いま「資本論」の労働時間をどう読むか (メモ)
「いま『資本論』の労働時間をどう読むか」
森岡孝二「雇用身分社会の出現と労働時間」(19年2月23日初版)、第六章よりのメモ
【いま「資本論」の労働時間をどう読むか (メモ)2019/2 】
◆はじめに
・労働時間の章は、重要な現代的意義を有している。が、マル経学の資本主義分析で十分考慮されてこなかった。
・本書は、①この章がどう読まれてきたか、②「資本論」の歩みの中で、労働、労働時間の思想がどのように形成されたか③労働時間論がすぐれて階級闘争論であることを直視し、階級闘争の概念を再考 ④どう公的資料の利用したか検討
/⑤標準労働時間の獲得の意義を、「南北戦争」と「奴隷制」をキーワードに明らかにし、⑥日本の実態にふれ、マルクスの労働時間論の現代的意義を確認する。
・訳語「労働時間」・・・マルクスは、労働時間が、一日24時間の自然日に制約されていることを強調するために、ドイツ語になった「労働日」=一日の労働時間という用語を英語から取り入れた。/が、マルクスの用いた意味では日本語になじめないまま今日に至り、労働時間論の普及の様だけとなった。ゆえに「労働時間」という普通の日本語を使用する
【1】「資本論」の労働時間論はどう読まれてきたか
・労働時間の章の歴史的記述を省略してしまっては、理論的骨格が示せても、その血や肉が落とされてしまう
→ 的確な指摘だが、それだけでは不十分
→マルクス以前・・・スミス、リカードも労働者の労働は、彼の賃金とともに、資本家の利潤を生みだすという認識はもっていたが、経済学のカテゴリーの理論的取り合いでは、一日の労働時間を不変量とみなした/それゆえ、資本が剰余労働への強制関係であること見失うとともに、労働時間の延長が剰余価値の生産と蓄積に及ぼす影響を不問にした。
★マルクス 「一日の労働時間は何か」という単純な問題を、資本主義分析にもちこみ、資本と労働の対抗関係の究明を労働時間の可変性に求めた/ それ自体が経済学の革命 = 経済学の中心問題にすえたのはマルクスの功績
【2】マルクスの経済学批判と労働および労働時間の思想
・マルクスの終生の課題・・・所有の経済学の批判をとおした労働の経済学の構築
・所有の経済学では、労働は「辛苦や煩労」「苦痛」であっても、「自由な人間的活動」ではない。
→が、・マルクスにとって、労働は人間の根源的な生命活動。たとえ資本主義においては、労働者の自己の肉体的、精神的生命力の自由な活動のための時間を奪われ、ただ労働するだけの存在に貶められているとしても、労働は自由な人間的活動としての本性において、人間と自然との物質代謝を媒介する人間特有の目的意識的で自己教育的な活動にほかならない(資本論1巻5章「労働過程と価値増殖過程」)
・経済学・哲学手稿44年・・・国民経済学が、労働者をただ働くだけの獣、食欲を満たすだけの存在と見ていたことを批判/その文脈で、マルクスは、シュルツが「生産の運動」の中から抜き書き・・・・機械による労働の節約の結果、一日5時間の労働で足りるまでになっているのに、現実には労働時間が延長され強制されていることを指摘し、国民にとって精神的な創造と享受のための自由時間の拡大の意義を強調している部分 /マルクスによって受けつがれた
・マルクス 「労働時間」の章で、「自由時間」に、余暇時間以上の積極的意味を付与
→ 「知的および社会的な諸欲求を充足するための時間」「人間的教養のための、精神的発達のための、社会的役割を遂行するための、社会的交流のための、肉体的および精神的生命力の自由な活動のための時間」
⇔ が、剰余価値の最大化を目的とする資本にとっては、そんな時間は「ふざけたこと」
・マルクスの労働時間・自由時間論の先行者 ロバートオーエン
→「賃金・価格・利潤」…「労働時間の全般的制限こそが労働者階級の解放を準備する第一歩であることを宣言して、一般の偏見をものともせずにニューラナークの自分の紡績工場に実際にこれをやりだした」ことを讃え / 「資本論」でも、オーエンは「資本の理論に対する最初の挑戦者」と認め、1810年代に「労働時間の制限の必要性を理論的に主張しただけでなく、10時間労働を自分の工場で実践した」と評価
・「賃金・価格・利潤」・・・「時間は人間発達の場である。」「その全生涯が資本家のための労働に吸い取られている人間は、家畜にも劣るものである」
★労働時間をめぐるマルクスの思想と理論…出発点から、労働者階級の状態、わけても健康状態、肉艇的・精神的発達への関心と結びついていた。
【3】資本主義における労働時間と階級闘争
・資本家の考える一日の労働時間・・・24時間から、日々繰り返し働くために最低限必要な休息睡眠時間を除いたもの
・労働者は・・・・食事、睡眠、入浴、運動など肉体的な欲求だけでなく、娯楽、教養、社交にど精神的欲求、また家事育児の時間の必要から、可能なかぎりの労働時間の制限と短縮を要求する
・労働者が、自由人として自分の所有する労働力を売る・・・労働力をその所有権は保持したまま、一定の時間決めで、労働力の寿命と生涯価値を計算に入れて、繰り返しえることを条件とする。
→ 労働力は一人の生きた人間のうちにそなわっている労働能力/ よって、労働力の売り手は、買い手に、その消費の仕方について異議を申し立て、労働時間を労働力の正常に維持と発展とに支障をきたさない長さに制限しようとすることで、売り手としての自らの権利を主張する。
・マルクス「どちらも等しく商品交換の法則によって保証されている権利対権利」という「1つの二律背反」が生じる
→ 解決の方法/ 「同党の権利と権利とのあいだでは力がこれを決する」「資本主義的生産の歴史では、労働時間の標準化は、労働時間の制限をめぐる闘争――総資本家すなわち資本家階級と、総労働者すなわち労働者階級とのあいだの闘争――として現れる」
★ここではじめて「階級闘争」という思想にいたることになる。 / 第4章「貨幣の資本への転化」・・・労働力の売買が説かれる、この章で、資本家と労働者は登場するが、資本と労働の間の階級闘争は、予兆はされていても語られていない。そのご5章で生産過程、6章、不変資本・可変資本、7章 搾取率ときて、8章で、階級闘争が語られる
★労働時間の限界は、商品根幹の法則からは出で来ない/ 標準労働時間の確定は、階級闘争で決着つけるしかない
/その結果、策定されたのが工場法=「この法律は、国家の側からの・・・労働時間の強制的制限によって、労働力の無制限な搾取への資本の衝動を制御する」/こま闘争は行くとどなく繰り返される
* Dハーヴェイ 労働時間をめぐる「闘争は今日も続いている、これは明らかに…資本主義生産様式における中心的問題である。これを無視するような経済理論がいったい何の役にたつだろうか」/また、同時に「階級闘争は、往々にして、資本主義生産様式を維持する肯定的力として容易に資本主義のダイナミズムのうちに内部化される」とも指摘
→ 闘争には、先鋭的形態も微温的形態もある、公然たる形態も隠然たる形態
【4】「工場監督官報告書」と過労死の発見
【5】標準労働時間をめぐる闘争と南北戦争および奴隷制
・労働時間の章の第七節 1866年「国際労働者大会」が「われわれは労働時間の制限を、それなしには他のいっさいの解放への努力が挫折するほかない1つの先決条件であることを宣言する。・・・われわれは8時間労働を労働時間の法定の限度として提案する」と決議した、と特記」
・アメリカ 奴隷制廃止 マルクス「現代史上のただ1つの大事件」
・奴隷制まで北米の労働運動はマヒ状態だったが、終止符をうち、全米に8時間労働の運動がひろがった/イギリスの労働者は、南北戦争により綿花の輸入が減少し綿工場は打鍵をうけだが、奴隷解放を支持した、資本家は、アメリカの奴隷制を支持し、イギリスの工場法の拡大に反対し、違法を繰り返した
→ マルクスは、イギリスの資本家を「奴隷制擁護反徒」、工場法への抵抗・反対を「奴隷制擁護反乱の縮図」と称した・
→アメリカの内乱は、黒人奴隷が「自由」な労働者になることを可能にした/10時間労働の一般化で一区切りついたイギリスの内乱は、特殊の法的制限の外におかれ、奴隷状態であった工場労働者をようやく「自由」な労働者にした。
★「労働時間」の最後・・・「自分たちを悩ます蛇にたいする『防衛』のために、労働者は結集し、階級として1つの国法を、資本との自由意志的契約によって自分たちと同族とを死と奴隷状態とに売り渡すことを彼らがみずから阻止する超強力な社会的障害物(バリケード)を、強要しなければならなない。『売り渡すことのできない人権』のはでな目録に代わって、法律によって制限された労働時間というつつましいマグナカルタが登場する。それは『労働者が販売する時間が、いつ終わり、彼ら自身のものになる時間がいつ始まるのかをついに明瞭にする』。なんとひどくかわったことか」
→ 『注』で労働監督官の言葉を紹介 「彼らを彼ら自身の時間の主人公にすることによって」「ある精神的エネルギーを彼らに与え、このエネルギーは、ついには彼らが政治的権力を握ることになるように導いている」
★ マルクスの社会改良者としての主張/資本主義内での労働時間の制限と短縮/ が、それが実現してこそ、労働者の社会活動の時間が拡大し、政治参加を通じた将来の政権掌握の可能性がひろがる
(→ メモ者 社会変革の担い手の成長 = 社会変革の「物質的諸条件」の確立)
【6】現代日本の労働時間と過労死
・既婚女性の労働力参加率の上昇 60年代以降/とくにバブル崩壊後、男性も含めて非正規化が急激に上昇
~ 男女計の平均年間労働時間 95年2267時間 → 15年2044時間 (総務省「労働力調査」) と大きく減少
・ジェンダー秩序=「男は残業、女はパート」の日本の働き方のもとでは「男女計の平均」では真実は見えない。
週労働時間 男性正社員53.1時間 年ベース2761時間 「社会生活基本調査」2011年
→ 1950年代後半の「労働力調査」の労働時間とほぼ同じ、やや長い/ 英米より10時間、年500時間、独仏12時間、年600時間長い。
→が、これでも、過労死職場の実態は説明できない。/電通過労自殺 1か月前の時間外105時間、関電高浜原発の再稼働対応課長の自殺 19日間で150時間
・過労死等労災認定11-15年 脳・心臓1276件、精神875件 うち140時間超 脳・心臓739、精神746件
→ 時間外140時間・・・法定8時間+時間外7時間 15時間労働 /「資本論」 工場法成立前のイギリスの状況、日本の「女工哀史」 12時間+α で、15時間、と同等
★労働基準法がザル法に ⇔36条による協定による長時間労働の容認。47年の同法制定以来、改定なし
・98年「労働省告示154号」 時間外・・・週15時間、月45時間、年360時間を設定/が、法的強制力はない。そのうえ、「予算・決算業務」「業務の繁忙期」「納期の切迫」「大規模なクレーム対応」「機械トラブルの対応」は、特別条項付き協定を結べば、延長できる。/しかも、建築、自動車の運転、新商品など研究開発などは指導基準の適用外
・労働組合に期待が持てない状況では、なんらの規制力とならない。
◆おわりに
・マルクス「賃金・価格・利潤」・・・「労働時間の制限についていえば、ほかのどの国でもそうだが、イギリスでも、法律の介入によらないでそれが決まったことは一度もなかった。その介入も、労働者がたえず外部から圧力を加えなかったら決してなされはしなかったであろう。」/ 「その成果は・・・・全般的な政治的活動が必要であったということこそ、単なる経済活動の上では資本の方が強いということである」
⇔ 日本においても、労働時間の規制は、法的介入抜きにはできないことは明白/「資本論」の英国の姿は、現在の日本
・が、「資本論」研究、日本資本主義分析でも、労働時間の問題は、本来の重要性にふさわしく位置付けられてなかった。
→ 安倍「働き方改革」による、高プロ導入、残業規制の緩和(メモ者 ギグエコノミーの拡大なども)などが、政治経済の行方を作用する重要争点に ⇔ 「資本論」の労働時間論に立ち返った分析と批判がもとめられている。
( メモ者 ★労働時間をめぐる階級闘争は、社会変革をすすめる要をなすもの )
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