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幸福度世界一の国が目指す社会保障 「だれ一人とりのこさない」 フィンランド

「だれ一人とりのこさない県政」の訴えが共感を呼んだ知事選。「この訴えが共感を呼んでいるのは嬉しい反面、そうでない現実がそこにあるから」と複雑な思いを勝った松本けんじ候補。

 全ての人」がカギというフィンランドの社会保障政策(教育も「公平性と平等」)について担当大臣の話。

 「みんなの介護」での北欧にもふれ、「この世に雑に扱われていい人はいない」という井手英策氏の「介護」の話

 【幸福度世界一の国が目指す社会保障とは 鍵は全ての人 フィンランド、ペコネン保健相インタビュー 全国新聞ネット 11/10】 

 ◆みんなの介護 賢人論  財政社会学者 井手英策氏 に聞く】

昨年上梓した『富山は日本のスウェーデン 変革する保守王国の謎を解く』(集英社新書)がベストセラーになり、一躍注目を浴びた井手英策氏は、民進党でブレーンを務めたこともある、リベラル派気鋭の論客だ。当時の民進党のキャッチフレーズ“All for All”も、実は井手氏が創案したもの。その井手氏は、日本における介護のあり方や実情をどう見ているのか。北欧型福祉との違いや個人の悲しい出来事、熱い思いとともに、舌鋒鋭く語ってもらった。取材・文/盛田栄一 撮影/岡 友香

 【北欧では、社会という「大きな家族」の中で介護を行います】

【社会のみんなが幸福になるためには、増税という選択肢もあります】

【「ケア」の本来の意味は「気にかけること」】

【幸福度世界一の国が目指す社会保障とは 鍵は全ての人 フィンランド、ペコネン保健相インタビュー 全国新聞ネット 11/10】 

  幸福度ランキング世界一、子育て施策や福祉の充実で知られるフィンランドのアイノ=カイサ・ペコネン社会問題・保健相がこのほど来日し、共同通信のインタビューに応じた。近年、少子高齢化が急速に進み「ヨーロッパの日本」と呼ばれるこの国が、今後、どう社会保障制度を維持するのか、福祉分野の何に力を入れていくのかを聞いた。(聞き手、共同通信=宮川さおり)

 フィンランドが高福祉高負担の道を選んだ背景を教えてほしい。


 「フィンランドの人口は今でも日本の25分の1の約550万人しかいない。第2次世界大戦後、この小さな国が生き残り、発展していくためには〝全員野球〟をする必要があった。そのためには、全ての人に平等に教育、社会福祉サービス、社会保障を受けてもらい、力を発揮してもらう必要があった。男女平等の推進も同じ文脈だ。国のリソース(資源)を全ての人に対して使ってきたし、全ての人がそれぞれの能力に応じて財源を負担してきた」

 6月に発足した現政権の社会保障分野の具体的な施策は。

 「医療、子育て、労働などさまざまある。まず、道半ばにある家庭生活、労働分野の男女平等を推進するための育児休業制度改革だ。フィンランドの育休は、母親のみ対象の『「母親休業』、父親のみの『父親休業』、どちらでも取得できる『親休業』の3種類ある。出産直後に男性が取得する父親休業の取得率は75%だが、日数はまだまだ少ない。親休業の取得も圧倒的に母親の取得率が高い。この父親への割り当てを延長するとともに、父親が職場を離れやすい環境整備を進めたい。父親が家庭にいて子どもの面倒を見ることで、母親の職場復帰を後押しできる。政府だけでなく、雇用主、労働者代表らとも連携していく。時間がかかるが、当事者が力を合わせればできる」

 雇用、労働部門での新たな施策はあるのか。

 「フィンランドの失業率は5・9%(2019年9月)と高い水準で推移している。燃え尽きて、仕事や人生からドロップアウトしている若者も多い。女性、若者、高齢者をはじめ、あらゆる人を労働市場に呼び込むようにする。高齢者には、それぞれの体力、気力に合わせたフレキシブルな労働環境が求められる。若者や女性ら、高齢者以外も育休の充実や時短など、労働条件をさらに柔軟にして、生活の変化に応じて働けるようにしたい」

虐待や家庭内暴力の対策で、日本をはじめとする多くの国は被害者支援が中心だが、フィンランドは加害者の支援や家族全体の支援にも力を入れていると聞いた。

 「法律で、暴力の被害者のみならず、加害者についてもさまざまな形で支援するよう明記している。施設に入らなくても、在宅でも支援を受けられる。 加害者への支援は、悪循環を絶ち、あらたな被害を予防する。家族全体への支援についても、虐待された子どもを親から引き離すだけではなく、適切に介入しながら、なるべく家族と一緒に暮らす中で支援するほうが子どもにとって良い結果となるはずだ。ずっと施設で生活させるよりコストも削減できる」

 日本では、介護職の待遇の悪さが問題になっている。

 「賃金など、介護職の労働条件はフィンランドでもよくない。軽視されている面も否めない。特に、高齢者介護の分野は危機的状況。政府として、ただちに改善したいと考えている。具体的には、法律に『24時間態勢の介護分野において、スタッフの数は十分でなければならない』という条文を盛り込みたい。待遇を改善することによって、ケアの質とともにスタッフの体力と気力を維持したい」

 フィンランドは、介護分野で人工知能(AI)やロボットの活用に力を入れている。

「もちろんこうした技術は、介護の業務の中で助けにはなるが、やはり人材が一番だ」

 ★アイノ=カイサ・ペコネン 1979年、フィンランド・リーヒマキ生まれ。精神福祉分野の介護現場を経験した後、リーヒマキ市議会議員などを経て2011年に国会議員に。6月から現職。

 

 

 

【北欧では、社会という「大きな家族」の中で介護を行います 2019/10/21

 ◆スウェーデンでは、すべての国民に家族を介護する権利が認められています

 みんなの介護 ベストセラーになった『富山は日本のスウェーデン』をたいへん面白く拝読しました。介護をめぐる環境についても、日本とスウェーデンでは、やはりずいぶんと違うのでしょうか。

 井手 介護の考え方について大きな違いがありますね。

 スウェーデンでは、家族を介護する権利が認められています。国民に認められた正当な権利ですから、「明日は親の介護をするので、仕事を休みます」と堂々と言えるし、介護は税でまかなわれ、介護保険は仕事を休んだ場合の所得保障に使われています。

 人間は誰でも年をとるし、年老いていけば、誰もが介護が必要な状態になり得えます。未来は誰にもわかりませんから、「自分は絶対に介護を必要としない」なんて言い切れる人はいない。

 だとすれば、誰もが当たり前に介護を受けられる社会をつくるべきだし、のぞむ人はみな、家族を介護できる社会にすべきでしょう。スウェーデンなど、北欧の社会の仕組みはそうなっています。

 みんなの介護 日本の場合、親の介護で仕事を休むとき、どうしても後ろめたさがつきまといますよね。「すみません、明日は親をデイサービスに連れていくので、半休します」とか。北欧では、そういう後ろめたさを感じなくて済むんですね。うらやましい。

 井手 うらやましいのは、介護だけではありません。例えば、僕たちがこれから1ヵ月間仕事を休まなければならなくなったとすると、誰もが生活費の心配をしますよね。あるいは大病にでもかかろうものなら、エラい目に遭う。日本に暮らしていれば、そういうリスクが必ずあるわけです。

 ところが北欧の場合、生活上のリスクは日本よりもずっと小さい。北欧では大学の学費がほとんどかからないから、大学生の子どもを持つ人が働けなくなっても、子どもの学費を心配しなくて済みます。失業保険の給付もしっかりしてるし、医療費も安く抑えられているから、病気になっても安心です。

 北欧ではそんな風に、ある人があるとき仕事から切り離されたとしても、お金の心配をしなくて良い社会をつくっている。だからこそ、両親やおじいちゃん、おばあちゃんに介護が必要になってとき、のぞんだ人たちは安心して介護に取り組めるし、頻繁に会いに行くこともできるんです。

 みんなの介護 北欧の充実した福祉を支えているのが、国民からの税金ですね。北欧と言えば、「高福祉・高負担」が有名です。

 井手 北欧は確かに高福祉・高負担の国々ですが、僕が富山と比較するためにスウェーデンを取り上げたのは「高福祉・高負担」の国だからではなく、「社会民主主義」の国だから。

 21世紀の今日、高福祉・高負担の国を一つ挙げるとすれば、それはフランスでしょう。フランスは長年少子化対策に取り組んでいて、2子以上を養育する家庭に所得制限なしの家族手当、3子以上に家族補足手当を支給したり、3子以上で大幅な所得税減税をしたり、3子以上で年金を10%アップするなど、子どもが多いほど優遇される社会制度を確立し、出生率の向上に成功しました。その分、国民の税負担は重くなり、2017年にはデンマークを抜いて社会保障義務負担率が世界一高い国になっています。

 

◆人間が生きていくために必要なことを分かち合う。これが「家族の原理」

 みんなの介護 先ほど、スウェーデンを著書で取り上げたのは社会民主主義の国だから、というお話がありましたね。井手さんの著書によれば、社会民主主義は「自由・公正・連帯」という価値に重きを置いていて、それは家族の相互扶助の原理にも近いとか。こうした理解でよろしいでしょうか。

 井手 よろしいと思います(笑)。ただし「家族」という言葉を使う場合、家族には2つの面があることを確認しておく必要があります。

 ひとつは、ともに生きていく「運命共同体」としての家族です。そこでは、女性はシャドウ・ワークと呼ばれる家事労働に従事させられたり、子どもたちは父親の意見に服従しなくてはならなかったり、かつての日本のように、一種の強制性に支配される関係になります。

もうひとつは、人間の歴史を貫く、生きる原理としての家族です。哲学者のハンナ・アーレントは、「人間は生きていくために必要なことをする」と述べていますが、その、生きるために必要なことを分かち合い、受け持ってきたのが家族と言えます。安丸良夫さんという歴史学者の言葉を借りれば、「生命維持装置としての家族」ですね。家族の原理は万国共通です。

 みんなの介護 高齢者を介護することも、まさに生命維持装置としての家族が機能している一例ですね。

 井手 その通りです。ただし、その機能を家族の中だけで果たそうとするのか、あるいは社会全体にまで規模を拡大して果たそうとするのかで、社会のあり方は大きく違ってきます。

 日本ではまだ、介護の問題を家族の中だけで解決しようという考えが根強いですね。おじいちゃん、おばあちゃんを介護するために、お父さん、お母さんは自分の仕事をある程度犠牲にしなければならない。犠牲にすることが当たり前のことだと考えています。

 一方、北欧では、介護の問題を社会全体で解決しようと考えているので、みんなでお金を出し合って、誰もが簡単に介護サービスを受けられる仕組みをつくっている。

 このように日本と北欧では、「介護」を家の中だけで解決するか、社会全体で解決するか、明確な違いがあります。これはすごく重要なポイントだと思う。

 

◆税は、みんなが安心して暮らすために必要な「痛み」

 要介護の母と叔母が火事で亡くなったのは社会の問題だと考えています

井手 僕がこういう話をすると、介護問題に詳しい人たちは、次のように反論するかもしれません。いや、日本だって2000年から介護保険制度を導入し、税金と介護保険を使って、社会全体で介護に取り組んでいるじゃないか、と。

 みんなの介護 確かに、日本でも、高齢者介護については国を挙げて取り組んでいることにはなっていますね。

 井手 もし、そうであれば、僕が今からするお話がよくある話なのか、それともめったにない話なのか、皆さんでよく考えていただきたいと思います。

 あるところに2人の高齢者がいました。1人が87歳で、もう1人が84歳。1人は脳が萎縮する病気を患い、もう1人も認知機能が少しずつ衰えていく状態でした。

 その面倒を子どもたちが見ていました。姉と弟がいて、弟は仕送りをし、普段の暮らしは姉夫婦が見ていました。その夫婦は経済的に豊かとはいえなかったので、夫婦共働きで働いていました。

 昼は介護サービスを使っていますが、サービスが利用できるのは87歳の高齢者だけ。後から考えれば、84歳の高齢者も認知症だったのですが、そのときはまだ認知症と認められていませんでした。

 そしてあるとき、悲劇が起こります。自宅に2人きりでいた高齢者が火の不始末から火事を起こし、残酷にも、2人とも命を失ってしまうのです。

このような事例は、めったにないケースなのか。それとも、普通にありうるケースなのか。おそらく、介護の現場にいる人は、いつ起きてもおかしくないケースだと考えるでしょう。

 だとすれば、僕は、これは大きな制度上の欠陥だと思います。なぜなら、公的な介護サービスを受けていながら、2人の高齢者が不慮の事故で亡くなってしまったのですから。これは僕の母と叔母に起きた、今年の5月に現実に起こった悲劇の物語です。

 みんなの介護 ……………………。

 井手 火の不始末という点で、出火の責任は母と叔母にあります。仕送りをして姉に任せきりだった僕の生きかたも、批判されて当然です。しかし、自己責任ですませていい問題なのでしょうか。高齢で認知症の母と叔母が、1日何時間も自宅に2人きりで過ごさざるを得ない状況が生まれていたとすれば、これは社会問題だといえないでしょうか。

 姉夫婦は生活のために、自分たちの老後の不安のために、毎日懸命に働いています。1人は定年退職しましたが、まだ非正規で働いています。そんな2人に、「どうして1日中自宅にいて、母と叔母の面倒を見てくれなかったのか」なんて言えますか。言えませんよ。

 みんなの介護 これがもし北欧のように真に介護が社会化されていれば、こんな不幸なことは起こらなかったはずですね。

 井手 そう思います。北欧では介護サービスでカバーできる範囲が広いし、ほかにもNPOなどさまざまなセーフティーネットがあって、要介護者をしっかり支える仕組みが出来上がっています。そもそも、老後の不安に備えて、熟年夫婦があくせく働く必要はありません。

 ところが日本の場合、本当の意味で「介護の社会化」が実現できているとは言えません。不特定多数の人々の善意に寄りかかっている部分が大きくて、そのすき間で、あさっりと不幸が起こってしまう。本当は、不幸な出来事の多くは予見可能です。でも、人的にも経済的にも余裕がないので放置するしかない。こんな状況をみなさんは許せますか?

 

◆人が生きるためのニーズが満たされるのであれば、誰が担当するかは重要ではありません

 みんなの介護 日本の介護保険制度は、まず自宅で介護することがベースになっていて、家にいるお嫁さんが、介護を担うべき第一候補として考えられているとしばしば指摘されてきました。

 井手 近代の家族モデルがそうなっていますからね。夫は外に働きに出て、妻は良妻賢母を演じて家を守り、高齢者のお世話をする。でも、僕に言わせれば、こうした家族モデルにいつまでも依存するのは間違っています。そうやって家族に介護を押しつける状況は、変えていかなければなりません。

 とはいえ、先ほどお話しした、人間が生きていくための家族の原理は、家族がどんな形を取ろうが、今も連綿と生き続けています。生命や暮らしの危機に瀕している人がいれば、周りにいる人がなんとか支えてあげなければならない。

 みんなの介護 家族の「形」よりも、家族の「原理」が重要だということですね。

 井手 ここに1人の赤ちゃんが誕生したとしましょう。赤ちゃんは1人では生きていけませんから、その瞬間から、そこには保育や育児のニーズが発生します。そのニーズを満たすのは、必ずしも母親である必要はありません。もちろん母親がやっても良いし、父親がやっても良い。祖父母でも良いし、ご近所さんに預けても良いし、お金を払って保育のプロに任せても良いし、専門の施設に預けても良い。

 重要なのは、ニーズがきちんと満たされるということ。「誰が担当するか」だけでなく、「ニーズが満たされるかどうか」が、より本質的です。

 僕が言いたいのは、人間が生きていくために必要なニーズを一人ひとりの自己責任でなんとかするのではなく、社会全体で痛みや苦しみを分かち合いながら、みんなが安心して暮らせる状況を作っていくべきだ、ということ。その痛みが「税」であり、その喜びが「サービス」なのだと思う。

 みんなの介護 スウェーデンでは、育児や介護を家族と切り離して考えられていますよね。それはつまり、餅は餅屋というか、介護も専門家に任せるべきだという考え方なのでしょうか。

 井手 難しい質問です。冒頭でお話ししたとおり、スウェーデンの国民には家族を介護する「権利」が認められています。誰にでも、年老いておく親を近くで見つめながら、老いとは何かを学ぶ権利がある。だから、「仕事を休んで育児や介護をしたい」ということであれば、国民はその権利を行使できるし、だから休業補償も認められています。

 

介護保険は、介護で仕事を休む場合の所得保障のためにあるのです。「保険」とは本来、仕事ができなくなるなど、何らかのリスクに備えるためのもの。今の介護保険制度は、介護サービスを現物支給するためのものになっています。介護はリスクでしょうか。それともニーズでしょうか。僕は介護はニーズだと思う。

 みんなの介護 確かに、介護保険の「保険」は、生命保険などの「保険」とはニュアンスがちょっと違っていますね。

 井手 そうなんです。だから今の「介護保険」は、正しくは「介護給付」または「介護サービス給付」と呼ぶべきです。

 人は誰でも年老いていくし、すべての国民が介護のお世話になる可能性がある。それなら、高齢者介護は本来「税」を使ってやるべきですよね。「保険」はあくまでも、保険料を払った人に権利を与えるもの。介護はリスクではなく、みんなに共通のニーズなはずです。

 

 

【社会のみんなが幸福になるためには、増税という選択肢もあります】

 ◆国の予算を国債でまかなうと利息を支払わなければならない分、国も国民も損をします

 みんなの介護 井手さんの著書、『幸福の増税論——財政はだれのために』を読んで、税金に対する考え方が大きく変わりました。特に斬新だと感じたのは、「生きるために必要なベーシックサービスを、所得制限なしにすべての階層に保障すべき」と主張されていること。従来の福祉政策では、富裕層を対象外とすることが多かったと思うのですが、なぜ「所得制限なし」なのでしょうか。

 井手 それは、一生病気にならない人は一人もいないし、一生介護のお世話にならないと断言できる人も一人もいないからです。この世にオギャーと生まれて、そのままほったらかしにされて生き延びられる人は一人もいません。それは富裕層も同じこと。

 そうだとすれば、みんなが必要とする保育・教育・医療・介護などのベーシックサービスはすべての人に給付するのが筋。「お金を持っているか、持っていないか」というつまらない理由で、人間を区別すべきではありません。

 みんなの介護 この本で“目からウロコ”的にわかりやすかったのは、税と国債を比較して書かれているくだりです。本欄の読者にもぜひ知ってほしいので、ここで改めて解説していただけないでしょうか。

 井手 わかりました。まず、2018(平成30)年度の日本の一般会計(予算)は、歳入・歳出ともに約98兆円。歳入をみると、所得税・法人税・消費税などの税収が約59兆円。これだけでは歳出分に足りないので、およそ33兆円分を国債発行でまかなっています。そのうちの約28兆円は赤字国債です。

 その国債を買ってくれているのは、主に国内の銀行や生保など。その原資は、国民の預貯金や保険料です。銀行や生保は、国民から預かっているお金で国債を買い、その利息で稼いでいるわけですね。

 政府はそうやって集めたお金で、約98兆円の歳出をまかなっています。その内訳は、社会保障費が約33兆円、地方交付税交付金などが約16兆円、公共事業約6兆円、文教及び科学振興約5兆円、防衛費約5兆円といった具合です。

 僕がおかしいと思うのは、国債で調達したお金で歳出をまかなっていることです。なぜなら、国債を発行した分、利息を支払わなければならないから。現在、国の利払い費は約9兆円で、その4割の3.6兆円を銀行や生保に支払っています。見方を変えれば、貧しい人たちからも徴収した税金で、銀行や生保を太らせているわけです。

 みんなの介護 国債発行額が33兆円だとして、そのうち利息に9兆円取られるとすると、実際に使えるのは24兆円だけ。そうだとすれば、国債なんか発行しないで、国民から直接24兆円を税として徴収したほうがずっと良いですよね。その分、国の借金を増やさずに済むんですから。

 井手 実は、とてもシンプルな話なんです。

 この記事を読んでいる皆さんも、おそらく何らかの形で貯蓄をしているでしょう。マイホームを買うため、子どもの教育費や大きな病気、老後への備えなど、目的は人それぞれですが、経済的に少しでも余裕があれば、多くの人が貯蓄しようとがんばっています。

 なぜなら、日本は北欧諸国と違って、自己責任の国だから。子どもの教育も、老後の備えも、基本的に自己資金でまかなっていかなければいけないからです。

 貯蓄したお金は、その人の資産になります。でもその資産は、いつでも好きなときに使えるお金ではありませんよね。将来に備えて取っておかなければならないから、結局は銀行に預けっぱなしの塩漬け資産になる。

 どうせ使えないお金ということであれば、銀行に預けておくのと、税に取られるのと、一体何が違うのか、という話になります。

 みんなの介護 すみません、話が難しくなってきたので、頭の整理をさせてください。

 2018年度の国の予算を見ると、社会保障費が約33兆円。国債の発行額は偶然にも約33兆円ですね。つまり国は、銀行や生保などから借りた33兆円で社会保障費をまかなっている、と見ることもできます。

 銀行や生保のお金は、もともと国民の塩漬け資産。だとすれば、銀行や生保を通さないで、国民から直接「税」の形で徴収したほうが、利息の発生しない分、国にも国民にもプラスになる。こういう理屈でしょうか。

 井手 そういうことですね。問題は、多くの国民が老後不安を抱えているために、塩漬け資産がどんどん膨らんでいくことです。自分の寿命は誰にもわかりませんから、多くの人は100歳まで生活できるくらいの資産を貯めたいでしょう。その多くは過剰資産になりますね。たいていは100歳になる前に亡くなるのですから。

 するとその資産は、遺産として子どもに遺されます。でも、考えてみてください。100歳の手前で亡くなる親の子どもは、おそらく6070歳。その年齢の子どもが遺産を引き継いでも、お金はほとんど消費されず、老後の蓄えに回されるでしょう。

 そうやって塩漬け資産が増えれば増えるほど、国内の消費は落ち込み、景気はいつまで経っても良くなりません。

 みんなの介護 確かに、政府や日銀が「景気拡大」と言っている一方、「庶民からすれば、景気が良くなっている実感なんて全然ない」という声はよく聞かれます。

 井手 国民の資産が消費に回らないのであれば、その分、国が税金としてまとめて徴収し、教育・保育・介護・医療などの必要な分野に、必要な分だけ資金を投入するほうがずっと有意義です。

 そこから新たな雇用や消費が生まれるし、国民の不安が少しでも払拭されれば、貯蓄に回されていたお金が消費に向かい、景気も良くなるはずです。

 ◆幸福な税金の使い方は社会全体で考えていくもの

税金の使い方が信用できないのなら、監視し、コントロールする仕組みを作ればいい

 みんなの介護 井手さんの主張されている「幸福のための増税」が実現すれば、例えば、次のようなことになるのでしょうか。

 Aさんは老後に備えて毎月3万円ずつ貯金しているが、来年から税制が変わり、収入に応じて「老後安心税」が徴収されることになった。Aさんの場合は、毎月2万円。この税を納めていれば、70歳の誕生日から死ぬときまで、誰もが一定水準以上の生活を保障される。

 この税が創設されたおかげで、すべての国民は老後の不安から解放され、生活資金を貯蓄しておく必要がなくなり、おまけに毎月自由に使えるお金が少しだけ(Aさんの場合は1万円)増えた…。どうでしょう、間違っていますか?

 井手 現実に2万円かどうかはさておき、考え方としては合ってますよ

 みんなの介護 こういう幸せな増税であれば、多くの人が賛成すると思います。どうして社会はこちらの方向に向かわないのでしょうか。

 井手 一番のネックは、国民の多くが政府を信用していないことです。増税しても、結局は必要なところに使われず、防衛費に回されたり、無駄なハコモノを作ったり、役人に無駄遣いされるんじゃないかと、多くの人が疑心暗鬼に捕らわれています。政府を信用できないから、増税には反対する。

 でも、考えてみてください。増税に反対しても、現状は少しも良くなりません。多くの人が将来に不安を抱えたまま、少子高齢化・人口減少・景気の低迷という、ますます生きにくい未来へと突入していくだけです。

 みんなの介護 では、どうすれば良いのでしょう?

 井手 政府が信用できないのであれば、政府の行動を常にチェックする仕組みを考えればいい。

 オランダには経済政策科学局(以降、CPB)という権威ある組織があります。政府機関ではありますが、さまざまな法律で政府からの独立性が担保されていて、ある政策を実施したときの予測や結果を公平公正に試算・分析して国民に伝える、という使命を負っています。

 各政党の公約が誰の得になるのか、損になるのかも一目でわかります。だからみんな選挙に行くので投票率も高い。社会保障を防衛費に使うなんてやれば、与党は次の選挙で手痛い敗北を喫するでしょう。

 オランダでは、このCPBの政権チェック機能が厳しく働いているので、有権者は安心して投票できるし、国政投票率も常に8割を超えています。

 みんなの介護 それはスゴい。日本にも、そういうチェック機関がほしいですね。

 井手 オランダのCPBはあくまでも一例です。要は、政府が必要なところにきちんと税金を投入しているか、チェックできる仕組みをつくればいい。そんなに難しいことではないはずです。

 「増税反対!」と声高に叫ぶことにパワーを使うより、より良い政府をつくるための議論にパワーを使うほうが、はるかに建設的ではないでしょうか。

 増えた2%分の消費税が何に使われるか、あなたは知っていますか?

みんなの介護 政府が信用できなければ、政府を信用できる方向へコントロールすればいい。確かにその通りですが、実現するのは、なかなか難しそうです。

 井手 そんなことはありません。ではお聞きします。2019年の10月1日から消費税が10%に引き上げられましたが、増税分の2%が何に使われるか、ご存じでしたか?

 みんなの介護 いえ、正確にはわかりません…。

井手 増税分2%のうちの1%、すなわち約2.8兆円は幼稚園・保育園の無償化と、低所得層の大学授業料無償化に使います。そしてもう1%は財政健全化、すなわち国の借金返済に使われます。

 残念ながら、国民の皆さんの多くは、こうした消費税増税分の使い道を知らないんですよね。もし、多くの人が知っていれば、消費税の使い方についても、もっといろいろな議論ができたし、別の選択肢も選べたはずです。

 消費税法1条2項には、こう書かれています。「消費税の収入については、地方交付税法に定めるところによるほか、毎年度、制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする」。

 「消費税は社会保障に使う」と法律にしっかり書いてある。だったら、「増税分1%を借金返済ではなく、介護の充実に使うべきだ」という声がもっと出てきて良かったはず。幼保だけでなく介護も、となれば増税賛成派もグッと増えたでしょう。

 2018年度予算の介護給付費は総額で約3.1兆円。消費税1%は約2.8兆円ですから、増税分の1%を介護に充てれば、予算は約2倍になる。かなり思い切った介護の現場の改善が実現できたはずです。

 みんなの介護 そうだったんですね。今、これを読んでいる人は、消費税増税分の使い道について、もっと早く調べておくべきだったと思っているでしょう。

 井手 政治を変えることは、それほど難しいことではありません。皆さんがもう少しだけ政治に関心を持って、例えば増税を議論するときに、増税分が何に使われるのか、自分たちは何に使ってほしいのかを、職場や家庭で話し合ってみてください。

 それだけで社会全体の空気が変わり、SNSなどでさまざまな意見が飛び交い、それがさらに話題を呼ぶ。そうなれば政治も社会も劇的に変わっていくはずです。

 

  

【「ケア」の本来の意味は「気にかけること」】

 ◆この地球上には「雑に扱われていい人間」なんて一人もいません

 みんなの介護 今日、これまでお話を伺ってきて、「この社会をどうしても変えたいんだ」という、井手さんの熱い思いがこちらにも伝わってきました。特に印象的だったのは、中編の「お金持ちだからといって、福祉サービスの対象から除外すべきでない」というお話です。今の日本の社会で言うと、富裕層はどちらかといえば悪者扱いされることが多いのですが、井手さんの「すべての人を幸せにしたい」という思いは、どこから来ているのでしょうか。

 井手 先ほどお話ししたとおり、僕は2019年の5月に、火事で母と叔母を一度に失いました。そのちょうど同じタイミングで、実は4人目の子どもを授かりました。つまり僕は、大切な命を失った絶望と、新たな命を授かった希望を同時に体験することになったのです。そのとき僕は、これこそがかけがえのない僕の人生であり、人間は多くの悲しみや喜びとともに生きているのだと改めて気づかされました。

今日、インタビューという形で皆さんとお会いしました。みなさんがそれぞれの人生を背負い、お父様、お母様がいて、ご先祖様がいて、過去から続く何千年、何万年もの絶え間ない命の連鎖の結果として、今みなさんはここにいらしてますよね。

僕たちの命には、愛する人たちの数え切れないほどの悲しみと喜びが刻み込まれています。その「重み」に思いを巡らせば、「お金を持っている人」と「お金を持っていない人」といった些末な区別など、成立するはずがありません。この地球上に、雑に扱われていい人間など、一人もいないのです。

 みんなの介護 すなわち、この地球上には、大切に慈しむべき人間しかいない。だからこそ、すべての人が幸せになるべきなんですね。

 井手 そうです。この、同じ社会を生きていく仲間たちとともに、誰もが幸せに生きていける社会を作ろうじゃないか、と思う。そのために、誇り高き私たちは税を払う。それは私のためであり、家族のためであり、仲間たちのためであり、この社会に生きるすべての人たちのためである。僕はそういう社会を作りたいし、そのために税や財政について研究したい。それが、この世に生んでもらえた僕の使命でもあると考えています。

「私たち」を意識するところから「社会」が生まれ、「税」と「財政」が重要になります

 みんなの介護 井手さんの原点を、今ここで見たような気がします。

 井手 実は、僕はいままでに三度、死にかけているんですよ。一度目は母の胎内にいるとき。極貧の母子家庭だったので、母は周りの友人から「子どもを産むべきではない」と何度も説得されたそう。それでも母は、意を決して僕を産んでくれました。二度目は、そんな母が莫大な借金を作ってしまったとき。最終的に、借金は僕が完済しましたが、その過程で僕は反社会的勢力に監禁されました。そして三度目は2011年の4月、転倒して頭部を強打し、急性硬膜下血腫で生死の境をさまよったときです。

 みんなの介護 それは、なんというか…。

 井手 僕が三度にわたって生き延びることができたのは、たまたま運が良かったから。そして今、家族や人間関係にも恵まれ、母と叔母の不幸はあったものの、なんとか幸せに暮らしています。

でも反対にね、たまたま運が悪かったというだけで、今この瞬間に絶望している人が大勢います。何度でも言いますが、僕はそうしたすべての人が安心して生きていける社会を目指したい。

 みんなの介護 すべての人が安心して生きていける社会をつくるために、私たちに今できることはなんでしょうか。

 井手 今、「私たち」とおっしゃいましたが、その発想がすごく大事ですね。「私」ではなく「私たち」。「私たち」という、ともに生きる仲間を意識したところから、「税」も「財政」もスタートします。

では、逆に私から質問してもいいですか。「みんなの介護」というネーミングは素晴らしいと思いますが、皆さんは「ケア(care)」という言葉の意味をどのようにとらえているのでしょうか。

 みんなの介護 そうですね、「人のお世話をすること」という意味でしょうか。

 井手 もちろん、その意味もあります。ただし、「care」という動詞を辞書で引いてみると、ほとんどの英和辞典には、「気にかける」が最初に出てくるはず。「ケア」は、福祉の専門用語でもなんでもありません。

おじいちゃん、おばあちゃんがいたら、「何か困ったことない?」と声をかけてみる。小さな子どもが一人でいるのを見かけたら、「どうしたの、大丈夫?」と様子をうかがってみる。体の不自由な人がいたら、「何かお手伝いできることはありますか?」とストレートに聞いてみる。

専門的に言えば、それぞれの延長線上に介護があり、幼児保育があり、障害者福祉があるわけですが、最初はそんな風に身構えて考えずに、まずは身の周りにいる人を気にかけてあげるところから始めればいいのではないでしょうか。そこから人と人がつながっていって、「私」から「私たち」へと、主語が自然に入れ替わっていくんじゃないでしょうか。

 

◆多様で総合的な存在である人間に、常に尊敬の気持ちを持ち続けることが重要です

みんなの介護 お時間も迫ってきたので、本欄の読者に向けて、何か一言メッセージをお願いします。

 井手 本日は、すべての人が幸せに生きていく社会をつくるための、税のお話をしました。とはいえ、一口に「社会」と言っても、いろんな社会があるんだと思います。

僕は学者なので、税や財政の仕組みを考えるとき、日本国全体を「社会」として捉えています。しかし、ある人にとっては、半径1kmくらいの範囲で「社会」が完結しているかもしれない。あるいは、介護施設に入居している高齢者の方にとっては、限られた十数人との人間関係で「社会」が成り立っているのかもしれません。

人それぞれ、さまざまな社会に所属して生きています。革命を起こして社会全体の仕組みを変えることは不可能だとしても、ひょっとしたら、身近な社会をより良い方向に変えていく革命なら可能かもしれない。

 みんなの介護 「まずは身近なところから」という、先ほどのお話にもつながりますね。

 井手 多くの介護スタッフの人たちがすでに気づいているように、高齢者の方に介護サービスを提供するだけでは、その人は幸せになれません。しかし、その人が何に困っているのか、なぜ困っているのか、想像力を思いきり働かせて考えてみれば、その人の苦痛や不安の原因を一つずつ取り除いていくことができそうですよね。

僕は、仲間たちと書いた『ソーシャルワーカー』という本に、「『身近』を革命する人たち」という副題を付けました。僕が介護スタッフの皆さんに求めているのも、まさに誰かの「身近を革命する人」になってもらいたいということなんです。声のかけ方、手の添え方、クッションの使い方…。日常の些細な創意工夫、身近なちょっとした革命で、高齢者の方の苦痛や不安が劇的に改善されることは十分にあり得ると思います。

人間は年齢に関係なく「今日よりも良い明日」を夢見る自由があります。皆さんにはどうか、高齢者の方々の自由を守ってほしい。そのためにも、その人にとってのより良い明日を想像し、話を聞いてあげてほしい。

間違っても、「自分は○○さんに××してあげているんだ」なんて思い上がらないこと。そう思った瞬間、スタッフと入居者さんの間に、支配・被支配の関係が生まれてしまう。そうなると、すでに「私たち」ではなくなってしまいます。そうならないためにも、常に「私たち」というキーワードを忘れないでほしい。

最後に。多様で総合的な存在であるすべての人間に対して、常に尊敬の気持ちを持ち続けてください。周りの人をちょっとずつ気にかけてあげていれば、私たちの明日の社会は、今日より少しだけマシになっていると思います。

 

 

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