科学的社会主義の世界観(メモ)
牧野広義・阪南大名誉教授 経済2021.06 の備忘録
Ⅰ 哲学の根本問題―‐唯物論と観念論との論争から発展した
Ⅱ マルクスの「新しい唯物論」--現実世界の実践的把握と変革
Ⅲ マルクス・エンゲルスの弁証法
Ⅳ 唯物論的歴史感の確立
Ⅴ 追加~ メモ者の課題意識 労働者階級と市民社会の成長
【科学的社会主義の世界観 牧野広義 】
マルクス、エンゲルスは、資本主義を科学的に解明し「世界の変革」をめざす科学的社会主義を提唱。この理論は、世界(自然、社会、人間)をいかに捉えるかという「世界観」を持っている。世界観を探求する学問が哲学。マルクス、エンゲルスの哲学は変革の精神を持つ。その視点から「世界観」を考える
Ⅰ 哲学の根本問題―‐唯物論と観念論との論争から発展した
古代から近代までの哲学史の総括
(1)古代ギリシア哲学の根本問題
・タレス(BC6世紀) ギリシアの植民地ミレトスの哲学者 ~「万物の根源は水である」/当時、神々が世界を支配しているという「神話的世界観」。が、自然研究を重ねたタレスは、生き生きと変化する自然の根源に「水」があると考えた。
→「神話的世界観」を克服する「合理的世界観」が鉄が津の始まり。しかも、世界の根源を物質から説明する「唯物論」
・タレスは水からどのように様々な物質ができるか説明せず、そのため「万物の根源」をめぐる論争が続くことに
~デモクリトス(BC5)万物の根源は「原子」(アトム)。その結合の仕方で多様な物質ができると主張。「原子論」が唯物論の基礎となった(20世紀、原子核理論により、物質観の大きな変革)/彼は、「学問の万能選手」、民主制の支持者
・これに対し、アテネの貴族出身のプラトン(BC4)/物質のさらなる根源に、世界の事物の原型となる「イデア」があると主張/イデアは見えず、思考によってとらえられる観念的な存在~制作神(デミウルゴス)がイデアをもとに世界を創造、と主張
→明確な「観念論」/プラトンは観念論と唯物論の対立を、ギリシア神話の「神々と巨人の闘い」に例える~神々(観念論)によって倒された巨人(唯物論)= ここにすでに哲学の根本問題がある
・アリストテレス(BC4) プラトンの「イデア」論を批判。自然や社会の現実の運動を幅広く研究
→が、「形而上学」であり、自然の世界の外に「不動の神」が存在して世界を動かすという観念論を主張
・エピクロス(BC3、都市国家衰退の時代)/マルクスが論文「デモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異」(1841年)で注目
→デモクリトスが主張した原資の必然的な運動だけでなく、原子の「直線から偏る運動」により、偶然性が生じると主張~マルクスは、ここに物質の反発運動、必然性だけに支配されない人間の自由の根拠を見た/ここに既に、“自然の根源性と人間の自由”というマルクスの思想が現れている。
(2) 近代哲学の根本問題
・若きマルクス~ヘーゲルを学び、ヘーゲル哲学を批判したフォイエルバッハの唯物論に学びながら、それを乗り越える
・マルクス、エンゲルス「聖家族」で唯物論と形而上学(観念論)との闘争を論じた/18世紀のフランス唯物論は、17世紀の形而上学に対する闘争。18-19世紀のドイツ思弁哲学は形而上学を復活させた。が、ヘーゲルの後に、形而上学への批判が起こり、その代表がフォイエルバッハの「人間主義と一致する唯物論」であり、実践の領域での唯物論の代表は、仏英の社会主義、共産主義とし、近代の哲学の根本問題を論じた。
→ 「資本論」第二版あとがき~ヘーゲル弁証法と自分の弁証法との「根本的差異」について
「ヘーゲルにとっては、彼が理念(Idee) という名称を付してひとつの自立的主体に転化さえした思考過程(Denkprozeß ) が現実の形成者(Demiurg )であって、それがまさに自分の外的現象を形成するのである。私にあっては反対に理念的なもの(観念的なもの das Ideelle)は、人間の頭のなかで転換され、翻訳された物質的なもの( das Materielle )にほかならない。」
~ヘーゲルとマルクスの弁証法の違い/プラトンのイデア、制作神の受け継いだヘーゲルの観念論と、マルクス自身の唯物論との「根本的」な相違。
・ヘーゲル「哲学史講義」・・・近代哲学における「根本問題」をとらえている/ 近代人は「自然と人間を発見した」/新大陸「発見」、自然科学の発展、ルネサンス、宗教改革を意味している~
→そこで、近代哲学は「思考と存在の対立」を前提としており、客観的実在を経験によって認識する「実在論的哲学」と、思考や精神の根源性を主張する「観念論的哲学」とが対立するととらえた/近代哲学;主観的意識(自我)を世界の根源と主張する「主観的観念論」とも登場。これに対しヘーゲルの観念論は「客観的観念論」
*「唯物論」も「観念論」も、時代の思想的課題に取組、相互の批判・論争をとおして歴史的に発展してきた
*今日、20世紀以降の科学の発展を踏まえ、唯物論をいっそう豊かに論じることが課題に/科学の発展は、唯物論を根拠づけているが、「観念論」もね「相互主観性の観念論」として展開
→宇宙論、脳科学も、科学者の合意によるもの。世界の事実も真実も、人間の社会的意識によって「社会的に構築されたもの」であるという主張/ 現代でも「哲学の根本問題」はつづいている。
(3)人間は現実の世界を認識できるか。
・エンゲルス 「哲学の根本問題」のもう1つの側面、として指摘した問題
・唯物論者;経験と理論をもとにして世界は認識できる/ヘーゲルのような観念論者;自然も人間も「理念」の外化なので、「理念」の認識により、世界の本質は把握できる
・他方、「不可知論」~ヒューム 人間にとっては感覚は「印象」だけが確実であり、感覚の外にある物の本質は知り得ない/カント 「物自体」は存在するが、「物」の認識は、人間の意識が構成する「現象」であり、「物自体」は認識できない
→ これらは感覚のみが実在するという主観的観念論や、科学は「現象」の認識にすぎず、神や霊魂の不滅などを「信仰」できるという観念論にむすびつく
・「不可知論」を克服するマルクス、エンゲルスの明解な立場~「人間の思考に対象的真理が与えられるかどうかの問題は、理論の問題ではなく、実践の問題である」/不可知論に対する最も痛烈に反駁は「実践、すなわち実験と産業である」
・社会についての認識も同様/経済理論、政治理論などの真理性も、人間の実践によって検証される
→今日「ポスト真実の政治」の克服が課題に/「不可知論」の克服は、事実をゆがめ、尽日を否認する議論への批判とし重要
Ⅱ マルクスの「新しい唯物論」--現実世界の実践的把握と変革
・マルクス 哲学の研究だけでなく「市民社会の解剖学」として経済学の研究が必要性を感じ研究⇔「経済学哲学草稿」
~労働者が資本によって支配され、労働の中で人間らしさを失う問題を「疎外された労働」と論じる。労働者は働くほど貧しくなり、労働は強制されたものとなり、自由で意識的な活動が奪われる。人間の共同的関係が奪われ、労働者と資本が対立。/人間らしい労働としての真に人間的な社会の実現をめざす「共産主義」を論じた。
・フォイエルバッハから大きな影響を受けながらも、ヘーゲルの人間精神の歴史的発展を論じた「精神の現象学」を批判的に研究。フォイエルバッハを超える視点を獲得/従来の「古い唯物論」に対し、「新しい唯物論」を提唱
・新しい唯物論/実践し、変革することを強調~「フォイエルバッハの感性的世界の『把握』は、一方では、それの単なる観察に、他方では、単なる感覚に限られており、『現実的で、歴史的な人間』の代わりに『人間というもの』を置く」「自分を取り巻く感性的世界が・・・産業と社会的状態の産物であるということを見ない」
⇔フォイエルバッハ、人間の感性でとらえられる現実の世界はすでに出来上がっており、たんに「観察」の対象としただけ。マルクスは、自然が労働によって変えられ、社会が人間の社会的実践によってつくられると主張。抽象的な人間一般やばらばらの個人ではなく、現実的で歴史的な社会的存在として人間をとらえた
*「古い唯物論」は、市民社会(ブルジョワ社会)の観察に留まり、変革の方向をしめさない。「新しい唯物論」は、市民社会の変革によって「人間的社会」としての共産主義をめざす/現実世界の実践的把握と、世界の変革の哲学
Ⅲ マルクス・エンゲルスの弁証法
(1)弁証法の歴史的発展
・古代ギリシア 「天性の弁証法家 ⇔ 個々の事物をしらないと全体の姿もわからない/個々の部分に分解し、固定して研究する「分析的方法」による科学の発展 ⇔ 分析的方法は、自然は個々ばらばらな部分からなり、外力によって運動し、同じ運動を繰り返すと見る習慣をつくった。17-18世紀「機械論的世界観」 ⇔19世紀、分析的方法の意義を踏まえながら、機械論の限界を克服するヘーゲル「弁証法」の登場
⇔エンゲルス/ヘーゲル哲学は「自然的、歴史的、および精神的世界全体が1つの過程として、すなわち、不断に運動し、変化し、改造され、発展しているものとしてとらえられ、叙述され、そして、この運動と発展のうちにある内的連関を指摘する試みがなされた」/が、その観念論は、自然や社会の弁証法的運動は、それ以前に存在する「理念」の現実化とされた
→ マルクスは、この観念論を克服 「弁証法がヘーゲルの手でこうむった神秘化は、彼が弁証法の一般的な運動形態をはじめて包括的で意識的な仕方で叙述したことを、決してさまたげるものではない。弁証法はヘーゲルにあっては逆立ちしている。神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには、それをひっくりかえさなければならない」
・唯物論的な弁証法として「資本論」の方法として駆使/エンゲルス 自然科学の発展が弁証法の正しさを証明したとして「自然は弁証法の試金石である」と主張
(2)「矛盾による発展」を核心とする弁証法
・弁証法の語源 ギリシア語の「対話法」/ 対話での、意見の相違、対立、矛盾を通じ、議論。認識が発展する
・ヘーゲル 対立、矛盾は、現実世界の運動の中にも存在すると考えて、対立・矛盾を中心とする弁証法を主張
⇔ マルクス、エンゲルスは、批判的に継承/ エンゲルス「自然の弁証法」で、二通りの仕方で定式
- 「全体的連関の科学としての弁証法」・・・「主要法則は以下のとおり。量と質との転化。── 両極的対立物の相互浸透と、極端にまでおしすすめられたときのそれら対立物の相互の転化。── 矛盾による発展または否定の否定。── 発展の螺旋的形式』」
- 「量から質への転化・またその逆の転化の法則、対立物の相互浸透の方法、否定の否定の法則」
⇔ 両者の主な相違/①は「矛盾による発展または否定の否定」と、「矛盾」の明確な記述/ヘーゲル、マルクスも重視
・「大論理学」・・・「矛盾はすべての運動と生命性の根本である」 /マルクス「資本論」・・・「すべての弁証法の噴出源であるヘーゲルの弁証法」と記述
・資本論で用いられる弁証法⇔「この弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解を含み、どの生成した形態をも運動の流れのなかで、したがってまたその経過的な側面からとらえ、なにものによっても威圧されることなく、その本性上、批判的であり革命的である」/それは資本主義の矛盾を把握したから
・エンゲルスの定式のうち①を重視すべき/エンゲルスも「空想から科学」で、「資本主義の根本矛盾」のその展開をとらえ、社会主義社会への変革を論じている。
・「量から質」「否定の否定」も「矛盾による発展」の関連で理解する必要
Ⅳ 唯物論的歴史感の確立
(1)フォイエルバッハ批判と「本源的な歴史的関係」の4契機
・マルクス、エンゲルスの社会と歴史の唯物論的把握 「人間は〝歴史をつくる〟ことが出来るためには生きていくことができなければならない」。そして生きるためには衣食住などが必須 ~ 「本源的な歴史的関係」がしめされた。
第一の歴史的行為/人間の欲求をみたすための生活手段の産出であり、「物質的生活そのものの生産」
第二 〃 /「新しい欲求の産出」
第三 〃 /人間が他の人間をつくり繁殖。「夫と妻の関係、両親と子どもの関係。家族」
第四 〃 /人間の社会関係の形成。「労働における自己の生命も、生殖における他人の生命も、その生産は二重の関係として・・・一方では自然的な関係として、他方では社会的な関係として現れる」
~本源的な歴史的関係がまとめられ、さらに人間の意識が捉えられる/「現実に活動している人間から出発して、彼らの現実的な生活過程から、この生活過程のイデオロギー的な反映と反響の発展もまた示される」/「反映」「反響」・・・意識が対象を反映するとともに、現実的な生活過程によって規定されて、人間の現状や立場を意識に反映すること
→「意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する」
・このようなフォイエルバッハ批判をとおして、現実世界を人間の労働と社会的実践から把握することが、直接に唯物論的な社会観、歴史観の形成につながった。
(1) 唯物論的な社会観、歴史観
・マルクスは「ドイツ・イデオロギー」で研究した唯物論的な社会観、歴史観を「経済学批判」「序言」で簡潔にまとめている
その内容とは・・・
・まず、「人間生活の社会的生産」を論じる
→生活を生産するために、労働により自然に働きかけ、衣食住など「生活手段」を生産。土地の開墾・道具の制作など「生産手段」を生産。こうして、農・牧・漁・工業など「生産力」を発展させ、また子どもを産み育て「生命の再生産」を行う
→ 「生産力」を発展させるために社会的な組織をつくる。/生産に於ける人間関係を「生産関係」と呼び、それは、生産手段を誰が持っているかという「所有関係」を基礎にしている。(メモ者 生産と交通 ・・・市民社会)
・各時代の生産関係の総体(原始共産制、奴隷制、封建制、資本制など)が、社会の「経済構造」をつくる/この経済構造が社会の「土台」となり、これに対応し、政治・法律制度・社会的意識という「上部構造」ができあがる。(メモ者 上部構造は、土台を反映した人間の実践を通し形成される。また上部構造の変化は、土台に反作用もする)
・生きていくためのギリギリの生産力しかない時代、共同体による共有の長い歴史
→ 生産力が発展し、余剰物が生産されると、それを支配して政治、宗教を司る支配層が登場(メモ者 精神的労働と肉体的労働の分離/ 肉体的労働から解放される層の出現)/「階級」の始まり
・支配階級が「国家権力」をつくり、土地などの生産手段を所有、多くの部族、他民族を「奴隷」として働かせる 大規模な灌漑工事、季節・天候の把握など・・・生産力の発展。古代文明の発展
→ 奴隷の抵抗、逃亡。粗野な道具による限界(強制された労働の限界)/生産力と生産関係の矛盾
・封建制/土地を農民に貸し出し、生産物から「年貢」をとりたてる/自家消費できる部分、特産物など販売する市の広がり
→ 高い年貢への反乱。土地に農民を縛り付けるやり方=自由な市場経済の障害
・絶対王政/欧州で封建制の末期に登場。農民一揆鎮圧、外国との戦争(植民地化)のため王が絶対的な権力を持つ国家
~アメリカ大陸の植民地化、アフリカの人々を奴隷して売り、莫大な富を得た。国内では貴族、大商人が、農民を土地から追出し、囲い込み、羊毛産業のための羊を飼った/ こうして富を蓄積した貴族、大商人が産業を興す「資本家」になり、土地を追い出された農民が「労働者」に。/資本主義の生産関係
・経済力をつけた資本家は「自由、平等、友愛」をスローガンで、農民、労働者を味方につけ「絶対王政」を打倒する「市民革命」に/「自由、平等、所有」など人間の権利(男性のみ)がうたわれ、議会制民主主義の制度がつくられた/ 近代の資本主義社会へ
・資本主義社会。資本家が労働者を支配。剰余価値を独占し、資本の側の「富の蓄積」、労働者の側の「貧困の蓄積」。利潤追求による過剰生産、モノがありあまってるのに売れずに貧困に陥る強行、自然破壊と人間の浪費に
→ 利潤追求という「生産関係」が生産力と矛盾 /最小の力で、人間と自然に調和した生産力の活かし方が問われている
→労働者は、労働組合など社会的力をもち、普通選挙権など政治的力を手に入れ、学校教育など精神的にも成長/「労働時間」を制限する工場法を勝ち取り、工場の安全管理、子どもの教育も義務付けさせるなど、労働者階級の闘いと成長
→ 経済的・社会的・政治的・精神的に成長した労働者階級が、国家権力を握ることで、生産手段を社会の共同所有に変えることで、真に人間的な社会が実現できると展望。
Ⅴ 労働者階級と市民社会の成長 (メモ者)
・ マルクスの資本論は、資本主義経済のメカニズムを解明し、生産性を高度化する歴史的役割とともに、資本の論理が「貧困の蓄積」や、「人間と自然とりの物質代謝」を「攪乱」することなど、次の「人間的な社会」に移行せざる負えない道筋をあきらかにした。
一方、それ変革の過程は、その矛盾を自覚した「労働者階級」の団結の高まりによって、政治の=上部構造での「決戦の舞台」で決するとの展望を明らかにした。
・「収奪者が収奪される」という規定は、資本主義生産のもとで「鍛えられた労働者階級」が生れ、それが「革命」の必然性と述べている部分は、現代社会に引き付けて発展させることが必要だと思う。
エンゲルスが「イギリスにおける労働者階級の状態」を書いた当時は、「理性の王国」をつくるとしてフランス革が、結局は資本主義にそくした社会をつくるものであり、労働者の惨めな生活を拡散したことへの告発であり、生命力を発揮した。
が、10年ごとの恐慌を通じ、一時は疲弊・混乱しても、資本主義は新たな活力、より高い生産性を獲得し復活。それに応じて、労働者階級の中に、「より豊かな生活」を実感できる層がうまれた。
マルクスもエンゲルスも、50年半ばから、イギリスの労働者階級が下火になっていることを「なげいている」。
20年後、「イギリスにおける労働者階級の状態」の「今日版」を書いては、という要請にも、「その時期できはない」と拒否している。
・問題意識・・・・矛盾は明確だが、それを変革する主体をどう形成するか、というのは科学的社会主義の分野において、真剣に探究されてきただろうか
資本論、とくに第一部は、生産現場なおける資本と労働者の対決を主軸に論を展開し、そして最後の「収奪者の収奪」に整理されている。以前から、なにか「飛躍」というか、段階を省略している。という感をずっと持ち続けてきた。
資本論が書かれた当時には、社会保障の制度もなかった。人権規定が次々と確立したのも20世紀。生産と環境との矛盾も地球的規模では深刻になっていなかった。
が、こうした人権規定の発展と生産力の発展をもとで、資本と対決する民主的な知識層の量と力量は格段にたかまってきた。そして、ネットで世界中の運動が連携できる時代となり、平和、人権、環境など様々なテーマにもとづく市民社会の運動が連携をとりながら・・・多国籍企業の横暴に対抗する力(消費行動、投資行動を通じ、企業行動に影響も与えてきている)を発揮してきている。
それを踏まえると・・・ が、総資本の行動と、労働者階級の矛盾は、生産現場での労働条件をめぐる闘争のわくを超えて、人類の生存にかかわる環境問題、乱開発と子どもの貧困も児童労働の深いかかわりがあるなど、資本の矛盾は、様々な形で噴出し、それに対抗する多様な市民運動が展開されている。
総資本の「利潤第一主義」が生み出す矛盾に、総労働側の反撃=市民社会の多様な活動の活発化、という構図が生まれている。ととらえている。
各種のテーマを掲げての市民運動との連携、リスペクトし共同し、合意の内容を豊かにする取り組み、というのは、「収奪者を収奪する」という結論を、実際に実現していく努力方向ではないかと考えている。
支配層のイデオロギーも=自己責任論がまん延し、その文化の中で育ってきた人たちが、「変革主体」=「主権者」として自らを捉えなおす場を、どう提供できるか・・・・
「変革主体」は、どうしたら形成できるのか・・・理論面とともに、活動、組織運営の在り方も含め、真剣な探求が求められている、と考えている。
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