「経済学批判・序言」 「定式」をめぐって(メモ)
牧野広義氏の「マルクスの哲学思想」は、極めて面白く、知的な刺激を与えてもらっている。特に「物件化」に関わる一連の論述は、これまでつなぎ切れなかった輪っかが、結びつき、構造化されていく様を感じている。
それとは別に、「定式」に「階級」の言葉がない問題、「前史」の捉え方、アジア的生産様式の問題で、同氏の指摘は、極めて興味深いので、他の材料も加えながら、整理の意味でメモにしてみた。あくまで自身の学習材料。
◆序言には「定式」部分と、前後に「研究の歩み」としてマルクスの立ち位置の説明がある。
*序言より /1859年1月
「私自身の経済学研究の歩みについて2、3述べておくには、ここが適当であろうかと思う。・・・
私の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論は、簡単に言えば次のように定式化することが出来る。」
「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造がそびえたち、そしてそれに一定の社会的諸意識形態が対応する。」
・・・ 「ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をも作り出す。したがってこの社会構成でもって人間社会の前史は終わる。」
・・・{私はエンゲルスと私が共同で仕上げた『共産党宣言』と、私が公表した『自由貿易論』とだけをあげるにとどめる}
・・・{以上の略述は、ただ私の見解が、これを人がどのように論評しようとも、またそれが支配階級の利己的な偏見とどれほど一致しないとしても、良心的な、長年にわたる研究の成果であることを示そうとするものにすぎない。しかし科学の入口には、地獄の入口と同じように、次の要求がかかげられなければならない。
ここにいっさいの疑いを捨てなければならぬ。
いっさいの怯惰はここに死ぬがよい。<ダンテ『神曲』、地獄篇より>」
◆定式に「階級」「階級闘争」の言葉がない ・・・配慮したのか
・革命家、哲学界では有名であったが、ドイツの経済学界では無名。そこにデビューした著作
→ 古典教室「マルクスは手紙でも書いているのですが、保守色の強いドイツの経済学界に最初の経済学的労作をもって登場するにあたって、最初から色眼鏡で見られて無視されないように、史的唯物論の定式にあたっても、注意深い工夫をしたのですね。だから、「階級」とか「搾取」「社会主義」などの言葉は使わないで中身を表現したのだと考えて、ようやく腑におちました」
◎本当にそうか・・・牧野
・略歴の中で、「共産党宣言」の著者であることを初めて明らかにした。〔「古典教室」は触れていない〕
・「社会革命の時期が始まる」「これと闘って決着をつける」など、「階級闘争」という言葉自体は使っていないが、「闘い」の存在を示している。
→ 序言をよめば、マルクスの立ち位置〔革命家の側面〕がわかるようになっている。
◎手がかり
①「近代社会における諸階級の存在を発見したのも、諸階級相互の闘争を発見したのも、別に僕の功績ではない。ブルジョア歴史家たちが僕よりずっと前に、この階級闘争の歴史的発展を叙述したし、ブルジョア経済学者たちは諸階級の経済的解剖学を叙述していた。僕が新たに行ったことは、① 階級の存在は生産の特定の歴史的発展段階に結ばれているにすぎないこと、② 階級闘争は必然的にプロレタリア階級の独裁に導く ③この独裁それ自身はいっさいの階級の廃止への、階級のない社会への過渡をなすにすぎないことを証明したことである」(マルクスからヴァイデマイヤーへの手紙、1852年3月5日〕。
→ 定式は、「新たにおこなった」点、特に①を明確に示したものではないか
②「科学の入れ口」 ダンテの言葉… 「定式」部分では一定の配慮しながらも、厳密な論理をつきつけておいて、「共産党宣言」の執筆者と明かしたうえで、ドイツの経済学者が、正面から対峙しなくてはならないもの、として挑戦状をつきつけたように感じる〔「古典教室」の紹介の手紙の趣旨にも合致〕。
◆ 「本史」は、マルクスの言葉ではない
①「本史」は,河上肇が訳した時に、付け加えたもの。人間社会=人類の「前史」ととらえたので、「本史」が必要になった。読み間違い
→牧野訳 「ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をも作り出す。したがってこの社会構成でもって人間的社会の前史は終わる。」
・フォイエルバッハに関するテーゼ」 第10テーゼ 1845年
「古い唯物論の立場は「市民」社会であり、新しい唯物論の立場は人間的社会、あるいは社会的人間である。」
と同一。
「ブルジョア社会」は「この敵対の解決のための物質的諸条件をも作り出す」ので、「人間的社会」=未来社会の前史は終わる、といっているもの/それ以前の社会構成体は、敵対を解決する「物質的諸条件」〔生産力、労働者階級〕をつくりださない。
・「資本論」では、「いわゆる本源的蓄積」の段階を資本主義の前史と位置づけている
・なお、「古典教室」は、“人類社会の「前史」、「本史」”との言葉が使われている
②マルクスによる人類史の三段階論規定 『経済学批判要綱』(「1857-58年草稿」) 「貨幣章」
・「人格的な依存関係(最初はまったく自然生的)は最初の社会諸形態であり、この諸形態においては人間的生産性は狭小な範囲においてしか、また孤立した地点においてしか展開されないのである。
・物象的依存性のうえにきずかれた人格的独立性は第二の大きな形態であり、この形態において初めて、一般的社会的物質代謝、普遍的諸連関、全面的諸欲求、普遍的力能といったものの一つの体系が形成されるのである。
・諸個人の普遍的発展のうえにきずかれた、また諸個人の共同体的、社会的生産性を諸個人の社会的力能として服属させることのうえにきずかれた自由な個性は、第三の段階である」
→ マルクスには、第二の大きな形態として、資本主義社会の意義を高く評価している/「序言」の直近に書かれたこの規定にてらせば、「前史」と、第三の段階の前史である第二段階。
③「前史」「本史」の二段階論は、エンゲルスに由来するという説
・エンゲルス 反デューリング論 「これまで人間を支配してきた人間をとりかこむ生活諸条件の全領域は、人間自身の支配と統御のもとにはいる」これまでの社会的諸力や自然的諸力の「盲目的、暴力的、破壊的な作用」を克服し、それらの諸力を社会的な組織によって意識的、計画的に管理するという点に、 未来社会の特質を求め、それを「必然の国から自由の国への人間の飛躍」と規定。
→ 「必然の国」=前史、「自由の国」=「前史」「本史」にひきつけて、その根拠と読み替えた
*エンゲルスは、ヘーゲルの自由と必然の概念を使い、未来社会の意義を説明しようとしたものではないか
・18世紀初頭に、人間の意志は自由か必然かという哲学論争・・・ヘーゲル 自由と必然とを対立物の統一としてとらえることによって決着…自由とは、客観世界の必然性を認識したうえで、その必然性を揚棄してその事物の「真にあるべき姿」(概念)をとらえる = この概念的自由により把握された概念を理想として掲げ、その実現をめざす実践により、事物を「真にあるべき姿」に変革しうるのであり、これをヘーゲルは「理想と現実の統一」ととらえる。
→ エンゲルスは、まず、「ヘーゲルは、自由と必然性の関係をはじめて正しく述べた人である」と評価。「自由とは、自然的必然性の認識にもとづいて、われわれ自身ならびに外的自然を支配する」こと。という自由を提示
(この「必然の国」「自由の国」の使い方は、資本論の展開とは別物 )
◆おおづかみに言って・・・その原型は、ヘーゲルの世界史の歩み/牧野
①ヘーゲルは世界史の歩みを際立たせるために、世界の文明を発達レベルの低い順から段階的に三区分で説明。
「東洋人は、ひとりが自由だと知るだけであり、ギリシアとローマの世界は特定の人々が自由だと知り、わたしたちゲルマン人はすべての人間は人間それ自身として自由だと知っている…。この三区分は、同時に世界史の区分の仕方とあつかい方をも示唆するものです」
東洋人… 共同体から総体的奴隷制、次に、ギリシアローマ的奴隷制を指し、次にゲルマン的社会・・・ルネッサンス以降の時代では・・
・なお15世紀末、イタリア ルネサンス文化は、最初の古代を「光」それ以後の中世を「闇」、暗黒の中世の死の淵からよみがえったルネサンス時代を「再生の時代」(近代)としている
・その後、17世紀 オランダ ケラーは自著「世界史」にて「古代・中世・近代」という時代解釈を記す
②1939年にソ連で発表されたマルクスの遺稿『資本制生産に先行する諸形態』が公刊。その中で、マルクスは、アジア的生産様式は、古代的・封建的生産様式とは異なって、アジア的土地所有においては共同体の所有はあっても個人の所有はなく、個人は共同体成員としてそれを保有しているにすぎない、としている。これは、個人が土地(耕地)を分配されるのみの存在であって、共同体から自立できないことを示しており、これは原始共同体の社会構成とも異なることを示した。また、マルクスは、このような機能を国家的規模で管理し、支配し、共同体の生産と労働を貢納制度によって収奪しているのが専制君主であると指摘した。
→ 総体的奴隷制のこと
③1848年刊行の『共産党宣言』は「これまでのすべての歴史は階級闘争の歴史である」とあるが、1888年に英語版の出版に際し、注で文字とし残ってる歴史では、と限定し、原始状態は別とした。
→ マルクスが『経済学批判』を書いた時点で、すべての民族の歴史の入り口に原始共産制社会があったと理論的には考察していたが、実証的研究が不足していた。その後、古代史の研究にとりくんでおり、1880年『空想から科学へ』の中で原始共産制社会の存在を指摘し、平等な共同体が有史以前に存在していたと主張している。
特にマルクスは、70年代にモーガンの「古代社会」の詳細な研究をおこない、その遺稿は、エンゲルスによって、84年『家族・私有財産・国家の起源』として仕上げられた。原始共産制の存在が明確に解明されている。
*〔一八八八年英語版へのエンゲルスの注〕 「すなわち、すべての文書によってつたえられている歴史の。一八四七年には社会の前史、記録された歴史の以前にあった社会組織は、ほとんど知られていなかった。その後、ハクスタウゼンは、ロシアの土地共有制を発見し、マウラーは、土地共有制こそ、チュートン種族が歴史に出発した社会的基礎であったことを立証した。そしてしだいに、村落共同体が、インドからアイルランドまでのいたるところで、社会の原始形態であること、あるいはあったことがあきらかになってきた。この原始共産主義社会の内部的組織は、氏族の真の性質、およびそれの部族にたいする関係にかんする、モルガンの仕上げとなるべき発見によって、その典型的な形態においてあきらかにされた。この原生の共同体の解体とともに、社会は別々の諸階級、そしてついには相対立する諸階級へ分化しはじめる。私は『家族、私有財産および国家の起源』(第二版、一八八六年、シュトゥットガルト)のなかでこの解体過程をあとづける試みをした。
* 一八八三年のドイツ語版序文 エンゲルス
・・・・この『宣言』をつらぬく根本思想は、つぎのとおりである。すなわち、歴史上の各時代における経済的生産と、それから必然的にうまれる社会の構造とが、その時代の政治史ならびに精神史の土台になっていること、したがって(太古の土地の共有が解体して以来)全歴史は、階級闘争の歴史、すなわち、社会発展のさまざまな段階における、搾取される階級と搾取する階級、支配される階級と支配する階級の闘争の歴史であったということ、しかしこの闘争は、いまや搾取され抑圧される階級(プロレタリアート)が、同時に全社会を搾取と抑圧と階級闘争とから永久に解放することなしには、もはや搾取し抑圧する階級(ブルジョアジー)から自己を解放できないという段階にたっしたこと、これである。――この根本思想は、もっぱらマルクスひとりのものである・
→ 1883年「太古の土地の共有が解体して以来」、88年「すなわち、すべての文書によってつたえられている歴史の」という限定が出てくる。
④こうした経緯を考えると、アジア的生産様式とは、「原始共同体の解体によって発生した最初の階級社会」=ヘーゲルも指摘していた“1人だけが自由な社会”=総体的奴隷制と見るのか素直な見方ではないか。この生産様式は古代中国・インドにとどまらず、エジプト・メソポタミアなどの各古代専制国家、そして律令体制以前の日本にも存在した、と考えられている。
・なお、不破氏の論稿(史的唯物論研究)には、ヘーゲルの時代区分の関係、総体的奴隷制の位置づけについての言及がない。
→「おおづかみにいって」というのは、人類史の性格な区分が、主目的ではなく、当時の常識的な捉え方(ルネッサンス以来の捉え方、ヘーゲルの人類史区分など)を前提に、社会の在り方は「生産の特定の歴史的発展段階」に対応していることを明確に示すことに眼目があったのではないか。
マルクスだから、新たに、極めて厳密なカテゴリーを提示しているはず、というのは深読みのような気がする。
・・・・ いずれにしても今後の学習の課題
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