教育勅語は「普遍的な価値や教えが記されている」 浜田高知県知事の暴論
西内県議の教育勅語の現代語訳について感想を聞く」との質問に。
浜田知事は“家族の和、自己研さん、社会貢献など普遍的な価値や教えが記されている。日本人の美風を守り引き継ぐ必要性を説いたものだが、国際的な普遍性を視野に入れている点が新鮮だと受け止めた。普遍的に価値のあるものを大切にしつつ、時代の変化とともに新しく変化を重ねる「不易流行」が大切だと改めて思った。”
と今朝の地元紙に紹介されている。
1948の排除決議採択時に指摘された、バラバラに徳目を持ち出すという「將來濫用される危険」そのもの、勅語の「枠組み」論という本質を全く理解してない。
基本的人権、平和的生存権を柱にした教育は、国のために命を捨てることを最高の道徳とした戦前の教育の否定、断絶から出発しており、憲法尊重義務を負う知事の資格にかかわる問題と言える。
以下、排除決議についての当時の国会議論などから・・・。
教育勅語は、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と天皇の為に命を投げ出すことを教えていたもので、本理念が基本的人権を損なうものとして排除、失効が国会で決議されている。
「教育勅語等排除に関する決議 昭和23年6月19日 衆議院決議
民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅が、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
右決議する。」
◆松本淳造 共同提案者としての説明より
「從來の封権主義的、軍國主義的、超國家主義的な、そういつた理念、精神から、個の尊厳を確認しますところの民主主義的な精神の切替え、改革といつたようなものが、まだまだ十二分にはなされていない、世界の水準にもなお達していないということは、遺憾ではありますが、事実と言わなければならないのであります。」
「われわれは新らしき憲法の精神に則り、民主的で文化的な國家を建設して、世界平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示し、個人の尊嚴を重んじ、眞理と平和を希う人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造を目ざす教育を普及徹底しなければならないと、かように規定しでいるわけであります。
ところが、かように明確に規定しているのでありますけれども、遺憾ながらその規定及びその内容が、國のすみずみまで生命的に行き渡つていないうらみもあるのであります。そして、その効力を失つてしまつておりますところの教育勅語、あるいは陸海軍人に賜りたる勅論、または戊申詔書、青少年学徒に賜りたる勅語等、これら教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格をもつているかのごとく誤解されている向きもあるのであります。」
「われわれは、その教育勅語の内容におきましては、部分的には眞理性を認めるのであります。それを教育勅語のわくから切り離して考えるときには眞理性を認めるのでありますけれども、勅語というわくの中にあります以上は、その勅語そのものがもつところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができないという観点をもつものであります。」
◆ 國務大臣(森戸辰男) 教育勅語等排除に関する決議採択後の賛意と所見より
「敗戰後の日本は、國民教育の指導理念として民主主義と平和主義とを高く揚げましたが、同時に、これと矛盾せる教育勅語その他の詔勅に対しましては、教育上の指導原理たる性格を否定してきたのであります。」
「さらに思想的に見まして、教育勅語は明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたいものであることは明らかであります。教育勅語は明治憲法と運命をともにいたすべきものであります。」
「かようにして教育勅語は、教育上の指導原理としては、法制上はもちろん、行政上にも、思想上にも、その効力を喪失いたしておるのであります。」
「ところが、この点につきましては、永年の習慣から誤解を残すおそれもあり、また將來濫用される危険も全然ないとは申されません。そこで、今回の決議に基いて、文部省より配付いたしました教育勅語の謄本は、全部速やかにこれを文部省に回収いたし、他の詔勅等も、決議の趣旨に副うて、しかるべく措置せしめる所存であります。かくいたしまして、眞理と平和とを希求する人間を育成する民主主義教育理念を堅くとることによつて、教育の刷新と振興とをはかり、もつて本決議の精神の実現に万全を期したいと存じておる次第でございます。(拍手)」
それは侵略戦争を推進した反省にたち、
①詔勅の根本理念は、主権在君並びに神話的国体観に基いており、国民主権、民主主義と平和主義を掲げる憲法とあいいれない。
②「個人の尊嚴を重んじ、眞理と平和を希う人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造を目ざす教育」と相容れない。
ことから排除の決議がなされている。
しかも、今日の議論を予見したかのように
①「教育勅語は、教育上の指導原理としては、法制上はもちろん、行政上にも、思想上にも、その効力を喪失」しているが、「永年の習慣から誤解を残すおそれもあり、また將來濫用される危険も全然ない」とい言えず、決議にもとづく徹底した措置の必要を指摘している。
②「われわれは、その教育勅語の内容におきましては、部分的には眞理性を認めるのであります。それを教育勅語のわくから切り離して考えるときには眞理性を認めるのでありますけれども、勅語というわくの中にあります以上は、その勅語そのものがもつところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができない」
と、部分的に徳目を抜き出して「教育勅語」を擁護するような扱いを批判している。
◆「十数個の徳目を抜き出して、間違っていないとする主張」について
上記の「勅語という枠の中」というとらえ方が重要。
その枠組みとは、「天皇の家来が守るべき道徳」として「上から命令された道徳」であり、その目的は「国のために命をなげだす教え」にある。
①天皇の家来が守るべき道徳
「教育勅語は天皇の家来として守るべき道徳を国民に指示したもので、天皇を頂点とする封建的序列社会の道徳だ。個人の尊厳や男女の本質的平等を前提とするものではない。さらに、国民の道徳を、君主や国が上から一つに決めること自体が問題だ」(三上昭彦明大教授)
「道徳は、互いの批判や話し合いの中でできてくるものだ。道徳教育は必要だが、これが正しい道徳だ、と公権力が決めるものではない。君主や国家に道徳を決めてもらうのは、近代的な人間とはいえない。教育勅語による教育の大きな弊害は、上から言われたことに従う人間、自主的判断力のない人間をつくったことだ」(岩本努法政大講師)
②国のために命をなげだす教え
教育勅語には、人の命の大切さという「徳目」はない。「父母に孝に」などの徳目は、すべて「一員(いったん)緩急あれば義勇公に奉じ以って天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし」につながっている。
〇実例・・勅語の教えと一致する、日本軍の極端な「命の軽視」
①日本軍はアジア太平洋の戦場で、二百数十万の戦没者を出しました。しかし、その大部分は、戦って死んだのではありません。半分以上の百数十万人が餓死者、飢えて死んだのです。それは食糧補給の手だても講じないまま、何万、何十万の軍隊を平気で前線に送り出した、まさにその結果でありました。自国の軍隊の人命をこれほどまでに軽視し、無残に扱った戦争は、世界史にもほかに前例のないもの。
②1945年の出来事です。もう戦争に活路はない、これは誰の目にも明らかでした。しかし、そのとき、天皇制国家をそのまま残す保証がないといって、平和交渉が拒否されました。あのときに和平交渉に踏み切っていたら、本土大空襲も、3月~6月の沖縄戦も、8月の広島、長崎も、そしてソ連の参戦による満州、樺太の悲劇もなかったはずです。ところが戦局打開の何の見通しも計画もないのに、国体護持を全国民の命よりも優先させ「本土決戦」「一億玉砕」、これを叫び続けた天皇制国家の指導者たちこそが、1945年の国民的な大惨劇を引き起こした。
(以上、不破哲三講演より 2012年)
〇教育勅語発布の翌年、文部相の指示で発行された解説書にも・・・
「これら一切の愛情(親子、兄弟、夫婦、友人相互の愛)を合合するのは愛国心であり、国のために命をも捨てるべき事態があれば、喜んで命を投げうたない者がいるだろうか」(勝部真長、渋川久子『道徳教育の歴史』)。
→いざというときには天皇のために命を捨てることが、すべてに優る最高の道徳だと子どもに教え込み、国民を侵略戦争に駆り立てた。
このように、基本的人権を否定し、国家が国民の内心を統制し、国を誤らせたものとして、「教育勅語」を廃止、断絶したもとに、今日の教育がある。
「教育勅語への反省に立って教育基本法は教育の自律性をうたい、権力が国民の内面に関与することに自制的であるべきだという原理を内在している」、(堀尾輝久前日本教育学会会長)
しかも、1948年の時点で、「將來濫用される危険」、そして勅語の「枠組み」論に言及していることをもう一度噛み締める必要がある。
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