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日露領土交渉問題と「国際ルール」について・考

 革新懇での学習ということで、お鉢がまわってきたので・・・話をした内容のレジュメ。
 
 すっきりとする話を期待されたのかもれないが、これが「正義」という話は、ナショナリズムを燃え上がらせる懸念がある、と感じている。

 、複雑な問題は複雑なんだ、と資料提供的に話をした。
 

【 日露領土交渉問題と「国際ルール」について 019.2.12 】

■安倍・プーチン会談 のあらまし 

・16年5月 「新しいアプローチ」で合意するため、日本側が3千億円規模を拠出する共同経済活動を提案。クリミヤ併合をめぐる欧米諸国のロシア経済制裁のさなかに、「経済カード」で「交渉」
18年9月 共同経済活動で優先的に取り組む5項目の行程表をまとめる。
18年11月 日ソ共同宣言を基礎に今後3年以内の平和条約締結を目指すことで合意〔2島返還「先行」論〕
→プーチン 56年宣言「どのような基準が設けられて、どちらの主権になるのかが記されていない」
・19年1月15日 日露外相会談後のラブロフ外相単独記者会見「『第二次大戦の結果、南クリール諸島はロシア領になったことを日本が認めない限り、領土交渉の進展は期待できない』と再度、伝えた。反論は聞いていない」「島の主権をめぐる問題については議論されなかった」「日本が国内法で『北方領土』と規定していることは受け入れられない」
・19年1月17日 ラブロフ外相「北方領土の返還要求は、国連憲章の義務違反だ」と発言(後述)
・19年1月22日 プーチンに「経済環境において十分な潜在力が活用されていない」と貿易額を今後数年以内に少なくとも1.5倍の300億ドル(約3・3兆円)への引き上げを合意/安倍「北方領土」の言葉使わず
・安倍首相 施政方針演説 「首脳間の深い信頼関係の上に、日ロ平和条約交渉を加速してまいります」とのべる一方、明治天皇の日露戦争の戦意高揚の歌を引用する支離滅裂さ
→ この発言以降、元ロシア軍高官が軍事週刊紙に寄稿した「日本はサハリンと北方領土を急襲する可能性がある」とする論文を、ロシア主要メディアがとりあげて報道
・1/31からの衆参本会議質疑 首相、外相 「固有の領土」の表現避ける。
・2/7  「北方領土返還要求全国大会」 「不法占拠」「固有の領土」との表現用いず。
・2/8質問趣意書への答弁  閣議決定 「北方領土は日本固有の領土か」の質問に、政府「答え控える」
・2/24 ロ外相 アベ首相の「解決に確信」発言に、意味不明とし、交渉の「枠組みも計画もない」と断言

【日本共産党の見解】
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①1855年の日魯通好条約、1875年の樺太・千島交換条約の結果、全千島列島が日本の領土に。

②「領土不拡大の原則」に反し、スターリンの大国主義を受け入れ、サンフランシスコ条約で「千島列島」を放棄させた戦後処理は誤り、という大義を、ロシア、国際社会に主張する。

③歯舞、色丹は北海道の一部。放棄した千島列島に含まれず。

④日ソ間に平和条約がなく、領土問題は決着していない。/平和条約に至る中間的な条約で、まず「歯舞・色丹」返還を実現。

~ 日本政府は、サ条約に縛られ「南千島は千島にあらず」と主張するのでゆきづまっている。

●「侵略戦争の美化」が、領土問題の大儀を失わしている

・「領土不拡大が原則」など国際的大儀を主張するには
①日本帝国の戦争が、侵略戦争であったことを明確にする必要がある
②力による韓国併合は、植民地支配であったことを認める必要がある
③それができてこそ、平和的に日本の領土となった地域と侵略によって獲得した地域との明確な区別ができる

~ ここまでは非常に明快な話

Ⅰ.検証① 「北方領土」問題めぐる流れ

〔1〕全千島は、非軍事で日本領に  
・日魯通好条約〔江戸幕府〕 日露の国境を、千島列島(クリル列島)の択捉島と得撫島との間に定める。樺太については国境を定めることができず、日露混住の地に /先住民のアイヌの存在を無視〔後述〕

・樺太千島交換条約〔明治政府〕 日本が樺太の権益を放棄、ロシアは「クリル諸島の中の、現在所有するところのグループ」を日本に譲渡。/公文書は仏語。日本語訳の間違いで、「現在所有するクリル諸島」読め、「南千島」は放棄した千島〔クリル諸島〕ではない、の論に使われた。
→西村熊雄政府委員(外務省条約局長)「明治八年の交換條約で言う意味は、いわゆる日露間の国境以外の部分である千島のすべての島という意味でございましよう。ですから千島列島なるものが、その国境以北だけがいわゆる千島列島であつて、それ以南の南千島というものが千島列島でないという反対解釈は生れないかと思います」と説明〔第7回衆議院外務委員会 1950年3月〕/のちに56年撤回

〔2〕戦後の処理、及びサンフランシスコ条約で日本が関与し決着。国際社会に復帰

●ポツダム宣言 日本はこれを45年8月14日受諾。〔米英中三国共同宣言、ソ連は後から追認〕

 領土は「カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ 」
・極東委員会〔1,945年12 米英ソの外相会談で、11国の代表で構成することで合意。第一回会議46年.2月〕の「降伏後の対日基本政策」〔47年6月〕…「日本國の主権は、本州、北海道、九州、四國の諸島及び今後決定されることのある周邊の諸小島に限定される」 し
~「千島列島が日本領で有るか否か」は連合国側が千島を「吾等ノ決定スル諸小島」に該当するかの問題〔孫崎〕

●連合軍最高司令部訓令(1946年1月) 日本の範囲は「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島等を除く」

 2月2日 ソ連邦最高会議が、千島列島の領域を1945年9月20日にさかのぼり国有化宣言
 歯舞、色丹 施政権停止にともない2月20日にソ連政府が自国領編入を宣言 

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「若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」指令第677号 1946年1月29日

3.この指令の目的から日本と言ふ場合は次の定義による。

日本の範囲に含まれる地域として
日本の四主要島嶼(北海道、本州、四国、九州)と、対馬諸島、北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口之島を除く)を含む約1千の隣接小島嶼

日本の範囲から除かれる地域として
(a)欝陵島、竹島、済州島。(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島。(c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島。

4  更に、日本帝国政府の政治上行政上の管轄権から特に除外せられる地域は次の通りである。
(a)1914年の世界大戦以来、日本が委任統治その他の方法で、奪取又は占領した全太平洋諸島。(b)満洲、台湾、澎湖列島。(c)朝鮮及び(d)樺太。

6 この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*領有権・施政権 米国の方針=領土問題は二国間の問題で中立の立場… 尖閣問題では、日本に領有権(sovereignty)ではなく立法・行政・司法権を意味する施政権(administration)だけを認めている。
→米国の「尖閣は安保条約の適用範囲」発言は、日本の「施政権」下にあるからで、「領土」だからではない

●マッカーサーライン 日本の漁民が自由に活動できる海域として、歯舞群島の中で、もっとも「日本本土」に近い貝殻島と納沙布岬の中間点に設定〔48年12月〕。サ条約の直前に廃止。が、事実上の国境線に。

〔3〕サ条約、日ソ共同宣言の締結で、国際社会に復帰〔国連加盟実現  

● サンフランシスコ条約

・1951年9月調印 サンフランシスコ講和会議に集まったのは51カ国。署名したのは当事者である日本を含む49カ国。ソ連、チェコスロバキア、ポーランドの3カ国は署名式を欠席。理由は、内戦状態であるとして中国が招かれず、会議に参加していなかったことと、引き続き米軍が日本に駐留する内容だったため。インドは会議に現れず。韓国は対象外とされた。ソ連、韓国、中国との国境問題が残った/同日、日米は安全保障条約を締結。

・「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」
・サ条約会議で吉田茂全権代表は「国後島・択捉島は南千島」と発言。平和条約国会で、政府はヤルタ協定のいう千島列島に、国後島・択捉島が含まれると説明(56年撤回)
・ただし、サ条約は「千島放棄」だけを明記。どこの所有かは書いていない。

〔3〕「北方領土」の登場

●ソ連との国交回復により、国連復帰が実現

・55年6月 国交回復にむけた交渉開始 「4島返還」を主張するも交渉難航。8月、ソ連側から突如、二島引渡しが提案される。
→「日本に対する影響力を強め、アメリカの政治的、経済的立場を弱める措置をとる必要があり、その際に日本の経済的、政治的独立性の願望を利用する」 旧ソビエト機密文書 〔NHK 2019年2月7日〕
・自民党55年11月結党 「4島返還論」を政策化。日ソの交渉中断
55年12月 ソ連は日本を含んだ国際連合への18ヵ国一括加盟案に拒否権を発動
・鳩山総理の平和条約締結交渉。2島で合意計る。/同宣言〔条約〕で国交回復
・56年10月 日ソ共同宣言「ソヴィエト社会主義共和国連邦は,日本国の要請にこたえかつ日本国の利益を考慮して,歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし,これらの諸島は,日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。」
→ 領土問題が存在するとの文言は、ソ連側が拒否。よって「引き渡す」という表現
・56年12月 日本の国際連合加盟が決定

●米国の圧力と戦略

・55年 米国は、日本側の4島返還論を支持。英、仏から好意的回答得られず/仏「サンフランシスコ会議議事録において日本代表が国後、択捉を南千島として言及しているところに注意を喚起する」との回答
・日ソが二島返還で決着しそうになり、日ソの関係性の深まることを恐れた米国政府から強い圧力
・ダレスの恫喝「二島返還で決着するなら沖縄は絶対に返さない」〔日ソ国交回復交渉の際の日本側共同全権をつとめた松本俊一氏が、1966年に上梓した手記『モスクワにかける虹』に記述〕
~ダレス「千島列島をソ連に帰属せしめるということは、サン・フランシスコ条約でも決っていない。したがって日本側がソ連案を受諾する場合は、日本はソ連に対しサン・フランシスコ条約以上のことを認めることとなる次第である。かかる場合は同条約第二十六条が作用して、米国も沖縄の併合を主張しうる地位にたつわけである。」、「サンフランスシスコ署名国は同条約によって与えられた一切の権利を保留するものと推測する」と延べ、サンフランシスコ条約にも影響すると脅しをかけた。

…26条「日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるよりも大きな利益をその国に与える平和処理または、戦争請求権処理を行った時は、これと同一の利益を、条約当事国にも及ぼさねばならない。」

・56年6月米国国務省は日本に「日ソ交渉に関する米国覚書」…「日本はサンフランシスコ条約で放棄の領土に対する主権を他に引き渡す権利を持っていない。」
→ソ連封じ込め政策を構築した外交官ジョージ・ケナン 米国務省政策企画部において「冷戦下において千島列島をめぐって日・ソ間の領土問題を残しておくことが望ましい」と主張

〔4〕その後の動き
・平和交渉は、北方領土全面返還を主張する日本とソ連の対立で難航。開始が延期に
・ソ連 60年安保改定時「在日米軍があるかぎり、二島は返還しない」。さらに「領土問題は解決済み」との立場。解決は行き詰まる。/ソ連国内でも二島返還論に保守派から批判の声。

・1979年 日ソ共産党会談 「平和条約が未締結。領土問題は決着してない」を認めさせ、風穴をあける。

・1993年に細川護煕首相、エリツィン大統領が合意した東京宣言。北方四島(国後、択捉、歯舞、色丹)の名を具体的に挙げ、これらの帰属問題を解決した後に平和条約を締結で合意

・2001年イルクーツク宣言(プーチン・森)56年共同宣言を出発点に、93年東京宣言に基づき交渉促進

Ⅱ 検証② 二次大戦の戦後処理について

元外務省情報局長・外交官 孫崎氏 「日本国民が固有の領土と主張はよい。しかしそれは国際的に認められない論であることは認識すべき。さらに管轄しているソ連が国際的な根拠なく占拠という認識はすてるべし」「
①ポツダム宣言で「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ 」を受け入れ ②サンフランシスコ条約で千島を放棄。全権吉田首相は演説で国後・択捉を南千島と定義、③国連憲章では「この憲章のいかなる規定も、この戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にするものではない」〔後述〕などからして、「ロシアの不法占拠」という論は成立しません。」という主張が存在する

〔1〕「『領土不拡大』の原則」は、どこまで通用するか

●「領土不拡大」が打ち出された宣言について

①大西洋宣言 1941年8月 米英の宣言。その後、ソ連など15カ国が参加表明9月、太平洋戦争以前の宣言。
・1939年 ドイツの対英宣戦布告。「中立法」を持つ米国が、対英援助を拡大する中での宣言
・8項目からなり「1、合衆国と英国の領土拡大意図の否定」「2.領土変更における関係国の人民の意思の尊重」「3.政府形態を選択する人民の権利」など・・
→ ドイツの欧州での侵略戦争を前提としたもの/ チャーチルの認識 欧州を対象。/ルーズベルトは、全世界を対象と認識していたが、一方で「東欧の白人のためのもの。有色人種のものではない」と側近に語ったといわれている。/3項は、英国の植民地支配の否定につながるもの

②「カイロ宣言」1943年
 米・英・中華民国3国によるもの。「日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」「「日本が暴力・貪欲により略取した一切の地域から、日本を駆逐する」、「同盟国は自国のために利得も求めず、また領土拡張の念も有しない」/45年8月、ソ連参加
→「日本が暴力・貪欲により略取した一切の地域」…「琉球諸島も含まれる」〔ケナン 40-50年代の米外交政策立案者〕という解釈が外国では有力な説として存在/1872年琉球王国廃止、琉球藩設置1879沖縄県設置

★異論 宣言は、国際法上の効力を有しない
・「カイロ宣言」は日時や署名がなく、公文書も存在しておらず宣言として扱うことに議論もある。

・カイロ宣言は文字通り宣言。それ自体が国際法上、効力を有しているというものではなく、正式に効力を持つためには条約などの締結が必要となる。日本は、すでに、サンフランシスコ条約を締結しているので、条約が優先し、カイロ宣言の解釈がどのようであっても、本来はあまり意味のないことである。

★事実 戦後処理で、ソ連の領土拡大を認めている

①ポツダム会談〔1945年7月〕 ソ連はポーランドの東部地域を自国領。その分、ポーランドの領土が西に、ドイツとの国境がオーデル・ナイセ線。ドイツからポーランドに与えられた土地は112,000 km²。九州四国中国より大。 港カリニングラードはソ連に割譲。更に別途、仏独国境ではアルザス・ロレーヌ地方は仏に。
・しかも国連憲章で、それを、「戦中戦後の領土移動を不変」と認めている。

②ドイツの決断
フランスの間で、長年に渡って領有権をめぐり戦争の原因となったアルザス・ロレーン地方の処理(ナチスが戦争を始める口実の1つ)→戦後、領土問題を脇に置き、石炭・鉄鋼の共同管理に(EUの原点)
戦後初代大統領アデナウアーの宣言「断固たるヨーロッパ人たるべき」~“われわれは失ったものを求めない。欧州の一員となり、そのもとで繁栄をかちとる”の方針~周辺諸国の信頼を勝ち取り、欧州の中心に

★疑問 国際社会復帰の「公約」を一部と言えども放棄することが可能か

①締結国すべての合意が必要…単に、対ロシア外交の話ではない。

・ドイツの決断、欧州の境界線決定など、戦後の一連の処理を否定する論につながりかねない…新たな火種
・沖縄と違う /サ条約 「南西諸島(北緯29度以南。琉球諸島・大東諸島など)・南方諸島(孀婦岩より南。小笠原諸島・西之島・火山列島)・沖ノ鳥島・南鳥島をアメリカ合衆国の信託統治領とする同国の提案があればこれに同意」(第3条)
→ 沖縄は放棄されていない。「アメリカ合衆国の信託統治領とする同国の提案」に「同意する」となっており、沖縄復帰は、「信託統治領」の提案の撤回、施政権の返還の扱い。/二国間の問題

②ロ外相「北方領土の返還要求は「(戦争の結果を無効にできないとする)国連憲章の義務違反」〔19/1/17〕

・敵国条項の1つ…第107条「この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。」

~ 第106条とともに「過渡的安全保障」を定めた憲章第17章を構成。旧敵国の行動に対して責任を負う政府が戦争後の過渡的期間の間に行った各措置(休戦・降伏・占領などの戦後措置)は、憲章によって無効化されないというもの。「責任を負う政府」とは。アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦(継承国はロシア連邦)・中華民国(継承国は中華人民共和国)を含む51の原加盟国、すなわち第二次世界大戦における連合国を指す。

〔2〕米国がソ連参戦を求めた

①ルーズベルト、ヤルタで千島ソ連に提供し代わりに参戦求める ヤルタ会談 1945年2月

・第二次世界大戦が終盤に入る中、米英ソ首脳による協定
・イギリス・アメリカ・フランス・ソ連の4カ国によるドイツの分割統治、ポーランドの国境策定、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国の処遇などの東欧諸国の戦後処理が取り決められた。
・国際連合の設立 投票方法として米英仏中ソの5カ国(後の国際連合常任理事国メンバー)の拒否権を確認
・米ソ間でヤルタ秘密協定を締結~ドイツ敗戦後90日後のソ連対日参戦、および千島列島・樺太・朝鮮半島・台湾などの大日本帝国領土の処遇も決定。
・45年8月18日トルーマン大統領発スターリン大元帥宛通信「一般指令NO1 千島列島の全てをソ連極東総司令官に明け渡す領域に含むよう、修正することに同意します」と指示

②ソ連の「北方領土」侵攻をアメリカが支援 ~「プロジェクト・フラ」

 米国は45年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4~8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を実施。同基地は常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たった。
 訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は樺太南部や千島列島の作戦に投入された。8月28日からの択捉、国後、色丹、歯舞の四島占領作戦には、米の貸与艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各島で日本兵の武装解除を行い、四島の占領は9月5日までに完了した。〔根室振興局調査/北海道新聞2017/12/30〕

③日ソ中立条約破棄の位置づけは領土問題とは別

ソ連の日本侵攻を、ソ連は「連合国側の要請をうけ参戦」という国際的大儀に則した形をとっている。「中立条約破棄、参戦は国際的に問題」という指摘も正確ではない(孫崎)。
Ⅲ 領土問題と国際ルールの変遷 
 領土問題を考えるうえで「国際ルール」に照らしてというが、そのルールが、どういう経緯でつくられ、また歴史的に変遷してきたことを知ることは、主張すべきは主張しながら、一致点、協力点をさぐる上で大切

(1)領土であるかどうかはどう決める(現在のルール)。

・古くからその地に人が住み今も住んでいる、または漁業などの基地として使用し続けてきた場合は、明白
・「実効支配」/発見や「領土宣言」しただけては認められない、居住や経済活動、調査活動などの実態が必要。/何より公権力の行使

(2)なぜ領土問題がうまれてきたか。

・航海技術・海底資源の発掘技術の進展
 航海能力も未熟な時代 ~ 遠方の孤島に経済的価値なし
  〃  が発達すると 孤島も、漁場の確保、基地として有用に
さらに海底資源の開発 資源獲得に「排他的経済水域」が重要に
〜 古くから知っていた島であっても、昔は、「領土」にする意味がなかった。それが技術の進歩とともに「価値」を持つようになった。
・国力の不均等発展~ 力、威圧での「解決」は、その報復を招く。
・「国際ルール」も大航海時代、帝国主義の時代、二次大戦後の民族自決権の時代と大きく変化
*領海 19世紀の多くの国が慣習法として3カイリ〔大砲の届く範囲〕。その後、国際的なルールづくりに成功せず。二次大戦後、200カイリ説(52年チリなど主張)、経済水域として大陸棚説(58年国家間での条約誕生)が登場。その中で、現在は領海12カイリ、排他的経済水域200カイリで妥結(1982年採択)
・接しあう排他的経済水域の境界の認定の変化…国際司法裁判所の判定 「中間点」から、「中間点+特殊事情」へ…「起点」が大陸と島では、大陸側を重視/ 沖縄と大陸の中間点にある東シナ海油田
 → 島の価値が飛躍的に拡大

*2016年 「南シナ海は中国の海」という中国の主張を、ハーグ仲裁裁判所が「根拠がない」と判決
海洋法条約 島はその周囲200カイリに排他的経済水域(EEZ)を設定できる。岩には設定できない。仲裁裁判所「形が島でも、自然状態で人間の集落が存在できなければ岩」/竹島、沖の鳥島、南鳥島は岩?

(3) そもそも国際法をどうとらえるか―― 

 欧米諸国を中心に出来上がってきたもの。ルールづくりから疎外されてきた新興国、非同盟諸国の主張をどうとらえるか。また影響が強まる中で、変化してきたし、今後、変わることもありうる。(早くに技術が進歩し、近代「国家」の形態を持つ国が有利なルール、そのもとでの『既得権益』の見直しと言える)

①19世紀末 植民地獲得合戦のルールとして誕生したのが「先占」

 (それ以前は、「発見」 アメリカ大陸「発見」など・・・)
が、ドイツ、日本など後発帝国主義国の隆盛とともに、ルールはあってなきがごとしに。そして戦争へ・・

*極めて身勝手なルール 先住民が住んでいる土地を「所有者がいない」と見なして奪う
~明治の元勲・木戸孝允「万国公法は小国を奪う一道具」。

②第二次大戦後、植民地体制の崩壊。「先占」のルールの崩壊

・国連憲章  植民地支配は不問に〔米英などの都合〕
・1960年「植民地独立付与宣言」 ~ 新しいルール誕生
「先占」の国際法で奪われた土地を、自決権を行使して独立を勝ち取る。
・天然資源についても/ 75年イラン革命のあと、一定の補償のもと国有化できるルールに変更
・同時に、無人島などの領有については「先占」のルールは、国際基準として生きている。

③2001年ダーバン会議 第三回「人種主義、人種差 別、排外主義および関連する不寛容に反対する世界会議」

奴隷制、植民地支配が正面から議題に。/「奴隷制と奴隷取引は人道に対する罪」と規定。時効は成立せず、この犯罪の実行者(国)にはいつまでも賠償義務〔宗主国の「道義的責任」のみ〕 が残ることに。
植民地主義に関しては「人道に対する罪」とは規定できず、「どこであれ、いつであれ、非難され、その再発は防止されねば ならない」にとどまった。

→ 植民地主義への総括は不十分なまま/日韓併合もしかり

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→ 北海道、千島、樺太 そもそもアイヌのものでは?〔1799、1807年 江戸幕府が蝦夷地を天領に定める〕
 1855年日露和親条約…強国同士がアイヌ民族を無視して境界線を決定。1869年、蝦夷と呼んで、1855年までは実質上の「外国」だった場所に、北海道という名前をつけて本格的に開拓へ〔本当に「固有の領土」?〕。

 2018年12月  プーチン アイヌ民族をロシアの先住民族に認定する考えを示す
 2019年2月 政府 アイヌ民族を「先住民族」と初めて明記したアイヌ新法案を今国会に提出する方針

④戦争についても「生存権」から「違法に」

・1915年 一次大戦をうけ、ベルサイユ条約ではじめて「侵略」の言葉登場
・1928年 パリ不戦条約
・1945年 国連憲章、
・1970年代~ 74年国連総会「侵略の定義」、86国際司法裁判所判決「侵略」「武力行使」の内容を列挙、
・2010年 国際刑事裁判所「規程」に関する再検討会議 侵略罪、侵略に関する定義は明確

Ⅳ まとめ 交渉による解決へ。複雑な問題は、その複雑さを知る

・主張すべきは主張する。同時に、相手の主張をよく知る。~複雑な問題は、その複雑さを知る。 
・両者の主張に違いがあれば、継続的な交渉事項として、漁業協定や共同開発など、両国民の利益となる解決(妥協)が必要・・・ それ以外は、武力でしか「解決」しない

今、言えることは・・・
・平和条約が締結されていなので、ロシアとの間で、領土問題は未決着
・歯舞・色丹は、サ条約で放棄した千島ではない/千島は、他国から武力で奪って日本領にしたものではない
ただし、先住民を制圧、追い出して領土化したもの
・サ条約、日ソ共同宣言を日本が受け入れたことで、国際社会に復帰〔国連加盟/107条規定〕
・実効支配が70年以上続き、そこにロシア人が住み、経済活動を続けている現実がある
 歯舞には、部隊でけだか、色丹には3000人が居住してい。

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