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 異常な大雨災害、新たな感染症・・・社会の在り方の変革が問われている

 何十億年かかって築いてきた生態系のバランス。それに対する人の働きかけによる「成功」に対し、百数十年前にエンゲルスは、その成功のたびに「自然の復讐」にみまわれる、と喝破した。

 新型コロナによる被害、そして九州をおそう豪雨災害のルーツは共通する・・・あらためて社会の在り方がとわれている。

以下は、前日のある会議での発言(加筆・補正)。

 

 

コロナ禍で活動が制限されるもと、普段でもなかなかできない全都道府県で機関紙の前進をかちとった。そこには、コロナ禍が、全能の舞台監督となって(レーニンは、ロシア革命が成功したことについて、第一次世界大戦が「全能の舞台監督だった」と表現)。激動の時期にこそ、ものごとの本質があらわになる。なにが本流であり、なにが逆流か。そこで、国民の苦難解決、また次の社会の展望をもつ共産党の力が発揮された結果だと思っています。

 

 今回のコロナ危機を人類史のスケールの上にたって考える必要があります。新型コロナは、感染しても、無症状でありながら感染を広げるという、グルーバル社会に適応したとんでもない特徴をもっています。中世ヨーロッパを席捲したペストは、ネズミにくっついたノミが媒介者ですので、都市の衛生化とともに封じころました。サーズは、致死率は高いですが、かなり症状がひどく成らないと感染しませんので、初期段階で発見して封じこめることが可能でした。

 新型コロナは、人が集まり、移動することが最大の感染の原因でので、あっという間に全世界にひろがりました。

 

 ウィルスができるまでの我慢だ、という報道もありますが、国の抗体研究のトップを長年つとめてきた児玉龍彦氏(東京大学先端科学技術研究センターがん・代謝プロジェクト プロジェクト リーダー・東京大学名誉教授)は、そんな簡単な話ではないと指摘します。まず、新型コロナウイルスが、非常に変異の早い性質をもっています。ワクチンで抗体をうえつけても不完全な場合、抗体依存性感染憎悪という、さらに悪化させることが判明しています。だから、40年前に発見されたエボラ出血熱もHIVウイルスも、17年前に発見されたサーズのワクチンも完成していません。デング熱のワクチンはいったん完成したとなりましたが、ワクチン接種をした人がデング熱に感染すると重要化するとして使用が原則禁止なっています。「ワクチンはできないかもしれない」と指摘する専門家がいるくらい、不透明なもので、自然は奥深いのです。

 

  相当中長期の対応がもとめられるのでないか。その場合、インバウンドにたよった経済とか、有事に必要な物もつくれないサプライチェーンとかの国際的な分業体制をもとにした社会の在り方でいいのか(世界の貿易の2/3が多国籍企業の企業内取引)。外国人技能実習生など移民労働に依拠した経済がなりたつのか。農業分野でも、一部の国で輸出制限がでました。国内体制でも、今回のコロナ禍の最前線で奮闘した医療・介護関係者、保育士など、従来から人手不足が指摘された分野は、一層深刻になり、抜本的な処遇が社会維持のためにももとめられています。これが「この社会の在り方でいいのか」という大きな疑問の背景ではないでしょうか。

 

 この新たな感染症の発生の問題は、気候異常ともリンクしています。熱帯雨林の伐採など無秩序な開発が、人と動物(ウイルス)との距離を縮めたという問題とともに、今後、氷河や永久凍土がとけだすなど、これまで閉じ込められた未知のウイなに新たな感染症という、エンゲルスのいう「自然の復讐」に対し、どんな人間社会をつくるのか、が根本から問われる時代の中で、党員として生き活動をしている、意味の人類史的な大きさを誇りにしていただきたいと思います。

 

新型コロナ禍が、突きつけた資本主義社会のもろさは、一過性のものではない、中長期的に、人類が生きる方向がこれでいいのか、ということが問われ続けると思います。そういう人類として、どういう社会を選択するのか、という大きなテーマがつきつけられている、つまり綱領路線の未来社会論が人類社会への展望をさししめている巨大な変革の時期に、生き活動している、その時代認識が必要だと思います。

 気候異常でいえば、すでに巨大資本の側のグールグルなどGAFAは再生エネ100%を打ち出しています。世界の銀行、保険など金融資本は火力発電への投資をやめました。気候異常に災害に対する保険給付に耐えられないという判断からですが・・・。そうした巨大な転換点も現れています

また、新型コロナの特徴は、医療体制が貧困な国、地域を放置していては、グルーバル化した現代において、感染の封じ込めは不可能であり、格差と貧困の拡大を放置するグローバル秩序は、「勝ち組」にとっても不幸な現実になる、ということを示した点でも、社会の在り方が鋭くとわれる時代となっています。

 

志位さんは、コロナ禍をとおして、有権者の意識の変化がおきている、と指摘しました。グローバル経済体制のもろさ、矛盾を炙り出したコロナ禍のもとで、多くの国民は、政治を我が事としてとらえています。が、心のうちでの変化は、必ずしも目に見える変化としてはあらわれにくい。それは働きかけることによって顕在化します。エンゲルスはフォイエルバッハ論の中で、プディングがおいしいかどうかは「食べてみないとわからない」、眺めて議論していてもわからない、と実践の役割を強調しました。潜在的に広がっている可能性を顕在化させる、その実践こそが、変革者として求められていると考えます。

 

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