My Photo

« 障害者サービス 65才打ち切りは「違法」 浅田訴訟判決 | Main | 「従軍慰安婦はデマ」というデマ…事実から目をそむける「卑怯者&人間失格史観」 »

植民地支配と韓国ヘイト

 戦時「性奴隷」、徴用工問題など日韓の緊張が高まっているが、「植民地支配」を視野に入れないと深部は見えない(日韓請求権協定では、植民地支配を反省も謝罪もしていない)

植民地支配については、二次大戦の処理にあたってもスルーされた。旧宗主国側(連合側の主要国)は、未開の地の発展に寄与した「善意」の行為として反省の対象外においてきた。それが「遅れた国・民族」という上から目線、蔑視の継続、また、その際に行った弾圧等について、加害側は忘却または、過小評価につながっており、この姿勢が、ヘイトや対立を生み出しているのではないか。

大小様々な国が国際舞台で活躍してきたことで、2001年、南アフリカのダーバンで開かれた国連人種差別反対世界会議。その「ダーバン宣言」で、植民地主義とレイシズムについて「西洋による植民地主義がどのように人びとを非人間化していったかという批判」と、「それを克服しないと人種差別はなくならない」との記述が採択されている。また、植民地支配に中で行われた蛮行にたいする個人による訴訟により、流れが大きく変わってきている。その様子、ダーバン宣言などについてメモ

(植民地支配を明確に反省し、それにもとづく行動をすれば、世界的なリーダーシップがとれるのだが・・・)

【日本人は植民地とどう向き合ってきたのか  東京造形大学教授 前田 朗 「社会運動」2018.10

下記は、以前作成した備忘録。

【明治以降 日本の韓国への出兵(メモ)2013/4

【戦後70年に何を教訓とするか~日本人の戦争観と課題(メモ)2015/8

【日本人は植民地とどう向き合ってきたのか  東京造形大学教授 前田 朗 「社会運動」2018.10

 季刊『社会運動』2018年10月【432号】特集:ヘイトスピーチは止められる差別のない社会をつくろう

 前田さんも共著者として加わっておられる本に『ヘイト・クライムと植民地主義』(三一書房2018年)がありますが、植民地主義とヘイトクライム(憎悪犯罪)にはどんな関連性があるのでしょうか。

  植民地主義とヘイトクライムの関係を考えるにあたって、2001年、南アフリカのダーバンで開かれた国連人種差別反対世界会議が参考になると思います。

そこで出された「ダーバン宣言」で、植民地主義とレイシズムについて「西洋による植民地主義がどのように人びとを非人間化していったかという批判」と、「それを克服しないと人種差別はなくならない」との記述が採択されました。

日本では戦後、植民地の人びとの国籍を剥奪し、かつての植民地支配について反省や学習を怠って過去と向き合ってきませんでしたが、世界的には植民地から派生する問題は過去のことではありません。

  ダーバン宣言はアフリカ諸国やラテンアメリカ諸国が中心になって、約500年前の西欧の新大陸到達(「発見」)、大航海時代に始まる植民地主義を検証し、現在も続く人種差別を解消しようとしたものです。植民地主義的なもの=自分たちと異なる文化や生活様式を持つ人たちを征服、殲滅、あるいは啓蒙するやり方は、おそらくギリシャ・ローマ時代にも、どの時代にもあったでしょう。ただし遡るとキリがないので、近代の植民地主義を考える上で500年前の大航海時代をターニングポイントに据えているわけです。


  西欧が大航海時代に植民地政策を行っていた時、日本はどうだったか。日本にはアイヌ先住民族、大和民族、琉球民族が存在していますが、実は500年前のほぼ同時期に西欧と同じような動きをしていました。当時の日本人が日本列島を北へ進んでアイヌと遭遇し、南へ行って琉球民族、西へ行って朝鮮半島、というふうに。

  アイヌとの間では1458年に武田軍がコシャマイン軍を撃破、1669年には松前藩がシャクシャインの戦いでアイヌの人びとをだまし討ちしました。これによって和人(大和民族)がアイヌ民族を植民地化し、「土人」(注1)と蔑む端緒が開かれました。

  琉球との間では1609年の薩摩藩による琉球侵入があります。薩摩藩は3000人の兵を率いて首里城に迫り、尚寧王が和睦を申し入れて首里城を開城しました。

  李氏朝鮮に対しては豊臣秀吉が壬辰戦争(文禄・慶長の役。1592年、97年)で朝鮮に攻め入り、明をも巻き込んだ侵略戦争を起こしています。

  西欧と同時期に日本においてもこういった動きが私は植民地化と呼びますが行われたのは偶然だったかもしれないし、これを植民地化と見るのも一般的ではないかもしれませんが、私はこの前史がその後の植民地主義につながっていると考えます。江戸時代に幕府は海外への門戸を狭めましたが、アイヌや琉球、朝鮮に対してはこのような状態が明治政府にまで引き継がれました。

 ですから日本の植民地政策を考えるにあたって、ふつうは150年前の台湾や朝鮮を念頭に置くのですが(それすら念頭に置かない人もいますが)、まず500年前、そして150年前、それからあとで話しますが70年前の日本の戦後政策、この三つの枠組みで考える必要があります。


 植民地支配がなぜ差別を生み出すのか。植民地主義者は建前として「善意」で統治を行いますが、それが問題なのです。ヨーロッパも略奪をしながら、一方でキリスト教、文明、いろいろなことを啓蒙しました。力を持っている側が、自分たちのライフスタイルや文化が優れており相手のものは劣っていると決めつけるところから、差別は始まります。定住農耕文化の上に形成された工業文明が優れている、宗教でもキリスト教とヨーロッパ的な生産様式、生活様式が優れていて、そうではない遊牧や狩猟の民族は劣っている。だから啓蒙してわれわれと同様に扱ってあげようという善意。そういうメカニズムがヨーロッパでも日本でも見られ、差別をしている自覚がないどころか、善意と思い込んでいることが深刻な問題なのです。

  

【韓国最高裁元徴用工への賠償確定判決 日韓政府の不作為こそ問題 2018112日:東京新聞・こちら特報部】を参考に…

 2度の大きな惨禍をへて作られた国連憲章であったが、植民地帝国を築いた英国などが連合国側の中心の1つだったことから、植民地主義は総括されず、東京裁判でも植民地支配は不問にふされた、という限界をもっている。

 1)植民地支配側の論理は、当時の国際法で合法、未開国の文明化に貢献した、というもの

・創価大の前川一郎教授(英国帝国史) 「英国は一貫して植民地支配したことの責任を認めるということはない。謝罪は一切していない。未開国に対する文明化の責任を果たすという植民地観が根強くある」

 近年では、英国の女王や首相がインドを訪問する際、1919年に英国側軍隊が発砲し1500人の死傷者を出した「アムリットサル事件」について謝罪するかどうかが注目されている。「記念碑の前で、靴を脱いで頭を下げても謝罪という形にはしない」と前川氏は言う。

(メモ者  2013年2月20日、キャメロン氏はイギリスの首相として初めて、事件の現場に訪れ、訪問者名簿に「これはイギリスの歴史上非常に恥ずべき事件だ」と書き込み、遺憾の意を表明。しかし、明確に謝罪をしなかった。

 (メモ者 2019325日、メキシコのオブラドール大統領はスペインのフィリップ国王とローマ・カトリック教会のフランシスコ法王に書簡を送り、かつてのスペイン支配やカトリック改宗の強制による文化破壊への謝罪を求めた。スペイン政府は「500年前の出来事を現代の考え方で裁くことはできない」と謝罪要求を拒絶。「兄弟の関係にある我々2カ国は、我々の歴史を、常に怒りではなく建設的な視点をもって読む方法を常に学んできた」と主張。パチカンは回答せず。2016年、アルゼンチン出身のフランシスコ法王はメキシコを訪問した際、カトリック布教時の問題を認め、先住民に謝罪している。/六辻彰二 韓国だけでない「恨みの政治」より)

 

()植民地が独立していく過程で独立運動に対して行った残虐行為は、近年、訴訟が頻発し大きな問題に

①1952~61年に英国統治下にあったケニアで起きた「マウマウ団事件」

独立運動に対して英国側か行った虐殺や拷問などに対し、被害者側が2009年に英国の裁判所に賠償を求め提訴。英国政府は約30億円を支払うことを表明した。

 ②インドネシアを植民地支配していたオランダの変化。

10年ほど前までは、過去の植民地支配への反省という姿勢はく、謝罪や賠償などはせずに経済協力を過去の植民地支配の代償として支払うという形(福岡女子大の吉田信准教授(国際関係論)

 ・変化の契機/1947年12月にインドネシア・西ジャワで起きた「ラワグデ事件」に関する調査が2000年代になって進んだ。遺族がオランダ政府に対して補償を求めた訴訟で、2011年に原告勝訴の判決が出た。

「ラワグデ事件」 日本敗戦後に起きたインドネシア独立運動に対し、オランダ軍が行った鎮圧作戦。西ジャワのラワグデ村の全男性431人(インドネシア側の主張)が殺害されたとされる。

 2005年にラワグデ事件で虐殺された遺族や生存者を支援する民間団体がオランダで発足。政府に対し補償を行うよう活動し、09年に遺族らは政府を相手取って訴訟を行った。

→「オランダ政府は当初、虐殺の事実は認めるが補償は認めないという姿勢だったが、判決が出てからは控訴せず、遺族側と交渉して補償金を支払った。植民地支配に対する宗主国としての責任を認めるべきではないか、との議論は学会などで盛り上がっている」()福岡女子大の吉田信准教授)

 

③今回の徴用工に関する韓国最高裁の判決は、植民地支配による強制徴用に対しての慰謝料

 *個人の権利補償の立場から、植民地支配の責任を問う声が世界的に噴出

「英国など植民地帝国にとっては、条約など国際法によって決着したことがすべてであり、その後に解決すべき問題が発生しても『法的に解決ずみ』と突っぱねる。今の日本の立場もそうだ。ただ、そういう国際法主義自体が植民地を肯定する西欧発祥のものであり、それ自体が問い直されている。そのことを日本も考えなければならない」(前川教授は)

  

2001年、南アフリカで開催された、いわゆるダーバン会議の宣言文】

  2001年8月末から9月初めにかけて、南アフリカのダーバンで第3回「人種主義、人種差 別、排外主義および関連する不寛容に反対する世界会議」が開催された。78年、83年の第1、2回反人種主義世界会議はアパルトヘイト廃絶を最大の課題と していたが、ダーバン会議では奴隷制・奴隷取引、植民地支配そのものが俎上にのぼった。カリブやアフリカの諸国が国連会議で初めて、旧宗主国の欧米諸国の 植民地支配責任を追及し、謝罪と補償を求めた。欧米が発展途上国の人権状況を激しく非難しているから、その由来となった植民地主義の非を、アフリカやカリブ海諸国の要求で盛り込まざるを得なかったと言われている。


 議論の末に採択されたダーバン宣言は「奴隷制と奴隷取引は人道に対する罪」と規定した。時効は成立せず、この犯罪の実行者(国)にはいつまでも賠償義務 が残ることになった。

しかし、植民地主義に関しては「人道に対する罪」とは規定できず、「どこであれ、いつであれ、非難され、その再発は防止されねば ならない」とされ、旧宗主国の賠償を義務づけることはできず、「道義的義務のあることを認め、適切で効果的な措置を講ずるよう呼びか ける」と言うにとどまった。

が、 第2次大戦後、ナチス・ドイツと日本軍国主義はニュルンベルク裁判、極東軍事裁判で断罪された際も、植民地支配責任については事実上不問 に付され、それが戦後の国際秩序となった。ダーバン宣言はその秩序に異議を申し立てたのである。過去の植民地支配が「当時、合法だった」では済まされない時代に踏み込んだは画期的な一歩である。

 

《 宣言より 》

13 大西洋越え奴隷取引などの奴隷制度と奴隷取引は、その耐え難い野蛮のゆえにだけではなく、その大きさ、組織された性質、とりわけ被害者の本質の否定ゆえに、人類史のすさまじい悲劇であった。奴隷制と奴隷取引は人道に対する罪であり、とりわけ大西洋越え奴隷取引はつねに人道に対する罪であったし、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容の主要な源泉である。アフリカ人とアフリカ系人民、アジア人とアジア系人民、および先住民族は、これらの行為の被害者であったし、いまなおその帰結の被害者であり続けている。

14
 植民地主義が人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容をもたらし、アフリカ人とアフリカ系人民、アジア人とアジア系人民、および先住民族は植民地主義の被害者であったし、いまなおその帰結の被害者であり続けていることを認める。植民地主義によって苦痛がもたらされ、植民地主義が起きたところはどこであれ、いつであれ、非難され、その再発は防止されねばならないことを確認する。この制度と慣行の影響と存続が、今日の世界各地における社会的経済的不平等を続けさせる要因であることは遺憾である。

 99 奴隷制、奴隷取引、大西洋越え奴隷取引、アパルトヘイト、植民地主義およびジェノサイドがもたらした大規模な人間の苦痛と無数の男性、女性および子どもたちの苦境を認め、深く残念に思い、過去の悲劇の犠牲者の記憶に敬意を捧げ、それらがいつどこで起きたものであれ、それらが非難されねばならず、再発が予防されねばならないことを確認するよう関連する各国に呼びかける。これらの慣行や組織が、政治的、社会経済的、文化的に、人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容をもたらしてきたことを残念に思う。

101
 歴史の暗い章を閉じて、和解と癒しの手段として、国際社会とその構成員がこれらの悲劇の犠牲者の記憶に敬意を捧げるよう勧める。さらに、進んで、残念に思う、遺憾の意を表明する、または謝罪を表明するとしてきた国家があることに留意し、被害者の尊厳を回復しようとしていないすべての諸国に、そのための適切な方法を見いだすよう呼びかけ、それを行った諸国に感謝する。

102
 関連するすべての国家に道義的義務のあることを認め、それらの慣行の結果が継続しているのを停止し、逆転させるために適切で効果的な措置を講じるよう呼びかける。

 

 ◆ダーバン会議での日韓の議論

韓国政府が全体会の政府声明のなかで、従軍慰安婦問題と現在の歴史教科書問題に関して日本政府の対応を批判したのを受けて、日本政府代表の丸谷佳織・外務大臣政務官は「日本の過去の植民地支配と侵略について深く反省している」「日本政府は、歴史教育を通して第二次世界大戦が人類すべてにもたらした災難を生徒が理解するよう求めている」と声明で反論を加えた。

 

« 障害者サービス 65才打ち切りは「違法」 浅田訴訟判決 | Main | 「従軍慰安婦はデマ」というデマ…事実から目をそむける「卑怯者&人間失格史観」 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

Comments

Post a comment

Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.

(Not displayed with comment.)

« 障害者サービス 65才打ち切りは「違法」 浅田訴訟判決 | Main | 「従軍慰安婦はデマ」というデマ…事実から目をそむける「卑怯者&人間失格史観」 »

September 2019
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ