「徴用工問題」とはなにか ~日本がなすべきこと 「植民地支配」の直視を
法学館憲法研究所のコラム欄より。『「徴用工問題」とは何か』『歴史認識と日韓「和解」への道』などの著作のある戸塚悦朗弁護士へのインタビュー記事。
そもそも日韓請求権協定は、植民地支配を正当化する日本との間で折り合いがつかず、植民地支配に起因する個人の賠償請求は範囲外である。しかも、76年発効の国際人権規約が、「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること」とし、過去の先住民支配、強制隔離や強制労働などに対して、各国で様々な謝罪・補償が実施された。日本も79年批准。
このインタビューでは、“1963年の国連国際法委員会(ILC)の報告書にも、国家を代表する個人に対して加えられた強制又は強迫の結果締結された条約は国際慣習法上も無効である具体例として、05年に当時の大韓帝国から外交権を剥奪した「韓国保護条約」がとりあげられている”と、植民地支配の不当性について指摘している。二重、三重の意味で「解決ずみ」とは言えない。
同氏は、植民地支配の不法性を認めたら、日本の国際関係は著しく好転し始めまる、虚構を信じなくてもよくにり、教育も学問にも良い影響をあたえる、と希望を語っている点も重要である。
ドイツが行った「過去の克服」、被害者の視点に立った解決がもとめられる。
なお、日本政府は、「日本軍性奴隷」や「徴用工」「植民地支配」について、自らの罪を認める「謝罪」=法的責任が生じる「謝罪」はしておらず、結果として傷つけてしまったという「道義的責任」を感じての「お詫び」と、それにもとづく「反省」しかしていない、とのこと(新井田十喜)。
【徴用工問題」とは何か? ~ 日本がなすべきことは 2019年12月23日 戸塚悦朗さん(弁護士)】
―――韓国籍をもつご友人にまつわる、大学時代の個人的体験から本書をスタートさせていることがまず印象的でした。この体験から、「日韓の歴史認識を深めることができなければ…韓国・朝鮮の人たちの心を理解することはできない。」という、「発見」をなさったと書かれております。これは本書を貫くテーマでもあると思いますが、やはりこの点が本書を執筆されるうえで最も強い動機づけだったのでしょうか。
(戸塚さん) ご指摘のとおり、『「徴用工問題」とは何か』の「まえがき」に書いた経験が私としてはとても大事なポイントだと考えています。物理学科の大学生当時の私は、自然科学にどっぷりつかって、「たこつぼ」に入り込んでいました。恥ずかしいことですが、社会的な関心がうすい「専門バカ」だったのです。
親友になったつもりだった友人の一人がたまたま韓国生まれだっただけで、自分では彼に対して「差別感情を全く持っていなかった」と思い込んでいました。だから、「善意」からなのですが、「何の深い考えもなく」、思いつくままに彼にいろいろのことを言っていたのです。今思えば、無知から出たことなのですが、いくつもの私の心無い言葉が彼を傷つけていたに違いないのです。何十年してから、心の古傷を記憶し続けていた友人から詰問されるまで、それに気が付くことができなかったのです。そのような私自身の鈍感さ加減に我ながら衝撃を受けました。
韓国・朝鮮人への憎悪から差別的なヘイト発言を繰り返す人たちもいます。その場合は、発言している人たちは、憎悪感情を自覚しているでしょう。しかし、大部分の日本人たちは、大学生時代の私のように、在日韓国・朝鮮人の人たちに憎悪感情を持っているわけではないでしょう。ただ、なぜ彼らが日本で暮らしているのかの歴史を知らないだけで、私と同じように「善意」で彼らに接しているのだと思います。ところが、憎悪しているわけではないのに、その言葉が、ヘイトクライムを冒している人たちの言葉と同じように、在日韓国・朝鮮人の人たちの心を深く傷つけている可能性があります。そのようなケースがヘイトクライムを冒す人たちよりはるかに多いでしょう。数が多く、意識されないのですから、ヘイトクライム問題以上に問題が根深いとも言えます。
ところが、在日韓国・朝鮮人の人たちは、私の友人と同じように、「善意」の人達の心無い言葉にその場では直ちに反論しないのが普通です。表面的ではありますが、「友好関係」を維持する必要があるからです。そうなると、普通の日本人の人たちは、私がかってそうだったように、自分の言葉が在日・韓国・朝鮮人の人たちの心を深く傷つけ続けていること自体に気が付かないでしょう。
これは、社会心理学的に深く研究すべき問題ですが、今の私にはそれができていません。私は、たまたま「慰安婦」問題に取り組んだころから、少しずつ日韓・日朝関係の歴史を知るようになり、自分の無知ぶりに気が付くことができたのです。遅きに過ぎたかもしれませんし、不十分ではあると思いますが、「反省」の機会があったわけです。それは幸運でした。そうすると、友人との間だけでなく、韓国や朝鮮の人たちとの関係が無理のない普通の人間関係になってきたように感じました。そのような自分の個人的な経験から推論しているのです。もし、多くの日本の人たちが私と同じように、歴史認識を深める機会があれば、同じように人間関係の好転の契機を体験することができるかもしれないと思うのです。
そうなると、近代日韓・日朝関係の原点である1905年11月17日付の幻の「韓国保護条約」(?)の法的研究とその理解が重要なポイントの一つになります。それを知るためには、この点の長年の研究をまとめた『歴史認識と日韓「和解」への道』を読んでいただくのがよいと思います。日韓・日朝関係を好転させるための根本問題を理解する視点が見えてくるのではないでしょうか。
そのような思いから、二つの本を出版したのです。
―――本書の冒頭でも検討されていますが、2018年の「徴用工判決」については、当時の安倍首相の感情的な反応が問題を余計にこじれさせてしまったように思えます。例えば、彼は本判決に対して「韓国政府が何もしない」となじったわけです。このような安倍首相の対応の本質的な問題点をお教えください。
(戸塚さん) 「徴用工問題」の2018年10月大法院判決への安倍首相の反応は、「感情的」とも言えないのでは?安倍談話にあらわれている歴史認識は、『歴史認識と日韓「和解」への道』で説明したとおりで、韓国併合は、日露戦争の結果でもあるわけですが、この戦争を栄光の歴史と見ていて、日本の植民地主義政策への反省も批判的視点も欠けています。この点で、伝統的な自民党の中にあった植民支配に対する後ろめたさの感覚が薄いのでしょう。そのうえ、戦争責任問題は、すべてサンフランシスコ平和条約体制とそれに基づく1965年日韓基本条約・日韓請求権協定で完全に解決済みであるという歴史認識にとらわれています。安倍首相は、「確信」にもとづいて韓国大法院判決と韓国政府を非難したのだと思います。
そのうえ、2019年7月の参議院選挙を控えていたという政治的なタイミングもあったと思います。「拉致問題」で朝鮮民主主義人民共和国政府を非難したり、「慰安婦」問題や「徴用工問題」で大韓民国政府を非難したりすれば、選挙で票が増えるという安倍首相なりの政治的経験から言えば、このような強硬姿勢をとり、超保守化した世論をあおった方が有利という政治的判断はなかったでしょうか?そうだとすると、とても「冷静」な対応だと思われます。
しかし、「国際法に照らして、ありえない判決」と断定したことは、どうでしょうか?周囲に助言してくれる人もいなかったのかもしれません。そう言い切れるかというと、事態はもっと複雑なのではないかと思われるのです。十分に国際法上の問題を慎重に検討したとは思われません。『「徴用工問題」とは何か』を読んでいただければ、国際法上の研究を重ねると、安倍首相の主張とは逆の結論が出てくるということを理解していただけるでしょう。
―――本判決に対し、当時の日本の政権が輸出管理の問題とリンクさせたため、余計に事態が複雑化したようにみえます。「徴用工判決」と輸出規制の問題について、両者は位相が異なると思うのですが。
(戸塚さん) 日本政府は、当初は、輸出規制措置を「徴用工判決」への制裁措置としていたのに、後に両者は関係がないと言い出しました。メディアが日本政府の説明に応じて報道内容を変えてしまったことも、問題を複雑化しました。
「徴用工判決」は、民間人被害者と民間会社の間の民事訴訟の問題です。政府がこれに介入することは適当ではありません。政府が介入する方法として、経済制裁という手段をとったのは、もっと危険な行為で、全く適当ではないと思います。これは、戦争一歩手前の強硬手段です。あくまでも国際紛争の平和的解決の原則に沿って、外交的に話し合って解決すべきでしょう。
そのうえ、中国人被害者と民間会社の間の民事事件の解決には日本政府は介入していません。ですから、和解による解決が実現しています。韓国人被害者については、民間会社に圧力をかけて、和解を阻止しようとしているのは、日本政府なのです。植民地支配下の戦時の重大人権侵害の被害者の問題への対応としてはもっと大局を見た対応をとるべきでしょう。このことは、『「徴用工問題」とは何か』の最初に書きました。
―――本書でも詳細に検討されております通り、本判決の争点の一つは、1965年の所謂「請求権協定」(2条)の解釈にありました。この点について、両政府ともに国際法や国際人権法を基本に据えた慎重かつ冷静な議論が求められているということ理解していますが、いかがでしょうか。
(戸塚さん) 日本では、1965年の日韓請求権協定を韓国の大法院判決が無視しているかのような誤解に基づく非難がなされています。しかし、これは事実に反するのです。ですから、私は、まず大法院判決を読むところから議論を始めてみようと、『「徴用工問題」とは何か』を出版したのです。
判決の解説を読んでいただけばわかることですが、大法院は、1965年の日韓請求権協定を詳細に検討して、この協定が徴用工の給与の問題を含んでいて、「完全かつ最終的に解決」されたことを認めています。ただ、「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」の問題は1965年協定の範囲外だったと判断しているのです。
国際法上の問題が重要です。日本政府の「徴用工判決」への非難と論理は、私が経験した「慰安婦」問題の国連審議を通じて日本政府が強くこだわった「条約の抗弁」とも共通する点があります。そこで、『「徴用工問題」とは何か』では、その経験も踏まえ、1965年請求権協定の限界について説明しています。
―――2018年の「徴用工判決」につながる2012年大法院判決は、多くの日本人が知らずにいると思います。日本の植民地支配の不法性をめぐる、2012年判決でなされた憲法解釈を戸塚先生は「画期的」と評されていますが、その意味を詳しくお聞かせください。
(戸塚さん) その後の2018年大法院判決の判断の基礎となった2012年大法院判決(その前の下級審判決の差し戻しを決めたもの)の該当部分は、以下のように判断しています。『「徴用工問題」とは何か』から、ちょっと引用してみます。
「大韓民国制憲憲法はその前文で「悠久の歴史と伝統に輝く我ら大韓国民は己未三一運動により大韓民国を建立し、世の中に宣布した偉大な独立精神を継承し、いま民主独立国家を再建するにおいて」と述べ・・・また現行憲法もその前文で「悠久な歴史と伝統に輝くわが大韓国民は三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統と不義に抗拒した四・十九民主理念を継承し」と規定している・・・このような大韓民国憲法の規定に照らしてみるとき、日帝強占期の日本の韓半島支配は規範的観点から不法な強占に過ぎず・・・」
2012年のことですが、私がこれを読んだ時には、その画期性にとても驚きました。その画期性としては、二つのポイントがあります。
第1は、その憲法判断の内容です。「このような大韓民国憲法の規定に照らしてみるとき、日帝強占期の日本の韓半島支配は規範的観点から不法な強占に過ぎず・・・」と判断したのです。日本による植民地支配は、「不法な強占」だったというのです。つまり、韓国の最高の裁判所が植民地支配を不法だったと判断したことになります。私は、これまでにはこのような韓国の司法判断は見たことがありませんでした。これは憲法判断の結果であり、韓国の国内法に基づく判断ですから、国際法上の判断はまた別です。しかし、それにしてもこれは画期的な内容ですから、日本の政府としても、法律学者としても、これに応答する研究をする必要に迫られたわけです。そのために、『歴史認識と日韓「和解」への道』を出版したのです。
第2は、この判断の結果、同一事件についての日本判決を承認できないとしたことです。これは、それまでの韓国の下級審判決の結果(日本判決を承認していた)を覆すものでした。ですから、日本の裁判所で敗訴した原告が同じ事件で、韓国で勝訴することができたわけです。これは、実務的に極めて重要な結果で、画期的というべきでしょう。その論理はとても興味深いので、『「徴用工問題」とは何か』で読んでください。
―――2012年の大法院判決時に日韓政府の圧力により韓国司法部が機能不全に陥り、その独立を脅かされたという重大な事件があったことが指摘されています。これは韓国における被害者の救済や日韓和解にとってその途を閉ざす深刻な事件だったのですね。
(戸塚さん) 2012年大法院判決の判断に従って、差し戻し審は、原告勝訴の判決を出すことになり、韓国司法府は、大転換をしたのです。これは、日本の企業にとっても、日本政府にとっても、このような2012年の大法院判決の画期性に衝撃を受けたと思います。直ちに対策を講じました。ただ、どのような対策だったかは、秘密にされています。
『「徴用工問題」とは何か』では、この歴史的スキャンダルの重要性に触れましたが、おそらく、日本政府、日本企業と韓国行政府最高首脳部(弾劾裁判で罷免された朴大統領をトップとする)、司法府最高首脳部が水面下で静かに動いていたのでしょう。いまだにその全容はわかっていません。わかっているのは、差し戻し審判決が出ても、その後上告審である大法院判決が出ない状況になっていたのです。ですから、被害者の救済も日韓の和解も停滞してしまったわけです。その原因は、日本企業と日本政府が創ったものです。しかし、そのような強烈な外圧に抵抗しきれなかった韓国の統治機構の脆弱性をも示すものでもあります。韓国社会を未だに日本の支配下に置こうとする構造的問題と見ることもできるでしょう。
まるでドラマを見るような展開ですが、その内幕については、韓国の前大法院長の拘束という前代未聞の事態にいたっています。司法府が独立を失うという機能不全に陥っていたことだけは確かでしょう。今後韓国司法府の復権によって、真相が明らかにされることが期待されます。
―――国際法上も日本の植民地支配が不当であったか、この点について戸塚先生は長年にわたり丹念にご研究をされております。植民地支配の不法性に関し、日本においてこれまで研究が滞っていたのはなぜなのでしょうか。
(戸塚さん) 私が「慰安婦」問題について、これを「性奴隷」として国連人権委員会で発言したのは、1992年2月のことでした。そのときから、「慰安婦」問題と法の研究を継続してきました。奇妙なことでしたが、「慰安婦」を動員するための軍事法規の立法がなく、法的根拠を見つけることができませんでした。軍の極秘制度だったのです。韓国・朝鮮についての動員根拠法規を遡って探し、植民地支配根拠法制度にたとりつきました。
ロンドン大学の客員研究員当時の1992年秋ごろのことだったのですが、ロンドン大学の図書館で、国連国際法委員会(ILC)の1963年の総会宛て報告書を見つけ、その中に1905年11月17日「韓国保護条約」が絶対的無効であるとする記載を「発見」したのです。これをもとに、日韓旧条約はすべて合法だったという日本政府見解、つまりは日本の常識を覆す重大な結果につながる論文案を書きました。ところが、親しい識者たちから、「もし実名入りで論文として日本で公表すると、テロの被害を受ける可能性がある」という強い助言を受けました。それだけ知られていない情報だったのです。そこで、きわめて慎重な方法で、1993年から少しずつ表に出すという方針をとるようにしました。ところが、「石橋をたたいても渡らない」というようなことになってしまい、『歴史認識と日韓「和解」への道』として研究をまとめて出版するまでには、26年もかかってしまったのです。その間、大変興味深い発見をいくつも重ね、とうとう1905年11月17日付「日韓協約」不存在説にたどり着いたのです。
(メモ者 同氏の主張の柱 、“韓国併合に先立つ05年に当時の大韓帝国から外交権を剥奪した「韓国保護条約」(第二次日韓協約=乙巳(ウルサ)条約)について、(1)外交権を他国に譲渡する重要な条約であるにもかかわらず表題もなく草案のまま締結に至らなかった疑いがある、(2)武力を背景に強要した条約である、(3)当時の国際法においても明文がない限り条約には批准が必要であるというのが「通説」だが皇帝の批准がない、など様々な観点から、当初より無効であった。そして、1963年の国連国際法委員会(ILC)の報告書にも、国家を代表する個人に対して加えられた強制又は強迫の結果締結された条約は国際慣習法上も無効である具体例としてこの条約が取り上げられていると指摘。当時の国際法的な観点からも「韓国保護条約」自体が「無効」である”)
(メモ者 当時の状況 … 綱領教室Ⅰ資料 志位 より
◆1904年 日露戦争での朝鮮半島の戦場化
・閔妃虐殺など日本の暴虐への反発が広がる中、ロシア大使館に逃れた国王・高宗が実権回復。ロシアの影響力が拡大、遼東半島も返還させられロシアのものに。
・韓国からロシアの影響を排除するために、日露戦争開戦。
・韓国政府 日露戦争直前に「局外中立」を宣言。
・1904年 日露開戦と同時に、日本がソウルを軍事占領。「日韓議定書」を強要し、日露戦争への協力を約束させる。
・朝鮮半島の戦場化による甚大な被害
日本による電信・通信機関、鉄道、軍用地の占拠、官吏を駆逐し腹心の配置、警察権の代行、集会禁止、軍用人夫の強制徴発、税・財政の管理、私有田畑の奪取・開墾の強要、徴用労働拒否者の逮捕・拷問・斬殺など 「朝鮮独立運動の血史 1」より
◆1905年 軍事圧力のもとでの韓国の属国化 ~日韓保護条約
・1904年「第一次日韓協約」を強要。日本政府の推薦する顧問を「韓国政府」に押し付け、財政と外交の事実上の実権を掌握
・1905年 日露講和・ポーツマス条約 第二条で韓国への日本の支配権を全面的に認めさせる。
(南樺太の割譲、中国東北部の権益奪取も)
・1905年 「第二次日韓協約」(韓国保護条約)の締結
王宮の外でば、日本軍が「演習」と称する大規模な軍事的威嚇をやるなか、伊藤博文が憲兵をつれて王宮に押し入り、退出しようとする大臣に対し、伊藤博文は「あまり駄々をこねるなら殺ってしまえ」など脅しながら、強引に調印させる。 → 外交権を完全に奪取。「総督府」を設置。)
研究とその発表に困難があったとはいえ、結局は、自主規制だったのです。根本的には、私の研究能力の限界が原因で時間がかかったのです。しかし、この過程で日本の厳しい「タブー」を破るのは、容易ではないことを体験したのも事実です。最近、愛知ビエンナーレ「表現の不自由展」で起きたことでもわかるように、日本では学問の自由や表現の自由が十分に保障されていないと痛感します。「嫌韓」ヘイトスピーチが横行する日本の状況を見るにつけ、植民地支配の不法性に関する研究は、困難と言わざるをえません。それでも、研究を続けることができたこと、出版ができたことは、日本社会の健全さをも示すものと言えます。あとは、読者の皆様が、これらの本から何か貴重なものをくみ取ってくださることを期待したいと思います。
―――最後に、戸塚先生は日本が植民地支配の不法性を認めることの肯定的な側面を述べられております。日韓の歩み寄り、日本の東アジアにおいて占める地位にとって大変重要なご指摘だと思いますが、改めてその意義をお聞かせください。
(戸塚さん) もし、日本が植民地支配の不法性を認めたら、何が起きるでしょうか?「どこまで落ちてゆくかわからない」という不安感を持つ日本の人たちは少なくないでしょう。多くの日本人は、「不法性を認めたとたんに、いくら賠償を取られるかわからない」というような強い不安感を持っているようです。そのため、「なにがあっても、不法性を認めることはできない」という結論に飛躍してしまうのでしょう。
しかし、よく考えてみると、その様な不安は根拠に乏しいことがわかるでしょう。そのことを『「徴用工問題」とは何か』の最後に書きました。
もし、植民地支配の不法性を認めたら、実は良いことばかり、という側面があるのです。日本の国際関係は著しく好転し始めます。虚構を信じながら生きる必要がなくなりますから、日常的にストレスが減ります。子どもの教育にはたとえようがないほど、良い効果があるでしょう。タブーに縛られず、発想が自由になるので、学問にも良い影響があります。日本の政治にも好影響を与えます。
もう一つの側面、「それでは、困難はないのか?」という問題を検討する必要があります。率直に言って、かなり大きな山を乗り越える必要があります。しかし、決断と知恵次第で困難を克服することは可能でしょう。基本的には、事実を認めて、誠実に謝罪することが必要です。ドイツの先例に倣って、これにともなう影響は最小限にとどめることにすることが可能です。「慰安婦」問題と「徴用工」問題はILO条約違反の犯罪で、不法な植民地支配下で起きた重大人権侵害の不法行為です(戸塚悦朗『ILOとジェンダー』日本評論社参照)。例外として、対応が必要です。韓国への非難をやめて、誠実に協議すれば、解決は十分可能でしょう。
(聞き手・塚林美弥子)
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