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日本の「人質司法」~、実態、原因と対策、国際社会の批判と政府の「失言」

 ゴーン氏の長期拘留で「人質司法」が国際的な注目と批判をあびている。
 いつなんどき、犯罪者とされ、自白するまで拘留が続く、という恐怖の制度である。その原因と対策の論考、
 冤罪で知られる「志布志事件」は2003年、この山深い小さな集落で起きた。鹿児島県議選で買収などの公職選挙法違反があったとして集落に住む11人を含む計15人を逮捕。13人が起訴され、のちに全員が無罪になった事件の実態から迫る論考。
 「人質司法」を擁護するため、世耕大臣が行ったダボス会議でのウソへの批判。
【人質司法の原因と対策 高野隆 2019年01月18日】
【日本の「人質司法」をどうするか――長期勾留や自白偏重に国際社会の批判 Yahoo!ニュース 特集編集部1/31】
【世耕大臣はダボス会議での「人質司法」擁護“失言”について説明すべき 郷原信郎 1/28】

【人質司法の原因と対策 高野隆 2019年01月18日】

役員報酬の額を過少申告したという有価証券報告書虚偽記載と個人的な負債を会社に付け替えたという特別背任の容疑で逮捕され起訴された元日産会長カルロス・ゴーン氏は、仮に日本ではなくアメリカで逮捕されたとしたなら、間違いなくその数時間後、どんなに遅くとも24時間後には釈放されていたであろう。

 ”キング・オブ・ポップ“マイケル・ジャクソンさんは、14歳未満の少年に対するわいせつ行為の罪で逮捕されたが、その日のうちに、裁判官の前で無罪の答弁を行い、キャッシュで300万ドルの保釈金を積んで釈放された(https://en.wikipedia.org/wiki/Trial_of_Michael_Jackson) 。

 エンロンの創業者ケネス・レイ氏は証券詐欺、銀行詐欺、虚偽報告など11の訴因で大陪審によって起訴されFBIに逮捕されたが、翌日裁判官の前で、全訴因について無罪の答弁をして、50万ドル相当の無担保債券を差し入れて釈放された(CNN, Enron Fast Facts,https://edition.cnn.com/2013/07/02/us/enron-fast-facts/index.html)。

 アメリカの司法統計によると、重罪(殺人、レイプ、強盗などを含む)で逮捕された容疑者の62%は公判開始前に釈放されている。身柄拘束が続く残り38%の内訳をみると、32%は裁判官が設定した保釈金が用意できないために身柄拘束が続いているのであり、保釈そのものが拒否されるのは6%に過ぎない(U.S. Department of Justice, Office of Justice Program, State Court Processing Statistics, 1990-2004, “Pretrial Release of Felony Defendants in State Courts” )。

 アメリカで保釈によって釈放されるのは、裁判官の前で「無罪」の答弁をした被告人だけである。有罪の答弁をした被告人が保釈によって釈放されることはない。有罪の答弁をした被告人に対しては、裁判官は量刑を決めるための公判の日程を告知するだけであり、被告人は引き続き拘禁されるのである。

 日本ではどうか。毎年の司法統計を発行している最高裁判所事務総局という役所は、この国の保釈の運用に関する正確な統計を公表していない。『司法統計年表』によると、2015年における「保釈率」(通常第一審事件で勾留されたまま起訴された人のうち判決言い渡しまでの間に保釈された人の割合)は26.7%である。

 しかし、この数字は非常にミスリーディングである。ここにいう「保釈」とは、「公判開始前」(“pre-trial”)に釈放されたという意味ではない。起訴から判決までの間に釈放されたという意味である。最高裁事務総局が「会内限り」という限定付きで日弁連に秘密裏に提供した統計資料によると、保釈された人(10,801人)のうち9割以上(9,832人)は罪を自白した人である。

 罪を否認した人(5,275人)について見ると、全公判期間を通じて保釈されるのは21.6%(936人)であり、公判前に釈放されるのは7.4%(322人)に過ぎない。そしてさらに、ここで「公判前」というのは、逮捕されてから24時間以内とか数日以内というような単位の話では全然ない。否認事件の場合、起訴されてから公判開始までに数ヶ月間を要することは当たり前である。

「公判前整理手続」が1年も2年もかかるということは決して珍しい話ではない。最高裁事務総局は被告人が起訴されてからどのくらいの期間に保釈されているのかに関する統計を公的にも私的にも提供していない(司法行政文書の開示手続によっても、こうした統計があるという回答は得られない)。


要するに、日本では、アメリカとは全く逆に、罪を自白しないと保釈が認められない。否認すればまず保釈は認められず、数ヶ月ないし数年間身柄を拘束されたまま裁判を受けることになる。

 常識的に考えてこの日本の状況は、有罪判決を受けるまでは無罪の推定を受けるという世界標準の人権(世界人権宣言11条1項、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条2項)を侵害している。被告人は、有罪判決を受ける前に、いやそれよりもずっと前、裁判が始まってすらいないのに、拘禁刑の執行を受けているのである。

 裁判で無実を訴えているのに、社会で生活することができず、職を失い、財産を失い、そして、ときに家族すら失うのである。この状況は時間が逆転する「鏡の国のアリス」の世界そのものである。まず牢獄に入れられて、これから始まる裁判を待ち、そして、犯罪は最後に来る、いや来ないかもしれない――「その人が結局罪を犯さなかったら?」(アリス)、「それは実に結構なことではございませんの」(女王)!

 そして、もう一つ常識を働かせるならば、日本の保釈制度は逮捕された容疑者から自白を強要する道具であることが明らかである。自白すれば釈放され、罪を否認すれば拘禁される。これほどあからさまな自白の強要はない。

 警察はときとして、「否認したり、黙秘なんかしていると、いつまでも家族に会えないぞ。お前のために言ってるんだ」などと言う。この発言には事実上の基礎があるのである。

日本の保釈の仕組みを「人質司法」と呼ぶのは極めて正しい。

◆「罪証隠滅のおそれ」

この人質司法の原因はどこにあるんだろうか。この非人道的な仕組みを生み出し、支えているものは何なんだろうか。

 まず、日本の法律は、未決拘禁制度の目的の一つとして、有罪証拠の保全=被告人による証拠隠滅行為の防止を掲げていることである。被告人の勾留が認められる最もポピュラーな理由は「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」である(刑事訴訟法60条1項2号)。

 この理由があるときは、裁判官は被告人の保釈を拒否することができる(同法89条4号)。そして、日本の裁判官はこの「相当な理由」を非常に緩やかに解釈している。被告人の側が「証拠隠滅のおそれがない」ことを説得できない限り、裁判官は保釈を却下する(高野隆「保釈面接室にて」高野隆@ブログ刑事裁判を考える(2008年)http://blog.livedoor.jp/plltakano/archives/65127744.html)。

「証拠隠滅のおそれがない」ことを示す最も有効な手段は、罪を認めることである。だから、被告人は保釈を求めて自白するのであり、裁判官はそれを受け入れて保釈を認めるのである。

 そのコインの裏側――当然の帰結――は、罪を否認して無実を訴える被告人は「罪証隠滅の相当な理由」があるとして保釈を拒否されるのである。

 実のところ、こうした事態は、現行刑事訴訟法が国会で審議されていた当時いまから70年前に、心ある国会議員たちによって懸念されていたのである。

 1948年夏に政府が提出した刑事訴訟法改正案の89条4号は「被告人が罪証を隠滅する虞があるとき」となっていた。これに対して衆議院で異論が出された。


・中村俊夫委員 ***私が最もおそれるのは、やはりこの『被告人が罪証を隠滅する虞あるとき。』という場合です。というのは、御承知の通りこの改正では被告人の黙秘権を強く認めております。從つて今より否認事件が続出してくるだろうということが想像されるのです。
そうすると今までの取扱いは事件を否認するものは絶対に保釈を許してくれませんでした。
それとこの第四号とは相結んで被告人が罪証を隠滅するおそれがあるということにして、許されないようになりはしないか。***

・野木新一政府委員 ***なるほど八十九條第四号におきまして、被告人が罪証を隠滅するおそれがあるときは必ずしも保釈を許さなくてもいいという建前になつておりまして、この運用のいかんによつては、保釈ということはほとんどなくなるだろうという御心配も一應ごもつとものように存じますが、刑事訴訟法の應急措置法の施行された後においては、格別八十九條のような規定がなかつたわけでありますけれども、すでに保釈に対する裁判官の考え方が大分違つておりまして、昔よりも保釈の数がずつと増えている。
 從いまして、今度この案によりまして、八十九條のような規定がおかれまするならば、『罪証を隠滅する虞があるとき。』という解釈も、実際の適用面におきましては、ずつと今までと違つてきまして、現行刑事訴訟法当時のような運用には万々なることはないのではないかと思つておる次第であります(昭和23年6月21日第2回国会衆院司法委員会議事録37号)。

・榊原千代委員 ***第八十九條の第四号『被告人が罪証を隠滅する虞があるとき。』という規定でございますが、これは裁判官の主観的な判断によるものでございましようか。お伺いいたします。

・野木政府委員 判断は主観的と申しましようか、裁判官が判断することになるわけでありますけれども、その判断は少くとも合理的でなければならない。その資料とするところのものは、だれが見てもその資料に基けば大体罪証を隠滅すると認められる場合というような場合でありまして、そういう場合においてはある意味で客観的と申せるかと思います(昭和23年6月24日第2回国会衆院司法委員会議事録40号)。


このように、当時の国会議員たちは「罪証を隠滅するおそれ」という保釈拒否事由によって否認事件では保釈が認められないような運用になってしまうことを恐れた。これに対して提案者である政府当局は、裁判官はこれまでと違って個人の自由を尊重する考え方になっている、「罪証を隠滅するおそれ」というのは「誰が見ても大体罪証を隠滅すると認められる」場合のことだから、心配はないと言ったのである。

 しかし、議員たちは政府委員の答弁に満足せず、超党派の修正案を提出して89条4号を「***と疑うに足りる相当な理由があるとき」と改めたのである。70年後の「人質司法」の現状を見ると、国会議員たちの懸念はまさにそのとおりであったと言わざるを得ない。

 彼らの予想が外れたのは、彼らの修正案によってもその懸念――保釈制度の形骸化――を回避することができなかったということである。「保釈に対する裁判官の考え方」は政府委員が説明したようなものからは程遠く、戦前の先輩たちと何ら変わりがなかったということである。

◆未決拘禁の目的

アメリカやイギリスをはじめとするコモンロー系諸国では「有罪証拠の保全=被告人による証拠隠滅行為の予防」は、未決拘禁の理由にならない。証拠の保全は政府の責任であり、刑事訴訟の当事者であり相手方である被告人を拘禁するというようなやり方で政府側に有利な証拠の安全を確保するというのはアンフェアであるという考え方に基づいている。被告人が政府側の証人を威迫するとか、偽証を教唆するとか、証拠を破壊するというような行為に及んだときは、それぞれの違法行為に見合う犯罪類型が用意されているのであるから、そうした刑事法を適用すれば良いのである。

 コモンロー系諸国における未決拘禁の目的は、被告人の公判廷への出頭の確保と地域社会に対する危険の回避である。被告人が法廷に出頭せず逃亡する蓋然性がかなり高いために、出頭しなかったら没収される保釈金の定めによっては逃亡を防ぎきれいないことを検察側が証明したときは、例外的に保釈は拒否される。

 また、被告人が保釈後に再犯を犯した前科があるというような場合には、コミュニティの安全確保のために保釈は拒否される。そして、できる限り公判前に被告人を釈放するため、拘禁に代わる手段が積極的に取り入れられている。GPS装置を付けたアンクレットを装着して被告人の行動を監視するとか、定期的に出頭を命じるというような仕方で、被告人の公判期日への出頭の確保と危険行為の防止をするという運用が定着している。

 日本では「被告人による証拠隠滅行為の防止」が未決拘禁の目的であるから、GPSモニタリングは機能しえないと考えられている。確かに、自宅にとどまったまま、検察側の証人予定者を脅すことは十分に可能であり、GPS装置によってそうした行動を監視することはできない。

 被告人自身による証拠隠滅行為を防止するためには、彼/彼女を警察の留置場や拘置所に監禁して、面会人との会話を全てチェクし、手紙を検閲しなければならないと、訴追側は主張する。

◆「証拠隠滅の防止」を目的から外す

 しかし、そのために失ったものはあまりにも大きい。この「被告人による証拠隠滅行為の防止」という目的の完全なる達成を目指すあまりに、憲法が保証する刑事手続上の人権は日常的に侵害されているのである。新憲法の定める価値を実現すべく保釈制度の改善を目指して真摯な議論をした70年前の国民の期待は、完全に裏切られたのである。

どうすべきか?

答えははっきりしていると思う。「訴追側証拠の保全」すなわち「被告人による証拠隠滅行為の防止」というものを未決拘禁の目的から外すことである。

「被告人に罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」という文言は勾留の要件(刑事訴訟法60条1項2号)から外し、保釈拒否事由(同法89条4号)からも削除するべきである。

 日本の裁判官がこの要件を極限的に拡大解釈してしまう人たちであることは、過去70年間の歴史――数限りない凄惨な結果をもたらした人体実験というべきもの――が証明している。

 日本の裁判官にとって「おそれ」を「相当な理由」に書き替えたことなど、なんの歯止めにもならないということが実証されているのである。

 ちなみに、わずか3年足らず前、2016年春になされた刑事訴訟法改正の際に、衆参両院の法務委員会は全会一致で次のような付帯決議をした――「保釈に係る判断に当たっては、被告人が公訴事実を認める旨の供述等をしないこと又は黙秘していることのほか、検察官請求証拠について刑事訴訟法326条の同意をしないことについて、これらを過度に評価して、不当に不利益な扱いをすることとならないよう留意するなど、本法の趣旨に沿った運用がなされるよう周知に努めること」。

 各法務委員会は「政府及び最高裁判所」に向けて、「度重なるえん罪事件への反省を踏まえて」「格段の配慮」を求めたのである(2016年5月19日参議院法務委員会「刑事訴訟法の一部を改正する法律案に対する付帯決議」)。

 現在の検察官や裁判官がこの付帯決議を意識して運用を改めようとしている気配は全く感じられない。

 検察官はあいかわらず保釈に反対する意見書のなかに「被告人は黙秘している」「全面的に争っている」とか「書証の大部分について不同意の意見を述べている」などと書いて裁判官に提出している。裁判官もその意見をやすやすと受け入れて、保釈却下決定を出している。現代の国会議員の控えめな期待すらも裏切られているのである。

 そもそも、被告人の身柄を拘束することと証拠の保全との間には関連性はあまりない。実際のところ、偽証のための口裏合わせとか証拠の改ざんなどは、被告人が拘禁されていても行われているのである。拘禁施設の外にいる関係者が被告人のために、被告人の指示があるかどうかとは関係なしに、こうした違法行為をする。

 弁護士の中には証人予定者や共犯者に対して被告人(依頼人)に有利な偽証をするように働きかけることを辞さないような者もいる。被告人の保釈を拒否して彼/彼女の自由を奪っても、こうした行動を防止することはできない。わが国にもそうした違法行為を処罰する刑事法は存在するのである。弁護士に関しては資格剥奪を含む懲戒制度があるのである。

◆保釈審理の公開

 コモンロー系諸国では、逮捕された被疑者は遅滞なく(without unnecessary delay)裁判官の前に連れてこられなければならない。公開の法廷で罪状認否が行われ、被告人が「無罪」の答弁をすると、通常は、裁判官が保釈金の額を決めて、保釈金やそれに代わる保証を提供した被疑者は釈放される。

検察官が保釈に反対すると、保釈のための審理が行われる。この審理も公開の法廷で行われる。誰でも傍聴できる法廷で、被告人の家族や関係者の証言を聞き、検察官と弁護人の保釈や保釈金額についての意見を聞いた上で、裁判官が保釈の可否、保釈金の額や条件を言い渡すのである。

 最近の例を挙げると、中国の通信会社ファーウェイの副会長でCFOの孟晩舟氏が禁輸制裁中のイランにコンピュータを輸出した容疑でアメリカ政府の告発を受けカナダで逮捕された後、バンクーバーの裁判所で保釈審理を受けた。その様子は全世界に報道された。彼女の親族や関係者が証言し、裁判官は1000万カナダドル(740万米ドル)の保釈金の納付とGPSアンクレットの装着を条件に保釈を認めた(BBC News,  Huawei executive Meng Wanzhou released on bail in Canada, https://www.bbc.com/news/world-us-canada-46533406)。

 日本では、勾留の決定も保釈の審査も書面審査だけで行われる。非公開の場所(裁判官の執務室)で検察官が提出した「一件記録」を読んで判断する。非公開なだけではなく、検察官が提出した一件記録を被告側が閲覧することもできない。検察官と裁判官だけが共有する秘密の情報に基づいて被疑者の勾留をするかどうか、被告人を保釈するかどうかが決められるのである。

 勾留審査の場合は、「勾留質問室」という密室の中で裁判官は被告人に会って「勾留質問」が行われる。「質問」と言っても、実際のところ、罪を認めるかどうかを確認するだけである。弁護人の立ち会いもない。しかし、本人の顔を見るだけましである。保釈審査の場合、裁判官は被告人の顔をみることすらしない。こちらが「被告人に会って欲しい」「奥さんを連れてきたので、彼女の話を聞いてほしい」とお願いしても、裁判官はこれを拒否する。

 わが国の現行法上、保釈の審理を公開の法廷で行うことは十分に可能である(勾留についても可能である。高野隆「勾留」三井誠他編『新刑事手続Ⅰ』(悠々社2002)、259、261〜263頁))。

 保釈の決定を行うために法は「事実の取調べ」を行うことを認めている(刑事訴訟法43条3項)。そのために公開の法廷で被告人とその弁護人立会のうえで証人尋問を行ない、弁護人の意見陳述を聞くことも可能である(刑事訴訟規則33条)。しかし、裁判官はこの法的に可能でフェアな方法をやろうとしない。

保釈制度が非人間的なものに変質することを防ぐためにも、公開の法廷で審査することは不可欠である。

◆自白事件を保釈対象から外す

「罪証隠滅のおそれ」の認定を回避するために「自白」が行われ、検察官が請求する有罪証拠の取調べに同意すること――刑事被告人の憲法上の権利(証人尋問権・反対尋問権)を放棄すること――が行われている。

そのコインの裏側として、罪を否認する被告人や有罪証拠の取調べに同意しない――憲法上の権利を行使する――被告人は「罪証隠滅のおそれ」があるとされて、保釈が拒否される。この2つはまさにコインの両面であり、両者を別の話として切り離すことは不可能である。自白した被告人に証拠隠滅行為をするおそれがないと判断するからと言って、否認した被告人にはその可能性があるとは言えないというのは、詭弁的な形式論である。

保釈という制度は刑事裁判における「鏡の国のアリス」状況を回避するための制度であり、無罪推定の権利に実質を与えるための制度である。コモンロー系諸国において、逮捕された被疑者が無罪の答弁をしたときに保釈が認められるというのはそのことを如実に表している。

有罪を認める者は、無罪推定の権利を放棄したのであるから、保釈の権利を認める必要はないのである。したがって、わが国においても有罪の答弁をした被告人は権利としての保釈(刑事訴訟法89条)の対象から外すべきである。

有罪を認める被告人についても拘禁を継続することが不当といえる場合がある。例えば、有罪となっても間違いなく罰金刑や執行猶予付き判決が見込まれるにもかかわらず、公判期日が先に指定されているために長期にわたって未決拘禁が続くような場合、あるいは被告人が病気のために一刻も早い釈放が必要な場合である。

こうした場合に対応する仕組みとして、現行刑事訴訟法は勾留の取消し(刑事訴訟法87条、91条)や裁量保釈(同法90条)という制度を設けている。自白している被告人を権利保釈する理由も必要もなかったのである。本来必要がない保釈を認めることによって、もっとも保釈が必要でかつその法的根拠が明白な人のための保釈が否定されているのである。

◆起訴前の保釈

わが国では逮捕から3週間ほど経過して検察官が公訴を提起するまでは被疑者には保釈を請求する権利はないとされている。この運用によって、起訴までの23日間は捜査機関側の「持ち時間」という発想が生まれ、その間、被疑者は警察や検察から繰り返し尋問を受けなければならないというわが国独特の実務が形成されたのである。

しかし、未決拘禁は被疑者を取り調べるための制度ではない。取調べのために身柄を拘束するというのは、黙秘権を保障する日本国憲法38条に違反し、かつ、「正当な理由」によらない抑留拘禁を受けない権利を保障する日本国憲法34条にも違反する。逮捕や勾留というものが被告人の逃亡や証拠隠滅行為を防止するための制度だとするならば、保釈を公訴の提起まで待つ理由はない。逮捕されたら直ちに保釈の権利を認めるべきである。

現行刑事訴訟法が起訴前の被疑者に保釈の権利を認めていないという実務の根拠とされる刑事訴訟法207条1項はこう規定している――「前3条の規定による勾留の請求を受けた裁判官は、その処分に関し裁判所又は裁判長と同一の権限を有する。但し、保釈については、この限りではない」。

この但書きは、起訴前には保釈を認めないということを少なくとも明言はしていない。この規定を文字通りに読めば、検察官から被疑者の勾留請求を受けた裁判官は、被告人の勾留状を発行する公判裁判所と同様に勾留状を発行できる、但し保釈に関する裁判をすることはできないと言っているだけである。

保釈に関する裁判は勾留請求を受けた裁判官とは別の裁判官が行わなければならないということを定めた規定と考えれば良い。そして、それには合理的な理由がある。

勾留状を発行した裁判官はその被疑者には逃亡や証拠隠滅の危険があると判断して拘禁の継続をすべきだと判断したのであるから、被疑者の危険性について予断を抱いているのである。その同じ裁判官に保釈の請求をしても、公正な判断は望めないであろう。

いずれにしても、公訴提起の前と後で保釈の権利に差を設ける合理的な理由はない。それは個人の「社会的身分」による不合理な差別であり、恣意的な身柄拘束であって憲法14条及び34条に違反するというべきである。犯罪の捜査が一般的な犯罪情報の収集の段階から進んで、一人の個人に焦点が絞られ、その個人を刑事訴追の対象とするために逮捕状が発行されたとき、その個人に身体拘束の正当性・合法性の審査を求める権利を保証し、将来の公判における防御の準備を開始する機会を与えないというのは、アンフェなことである。

「刑事上の罪に問われて逮捕され又は抑留された者」に保釈の権利を与えないのは、国際的な人権の基準に違反している(市民的及び政治的権利に関する国際規約9条3項)。

◆結論

カルロス・ゴーン氏の長期にわたる未決勾留と保釈の却下を契機として、わが国の刑事司法制度に対する批判が拡大している。批判は海外からだけではない。経団連の中西宏明会長も「日本のやり方が、世界の常識からは拒否されている事実をしっかりと認識しなければならない」と強い言葉で批判している(日経新聞2019年1月16日朝刊)。

わが国の刑事司法が「人質司法」にほかならないことは半世紀近くにわたって内外の法曹関係者や国際組織から繰り返し批判されてきたことである。今日の事態についてすでに70年前に当時の国会議員が強い懸念を表明していた。彼らなりにその予防策を講じようとした。しかし、彼らの声は戦後日本の裁判官の耳には届かなかった。日本の司法は戦前と同じ過ちを繰り返してしまった。いまこそ、われわれ国民は抜本的な改革に乗り出すときである。このままでは日本は国際的に孤立してしまう。刑事司法がこの国の「カントリー・リスク」であることが知れ渡れば、資金も技術も人材もこの国から去っていくであろう。


【日本の「人質司法」をどうするか――長期勾留や自白偏重に国際社会の批判 Yahoo!ニュース 特集編集部1/31】
20190203

2018年11月19日の夕方、日産自動車会長(当時)のカルロス・ゴーン氏が逮捕された。それから約2カ月が過ぎた今も、ゴーン氏は東京拘置所に勾留されたままだ。刑事事件で逮捕された場合、日本では実質的に勾留期間の制限がない。その間、面会時間は極端に制限され、容疑を認めなければ密室での厳しい取り調べが延々と続く。否認すればするほど勾留が長くなる、いわゆる「人質司法」だ。冤罪(えんざい)を生む温床と言われる人質司法とは、どのようなものなのか。古くて新しいこの課題。この話はまず、鹿児島から始まる。(文・木野龍逸、写真・八尋伸/Yahoo!ニュース 特集編集部)

◆「警察の態度は、悪いっちゅうもんじゃない」

鹿児島県の志布志市志布志町(旧曽於郡志布志町)は大隅半島の東側に位置し、志布志湾と向き合っている。桜島は山を越えた西側だ。
鹿児島市内から志布志市まで車で約2時間。そこからさらに山道を1時間ほど走ると、民家が10軒にも満たない懐(ふところ)集落に着く。「人質司法」による冤罪で知られる「志布志事件」は2003年、この山深い小さな集落で起きた。鹿児島県議選で買収などの公職選挙法違反があったとして集落に住む11人を含む計15人を逮捕。13人が起訴され、のちに全員が無罪になった事件である。

「警察の態度は、悪いっちゅうもんじゃないですよ。(逮捕される前の)任意の取り調べの3日目くらいのとき、部屋に入ったらいきなり、『こら、藤山! 死刑にしてやる!』って言われました」
事件で逮捕された一人、藤山忠(すなお)さん(70)は自宅でそう話した。述懐は続く。
「調べの間、机は蹴とばすわ、壁はたたくわ。壁を自分でたたいた刑事から『手が痛いから(罪を認めて)話してください』って言われたこともあります。それから1カ月近く、朝から晩まで延々とそんなのが続くんです。暴力団よりひどいですよ」
藤山さんは候補者側から現金を受け取った容疑をかけられ、逮捕後の勾留日数は185日に及んだ。取り調べ時間は、任意の期間を含め計538時間になる。とくに志布志署での任意の取り調べは苛烈だったという。
「机の上に両手を置けって言われて、ずっと同じ姿勢でいさせられるんです。つらくて手を机から下ろすと、怒られる。刑事は『このままだと、いつまでたっても会社にはいけんぞ』とか、『おまえが認めてくれれば、オレが一生面倒見る』とも言っていました。同じことをずっと言われ続けると、頭がボーッとしてきて、考える力がなくなって、どうでもいいやって思えてくるんです」
強圧的な姿勢で自白させる捜査手法は「たたき割り」と呼ばれる。任意の取り調べが始まって数日後、つらくなった藤山さんは容疑を“自白”してしまう。“自白”すると、逮捕され、接見禁止によって会えるのは弁護士だけになった。逮捕後の取り調べは毎日、朝10時頃から夜8時頃まで。取り調べ時には腰縄でパイプ椅子にくくりつけられて身動きできなかったという。
「親を逮捕するって言われたことは3回ありました。でも、一番つらかったのは、取り調べ時間が長いことと、『やってない』と言っても同じことを何度も繰り返し聞かれることでした」
刑事訴訟法では逮捕後の身体拘束の期限は最長72時間。その時点までに起訴できなければ、検察官は最大10日間の勾留を裁判所に請求できる。それでも起訴できず、「やむを得ない事由がある」と認められるとき、さらに最大10日間の延長が認められる。勾留や勾留延長ができない場合、容疑者はすぐ保釈されなければならない。
しかし、別容疑での再逮捕や追起訴があるたびに勾留期限はリセットされる。また、起訴後の勾留期限は2カ月だが、証拠隠滅の恐れがあるなどと裁判所が判断すれば1カ月ごとに更新が可能で、更新回数に制限はない。このため勾留が無制限に延びていく現実がある。
身柄を拘束したまま長期間、長時間の取り調べを続け、容疑を“自白”するまで決して社会に戻さない————。それが「人質司法」である。

◆“自白”すれば外に出られる、と捜査当局

志布志事件の「中心人物」とされたのは、この県議選で当選した中山信一さん(73)である。中山さんも厳しい取り調べの末、懐集落内で現金などを配り、票の取りまとめの依頼などをしたとして、2003年6月に公選法違反容疑で逮捕された。
「『認めればすぐに出られる。罰金で済む。何も失うものはない』って、警察はずっと言ってましたね」
同じ日、妻のシゲ子さん(70)も逮捕された。
逮捕後は2人とも否認を続け、信一さんは2度の誕生日をはさんで395日、シゲ子さんは273日にわたって身柄を拘束された。
志布志事件では、「他の人が認めているからおまえも認めろ」という違法性の高い尋問もたびたび行われたことが判明している。信一さんはこれで、一度だけ容疑を認めたことがあった。
「家内が認めた、って警察に言われたんです。でも接見禁止で直接確認できず、言われるがまま(自分も)容疑を認めてしまった。ところがその日の午後、接見に来た弁護士に聞いたら、家内は否認を続けてる、って。そこまでウソついて認めさせようとしてるのか、って」
シゲ子さんへの取り調べも厳しかった。警察や検察から「(金品が提供されたとする)会合に行ったのを見た人がいる。(違うと言うなら)おまえは双子か!」「おまえは女優か!」「卑怯者!」などと怒鳴られたこともあったという。
弁護士への不信感も募った、とシゲ子さんは振り返る。
「保釈請求の却下が続いて、不安になっていたんです。弁護士に力がないのかなって。それに、警察が『この先生は民事に強いけど刑事は弱い。他に変えたほうがいい』と言って、数十人の弁護士のリストを見せて、この人がいいって薦めるんです。もう、誰を信じていいのか分からなくなりました」
実際、弁護団の保釈請求はこの間、裁判所に却下され続けた。最終的にシゲ子さんは6回目、信一さんは9回目でようやく保釈が認められた。
孤独で厳しい取り調べに耐えられず、自殺を図った人もいた。藤山さんの隣に住む懐俊裕さん(70)。勾留は80日間、密室での取り調べ時間は計554時間にもなった。懐さんが自宅近くの滝つぼに飛び込んだのは、任意の取り調べが始まって4日目。たまたま近くにいた人に助けられた。
懐さんは、その滝つぼの前で取材に応じてくれた。
「飛び込んだときのことは、あまり覚えていません。でも取り調べは忘れたことがない。警察は悪い人を捕まえるものだと思っていたのに、なんで私や中山だったのか、なぜあんなことが起きたのか。今でも理由は分からない。警察も反省していません。警察がうちに来て謝るまで、私の中では何も終わりません」

◆「拷問のような感じで何日も」

志布志事件の取り調べでは、常軌を逸した「踏み字」も明らかになった。志布志港近くでホテルを経営する川畑幸夫さん(73)は取り調べの際、警部補に足をつかまれ、「お父さんはそういう息子に育てた覚えはない」などと書かれた3枚の紙を無理やり踏まされたのである。もちろん、父が書いた文字ではない。この警部補は、椅子に座った川畑さんの股の間から顔を出し、「なんでもするよ」と言ったこともあるという。
「やってないことを権力側がでっち上げる。拷問のような感じで何日もやる。あの取調室でやられたら(否認は)続かないですよ」
志布志事件はその後、警察による容疑のでっち上げだったことが判明している。11人もの逮捕者を出した懐集落は当時7世帯。小さな共同体は大混乱に陥り、人々の日常は崩壊した。11人の中には「全員無罪」の判決を聞くことなく、刑事裁判の途中で亡くなった人もいる。
被疑者の弁護に当たった鹿児島市の野平康博弁護士は「接見禁止で外部との連絡を遮断し、保釈せず身柄を人質にとって自白させるという人質司法の手法を露骨にやったのが、志布志事件でした」と話す。
「捕まった人たちの中には、勾留中に“自白”し、公判の冒頭でも容疑を認めた後、保釈後に否認に転じた人が数人います。勾留中、捜査機関は丸1日でも取り調べができるので、被疑者との間に支配と服従の関係ができやすくなる。保釈後に否認するケースがあるのは、それが崩れるからです」
人質司法の最大の問題は、どこにあるのか。野平弁護士は「被疑者が捜査機関のコントロール下に置かれ、最も重要な人権、自己決定権が奪われてしまうことです」と指摘する。そして、長期勾留を安易に認める裁判所の姿勢を批判した。
「裁判官は、人の自由を奪うことの意味を考えてほしい。自白を強要する『たたき割り』は、裁判所が保釈を認めないことにつけ込んだ捜査手法でもあります。長期勾留の末に無罪になっても、失った時間は戻ってこないんです」

◆以前から「人質司法」に国際社会の批判

「人質司法」に象徴される日本の刑事手続きは、国際社会では以前から批判の的だった。
国連の自由権規約委員会は2008年、取り調べに弁護人が立ち会う権利を確保するよう日本政府に勧告している。同じく拷問禁止委員会は2013年、自白偏重の捜査や弁護人の立ち会いが義務化されていないことに懸念を表明。その審査会では委員から、日本の刑事司法は中世のようだという批判も出た。
沖縄で再三問題になる米兵犯罪に関しても、2009年のひき逃げ事件の際、弁護人が立ち会わない取り調べを米兵側が拒否するという出来事があった。日米地位協定の改定論議では、「被疑者の権利が守られない日本の刑事司法の後進性」が障壁の一つとされている。
警察だけでなく、検事による取り調べでも同様の問題は起きている。
1993年にはゼネコン汚職を捜査中の静岡地検の検事が参考人に暴行を加えて全治3週間のけがを負わせ、特別公務員暴行陵虐致傷罪で有罪判決を受けた。またリクルートの創業者で、のちに「リクルート事件」で有罪となった江副浩正氏(故人)は自著の中で、東京地検特捜部の検事から拷問に近い取り調べを受けたことを明らかにしている。
カルロス・ゴーン氏の長期勾留は、長く指摘され続けてきたこの問題を改めて浮上させた。ゴーン氏の処遇に対し、海外からは「人権問題だ」との批判も出ているが、主要メディアの報道によると、捜査を指揮する東京地検の久木元伸・次席検事は昨年11月の定例会見で、「それぞれの国の歴史と文化があって制度がある。他国の制度が違うからといってすぐに批判するのはいかがなものか」と述べている。
これに関連し、法務省刑事局法制管理官室の担当者は今回、電話取材でこう答えた。
「国ごとの制度はさまざまで、一部だけを捉えて問題があるという批判は当たらないと考えています。わが国では、勾留や接見禁止の要件、勾留期間などについては法律で厳格に定められている。いずれも裁判官の審査を得た場合に限り許されるうえ、不服申し立てもできます。取り調べへの弁護人の立ち会いについては、法制審議会の『新時代の刑事司法制度特別部会』で議論されましたが、取り調べの機能が損なわれるおそれがある、弁護人が来なければ取り調べができなくなるなどの意見があり、導入しないとされました」

◆「被疑者にも自己決定権がある」と専門家

被疑者の権利確保について、欧米諸国はどうなっているのだろうか。この問題に詳しい一橋大学法学研究科の葛野尋之教授を訪ねると、「欧州では2013年に大きな動きがありました」と説明してくれた。
この年に採択された欧州連合(EU)指令は「取り調べに弁護人の立ち会いを求めることができる」「弁護人が取り調べの時に質問できるようにする」などの義務化を加盟各国に求めた。現在までに加盟国で国内法が整備され、立法措置が講じられているのだという。
葛野教授は言う。
「弁護人の立ち会いや取り調べ前の弁護人との相談などが立法化されています。供述の自己決定権を確保するため、弁護人の事前の相談と立ち会いが必要なんです。日本国憲法も保障する黙秘権は、単に黙っている権利ではありません。どの事柄について、いつ、どのように答えるか、答えないかを被疑者自身が決める権利、自己決定権なんです」
「これを確保するには、供述を強要する心理的圧迫や誘導を排除することが必要ですし、どう供述するか、しないかを決めるに当たり法律専門家の助言も必要です。だからこそ、録音録画で取り調べの状況がチェックできるようになっても、取り調べ前の相談とともに、弁護人の立ち会いが要求されているのです」
フランスの刑事司法制度に詳しい神奈川大学法科大学院の白取祐司教授は、ゴーン氏の問題に関する批判には誤解に基づくものもあるとし、「フランスにも冤罪事件はある。それぞれの国に司法文化があり、どれがいいか悪いかは一概には言えません」と言う。
白取教授が続ける。
「フランスでも自白は重要視していますが、日本のように自白を導くことは制度的にできません。予審段階で勾留が長期になることはあっても、取り調べは数時間程度。弁護人も立ち会えます。勾留中の環境も日本とは全く違う。いったん逮捕されると刑務所に準ずるような環境に置かれる日本は、人権的には発展途上国並みだと思います」
「日本でもすべての被疑者に国選弁護人がつくようになるなど、少しずつ良くなってはいます。でも、勾留によって社会から隔離し、弁護人の立ち会いを認めないまま自白を迫るようなやり方や、否認への制裁のような保釈請求の却下などは、やはり問題です」

◆保釈認めぬ裁判所、一方で勾留請求の96%はOKに

「人質司法」が成り立つのは、裁判所の対応に負うところが大きい。
検察庁がまとめた統計によると、勾留請求に対する裁判所の判断は2017年、許可が9万7357人。これに対し、却下は3901人に過ぎず、却下率は4%に満たない。勾留期間の延長状況を見ると、6万2584人の延長が許可されたのに対し、却下はたった137人。勾留期間が上限近い16~20日だった人数は、全勾留者の半数を超える5万7700人にもなる。
数多くの刑事弁護を手がけ、無罪判決も勝ち取ってきた趙誠峰弁護士(東京)は「勾留期間が約20日間と長いうえ、実務上、取り調べの受忍義務がある。そのため、黙秘権を行使するのに困難が伴い、忍耐力がいる」と話す。
「長時間の取り調べで、人によっては『警察の方が(弁護士などより)自分のことを考えてくれている』と思うようになる。そうなると、黙秘権があるというアドバイスも聞いてもらえないことすらある。弁護士は限られた接見時間の中で必死に綱をたぐり寄せ、なんとか信頼を保つようにしているのが実情です」
趙弁護士は続ける。
「保釈とは、裁判を待つまでの間、社会生活を送りながら弁護士と打ち合わせるなど裁判の準備をするのに必要な制度です。でも、勾留が続くと裁判の準備が困難になり、仕事を失ったり家庭が壊れたりして、裁判が始まる頃には生活がグチャグチャになっていることもあるんです」
志布志事件で警察から“事件の中心人物”とされた中山信一さんは、1年以上に及ぶ勾留中、「半年以上も接見禁止だったことが一番つらかった」と振り返る。
「接見禁止の間は毎日、弁護士が来てくれました。接見禁止が解除されてからは息子や支援者が来てくれた。それが大きかったんです。でも、今は歳もとったし体力も落ちています。もう一度あんなことがあったら、今はもう、頑張れないです。あんな調べをしていたら、冤罪は増えます」


【世耕大臣はダボス会議での「人質司法」擁護“失言”について説明すべき 郷原信郎 1/28】

ダボス会議に出席した世耕弘成経済産業大臣が、1月23日、「日本に関する討論会」の場で、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏が特別背任などの罪で起訴された事件で日本の刑事司法制度に批判が出ていることに関して、「各国の司法制度は歴史上の成り立ちがそれぞれ違う。その一部を切り取ってその国の司法制度が正しいか間違っているかという議論はフェアではないと思う」と述べた上、「日本ではよほど大規模なテロのような犯罪でない限り通信傍受はできないが、米国や欧州、多くの国々はあらゆる犯罪に関して通信傍受ができる」と述べたと朝日新聞が報じた(1月24日09時44分配信ネット記事)。
この中の「日本ではよほど大規模なテロのような犯罪でない限り通信傍受はできない」との発言に対して、趙誠峰弁護士が

これは事実に反する。嘘。平成28年刑訴法改正によって通信傍受は詐欺などにも拡大され、およそテロとは無縁の事件でも「現に」通信傍受が行われている。いますぐ発言を訂正すべき

とツイートするなど、SNS上で批判の声が上がった。すると、その直後、同記事から、通信傍受に関する記述がすべて削除された。

趙弁護士は、その事実を指摘し、「誤った発言部分がカットされていることは、これはこれで大問題ではないか。どういう経緯で記事の内容を変えたのか朝日新聞ははっきりするべきではないか」とツイートしている。
安倍首相も含む各国の首脳、要人が出席し、海外のメディアも注目する「ダボス会議」という国際会議での「日本に関するセッション」の場で、現職の経産大臣が、日本の「人質司法」を擁護するかのような発言を行い、しかも、明らかに誤った発言をしたとすると、極めて重大な問題だ。

◆通信傍受についての明らかに誤った発言

まず、世耕氏の「通信傍受に関する発言」が、ダボス会議の場で本当に行われたのか否かが問題になるが、記事の掲載と削除の経緯からすると、あったと考えざるを得ない。
世耕氏が、当該発言をしていなかったのに発言したかのように誤って報じたというのであれば、現職閣僚の発言についての朝日新聞の誤報だったということになり、明示的に訂正するのが当然である。訂正がないということは、世耕大臣の発言はあったが、何らかの事情で削除したということしか考えられない。念のため、朝日新聞の「お客様オフィス」に問い合わせたが、「世耕大臣の発言はあったと考えてもらって差し支えない」とのことであった。
そして、世耕氏が「日本の通信傍受の対象犯罪は大規模なテロのような犯罪に限られている」と発言したとすれば、その内容は、明らかに誤っている。
日本における「通信傍受」は、2000年に施行された通信傍受法で、対象犯罪が、薬物・銃器・集団密航・組織的殺人の4類型に限られていたが、もともと、「大規模なテロのような犯罪」に限られていたわけではない。しかも、2016年12月施行の刑事訴訟法改正に伴う通信傍受法の改正により、対象犯罪が爆発物使用・殺人・傷害・放火・誘拐・逮捕監禁・詐欺・窃盗・児童ポルノの9類型に拡大されており、現在では、詐欺・窃盗などの財産犯も含まれている。

しかも、世耕氏は、第1次安倍内閣発足と同時に内閣官房副長官に就任し、刑訴法改正と併せて通信傍受法改正案が成立した2016年5月も、官房副長官の地位にあった。なぜ通信傍受の対象犯罪が「大規模なテロのような犯罪に限られている」などという誤った認識を持っているのかも極めて不可解である。
問題は、その世耕発言が、どのような趣旨で行われたものなのかである。当初の朝日新聞の記事も、世耕氏の発言の要点を伝えたものであり、発言全体がどのような趣旨だったのかは不明だが、少なくとも、世耕氏が、ゴーン氏の事件で問題にされている日本の刑事司法制度に対する海外の批判に関して発言したこと、それが、犯罪事実を認めない限り保釈が許可されず身柄拘束が続く「人質司法」への批判を強く意識したものであったことは間違いないと考えられる。

世耕氏は、なぜ、「人質司法」に対する海外からの批判への反論で、通信傍受のことを持ち出したのだろうか。
ゴーン氏の事件に関して海外から批判されている「人質司法」というのは、ゴーン氏の事件のような、凶悪事件ではない経済犯罪においても、犯罪事実を否認し、無罪主張をしている被告人については、「罪証隠滅のおそれがある」との理由で保釈が認められず身柄拘束が長期化する現実のことである。それは、「推定無罪の原則」を軽視し、長期の身柄拘束を、自白獲得・無罪主張の封じ込めに使う検察と、それを容認してきた裁判所の姿勢の問題である。(高野隆氏【人質司法の原因と対策】)

一方、「通信傍受」は、捜査機関が裁判所の令状を得て行う捜査手段であり、その対象をどの範囲の犯罪に認めるかは、保釈を認めない理由の「罪証隠滅のおそれ」とは凡そ関連性がない問題だ。

世耕氏の発言の趣旨が、仮に、「日本では、捜査機関に通信傍受が許される範囲が狭いから、通信手段による罪証隠滅が行われることが防止できない。だから否認している被告人の保釈が認められないことも合理性がある。」というものだとすると、全く見当違いも甚だしい。

それどころか、「人質司法」の解消のためには、捜査機関にさらに広範囲に通信傍受を認めるべきという恐ろしい発想につながりかねないのであり、現職閣僚がそういう考えを持っていること自体が重大な問題だ。

いずれにせよ、朝日新聞の報道によれば、日本の経産大臣が、国際会議の場で、経産省の所管外の刑事司法制度に関する発言をし、その内容に重大な誤りがあった可能性が高いのであるから、その発言全体がどのようなものであったのかを明らかにすべきである。その上で、世耕氏が、説明責任を果たすことが不可欠だ。

◆現職経産大臣の発言の影響

次に問題となるのは、世耕氏の発言の影響である。

「ダボス会議」は、ジュネーヴに本部を置く独立した国際機関「世界経済フォーラム」の年次総会であり、政府間の公式会議ではないが、知識人やジャーナリスト、多国籍企業経営者や国際的な政治指導者などのトップリーダーが一堂に会し、世界が直面する重大な問題について議論する場であり、そこでの発言は、国内外のメディアから注目されている。
ゴーン氏の事件では、日産の西川社長らが、社内調査で把握したゴーン氏の不正事実を検察に持ち込み、ゴーン氏が逮捕され、出席できなかった取締役会でゴーン氏を代表取締役会長職から解職したという、企業ガバナンスという面からは本来許されないやり方で経営トップを交代に追い込んだ。その背景には、日産と、その大株主でフランス政府が筆頭株主のルノーとの経営統合をめぐる争いがあったとも言われている。

ゴーン氏が逮捕・起訴されても、フランスのルノーの側では、「推定無罪の原則」を重視し、ゴーン氏を会長職にとどめていたが、身柄拘束が長期化し、解消される見通しが立たないことから、とうとうゴーン氏は、ルノーの会長職辞任に追い込まれた。

そのような事態を招いた、「長期の身柄拘束の解消の目途が立たない」という現実が、日本の「人質司法」によるものだと海外から批判されているのである。日本の有力な自動車メーカーである日産の経営に関わりを持つ経産省にとって、「人質司法」に対する国際的批判は他人事ではない。

そうした中で、司法制度については所管外の経産大臣が、海外のメディアも多数取材しているダボス会議の「日本に関する討論会」の場で、日本の「人質司法」を擁護し、海外からの批判に反論するかのような発言を「敢えて」行い、しかも、その発言が「明らかに誤っていた」ということになると、国際社会に対して、日本の刑事司法への重大な誤解を与えることになる。そればかりか、今後、日産とルノーとの関係にも関わりを持つ可能性のある日本の経産省のトップが、日本の刑事司法制度の現状について基本的な理解を欠いていたことを露呈することになり、今後、日産とルノーをめぐる問題への経産省の対応にも重大な悪影響を及ぼしかねない。
世耕発言の該当部分が削除されたのはなぜか

もう一つの重大な問題は、一度ネット記事で掲載した世耕大臣のダボス会議での発言を、誤りが指摘された後に、何の断りもなく削除したのは、いかなる事情によるものなのか、という点である。

新聞紙面の記事と異なり、ネット記事は、修正や削除が容易にできる。誤った事項があった場合に、訂正を明示することなく、修正・削除が行われることもある。しかし、今回のネット記事は、現職閣僚の、国際的な会議の場での発言に関するものだ。それに対して読者から批判の声が上がっているのに、何の断りもなく一部削除することは許されない。発言の内容が実際の発言と異なっていたのであれば、明示的に訂正するのが当然だ。もし、記事に掲載した世耕氏の発言が日本の刑事司法制度に関する誤った発言であることが分かったのであれば、発言に関する記事はそのままにして、発言が誤っていたことを別途指摘すべきだ。

ネット上での誤りの指摘を受け、その発言を削除したとすれば、朝日新聞は、現職有力閣僚がダボス会議で行った誤った発言の「隠ぺい」を行ったことになる。
森友・加計問題で安倍政権を徹底追及し、激しく対立してきた朝日新聞である。安倍政権の中枢を担う現職閣僚と不透明な関係を疑われないよう、ネット記事から世耕氏の発言に関する記述の一部を削除した経緯と理由を明らかにすべきだ。

◆世耕氏はどう対応すべきか

世耕氏は、まず、ダボス会議の「日本に関する討論会」において、日本の刑事司法に関してどのような発言をしたのか、全体を公表すべきである。そして、同発言中に、誤った発言があったのであれば、海外メディア等に対して速やかに訂正し、日本の通信傍受について正しい理解が得られるように措置を講じるべきだ。
その上で、その発言の趣旨、「人質司法」など日本の刑事司法制度に対する海外からの批判への反論の中で、なぜ「通信傍受」の話を持ち出したのかについても明確に説明すべきだ。
ダボス会議での「通信傍受」に関する“失言”は、日本の有力自動車メーカー日産とフランスのルノーとの経営統合問題にも影響を及ぼす可能性があるばかりでなく、刑事司法制度に対する日本政府の姿勢自体にも疑念を生じかねない。世耕氏は、現職経産大臣として十分に説明責任を果たすべきだ。


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