「現実的」なことが「現実的」でない 時間軸の問題
コロナ禍の五輪・・・始まればアスリートの姿への共感もわかる。私は、命を助ける最前線で踏ん張ってくれている医療従事者を思うと「見る気」になれない。
開催の可否をめぐって、思うのは「現実的」という言葉の軽重。
「すでにはじまっていて、やめるのは現実的ではない」というロジックに、危機感を覚える
気候危機への対応は、パラダイムの転嫁がもとめられる。熱効率の向上など技術革新とか、は当然必要だが、社会の在り方について「当たり前」の現実を根底から考え直さなくてはならない段階に突入している。
が、そのメッセージは極めて弱い。
日本は、人口では、地球の1%台だが、温暖化ガスの排出量は5%、世界全体で、現在の暮らしは地球1.7個分の負荷をかけているが、日本の水準は3個分におよぶ。
この負荷を軽減する社会とはどういうものなのか。
2030年までに、温暖化ガスの排出を45%削減しないと、永久凍土の誘拐、森林火災の多発など温暖化ガス排出の増加を抑え込めず、地球の回復力の限界・PBsを超える、と国際的な目標となっている・・・あと9年なのに、あまりにも話題になっていない。
「現実的」なことが、本質は「現実的」でなくなる。時間軸の取り方の問題。
人類は、他の生物の命への責任を含めて岐路にたたされている。
« 技能実習は速やかに廃止を 日経が社説 | Main | 2021年5月 地方議員学習交流会 »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 所得などの「控除方針は金持ち優遇」と闘ってきた歴史(2024.11.15)
- 「立憲民主」の選挙政策を見る (2024.10.09)
- 「賃上げ・時短」政策と「人手不足」問題~ カギは、持続可能な働き方(2024.10.01)
- 24総選挙~前回の共闘の到達点をリアルに見、大切にする(2024.09.26)
- 202408地方議員学習交流会資料+α(2024.08.15)
Recent Comments