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AI(人工知能)による「個別最適化された学び」は可能か(メモ)

 梅原利夫・和光大学名誉教授 (前衛2020.12)の論稿。副題は“中教審「中間まとめ」に至る学び論の迷走”

 そもそも経産省、教育情報業界マターであったAIを活用した教育産業の振興が、コロナ禍での遠隔授業を余儀なくされる中で、文科省の取組によこすべりしてきたもの。

  そもそも、画一化した暗記ものの反省から、「主体的・対話的な深い学び」へ軸足が移る中で、学習ログにもとづきAIによって個別に提示された「最適化のプログラム」がどう関係するのか、あらたな混乱をうむのではないか・・・

 そういう問題意識もあってまとめたメモ。

  なお「中間まとめ」に対し全教が意見を提出しているので、あわせてそれも(「個別最適化・・・」だけで全般にわたるもの)

 【中央教育審議会「中間まとめ」に対する全日本教職員組合の意見  2020/11/2

AI(人工知能)による「個別最適化された学び」は可能か 中教審「中間まとめ」に至る学び論の迷走

 梅原利夫・和光大学名誉教授 (前衛2020.12

 ◆はじめに

・中教審「新しい時代の初等中等教育の在り方について」中間まとめ 2020.10.16

~目玉の1/AI、ICTのもとでの「学びの在り方」を提案すること/ 基本路線で語られていた「個別最適化された学び」が、中間まとめの段階になり、突如、「個別最適な学び」に転換 ⇔ わずかな変更のように見えるが 大きく異なった意味に

⇔ その転換過程に、今日の教育政策の問題点が露呈

 

Ⅰ 「個別最適化された学び」から「個別最適な学びへの転換 

・突然の転換/「化された」…諮問から1年3か月の今年7月まで/ 8月20日「骨子案」で「な」に変化

~ この変化の間に教育課程部会(7/27)/議題「個別最適化された学び」

 *重大な変化とは ⇔ 学びを「最適にする」主体にかかわる問題

・「化された学び」では、主体は・・・ICT環境下のAI ⇔ 子どもの学習履歴(学習ログ)を大量に集積(ビッグデータ、BD)、そのデータをもとにAIが個々の子どもに合った(と情報操作した)学習課題を提示し、学習を促す仕組み /子どもは「客体」として、その学習プログラムに従って行くことで、効率的な学びが実現できる、という論理構成

・「な学び」の表現では・・・その主体があいまい/子どもの選択行動で獲得するという解釈も可能に

→ なぜ、そのような転換の断行が必要になったのか?

 

Ⅱ AIによる「個別最適化された学び」という不動の路線 

1.「個別最適化された学び」は、いつ誰がどのような文脈で政策用語にしてきたか

・中教審審議以前の文科省の文書では・・「Society5.0にむけた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~」(18.6.5

→この報告は、中央教育行政にあたる部署の主体的な独自の分析の形跡なし/ 従来の経産省主導の路線の踏襲したものに過ぎない= 社会像は、Society5.0AI開発、人材像「飛躍的知を発見・創造する人材」「新たなビジネスを創造する人材」であり、AI・個人学習ログ活用、学習プログラム提供など

→しかも文科省のリーディングプロジェクトの第一項に位置づけけられ、文書の最後は「(こうした)施策を着実に実施していくことが、今後の教育行政に課せられた使命」と、固い決意で終わっている

2.先行した経産省EDTech研究会

・「個別最適化された学び」の用語・・・経産省、教育情報産業などで広く流布されていた/経産省EDTech研究会が推進役を務め、それに追随するように、文科省GIGAスクール構想が打ち出された/ 不動の路線として築かれてきた

 

Ⅲ 転換を促した教育課程部会での議論とその取扱い 

1.教育課程部会での議論――公開された議事録から

・基調的報告「ICTを用いた個別学習システム・・・非常に大きな可能性がある」とし、「個に応じた指導」は、世界でも日本でも、近代学校の一斉画一没個性的な方法への批判と改革の動機を持って様々に試みられてきたことを時系列的に紹介。日本では、71年中教審答申で「指導の個別化」「学習の個別化」を提起など/ が、21世紀になり、個別化・個性化は衰退していった/ 理由として ①「個別化が学力の低下や格差を助長するという議論があった」 ②「個別化は孤立化」なんだという批判があった。そして近年「やっぱり注目すべきは、AIを用いた個別学習システムの開発と普及が進んでいる」と強調

 ⇔ 今後の論点とし「個別最適化にのる学び」では、学力低下・格差批判の典型は「習熟度学習」は「原理的に忠実でない実践」のよるもので「個別化された学び自体を批判するのは誤り」と言う。次に「最適化の判断を誰がどう行うか」について、海外では「教師やシステムが最適かの判断を一方的に行う」こともあったが、日本では「最終的な判断は、原則として子どもにゆだねることが多かった」。そのためには「子どもがメタ認知の能力とか自己調整の能力」を深めていくことに注目したい。/さらに危惧されることとし「AIによる情報推薦」が「無視や抵抗のしがたいものと映る可能性がある」、個人情報には「人権等の問題」があり慎重さが求められる。こういう点への「十分な配慮・検討が必要だが「非常に大きな可能性がある」と結ぶ

 ・その後討議のあと、副部会長の長い発言で部会は終了

〇副部会長 個別最適化は、何を批判の対象としたか。それは一斉画一的な授業 / 2000年以降、教育界は変わってきた。それは、対話し、協働的に学ぶこと / 学習指導要領では「個別最適化」は使っていない。「個別」も「最適化」も古めかしい言葉。基準を達成するためには、こんな特性をもった子供はこうやって学ぶと、一番、効率よく出来ますよという考え方。/この言葉の定義は2通り――

  • ①昔の意味 テストスコアを最も効率よく上げるためにはこんな学び方をするといいというのを、一人一人に処方して、そうするといいですよ
  • ②昔と違う広い意味、個に応じた教育 一人一人によって課題も違う、ゴールも違う、今はこういうものを個別最適化という

 ・この部会の論議をうけた作業の中で、「骨子案」による用語の転換が決断されたと推測される

 

Ⅳ 用語転換についての文面上の説明 

1.8月20日「骨子案」で書かれたこと

 「個別最適な学び」への転換は総論の後半部分/ が、「学び論」の背景として重要なのは、前提となる冒頭部分の認識  ⇔ ここに中教審審議の誓約と限界があると思うから

 

(1)総論冒頭部分の認識

 ①いきなり冒頭に未来社会像が、所与の前提認識として示される

 AI、BD、IoT、ロボテックス等の「先端技術が高度化して、あらゆる産業や社会成生活に取り入れられたSociety5.0時代が到来しつつあり、社会の在り方そのものが現在とは『非連続』と言えるほど劇的に変わるとされている」

 →ここには現在、子どもを含む人類が直面している解決が必要な切実な諸課題への言及が一切ない/戦争と紛争の多発、格差拡大と貧困層への議席、地球・自然の乱開発、人種・民族・ジェンダー差別など、まったくなし /情報技術による社会変動が主軸で描かれているだけ

→ 「文明観」が極めて一面的/が、細菌の文科省の公式文書は、近未来社会を、このように描き、そこから「今の子ども達には、これが足りない。あれが必要」という目線で、「仮想の到達点」に子どもを押し出し・引っ張りこむ戦略、と見える

 ②日本の近現代教育の歴史認識 ~ 架空の前  

・明治維新以来の150年を右肩上がりの単調な「発展史」と描こうとしている ⇔ 大日本国憲法と教育勅語による天皇の赤子を育てる(メモ者 反知性の)軍国主義教育と、日本国憲法と教育基本法による主権者を育てる民主的教育との人間観、教育価値の大転換について、意識的に避けられている

~  そして「子供たちのち知・徳・体を一体で育む」ことが諸外国から高く評価されていると自讃し、それを「日本型学校教育」と表現、まとめあげている。

 ③「令和の日本型学校教育」 と、元号で特色づける把握のしかた 

・たまたま令和と重なることで、新しい時代の教育であるかのような幻想をふりまく/ここでもICTによる教育が特色づけ

 

★「基調というべき認識」なおいて、すでに重大な欠陥をもつ(メモ者 前提が空虚。故に、手立てが方向違いなのは当然)

 

(2)「個別最適な学び」への転換の説明

・「今までの表現は適切でないので、こう変えた」という形での説明は一切ない/この数年間、不動のキーワードだったのに!

 

2.この用語転換をどう読むか

  • 重大なキーワードの転換を、正面から説明できなかったこと自体が問題
  • 従前の「個別最適化された学び」がもともと持っていた欠陥~BDを取り込んだAIがあたかも「各自に最も適切な道」を個々人にそれぞれ提供しうるかのように期待するのは幻想であり、その不安を払拭できなかったことの露呈
  • 表面上の文言は変えても、「化された」「な」にしろ、それぞれが持っている問題点は残り続ける /「個別最適な学びは、孤立化した学びに陥ってはならない」とか「協働的な学び」とセットとして持ち出していることは、その証左

★結論として、用語表現の転換は、問題の解決にはならず、問題の抱え込み、矛盾拡大、混迷必至の教育現場への責任転嫁などをもたらす危険性を背負い込んだことになる

3.「中間まとめ」に至る文章表現上の手直し  (略)

 

Ⅴ 「中間まとめ」に内在する矛盾と問題点 

・会議毎に、表現上の手直し。が、骨格は変化なし/「中間まとめ」は、「化された学び」の矛盾、問題点は内在化している 

 .「個別最適な学び」と「協働的な学び」との往還関係とは

・個別化を打ち出せば打ち出すほど、その一面化を緩めるためのベクトルが強調されている

~ そのキーワードが、協働的な学び 

・が、この2者は、必ずしも同一線上の対極にあるのではない

→ 個別化・・・ICT環境下の情報機器による指示と受容である / 協働化・・・人間交流過程を基盤とする(メモ者 個人の違い、多様性を前提に、それ認めあうことでなりたつ関係) 

→ それを「往還=絶えず行きつ戻りつする」関係と表現していいのか?/見せかけの「調和」に過ぎないのではないか

 ・「協働的な学び」にある根本的な問題 ・・・ 「協同」「共同」の用語は意識的に排斥されている/3種類には微妙な違いがあり、一般生活上、さらに研究上も使い分けられている/個別化にあたる学びの用語には揺れ、「きょうどう」は画一的

 

.「主体的・対話的で深い学び」と「個別最適に学び」との不可解な関連

・20年度 新学習指導要領の全面実施  その学び論「主体的・対話的で深い学び」(当初、アクティブラーニングと呼称)

→ 対話的な学びが本格的に推奨される時期に、次の重点は、AI活用の個別化された学び、と言っている状況

→ 教育現場から当然の疑問 「両者の関係はどうなっているのか?」/あれもこれも重要となる以外にはない(深い矛盾)

 

3.個別化された学び論への懸念の表明

・「中間まとめ」にも、「個別化された学び」への懸念の表明が随所で

〇「個別最適な学びの充実に当たっては、それが孤立した学びに陥らないよう、留意する必要(第一部3.1「子供の学び」)

〇「ICTを活用することのみが目的化しないようにするとともに、旧来型の学習観に基づく機械的なドリル学習に偏ったICTの活用に陥らないように注意すること」(第二部6「ICTを活用した学びの在り方(1)」

〇「ICTの活用により…空間や時間を共有することで得られるものが失われる危険に留意し…」(〃)

 →これらの懸念は審議過程で繰り返し指摘された諸点として中間まとめ」に反映/つまり、ICT活用の個別化された学びは、機械的なドリル学習偏重、学びの孤立化をもたらす恐れが、どうしても強いことを示している

 

Ⅵ 学びと指導について自由闊達な実践と議論を 

.学力の法定化は、自由闊達な議論を抑え込む

・「学び論」は、常に根底に「教育と何か」という問いを持ち続けながら、研究が活発に行われることが重要 /よって、学力概念は、法律・文書等で一律に規定されることは全くなじまない

→が、第一次安倍内閣 教育基本法改悪に続き、学校教育法改悪を強行(07年6月) 学力の3要素を規定。その延長線上で、学習指導要領(17年3月) 資力・能力の3本柱を提示

・枠にはめる縛りの強化により、教育現場で「学び論」について、教師の専門性と自主性を尊重し、関係者の間で自由に実践し議論しあう風潮が押しとどめられた。

⇔ そもそも中教審の内部だけで、次代の学び論をまとめていくことに危うさがある

 

.「個別最適化された学び」が言われてきた不動の文脈の危うさ

・「個別・・・」は、初めからICT環境下でBDを集積したAIが個別の子どもの学習の流れと課題提供を行うという文脈で使用

~ 背景は、政府が描くSociety5.0の未来社会像があり、先行実施した教育情報産業や経産省の路線が敷かれていた/そのために23年度までにすべての子どもに一人一台の端末を実現するとしていたGIGAスクール構想は、コロナ禍で必要に迫られた遠隔事業実施のため、二度の補正で、義務段階では20年度実現に前倒し

 ・もともとAI ――正確にはAI技術の応用のことで、人工的に「知能」なるものが組み立てられるわけではない

→ AIの得意分野 大量の情報を集積し実施されるアルゴリズム(課題解決のための演算手法)やドリル型の操作の流れ、さらには囲碁・将棋の定石と言われるような分野/ つまり、+-(プラス・マイナス、オン・オフ)の条件反射作用による「次の手順・チャート」の提示 /一般に誤解される「知能」とは全く異なった世界

例) ネット上で本の購入を繰り返していくと、「あなたにお勧めの本」が紹介される・・・購入本のデータに関するキーワードの蓄積から、関連するものを提示/実際に読みたい本と一致しているわけではない/キーワードに基づく単なる操作

 ・そもそも教委や学びの指導の過程には「最適化された、あるいは最適な」という用語はなじまないのではないか/なぜなら適切な指導の実現とは、試行錯誤を繰り返しながら「あれやこれや」でと実践の過程で悩みながら求め続けていくものであって、「これが最適である」という断定は禁物であり不可能だから

 (メモ者 個々人に、認識や考え方の癖があり、興味関心の違いがあり、どんな題材をどう扱うことで、関心と興味、意欲を引き出し、「腑に落ちる」ところまで理解をすすめることができるか・・・きわめて多様性をもっているはず。しかも、対話には、自分の意見を主張することと他人の異なった意見を受け入れるという態度を、姿勢そのものを育てる・・・それはまわりが共感をしめし、時に促し、励ましたりする応答関係を通じて・・・ことと一体でなくてはならない、と思う)

 ⇔ 学習、指導の過程で、ICTを活用することは重要である(メモ者 特に映像の使用)、が、AIが「最適化された学び、あるいは最適な学び」を選択し指示することは極めて困難。無条件に指示に従うことは危険

・教育的指導は、あくまで、人間が主体であり、機器は用具(ツール)

 

4.教育課程部会などの審議内容が合流して議論が拡散し不整合に

・中教審・諮問文「一人一人の能力、適性に応じた学び」の実現が、各種の部会論議をうけ、ICT活用の路線に留まらず必然的に拡散し、特別部会にそれを集約する段階でさらな大きな困難と問題点を抱え込んだ

~特に、教育課程部会は、正面から「学び論」を扱う部会/広い視野からの学びを議論~「個に応じた指導」の経験から「指導の個別化と学習の個別化」の議論、焦眉の課題としての「主体的・対話的で深い学び」の実現、学習心理学で注目されている「自己調整学習論」についての議論などなど

→ 委員それぞれの異なる多様な「学び論」に関する意見が、「中間まとめ」作業の中で合流。/そこには逆流、異質流を含み、整合しきれいない困難点が表面化/ 「個別最適の学び」への用語の転換はその象徴

→ 一時的な妥協の面が強い/本流がどれかによって、再び不整合が表面化せざるを得ない

 

5.教師と子どもによる指導の学びの過程に教育的価値を

・ICTの活用は、学びの本質が、子どもの学ぶ権利が生かされる方向で深められることにある

 *憲法26条  「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」を、「発達の必要に応じて」と読み込んで、ゆきとどいた教育を等しく受ける権利保障としうけとめたい。

*教育基本法1条 経済競争の担い手としての人材育成の対象者ではなく、「人格の完成を目指」す教育を正面に

*子どもの権利条約29条(教育の目的) 文字通り「子どもの人格、才能並びに精神的及び身体的な能力を、本来可能としてもつ最大限度まで発達させること」を目指していく

~「学びの在り方」を問うのであれば、以上にあげた教育固有の価値の実現に有効に働く学び論を求めていきたい

 ・やがて「答申」に向かっていくが、本来的な教育的価値の実現に少しでも寄与する方略・対案を創り出して行きたい

 ★「中間まとめ」には、「少人数編成や指導体制への提案」「特別支援学校に備えるべき施設等を定めて設置基準の策定」など、国民的な運動を反映し、教育条件の前進に結びつく可能性を持った提案もされている。本稿は、Society5.0という社会像を前提としたAI主導の学び論が持つ問題点に焦点をあてたもの

 

 

 

中央教育審議会「中間まとめ」に対する全日本教職員組合の意見    2020/11/2

全教は、107日に発表された中央教育審議会「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(中間まとめ)」に対する全教の意見を、1022日に提出しました。

全教の意見では「競争主義的な教育制度をあらため、教職員定数を抜本的に改善し少人数学級を実施することが必要であることの明示を」「教員未配置の要因のひとつであり、教員の負担増となっている教員免許更新制度は廃止すべき」など、11項目について意見を述べています。

 

1.競争主義的な教育制度をあらため、教職員定数を抜本的に改善し少人数学級を実施することが必要であることの明示を。

 ○ 子どもたちの実態について、子どもの貧困や生徒指導上の課題(いじめ、暴力、登校拒否・不登校、自殺問題など)等が指摘されていることは重要である。その要因を分析し、実態を踏まえた施策の検討が求められる。

 ○ 国連子どもの権利委員会日本政府第 45 回統合報告審査最終所見は、「社会の競争的な性格により子ども時代と発達が害されることなく、子どもがその子ども時代を享受することを確保するための措置をとること」(C.一般原則 20)、「あまりにも競争的な制度を含むストレスフルな学校環境から子どもを解放すること」(G.障害、基礎的健康及び福祉 39(b))と競争的な教育制度をきびしく指摘している。競争主義的な教育制度によるプレッシャーが、子どもの貧困と格差の拡大のもとで、登校拒否・不登校、暴力行為、いじめ、自殺の増加の要因となっている。また、自己責任論が押しつけられるなかで、「勉強できないのは自分のせい」など子どもたちが自己肯定感を持てない実態を直視する必要がある。

 ○ 子どもの貧困と格差の拡大を是正し、子どもたちを包括的に保護する施策を拡充することが求められる。全国学力学習状況調査に代表される競争主義的な施策をあらため、すべての子どもたちの豊かな成長・発達を保障するための教育条件整備をおこなうことこそが必要である。また、ゆきとどいた教育を保障する少人数学級の実現が求められる。義務・高校標準法を改正し教職員定数を抜本的に改善して正規の教職員を増やし、少人数学級を実施することが必要であることの明示を求める。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅰ部総論 2.日本型学校教育の成り立ちと成果,直面する課題と新たな動きについて

(3)変化する社会の中で我が国の学校教育が直面している課題 (P8

「相対的貧困20率は13.5%であり,7人に1人の子供が相対的貧困状態」

「平成 302018)年度の小・中・高等学校におけるいじめの認知件数や重大事態の発生件数,暴力行為の発生件数,不登校児童生徒数」

「平成 302018)年の小・中・高等学校における児童生徒の自殺者数」

「いじめの重大事態の発生件数や児童生徒の自殺者数」

「児童相談所における児童虐待相談対応件数」

 

2.「個別最適な学び」が、子どもたちをいっそう個別に競わせる「孤立した学び」となることが危惧される。

○ 競争的な社会や競争主義的な教育制度のもとで自己責任論が押しつけられる中では、子どもたちが自ら学習課題を設定・調整し主体的に学習することは困難であり、いっそう個別に競わせ、「孤立した学び」に陥ることが危惧される。さらに、AIの活用などICT活用の推進により、現実の子どもたちの生活から出発した多様で柔軟な教育課程づくりが困難となる危険性もある。

 ○ 「指導の個別化」として「粘り強く取り組む態度」の育成を強調することで、表面的な「態度」を取り繕うことや、子どもたちの内面を評価することにつながる恐れがある。また、「自己調整力」の育成を機械的に強調することが、とりわけ幼稚園や小学校低学年などで発達段階をふまえない指導や評価につながることが危惧される。

○ これまでから学校現場では多様な子ども同士での共同の学びが重視されてきた。新型コロナ感染拡大による学校休校が余儀なくされる中で、子ども同士が関わり合い共同で学び合うことが、学校生活への復帰や全人格的な成長・発達に重要であることがあらためて示された。「協働的な学び」について「持続可能な社会の創り手として必要な資質・能力」を育成するために「『協働的な学び』も重要」とすることは、子どもたちの全人格的な成長・発達のためではなく、社会や国のための「人材」育成のためのものと言わざるを得ない。

【中間まとめの関連個所】

第Ⅰ部総論 「3.2020 年代を通じて実現すべき「令和の日本型学校教育」の姿」 (P1415

「子供たちに自ら学習状況を把握し,学習の進め方について試行錯誤するなど自らの学習を調整しながら粘り強く取り組む態度を育成すること」

「教師が,学習履歴(スタディ・ログ)や生徒指導上のデータ,健康診断情報等を ICT の活用により蓄積・分析・利活用しつつ・・・」

「持続可能な社会の創り手として必要な資質・能力を育成する『協働的な学び』も重要である」

 

3.義務教育段階で修得主義を取り入れることは、「教育の複線化」と格差拡大を招く恐れがある。

 ○ とくに義務教育段階において、「履修主義と修得主義を適切に組み合わせ」るとし修得主義を取り入れることは、留年や落第を生み出すことにつながり、競争主義的な環境のもとでいっそう格差を拡大することにつながりかねない。「教育の複線化」へ道を開くものとなる危険性がある。高校において、すべての子どもたちの学力を保障する環境を整えることや、卒業後の進路を保障することが求められる。

 ○ 「特定分野に特異な才能を持つ児童生徒に対する指導」を強調することとあわせて修得主義を取り入れることをすすめることは、「飛び級」制度の各学校段階への導入など、すべての子どもたちの全人格的な成長・発達の保障が阻害されるおそれがある。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅰ部総論 「4.「令和の日本型学校教育」の構築に向けた今後の方向性」 (P2223

「義務教育段階においては,(略)教育課程を履修したと判断するための基準については,履修主義と修得主義を適切に組み合わせ・・」

「高等学校教育の特質を踏まえて教育課程の在り方を検討していく必要がある。」

 

4.ICT 活用に関し、条件整備の格差が生じないようにすること、教職員の自主性・専門性の担保を求める。

  ICT 環境の整備は、「教師を支援するツール」として活用するために行うとされている。しかし現時点では、「ツール」どころか、器具の不具合や通信環境の脆弱さ、使用法の複雑さなどによって、教職員の負担が増大している。1 1 台端末の配備で終わらせず、地域間格差や家庭の経済状況による格差が生じないよう、ひきつづき、条件整備のための十分な予算措置を求める。

 ○ 学習における ICT の活用は、子どもたちがさまざまな課題を追究するために、調べたり、まとめたり、発表したりする際の「ツール」として有意義なものだと考える。

一方、「オンデマンドの動画教材」「デジタル教科書・教材」など、既成の教材や指導方法を“流す”タイプのものは、「その流れに乗っていけばよい」などと授業が画一化されてしまうことを危惧する。教師は、ICT 活用はもちろん、読書、見学、体験など様々な機会をとらえて研修を行い、担当する子どもたちに合わせて教材を準備し、授業をすすめている。教育活動をすすめる上で、このような教師の自主性や専門性が担保されることを求める。

「『学習履歴(スタディ・ログ)』をはじめとした様々な教育データの蓄積・分析・利活用」によって、「個別最適な学び」が行えるとされていることについても同様である。子どもの観察やテスト、課題などを通して一人ひとりの習熟状況を把握した上で、授業を改善したり、それぞれに合わせて指導したりするとりくみは、教育活動の中軸である。教師がそのために十分な時間を充てられるよう、条件整備を求める。

○ 学習履歴(スタディ・ログ)などの「教育データの蓄積・分析・利活用」、「学校健康診断の電子化と生涯にわたる健康の保持増進への活用」が強調されている。「個人情報保護や情報セキュリティに配慮しつつ」と書かれてはいるが、すでにさまざまな場面で個人情報の流出が生じ、社会問題となっている。マイナンバーとの紐づけといったことも報道されており、ビッグデータの集積については保護者からも懸念の声が上がっている。事実上、公教育の場から営利を目的とした民間産業に個人情報を預けるようなことには、慎重を期すべきである。

 ○ 「ICT 人材の確保」について、「企業との連携」、教育委員会の「意思決定を伴う立場への配置を促進」などの記載がある。「ICT 人材」活用や「助言・支援」は、技術的な側面に絞って行われるべきである。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅰ部総論 4.「令和の日本型学校教育」の構築に向けた今後の方向性

 (3)これまでの実践と ICT との最適な組合せを実現する (P2122

第Ⅱ部各論 6.遠隔・オンライン教育を含む ICT を活用した学びの在り方について(P5863

 7.新時代の学びを支える環境整備について

 (4)学校健康診断の電子化と生涯にわたる健康の保持増進への活用 (P64

 

5.小学校高学年への教科担任制導入は各学校の実情に合わせ、柔軟に。専科教員の増員を。

 ○ 小学校高学年への教科担任制の導入は、子どもたちの学びの質を高めることができる、担任だけでなく複数の教員でクラスの指導にあたることができるなど、積極的な意義がある反面、配慮すべき課題もある。たとえば、義務教育学校などで実施したところ、子どもたちが学級担任と一緒に過ごす時間が大幅に減ることにより、「トラブルが起こっても、その場ですぐに対応できない」「次々と先生が入れ替わることで子どもが落ち着かなくなってしまった」「教科横断的な指導がしにくい」などの課題が生じ、見直しを行った例もある。子どもの発達段階に見当ったものにするなど、配慮すべき課題についても書き込まれるべきではないか。

  2022 年度から導入し、対象教科の例として外国語・理科・算数をあげているが、現状との乖離があるのではないか。文科省の調査によれば、高学年における教科担任制を実施している教科は、音楽(5 年:54.0%、6 年:55.6%)、理科(5 年:45.1%、6 年:47.8%)、家庭(5 年:33.9%、6年:35.7%)、書写(5 年:26.6%、6 年:26.8%)の順に多い。実施する教科と時数については、一律に押しつけるのではなく、子どもたちの状況、教職員配置の実情を踏まえて各学校で工夫できるよう、柔軟な制度にしていただきたい。

 ○ 長時間過密労働が続く中、特に小学校教員の「持ちコマ数の軽減や授業準備の効率化」は焦眉の課題である。教科担任制と言っても、学級担任どうしが授業を交換して他のクラスを担当する方式では、「持ちコマ数の軽減」にはつながらない。専科教員の増員が必要である。義務標準法制定時に教職員配置の基準にされた「1 4 コマ(週 5 日制にあてはめれば週 20 コマ)」程度の持ちコマ数が可能となるよう、いわゆる「乗ずる数」を増やすなどの法改正を求める。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅱ部各論 2.9 年間を見通した新時代の義務教育の在り方について

(3)義務教育 9 年間を見通した教科担任制の在り方

①小学校高学年からの教科担任制の導入 (P3536

 

6.20 人程度の少人数学級編制への移行をめざし、教職員定数の抜本的改善を。

 ○ 今の教室の広さと 40 人学級の下で、身体的距離を確保しながら子どもたちの学びを保障することができないことは、誰の目にもあきらかである。子どもどうしが 2mの距離を取るためには、20人程度の学級編制が必要であり、机のサイズを大きくするのであれば尚のこと、それは当然の要求である。文科省概算要求には「学級編制の標準の引下げも含め……検討」と言及されている。答申においては、ぜひ具体的な目標を示されたい。

 ○ 多くの学校が、分散登校の時期にクラスを分割して少人数の編成で授業を行い、「1 時間のうちに何度も発言できた」「わからないことをその場で質問できた」「全ての子どもに目がゆきとどき、ゆとりのある授業ができた」など、子どもたちからも教員からも歓迎の声が上がった。少人数学級の実現は、1 人ひとりが大切にされる、ゆきとどいた教育の実現に不可欠の条件である。新しい時代の教育のあり方として、まず、20 人程度の学級編制をめざし、計画的に少人数学級への移行を推進されるよう求める。

 ○ 少人数学級に移行するためには、義務標準法を改正して学級編制標準の引下げをはかり、それに合わせて新たな定数改善計画を策定することによる、正規教員の増員が必要である。学級編制標準を引下げずに「指導方法工夫改善」の加配を学級担任に充てたり、子どもの数の減少を見越して非正規教員の採用を増やしたりすることは、教職員の負担増につながり、「教育に穴があく」実態をいっそう深刻なものにしてしまう。前項で述べた専科教員の増員と合わせて学級担任の数を増やすための定数増を行うことが求められる。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅱ部各論 7.新時代の学びを支える環境整備について

(1)基本的な考え方 (2)新時代の学びを支える教室環境等の整備

(3)新時代の学びを支える指導体制等の計画的な整備 (P6364

 

7.「適格者主義」を助長する高校教育「特色化・魅力化」を押しつけるべきではない。

○ 「高等学校の特色化・魅力化」として、「スクール・ミッション」に沿った「資質・能力」を押しつけることは高校教育の自主性・自立性を奪うことになる。

高校は教育の場であり「サービス産業」ではない。「特色化・魅力化」によって高校間の競争をあおられ、生徒集めが激化し、高校間の協力共同の実践が形骸化させられている。新自由主義的な企業の生き残りをかけた競争を教育に持ち込み、自分さえよければよいという発想に立たせる結果を招く「特色化・魅力化」の強調はすべきでない。

とりわけ、「スクール・ミッションの再定義」は、高校にあるとされる「適格者主義」的な考え方をいっそう助長し、生徒を高校にとって適格かどうかで判断し不適格な生徒を排除するものである。こうした考え方は差別・選別と競争・格差を強化拡大するばかりである。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅱ部各論 3.新時代に対応した高等学校教育の在り方について

(2) 高校生の学習意欲を喚起し,能力を最大限に伸長するための各高等学校の特色化・魅力化

①スクール・ミッションの再定義(各高等学校の存在意義・社会的役割等の明確化)(P40

「各高等学校が育成を目指す資質・能力を明確にする」

「学校の歴史,現在の社会や地域の実情を踏まえて,また,20 年後・30 年後の社会像・地域像を見据えて,各学校の存在意義や各学校に期待されている社会的役割,目指すべき学校像をスクール・ミッションとして再定義することが必要である」

 

○ 「普通科改革」では、「学力」による序列化の上位の一部をさらに引き上げることをねらい、それ以外の生徒を普通科の解体・再編で生み出す「普通科」に押し込もうとしていることが明らかである。「スクール・ポリシー」で特色や魅力を無理につくらずとも、すでに各高校には特色があり魅力もある。国や地方自治体、教育行政などが意図的につくり出そうとすればするほど、今いる高校生や卒業生たちの思いと乖離したものとなる。

意図が不明確な中で無理に「改革」を行うことは、これまでに文科省が手掛けてきた様々な「無理な改革」とその失敗と同じ轍を踏むことになる。「改革」を行うなら丁寧な説明で、当事者たる高校生やいずれ高校生となる子どもたちが本当に必要だと感じるものとすべきである。ここで示された「改革」はだれがそれを必要としているか明らかにされていない。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅱ部各論 3.新時代に対応した高等学校教育の在り方について

(2) 高校生の学習意欲を喚起し,能力を最大限に伸長するための各高等学校の特色化・魅力化

③「普通教育を主とする学科」の弾力化・大綱化(普通科改革) P 41

「普通教育を主とする学科を置く各高等学校がそれぞれの特色化・魅力化に取り組む

「『普通教育を主とする学科』の種類の弾力的・大綱的な措置をとる」

 

○ 「専門学科改革」は、専門高校を企業・産業界が求める「人材」育成に特化した「専門学校化」、「職業訓練校化」しようとしている。専門高校は職業技術のみを身につける場ではない。普通科高校と共通する高校生としての成長・発達の場であり、その際、企業・産業界を含む社会のあり方を見つめ、批判的な精神を身につけることも必要である。企業・産業界の望む通りの「人材」育成を、「産業界と高等学校と一体」にすすめることではない。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅱ部各論 3.新時代に対応した高等学校教育の在り方について

(2) 高校生の学習意欲を喚起し,能力を最大限に伸長するための各高等学校の特色化・魅力化

④産業界と一体となって地域産業界を支える革新的職業人材の育成(専門学科改革)

(P41

「地域の持続的な成長を支える最先端の職業人育成」

「地域の産業界で直接的に学ぶことができるよう,産業界と高等学校と一体となった,社会に開かれた教育課程の推進」

 

8.「インクルーシブ教育」は一人ひとりの発達を保障することであり、「共に行う」という原則を持ち込むべきではない。特別支援学校の設置基準には、過大過密の解消につながる具体的な規定を盛り込む必要がある。

 ○ 「インクルーシブ教育」が「障害のある子供と障害のない子どもが可能な限り共に教育を受ける」とされ、障害のある子どもが通常学級で教育を受けることを推進する方向性が読み取れる。通常学級の条件整備は必要だが、一人ひとりの発達を保障する視点が不可欠である。小学校等で「通常の学級に特別支援学級の児童生徒の副次的な籍を導入し,学級活動や給食等については原則共に行う」とあるが、学級活動や給食等を「共に行う」かどうかは、それぞれの実態によるべきであり、国が原則を持ち込むべきではない。

 ○ 「特別支援学校の教育環境を改善するため」には、特別支援学校の教室不足や過大過密解消につながる設置基準が必要であり、そのためには、児童生徒数や学級数の上限、児童生徒数などに応じた必要な面積、障害種に応じた必要な特別教室などを示すべきである。危険な長時間通学を解消するため、通学時間を家から学校までで 1 時間以内とするなどの規定も必要である。また、現存する学校を適用外とするのでなく、期限を示すなどして整備を進めるべきである。教室不足解消のために、余裕教室の活用が例示されているが、空き教室利用は、「間借り」のような状態になり、施設設備の条件が非常に悪くなっているので、分校・分教室の基準も検討すべきである。新設を進める施策が必要であり、新設に対して補助率を 23 に上げることや国有地を提供することなどの財政的な対策を示すべきである。

 ○ 「教師の専門性」の項では、今でも多忙な教職員にさらなる努力を求めているのみで、特別支援学級・学校の定数改善などの条件整備の方針がない。特別支援学級では様々な課題をもつ子どもたちが最大8人も在籍し、学年も考慮されない学級編制で、1人の担任が「同時に指導する」ことには限界がある。編制標準を見直す必要がある。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅱ部各論 4.新時代の特別支援教育の在り方について

(1)基本的な考え方 (P46

(2)障害のある子供の学びの場の整備・連携強化③特別支援学校における教育環境の整備 (P49

「特別支援学校に備えるべき施設等を定めた設置基準を策定するとともに,在籍者の増加に伴う教室不足の解消に向けて,特別支援学校の新設や増築を行ったり,他の学校の余裕教室を特別支援学校の教室として確保したりする等の集中的な施設整備の取組を推進することが求められ」

(3)特別支援教育を担う教師の専門性向上 (P50

 

9.小規模校統廃合・地方切り捨てではなく、全国の子どもたちに等しくゆたかな教育条件の整備を。

 ○ 「学校規模適正化の検討」について、劣悪な教育条件につながる学校の過大規模はすぐに解消すべき課題であるが、ここでは小規模校の統廃合が中心に位置づけられている。その際、教育行政による判断だけでなく財政部局などの判断を受け入れ、コスト優先の統廃合をすすめるよう促している点は大きな問題である。

 自治体任せで安上がりの「適正規模・適正配置」をすすめ、国が全国各地の教育条件整備に対する責任を放棄し、教育の機会均等を保障しないことがあってはならない。旧態依然とした「切磋琢磨論」や、地方の小規模校には「デメリット」があると受け取れる表現が見られ、小規模校の統廃合と地方切り捨てをすすめようとしている。

 小規模校の子どもたちにとってよりよい教育条件の整備を最優先に行い、存続の是非については地域住民や保護者から丁寧に意見を聞きとり、拙速な判断を行うことのないようにすることが必要である。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅱ部各論 (2)児童生徒の減少による学校規模の小規模化を踏まえた学校運営

①公立小中学校等の適正規模・適正配置等について (P65

「学校規模適正化の検討は,児童生徒の教育環境をより良くする目的で行うべきもの」

「教育部局だけでなく,財政部局をはじめ公共施設所管部局や都市計画部局など,首長部局と分野横断的な検討体制を構築・・・コストの最適化を図ることが必要である」

「統合等による学校・学級規模の確保については・・・低学年中学年は地域に身近な分校に,高学年はスクールバス等により本校に通う方法, 近隣の地方公共団体との組合立学校の設置など」

「小規模校において児童生徒が切磋琢磨し協働する環境整備の観点」

「少人数を活かしたきめ細かな指導の充実,ICT を活用した遠隔合同授業等の取組により,小規模校のメリットを最大化し,そのデメリットを最小化することで,教育の魅力化・充実を行うことが必要」

 

○ 「中山間地域や離島などに立地する学校に対する教育資源の活用・共有」では、「自前主義」からの脱却が強調されているが、これはそれらの学校にはこれ以上、人も物も金もつける気はないという考え方と受け止めることができる。遠隔授業を強調するが、現在行われている遠隔授業では大きな困難が生じている実態を認識していないと思われる。中山間地域にある小規模校を存続させることは地域にとっても重要なことであるが、学校を残すために人も物も金もない中で、辛抱せよ、我慢せよ、というのは地方切り捨て以外の何物でもない。こうした地域こそ、ICT に頼るのではなく、少人数でゆたかな教育を受けることができるような教職員定数配置や環境整備予算措置を優先して行うことが必要である。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅱ部各論 (2)児童生徒の減少による学校規模の小規模化を踏まえた学校運営

③中山間地域や離島などに立地する学校における教育資源の活用・共有(P66

「中山間地域や離島などの地域に立地する小規模な学校においては,自校の教育資源に限りがあり,単独で児童生徒の多様なニーズの全てに対応することは困難であることから,『自前主義』からの脱却を図る必要がある」

「高等学校段階においては,中山間地域や離島などの地域に立地する複数の高等学校を含めたネットワークを構築し,遠隔授業を実施するなど,ICT も活用してそれぞれが強みを有する科目を選択的に履修することを可能とし,様々な教育資源を活用することによって,小規模校単独ではなし得ない教育活動を行うことが求められている。」

「学校間連携の見直しや遠隔授業の推進を図り, 複数の学校による連携・協働体制を整備するための制度的・財政的措置を講じることが必要である」

 

10.教員未配置の要因のひとつであり、教員の負担増となっている教員免許更新制度は廃止すべき。

 ○ 「多様な知識・経験を有する外部人材による教員組織の構成等」として外部人材の活用を推進することは、公教育への民間教育産業の参入をすすめ、安易な民間委託を加速することにつながる。新型コロナ感染拡大により、学校の学習機会の保障や全人的な成長・発達の保障とともに福祉的役割やセーフティネットとしての役割があきらかとなった。公教育を担う教職員の配置は国が責任をもっておこなうことを基本とすべきである。

 ○ 教員免許更新制が教員の多忙感を増大させ、未更新者が教員未配置の要因となっていることはあきらかである。また、教員の更新講習に係る負担は大きい。ただちに教員免許更新制度を廃止すべきである。

 ○ 教職を魅力あるものとするためには、教職員増などの具体的な長時間過密労働を解消するための対策をただちに講じることや、教職員への管理統制を強化する施策をあらため、「教員の地位に関する勧告」をふまえ、教員の専門性を確保する自主的な研修権の保障、学問の自由に裏付けされた教育の自由の確保こそ必要である。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅱ部各論 9.Society5.0 時代における教師及び教員組織の在り方について

(3)多様な知識・経験を有する外部人材による教員組織の構成等」 (P6971

「教員免許更新制が現下の情勢において,子供たちの学びの保障に注力する教師や迅速な人的体制の確保に及ぼす影響の分析を行う必要がある」

 

11.外国人児童生徒等への教育を保障するための条件整備を求める。

 ○ 文科省調査によっても明らかにされた、日本語指導が必要な外国人児童生徒等の実態(約 2 万人が未就学、約 2 割が「特別な指導」を受けられていない、高校進学率の低さと中途退学率の高さ、就職者における非正規就職率の高さ等)に対する実効ある対策について、記述の補強を求める。

 ○ 具体的には、地方公共団体関係部局の連携等による外国人児童生徒等の家庭に対する経済的・人的支援の必要性、日本語指導担当教師の増員(2024 年度までに 18 人に 1 人の割合での基礎定数化がすすめられているが、母語・母文化の多様化や点在地区での巡回指導等を考えると、さらなる増員が必要)、日本語指導補助者・母語支援員の配置、地域でのボランティアの活動などを支援する事業の拡充などである。

 ○ また、日本語習得のためにも母語・母文化を大切に育てることが重要であること、日常的な会話ができるようになっても、学習に必要な言葉を習得するためには継続的な指導・支援が必要であり、学校全体での指導・支援体制の構築が不可欠であることなどについて、補強されたい。

 【中間まとめの関連個所】

第Ⅱ部各論 5.増加する外国人児童生徒等への教育の在り方について (P5358

以上

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