RCEP 市民の命と権利・生活を守るか、一部企業の利益を増やすか、の対立軸
鈴木宣弘教授のJA新聞(電子版)のコラム。
RCEPの影響について、野菜・果樹への影響は、TPP11の3.5倍と深刻だ。一番利益を得るのは自動車産業。種や薬の知的財産を守るとして世界ではオワコンとなっているISDN条項を加えることに日韓が固執した。
コロナ危機、気候危機に直面し、世界は、食や薬など命を支える公共財をどう公平にかつ、持続的に供給していくかが、世界的課題となっている。税制では「国際連帯税」が議論の遡上に上っている。自由貿易か保護貿易か、が対立軸ではない。市民の命と権利・生活を守るか、一部企業の利益を増やすか、が真の対立軸である
【RCEPで誰が得て、誰が失うか 鈴木宣弘:食料・農業問題 本質と裏側 4/15】
4月14日のRCEPをめぐる参考人質疑の筆者の意見陳述資料(一部改訂)である。「TPPのような自由化度が高い『ハイスタンダード』にしていかないと」といった発言が常套句のように飛び交うほどに、思考停止的な短絡性が蔓延している。単に規制をなくせばハイレベル(ただし、知財権は規制強化という矛盾)なのか? 「一部企業の利益のために市民・農民が苦しむ」という本質を見抜かないと、この国の未来は本当に危うい。
日本がASEANなどの「犠牲」の上に利益を得る構造
RCEPの経済的影響について、政府と同じGTAPモデルを用いて、鈴木研究室において、緊急に暫定試算を行った。
関税撤廃の直接効果でみると、表1のとおり、日本のGDP増加率が2.95%と突出して大きく、中韓もGDPが増加する(順に、0.15%、1.4%)が、ASEAN諸国とオセアニアはGDPが減少(-0.3%~-0.5%)し、その点では、日中韓(特に、日本)が、他の参加国の「犠牲」の基に利益を得る構造になっている。(自動車関税を全廃すると仮定したことも一因と考えられるので、その点は割り引く必要がある。)
また、関税撤廃の直接効果で見る限り、我々の試算では、「中国独り勝ち」というような推定結果にはなっていない。むしろ、日本の「独り勝ち」の位置づけになっている。
- 生産性向上効果が政府試算の調整弁
次に、TPP11、TPP12と比較しても、表2のとおり、RCEPのGDP増加効果は非常に大きい(TPP11の0.57%に対して2.95)。これは、政府試算においても同様の傾向(1.5に対して2.7)である。だが、政府試算は関税撤廃の直接効果だけでなく、それに誘発される生産性向上効果を仮定しているので、その分、我々の試算よりもかなり大きくなるのが普通だが、RCEPについてはそうなっていない。
このことから、政府試算における生産性向上効果の仮定がTPP11とRCEPで異なるものと推察される(我々が自動車関税が撤廃されると設定したことの影響もあるが)。TPP11と同じ生産性向上効果を仮定すれば、政府試算のRCEPのGDP増加率は2.7%をはるかに超えるものと推察される。
まず、このくらいのGDP増加になるように、との要請があり、それに合わせて、生産性向上の度合いの係数を調整するのが、政府試算における生産性向上効果の使い方である。生産性向上が生じると仮定するのは合理的であるが、その程度について合理的な根拠を与えるのは困難であり、通常の政府試算値はそういう形で作られた数字であることを認識する必要がある。
- 農業への影響は軽微どころか、特に青果物に甚大な影響
次に、農業への影響は軽微との指摘も多い。確かに、日本の農産物の関税撤廃率はTPPと日EUの82%に比し、対中国56%、対韓国49%(韓国の対日本は46%)、対ASEAN・豪州・ニュージーランドは61%と相対的に低く、日本が目指したTPP水準が回避された点で、ある程度、柔軟性・互恵性が確保されたと筆者は評価していた。しかし、独自試算を行ってみて、そのような評価は甘すぎることが判明した。
表3のとおり、我々の試算では、RCEPによる農業生産の減少額は、5600億円強に上り、TPP11の1.26兆円の半分程度とはいえ、相当な損失額である。かつ、RCEPでは、野菜・果樹の損失が860億円と、農業部門内で最も大きく、TPP11の250億円の損失の3.5倍にもなると見込まれている。4月9日の国会審議で田村貴昭議員が指摘されていた点がさらに「見える化」された形である。
農産物の重要品目は除外できたというが、野菜・果樹は、一部は例外にしたが、全体の貿易額から見ると部門全体としては、ほぼ全面関税撤廃に近い。かつ、特に、果樹では、生果の関税が17%、ジュースが30%前後と、相当高いものが関税撤廃されると、青果物貿易の中心が東アジア諸国であるから、当然ながら、今まで以上の影響が懸念される。
いみじくも、9日の国会審議で大臣からインドが離脱した理由の一つは「地域の小規模家族農家が大打撃を受けることを懸念した」と説明があった。つまり、日本政府も日本の農家のことをもっと心配しなくてはいけないということだ。
「差別化が進んでいるから影響はもっと小さいはずだ」との見解もあるが、このモデルは、日本産と海外産の差別化の程度を係数化して組み込んでいるので、それは、織り込み済みである。つまり、差別化を考慮しても、これだけの影響が懸念されるということである。
- 「影響がないように対策するから影響はない」~生産量の減少がちょうど相殺されるように生産性が向上~
一方、政府試算では表3のように日本の農業生産量は±0となっている。これは、TPP11のときの試算の注にも記されていたように、農産物関税が撤廃されても、それによる生産量の減少がちょうど相殺されるように生産性が向上する、つまり、そういう政策が打たれるので、生産量は変化しないというメカニズムになっていることを意味する。
これは「影響がないように対策するから影響はない」と言っていることになるから、これは影響試算とは違う。つまり、この結果に基づいて対策を考えると言うのは意味不明だということである。今回は行われていないが、農水省の個別品目別の影響試算もGTAPモデルの中の農産物の取り扱いも、TPPの影響の再計算(2013年)以降、そういう形で一貫している。
- 農業を犠牲にして自動車が利益を得る構造~自動車の独り勝ちと農業の独り負け
もう一度、表3を見ると、日本は農業分野で大きな被害が出る半面、突出して利益が増えると見込まれるのが、自動車分野である。RCEPでは、TPP11より少し大きく、約3兆円の生産額増加が見込まれる。これは、日本の貿易自由化の基本的目標が「農業を犠牲にして自動車が利益を得る構造」と筆者も指摘してきたことを「見える化」した形になっている。
筆者は、日韓、日チリ、日モンゴル、日中韓、日コロンビアFTAなどの産官学共同研究会委員として様々なFTAの実質的な事前交渉にも関与したが、物品の貿易では、いつも最後までもめるのは自動車だった。業界代表とともに交渉のテーブルに着く日本側の交渉官は、アジアの途上国の人たちを人とは思わないくらいに罵倒する勢いで相手国に高圧的に開放を迫る。とても悲しい光景だった。
総じて、相手国から指摘されるのは、日本の産業界はアジアをリードする先進国としての自覚がないということである。自らの利益になる部分は強硬に迫り、産業協力は拒否し、都合の悪い部分は絶対に譲らない。
- 各国の市民・農民の猛反発が日本提案が間違っている証左
物品以外では、投資とサービスの自由化で、日本企業の参入の障壁をなくすよう、過去のFTA交渉でも執拗に迫っていた。投資と関連してISDS条項も日本が米国とともにTPPでも入れようとした。日本国内でISDSを懸念する人達を「TPPおばけ」とまで呼び、海外での環境規制をやめさせて企業利益を優先する企業勝訴の判決事例も、解釈を意図的に捏造したものだと言って攻撃した。
そこまでして日本も礼讃したISDSが、欧州委員会が市民に開示して意見を求めると、猛反発が起き、EUの委員長はISDSは「死んだ」とまで述べた。日本が追従していた米国までもが、ISDSを北米自由貿易協定から外し、バイデン大統領も「ISDSが含まれる貿易協定には参加しない」と表明している(内田聖子氏)。
それなのに、日本は、韓国とともに、RCEPでも、ISDSを組み込もうとした。さらには、薬や種に関連した知財権の強化も日韓が強く求め、各国の市民・農民から猛反発が起こった。その結果、日韓が求めた知財権強化の水準はRCEPでは組み込まれなかった。しかし、種苗の育成者権を強化し、農家の自家増殖の権利を制約する方向に誘導するための「協力」が明記され、今後につなげる装置が組み込まれている(内田聖子氏、印鑰智哉氏、堤未果氏)。
こんなに各国から抵抗を受けているということは、自分たちが求めていることが、企業利益になっても、人々を苦しめることになりはしないかと、どうして疑問を持たないのだろうか。日本の要求をトーンダウンせざるを得なくなったことの意味を重く受け止める必要がある。
特に、薬と種は人の命を守る共有財産的側面がある。ジェネリック医薬品がつくれなくなったら低所得層を中心に多くの人々の命が守れない。命を救うのが薬の役割ではないのか。
また、種を握られたら、食料がつくれない。種は何千年も前からみんなで守り育ててきたもので、一部の企業が、その成果に遺伝子操作などを施し、「フリーライド」して独占的に儲けの道具にすることは許されない。自家増殖は守られるべき農家の権利だ。それを剥奪しようとしたため、RCEPでもたいへんな抵抗が起きた。このことが、日本のやろうしていることに問題があることの証左である。
それなのに、日本では、すでに、農家の自家増殖の制限を種苗法の改定でやってしまった。こう考えると、日本における種苗法改定の問題もよりクリアになる。世界の農民・市民が猛反発していることを日本の農家にやってしまったということである。
- これ以上「加害者」になってはいけない
貿易自由化については、FTAがいいか、WTOがいいかという議論があるが、いずれも最終目標は全ての国境・国内措置の撤廃であり、ただし、知財権だけは規制強化で、そこからも企業利益の追及という真の目的がわかる。FTA or WTOでなく、いずれも問題なのだが、筆者は、次善の策として、農業で言えば、小規模な分散錯圃の水田農業を中心とするアジアの多様な農業、種の多様性も守られるようなルールをアジア地域でつくり、世界に発信して、WTOなどの短絡的な方向性を改める原動力にできないかと考えていた。RCEPがそういう多様性を守るルール形成の母体になりうるか、と多少の期待をいだいていたが、残念ながら期待は裏切られた。
今こそ、日本と世界の市民、農民の声に耳を傾け、「今だけ、金だけ、自分だけ」の企業利益追求のために、国内農家・国民を犠牲にしたり、途上国の人々を苦しめるような交渉に終止符を打つ必要がある。
保護主義vs自由貿易・規制改革でない。市民の命と権利・生活を守るか、一部企業の利益を増やすか、の対立軸だ。「自由貿易・規制改革」を錦の御旗にして、これ以上、市民の命・権利と企業利益とのバランスを崩してはいけない。これ以上、日本政府・企業が「加害者」になってはいけない。
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