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日本にとって満州支配とは? ~ 大量移民はなぜ強行されたか(メモ)

 「加藤聖史・国文学研究資料館准教授に聞く 前衛2021.10 」のメモ 

 ~ ソ連参戦から引揚までの悲惨な状況、その背景としての大本営・関東軍の棄民政策など数々の書籍がある。

しかし、なぜ満州に150万人もの日本人がいたのか。満州とは何だったのか。その根本に迫る論稿

【日本にとっての満州支配とは何だったのか】

 加藤聖史・国文学研究資料館准教授に聞く 前衛2021.10

 

■これまでの満州研究

・歴史研究の中で満州だけを研究対象にする人はあまりいない/国別の捉え方、中国史の歴史の範疇でとらえる傾向

→満州は日本の歴史の。が、満州が日本の社会、歴史の中でどういう位置づけか議論されず/90年代後半から、研究対象にする人が増。特に若い世代は、これまでの捉え方にこだわらないボーダーレスな研究が増。が学術研究全体では添え物

→が、研究の世界で内向き傾向が強く、植民地の問題を日本史の立場でやる研究者は減少

→逆に、学生の植民地研究への関心は高い/教える側と教育をうれる側のギャップ。社会的な関心の高さともアンバランス

(メモ者 「満州」が語られるとき、ソ連参戦後の軍部の逃亡と戦禍、引き揚げの辛苦の体験・・・が焦点となっている。が、そもそも「満州」とは何なのか。どんな経緯と暮らしがあったのか・・・そこが抜け落ちている)

 

■「満州事変」とは何だったのか

≪ 日本にとって満州はどういうとろだったか ≫

・満州は、日本の近代史の1つの鏡、日本の歴史がある意味凝縮されている

・満州移民というが、実態は移民でない人が多数。敗戦時、なぜ、155万人もの人が満州に住んでいたのか

 

・日露戦争(1904-5年)が最初の起点

~歴史の教科書では、日本とロシアのたたかい、南満州の権益、関東州の租借権を獲得、としい語られない/が、満州は、日露戦争前に、日本人はほとんど住んでいない。歴史的なつながりはほとんどない

→ 日露戦争の結果、満州は具体的な対象として急に登場  /初めて人々の満州に渡り、定着してくことに

 

・日露戦争~日本は勝ったのか/満州はロシアの領土ではない。清の領土=満州で主権と関係のない日本とロシアがたたかい、清の領土を勝手に支配 / 日本にとって必然性のないところをとってしまった

→ 満州が、我々にとって何か、の議論が欠如したまま、多くが渡り、満鉄という会社組織も作られ、経済活動が開始

 

・が、本来の主権者・中国が「返せ」と主張。そこに問題が発生 ⇔日本「多数の犠牲を払って自分のものにしたのに、なぜ中国がクレームを言ってくるのだ」 ⇔ 最初から話はかみ合わない。妥協点も見出すことも難しい状態が続くことに

・日本 最初は中国の主張を無視、が声が大きくなると、日本側も「とってしまえ」に →これが「満州事変」

・この事変を、日本国民は、「当然」と受け止めた 

⇔ 「満州はどうしても必要」との意識はなかった。そして満州をめぐって起こっていることの本質的な問題を誰もわかっていなかったので感情的な問題に支配され「うるさいから取ってしまえ」「取ってしまえば問題は解決される」ということに

 

≪ 陸軍が国民に示した“回答” ≫

・「満州事変」は、日本の歴史、近代史のなかでも、1つの革命的な影響を与えた事件

⇔ 「軍部の暴走」と言われるが / 単に軍部の暴走にとどまらず、これまでの既成概念をすべて打ち壊した事件で、その行為を国民が支持 ~ それまでのモヤモヤしたこんがらがった問題に、関東軍が明確な解決策を示し、国民が「すごい」と感動し支持したのが「満州事変」

・国民は「満州事変」を積極的に支持/ マスコミの反応も手のひら返しで変わった 

→当時、世界恐慌。有効な対策をとれない政党政治への不信感が高まる中、軍部が明確な解決策を示したことで、国民の軍部に対する強力な支持理由に /軍部は信用が出来る組織、政党はダメな組織の意識

 

・陸軍~内実は向いている方向はいろいろ違っていた。2.26事件につながる派閥など/が、関東軍が1つの方向性示した

→ 後から見れば、関東軍が独走し、陸軍中央が引きずられたのだが/同時代の国民からは陸軍の統一した意志と見えた

 

・「満州事変」以前 ~ 満州全体を占領し、日本のものにする発想は誰も持ってなかった

→ 日露戦争で獲得したのは南満州だけ/日本人の意識も南満州、とくに満鉄をどう守るかに関心があるだけ

⇔石橋湛山「満州放棄論」~満鉄の経営にもこだわっていても、経済的にはもうからない。満州の企業に投資して、そこから利益をあげればよいという合理的な発想もあったが、本質的な議論もなく、感情論が幅がきかせる中、支持を得られなかった

 

・関東軍の解決策 ~ 南満州にこだわらず、北も同時に日本の領土にすればよい、というもの / 中国の領土を日本が支配しているかぎり、「返せ」と言われる。それを断ち切るには日本の領土にしてしまえばよい

⇔ 関東軍のプランの編み出したのは参謀石原莞爾 「最終戦争論」~ 二大強国による最終決戦(仮想敵 米国)に勝ち残るためには資源のない日本にとって満州は絶対不可欠、という主張 / 「満州事変」の「正当性」の基盤、それを国民が支持

 

・計画の妥協~ 計画は日本の領土にする / 実際は「満州国」という傀儡政権樹立に / が、基本かわらず

→ 関東軍 : ソ連と対峙するには軍事力不足で、武装移民などの検討も。軍事的要素から満州支配を進めた

⇔それが日本にフィードバックされるとき、なんとなく明るい未来をつくる話として受け入れられてしまった/ 「満州事変」は、日本人が今まで考えてなかった世界を提示し、みんなが魅力に感じた / だから、「満州事変」の衝撃は大きい

・パスポートなしに行け、実態的に日本の領土の一部で、フロンティアとしての姿を日本社会に示した

 

  • なぜ大量移民はすすめられたか

≪ 満州では日本人を増やす必要があった ≫

・朝鮮、台湾のように植民地になったところは日本の領土となり、日本人が何人するか関係ない

・「満州国」は「五族協和」のどの民族も平等の国という建前で建国 /事変時、3千万円の人口の中で、1%未満の日本人が主導権を握っているという根本的な矛盾が発生  ⇔ 日本人の数を増やす必要性。政策的に強引に増やす方向に

~ 満鉄への勤務、満州国の役人として渡ってくる人は、日本に戻るかもしれない / 土地に定住し、何世代にわたって土着する人が必要 = 農業移民

 

・満州移民政策のクローブアップ~ 当時の日本~7割は農村、農村人口は過剰で、耕地不足 → 何割かを移民させれば、日本では農村の一人あたりの耕地面積が広がり、満州には人が増え、しかも土地が広いので田圃をもてる。一石三鳥

⇔国という建前をとったので、日本人を増やさなければならなくなった 36年100万戸移住計画、20年間で500万人/ 満州国の1割を日本人にしようとした計画

 

≪ 土地をめぐるトラブルと現地の反抗 ≫  

・矛盾の噴出 ~ 移民が入ってきた農村部

・満州~ 日本面積の4倍以上、中国のなかでもフロンティアで人口も少なかった / が、3000万人の中国人が定住

→ 「土地はいくらでもある。誰もいない土地なので、耕せば畑になる」--「共存共栄」できる

→ が、机上のプラン / 想定外のトラブルの噴出

・土地は広いが、南部の比較的な温暖な地域は既に既墾地 / 空いているのは北部。が耕作可能地は既に中国人が入植

→ 誰かの土地に入植させないといないことに /問題は、買収価格よりも、土地所有制度の複雑さ

 

・満州の土地所有制度の問題 ~ 誰が真の土地の所有者かわからない / 地主と思われた人の上に何層も地主がいて、経営を任されているだけ。地主は都市部に住んでおり管理は人任せ~ 地主から土地を買っても、経営をまかされていた人は突然解雇、失業者がたくさんでるという問題が浮上 / 軍部は土地確保だけが関心。結果、中国人にしわ寄せが集中

 

≪ 人々の間に恨みが蓄積された ≫

・日本から見れば、正当な手続きの契約で購入 /が、現地の人々の生活・心情を無視し反発を生んだ

→日本が現地住民を支配し奴隷のように使ったという「わかりやすい構造」ではなく、きちんと行政手続きを取っているが上に、現地の不満にお役所的に対応~ 住民への説明なし、セーフティネットもなし/結果としての恨みの蓄積

⇔受けた側は被害者意識が強い、やった側は加害の意識なし/意識の差は戦後も・・・朝鮮の植民地支配も同様

 

・意識の差  日本は絶対的な権力を保有。権力を笠に着て何でもできるが、笠に着ている意識はほとんどない⇔同時に、中国社会の構造、特に表に見えない文化・風習などを知らないし、理解していない

→ 自分たちは正しいことをしていると思っているので、もともとの社会的な構図を破壊し、住民がどんな苦しみや怒りをもっているのかへの思いが至らず、恨みをもつ人々を蓄積/

⇔一方的な「善意の帝国主義」~自分たちはきちんと手続きをし、インフラ整備、鉄道敷設などいいことをやっている意識

 

■あらわになった植民地支配の本質

≪ 強制立ち退き ≫ 

1937年 日本人増加計画の策定 20年間で100万家族・500万人  ~ 日中戦争開始の年/当初から計画に狂いが

⇔ が、一度決まった目標は、修正されず、数字がひとりあるき。現状を無視 / いまも存在する役所の文化

  • 一年刻みの目標人数達成が最優先課題に ~ 未達成な場合は翌年に上乗せ

 

・実際には入植地は限られている/が、(年5万家族とかの)入植計画の実行が迫られる

→机上の入植計画~空いているとの土地に、すでに中国人の入植者など、問題が次々発生

→ 入植目標は決まっており、土地確保が不可欠 ⇔ 権力者としての振る舞い 強権で「いないこと」に/強制立退きの頻発

*強制立退きで、住んでいた人を追いだし、入植させて、追い出された人のその後のことは考えていない

 

・改竄・不正行為、強権の頻発~数字目標の達成が優先さ/日中戦争後に横行。恨みを買い、ますますいい方向に進まない状況に。その意味でもターニングポイント

 

≪ なぜ誰もとめられなかったのか ≫

・日本の政治構造の問題点・・・一回動き出したら誰もとめられない。「おかしさ」の蓄積

→強い政治力を政府も軍部も持っておらず、責任放棄の体制に/「私この部分しかやっていない」「これはあの人の担当」「言われたことをやっただけ」・・・という無責任状態。ストップをかける人の不存在 / 1つの目標を目指すときには、強みを発揮するが、うまくいかないときの軌道修正ができない文化

→満州でも/破綻の後、計画最初の人たち「最初の意図はちがった。自分の意図と違う方向にいってしまった」「途中からまずいと思ったが、言うことを聞いてもらえなかった」と責任の擦り付け合いになる傾向が強い

*戦争を誰が何の目的ではじめたか、が曖昧になり、みんなが不本意な被害者意識で、責任の所在が曖昧になる

(メモ者 内部通報者が裏切り者として排除される。ことの善悪よりも、「村社会」の損得が、「規範」となる文化)

 

■満州国の崩壊で

≪ 日本のための満州という姿がいっそうあらわに ≫

・戦況の悪化とともに「五族協和」のスローガンは投げ捨てられ、日本のための「満州」という姿があらわになっていく

→ 本国への食料供給の重視 / 満州が倒れても日本、軍を支えることが優先されることに

→「集荷工作」の誕生~農村部に行って退蔵物資を徴発/ 一方、配給は日本人優位の差別的扱い

 

・労働環境の変化~戦局の悪化とともに、長時間労働、低賃金の押し付けの強化 ⇔日本人に支配されてる意識の強まり

44-45年にかけて、反日感情の高まり / ソ連参戦を歓迎し、日本人に対する報復の開始へ

 

≪ 多発した集団自決 ≫

・日本~ かつて一度も他民族との共存を未経験 /非常時の対処の仕方になれていない

→ あちこちで現地人の反乱にまきこまれていくことになり、「集団自決」が発生

 

・満州の「集団自決」は、規模が大きく、様々なパターンが存在

→外国で自分たちと違う民族に囲まれたときに、思い詰め自ら選択肢を狭めてたった/一方、「集団自決」を免れた開拓団も存在。周辺の現地人村落との関係が比較的よかったところで案外生き残れた

・日本人 お上の指示待ちに。政府・軍に過剰なまでに信頼、依存しており、見捨てられた衝撃から、周りとの共存関係の有無も絡み合って「集団自決」に ⇔ 端から信頼してなかったら、自分たちで生き残る道を探るところを

 

≪ 満州引揚が問いかけること ≫

・満州引揚・・・犠牲者が多く、様々な辛苦をくぐって帰国したという社会的インパクトの大きさから、「満州」というと「事変」ではなく「引揚」の悲惨さに焦点が・・・/どちらかというと被害者意識が強い

・欠落している視点・・・なぜ、そこに住んでいたのか? どんな経過でわたったのか?

 

・満州にいた日本人社会は狭く、ほとんど現地人と交流なし。日本語で生活ができ、中国語がペラペラの人は稀有

→ 引揚者の話には日本人しか登場しない。唯一出てくるのは、家のお手伝い、ごみ拾いなどのエッセンシャルワーカー、物売りといった人たち/ それ以外は、日本人の学校で一緒だった裕福な現地の人だけ

・引揚者が衝撃うけた日本社会・・・荷車を日本人が引いている。駅の切符の窓口が日本人/ 満州では現地人がしていた社会の末端の仕事だったから 

→ それは植民地だったから。非対称な世界 / 植民地支配の本質をこういうところから考える必要がある

・植民地支配・・・様々な可能性や自由を、ある特定の人たちは謳歌できるが、それ以外のグループに属すると、好きな職業につけない、同じ仕事でも給与がやすい、自由になんでも決められない現実があった

→ インフラが整備、便利になっても「近代化されてよかった」とはならない世界がある

 

*引揚者を通して、「この人達はいったい何者か」という疑問/引揚前の暮らし、どんな社会があったのか

 →歴史の教育の中でも必要なことは、そういったことに想像力を働かせること

 

■今でも満州の問題は続いている

≪ 戦後における満州の語られ方 ≫

・ほとんどが引揚にともなう被害者としの話、ソ連侵攻後の話・・・ 

→ 満州では、どんな支配をしていたのか、満州支配の本質は何か、ということは社会的にほとんど知られていない。

 

≪ 根の深い問題を見過ごしていないか ≫

・残留孤児の問題で、一次関心が高まったが、かわいそうな子ども、女性の話でおわり、高齢化と数の減少で「終わった話」に

→ が、その人々の生活再建の問題、二世(特に思春期に)の問題はもっと深刻/突然、日本人と言われ、友人とわかれ知らぬ外国での生活に。将来の道の突然の変更など / 現在は一世の介護問題も

・深刻な問題が、明らかにされることなく続いている⇔ 引揚などの関係者がいなくなれば過去の話で終わっていいのか

・戦争の問題・・・世代を超えて続く、影響は根が深いことに自覚的であるべき/長い時間軸でものを考えないといけない

 

 

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