アメリカにNOと言えない日本に『国防』ができない
戦争当事国に出撃基地を提供している国は、当事者である。が、その「出撃」を禁止できない日本。他国ではもちろん、日本防衛でも、民間人誤射に対する法的制度(要は「軍事法廷」)がなく、自衛隊員個人の犯罪となる日本・・・ 主権を持つ国として、戦争にまきこまれない権利を放棄、「専守防衛」に際にも、発砲することを想定していない法制度・・・ そんなことで「国防はできるのか」 紛争の現場、世界を知る伊勢崎氏の指摘は、いつも厳しい。
同氏のインタビューのタイトルは疑問形だが、ブログのタイトルは断定にした。
おりしも、22日の国会質疑で、米軍機の運用は一切「非公表」との密約が暴露された。政府の共犯者となっている大手マスコミは無視。
【「日本はアメリカにNOと言えない主権国家である」 アメリカの自由出撃を許さない軍事同盟から取り残された日本に『国防』ができるのか 伊勢崎賢治 2018/10/4 ニコニコニュース 】
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2019-02-23/2019022301_01_1.html
【
「日本はアメリカにNOと言えない主権国家である」 アメリカの自由出撃を許さない軍事同盟から取り残された日本に『国防』ができるのか 伊勢崎賢治 2018/10/4 ニコニコニュース 】◆コスタリカから私たちは何を学ぶことができるか?
日本はどのようなビジョンを持って、平和を築いていくのか?
そもそもあるべき「日本の国防のかたち」とは?5名の有識者が”国防”について各々の意見を展開する番組『日本国防論~宮台・白井・伊勢崎・孫崎・伊藤インタビュー集~』がニコニコで配信された。
1948年に軍隊を廃止したコスタリカは、軍事予算をゼロにしたことで、教育や医療や環境に予算を充て、国民の幸福度を最大化する道を選びました。独自の安全保障体制で平和国家を構築したコスタリカに、私たちが学べることは何なのか。
そして、「日本の国防のかたち」とは、どうあるべきなのか。元NGO・国連職員である伊勢崎賢治氏へ、日本が目指すべき「国防」のかたちについてインタビューを実施しました。◆コスタリカは「軍隊を完全に否定した」のか
◎伊勢崎:この映画は、コスタリカが軍隊という概念を捨てた立憲過程を描いたものです。コスタリカが新しい建国で目指したものを歴史的に検証した。日本国憲法についても、そういう記録映画がたくさんあります。立憲の精神。でも、長い年月を経てた「現実」はどうか? これも我々日本人がよく話題にします。
コスタリカの今、現実の姿はどうかというと、立憲当時には想定できなかった安全保障の環境に対応するために、「軍隊を完全否定」というイメージとは少し違ってきています。これは、憲法と現実に乖離があるじゃないかとコスタリカを非難しているわけではなくて、そういうものなのです。日本でも、どこでもそうですが、国家が新しい体制に変わる時、その象徴としての憲法の制定は、常に、“急いて”行われ、後になって修正が必要となるものですから。
最初に、そのコスタリカ憲法を、もう少し注意深く見て見ましょう。僕はスペイン語ができないので、比較憲法Comparative Constitutions Projectsの関連サイトの英訳から引用します。
コスタリカ憲法は、1949年の制定以来、20回以上も改正されています。何と言っても一番有名なのが、憲法第12条。The Army as a permanent institution is proscribed.
For the vigilance and conservation of the public order, there will be the necessary forces of police.
Military forces may only be organized by a continental agreement or for the national defense; one and the other will always be subordinate to the civil power: they may not deliberate, or make manifestations or declarations in an individual or collective form.冒頭で、“permanent institution”恒久な機関としての“Army”(陸軍?軍隊?)を持たない、と。でも、次で、公共秩序と警戒のために警察“forces”組織は持つ、と。
次が面白い。“Military forces.”つまり軍事組織、軍隊ですね。これを、常備しないけど必要であれば創設する、としている。その必要性とはどういう時かというと、まず“continental agreement.”コスタリカのあるラテンアメリカにも、ヨーロッパのEUやNATOみたいな地域の国家共同体があります。その地域で安全保障上の必要性が起こり、みんなでやろうと取り決めがあれば、軍事組織を持てるとしている。
これ、日本の議論でいうと、「集団的自衛権」です。(厳密に言うと、国連憲章第8章で地域の共同体に国連安保理の許可制で認められている集団安全保障ですが)
もう一つの必要性とは、“the national defense”つまり、個別的自衛権です。つまり、コスタリカは、常備はしないけれど、個別的自衛権と集団的自衛権を行使する必要性があれば、軍隊をつくるのです 。日本人は、まずここを理解するべきです。そして、憲法第18条が大事です。
The Costa Ricans must observe the Constitution and the laws, serve the Fatherland [Patria], defend it and contribute to the public expenses.コスタリカ国民が果たすべき義務として、憲法と法律を守る、祖国に奉仕し、税金を納めることと共に、祖国を“defend”、防衛すること挙げている。そうです。コスタリカ憲法は「徴兵制」を認めています。
そして、コスタリカ憲法は、それを常備軍と呼ばないだけで、必要に応じて招集される“public force”民衆軍の設立と運用を詳細に定めています。それが必要になった時、その民衆軍を慌ててゼロからつくるのか?というと、それは現実的ではないのですね。突発する事態に対応するには、平時の準備が必要です。永世中立国スイスのように武器携帯も含めて民間防衛の体制、もしくは何かコアとなる組織をやっぱり「常備」しておかなければならない。ということで、コスタリカ憲法でいう「民衆軍」が“常備”されています。
“Special Intervention Unit”という特殊部隊まであります。アメリカ軍が主催する合同軍事訓練にも参加。狙撃部隊と戦闘部隊は、周辺国の軍隊と遜色ない成績を対戦ゲームで修めています。その構成員には、ちゃんとしたヒエラルキーのランクがあり、警察のものではなく、将軍とか中佐、大佐とか、軍隊のそれです。
こうなると、コスタリカ憲法が完全に否定する常備軍の「常備」って何?という疑問が起きると思いますが、僕はコスタリカ政府と国連が共同で創設した国連平和大学“University for Peace”でここ10年間ほど客員教員をやっていて当地も訪問していますので、このいい加減にも見える「曖昧さ」が理解できます。
コスタリカは隣国ニカラグアと武力衝突を繰り返してきた国境紛争を抱えていますし、加えて、中南米諸国そしてアメリカが「戦争」と捉えている麻薬カルテル対策のために米軍の駐留を認めています。麻薬は一般市民の中に巣食う悪ですが、国境を超えて凶悪化する。こういった現在進行形の脅威に対応するために、「警察と軍隊という概念の限りなき接近」、もしくは一体化が起きている。コスタリカの憲法と現実の曖昧さは、こう説明するのが一番いいと思います。
国際社会から見たら常備軍なのだけれど憲法では常備軍を否定している。これって、国際法的には自衛隊は戦力なのだけれど憲法的には戦力じゃない、という理屈の日本と似ているかもしれません。しかし、だからといって日本もコスタリカのように「曖昧」を正当化できる、というふうに考えてはいけません。後で説明するように、「コスタリカでさえ絶対にやらない日本の曖昧」があるのです。
その「曖昧」の結果、コスタリカは自分の軍隊を“小規模なもの”に抑えていることに成功しているようです。これがコスタリカ憲法の本音だと思います。だって、コスタリカをはじめこの辺の国々は軍事クーデターの暗い歴史を経ているからです。だから、クーデターを起こせるようなデカイ軍隊をつくりたくない。特に、そういった軍事的反乱の主力となる陸軍“Army”ですね。だから第12条では、これを強調しているのでしょう。
常備軍を完全否定するも軍事組織を否定しないコスタリカ憲法は、コアの常備軍を持つも、小規模なものに抑えている。日本人は、憲法が国民一人一人に国防の義務を課すコスタリカを、こう理解するべきであり、コスタリカから何を学ぶべきか慎重に吟味するべきです。
◆コスタリカが絶対に「曖昧」にしないこと
曖昧さで日本の九条と似ているコスタリカ憲法だけど、コスタリカが絶対にしない日本の曖昧さとは何か。
コスタリカ憲法の想定通り、コスタリカに国防上の脅威が発生、もしくはコスタリカが属する米州機構“Organization of American States”が集団的自衛権を発動した時、憲法に従ってコスタリカは軍事組織をつくるわけですが、それは既に“常備”している民衆軍と特殊部隊などをコアに編成されてゆくでしょう。
そして、それが実際に、脅威つまり敵と“engage”エンゲージ、つまり交戦したら?交戦中には、当然、間違いが起きる。誤爆、誤射、そして一般の刑法が管轄するものよりはるかに規模が大きい軍事過失です。
「交戦」というと、日本人は9条2項の「交戦権」、交戦する「権利」のようなイメージが先に立ちますが、実は違います。交戦とは、交戦中に間違いを犯さないという国家の「義務」なのです。そういう間違いが、いわゆる戦争犯罪“war crime”です。そういう交戦中に犯してはいけない戦争犯罪とは何か?ということを、ルールとして人類が合意してきた歴史が、戦時国際法、今でいう「国際人道法」です。ハーグ条約やジュネーブ条約ですね。やっちゃいけない殺傷と破壊とは何か。病院への攻撃や、民間人を多く傷付ける行為を禁じています。原子力関連施設への攻撃もダメです。
そして、どういう武器を使ってはいけないか。対人地雷禁止などは最近の例ですが、現在の課題は、核兵器やロボット兵器をどう規制するかです。このように、交戦のルールは、未来永劫、非戦を最終目標として、慣習的に集積され続けているのです。
一方で、人類は世界政府を持ち得ていません。世界で起こる戦争犯罪を、ただ人権という一つの共通概念から強制力をもって裁き、罰する仕組みをまだ持ちあわせていないのです。だから、この慣習法としての戦時国際法は、何が戦争犯罪かを合意するだけです。戦争犯罪を罰するのは、それを批准する各々の主権国家に託されているわけです。ちゃんとした国内の法整備でもって。
この責任を行使しうる能力が、国際政治においては「主権」と見なされます。当たり前ですが、ただ単に「戦争をしません」という自分に向けたオマジナイだけで、その責任能力を発揮したとは、見なされません。
コスタリカは、日本のようにオマジナイではなく、まさしくその主権を発揮しているのです。
これは、戦争犯罪の立件機関である国際刑事裁判所のローマ議定書の世界各国の批准とそれに対応する国内法の立法状況を調査するためにイギリスに設立されたCJADから引用したコスタリカの状況です。戦争犯罪と人道に対する罪の訴追に関する法律として、
Law No. 8272 Criminal Prosecution to Punish War Crimes and Crimes Against Humanity 2002
“Article 378. War Crimes. A prison term of between ten and twenty-five years shall be applied to anyone who, in the course of an armed conflict, commits or orders the commission of acts recognised as grave violations or war crimes by international treaties to which Costa Rica is party – where these treaties relate to participation in hostilities; the protection of the sick, wounded and shipwrecked; the treatment of prisoners of war; and the protection of civilians and cultural objects in cases of armed conflict – or by virtue of any other instruments of international humanitarian law.”最後に出てくる“international humanitarian law”が「国際人道法」です。国際人道法の違反というのは、歴史的文化財を壊すとかの軽度のものから、無差別攻撃など重大なものまで色々あります。それが国際社会で“戦争犯罪”と呼ばれるものです。
“War Crimes”、コスタリカはちゃんとこれを認識していますね。つまり、コスタリカ国民が、国家の命令で動員され、その交戦中に、もし「戦争犯罪」を侵した時、懲役10年から25年の量刑をもって対処する、としています。死刑制度を廃止している国ですから、かなり重い罪です。
ここなのです。日本との決定的な違いは。コスタリカは、ちゃんと「交戦」、そして交戦中に起こるべき事故を国際人道法に沿って想定し、それを罰する国内法と国内法廷を整備しているのです。
日本はどうか? 日本は、2004年、遅まきながら加入したジュネーブ諸条約追加議定書に対応するため、同年「国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律」を成立させたので、一応の法整備しているのですが、しかしその中身は、文化財の破壊や捕虜の輸送を妨害するなど、はっきり言って、どうでもいい罪への処罰だけで、肝心の重大な殺傷と破壊つまり「戦争犯罪」に関するものが一切ないのです。コスタリカのように「戦争犯罪」と言葉は、どこにも出てきません。
なぜなら、『戦争しないのだから戦争犯罪は起きない』、『戦争犯罪を起こすのは戦力だけど日本は戦力をもたない』とする9条2項があるからです。つまり、「自衛隊がいるところでは『戦闘』つまり『交戦』は起こらない」が日本国憲法の「前提」だからです。この理屈で戦争犯罪を想定しなくて済むなら、国際人道法で人類が積み上げてきた努力など何の意味もありません。
日本は、原発の安全神話のように、国家が戦争犯罪を起こすことを「想定外」としているのです。◆国防は法治国家が行うこと
コスタリカと日本の違いをまとめると、
●コスタリカは常備軍を持たない憲法を持ち、国民の国防への責任を謳い、それが必要になった時に国家がそれを動員し、その中で発生する戦争犯罪を想定し法整備をしながら、結果、“常備”する軍事組織を小規模なものにすることに成功している。
●日本は常備するにしないにかかわらず軍事組織を全く持たないとする憲法を持ち、国家が戦争犯罪を犯すことを想定外にし、結果、通常戦力として世界五指の軍事大国になっている。
国際関係では、単に憲法があり様々な法で国内が統治されていることだけが「法治国家」の証ではありません。一番重要なのは、国際社会で合意した国際法の違反行為を自らが犯すことを想定し立法した法で自らを統制することです。
民主主義国家の軍事組織とは飛び抜けた殺傷能力の独占を許された職能集団であるから、その機能を、その国家体制を脅かす外敵に対処する(交戦)ことだけに特化させるために、指揮命令と個々の構成員の自由を、最高度に厳格な特別法で縛る。かつ、その特別法は、人類が交戦中の違反行為の定義を歴史的に積み上げた国際人道法を世界共通の指針とする。これが、この職能集団を、警察を含む「シビリアン文民」と明確に区別するものですが、それがない日本は、単に、軍事的な「無法国家」なのです。
北朝鮮だって厳し過ぎる軍法を持っていますからね。一体どっちが“無法”なんでしょう。
日本国憲法ができて70年。何も変わらずここまで来ちゃったんですが、今たいへんなことになっています。多くの日本人が気づいていない、たいへんなことです。
今、北アフリカの小国ジブチに自衛隊は武装して駐留しているんですよ。ジブチへの自衛隊派遣を決定したのは自民党ですけれども、自衛隊の駐留を半永久的な軍事基地に固定化し、政権を通して見事に運用強化したのは、旧民主党政権です、ジブチは主権国家ですから、外国の戦力を駐留させる場合、当然「地位協定」を結びます。
そうです。日本は、自衛隊の駐留のために、ジプチとの間に、「加害国」としての地位協定を結んでいるのです。それも、日米地位協定の加害国アメリカよりはるかに有利な内容です。公務内、公務外に関わらず全ての事件、事故の裁判権を、ジブチに放棄させています。僕は日米地位協定の不平等性を訴える沖縄の運動を応援しますが、実は、日本は、そうするための法的な根拠を、既に喪失しているのです。この事実を、沖縄の米軍基地反対の運動もスルーしているのです。日本国内を飛ぶ米軍オスプレーを糾弾するが、なぜかジブチの空を飛ぶ自衛隊機を心配しない。堕ちたら、何が我々を待っているか。
地位協定における日本の「加害者性」は、世界で唯一、異常ともいえる残忍性があります。だって、憲法上「戦力」を認識しないため、国家の命令行動の中で起きる軍事過失が発生したら、国家の指揮命令系統の責を追求するのではなく、自衛隊個人の一般過失に転嫁するしかなく、その一般過失も「国外犯規定」によって日本の刑法の管轄外という、見事な「法の空白」を呈しているからです。
これは、個々の自衛隊員への人権問題であると同時に、自衛隊の海外での事故を完全に「想定外」にしているにもかかわらず相手国に対しては「想定」し裁判権を放棄させている、言わば「外交詐欺」です。これほどの駐留受け入れ国の主権と国際人道法に対する蹂躙はないでしょう。
ジブチ政府だって、まさか日本みたいにちゃんとした国家の軍が、軍事的な過失責任を取れないなんて世界の常識からぶっ飛びすぎて、そんなこと確認しない。日本は、冗談では済まされない詐欺国家なんです。一方で、アメリカからイージス艦や戦闘機を非常な高値で買い続けています。そして、北朝鮮に対しても敵地攻撃とか先制攻撃とか勇ましいことを言う政治家もいます。でも、国家として、そういう武器を使った時の誤爆、誤射を想定していないのです。
尖閣あたりで中国との衝突を考えましょう。中国海軍は武装させた漁船を最初から使うわけです。もし、自衛隊の弾がそっちに当たっちゃったらどうしますか。中国が「民間船に当てた」と言うでしょう。そうなると、これ、戦争犯罪ですよ。
それだけでも世界が注目する外交問題なのに、日本は過失としてそれを審理する法体系そのものがないと分かってしまったらどうしますか。日本に同情する国は、世界に一つもないでしょう。この問題の根源をつくったアメリカも、「え!まだ改憲していなかったの? あれ、オレたちの軍事占領下のものじゃん」とシラをきるでしょう。
最悪、騒動を収集させるために、国際刑事裁判所に自衛隊員を突き出さなければならなくなるかもしれません。さっきも言ったように、日本は国家の指揮命令系統に責任を負わせる特別な法体系を持っていない。自衛隊個人の過失にするしかない。
同時に、法治国家として誤爆、誤射を想定しない軍備は、単に撃てないのです。日本の軍備は撃てないただのハリボテなのです。どんなに勇ましいことを言っても、ただのハリボテ。◆なぜ日本は憲法がないままなのか
◎伊勢崎: ジブチの主権を蹂躙していることに気づきもしない日本人は、自分たちがされている主権の蹂躙にも気づかない。
だって、9条がいくら戦争を放棄していても、日米地位協定によって「戦争しない」権利が奪われているのですよ、戦後ずっと。アメリカと地位協定を結び駐留を許す国は数多あれど、いまだに駐留米軍の「自由出撃」を許す国は日本と韓国だけなのです。旧敗戦国のドイツやイタリアだけでなく、アフガニスタンやイラクといった、今まさに戦時であり、米軍がいなければ本当にすぐに壊滅するような国でさえ、駐留米軍の出撃にはノーと言える「主権」が地位協定で保証されているのですよ。
これは、国際関係では当たり前のことなのです。だって、国防を駐留米軍に頼っているとはいえ、駐留米軍の出撃により、その報復を直接受けるのは、アメリカ本土でなく、その受け入れ国自身なのですから。
それに、友好国の戦争から中立であるためには、中立法規という国際法の要件を満たさなければなりません。つまり、領土、領海、領空を使わせない。通過もさせない。ましてや資金提供はしない。日本は何も満たしていません。世界で最も主権を放棄する地位協定で世界で最も戦争をするアメリカを体内に置いているのです。日本は、「自動交戦国」なのです。アメリカのための。
はっきり言いましょう。アメリカの「自由出撃」による日本自身の国防への脅威を勘案しない国防論は、ジャンパンハンドラーたちの足にひれ伏し同じ利権を貪る既得利権集団のプロパガンダにしか過ぎません。
◆日本の米軍基地が重要ならば「日本の負担を軽減してほしい」という議論にはならないのか
アメリカの本土は、10,000キロも海の彼方です。こんなに離れたここ日本と朝鮮半島にこんなに大きい軍事拠点というのは、アメリカにとっても政治的、経済的なリスクです。日本を守るためだと説明して米国民が納得しますか? そんなバカなことはない。米国民は、アメリカの国益だからと、納得するのです。ソ連が崩壊し東西冷戦が終わって、アメリカ軍がいるお陰で共産主義が侵略してこない、という理由がなくなる。じゃあ、何のための米軍駐留?ということが本質的に問われる世界情勢に大変換したのです。
それと同時に、対テロ戦争のように、ソ連みたいに明確な国家としての脅威じゃないけど、みんなで戦わなければならない状況が継続する。それも、アメリカの強大な軍事力に頼ってどうにかなる敵じゃない。だから、みんなで対処しなければならない状況ですね。
米軍が駐留すると、我々が沖縄で経験しているような事件、事故が必ず発生する。それが引き金となって米軍出て行けみたいなことになっては困る。実際、フィリピンやイラクでアメリカは全撤退を余儀なくされた苦い経験があり、それをアメリカは明確に外交の失敗と位置付けているのですね。
だから、アメリカが求めているのは駐留の安定なのです。そのためにアメリカが相手国と締結する「地位協定」の改定が必要になってきたのです。
今、アメリカ自身の地位協定の基本的な考え方に今なっているのは「互恵性」の導入です。つまり、地位協定にアメリカと相手国の法的な対等性を導入する。
どんな気をつけても絶対に犯罪、事故は起こります。でも、起こった時、相手国の国民に、この事故は協定の「不平等」が生んだものではない、という言い訳ができる余地を残すということですね。つまり、相手国がアメリカ本土に軍を駐留させたとしても、同じ協定上の特権があるという言い訳ですね。
これは形式だけで事故の予防にはならないじゃないかと思うかもしれませんが、たいへんに大きな意味を持っているのです。だって、法的に対等ということは、「アメリカがやることは相手国もできる」、もしくは「アメリカが相手国に許せないことをアメリカは要求できない」ことになるのです。
互恵性が導入されれば、米軍の相手国での基地、空域、海域使用は、相手国政府「許可制」になります。「自由出撃」なんてアメリカが本土で許すわけないでしょ? 航空規制も環境規制も、全て相手国のものにアメリカが従うことになります。これは、ドイツ、イタリアはもちろんですが、今アメリカが戦争をやっているアフガニスタンでもそうです。追い出された後、舞い戻ることになった、イラク、フィリッピンでもそうです。
ドイツ、イタリアを含むNATOという軍事同盟において、この互恵性は、徹底されております。「自由出撃」を許さない主権国家の集まりが軍事同盟なのです。
こういう世界情勢から見事に取り残されているのが日本です。◆なぜ日本では国防の議論がされないのか
こっちが聞きたいですよね。よく70年間続いたな、と。一つ言えるのは、憲法のことも含めて、日本が被害者側、加害者側になる両方の地位協定のことも含めて、「想定外」にしてきたことが、もうそれでは済まされなくなった時代に来ているのだと思います。アメリカの仮想敵国の真正面に位置するのが日本。加えて、アメリカ本土から最も離れたところで、その仮想敵国の進出を抑える防波堤、つまり「緩衝国家」なのが日本です。この日本を支配するにおいて、国内で「最も差別された地域」沖縄に、あえて駐留を集中させ、駐留が起因となる反米感情が、常にその地域に限定された「民族自決運動」になるように、その緩衝国家本土の「反米国民運動」に発展させない。これが誰かのグランドデザインだったら、あっぱれとしか言いようがありません。
加えて、日本の海岸線上に、原子力発電所がずらりと並んでいます。それも、「仮想敵国」の側に、です。国防を最優先に考えるなら、まず、ありえない。この愚行を、敢えて理論的に説明するとしたら、われわれは「仮想敵国」を含む国際社会の良識と善意を前提として、国防を考えてきた、というしかありません。つまり、原発を攻撃するという国際人道法の違反行為は、あの“北朝鮮政府でさえ”決してやらない、国際社会は必ず国際法を守るという前提がなければ、日本の国防は、その概念さえ成り立たないのです。
だいたい、北朝鮮のミサイルなどの飛翔体が落ちるのと、米軍オスプレイが落ちるのと、どっちの確率が高いんでしょう。オスプレイは実際落ちてますし、米軍機の部品を含めて沖縄の学校に何回も落ちている。北朝鮮の飛翔体が飛ぶのは宇宙空間であり日本の領空ではありません。米軍機は日本の領空。そして、日本には「管制権」がない。なのにJアラートは? 冗談の世界でしょ。
つまり、日本の国防論は、実際に何回も発生して、これからも高確率で日本国民が被る明確な脅威を「想定外」にするのですね。国防論を語る主権が、そもそもないのです。その根幹の問題は、戦後ずっと続いてきた日米関係にあります。これは、アメリカに出て行けと言っているわけではない。でも、主権ある同盟国に、まず、なったらいいじゃないですか。米の他の同盟国のように。なぜ、できないか。
答えは簡単。古今東西いつの世でも、社会変革の騎手になるべきリベラル。日本のリベラルが、対米従属を、構造的に、必要とするからです。
だって、日米関係を、主権をベースにしたものに変革するには、既に述べた「互恵性」つまり法的な対等性を確立することであり、これは、今、地位協定に関するアメリカ自身の「標準」になっていますので、日本が要求すれば簡単に実現します。
なぜやらないか? 既に既得利権の構造にどっぷり浸かっている親米保守にこれを期待したって無理です。だからこそ、リベラルが率先しなければならない。ところが、リベラルがやらない……。だって、地位協定における法的な対等性って、アメリカと軍事的に対等になるということですよ。護憲派がこれを容認しますか?
もっと厳密にいうと、例えば日米地位協定の改定の外交交渉ということになり、もし僕がアメリカ側の交渉官だったら、日本に絶対にこう言います。「日本には軍事過失を扱う法体系がないでしょ?」っと、「法の空白」を突いてくるはずです。
つまり、ジブチへの外交詐欺のツケがここで日本自身に回ってくるのです。
お判りのとおり、これは全て9条問題です。厳密に言うと、戦力を持てないとする9条2項のために、世界五指の通常戦力が戦力じゃないとするために「解釈」を重ね、日本を世界で唯一「軍事過失」に責任を持てない軍事大国にしてしまった。
9条2項の問題をこのままにしておく限り、日本の国防に主権は発生しません。◆日本が目指すべき「国防のかたち」とは
◎伊勢崎: まず「干渉国家であるという諦め」を持って欲しい。NATOとの決定的な違いというのは、あちらはお友達がみんな地続きで寄り添っている。我々日本は、孤立した島国。周りを見たら中国、韓国、台湾しかいない。台湾を抜かしたら、今の日本の政権は、彼らに唾を吐いてるようなもんじゃないですか。これでどうやって生き延びるか。
加えて、僕の友人で原発関連企業の幹部の言葉に「稼働中の原発は自らに向けた核弾頭」というのがありますが、これを海岸線にずらっと並べた緩衝国家である日本。
ノルウェーみたいな国は参考になりますね。日本の10分の1位の人口ですが、冷戦中は、NATO加盟国の中で唯一、ソ連と接していた。
両国の間には北極圏の「バレンツ海」があり、お互い主張する領海にズレがあって40年間以上ずっと係争中でした。ここは、冷戦時代からソ連の弾道ミサイル潜水艦配備の要所であるばかりでなく、原油や天然ガス、そして漁業資源が豊富です。ここで2010年、係争海域をほぼ2等分することで合意に達したのです。
ノルウェーはNATOのメンバーですが、日米地位協定の全土基地方式「どこにでも基地の提供を求める権利」などアメリカにもNATOにも認めていません。加えて、ノルウェーでは長年、与野党のコンセンサスとして、自国領内に米NATO軍を駐留させないということが広く対外的にも認知されていました…最近クリミアの一件があり、戦後初めて、小規模ですが米海兵隊を暫定的に入れました。それが今ノルウェーの社会で議論を二分しています。
NATOの一員でありながら東西両陣営の狭間にある緩衝国家としてのノルウェーが、「自立」する自らのアイデンティティーを確立し、そして、それを内外に誇示することで、それを国防の要としてきた試行錯誤なのです。このアイデンティティーがなかったら、バレンツ海の係争解決で、ロシアが同意するどころか、二国間の交渉に応じるわけがありません。
日本はどうでしょうか? なぜ北方領土問題が解決できないのか。1年前に山口県で安倍プーチン会談があった時に、読売新聞しか報道しなかったのですが、プーチンは会見で「日本とは領土交渉ができない。なぜなら日本に決定権がないから」と言ったそうです。これはプーチンが、全く、正しいです。
だって、もし二島返還などで合意し、国境が確定してしまったら、その次の日から、日米地位協定上、アメリカは国境のすぐそばに基地をつくれるのです。ロシアから見たら日本は交渉の相手ではない。これ、日本の右翼は、愛国を気取るなら、ちゃんと認識して欲しい。今の日米関係のままでは、日本の領土問題は永久に解決しない。
9条2項の改正と日米地位協定の改正は、右/左、保守/リベラル、改憲派/護憲派、双方が、違いを超えて考えるべき時です。
国防にも、平和にも主権を回復するのです。
【「米軍機運用は非公表」 穀田氏 日米密約を暴露 衆院予算委 外相・国交相も認める 赤旗2/23】 日米両政府が米軍機の飛行計画や“臨時”の訓練空域(アルトラブ)の設定など、運用全般について非公表とする密約を交わしていたことが22日、明らかになりました。日本共産党の穀田恵二議員が同日の衆院予算委員会で暴露し、河野太郎外相と石井啓一国土交通相が存在を初めて認めました。穀田氏が暴露したのは、1975年4月30日に日米合同委員会で合意された「米軍航空機の行動に関する情報の不公開について」と題する「秘・無期限」扱いの英文の覚書と、当時の運輸省による仮訳です。仮訳には「飛行計画、交信記録…高度留保(=アルトラブ)要求等の個々の米軍機の行動に関する事項は、双方の合意なしには公表しないものである旨、了解する」と記載。秘匿すると合意した情報は事実上、米軍機の行動全般に及びます。穀田氏は、「米軍の運用にかかわることは承知していない」などとする従来の防衛省の説明は「まったくの偽り。実際は『一切公表しない』と密約が交わされていた」と強調しました。
穀田氏は、覚書に添付された75年5月14日付の外務省文書(「米軍用機の活動に関するデーターの不公表について」)も暴露。「5月8日の第316回日米合同委員会において、(覚書が)承認された」として当時の外務省アメリカ局長から運輸省航空局長や防衛庁防衛局長に通報・送付されたことが記されていると指摘し、これらの文書の存在をただすと、「文書は外務省にある」(河野外相)、「存在している」(石井国交相)と認めました。
穀田氏は、全国知事会が昨年7月、全会一致で採択した日米地位協定の抜本的見直しを求める「提言」で米軍機の訓練ルートや時期の事前の情報提供を求めたことにふれ、「住民の命と暮らしを最優先に考える自治体の長の責務であり、独立国としての当然の要求だ。覚書を直ちに無効にし、米軍機の情報開示を行うべきだ」と迫りました。
河野外相は「そのつもりはない」と公表を拒否。穀田氏は、日本の主権に関する重要事項が日米地位協定にもとづく日米合同委員会という密室で決められ、秘密裏にルール化されていると指摘。「憲法の上に日米地位協定があり、国会の上に日米合同委員会がある。米軍に異常な特権を与える地位協定を抜本的に見直すのは急務だ」と強調しました。
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