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木造仮設の可能性 他の被災地で再利用/公営住宅で恒久活用

 仮設住宅は、47都道府県が、プレハブ建設協会と一手に契約/ただし供給能力、各県1万戸となっている。不足分を地元の工務店などと協力して対応するシステムが必要となる。
 その中で、木造仮設が、居住環境がよいだけでなく、他の地域で再利用できたり、公営住宅として公共利用する例が生まれている。それぞれの自治体でストックしておけば、連携し集中した対応も可能となる。
【福島の仮設、豪雨被災地へ 解体容易な伝統工法 役目終え岡山で再利用 東京8/24】
【福島ではなぜ、6000戸以上の木造仮設住宅を建てることができたのか? 2017/8/31】
【熊本ではなぜ木造仮設が可能だったのか —— 建築家・伊東豊雄の挑戦 businessinsider. 2017/4/15】
https://www.businessinsider.jp/post-1725
【熊本地震の木造仮設を恒久活用へ 安価な家賃で提供可 既存公営住宅と置き換えも 西日本新聞5/17】
以下は、県議会質問でもとりあげた住田町のとりくみ(県内のその後の動き。調査が必要)
【被災者を支える住田町の木造仮設住宅  日本政策研究センター2013/5/17】

【福島の仮設、豪雨被災地へ 解体容易な伝統工法 役目終え岡山で再利用 東京8/24】

 東日本大震災による東京電力福島第一原発事故の被災者が入居していた木造仮設住宅を再利用して、西日本豪雨で被災した岡山県総社市に移築する取り組みが進んでいる。使用されている建築技術は「板倉」と呼ばれ、災害の多い日本で培われた伝統的な工法だ。専門家は「今後の災害でも活用できる」としている。

 九日午後、福島県いわき市から運び込まれた木材がクレーンでつり上げられ、足場に上った十人ほどの大工が次々と組み上げていった。現場では、建築家で筑波大名誉教授の安藤邦広さん(70)が移築を指揮していた。

 安藤さんによると、板倉建築は、地震や水害で移住を強いられる機会の多い日本で生まれ、伊勢神宮などの寺社や米蔵で用いられてきた。スギの厚板を屋根や壁、床に使い、くぎなどを使わずに組み上げる。解体が容易で温度や湿度が一定に保たれ、火事でもゆっくり燃えるといった特徴がある。腐りにくく、百年は再利用可能だ。

 板倉建築の木造仮設住宅は、十二センチ角の木材や、厚さ三センチの板を重ねたものを使用。通常のプレハブに比べ、三畳ほど広く、ロフト付きで木のぬくもりが感じられる。いわき市で七年間使用され、役目を終えたところに西日本豪雨が発生した。

 「落ち着いたところに住みたい」との被災者の声を受け、総社市が再利用を決定。いわき市から資材を無償で譲り受け、コストと工期の削減に成功した。見学した被災者からは「プレハブよりも居心地が良さそうだ」と好評で、十月初旬までに希望した全四十四世帯が入居予定だ。

 安藤さんは、西日本豪雨では断熱材や樹脂合板への浸水が原因で木材が腐り、改修や再利用が不可能な住宅が多いと指摘。「災害の多い地域では、再建を踏まえた家造りが必要だ」と話している。

【福島ではなぜ、6000戸以上の木造仮設住宅を建てることができたのか? 2017/8/31】

 仮設住宅と聞くと、まずプレハブ型の仮設住宅を思い浮かべる。“ログハウス工法”や、壁材に横板を用い壁塗りを行わない”木造板倉工法”などでつくられた、木造の仮設住宅をイメージする人は多くないだろう。未曽有の広域被害をもたらした2011年3月11日の東日本大震災。現在も福島県内に残る6000戸以上もの「木造仮設住宅群」は、東日本大震災後に誕生した、全国的にも珍しい事例だ。甚大な被害をもたらした震災後に、福島県ではなぜ、木造仮設住宅を建設することができたのか? 木造仮設住宅のメリットは何か。今後の災害対策に地域防災として教訓をどう活かせるか。9月1日の防災の日を前に、福島県土木部の建築住宅課の榊枝克幸さん、建築住宅課の須藤祐樹さんに話を聞いた。

◆「とにかく早く住む場所を」の地元の強い思いが木造仮設住宅へとつながった

そもそも、災害時の応急的な住宅対策には、以下のような3本の柱がある。
(1)建設型の仮設住宅の供給
(2)民間賃貸住宅を借り上げて提供する「みなし仮設」
(3)既存の公営住宅の空き住戸の提供

そのうち、(1)建設型の仮設住宅は、通常は各自治体と災害協定を結ぶ一般社団法人プレハブ建築協会(以下、プレハブ建築協会)が供給することになっている。しかし、福島県では、プレハブ建築協会提供の仮設住宅以外にも、地元工務店が木造仮設住宅を建設している。まず、木造仮設住宅を建設することになった経緯を伺った。

「岩手県、宮城県も被災しましたが、福島県では、地震、津波、さらに原子力発電事故があり、前例がないほど大規模な住宅の確保が必要になりました。東日本大震災が発生した3月末の時点では約1万4000戸が必要になりましたが、ストックや資材がなく、プレハブ建築協会だけで短期間に住宅を供給するのはかなり厳しいと分かりました。そこで、地元工務店に仮設住宅建設の門戸を開けないかと、福島県内1万4000戸のうち、不足する4000戸について公募を行いました」(榊枝さん)

 震災からわずか31日後の4月11日、福島県は仮設住宅建設の公募を開始した。住む場所をとにかく早く確保しなければというスピード感と、仮設といえども安心して暮らせる住宅を供給しなければという想いから、早期に公募を決定。そのとき、木造も公募対象にしたのは、以下のような理由だ。

(1)プレハブ建築協会の供給に加えて、地元公募型による供給の2つの方法でスピードアップが図れること
(2)地元工務店を支援する地域型の木造住宅建築のネットワークが既に形成されていたこと
(3)県産材や県内の木造住宅を得意とする工務店を活用することにより県内への経済効果が期待できること

 もちろん、地元の工務店の地域に貢献したいという意欲や申し出があったこともポイントだ。
 公募は、建設に関して一定の前提基準を示したうえで、企画を審査して優れた提案を選ぶ、透明性、平等性の高いプロポーザル方式を採用し、スピードと精度を確保した。そして、初期段階で必要とされた1万6800戸の仮設住宅のうち、地元工務店から1次・2次公募を合わせて27業者が採択され、全体の1/3以上にあたる6819戸(うち6319戸が木造)が2011年5月31日から2013年3月6日までに供給された(ほとんどは2012年3月末までに完成)。

 3月に公募を決めて4月に1次公募を開始。震災の混乱のなかで、非常にスピーディーに地元による木造仮設住宅のプロジェクトが進んだのはなぜだろうか。

 「いくら行政がやろうとしても、やってくれる人がいなければ進みません。建設業協会、電設業協会、空調衛生協会など県内の事業者団体からぜひ地元に貢献したい、という申し出があったことが一番です。さらに、地元工務店同士の連携、大学の先生、研究者、施工者、製材業者など幅広いネットワークが機能しました。とにかく1日も早く住む所を確保しなければならない状況で、地元の思いを生かすことで早急に住宅が供給できたことは非常によかったと思います」と話す榊枝さん。

 震災前から地元工務店、大工の育成を目的に、県の建築住宅課と地元業者が情報交換などを行い、交流があったことも大きい。「二次的なことですが、県産材や県内の建築業者を活用するということでの人材発掘の効果、復興や経済効果への期待もありました。短期間で公募が決定できたのは、そういう土壌があってこそですね」

◆無垢材ならではの快適さ!木造仮設と同じような新居を希望した入居者も

 福島市飯坂町にある応急仮設住宅建設地を訪ねた。

 ログハウス工法、木造板倉工法の家を見学したが、建設して6年以上経っても、室内は木の香りがする。仮設住宅とは思えないほど、しっかりとした造りだ。プレハブ住宅と建設面、住み心地の面でどのような違いがあるか、専門建築技師(応急仮設住宅担当)の須藤祐樹さんに聞いた。

 「仮設住宅の工期は標準的に1カ月ですが、木造仮設住宅は標準化されていないため、平均でプレハブ仮設住宅の約1.5倍かかりました。例えばログハウス工法は工場で組み立てて現場施工、木造軸組工法は現場組み立てとタイプにより工程も異なります。また、手づくりなので、コストもプレハブ住宅より割高にはなります」(須藤さん)

 実際に住むと気になるのが性能面。「甚大な災害でしたので、かなり長期になるだろうと予測しました。そのため、建物自体は通常の住宅ぐらいの耐用年数を想定して建設しました。公募の時点で、断熱材の厚さはmm単位まで、開口部はペアガラスといった仕様など、数多くの項目で細かい基準を提示してクリアできる業者を選んだため、従来にないほど質の高い住宅が供給できていると思います。但し、基礎は解体しやすさを考慮したつくりになっています」と榊枝さん。

 建設から6年以上経ち、台風や地震の際も問題ないが、雨が降ると基礎が雨ざらしになる。「雨の影響もあり、木の性質上、腐れやシロアリ被害があるのは仕方がないこと。毎年1回、基礎を中心に点検し、メンテナンスを行っています」(須藤さん)

 住み心地はおおむね好評だ。「木造住宅は人気が高く、入居者から住み心地がいいという声を聞きます。無垢の表しで、調湿作用があり木材の良さがでます。雨漏りは多少ありましたが、断熱性もかなり良く、結露がかなり少ないと聞きます」(榊枝さん)。住み心地が快適なことから、浪江町では、ログハウスタイプの仮設住宅に住んでいた人が自宅を建てる際に「仮設のログハウスと同じように建てたい」と、仮設住宅を建てた地元建設業者に直接依頼したエピソードもある。

◆仮設住宅の用地確保や、地元の特性を活かした地域防災対策が必要

 昨今は全国的に自然災害が増えている。福島県での木造仮設住宅の建設の経験を踏まえて、他地域で活かせるヒントや日ごろから準備しておくべきことを聞いた。

 「建設型仮設住宅を建てる際、用地の確保が大変でした。災害の規模にもよりますが、日ごろから、万が一のときに使える公共用地があるか、ある程度想定しておくことが大事です。また、仮設住宅を建ててから、入居者の要望で追い焚き機能、サッシ、畳、エアコン、手摺りの設置などの追加工事や追加費用が大変だったので、最初から必要な設備を盛り込んでおくべきでした」(榊枝さん)

 福島県での木造仮設住宅の県内施工という事例を、首都圏や他地域でそのまま活かすのは難しいという。

 「東北という地域性、福島という木材の産地というなかでの木造仮設住宅。規模にもよりますが、例えば、民間賃貸住宅が潤沢な地域であれば、民間賃貸住宅を使って素早く供給することができるかもしれない。被災者は、今まで住んでいた地域や文化に根づいた暮らしと、全く違う暮らし方をするのは難しい。だからこそ、住んでいる県独自の特色、地域性を活かした災害対策が必ずあると思います」(榊枝さん)とアドバイスをくれた。
なお、福島県の木造仮設住宅の一部は今年度(2018年3月)で供給が終了となる。そうなると、次の課題として、解体に際してのコストや廃棄物の問題がもちあがる。

 「木造仮設住宅を次の恒久的な利用につなげていくこも、最初に県内事業者に木造仮設住宅建設の公募を行った目的のひとつです。特に2次公募では、解体が容易で、次のステップである恒久的な住宅に積極的に利用できるかどうかも、審査基準に加えました」(榊枝さん)

 木造仮設住宅の入居率は福島県全体で約23%だが、地震、津波被害のみのところは今年3月で供給が終了し、解体も増えている。そうなると、せっかくつくったものを単に壊し大量の廃棄物を出すこと、解体にコストがかかることも次の課題としてある。

 また、2016年度からは、木造仮設住宅の「無償譲渡」を始めた。木造板倉の3戸をNPO法人に、浪江町のログハウス20戸を浪江町へ、川内村の木造在来軸組の48戸を川内村へと、これまで80戸ほど無償譲渡が行われた。農業従事者、研修生の宿泊施設、企業の社宅など、ほしいという声は徐々に増えて、今年7月からは、個人商店を含む民間事業者にも広がっている。なお、解体費、移築先での基礎などの工事費、組み上げ費用などは、譲渡先が負担する。

 福島県での地元工務店による6000戸以上もの木造仮設住宅の建設は、災害が起きたときにすぐに動けるネットワークが普段からあり、地元の関連業者が自主的に役に立ちたいと名乗りをあげる土壌があって実現した。福島県の例を参考に、災害で自宅に住めなくなった場合、どんな方法で住宅を確保するのか、住宅を建てる用地はあるのか。地域や文化に合わせて、行政や建築業者、建築や街づくりの専門家個人が連携して皆で考えておきたい。

【熊本ではなぜ木造仮設が可能だったのか —— 建築家・伊東豊雄の挑戦 businessinsider. 2017/4/15】

熊本地震では、18万3千棟の建物に被害が及んだ。 この1年、世界的建築家・伊東豊雄は、熊本県から依頼を受け、被災者の住環境支援に積極的に関わってきた。 建築家の立場から東北の復興支援に携わった自身の経験を、伊東は熊本でどのように生かしたのか。

地震から2年目を迎えた現在、伊東は熊本独自の復興公営住宅の計画づくりに取り組んでいる。

「東北で復興公営住宅を考える際、住民から『エレベーターの回りにベンチがあるといい』といった意見が出ても、行政は『公営住宅は平等に』という意識が強いため、なかなか実現しませんでした。熊本では、そうした小さなことを改良して新しいモデルをつくれたら。まず1つの復興公営住宅で実現すれば、熊本の復興公営住宅のレベルが1つ上がります。そして、熊本でここまでできたということで、また次につなげられます」

東日本大震災後、伊東は宮城県釜石市で復興ディレクターを務めたが、提案したプランがことごとく受け入れられなかったという経験をしている。国や県の公平性を重視する「均質化のカベ」に阻まれた。 だが、熊本には東北にはなかった可能性を感じているという。

熊本県は被災者のために2016年11月までに4303戸(17年4月10日現在)の仮設住宅を提供。県内110の仮設団地では、復興に向けた日常生活が始まっている。

◆アートポリスが変えた熊本県の発想

伊東が熊本県から依頼を受けているのには、いきさつがある。熊本と伊東の関わりは、1988年に熊本アートポリス事業が始まって以来、今年で30年になるのだ。熊本アートポリスは、元首相の細川護煕が熊本県知事時代に始めた建築事業だ。デザイン性にすぐれた現代建築を街の文化的資産にしようと、初代コミッショナーに世界的建築家・磯崎新を迎え、国内外の錚々たる建築家たちが、橋、駅、フェリーターミナルなど、80を超える公共建築をデザインしてきた。1991年には、当時50歳だった伊東も八代市立博物館・未来の森ミュージアムを設計している。

バブル経済崩壊後は、アートポリスへの風当たりが強くなった。地元の建築家を活用しないことへの批判や、県民の支持が得にくいなど、一時期は存続さえ危ぶまれたという。しかし、後任の知事も3代にわたり事業継続を判断。伊東は2005年から3代目コミッショナーとして、「地元を巻き込む」ことを意識して取り組んできた。
そんな中で起きた熊本地震だった。そして仮設団地や復興公営住宅づくりの先頭に立ったのが、熊本県建築土木課の熊本アートポリス班だったのである。

地震発生の2週間後、2016年4月27日。伊東は県庁の会議室で 仮設団地のマスタープランをスケッチしていた。
「棟の間隔を広くしました。東北では4メートルだった間隔を、5.5メートルまたは6.5メートルに広げ、仮設住宅3棟ごとに1本縦通路をとることにしました。東日本では6棟ごとに1本でした。ゆとりのある配置は、熊本の仮設住宅の進化です。自宅から狭い仮設住宅に移り住んだ心理的圧迫感は、これだけでもだいぶ軽くなります」
この基本プランは、全ての仮設団地に適用された。

伊東とアートポリスが実現した仮設住宅の新しい取り組みはほかにも2つある。

1つ目は、仮設住宅50戸ごとに集会所「みんなの家」を建てたことだ。合計110の仮設団地に84棟の「みんなの家」がつくられた。東北では、仮設団地の設計段階から集会所が計画に組み込まれたケースはない。

2つ目は、従来の仮設住宅は鉄骨やプレハブであるのに対し、全仮設住宅戸数の15%、合計683戸を熊本県産の木材を使った木造にしたことだ。

熊本地震では、地元の木材を使った仮設住宅が建てられた。
くまもとアートポリス事務局(熊本県建築課)

「アートポリスがあったから、自治体からこういう発想が出るのです。同じ災害がほかの都道府県で起きていたら、東北と同様の無機質な仮設がつくられていたに違いありません。アートポリスを続けてきた成果です」

熊本県は、東日本大震災の被災地に対し、伊東を通じて建物による被災地支援をしている。

現地で災害復興に携わっていた伊東は、無味乾燥な仮設住宅の環境でも暮らしを楽しもうとする人たちの姿を見て、人々が集う場として「みんなの家」と名づけた集会所を建てようと考えた。

伊東は震災直後の2011年5月、熊本アートポリスの定例会議の場で、ダメもとで熊本県にスポンサーになることを提案する。すると趣旨に賛同した知事・蒲島郁夫が、アートポリス初の県外事業に認定したのだ。熊本県が寄付した木材と工費600万円により、「みんなの家」の1つ目が仙台市宮城野区の仮設住宅に贈られた。

「東北では人が集まる場をつくることの意味を、行政が理解しなかった。それで、1つずつお金を集めて6年がかりで15棟をようやく建てた。熊本県のアートポリス班の職員は、仙台の『みんなの家』の竣工式に出席して、被災した人たちがあたたかみのある集会所をどれほど喜んでいるかを実感しています。それが、熊本が被災した際に、行政主導で仮設団地に『みんなの家』を計画することにつながったんですね」

◆被災者を前に建築家は仕事を誇れるか

熊本の84棟の「みんなの家」は、県産材を使ったぬくもりの感じられる空間だ。
そのうち8棟は、建築家と住民が話し合いながら設計した。それまで住んでいた地域から切り離され、不自由な環境で生活する被災者たちが、顔が見え、声をかけ合う関係をつくり、コミュニティに育っていくための機能を、自分たちで話し合うのである。

このプロセスも大事なのだと伊東は言う。

「意見を言うことで、参加する住民も、自分たちが使ういいものを建てようと意識が変わっていきます。これは公共建築にも言えることです」
熊本で地震が起こるとは誰も想定していなかった。自ずと、自治体の対応は遅れがちになり、仮設住宅に関しても「遅い」との報道が多く見られた。しかし伊東は「それは違う」と言う。

「僕が熊本に入った時点ですでに仮設住宅のプランはどんどん進んでいました。初動は決して遅くなかった。むしろ、ゆとりの確保や『みんなの家』の設置、木造仮設住宅の建設といった、熊本での新しい取り組みがちゃんと伝えられていない」
木造住宅の方がプレハブ住宅より工期が長いため被災者の入居が遅れるとの指摘に対しては、伊東はこう反論した。

「速さをとるか、快適性をとるか。仮設暮らしが5年に及ぶ人も多い中、僕は入居が1カ月遅れてでも居住条件がよくなった方がいいと思ってます」

今なお、仮設住宅では、10952人(17年4月10日現在)が暮らす。次のステップは被災者にとって重要な選択肢となる復興公営住宅。その建設計画を担うのは市町村で、伊東が率いるアートポリスは県の事業である。各市町村がアートポリスと組んで復興公営住宅事業を推進することの利点を理解し、要請しない限り、アートポリスは関わることができない。

一時は存続の危機にあった熊本アートポリスが、いま、被災者の住環境を支援するプラットフォームとして機能しようとしている。応援にきた他県の自治体職員は、建築家と住民の細かい調整などまで行うアートポリス班の業務をみて「うちではここまでは到底できない」と漏らしたという。 東日本大震災で伊東は「建築家としてゼロからやり直したい」と発言するほどの衝撃を受けた。いま東北や熊本に向き合い、伊東自身も変化に挑んでいる。

「熊本県からは1990年代当時から、アートポリスの建築は全部木造で、という要請があった。当時はピンときませんでしたが、今、木造は建築家にとっておもしろい取り組みの1つになりました。時代とともに、建築の概念が変わろうとしています。こうしてみると、時代とともにアートポリスの意味が浮上してきたとも言えます。被災者を前にした時、自分たちの仕事に胸を張れるのか。建築家自らが考える時期です」

(文中敬称略)

三宅玲子:ノンフィクションライター。熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜2014年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルブログ


【熊本地震の木造仮設を恒久活用へ 安価な家賃で提供可 既存公営住宅と置き換えも 西日本新聞5/17】

熊本地震で自宅を失った被災者が入居している木造仮設住宅を、恒久的な住まいとして利活用する検討が熊本県の市町村で進んでいる。プレハブよりも長期間の使用に耐えることから、老朽化した既存公営住宅との置き換えや、災害公営住宅よりも安価な被災者向け住宅としての提供などを想定している。

 熊本県で整備された仮設住宅のうち、木造は11市町村の683戸。通常は基礎部分に木くいを使用するが、熊本地震では余震が長期間続いたため鉄筋コンクリートの基礎が認められた。県産材を利用するなど居住性も良く、入居者から好評という。木造仮設は供与期間終了後に県から市町村に譲渡される。

 同県御船町は161戸の木造仮設を整備。藤木正幸町長は「既存の町営住宅が老朽化しており、将来は木造仮設の転用も視野に入れている」と明かす。町は昨年12月に木造仮設の活用を検討する委員会を設けた。

 一方、同県西原村や美里町などは、被災者向けの恒久的な住まいの一部としての活用を検討する。
 自力での自宅再建が困難な被災者向けに市町村が計1735戸の整備を予定する災害公営住宅は、公営住宅法の規定で世帯収入などにより8区分の家賃が定められる。例えば、月収10万4千円以下の世帯は1LDKで月約1万5千円の家賃が必要。県内の仮設で月3万円の年金で暮らす女性(88)は「切り詰めても払えないだろう」と漏らす。

 2011年の東日本大震災では、低所得者向けに国の家賃補助制度が設けられたが、熊本地震では適用されなかった。木造仮設を転用する場合、家賃などは市町村が独自に決められるため、ある市の担当者は「公営住宅の家賃を負担できない被災者の受け皿になるのでは」と期待する。
 熊本県では12年の九州北部豪雨の際に阿蘇市に整備した木造仮設15戸を補強して被災者に貸した例がある。


【被災者を支える住田町の木造仮設住宅  日本政策研究センター2013/5/17】

東日本大震災発生後、岩手県の住田町はただちに近隣自治体の被災者を受け入れ、仮設住宅を用意した。しかも、この仮設住宅は、地元の山で育てられた気仙杉を使う「木造仮設住宅」だ。じつはこの木造仮設住宅は、震災前から用意されていたのだが、それは住田町が全国でも先進的な林業政策を遂行する中で生まれたものだった。

◆木のぬくもりと清潔感

 住田町は甚大な被害を蒙った陸前高田市、大船渡市、釜石市などに隣接するが、三陸沿岸から少し内陸に入った山間地にあり、ごく軽微な被害で済んだ。
 そうしたことから震災直後、多田欣一町長は「隣町の窮状を放ってはおけない」と木材仮設住宅の建設を決断。最終的には町有地三カ所に計九十三戸を建設。五月三十一日までに全戸に被災者が入居した。八割以上は陸前高田市の被災者だという。
 この木造仮設住宅は、平屋一戸建。四畳半二間、バス、トイレ、キッチンばかりか、エアコン、給湯器、ガスコンロ(二口)、郵便受けも付いている。工業部材以外はすべて町産材を使用。土台はカラマツを使用し、それ以外は気仙杉の間伐材(三十年生〜四十年生)を使用している。
 外観は、木のぬくもりがあり、一見してプレハブ仮設住宅とは違う佇まい。
 内部は、足を踏み入れるだけで、木のよい香りが漂い、木造ならではの落ち着きと清潔感がある。
 住宅と住宅の間には二メートルのスペースが設けられ、隣の音が気にならない構造になっている。これは阪神・淡路大震災など過去の災害時に設けられた仮設住宅の教訓だという。住田町建設課の佐々木邦夫課長が言う。
 「従来の仮設住宅は長屋造りで、話し声が筒抜けになり、『プライバシーが保てない』との声が沢山出ていました。それを踏まえ、こうした造りにしました」
 筆者は去る五月十一日、町内二カ所でこの木造仮設住宅を見学したが、「ここに編集部を移したい」と思うほど好感を持った。一般に木造住宅は調湿性に優れ、夏は涼しく、冬は暖かく、快適な住まいだと聞く。震災で家族、家財等を失った被災者の苦衷は計り知れないものがあるが、これら木造仮設住宅が被災者の心の支え、生活の支えとなることを願って止まない。

◆再利用可能な木造住宅キット

 住田町の木造仮設住宅は建設方法にも特徴がある。
 例えば、部材は加工して一枚のパネルになっていて、現場では、はめ込むだけいいようにできている(パネル工法)。壁の部材を見たが、材と材の間にあらかじめ断熱材がサンドイッチされていた。屋根もクレーンで釣って上から乗せるだけで済む。多田町長によると、このパネル工法で一日に二十戸建設することも可能だという。
 さらに、この木材仮設住宅は繰り返し再利用が可能で、被災者が一定期間(原則二年)利用した後は、解体した上で、「木造住宅キット」として保管する。もし他日、どこかで災害が発生し、仮設住宅が必要になれば、このキットを当該被災地に輸送し、ただちに組み立てが可能だという。
 「積み木みたいなものですからね、日本の大工さんであれば、ポンポン組み立てますよ。あまり建築が得意でないという国の大工さんでも、半日もあれば構造が理解でき、どんどん組み立てが可能だと思います」(多田町長)
 なお、建設費用は一戸あたり約二百五十万円。一般の仮設住宅(一戸あたり約三百五十万円)よりも安い。
 建設予算総額は約二億五千万円。当初は住田町が全額負担する予定だったが、住田町の取組を意気に感じた民間団体から、募金活動によって全額を支援したいとの申し出があったという。

◆震災前からの構想

 じつはこの木造仮設住宅は、今回の大震災以前から構想されていた。
 そもそも町有面積の九〇%が森林の住田町には、あり余るほどの木々がある。だが、国産材の価格低迷で林業経営が厳しくなって行ったのは住田町も例外ではない。そんな中、昭和五十二年に「第一次林業振興計画」を策定し、以来、三次にわたって施策を推進。特に木材の生産から流通・加工、さらには住宅生産・販売にいたる一連のシステム化を進め、今では「森林・林業日本一の町づくり」をめざす全国でも先進的な林業地として知られる。
 そして多田町長の念頭に常にあるのは、この豊かな木材資源を活用し、町の経済基盤の安定と林業の長期的発展をいかに図るかである。そのためには販路拡大が必要だが、じつは木造仮設住宅の建設も、この販路拡大を模索する中で生まれてきたという。興味深いのは、その着想を得たのは、自衛隊のサマーワ派遣だったと多田町長は言う。
 「自衛隊は、あのイラクの砂埃の中でテントで生活しながら活動していました。それは立派ですが、しかし、一週間や十日ならいざ知らず、何年かかるかも知れない状況の下で、それでは余りにも気の毒だと。それで、簡単に組み立てられる木造住宅キットを私どもが用意するから使ってほしいと申し出たのです」
 当時、自衛隊側には大変喜ばれたというが、最終的には様々な条件が折り合わず、このときは実現しなかった。
 だが、その後、中国の四川大地震など国の内外で大規模災害が続発し、多田町長はいよいよ木造住宅キットの必要性を感じたという。
 「開発しておけば、もしどこかで災害が発生したときにお役に立てるかもしれない。ただし、開発したけれども引き取り手がないというのでは住田町になんら裨益するところがない。そこで、大規模災害等に備え、まとまった戸数の木造住宅キットをストックしておき、災害が起こったら即応できるような仕組みを作りませんかと国に働きかけていたのです」

 そうしたさなかに大震災が発生。多田町長は木造仮設住宅の建設を決断し、震災三日後、町の第三セクター、住田住宅産業に建設を依頼した。

 問題は、約二億五千万円の建設費だ。国や県は当初難色を示し、補助対象となるかどうかは不明だった。
 そこで、多田町長は建設費を町独自で負担することを決断。職員と議会も全面的に賛同した。すると、先述したが、このことを意気に感じた民間団体が資金援助を申し出るという思いがけないことが起こった。蛇足だが、その後、国や県から補助を出すとの話が寄せられた。しかし、多田町長はきっぱり断ったという。
 「木材や森を大事にしようという国民の応援を大事にしたいと思ったのです。今後の林業を考えた場合、その方が広がりがあるのではないかと」

◆「復興特需後」を視野に入れた政策構想を

 ところで、震災発生後の住田町を取り巻く環境を、林業や地域経済の観点からみればどうなるのか。まず現状について多田町長はこう語る。
 「今は普段の需要に加え、木造仮設住宅の建設があります。また余り報道されていませんが、余震によって県内陸部の住宅等で相当な被害が出ており、その修復等で需要が発生しています。こうしたことから、町内の木材加工工場等は通常の2シフトから3シフトに切り替え、二十四時間体制で対応しています。またこの辺りには社寺建築を得意とする『気仙大工』が四百人以上いますが、現在はフル稼働の状態で、地域の雇用にとっても好ましい状況です」
 では、今後はどうなのか。東北被災地全域で、仮設住宅の建築が一段落すれば、本格的な住宅建築も始まると言われている。建設経済建築所によると、今年度後半には復興需要が加わり、住宅着工戸数は前年度比三・八%増の八十五万二千戸と予測されている。だが多田町長はこう言う。
 「大局的にみれば、復興需要は一時的なもので、それが終わった途端に家を建てる人はもういませんというのが一番怖い。住田町の山に生えている杉は日々生長していますからね。林業を成り立たせると同時に、地域住民の雇用を確保し、町を活性化させるためには、国内はもとより、外国も視野に入れ、需要を拡大して行かなければならないと思っています」
 東北の地域材が、東北復興に積極的に使用されるにとどまらず、将来にわたって使用され、地域経済に還元されるような政策構想が求められている。


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