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コロナと学校再開~ 20人学級・柔軟な教育、体制の抜本的充実   

 これまでの競争的な詰め込み教育、40人学級の放置と教員の多忙化と自主性・同僚性のはく奪・・・新型コロナが経済・社会システムの見直しを迫っている。教育の在り方も当然見直さなければならない。

 榊原洋一・日本子ども学会会長は“「大目に見る」をもう少し続けましょう”“学習の「詰め込み」は学校嫌いを増やす”と再開後あり方をのべ、前屋毅氏は、教員の働き方から問題提起をしている。あと、日本共産党の提言。響きあう内容。

【学校再開が子どもを追い詰める危険性 カリキュラム優先で「地獄の夏」にしないため、大人が気をつけたいこと 榊原洋一・日本子ども学会l理事長】

【“自主的な残業”を強いられる教員〜校舎の清掃は誰の役割なのか?〜 第28回 学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う- 前屋 毅 2020.05.31

【子どもたちの学び、心身のケア、安全を保障するために――学校再開にあたっての日本共産党の緊急提言 202062日 日本共産党】

【学校再開が子どもを追い詰める危険性 カリキュラム優先で「地獄の夏」にしないため、大人が気をつけたいこと 榊原洋一・日本子ども学会理事長】

小林由比

  新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、約3カ月に及んだ休校措置が終わり、学校の再開が見えてきました。ようやく、とホッとする一方で、生活がまた変化することに不安を感じている家庭もあるのではないでしょうか。小児科医で「チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)」所長の榊原洋一さんは「子どもには大人にはない柔軟性がある。信じて、温かい目で見守って」とアドバイスします。榊原さんに今、親が気を付けるべきことを聞きました。

 ◆「大目に見る」をもう少し続けましょう

 ―学校再開となると、生活リズムの立て直しや、低下した体力をどう取り戻すかが心配になります。

  だらけがちになった生活を元のペースに戻すことを焦らず、少し時間がかかるととらえてほしいと思います。これだけ長い休みだったのですから、子どもたちもすぐには適応できないこともあります。特に小学校低学年の子は、また入学時くらい手が掛かることもあるかもしれません。休校や外出自粛の中、例えばゲーム時間が長くても少し大目に見ていてあげたというのであれば、その姿勢をもう少し続けてほしいなと思います。

 ―子どもが怠けているのを見ると、「このままだったらどうしよう」「後々心配」と思ってしまいます。

  子どもはだれるのもあっという間ですが、学校に行くという環境になってキッチリしなくてはならなくなれば、徐々にそれに応じていくものです。大人と子どもとで大きく違うのは、子どもには時間がたっぷりあるということ。乱れてしまった習慣も、いくらでも回復できる、直していける時間があるんだととらえましょう。

 ◆運動不足は体力が戻るので心配無用です

 ―体力も相当落ちているような気がします。

  休校中も家の中でもできる体操をしなさい、などと口うるさく言われてきた子どももいるかもしれませんね。でも、子どもの体力は環境が変わればまた元に戻るので心配いりません。中高年の方が深刻ですね(笑)。

 

 子どもの体力が落ちた落ちたと言われていますが、例えばオリンピックでマラソンが注目された直後には持久走のレベルが上がっていたり、サッカーの世界大会の後は球技のスキルが上がったりということが子どもたちにはあります。子どもは環境に影響される部分がとても大きいのです。 

 ◆学習の「詰め込み」は学校嫌いを増やす

 ―休校が長引いたことで、遅れた学習カリキュラムを取り戻すために、再開後の学校はぎゅうぎゅう詰めになるのではと言われています。親子ともそのペースについていけるのか不安です。

  おそらく、現場の先生たちはまじめですから、なんとかキャッチアップしようとして必死に詰め込むでしょう。夏休みの短縮をすでに発表している自治体もあって、今年の夏は子どもたちにとっては地獄の夏になるかもしれません。

  文部科学省も本年度の内容は次年度に持ち越しても良いと通知していますが、ゆるやかな対応をしていかなければ、子どもの身体的、心理的な負担は相当大きなものになり、かえって学校嫌いを増やす危険性があると心配しています。

  ◆親も追い込まれると、親子の関係性が…

 また、特に小学校低学年にとって学校は「学び方を学ぶ」「自主的に学ぶことを身につける」ということがとても大事なのに、とにかく授業をこなすために受け身にならざるを得なくなるのも、目指してきた教育のあり方に逆行すると思います。

  学校再開の目的が、教育の進行だけになってくると、子ども自身だけでなく、親も追い込まれる恐れがあります。家庭で取り組む課題が増え、いつもなら先生が指導していたことを家庭の中で親が言わなくてはならない。そうなると、どうしても親子の関係性が悪くなるなど、家庭内の葛藤は高まります。このことは真剣に考えなくてはならない問題です。

 ◆「大人」優先で子どもにストレス

 ―親はどう対応したらいいのでしょう。

  家庭の判断で「できない」とスルーするのは1つの手ですが、なかなかそうできる家庭は少ないと思います。親の中にもとにかくカリキュラムを終えてほしいと考える人もいたり、いろんな考えがあると思いますが、こういうときこそPTAを通じてなど、複数の親から学校に意見を伝えてもいいのでは。災害などでしばらく学校に行けなくなり、その地域の子が他の地域の子に比べて学習が遅れる、ということもありますが、今回はある意味で日本中、もっといえば世界中の子どもたちが同じような影響を受けています。そういう大所高所に立った視点を持つことも必要かもしれません。

 ―これまでの生活でたまったストレスによる子どもたちの心も心配です。

  今回のコロナ危機のようなことがあると、社会がどう対応するかを決めるのはどうしても大人です。仕事のこと、経済のこと、まず大人の生活のことを心配し、子どものことは後回しになりがちです。社会全体の感染拡大を防ぐという目的で始まった休校も、子どもからの感染は少ないということも指摘されている中で、判断の基準の主軸は「大人社会への影響」だったように感じています。

  ですが、それによって子どもの生活圏はむちゃくちゃになり、その上慣れないオンライン授業や大量の課題に家で一人で取り組まなくてはならないなど、子どもたちはこの間相当のストレスをためています。だからこそ今は、焦って進めようとせず、待ってあげること、必ずまた元に戻っていくと信じてあげることを大切にしていってほしいと思います。

 ★榊原洋一(さかきはら・よういち)

医学博士。「子どもは未来である」という理念を掲げ学際的、国際的な活動を推進する、インターネット上の「子ども学」研究所「チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)」所長。お茶の水女子大学名誉教授。ベネッセ教育総合研究所常任顧問。日本子ども学会理事長。専門は小児神経学、発達神経学、特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞。21女の父。主な著書に「子どもの発達障害 誤診の危機」(ポプラ新書)、「図解 よくわかる発達障害の子どもたち」(ナツメ社)など。

 

 

 

 

【“自主的な残業”を強いられる教員〜校舎の清掃は誰の役割なのか?〜 第28回 学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う- 前屋 毅 2020.05.31

 ■補正予算案によって教育現場にもたらされるもの

 新型コロナウイルス(新型コロナ)に対応するための第2次補正予算案が、527日に閣議決定された。一般会計からの歳出総額は319114億円で、1次補正予算(25,6兆円)を上まわっている。

 この中には、ウイルス感染防止策や子どもの学習保障の取り組みをすすめるための経費として、すべての小中学校や高校、特別支援学校などに1校あたり100万~300万円を支給する予算も含まれているおり、想定しているのは以下の用途だという。

 「消毒液や非接触型体温計などの保健衛生用品の購入

  • 集団での検温に必要なサーモグラフィーの購入
  • 家庭学習用教材の購入
  • 空き教室を使った授業に必要な備品の購入--など」

※『毎日新聞』2020527日付)

 つまり、子どもたちの検温や消毒(=教室の掃除)に必要なものなどを購入する予算ということになる。では、実際に検温や清掃を行うのは誰か。業者に依頼するとなれば、そのための予算も必要になってくるはずである。しかし、そういう予算はつけないらしい。これらを行うのは教員なのだ。事実、教員による掃除が常態化している学校も少なくない。「清掃は教員が行うんだから消毒液代くらいは出そう」というのが、支給の趣旨と思われる。そこには、「教員がやるのは当然」といった意味合いも含まれていそうだ。

 教員が教室の清掃・消毒をするのは、はたして当然のことなのだろうか。残業時間が厚生労働省の定める「過労死ライン」(1ヶ月80時間)を超える教員が多いのは、授業以外の「雑務」のせいでもある。そして、清掃が雑務であることは間違いない。それが残業になってしまっていたら、さらに問題である。

 『給特法』(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)の第6条では、「教育職員を正規の勤務時間を超えて勤務させる場合は、政令で定める基準に従い条例で定める場合に限るものとする」とされている。そして政令の基準とは、いわゆる「超勤4項目」と呼ばれているもので、内容は以下とされている。

 1、生徒の実習

 2、学校行事

 3、職員会議

 4、非常災害、児童生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合等

 上記に含まれていない教室の掃除を教員が強制され、それが残業になるようなものであれば、給特法に違反することになる。だからこそ、そうならないようになっている。

 どの学校でも校長が「命令」するのではなく、教員が「自主的」にやっているということになっているのだが、この「自主性」というのが魔法の言葉で、教員を過重労働に追い込んでしまう言葉にもなり得るのだ。また、過労死認定を争うときにも、この「自主的だったか否か」が争点となる。命令による過重労働なら過労死が認定されるが、自主的に行った業務であれば過労死として認められにくくなるからだ。

 だから、教員の仕事の多くは「自主的」にやったことが前提となる。遅くまで職員室に残ってやる仕事も、自宅に持ち帰ってやる仕事も…「やらなければならない仕事」のすべてが「自主的にやった仕事」になってしまうのが現状だ。校長や教頭が命令できない仕組みになっているからだ。給特法のために、教員の仕事は「自主的」が建前になってしまっているのである。

 

■「子どものために」「自主的に」は本当か?

 ウイルス対策による教室の清掃は教員の自主性に任せるべき業務ではなく、必須である。しかし、子どもたちを迎えるために、教員が自主的に教室の清掃に取り組む姿は、美談としてマスコミが報じたりもしている。そうなれば、教員はなおさら「自主的」に教室の掃除に取り組まなければならないところに追い込まれていく可能性が高い。

 日本では、教室の掃除は学びも含めた子どもたちの役割になっている。学校が再開されれば、子どもたちによる教室の清掃も復活するのだろうか。そうであれば、教室の掃除は教員の手を離れるかもしれない。

しかし、小学校でも7時間授業が現実のものになる可能性が高くなるなかで、子どもたちを学校に留めておくのはできるだけ短くという配慮がされるかもしれない。子どもたちに消毒液を使わせるのは問題があるとの声が上がるかもしれない。

 そうなると、おそらく教員の「自主性」が頼られることになる。7時間授業と補修を行い、子どもたちが帰ったあとには「自主的に清掃・消毒すること」が期待されるのだろう。給特法によって教員の残業代は基本的にゼロであるため、清掃業務が生じても残業代は支払われない。国や学校が負担するのは消毒液であり、教員が働いた分の人件費は不必要なのだから、これほど安上がりなことはない。

 補正予算で清掃者の人件費が考慮されていないのも、そもそも外注委託という発想がまったく含まれていないのも、教員の「自主性」が期待されているからにほかならない。

 もちろん、学校再開後の教員の仕事は清掃だけではない。休校中の遅れを取り戻すための授業時間確保のために、それこそ目の回るような対応を教員は迫られることになるだろう。当然、新型コロナの感染予防にも、細心の注意を払うことで気力と体力を奪われることになる。夏休み短縮が既定路線となりつつある中で真夏の授業となれば、子どもたちが熱中症にならないように気配りしなければならない。

 ある小学校の教員が、「給特法を一時解除して残業代を払うようにしてくれないものかな」と冗談っぽくこぼした。もちろん、それがあり得ないことなのは、彼は百も承知だ。

 「非常事態なのだから仕方ないだろう」という声も聞こえてきそうだ。しかし、たしかに非常時ではあるが、教員にも気力と体力に限界がある。

 教員の「自主的」ばかりを頼りにしてはならない。補正予算には61200人の学習指導員を全国の学校に配置することにはなっているが、予算確保と、人員確保は別問題である。

しかも、全国には、公立小学校だけで約2万校、公立中学校が95000校近くある。予算いっぱいの人員を確保できたとしても、それだけで足りるかどうかは疑問だし、集めた人員が戦力となるのかどうか不確定要素が多い。

 しかし、教員たちの現状を鑑みれば、それでも、やったほうがいいのは明らかだ。

 補正予算での策ですべてが解決するわけではない。そうなると、やはり教員の「自主的」がますます求められていくことになるのは想像に難くない。そして、過重労働問題は、より深刻化する可能性が高い。

新型コロナを、教員の「自主的」に頼りすぎる状況改善のきっかけにできないものだろうか。

 

 

 

子どもたちの学び、心身のケア、安全を保障するために――学校再開にあたっての日本共産党の緊急提言

202062日 日本共産党】

 

 緊急事態宣言が解除され、6月1日から全国の学校が3ヵ月ぶりに再開しました。長期の休校による子どもの学習の遅れと格差の拡大、不安とストレスはたいへんに深刻です。新型コロナ感染から子どもと教職員の健康と命をいかにして守っていくかは、重要な課題です。こうした問題を解決するための緊急の提言を行うものです。

 

学習の遅れと格差の拡大、心身のストレスは、手厚い教育、柔軟な教育を求めている

■学習の遅れと格差の拡大

  学年の締めくくりと新たな学年のスタートの時期の3ヵ月もの休校は、子どもにはかりしれない影響をあたえています。

  何より長期に授業がなかったことは、子どもの学習に相当の遅れと格差をもたらしました。学校は課題プリントの配布などで家庭学習を促すなど、さまざまな努力を行いましたが、まだ習っていない基本的な知識を、いろいろなやりとりのある授業なしで理解させるのは無理があります。保護者から「とても教えられない」と悲鳴があがったことは当然です。ネット教材に取り組んだ子どももいれば、勉強が手につかなかった子どももいます。長期の休校は、学力の格差を広げた点でも深刻です。

 ■かつてない不安とストレス

  子どもたちは、かつてないような不安やストレスをためこんでいます。国立成育医療研究センターの「コロナこどもアンケート」では、76%の子どもが「困りごと」として「お友だちに会えない」ことをあげ、「学校に行けない」(64%)、「外で遊べない」(51%)、「勉強が心配」(50%)と続いています。各種のアンケート調査には「イライラする」「夜眠れなくなった」「何もやる気がしない」「死にたい」などの子どもの痛切な声が記されています。また、コロナ禍による家庭の困窮は子どもにも様々な影響を与え、家庭内のストレスの高まりは児童虐待の増加などをもたらしています。

 

■子ども一人ひとりを大切にする手厚い教育が必要

  こうした子どもを受け止める手厚い教育が必要です。

  かつてない学習の遅れと格差に対しては、子ども一人ひとりに丁寧に教えることが欠かせません。学習が遅れた子どもへの個別の手立ても必要です。

  子どもの本音を受け止め、かかえた不安やストレスに共感しながら、心身のケアを進めていくには、手間と時間が必要です。休校の中で特別な困難をかかえた子どもには、より立ち入った心理的、あるいは福祉的な面も含めた支援も求められます。

  子どもたちの心身のケアをしっかりおこなうことは、学びを進めるうえでの前提になります。東日本大震災で深刻な被害にあった地域の学校は、子どもと教職員がつらい体験や思いを語り合うことで、学校生活がスタートできたといいます。新型コロナ危機という歴史的経験を語り考えることは、子どもたちの新たな出発点となるでしょう。

 

■子どもの実態から出発する柔軟な教育の必要性

  例年通りの授業をしようと、土曜授業、夏休みや学校行事の大幅削減、七時間授業などで授業をつめこむやり方では、子どもたちに新たなストレスをもたらし、子どもの成長を歪め、学力格差をさらに広げることにもなりかねません。

  子どもたちをゆったり受けとめながら、学びとともに、人間関係の形成、遊びや休息をバランスよく保障する、柔軟な教育が必要です。そうした柔軟な教育は、子どもを直接知っている学校現場の創意工夫を保障してこそ、実施することができます。

  いま教員たちの間で、「まずは子どもを温かく迎えよう」「子どもに必要な行事も大切にしたい」「コロナ問題を教材にしたい」など多くの積極的なとりくみが生まれています。たとえばその中の「学習内容の精選」は重要な提案です。「学習内容の精選」とは、その学年での核となる学習事項を見定めて深く教え、それ以外は教科横断で学んだり、次年度以降に効率的に学ぶようにする方法です。そうしてこそ子どもに力がつき、逆に教科書全てを駆け足で消化するやり方では子どもは伸びないと多くの教員が指摘しています。こうした柔軟な教育が求められています。

  

学校の新型コロナウイルス感染症対策が、重大な矛盾に直面している

■「身体的距離の確保」と矛盾する「40人学級」

  子どもの集う学校で万全の感染症対策をおこなう重要性は言うまでもありません。その学校で、感染防止の三つの基本(①身体的距離の確保②マスクの着用③手洗い)の一つである「身体的距離の確保」ができないという重大な問題に直面しています。

  新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は、「新しい生活様式」として、「身体的距離の確保」を呼びかけ、「人との間隔はできるだけ2メートル(最低1メートル)空けること」を基本としています。しかし「40人学級」では、2メートル空けることはおろか、1メートル空けることも不可能で、「身体的距離の確保」と大きく矛盾しています。

 

■「20人授業」が維持できず「40人学級」に戻ることへの不安

  再開後の学校では20人程度の授業とするため、学級を2グループに分けるなどの「分散登校」に取り組んでいます。ところが、この措置はほとんどの学校で途中で終了し、5月25日まで緊急事態宣言が続いていた8都道府県でも大半の学校が6月15日から「40人学級」に戻る予定です。他ではすでに「40人学級」に戻っている学校もあります。学級を分けて20人程度の授業を続けるには、現在の教員数ではあまりに足りないため、各自治体は「40人学級」に戻らざるをえないのです。

  「コロナ×子どもアンケート」の「子どもたちが相談したいこと」の1位は「コロナにかからない方法」です。「40人学級」に教職員も子どもも保護者も不安の声を上げています。「身体的距離の確保」を「新しい生活様式」の重要な一つとして社会全体で取り組んでいる時に、教室を例外とすることは重大な問題です。

 

■消毒や清掃などの新たな負担

  さらに学校は感染症対策として、毎日の消毒、清掃、健康チェックなど今までにない多くの業務が生じています。次の感染拡大の波に備え、教員と各家庭とのオンラインの整備をすすめることも必要です。もともと異常な長時間労働で働いている教員にそれらの負担を課せば、教育活動への注力ができなくなり、その解決が求められています。

 

教員10万人増などの教育条件の抜本的整備、学習指導要領の弾力化を求める

 以上の問題を解決するため、次の二つの政策の実施を強く求めます。

 

() 教員10万人増などの教育条件の抜本的整備

■20人程度の授業とするための教員10万人増

  子どもへの手厚く柔軟な教育のためにも、感染症対策のためにも、学校の教職員やスタッフを思い切って増やし、20人程度の授業などができるようにすべきです。

  政府も第二次補正予算案で教員増を盛り込みましたが、その規模は3100名とあまりに小さく、しかも高校は除外されています。3100名では、全国の小中学校の10校に1人しか教員が配置されず、焼け石に水です。

  日本教育学会は潜在的な人材のプールを踏まえ、平均1校当たり小学校3人、中学校3人、高校2人の教員を加配する10万人の教員増を提案しています(「9月入学よりも、いま本当に必要な取り組みを―より質の高い教育を目指す改革へ―」5月22日)。

  こうしたことを踏まえ、以下の条件整備を緊急にすすめることを求めます。

  ――小中高の教員を10万人増員し、後述の学習支援員とあわせて、20人程度の授業をできるようにします。そのため継続的雇用など処遇を手厚くするとともに、多くの教職経験者から教員免許を奪っている教員免許更新制を凍結します。教室の確保のため、プレハブ建設や公共施設の利用をすすめます。私立学校にも私学助成を増額し、同様の措置をとります。

  ――養護教諭をはじめとする教職員を増やします。スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー、学習や清掃・消毒・オンライン整備などのための支援員を第二次補正予算案の8万人余から十数万人に増員します。感染症対策の備品と設備は政府が責任をもって保障するようにします。

  ――特別支援学校は、もともと設置基準がないもとで深刻な「密」となっています。プレハブ建設などによる場所の確保と教職員などの増員を早急に行います。

 

■10万人の増員を少人数学級への移行のステップに

  10万人の教員増は、日本の学校が少人数学級に移行するうえでのしっかりした土台となります。現在の困難を乗り越えたあと、子どもたちに少人数学級をプレゼントしようではありませんか。

 

()子どもの実態に応じた柔軟な教育のために、学習指導要領の弾力化を

 子どもの実態に応じた柔軟な教育活動のためには、学習指導要領などによる管理統制を弾力化し、現場の創意工夫を引き出すことが不可欠です。

  この間の政府の通知の中に、「児童生徒の負担が過重とならないように配慮する」「学習指導要領において指導する学年が規定されている内容を含め、次学年又は次々学年に移して教育課程を編成する」「学習活動の重点化」など、学習指導要領の弾力化につながる要素があることは一定評価できます。しかし、国の通知には夏休み削減や土曜授業を求めるなどの問題点もあります。

  学習の遅れと格差、大きな不安とストレスという子どもの実態から出発した、学校現場の創意工夫と自主性を保障する、学習指導要領の弾力化にふみこむよう求めます。

  憲法の精神は、教育の本質から、教員の一定の自主性を認め、教育内容への国家的介入の抑制を求めています(最高裁学力テスト判決)。ここから、学習指導要領でも教育課程の編成権は個々の学校にあることが明記されました。行政に忖度せず、目の前の子どもたちのために何がいいか話し合って決めていく学校現場を育てることは、現在の厳しい状況を打開するだけでなく、未来の希望ある学校をつくるために大きな力となります。

 ■「学校9月入学」を断念し、子どもたちの学び、心身のケア、安全の保障のために全力を集中することを求める

  安倍首相が検討を指示した「学校9月入学」は、検討すればするほど、多くの社会制度変更が必要となり、国民各層に多大な負担がかかることが明らかになっています。政府は「学校9月入学」を一刻も早く断念し、子どもたちの学び、心身のケア、安全の保障のために全力を集中することを求めます。

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