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感染症との共生 「大きな悲劇」と「小さな悲劇」

山本太郎氏の「感染症と文明」で、一番心に残った言葉で、氏も正解を持てないという。

免疫のない新たな感染症に対し、免疫をもたない大きな集団がとてつもない被害をうけることを知り返しながら、免疫を獲得し、感染する年齢が低くなる「小児の感染症」という姿で、共生がなりたつようになる。

しかし、それには、期間を置かず、一定程度の感染の流行がないと「免疫」獲得の機会を得られない。それには「小さな悲劇」がつきまとう。

ポリオについての記述も興味深い。なぜ医学、公衆衛生、生活が改善された20世紀になった顕在化したのか。氏の推論は、それ以前は、もっと感染の機会が高く、生れてまもなく感染していたが、出産や授乳を通じ母親から受けとった免疫により、極めて軽度ですんでいたのではないか。それが医療・生活環境の改善で、乳児のときには感染しなくなり、活動が活発となる子ども期、思春期に感染することで顕在化した、と述べる。

感染症は、ウイルス自体の変化もあるが、人の生活の変化によっても、現れ方が違うということを語っている。

 

山本氏は、医者として目の前の「小さな悲劇」に対し全力をつくすと言う。

一方で、「小さな悲劇」を消し去ったあとに、何がくるかわからない、より大きな悲劇が準備されているのではないか、と危惧を語る。

天然痘撲滅についても、撲滅したあと「天然痘」が、自然界で占めていた「生態的地位」を、新たなものが占める動きが出てくるのが自然の節理とし、何がおこるかわからないと懸念を表明している。

 

氏は「感染症との共生」を主張する。が、正解がどこにあるか、は極めて大きな深いテーマであることを語っている。

「小さな悲劇」と共存することは、新たな大規模な感染症流行を防御しているのではないか、とも問いかけている。

 

感染症が問題になったのは、都市が形成されたから。その前提は農業、牧畜による余剰食糧の獲得が可能となったから、1万前からはじまったこの歩みの中で、大きな被害を繰り返しながら、また大航海時代など、地球全体の交流がすすむなかで、風土病的だった感染症が世界に広がり、その大波をくぐりながら、「当たり前の病気」「小児の感染症」という姿に収れんしていくことを、説得的に述べている。

 

~メモ者 抗生物質、除草剤などの発明が、それに耐える新た耐性菌、植物を生み出した。構造が単純な生命体ほど変異が簡単である。「やっつけた」と喜んだあとに、より大きな困難が生み出されてくる。

 なお、この本は、東日本大震災の時期に書かれたものである。

 最近のEテレでは、21世紀になって新たな感染症が次々出ていることについて、地球温暖化や熱帯雨林などの大規模開発が、未知のウイルスに人間の遭遇する機会が増えていることを語っていた。

 感染症対策と聞くと、医療・医学の話のように捉えていたが、社会・経済の在り方をふくめた文明論として、根源的な問いかけがされているのだと、痛感した。

 

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