(4)国際政治で“主役交代”が起きている――が『百年』史にも記されています。私は、記念講演の核心部分はここだと思っていたので、うれしく読みました。ここはもっと『百年』史と一緒に深められ、確信にして、党づくりに生かしていくべきところかなと思います。私が言っていた“爽快感”はまさにこの部分です。

 

『百年』史から力もらって 村主

 山口 なぜ『百年』史が現在の「130%の党」づくりにも政治的な推進力を持つのか。この間、私たちは「政治対決の弁証法」の立場で到達点と課題をつかむことに努めてきました。『百年』史の編纂作業でも、この立場が全体に貫かれました。

 第8回中央委員会総会では、総選挙に向かう政治姿勢として、(1)国民の切実な願いと結びつけて、異常な対米従属・財界中心という日本の政治の二つのゆがみを「もとから変える」――わが党の綱領的値打ちを太く押し出した論戦にとりくむ(2)支配勢力によるわが党の綱領と組織のあり方に対する攻撃を打ち破って、党への丸ごとの支持を広げ、積極的支持者を増やす政治的大攻勢をかける――ことが強調されました。

 この活動を進めていくうえで、綱領、規約、『百年』史が大きな力になります。支部で党史を学び、感想を大いに出しあって、国民のみなさんの間にもこれを広げ、党の姿を語っていく。こうして新たな政治的大攻勢をかける力にしていきたいですね。

 田中 『百年』史では、いかに党の100年の苦闘と開拓の歴史が、現在の党の活動、理論的到達、そして日本の社会進歩の事業の到達点に生きているのかをつかめると思います。同時にそれは、現在のたたかいが未来に生きるということを映す鏡でもあると思います。“歴史をたどると現在が見える”“未来にも希望が持てる”という『百年』史になっています。本当に多くのみなさんに読んでいただきたい。特に若い世代の方々に読んでほしいということを最後に言いたいと思います。

 村主 『百年』史の完成は多くの人が待望し、「待っていました!」と言わんばかりに、今も注文が寄せられています。党史から力をもらい、元気を出して、攻撃を乗り越え、前進したいという多くの党員の思いの表れだと思います。その思いに全面的に応える『百年』史になったと確信します。

 岩崎 日本共産党に対して、「無謬(むびゅう)主義の党」という攻撃がされていますが、『百年』史を読むと、全く逆であり、誤りを認め、自己改革を重ねてきた歴史だと分かります。読んでいて「いいな」と思ったことは広めたくなります。すぐに全体をつかむことは難しいかもしれません。「とってもいいな」と思ったところからどんどん語っていきたいと思います。(おわり)

 

『日本共産党の百年』〈目次つづき〉

第三章 綱領路線の確立以後(一)――1960~70年代

(1)綱領路線にもとづく各分野での開拓的な努力

(2)ソ連、中国・毛沢東派の干渉とのたたかい

(3)日本共産党の「第一の躍進」――1960年代末~70年代

第四章 綱領路線の確立以後(二)――1980~90年代

(1)「オール与党」体制とのたたかい――1980年代

(2)覇権主義とのたたかいとソ連・東欧の支配体制の解体

(3)90年代の政治状況と日本共産党の「第二の躍進」

(4)世界の平和秩序をきずく課題と野党外交のはじまり

第五章 綱領路線の確立以後(三)――2000年代~今日

(1)「二大政党づくり」とのたたかい――2000年代

(2)「第三の躍進」とかつてない統一戦線の発展――2010年代

(3)世界と日本の激動のなかで――2020年代

(4)むすび――党創立百周年を迎えて

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