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3.11から10年 ― エネルギー・環境団体等の声明・提言

 東日本大震災・福島原発事故から10年。主に環境団体等の声明を調べてみた。

【声明:3.11から10被害者の救済を エネルギー政策を人々の手に  FoEジャパン 3/5

【原子力資料情報室声明】東日本大震災から十年、 あらためて、原子力発電の正当性を問う  2021/03/10

ISEP所長メッセージ「これまでの10年、この1年、これからの100年へ」3/11

【東日本大震災から10年目の311日を迎えて WWFジャパン 2021/03/11

 

 ちなみに日本共産党も提言を発表

【提言 東日本大震災から10年を迎えるにあたって3/11

 

【声明:3.11から10――被害者の救済を エネルギー政策を人々の手に  FoEジャパン 3/5

  東日本大震災および東京電力福島第一原発事故からまもなく10年がたとうとしている。

 亡くなった多くの方々に改めて哀悼の意をささげるとともに、今も続く原発事故の被害の大きさ、多くの被害者の方々の苦悩に想いをはせたい。

 ◆原発の非人道性

 あの日まで、多くの人たちは、原発を所与のものとして受け入れ、無意識に原発の電気を使ってきた。福島や新潟の原発で発電された電気が福島ではなく、首都圏で使われていること、原発が経済的に弱い立場の地域に押し付けられてきたこと、原発を動かすために多くの作業員が被ばくを強いられていること、その理不尽さと非人道性を、多くの人たちが認識すらしていなかった。

 しかし、原発が爆発した衝撃的な映像がテレビで流れたあの日以来、状況は一変した。あの日以来、私たちは多くのことを学んだ。私たちは原発がとてつもなく危険であり、ひとたび事故が起これば、広い範囲に放射性物質が降り注ぎ、10万人以上の人たちが避難を強いられ、10年以上も人が住めない地域があるほど、土地が汚染されてしまうことを身をもって体験した。生業、いきがい、隣近所との交流、何気ない日々の会話、山菜やきのこ、川魚を採り、分ち合う楽しみ、家族で囲む食卓こうしたことを含めた「ふるさと」の形が失われてしまった。

  私たちは、政府が市民の声に耳をふさぎ、一般人に適用される被ばく限度の20倍もの値を避難・帰還の基準としたこと、多くの人たちが賠償のあてもなく避難を強いられたことを見てきた。放射能汚染や被ばくは、実際に生じた「被害」であったのにもかかわらず、「被害」とは認められず、「風評被害」として矮小化された。加害・被害の構造はゆがめられ、政府や東電という実際の加害者がいるのにもかかわらず、その責任は問われないままだ。むしろ被ばく・汚染のリスクを指摘する側が、あたかも加害者のように扱われている状況だ。

 ◆「見えない化」される被害

 政府は次々に避難者に対する支援を打ち切った。20173月、政府指示の避難区域以外からの避難者(いわゆる自主的避難者)約26,000人への住宅提供が打ち切られた。それでも、福島県外では区域外避難者の8割近くの人たちが避難継続を選択した。わずかに続いてきた低所得者向けの家賃支援も20193月に打ち切られた。

 避難者たちの中には、家賃の支払いに苦しみ、経済的にも精神的にも追い詰められる人たちがでてきた。こうした状況に新型コロナウイルス感染症が一層の追い打ちをかけた。

  しかし、こうした避難者の生活実態に関して、政府は調査を行おうとしない。民間の支援団体による調査や新潟県による検証によって、私たちはその一端を知ることができるのみである。

  福島県の発表によれば、今年113日現在の避難者数は36,192人。この数には、福島県内に避難して災害復興住宅に入居した人は含まれていないなど、大きな漏れがあることは以前から指摘されていた。福島県内の各自治体が集計している避難者数をあわせると少なくとも67千人を超える。すなわち、避難者の生活実態はおろか、避難者数という最も基本的な数値すら、正確に把握できていない状況だ。

 ◆「復興」の演出?

 相次いで避難指示が解除され、避難者への支援が打ち切られても、帰還はなかなか進まない。若い世代が帰還せず、高齢者の12人世帯が点在する地域が多くなっている。

 「近所では次々に家が取り壊されている。もともとのコミュニティ(の形)は跡形もない。これが本当に“復興”なのか」と富岡町に帰還したある男性は語る。 「家にはやっぱり子どもたちがいてよ、子どもたちと一緒に山に行ってよ、そんで山の物を採ったりよ、いろいろ教えたりそれが当たり前だったから。そんな事、いまは何にもできないから」と語るのは飯舘村に帰還した元酪農家の長谷川健一さん。「若いものたちがいないので、(60代の)オレが青年団長だよ」

  「“復興”なんて一番ききたくない言葉だね」と浪江町から避難した今野寿美雄さんは話す。「“復興”というのは、いったん元に戻ってから、そこから立ち上がることでしょ? 元にもどらないのに“復興”なんて、ありえない」

 原発周辺の自治体の人口減少が進む中、政府は、2021年度、原発の周辺12市町村へ移住する人に最大200万円の支援金を出す方針を固めた。避難者への支援は容赦なく打ち切り、被ばく防護政策はうやむやのまま、人の移住を無理に促進して「復興のカタチ」を演出するともとれる方針だ。

 ◆非民主的なエネルギー基本計画の見直し

 一方で、多くの人たちが、原発を止めようと、社会を変えようと立ち上がった。2012年には原発の再稼働に反対し、何万もの人たちが首相官邸前や国会前に集い、声をあげた。

 2012年の夏、原発やエネルギーに関する国民的な議論が行われた。開かれた民主的な議論を踏まえ、政府は2030年代までに脱原発をめざすことを決定。しかし、これは、その後の政権交代で白紙にもどされた。

  現在、電力や産業の利害を代表する人、原発推進に一役買ってきた御用学者や業界・団体関係者といった顔ぶれで構成される審議会で、エネルギー基本計画の見直しが議論されている。審議会では、老朽原発の運転継続のみならず、原発の新増設をも主張する声が強い。2012年以来、原発やエネルギー政策に関する政府による公聴会は、1回も開かれていない。すべての人々の将来にかかわるエネルギー政策だからこそ、市民参加のもと、民主的で開かれた場で徹底的に議論するプロセスが必要不可欠であるのにもかかわらず、政府はそうしたプロセスを実現する努力をまったくしていない。

  事故後、東京電力・東北電力が有する原発はすべて停止し、東日本では「原発ゼロ」の状況がすでに10年間継続している。全国的にみても、20139月に関西電力の大飯原発3・4号機が停止して以来、ほぼ2年間、全国の原発が停止し、原発ゼロの期間が続いた。いったん再稼働した原発についても、テロ対策施設の建設の遅れ、裁判所による運転差し止め判断、配管のひび割れなどのトラブルによって停止が相次ぎ、現在、実際に稼働している原発はわずか4基。原発の建設費や安全対策費は急上昇し、もはや原発は「安定した電源」でも、「安価な電源」でもなくなった。

  一方で、再生可能エネルギーの成長はめざましく、2020年には発電量の約20%に達する見込みである。

 しかし政府は、こうした現実を受け入れようとせず、原発を維持・重視し、そのコストを国民に広く負担させる政策を相次いで打ち出している。

 ◆核なき社会に向けて

 あの日から10年。私たちはこうした状況を改めて直視したい。

 私たちは、日本政府に対して、現在の被害を把握し、原発事故被害者全員への完全な賠償と、被害者の生活再建と尊厳を取り戻す真の復興のための政策を実施することを求める。

  私たちはまた、政府に対して、エネルギー基本計画の見直しにあたり、現在の旧態然とした審議会構造をやめ、女性や若者、原発事故の被害者、環境・気候変動などに取り組む市民団体など幅広い層の参加のもとで議論を行うこと、各地で公聴会や討論会を実施することなど、開かれた民主的プロセスをとることを求める。

 私たちは、原発事故の惨禍を二度と繰り返さないために、被害者とともに立ち、世界中の人たちと手をとりあって、原発も核もない平和な世界に向けて、歩みを進めていきたい。

 

 

 

【原子力資料情報室声明】東日本大震災から十年、 あらためて、原子力発電の正当性を問う  2021/03/10

 10年前の311日、午後73分に発せられた「原子力緊急事態宣言」は未だ解除されない。そのうえ現在は、新型コロナウイルスのパンデミックによる「緊急事態宣言」のもとにある。

 行方不明者を含めて2万2千名にのぼる死者の方々、いまも苦難を強いられている被災した方々、また、住みなれたふるさとを離れて避難せざるを得なかった方々に思いを馳せるとき、原子力発電の罪深さを思わないわけにはいかない。

あの大震災の悲惨さは、巨大な地震と大津波に加えて、東京電力福島第一原発の3基の爆発が広範な放射能被害を引き起こしたことにある。「明るい未来のエネルギー」と子どもたちにも信じ込ませた原子力発電というシステムが、底知れない災厄をもたらしたのだ。

  まず確認しておきたい。東京電力福島第一原発事故は何が原因で、どのように起こり、事故が進展し、諸機器が損傷し、爆発はどこでどのように起こったか、全貌は解明されていない。国会事故調報告をはじめ、5つの事故報告書、その後の新潟県技術委員会による7年余にわたる検討でも、数多くの不明事項が残った。最近の原子力規制委員会による事故分析の中間報告では、新たな謎も加わった。原発事故の複雑さが原発の恐ろしさを教えている。

 そして、東京電力はこの事故のあと始末を成し遂げることができるか、大いに疑問だ。福島第一、第二あわせて全10基の原発を廃炉にすると決めたが、いつまでに、どのようにかを示すことができない。とくに、メルトダウンした第一原発の123号機の廃炉工程と廃炉の内容とを決めることはできないままだ。経験したことがない実験の連続である。うまくゆく保証はない。現場の放射線レベルが高く、検証も作業も困難を極めている。いまも建屋から大気中に放出されている放射能は、毎時2.4万ベクレルもある。

  融け落ちた燃料デブリを取り出すことは不可能であろう。チェルノブイリにならって、百年単位で放射能の減衰を待つほかはない状況である。敷地内に溜まっている大量の放射能汚染水を薄めて海に放出するならば、取り返すことができない環境汚染を引き起こす。オリンピックを招くために「コントロールされている」と前首相が断言したが、まったくの虚言である。地上保管し、放射能の減衰を待つ実際的な方法が提案されているが、国は検討しようとはしない。

 かつて原子力発電は、「安価で」「クリーンで」「安全だ」とうたわれたが、間違っていた。本当は、最も「高価な」発電方法であり、「汚くて」、「危険である」ことが判明した。

  もはや、原子力への期待はない。信頼も失われた。しかし閉じた政官財学の原子力業界で議論している限り、いつまでも現状にしがみつこうとするだろう。事故から10年、いつまでもこのような状況を続けているわけにはいかない。国民的な議論を始めなければならない時だ。

 以上

 

 

 

ISEP所長メッセージ「これまでの10年、この1年、これからの100年へ」3/11

 飯田哲也 環境エネルギー政策研究所 所長

 10年前の2011311日、私はドイツ・ポツダムに居た。前日に成田空港から直行便でドイツに到着し、その翌朝に家人からの知らせで、日本での大地震と大津波の発生を知った。ポツダムには、前々年に発足したばかりの国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の戦略会議を、クラウス・テプファー元ドイツ環境大臣が主催し、アドナン・アミンIRENA暫定事務局長(後に正式に就任)など10名ばかりに混じって、私も呼ばれていた。

日本で発生した大地震の影響、とくに原発への影響が気になってしかたがない私は、その戦略会議に出席しながら、ひたすらインターネットで情報を探索した。そして発災当日の2235(日本時間)に官邸のホームページで公表された情報(下記)に、目を疑った。福島第一原発2号機で、すでにメルトダウン(炉心損傷)が始まっている、と伝えていた(これは後に、翌日に水素爆発した1号機の誤記だったと伝えられている)。これを見た私は、大混乱の渦中の日本に急きょ帰国し、成田空港に着いた直後に3号機が水素爆発した。

  その東日本大震災と福島第一原発事故の危機と大混乱から、大波乱の10年。この3・11直後から、これが日本近代史の重要な転換点になると直感した。確かに前向きに変わった部分もあるが、他方で、直後に復古的で反知性的な政治が登場し、「ショック・ドクトリン」とも呼ぶべき反動と揺り戻しが起きて、後退した部分が大きい。加速するエネルギー転換は経済性や技術進展が見えやすく、日本でも新しい考えの人たちが増えてきたが、なお道は険しい。より複雑で見えにくい放射能汚染や被ばくに関する日本の政治行政の劣化に至っては、知識社会としての底が抜けてしまった感がある。3・11福島第一原発事故に大きく影響を受けたドイツなどがリードして、その後のグローバルな自然エネルギー大転換が加速するなか、右往左往した日本は、機能不全をさらけ出した10年だったのではないか。

 昨年初頭からグローバルなパンデミックとなった新型コロナウイルス(COVID-19、以下「コロナ禍」)は、世界各国と対比して、日本の政治・行政やメディア・アカデミアによる対応や応答も、機能不全が突出している。欧米などに比べて感染者数や死者数が少なく見えるが、これは東アジアに見られる「ファクターX」(山中伸弥教授)による幸運にすぎず、東アジアでは日本は最悪のコロナ死者数である。全世界が注目するなか横浜に接岸した豪華客船を新型コロナ感染の「培養船」とした大失敗や、「アベノマスク」という思いつきの愚策、1年経っても全世界で150位前後という圧倒的なPCR検査の少なさなど、およそ先進国や知識社会とは思えない対応が、今なお続いている。この日本のコロナ禍に対する機能不全は、福島第一原発事故後のそれと地続きである。

 これらは、個を圧し忖度する日本の組織文化にも根ざした根深い問題であるほか、政治と行政の形がい化や強固な縦割り、無謬神話や官尊民卑の役所文化、無責任の体系などの慣習が長い年月で分厚く形成され、そこに近年の強引な政治主導や人事権行使などで歪められ、もはや「公共性」を見失い複雑骨折している。マスメディアは自ら隷属し、権力の中枢に近く政治化したアカデミアは積極的に迎合し、いずれも知識人としての独立性や役割を放棄している。

 総じて言えば、日本の知識社会を構成する政治・行政・アカデミア・メディアなどの総体が、グローバルなそれと、かなりズレた位置にあるように思われる。これから100年先の持続可能な日本を構想するなら、これまでの10年、そしてこの1年で明らかになった「日本の機能不全」の根っこを見据えて、そこから立て直しアップデートする必要がある。容易ではないが、突き詰めると、一人ひとりが自立し、発言し、行動する勇気に還元されるのではないだろうか。

 

 

【東日本大震災から10年目の311日を迎えて WWFジャパン 2021/03/11

 皆さんこんにちは。WWFジャパン事務局長の東梅です。
2021
年、あの東日本大震災から10年目となる311日がやってきました。
WWF
を代表し、犠牲になられた方々のご冥福をあらためてお祈りいたしますとともに、ご遺族ご友人ならびに被災地にお住まいの皆さまへ、お見舞いを申し上げます。
また、WWFにご期待とご支援をお寄せいただき、震災からの復興にもかかわる、さまざまな取り組みの実践を可能にしてくださった、多くのサポーターの皆さまには、この場をお借りして、あらためてお礼を申し上げます。
私自身、岩手の出身でもあり、震災からのこの10年間には深く思うところが、数多くありました。
その中には、私たちWWFがさまざまな方々と協働し、取り組んできた環境保全の活動も多々あります。

 被災地の海から

 中でも印象深いのは、宮城県南三陸町戸倉地区での、持続可能なカキ養殖の実現を通じた震災からの復興です。

戸倉では、地域の特産品だったカキの養殖設備が、津波で全壊。しかし、戸倉の方々はこれを機会に、それまでの過密で海の環境に負担をかけていた方法をやめ、養殖筏(いかだ)を三分の一以下に減らす大きな決断をしたのです。
 その結果、養殖用の筏の間隔が広くなり、カキへの養分が行き渡りやすくなったため、カキの成長が促進され、以前は収獲まで3年かかっていたカキが1年で、しかも大きく成長するようになりました。

 売り上げも向上し、さらに労働時間の改善や若い世代の方々の参入も実現。地域産業そのものが生まれ変わることになりました。
 そしてこのカキ養殖は、2016年には日本で初となる、持続可能な養殖水産物の国際認証であるASC認証を取得し、世界的にも、その価値が認められることになったのです。
 また、ASC認証を受けたカキ養殖方法は、海の生態系を改善する役割を果たしていることも、新たに分かってきました。
 カキは、若い方が養分の吸収率が高く、排泄物の量も少ないため、成長が早く短期間で収穫できるようになると、海の環境への負荷がより少なくなります。
 このように、戸倉の皆さまが海の自然と真摯に向き合い、環境の収容力には限りがあることを受け入れ、それを活かすことで、新たな人と海の関係を築いたことには、大きな意味がありました。
 10年という年月の中、ただ震災前に「復旧」するのではなく、私たちにはそれを超えたよりよい「復興」が確かにできる、という希望を、この戸倉の取り組みは教えてくれたのです。

 

 

 

【提言 東日本大震災から10年を迎えるにあたって】

2021311日  日本共産党幹部会委員長 志位 和夫

 東日本大震災から10年を迎えるにあたり、あらためて犠牲になられた方々に哀悼の意を表するとともに、被災者のみなさんにお見舞いを申し上げます。復興にむけてたゆまぬ努力をされている被災者のみなさん、自治体のみなさん、被災地への支援を行ってきた全国のみなさんに、心からの敬意を表します。日本共産党は、被災者のくらしと生業を再建し、復興を成し遂げるまで、国民のみなさんとともに力を尽くす決意です。

 

1、期限を切った支援策の縮小・廃止をやめ、被災者に寄り添い、くらしと生業の再建への支援の継続・強化を国に求める

  10年が経過し、道路や防潮堤などのハードの整備はすすみましたが、被災者のくらしと生業の再建はなお道半ばであり、被災から長い時間を経過したことによる新たな困難も生じています。とくに、コロナ禍は被災地の主要な産業である漁業・水産加工業、観光業に大打撃となり、気候変動によるサケ、さんま、スルメイカなど主要魚種の大不漁も加わり“三重苦”と言われる苦境に陥っています。被災者の心のケア、災害公営住宅などでのコミュニティーづくりも、被災者の高齢化がすすみ、コロナ禍も加わって、これまで以上の困難に直面しています。

 

 ところが菅政権は、国が決めた「10年の復興期間」の終了にともない、支援策を縮小・打ち切る方向を打ち出しています。被災者・被災地の実態を無視し、支援を打ち切ることは許されません。いま必要なのは、被災者に寄り添い、どこまでも一緒に復興に歩んでいく政治姿勢です。被災者のくらしと生業の再建、「人間の復興」に国が責任を果たすことを求めます。

 

 ――(被災者の実態調査) 被災者のくらしと健康、生業などの実態、悩みを大震災から10年の時点で、国の責任で調査し、実態に即した支援を継続・強化することを求めます。災害公営住宅入居者の「3割が健康状態悪化」「6割が抑うつ傾向にある」(宮城民医連 2020年度災害公営住宅訪問調査)など、被災者の体と心の健康の悪化が心配されます。くらしが困窮している被災者も少なくありません。在宅被災者など被災当初から行政が実態をつかんでいない被災者もいます。被災者の実態をつかんでこそ、被災者に寄り添った支援ができます。

 

 ――(住まいと暮らしの支援) 住宅再建支援の継続・強化と災害公営住宅の家賃値上げの中止、「収入超過者」の家賃軽減、医療・介護、子育てと教育への支援など、住宅とくらしへの支援の継続・強化を求めます。

 

 ――(産業と生業の支援) グループ補助金に伴う借入金や災害援護資金の返済猶予をはじめ、コロナ禍など新たな困難を踏まえた被災地の産業、生業への支援の継続・強化が求めます。苦労を重ね、多くの人たちの支援と協力で再建された事業が立ち行かなくなれば、10年間の復興に向けた血のにじむような努力が水泡に帰してしまいます。

 

 ――(心のケアとコミュニティーの支援) 被災者の心のケアは、ますます重要になっています。災害公営住宅での孤立化・孤独化がすすむなど、時間が経過するに従って被災者が抱える問題が複雑化、多様化しています。子どもも、震災そのものだけでなく、避難生活の長期化、転居・転校などの環境変化などによるストレスを受けています。被災者の苦しみによりそった心のケアを強めることを求めます。災害公営住宅の集会所への支援員の配置、見守り・相談・診療体制の確立、専門スタッフの確保やスキルアップなどコミュニティーづくりへの支援を強めることが必要です。

 

 ――(まちづくりへの支援) 被災地では120年間に3度の大津波を経験しており、盛土や高台移転など「二度と津波で人の命が奪われないまちづくり」をすすめてきましたが、被害が大きかった地域ほどまちの再建には時間がかかり、困難も大きくなりました。将来を見据えたまちと住宅の再建をすすめるために、被災自治体の要望をふまえた支援の強化が必要です。

 

2、原発推進のために福島を切り捨てる政治を変える――原発事故を収束し、被災者の生活と生業、壊された地域が再建されるまで、国と東電が支援と賠償の責任を果たすことを求める

  東京電力福島第一原発事故は収束のメドさえ立っていません。10年が経過しても、核燃料が溶け落ちた高放射線のデブリは、どこに、どれだけ、どんな状態で存在しているかさえつかめておらず、取り出し可能なのかさえわからない状態です。増え続ける汚染水と海洋放出問題、先の福島県沖地震後に明らかになった原発施設のタンクのずれ、格納容器のひび、機器の損傷など、事故は現在進行形です。「廃炉完了まで3040年」という計画は破たんし、事故収束まで長期間かからざるを得ません。

 避難指示が解除された市町村に帰還できた住民はわずかで、居住者は住民登録をしている人の3割程度にとどまっています。「原発事故前には1700人以上いた児童・生徒が小学生25人、中学生6人、高校は閉鎖中」(浪江町)など、地域のくらしとコミュニティーはズタズタにされたままです。

 国には、廃炉を完了し、事故を収束させ、問題が解決するまで、長期にわたって福島への支援を継続・強化する責任があります。

 

 ――(避難者の実態把握) 国は原発事故による避難者数さえまともに把握していません。福島県は避難者数を約3万6千人としていますが、故郷に帰還できない人でも「仮設住宅を退去し、安定した住まいがある」とされた人は除外されるなど実態と乖離しています。県内の各市町村が避難者とする総数は6万7千人に上り、実際は8万人以上とも言われます。避難者数さえ正確に把握せず、避難者の実情をつかもうとしない、ここにも「福島切り捨て」の政治姿勢が表れています。国の責任で避難者の実態をつかみ、実情に即した支援を行うことを求めます。

 

 ――(汚染水の海洋放出は許さない) 福島県民多数が強く反対し、県議会をはじめ県内41市町村議会が反対もしくは慎重な対応を求める意見書をあげている汚染水の海洋放出は絶対に認められません。海洋放出には全漁連も反対するなど、漁業・水産加工業への打撃は福島にとどまらず宮城、岩手をはじめ広く及びます。くらしと生業の再建にも新たな障害を持ち込み、復興を妨害するなど許すことはできません。“海洋放出ありき”でなく、当面、タンクを増設し、汚染水問題の解決に向けて英知を結集することを求めます。

 

 ――(完全賠償へ指針見直しを) 被害者への完全な賠償とくらしと生業再建への支援を継続・強化することをはじめ、福島の復興に国が責任を果たすことを求めます。国と東京電力は、避難指示の解除などを口実に、支援と賠償を無慈悲に打ち切っています。長期にわたる原発事故被害には「時効」などあってはなりません。原発事故をめぐる集団訴訟で、国が賠償基準を決めた「中間指針」を上回る損害を認めた判決が相次いで出されており、国の賠償基準が実態にあわないことはもはや明瞭です。「中間指針」を見直して、精神的損害への賠償を含めた完全な賠償を行うことが必要です。

 

 ――(原発ゼロの日本を) 国民多数の意思であり、福島県民の切実な願いである原発ゼロの日本を実現するために、日本共産党は広範な方々と力をあわせます。

 10年が経過しても、原発事故被害者のくらしと生業の再建、地域の再生がすすまない根底に、国の原発推進の政治があります。原発再稼働のために、原発事故が甚大かつ長期にわたる被害を及ぼすという実態を覆い隠し、「終わったもの」としようとする安倍・菅政権の政治です。原発にしがみつき、原発事故で甚大な被害を受けた福島に多大な苦難を押し付ける政治を変えなければなりません。

 原発ゼロの日本への政治決断を強く求めます。

 

3、東日本大震災の教訓を生かす政治に変える――住宅再建・被災者支援の抜本強化、災害関連法の抜本改正を

  東日本大震災の復興に、被災者と被災地に多大な困難と負担をもたらしました原因は何か、被災者一人ひとりの幸福を追求する権利を尊重したかという視点で10年間の復興の過程を検証することが求められています。

 

 ――(被災者生活再建支援法の改正) 生活再建のかなめである住宅再建への支援は、最大でも300万円と少ない上に、「半壊」や「一部損壊」は対象外にされています。緊急に500万円に引き上げるとともに、被災の実情に応じた支援ができるように、額も対象も拡充することを求めます。

 

 ――(大規模災害に対応した制度) 国が、被災者の生活再建、被災地の復興を目的としない区画整理事業など既存の再開発事業に固執したことによって、復興事業に多くの時間と労力が費やされる結果となりました。被災地の判断で、震災後の復興を実情に即してすすめるために、大規模災害に対応した制度の整備・確立と必要な権限を被災自治体に移譲し、国は、それを全面的に支援していくことが求められます。

 

 ――(救助・救援体制の強化) 3700人を超える震災関連死も繰り返してはならない問題です。避難所や応急仮設住宅の改善は、コロナ禍でも大きな問題になり、避難生活におけるジェンダー平等も重要な課題です。医療、介護などを被災者の実情に見合って充実させなければならないにもかかわらず、国が被災者の医療費・介護保険利用料等の減免措置を早々に打ち切っていったことも重大です。災害時における救助・救援体制の見直しと抜本的強化を強く求めます。

 

 ――(生業再建への本格的支援策) 市街地や商店街、中小企業・小規模事業所、農林水産業などの事業を再建する支援策も貧弱で、被災者の運動でグループ補助金などが実現しましたが、本格的な支援策の構築が求められています。

 

 ――(防災のまちづくり) 公共事業を大型開発優先から、防災・老朽化対策に転換し、防災のまちづくりを進めることも必要です。

  東日本大震災後も、毎年のように災害による大きな被害が起きています。東日本大震災を上回るような大規模災害の危険もあります。東日本大震災で被災者、被災自治体のみなさんが費やした大変な苦労に真正面から向き合い、その教訓を災害対策に生かす政治に変えることが求められています。

 

 日本共産党は、東日本大震災の教訓を胸に刻み、災害から国民の命とくらしを守る政治にするために全力をあげます。

 

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