少人数学級の根拠の在り処--財務省の「エビデンス論」を批判する(メモ)
藤森 毅 ・ 党文教委員会責任者 “少人数学級の根拠の在り処--財務省の「エビデンス論」を批判する”( 前衛2021.1)の備忘録。
少人数学級推進の壁となってきた財務省のエビデンス論の批判を通じ、多くの教員・保護者の実感()センサーと、「人格的な接触」を通じてという教育の論理から、その根拠の在り処をしめしたもの。
計量経済学の手法を利用した「エビデンス政策」には、他の影響を排除する「ランダム化比較試験」が前提となる。しかも成果を測るモノサシ自体の設定が複雑かつ困難だと、いうそもそも論を展開している。
以下、備忘録
“少人数学級の根拠の在り処--財務省の「エビデンス論」を批判する”
藤森 毅 ・ 党文教委員会責任者 前衛2021.1
〇はじめに
・少人数学級の扉が開きはじめている/ が、財務省が一貫して敵対
→ その拠り所は 「少人数学級の効果があるという明確なエビデンスがない」という議論
・エビデンス論‥数値による根拠を指す /が、財務省の「論」は、エビデンス論の制約を無視した乱暴な悪用
1.「エビデンス政策」とその制約
・エビデンス論…「エビデンス・ベイスド・ポリシー・メイキング」という国際的な政策立案の潮流
→ 数値でしめされた根拠にもとづく政策づくり /EBPM
◆源流は医学の世界
・源流は、エビデンス・ベイスド・メディスン(根拠にもとづく医療)
~医師の個人的な経験(エピソード)に基づく治療を、科学的根拠に基づく治療に改善しようという流れ
・結核治療につかわれた最初の抗生物質・ストレプトマイシン
~43年に分離され、48年にエビテンスを得て、新しい治療法として普及/イギリス
*大事なのは、エビデンスをつかみとった実験手法 ⇔ 「ランダム化比較試験」
①ある患者集団の一部のグループに投与して症状が改善した/ これで「エビデンスあり」とはならない
~そもそも治りやすい若者ばかりだったのかもしれない。など効果がはっきりしない
②新薬の効果検証のためには、それ以外の改善、または悪化につながる影響をシャットダウした検証が必要
~年齢・性別などの構成をイギリスの患者全体の構成に合わせ抽出/偏りなく2つのグループに分け/一方のグループのみに投薬する試験を実施 (現在は、ダミー薬を使用し、心理的影響も排除)
→特定の介入以外の影響を排除し、その特定の介入の影響を調べる方法 「ランダム化比較試験」
◆ヘックマンの就学前教育の重要性の「証明」
・「エビデンス政策」の難しさ ⇔ その好事例/米経済学者ヘックマン(ノーベル賞受賞)の就学前教育の重要性の研究
① ヘックマンの研究
・貧困と格差の連鎖を断つために、幼児期における対策が「成長後の対策より、経済的社会的影響がはるかに大きい」ことを、計量経済学の手法などで示したもの
・代表例/60年代、ミシガン州で実施 「ペリー就学前教育プロジェクト」~低所得でアフリカ系の58世帯の3,4歳の幼児を対象。平日午前は学校で就学前教育、週一度は午後に教員が家庭訪問、2年間実施。その後、同様の境遇の子どもとの比較を40年間にわたり経済状況・生活の質について追跡調査
~結果/14歳時点での基礎学力の到達度、留年・休学なしの高校卒業率で効果。40歳時点で、月給・持ち家率・生活保護の非受給などでも効果。さらに同プロジェクトの投資は、人々の収入増・保護費減額により投資以上の財政効果をもたらす
⇔ この結果は、OECDの「スターティング・ストロング」に影響を与えた
②研究の問題点
・サンプル数の少なさ/熱心な専門家による支援だから効果があり、全国的規模では望めない、など
・計量経済学的な視点それ自体の制約/より根本的な問題!
→ 他の分野の貧困対策を減らして、就学前の幼児教育に充てた方がよい/選択と集中の論理、人々の生活と権利に関わる政策を抽象し、投資の論理に還元
→政策の要/すべての個人を尊厳と基本的人権(特に社会権)をもつ存在としてとらえること/投資の論理ではない
・投資の論理では/「そもそもなぜ貧困が広がっているのか」という根本的な問い=資本主義の矛盾とその改革が不問に!
・著者の視点 ~ 貧困解消の上で幼児教育が大切なことは当然。計量経済的なエビデンスは、対策を渋る為政者を説得する材料になる点で意味がある /が、それは万能ではないことを知っておく必要がある
◆「エビデンス政策」の困難
・「エビデンス医療」との比較 ~ ストレプトマイシンの例のように、道筋は比較的明瞭/治験グループの偏りのないサンプリングに成功すれば、結核が治った患者数という効果目的を的確にとらえるモノサシが存在する
・教育や社会政策の場合 ~ 事情は格段に困難かつ複雑
A 「ランダム化比較試験」のためのグループのサンプリングが困難
ある特定の恩恵の有無だけが違う、偏りのないグループを作り、長期に観察する社会実験は、日本では容易ではない
B 政策の影響を数値化できるモノサシを得ることがたいへん難しい/ より本質的な問題
~ランダム化比較試験は、複雑な現実の1部を切り取って分析するもので、全体を把握できているわけではない。現実におきていることの重要な部分を切り取ることができていない場合は、的外れな政策をもたらしかねない
◆教育への影響を数値ではかることの難しさ
・こどもの成長・発達という多様で個性的な現象を数値化することは、特に困難
・「比較的計測がしやすい」といわれる「学力」でも容易ではない
A県、全国学テの直前の一定期間ドリル漬けにする。2、3点は点数があがる
B県、学テ対策はせず、出された問題に短時間で正解を書くことでなく、「話し合いながら問題を作れる子どもを育てることが、わが県の誇り。その方が子どもたちは勉強好きになり、今は点数が低くとも将来は伸びしろがある」(数年前まで存在していた)
→ 学テの点数では、A県がすぐれている。となっても、学習の時にどのように話し合っているのか、間違ったり遠回りして自分らしく学ぶ過程をたのしんでいるのか、は捨象される
*ユネスコ学習権宣言 「読み、書く権利であり、質問し、分析する権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり、教育の手立てを得る権利であり、個人および集団の力量を発展させる権利である」
⇔ この学習の力量をどうやって測れるのか、まだまだ探求の途上
・教育の目的 子ども一人ひとりの「人格の完成」=子どもの人間的成長の全体
→ 認知能力だけでなく、自分への信頼、他者への信頼、やさしさや厳しさ、労働、自主的な判断能力、人権感覚、芸術、スポーツにど極めて多様かつ個性的に世界 /さらに教育の影響は、そこで勉強したことをすべて忘れてなお、その人の中に形成される長期的なもの
(メモ者 知識の獲得過程での、おどろき、知的興奮、関心のひろがり、気分感情など経験が、認識と対応発現としての感性の枠組み築き上げ、個々の知識の内容自体はわすれても、その人らしさとして継続する、ということ)
*こうした「複雑な現実」を数値化できる1つ、あるいは複数のモノサシがあるのか。少なくとも現在は存在してると思えない
→ そもそも数値化自体が可能かという問題が残っている/ 教育についての計量的調査は、相当の困難と制約がある
2.少人数学級の効果についての計量研究と確かな根拠
◆学校規模の効果 ~ 計量研究で言えること
・アメリカ 1980年代以降の研究 ~ 学力、子どもの達成度で、20人以下の学級で効果。特に社会的に不利な家庭の子どもで効果が高いとの結果をうけて少人数学級を促進した /が、統計手法の発展のもと、当時の研究の再吟味も
・日本でも多くの研究があるが、一致した結論には達していない。テストの点数1つとっても違った結論が
★本田由紀・東大教授が示した国内外の研究成果を吟味した視点(少人数学級化を求める教育研究者有志「院内配布資料」 20.9.17) ⇔ 注目すべき内容
- 統計手法、データが急速に発展しているもとで「最も近年の分析」が好ましく
- 諸外国との教育や社会制度の違いから「日本のデータ」
- さらに地方の偏りのない「全国データ」が重要
として、「これらの条件を最も満たす研究」として4つの研究を紹介/そのポイントとして2つを指摘
・その1… 「日本の全国データを用いて生徒の家庭背景をも考慮した近年の分析によれば、特に社会的経済的背景が不利な性とが多い学校において、少人数学級は学力を高める効果をもっている」
・その2… 「少人数学級の「効果」として(相対的)学力だけに注目することには問題があり、教員と生徒の関係や生徒同士の関係、生徒の主観的な状況にも注目する必要がある。少人数学級によりそれらに総じて良好な影響があるという研究結果が多い」
◆「数値のエビデンスがない」から、「現実に効果がない」とはならない
・現実にどんな効果が生じているかは、客観的に存在している事実
⇔ これに対し 「エビデンス政策」のセンサーは、その現実を、何とか何らかの数値の形で映し出そうとする1つの抽象
・が、教育エビデンスのセンサーは、あまりに未完成で感度不足
◆ヒューマンセンサーの確かさ
・「根拠」(エビデンス)というなら、多数の教員や保護者が少人数学級を強く支持していることが、最大のエビデンス
・学級規模の違いによる子どもの人間形成への影響は、複雑な現実 ~ その複雑な現実を(メモ者 総体的に、運動・変化の中で)もっとも近似的に感知できるのは、子どもを直接見ている教員、保護者ではないのか?
→ 数人の感覚では、個人的エピソードの範囲だが、大量の集合となれば、もっとも信頼にたるもの/子どもの内面で起きる変化は、様々なモノサシを考案しても測れないものが多すぎる
*05年文科省調査・・・04年度に少人数学級を実施した学校から、小学477校、中学478校を抽出しての意識調査
・総じて学力が向上した 98.7%
・授業につまずく子どもが減った 98.7%
・発展的学習に取組める子どもが増えた86.2%
・不登校やいじめなどが減少した 88.9%
・基本的な生活習慣が身についた 90.7%
・教師の指導力向上や教材研究の深化が図られた 92.2%
~ こうした調査は、自治体レベルでも積み重ねられ、いずれも圧倒的な支持を示している
・コロナ禍での「分散登校」・・・ 20人以下の授業の全国的実施 /大規模な社会実験というべきもの
→ 落ち着いて授業ができ、子どもも安心して学校生活を送れた/この体験が、少人数学級の世論を一気に拡大した
◆教育をめぐる論理からの強い推論
・少人数学級の効果は、子どもと教育に関する理論から明らかに推定されるもの
・教育の理論/学校における子どもの成長は教員と子どもとの人格的な接触を通じてはかられる、ことを告げている
~最高裁学テ判決(1976年)でも採用された考え方
「憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由をも含むと解されるし、更にまた、専ら自由な学問的探究と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によつて特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない」
⇔この人格的な接触の深さ /同じ教員であれば、子どもと言葉を交わしたり問いかけたり、悩みを聞いたりなど親身に接触する時間(メモ者 かつ、教員の側に身体的・精神的にゆとりの有無)に規定されるでしょう
⇔ 学習でいえば、子どもの理解の仕方や状況を理解し、その子どもの学びを伸ばすために、「子どもの個性に応じて」、個別に接する時間に規定される。
→少人数学級の方が、子ども一人ひとりに費やせる時間が多いのは当然/ 文科省の全国調査で、9割を超える教員が「効果あり」と答える手いるのは、教育の論理と一致する
→ 「その効果がわからない」という余地はない
3.財務省のブラック・エビデンス論
財務省の「エビデンス論」・・・教育予算の歳出削減という要求—本質的には財界の要求のために、都合よく「利用」したもの
(メモ者 公教育の縮小→教育産業の拡大という線と、自主的批判的考えの主権者を育てない、という権力支配の線がある)
◆“ないものを持ってこい”と少人数学級を門前払いする
・第一の作戦 「教育予算にエビデンスを求める」こと
~その出発/民主党政権下で小1の35人学級開始、小2に伸ばす際の文科省と財務省の激しいやりとりの末の「合意文書」
「今後の少人数学級の推進等については、効果検証を行いつつ、検討する」(2011.12.24)
→ その後は「効果検証」を立てに、35人学級を阻止
・政府の「骨太方針」に登場~ 「骨太方針2013」から、エビデンスという言葉が登場、その後、毎年度、同趣旨の記述
~「教員数を現状より増やすのであれば、それにより教育効果が高まることにつき、客観的・科学的な根拠を示す必要がある。効果を説明する責任は文部科学省の側にある」(15年11月 行政改革推進会議・公開検証の「取りまとめ」)
・そもそも教育については、計量経済学的な「エビデンス」のセンサーは困難かつ未完成/研究者の意見も様々
→ つまり、財務省は、「ないものを持ってこい」と言って、阻止しているだけ
◆みずから、否定的な“エビデンス”をつくりだす
・第二の作戦 財務省自身の頭脳により、「効果はない」という“エビデンス”“理論”をひねり出すこと
~ 2つの例を紹介
①「40人学級に戻すべき」と主張(2014年)したさいの「根拠」
・小学校全体のいじめ認知件数、暴力行為件数、不登校件数のうち小学1年生の占める割合、という「指標」を「採用」
40人学級の5年間と、35人学級の2年間を比較し、「いじめ、暴力件数が少し増加している」から「35人学級には明確な効果があったと言えず、厳しい財政事情を考えれば、40人学級にもどすべき」
・「エビデンス政策」の前提、「ランダム化比較試験」をまったく無視
学級規模だけでなく、経済格差の拡大、学校現場での競争や統制の強化、衝撃的な事件によるマスコミ報道・世論の高まりを背景にした認知件数の増加など多様な要因で変化する/ それらの要因を取り除かないと、比較できない暴論
② 2015年の主張 15年間で加配教員3万人、いじめ・校内暴力増加。「授業の専門家」・教員を増やすことに根拠はない
・これも①と同様の暴論
・さらに、「『授業の専門家』である教員」と、教員は授業の専門家であるとの珍論を創り出す
⇔ 教員は、授業の専門家と同時に、生活指導の専門家/ケンカの仲裁、具合の悪くなった時の対応など(コロナ禍であれば、手洗い、三密会回避などの感染防止の配慮も)、誰がやるのか!
★財務省の、ないものを持ってこいと国民の願いを門前払いし、自ら荒唐無稽な「エビデンス」を創作する--ブラック・エビデンスは批判されなくてはならない
⇔ コロナ禍の下、日本の教育は、財務省のブラック・エビデンスを乗り越えて、前進しようとしている。
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