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「恐慌の運動論の発見」はあったのか(メモ)

 新版・資本論は、これまでの「資本論」研究に大胆な解釈を打ち出している。研究者でもない個人にとっては、「そうなのか」と、知的刺激を与えてもらった。日本には、資本論研究の豊富な蓄積があり、どう評価されているのか。学問の基準は「真理」であるかどうか、であり、誰が言ったかではない。そこはどうなっているのか、と新たな知的刺激をもらった。

 現在、学術会議の人事介入問題、政治が科学を従属させようという重大問題がおこっている。戦前の戦争への狂気を作り出すうえで、学問の自由への弾圧したことは深く胸に築くべきである。ひるがえって「社会主義」を名乗るソ連での「真理」の独占・・・「階級闘争激化」論などが粛清のバックボーンとなった。ソ連覇権主義を「理論」的に後押しした「全般的危機」論などの教訓もある。日本共産党は、科学的社会主義を国定の哲学にすることも、また、その解釈の独占的地位におさまることも排除している。

 そこで、谷野勝明・関東学院大教授の論稿 (2020-03 (関東学院大学経済経営研究所年報 第42)から、理解できる範囲で、学びを整理してメモ。

 ぜひ、科学的社会主義の深化のためにも、雑誌「経済」紙上で、活発な議論が展開されることを期待している。

 

【「恐慌の運動論の発見」 と 利潤率低下「矛盾の展開」論の「取り消し」 はあったか】

 「恐慌の運動論の発見」 と 利潤率低下「矛盾の展開」論の「取り消し」 はあったか

  谷野 勝明   (2020-03 (関東学院大学経済経営研究所年報 第42).

【要旨】

・不破氏の所説・・・第二部初稿で「恐慌発生の仕組み」が発見され、その結果、マルクスの「恐慌観」は激変し、「資本論」の構成も内容も「大転換」した・・・の検討

・「流通過程の短縮」・・・第二部初稿以前に把握されており、「突然のひらめきではない」点

・「経済循環のシミュレーション」と解された箇所・・恐慌から回復局面が論じられておらず「見事な成功」とは評価できない点

→これらかに、不破氏は、「再生産過程」の「不均衡」の問題が過小評価している点を明らかにする

・第三部の「利潤率の傾向的低下法則」論の第15章部分が「取り消された」説は、マルクス・エンゲルス書簡の誤解に基づく点

・「法則と恐慌との関連」は「宣言」に終わっているとの評価は、資本の過剰生産論の検討を欠き、誤読もある点

→ よって、その部分が「取り消され」る理由はなく、マルクスの「恐慌観」の「激変」もない

 

◆はじめに  

 ・不破説・・・ エンゲルス編集の「最大の」「問題点」は「恐慌の運動論」の発見の見落とし、という見解

「『5758年草稿』〔『経済学批判要綱』3)〕から『資本』第三部」の「前半部分(現在の第1 篇~第3 篇)」「まで」は,「利潤率の低下が恐慌をひき起こし,社会変革を必至とする,こういう見方」が取られてた「“前期”の草稿」

 その後1865年に「資本の流通過程について第二部第1 草稿をはじめて書いたとき,マルクスは,恐慌が利潤率の低下などとは関係なしに,別の仕組みで起こることを発見」-- 「資本の生産と消費者との」「中間に商人が入ってくることが,「架空の需要」を生み出し、生産と需要とのあいだの矛盾を大きくして恐慌の勃発にいたるしくみ」

 ・その解明が「恐慌の運動論」とされ,この「大発見以後,著作の組み立ても内容も大きく変わってゆき」,「これを転機として,これまで守ってきた『〔「資本,土地所有,賃労働;国家,外国貿易,世界市場の〕六部構成』という枠組みは捨てられ,研究の全内容を『資本論』に包括するという新構想がたてられる」。/第二部初稿4)の「大発見以後」のものが「後期の草稿」とされた

 ・「大発見」以前にかかれた現行版「第15章 この法則の内的諸矛盾の展開」部分については,「恐慌の運動論の発見」によって「自分の誤りに気付き,そこで展開した理論の主要部分を以後の草稿で取り消した章」と「評価」される。

 ・が、エンゲルスは、そのことに気づかず、「大転換の前に書いた第三部の前半部分を,後半部分と同じようにマルクスの経済学の完成品として扱ってしまい」(「新版の意義」38頁),「資本主義は利潤率低下で没落するのではないかという見方を残す結果にな」った。

・現行版の「最大の」「問題点」は「恐慌の運動論の発見が見落とされてしまったこと」とされる(同上,4746頁)のである。

 ~ この見解は、今までの資本論研究とのつながりがまったくなく、その大胆な見解には不安を感じざるを得ない、/その検討は、研究者の責務として率直に指摘する

 

1 .「恐慌の運動論」が『資本論』第二部初稿で「発見」されたのか

1.1 「 恐慌の運動論へのひらめき」が『資本論』第二部初稿でなされたのか

 ・不破説・・・「商品の商人への販売」という行為が,再生産過程のなかで恐慌を準備する萌芽的な運動形態となることを,発見した」。/「流通過程の短縮」と「再生産過程の『現実の需要』からの『独立化』」を「最大のカギ」として,「産業循環の各局面」を「追跡する」(同上,103頁)論述がなされ,その「経済循環のシミュレーションは見事に成功し」た(『形成』141頁),と評価。

 1.1.1信用による「流通過程の短縮」は第二部初稿で「発見」されたのか 

 ・が、信用による「流通時間の短縮」は,『要綱』で既に論じられている。

(「経済学批判」要綱 マルクスが1857年から1858年にかけて執筆した、経済学批判にかんする一連の未完の草稿)

 「流通時間の短縮は……,一部は連続性のある市場,だからまた絶えず拡大していく市場の創造であり,一部は……資本が流通時間を人為的に短縮することに役立つ資本の諸形態のもろもろの発展である。(信用の一切の形態。)」(Gr., S.440Ⅱ /1, S.440.) 

「流通時間は,資本が価値を創出する時間ではなく,生産過程で創出された価値を実現する時間である。」「回転の数は,流通時間によって規定される限りでは,……制限的,否定的原理として現われる。それゆえ,資本の必然的傾向は,流通時間なしの流通であり,そしてこの傾向は信用と資本の信用機構との基本規定である。」

→ 前者は「資本の循環それ自体すなわち通流(Umlauf)」(Gr., S.413Ⅱ /1, S.416),後者は資本の「回転」の箇所にあり,「流通過程の短縮」の問題が,当初から「資本の流通過程」の論点として重視されていた。

 ・『経済学批判(1861-63年草稿)』)でも---

資本が流通過程で経なければならない諸変態を短縮しようとする不断の試み,すなわち,流通期間や資本の貨幣への転化等々を先取りし,そして資本自身の被制限性にこうして対抗しようとする資本の不断の試み」(Ⅱ /3, S.1515)が記されてる

→ その論述箇所について,第3 篇「資本と利潤」を論じたノート16で,「利潤率は流通期間の短縮によっても高くできる。だがこれは本来は流通過程の考察に属する」(Ⅱ /3, S.1618

 ★この「『流通時間の短縮』という運動形態」は,『資本論』第二部「資本の流通過程」で取り上げるべき論点として確定されていた。⇔ ,1865年の第二部初稿第1 章において「突然のひらめき」によって「発見」されたのではない

 

1.1.2  商業資本による「流通過程の短縮」は第二部初稿で「発見」されたのか

1.1.2.1 『 61-63年草稿』に商業資本による「流通期間の短縮」の論述はないか

 ・不破説・・・第三部現行版第4 篇の「第16章 商品取引資本」における,「商人資本がどんな機能をになうかの基本的な説明」の「全体が,商人資本がいかにして流通過程を『短縮』するかの詳細な説明になって」おり(『再生産論と恐慌・中』144頁),「結論」は第16章の「最後の部分」で(K. Ⅲ , S.291)「まとめ」られている。

 ・この部分は、 第三部草稿では「第4 章」「1 )商品取引資本(商業利潤)」の末尾にあたる /この部分は,『61-63年草稿』ノート15の論述が利用されたもの ⇔ そこには,「商業資本が流・通・期・間・(Circulationszeit)の・・短・縮に寄与する限りでは,……それは,間接には生産資本によって生み出される剰余価値の増加を助けることができる」,また,「商業資本が流通期間を・・短縮する限りでは,それは,前貸資本に対する剰余価値の比率つまり利潤率を高くする」(Ⅱ /3, S.1594),という記述が含まれている。

・第三部草稿では「流通期間を短縮する」の箇所に下線が引かれ,それが重要論点であることが明瞭となっている。

⇔ 商業資本による「流通過程の短縮」という論点は,『61‒63年草稿』において明確に把握されている/『資本論』第二部初稿で「発見」されたというわけではない。

 ・不破説  「すでにいろいろな草稿で取り上げてきた」と指摘したうえで、「流通時間の短縮」を「『恐慌を準備する』運動形態としてとらえ,その角度から意義づけたのは,第1 草稿の解明が最初のもの」と、「角度」を問題にしている。

 → 『61-63年草稿』の「商業資本」と題する考察の時には,「恐慌の発現における商人資本の役割という問題」は「まったく視野になかった主題」だったのか?

 

1.1.2.2 「 恐慌の発現における商人資本の役割」は「視野になかった」か

 ・不破説 「マルクスが,第二部第1 草稿から引き継いだ問題意識で商人資本の考察をおこなっていることが,よく分か」る(『再生産論と恐慌・中』145頁)として,『資本論』第三部第4 篇からの引用をしている

 → 引用した『資本論』第三部第4 篇での論述部分は,『61-63年草稿』の論述を,事例を「キャラコ」製造業者から「リンネル」製造業者に変えて,利用していることは明らか。/ そして,両者とも,「変態の過程」が「商人によって」「短縮されて」いる点に下線が引かれており,「『変態の過程』の『短縮』という,第二部第1 草稿と同じ性質の用語」(『再生産論と恐慌・中』145頁)を使っている。

 → 第二部初稿での商業資本による「流通過程の短縮」という「問題意識」自体が,『61-63年草稿』から引き継がれたもの。

/不破氏も,「商人が果たすこの役割が,恐慌の可能性の発展で重要な意味をもつことは」,『要綱』「冒頭部分ですでに注目」されていた(『形成』138139頁)と述べている

 

『要綱』や『経済学批判』には商業と空取引の論述がある。『批判』での記述-----

  「販売と購買との分離は,本来の商業と共に,商品生産者と商品消費者との間の最終的交換の前に,多くの空取引を可能にする。こうしてこの分離は,多数の寄食者が生産過程にくいこんで,この分離をくいものにすることを可能にする。だが,このことはさらにまた,ブルジョア的労働の一般的形態としての貨幣と共に,ブルジョア的労働の諸矛盾の発展の性が与えられている,ということを意味するものにほかならない。」(Ⅱ/2., S.116.

  この記述と,基となった『要綱』の記述では,「本来の商業」と「空取引」,「投機」(Gr.,S.114Ⅱ /1, S.129),さらに「諸矛盾の発展の可能性が与えられている,ということ」が指摘され,他方で,『要綱』で「商業恐慌の可能性(Handelskrisen)」(ebd., S.67 S.83)を論じた箇所では,「生産は生産の側でこの〔商業と消費的交換との〕不一致を生み出さざるをえない」という側面も指摘されている。

→こうした2 つの側面を合わせれば,「生産を駆りたてて消費の制限をのりこえさせる商人資本の役割」が,「恐慌の可能性を現実性に転化させる諸契機」の1 つとして9),『要綱』・『批判』段階で把握されていたと,見做すことができよう。

 

1.2 「 経済循環のシミュレーション」は「見事な成功」なのか

 ・不破説 第二部初稿の論述を「経済循環のシミュレーションの見事な成功」と評価。その意義を,「『流通過程の短縮』という運動形態を推進の基軸に据えて,循環の局面ごとの諸特徴をきわめて具体的に再現しながら,繁栄を経て瓦解と恐慌にいたる全道程を描き切ることに成功した」,「恐慌の周期性の問題に,見事に理論的な解決が与えられた」と高く評価 / そして,「マルクスが,恐慌を資本主義体制の危機に直結させる従来の恐慌観から抜け出したこと」が「注目される」べきだと強調

 →が、当該箇所はでは,好況局面から恐慌への過程が論じられているだけで,不況局面から回復局面への過程が論じられていない。このような回復局面に関する記述がない点からも,「全道程を描き切ることに成功し」ているとまでは評価できない。

 

1.2.2 「 恐慌の運動論の発見」によって「恐慌の周期性の問題」が解明されるのか

 ・引用文1 で不況局面から回復局面への過程が論じられていない 

 → 把握されていなかったからではない。この回復局面の論述は,『資本論』第三部第3 篇〔章〕において,資本の絶対的過剰生産を論じた後で,「現実には事柄は次のように現われるであろう」,とした部分でなされているから

 ・その論述の後で,「資本制的生産の『健全な』運動に対応する諸関係が回復する」仕方が問題とされている。「均衡は資本の否定〔現行版──遊休と破滅〕によって回復する」点が論じられ,「部分的には物質的な資本の実体にもおよび」,「主要な破壊で最も急性的な性格のものは……資本価値に関して生ずる」ことが指摘される。

  さらに,「一定の前提された価格諸関係は再生産過程の条件となっており,その再生産過程はその価格諸関係の攪乱によって停滞と混乱に陥る」点(ebd., S.328S.264-265〕)も指摘される

  さらに「生産の停滞が,労働者階級の一部分を遊休させ,それによって就業部分を平均以下へさえもの労賃低下に甘んじざるをえない状態に置く」ような作用や,「価格下落と競争戦が,どの資本家にも刺激を与えて,新しい機械,新たな改良された作業方法,新たな組み合わせを使用することによって,自分の総生産物の個別的価値をその一般的価値」以下に低めようとする点などが指摘されている(ebd., S.328-329S.265〕)。

 そうした「作用諸因子」を論じた上で,「循環はまた新たに繰り返されるであろう」と述べられてい

 → 回復局面を論じるには,より総合的な接近が不可欠。引用文1 には,「新たな循環」の始まりの記述がない。よって「恐慌の周期性の問題に,見事に理論的な解決が与えられた」(『形成』141頁),とは到底言えるものではない。

→産業循環の周期性の考察には,商業資本による「流通過程の短縮」の視角からだけでは,無理

→ 不破説のいう「恐慌の運動論の発見」に先立って,「“前期”の草稿」で「恐慌を資本主義的生産の『生命循環』の一局面としてとらえ,こうした破局的な局面が周期的に避けられなくなるところにこの体制の病理をみる,ということ」の把握をしていた。

 

1.2.3 「 見かけ上の」「消費」の論述は「恐慌の周期性」の解明が課題だったのか

  略

1.2.4 「 再生産過程」の「実体的な関係」の下では「不均衡」は問題にならないのか

 ・不破説  「流通過程の短縮」「恐慌の運動論」として重要視する「根拠」

~「いろいろな部門のあいだの均衡」は「『現実の需要』と現実の生産とのあいだの実体的な関係に属することで」,「再生産過程が均衡諸条件に直接的な形で支配されている状況のもとでは,……再生産過程が『現実の需要』から独立して生産拡大の道を突き進むことは,ごくせまい範囲内でしか起こりえないはずで」あるが,「商人の介入によって,……再生産過程そのものが,そういう実体的な関係をのりこえて進む『独立性』を得ることにな」る

→ 「不均衡」は,「『流通過程の短縮』という運動形態」によって問題となり,「再生産過程」の「実体的な関係」の下では問題にならない,という把握

 (メモ者  市場の調整作用のメカニズム ~個別資本の運動レベルでの原理的な作用。競争の外圧にさられた多数資本の特別剰余価値を求める運動での「恐慌」という暴力的形態をとっての調整作用 の質的な違いが視野に入ってない? 不破氏が強調する利潤増大を唯一の目的とする「生産のための生産」こそが、恐慌を生み出す原動力ではないのか?)

 

・「生産の無制約的な発展」(Ⅱ /4.1.S.376, 290頁)、「再生産の全体の均斉(Ebenmaß)は,剰余生産物の資本への大き過ぎる(zu groß)再転化……によって絶えず攪乱される」(第二部初稿3章 項目「8」) 

⇔「再生産過程が均衡諸条件に直接的な形で支配されている状況」などは,マルクスにあっては考えられていない

 

*「商人の介入」による「架空の需要」から恐慌を説明しようとする説・・・(当時のマルクスの批判と重なる?)

 第二部第2稿で論評されている「生産は『健全』であったが,種々の偶然と商業的冒険のために突然に『不健全』になった」14)という言説と同類の問題把握となり,第二部初稿の先の箇所で記されている,「恐慌を信用の濫用から説明するということは, 恐慌を資本の現象的な流通形態(erscheinendeZirkulationsform)から説明することを意味する」(Ⅱ /4.1, S.173. 49頁),という批判/ これにあてはまってしまうのではないか

→ 不均衡」は,先ず「再生産過程」の「実在的な関係」の下で解明されねばならない

 

2 .「利潤率の傾向的低下法則」論の第15章部分は「取り消された」のか

2.1  第15章「取り消し」がマルクス書簡に読めるのか

 ・不破説 「取り消した」とした論拠~マルクスのエンゲルス宛18684 30日付書簡

→マルクスは,「準備中の第二部,第三部の構想」を「知らせ」,「第三部について,第1篇,第2篇は全体の内容を説明してい」たが,「第3篇」についての記述は,「利潤率の低下傾向」という「難問」を「完全に解決した」自分の「『最大の勝利』の指摘という一点に絞ったもの」であり、そこから、「このことは……この法則を恐慌論や体制的危機論と結びつけて議論した部分はすべて取り除く,ということ」と評価

 ・この書簡は,エンゲルスが4 26日付書簡で,「m/c+v を利潤率とみなせるのか」の「説明」を求めたものへの返答

~エンゲルスの疑問 「m ……産業資本家のポケットに入るだけではなく,商人などとの間で分けられねばならない。君がここでは全ての事業部門を一緒に考えていて,どのようにm が工場主や卸売商人や小売商人などの間で分けられるかは問題にしていないなら,話は別だが」

 →平均利潤率、地代・利子論に話であり/マルクス 「筋道をごく一般的な形で述べておこう」としたもので、「説明」が,「利潤」範疇と「一般的利潤率の形成」,さらに「商人資本」には詳しく,「利潤率の傾向的低下の法則」については簡単になるのは,むしろ当然 /資本論の構成について語ったものではない!

 *不破説・・・マルクスは,「確信ある結論に到達する以前に,自分の見解を公表すること」はなく,「生前に公表した文章のなかには,利潤率の低下の法則について述べた文章は, 1 つも」なく,したがって「第三部の前半部分にあった利潤率の傾向的低下の法則をめぐる見解も,そうしたものの1 つ」

→ 「資本論」第二部、第三部の内容もほとんど、そうなってしまう。

 

2.2  第15 章部分の「主題」とその「核心」はどう理解されているか

 ・不破説・・・「主題」は,「この法則が資本主義経済のなかでどんな役割を果たすか,という問題の分析」である(『形成』127

頁)。その「核心」が「もっとも集中的に表れている」とされた文章(『再生産論と恐慌・中』124頁)の前後を,第三部草稿で示せば,下記のとおりである(文中の番号は引用者による)。

 ①利潤率の下落と加速的蓄積とは,両方とも生産力の発展を表現する限りでは,同じ過程の異なる表現にすぎない。

 ②蓄積の方は,それにつれて大規模な労働の集積が生じ,したがって(damit)資本構成の高度化が生じる限りでは,利潤率の下落を促進する(beschleunigen)。

 他方, 利潤率の下落は,こんどは〔資本の〕集積と小資本家たちの収奪を促進し,今や相対的に多かれ少なかれ直接的な生産者たちと見做されるものの収奪を促進する。これによって,他方では蓄積も,蓄積の率は下落するとはいえ総量からすれば促進される

 ④他方,利潤率すなわち総資本の価値増殖率が資本制的生産の刺激である(資本の価値増殖が資本制的生産の唯一の目的であるように)限り,利潤率の下落は,新たな自立的諸資本の形成を緩慢にし,こうして資本制的生産過程の発展を脅かすものとして現われる。〔──現行版「;」〕

 ⑤(〔──現行版なし〕利潤率の下落は,過剰生産,投機,恐慌,労働の過剰すなわち相対的過剰人口と並存する資本の過剰を促進するbefördern)。)〔──現行版なし〕

 ⑥したがって,リカードゥのように資本制的生産様式を絶対的な生産様式と考える経済学者たちは,ここでは,この生産様式が自分自身に制限をつくり出すことを予感し,それゆえ,この制限をこの生産様式〔──現行版「生産」〕ではなく,自然のせいにしようとする(地代論において)。

 ⑦しかし,利潤率の下落に対する彼らの恐怖の中で重要なのは,資本制的生産様式は,生産諸力の発展について,富の生産そのものとはなんの関係もない制限を見い出す,という気持ち(Gefühl)である。

 ⑧そして,この特有な(eigentümlich)制限は,資本制的生産様式の被制限性(Beschränktheit)とその単に(nur)歴史的な性格とを証明する。そして,それは,資本制的生産様式が富の生産にとって絶対的な生産様式ではなくて,むしろある一定の段階では富のそれ以上の発展と衝突するようになるということを証明する。」(Ⅱ /4.2,S.310K. Ⅲ , S.251-252.)〔引用文2 。〕

 

 ・不破説・・・「核心」と解したのは④と⑤ /この部分を,「要約して言えば,利潤率の低下は,( 1 )『新たな自立的諸資本の形成』を緩慢化するから,( 2 )『過剰生産,投機,恐慌,……過剰資本を促進する』,という指摘で」あると理解している

 →現行版と草稿との違い/草稿では④の文はピリオドで終わり,⑤の文には括弧が付けられている。括弧内の文がここでの主命題とされているということは考えられないし,④は,⑤とは括弧で区分されているのだから,⑤の理由ともなりえない。

→ 不破説の「要約」はなりたたない /④は⑥につづくもの

 

・⑤はどう理解するか

  • ~③部分では,利潤率の傾向的低下が利潤量の増加を目指す資本の行動によって資本蓄積を「加速させる」ことが論じ

④ 「他方で」、「資本制的生産過程の発展を脅かす」と、「この法則」が資本制的生産・蓄積に対して持つ意義を指摘し、

⑤で、その帰結をしめしている。

 

・なお⑤では、「過剰生産」,「恐慌」を「促進する」とされている。恐慌を「引き起こす」とはなっていない。

 

2.3  「利潤率の低下が恐慌をひき起こす」とされていたのか

 ・不破説・・・現行版第15章には,「恐慌論についての 2 つの種類の考察が含まれている」

  ①恐慌について定式化した部分、生産と消費の矛盾の解明から出てきた定式

 ②恐慌の必然性を利潤率の低下の法則から解明しようとした部分 /「核心」とした④⑤

 

2.3.1  「小資本の冒険的行動が恐慌をひき起こす」とされていたのか

 ・不破説・・第二の、「この法則と恐慌との関連について」は,「証明抜きで,その関連を一般的に宣言するだけに終わ」っており,「理論のこうした弱点を補うために」「持ち出され」たもの/というのが次の論述

  「利潤率の低下と共に,資本の最小限――個々の資本家の手中に必要とされる生産手段の集積の高さ――は増大する。……そして,同時に集積が増大する。なぜなら,一定の限界内では,低利潤率の大資本は高利潤率の小資本よりも急速に蓄積するからである。この増大する集積は,その方で再び一定の高さに達すれば,利潤率の新たな低下を引き起こす。それゆえに,大量の分散した小諸資本は冒険的なもの〔になり〕,〔現行版――冒険の道に追い込まれる;〕投機,信用思惑,株式思惑,恐慌。いわゆる資本の過多は,常に本質的に,利潤率の低下が利潤総量によって埋め合わされない資本の過多に(そして新たに形成される資本の若枝は常にこれである),すなわち(oder自らのために自身で独立する能力のないこれらの資本を(信用の形態で)大事業部門の指導者たちに用立てる過多に,関連している。」(Ⅱ/4. 2, S. 324-325K. Ⅲ , S.261.

 ⇔不破説 「利潤率の低落で存立をおびやかされた小資本の冒険的行動が恐慌をひき起こす」という「議論」だと理解 /「経済全体に動乱をもたらす恐慌を,小資本の冒険によって説明しようとするのは,かなり無理」だと批判 /「恐慌の運動論の発見」後の「新しい分析では」,「『無謀な冒険』を引き起こすのは,信用制度の産物である『他人の資本』で賭博的な商売をする投機的経営者たちであり,分散した小資本ではなく,取引所をわがもの顔にきりまわしている金融貴族の一族であることをも明らかにし」と説明

 ・不破説・・・「資本の過多(プレトラ)」についても,この第15章部分では「その根を利潤率の低下に求め」ているが,「新しい運動論を手中にしたマルクスは,『利潤率の低下の法則』に一言も触れることなしに,『過剰生産,投機,恐慌,過剩資本』等の諸現象の科学的解明に挑戦し,大きな成功をおさめた」と評価

 ★ここでは,一般的利潤率の傾向的低下の結果として群小資本が生産過程から貨幣形態で遊離させられ,「投機」等に向かう(メモ者 冒険の道においこまれ)と指摘され,「恐慌」が展望されている/ が,これらの「独立する能力のない資本を(信用の形態で)大事業部門の指導者たちに用立てる過多」が問題とされているのであって、単純に「小資本の冒険的行動が恐慌をひき起こす」と論じられているのではない。

 (メモ者 まさにここに「新たに形成される資本の若枝」が摘まれ、資本主義の活力を奪っていく構造を明らかにしたのでは?)

 

・草稿「資本の過剰生産(=資本の過多)は……資本の過剰蓄積以外のなにものも意味しない。この過剰生産が何であるか[それについてのより詳しい研究は,利子生み資本や信用などがいっそう展開される資本の現象的な運動の考察に属する]を理解するためには,それを絶対的なものと措定しさえすればよい。」

  ,「資本の過剰生産」の「より詳しい研究」が「利子生み資本や信用など」の箇所に予定され,ここでの考察は,後の「資本の現象的な運動の考察」における展開の基礎に据えられるべきものであったことが明白

 → 「資本の過剰生産(=資本の過多)は……資本の過剰蓄積」を意味は、「いわゆる資本の過多」の引用文に後続する「この資本の過多は、相対的過剰人口を呼び起こすのと同じ事情から生じる」(Ⅱ /4.2, S.325K. Ⅲ , S.261〕)との記述を受けてのもの。故に,「資本の過剰生産(=資本の過多)」論は,「相対的過剰人口」を論定した『資本論』第一部に始まる蓄積論体系の一環として構想されていた,と言える

 

★現行版第 5 篇第3032章「貨幣資本と現実資本」相当部分における貸付資本(貨幣資本)の過多と現実資本(生産資本・商品資本)の過剰についての論述は、そうした順次的・階梯的な展開の下でなされていると解すべき

→ 現行版第15章部分での考察は,「新しい運動論」によって「取り消されて」しまうような性格のものではない

 

2.3.2  利潤率低下「法則と恐慌との関連」は「一般的に宣言」された「だけ」か

15章・「資本の絶対的過剰生産」の内容ついては /利潤の「絶対量」が問題とされ,「増大した資本が,増大する以前と全く同じかまたはそれよりも少ない剰余価値しか生産しなくなる」場合が論じられ(Ⅱ /4.2, S.325-326K. Ⅲ ,S.261-262〕),

/ そこでは,「生産力の発展による資本構成の変化の結果ではなく,可変資本の貨幣価値の増加,そしてこれに対応する可変資本に対象化された労働に対する剰余労働の比率の減少とによる資本構成の変化の結果」(ebd.,S.326S.262〕)が問題とされている。

 

⇔その考察の後には,「資本の過剰生産とは,資本として機能しうる,すなわち一定の搾取度での労働の搾取に充用されうる生産手段――労働および生活手段の過剰生産以外の何ものでもない」,と確言

その理由を述べる形で,「一定の点以下へのこの搾取度の下落は,資本制的生産過程の停滞・・そして攪乱・・,恐慌,資本の破壊を引き起こす」とされる(ebd., S.330S.266〕), 

 

・「資本の絶対的過剰生産」と「利潤率の傾向的低下の法則」の関係   『61‒63年草稿』

「資本の絶対的過多(Absolute Plethora)。――――――  可変資本……が相対的に減少するにもかかわらず,労働者等は増加する。……/新たな生産的基礎の上での労働量の増加が避けられないのは,一部は低下する利潤率を利潤量によって埋め合わせるためであり,一部は剰余価値率が上昇するのに搾取される労働者数の絶対的な減少のために起こる剰余価値量の減少を,新たな規模での労働者の増加によって埋め合わせるためである。」(Ⅱ /3, S.1670.

 ⇔・資本構成高度化・・・「相対的過剰人口」を「絶えず生み出している」、同時に、労働者の増加=「相対的過剰人口の減少」のを生み出す~その間には、利潤率の低下と蓄積との相互促進関係が,媒介項として存在している

 資本の絶対的過剰生産論では,「蓄積過程において」,「同時的に矛盾する作用諸因子が係わり合っている」(Ⅱ /4.2, S.323K. Ⅲ , S.259〕)点の一側面が,展開されているものと評価できる

 

・現行版第13章部分における利潤量の増大の考察では,雇用労働者数が増大する場合が問題とされ,

/第14章部分では,利潤率低下に「反対に作用する要因」として「労働搾取度の増強」が問題とされた

/それに対して,15章では,「絶対的労働時間」が延長されない場合が取り上げられ,利潤量の増大にも限界があり,そのことによって蓄積が絶対的に限界づけられることが明らかにされている

 ⇔ ①~③の利潤率低下と蓄積との相互促進関係を受けて,それが無限に続くものではなく,④の側面だけでなく,⑤の「過剰生産」・「恐慌」の問題に連なって行くことを解明しようとしたものとすることができる

 

★利潤率の傾向的低下の「法則と恐慌との関連について」は,「証明抜きで,その関連を一般的に宣言するだけに終わ」っているという論は、資本の絶対的過剰生産論に関するマルクスの探求を無視するもので,あまりにも外面的なもの

 

(メモ者 マルクスが「利潤率低下の法則」を「恐慌」に直接的に結び付け、それをもって資本主義の没落を「証明」しようとした、という問題設定自体が誤っているのではないか?)。

 

2.3.3  「恐慌の根拠の問題」は利潤率低下法則とは「無関係に」展開されているのか

 ・不破説・・・現行版第15章における,「利潤率の低下の法則とは無関係に,「恐慌についての自分の理論的到達点を定式化した部分」「生産と消費との矛盾の解明に正面から取り組んでゆく流れ──から出てきた定式」=「価値ある内容」/の検討

 ⇔ 恐慌の可能性の現実性への転化=恐慌の必然性を把握しようとする際に必ず問題とされてきた,現行版第15章第 1節部分の「剰余価値の生産の条件とその実現の条件との矛盾」が論じられている箇所において、検討する

 

・「直接的搾取の諸条件とこの搾取の実現の諸条件とは同じではない」,とされ,「一方は社会の生産力によって制限されているだけであり,他方は異なる生産部門の釣り合いによって,そして社会の消費力によって制限されている」,とされる。    

そして,「社会の消費力」は,「敵対的分配諸関係の基礎上の消費力によって規定されており」,「さらに蓄積衝動によって制限されている」,と論じられている。

そして,「生産方法そのものにおける絶えざる革命」や,「それゆえに市場は常に拡張されねばならず,その結果それの諸関連はますます生産者たちから独立した 1つの自然法則の姿をとる」ことが指摘され,次のように結ばれる。

  「生産力が発展すればするほど,生産力は消費諸関係が立脚する狭い基礎とますます矛盾するようになる。この矛盾に満ちた基礎の上では資本の過剰(redundancy)が相対的過剰人口の増大と結びついているのは,決して矛盾ではない。というのは,両者が合体されれば,生産される剰余価値の量は増大するであろうが,まさにそれと共に,この剰余価値が生産される諸条件と,この剰余価値が実現される諸条件との間の矛盾は増大するからである。」(Ⅱ /4.2, S.312-313K. Ⅲ , S.254-255.

 ⇔ 不破説/「ここでの分析は,利潤率の低下の話とはほとんど無関係に展開されて」おり,リカードゥの見解の「批判的検討をしたあと,剰余価値の生産と実現の問題に話が切り換えられ」ている(『再生産論と恐慌・中』135頁)

 ・が/ 上記の引用箇所の前に 

利潤率の低下の中に自己を表現する過程の発展につれて,このようにして生産される剰余価値の量は巨大なものに膨張し,そして総商品量,総生産物が……販売されねばならない。それが販売されないか,または一部分しか,または生産価格以下の価格でしか販売されないならば,……労働者の搾取は資本家にとっては搾取として実現されない」(ebd., S.312S.254〕),との記述がある

 →この文章では、増大する「剰余価値の量」の「実現」が問題とされており、/ 「利潤率の下落と加速的蓄積とは,両方とも生産力の発展を表現する限りでは,同じ過程の異なる表現にすぎない」ことを前提にし,利潤率の低下に伴う利潤量の増大の論点を受けている、ということ。

 

★この箇所では,「直接的搾取の諸条件とこの搾取の実現の諸条件とは同じではない」ことを言いたいだけでなく,利潤量の増大を中間項として利潤率の傾向的低下法則が「剰余価値が生産される諸条件」と「実現される諸条件との間の矛盾・・」を「増大・・」させる作用を問題としている,と解することができる。

 ⇔しかも、「剰余価値の生産の条件とその実現の条件との矛盾」の論述の後では,草稿では、現行版の第13章末尾の横線部分以降の論述が展開されている。

 ~ 「生産力の発展によって引き起こされる利潤率の下落には利潤量の増加が伴うという法則は,資本によって生産される諸商品の価格の下落には,諸商品に含まれていて諸商品の販売によって実現される利潤量の増加が伴う,ということにも現われる(ausdrücken sich)」(Ⅱ/4.2, S.316K. Ⅲ , S.236〕) 点,「利潤率は,生産された剩余価値の量を,諸商品の中に再生産されている消費された資本部分でだけではなく,この部分,プラス,消費されていないが使用され,引き続き生産に役立つ資本部分ではかることによって,計算されねばならないが,利潤量は,諸商品量そのものに含まれていてそれらの販売によって実現されるべき利潤または剰余価値の量に等しいものでしかありえない」(ebd., S.318S.239〕)点が指摘されている。利潤率と利潤量の問題が,「販売によって実現されるべき利潤量」の問題として論じられているのである。

 

★ 以上のような論述は,15章冒頭部分の引用文 2 で言えば,を受けて,リカードゥにはない実現問題を視野に入れて,⑤の「過剰生産」・「恐慌」の問題を解明しようと試たものと位置づけられる。

したがって,「生産と消費との矛盾」も利潤論の論理次元での展開が問題であり,利潤率の傾向的低下の過程において資本制的生産における矛盾がどのように増大し,顕在化し,開展してくるかが論じられているのであって,恐慌は「別の流れ」で論じられているのではない。

・しかも,資本の絶対的過剰生産での「停滞」も,その背後で生産の条件と実現の条件の「矛盾」が深化していることが把握されていれば,「攪乱,恐慌」を「引き起こす」ということに繋がる。

・そのような意味でも,「恐慌の根拠の問題」は利潤率低下法則と「無関係に」展開されているのではない

 

2.4  「資本制的生産様式」の「歴史的な性格」はその「制限」に示されないのか

 ・不破説 / マルクスは 「リカードウらがここに資本主義の運命にかかわる不安をもったということから,この法則に,『資本

主義的生産様式の歴史的な限界』の証明という,過大な意義づけをあたえてしまった」(『再生産論と恐慌・中』128頁)

さらに

「利潤率の傾向的低下の法則のなかに資本主義的生産様式の歴史的な限界を見るというマルクスの見方」の「問題点」として

⇔「社会が社会主義,共産主義の段階に発展した場合でも,『社会的生産力の累進的発展』にともなって,生産過程における固定資本の比重が累進的に大きくなり,……『剰余労働』の部分の比重が小さくなり,『剰余労働』分……の,生産手段の消費分をふくめた総『生産費』……にたいする比率が累進的に低下するという法則は,体制の転換とはかかわりなく作用し続けるはず」である / ,この低下は,「文字通り『労働の社会的生産力の累進的発展』を表すものであって,資本主義社会と共産主義社会では,表現の形式がちがっても,その実態的な内実は変わ」らない。「そうなると,この低下の傾向そのものが資本主義的生産様式の歴史的な限界を示すものだというマルクスの指摘は,成り立たない

~ 「社会体制のいかんにかかわらずに起こる自然的な現象」(「弁証法観」『経済』201910月号,132頁)と言う

 マルクスが問題としているのは,「資本制的生産様式が自分自身に制限をつくり出す」ということ

⇔ 社会主義社会では、「『剰余労働』分の」「総『生産費』」「にたいする比率が累進的に低下するという法則」が「作用し」ても,それで生産は制限されない。/「資本制的生産」では,「利潤を伴って生産されうるものだけが,また,そういうものでありうる限りでのみ,生産される」(Ⅱ/4.2, S.333K. Ⅲ, S.269〕)のだから,両者には根本的な相違がある。

・しかも,『資本論』第三部第 3 篇〔章〕では,「資本制的生産様式の制限」として,「利潤の生産」だけでなく「利潤の実現」という点まで(ebd., S.332S.268, 269〕)明確に記されている。

/「資本制的生産の真の制限は,資本そのもの」と同じ内容

 ⇔ 「制限をつくり出す」のも「資本制的生産様式」自身 /よって、その「特有な制限」が「資本制的生産様式の歴史的な性格」を「証明する」,と把握している誤りはない。 /そして,その利潤 ・・・・の率が傾向的に低下し,(商品と資本の)「過剰生産」や「恐慌」を「促進する」作用をするという法則にも,同様の「歴史的な性格」を見て取れる。

 

(メモ者 マルクスは、資本自身が「制限」をつくりだすことを、資本主義の「歴史的性格」を証明している、とは述べているが「歴史的な限界」という表現はつかってない。マルクスは、あらゆる制限を乗り越えて生産力を拡大する資本を、「生きた矛盾」としてダイナミックにとらえている。「限界」という「乗り越えたら」次の社会に行くような表現を使っていないのでは?)

 

2.5  「利潤率が低下して資本主義が没落する」という見方がなされていたのか

 ・不破説 /『資本論』第三部第 3篇において,「『利潤率低下の法則』が資本主義的生産様式が新しい生産様式への交替の歴史的な必然性を決定する法則……だと規定する時,その根底に……5758年草稿』の定式に共通する,経済的崩壊論,自動崩壊論の同じ流れが伏在している」(『形成』168頁),と言う。

 *問題とされたのは『要綱』の下記の論述

  利潤率の低下を「阻止するために,あらゆることが資本によって試みられる」ので,「生産力の最も高度の発展は,現存の富の最大の拡大と共に,資本の減価(depreciation)・労働者の格下げ/罷免(degradation)・その生命力の最もあからさまな消耗と同時に起こるであろう。これらの諸矛盾は爆発・大変動 ・恐慌に至るが,そうした時には労働の一時的な停止と資本の大きな部分の破壊が生じることによって,資本はその再起可能な点にまで強力的に引き戻される。それにもかかわらず,これらの規則的に生じる破局は,より高い規模でのそれらの反復に,そして最後には,資本の強力的な転覆に至ることになる。」(Gr., S.636 ; Ⅱ/1, S.623-624.

 

・不破説/ この論述に対して,「『利潤率の低下の法則』は強度に数学的な法則」であり,「それは,革命勢力の強弱の度合いにかかわらず,その種の事情などいっさい無視して働き続け」るのであり,「その数学的な作用を,革命という社会変革の必然性と結びつけるという理論は,……経済的な矛盾と破綻から資本主義体制が必然的な崩壊に向かうという,経済的な自動崩壊論に落ち込むことになる」のではないか,と「疑問」視する(『形成』168頁)。

 が、それ以前の著書の『再生産論と恐慌・上』において,同じ論述に対して

 「資本主義的生産に終止符が打たれるのは,……破局の繰り返しのなかで,社会を変革する力が準備され,『資本の強力的な転覆』(革命),つまり歴史に働きかける人間の自覚的な活動によってであることを,マルクスは,この『草稿』でも正確に指摘してい」る,/と述べている。

 さらに/「マルクスはのちに,『資本論』第一部・蓄積論の最後の文章のなかで,資本主義的生産の発展のなかで,労働者階級の訓練・結合・組織と反抗が発展し,資本独占そのものがこの生産様式の桎梏となったときに,資本主義的外被が粉砕されることを示し」ており,「『5758年草稿』のこの文章は,『資本論』の『外被粉砕』論を思い起こさせるものがあ」る,ともしている(『再生産論と恐慌・上』174175頁)

 ★この評価の180度転換の理由は説明されていない/筆者は旧説に賛成

『共産党宣言』で,「産業の進歩は……結社による労働者の革命的な団結をつくりだし」,「ブルジョアジーは……自分自身の墓掘り人をつくりだす」と確言しているマルクス・エンゲルスが,労働者階級の役割を軽視するなど,考えられないから /

 ⇔ 主体的契機を欠落させ、「利潤率が低下して資本主義が没落する」(「新版の意義」47頁)という見方に,マルクスは元々「とらわれて」(同46頁)おらず、/それの「乗り越え」や「克服」(同上,47頁)は起こりようもなく,エンゲルスにしても,「そこを見損なった」とか「気づかず」にいたとか(同上)批判される謂れはない。

 ★「利潤率の傾向的低下法則」論の現行版第15章部分には,「取り消され」ねばならない理由は全くない/「恐慌の運動論の発見」によるマルクスの「恐慌観」の「激変」は,思い込みとしか言い様がない。

 

 【メモ者  今後、考えたいこと】

 エンゲルス 「フランスにおける階級闘争」序文にある「歴史はわれわれの当時の誤りを打ち破るとともに、プロレタリアートの闘争の条件と方法をすっかり変革してしまった。」と、「革命の経過のなかで少数者の革命が多数者の革命に転化していく」という「フランスの歴史的経験」にとらわれていた認識から、「『社会組織の完全な改造』をめざす革命では、大衆自身が革命の目的をよく理解していなければならない。 そのためには長い間の根気づよい活動が必要である」という多数者革命の路線の発展との関連もあるような気がする。

 

46年、57年の恐慌の経験、その後の資本主義のさらなる発展と矛盾の深化

5053年 工場法の制定のたたかい、労働者への影響(生命の再生産、自由時間の獲得)、資本主義経済への影響(遅れた部門の淘汰、より高度な発展)

 など

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