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農業の存在意義 人びとを「飢え死にさせない」こと 内田樹氏

JA新聞の「自給率38% どうするのか?この国のかたち -食料安全保障と農業協同組合の役割」という特集の中で、思想家の内田樹氏が語った言葉。
パンデミックや戦争、また金がなくて輸入ができないことだって起こりうる。経済合理主義や市場原理に国民の運命を委ねることはできません。食料としての農作物は「本質的には商品ではない」と語り、その基本に立たず、政府の言う市場原理に絡め取られている農協への辛口のコメントをしている。
 また、若者の地方移住への希望をかたり、今必要なこととして農村と若者のマッチング、“農村の多様な「ミクロの求人」を掘り起こして、都市部の「ミクロの求職者」がネットで一覧できる仕組み”の構築を提言している。これは県政での取り組みとして有効ではないかな・・・・。
【内田樹氏に聞く「国民を飢え死にさせない」 JA新聞 8/10】

【内田樹氏に聞く「国民を飢え死にさせない」 JA新聞 8/10】

「グローバル資本主義は終焉する」からこれからは従来の「成長モデル」から「定常モデル」へ基本的な考え方を変えるべきだと内田樹氏は近著で説いている。その内田氏の説に大きな刺激を受けているという小松泰信教授に聞き手になっていただき、食料安全保障と農業そして農協の在り方についてお話いただいた。

◆JAは自己点検自己審判をすべし

○小松 これまで、内田先生の論考から多くの示唆を受けてきました。
 最近では、『「農業を株式会社化する」という無理』(家の光協会、2018年)における、書名と同じタイトルの論考や、その本に収録されている養老孟司氏(東京大学名誉教授)との対談、また『ローカリズム宣言』(株式会社デコ、2018年)等々で、JAや地方の活性化などに極めて刺激的な発言を続けられています。今日は、それらをベースに置きながら、JAcom&農業協同組合新聞の年間テーマである「自給率38% どうするのか? この国のかたち―食料安全保障と農業協同組合の役割」の一環として、「農業の復権・再生と地域づくり、それへの国民的合意形成の手順」などについて、ご見解をうかがいます。よろしくお願いします。
 まず、農業問題や地域問題に言及される中で、JAそのものへの言及がないのですが、どのような印象をお持ちでしょうか。
 
○内田 冒頭から申し訳ないのですが、決して良いイメージは持っていません。地方へ移住して農業をしている何人かの若者たちと付き合いがあるのですが、彼ら彼女らからJAという言葉がまったく語られません。良きにつけ悪しきにつけ、若き移住農業者から言及されない組織、これは致命的だと思いますね。
 
○小松 そのJAが今政府や農林水産省から、かなり厳しい改革を強いられ、切り捨てられようとしています。このような状況をどう見ておられますか。
 
○内田 一言で言えば「自業自得」ですよ。これだけ巨大な組織で、農政に圧倒的な影響力を行使してきたにもかかわらず、政権からはソデにされ、貴重な存在である地方移住者の意識にも上らない。まずJAグループがご自分たちで、何でこんなことになったのか、その自己点検、自己審判をするべきです。それをしないで、次の一手を問われても、誰も取り合いません。
 
◆ 農業は市場原理超えた存在

○小松 もちろん反省すべき点は多々あります。それでも、強大で農政に対して圧倒的な影響力はまだ残っています。その影響力を食料自給率の向上に生かすべきだと思うのですが、いかがでしょうか。
 
○内田 もちろんですよ。そのためには、農業の存在意義を明確にすることです。農業の存在意義はただ一つ、人びとを「飢え死にさせない」ことですよ。だから、農業問題を考えるときはすべてこの「飢餓」をベースにおいて考えなければならない。
 人びとを飢えさせないために、政治はどうあるべき、制度はどう設計されるべきか、そしてJAは何をすべきか、これが基本中の基本です。それ以外は、副次的なことです。
 
○小松 私も含めて国民の多くは飢餓体験がない。そのような状況の中で、政治や制度、そしてJAのやるべきことは何でしょうか。
 
○内田 食料としての農作物は「本質的には商品ではない」と言うことを国民に訴えること、理解してもらうことです。平時の時は普通の商品のように見えますが、いったん有事になったら、商品としての性格は吹っ飛んで「それがないと飢え死にする」という究極の必需財という本当の姿を見せるわけです。まずそのことを国民が理解し合意することです。
 JAに問題があるとすれば、価格、生産性、効率性など、農作物の商品性格に焦点を合わせた議論に終始してきたことです。だから、経済合理性からすると、わが国に農業が存在する必要はないという推論が示された時に反論することができない。
 「農業は国民が飢えずに生きていくためのものでり、経済合理性や市場原理を超えたところにある」と政府の農政にはっきりと反論できるような理論武装をして来なかった。
 
○小松 現場で悩ましいのは、農産物が経済合理性や市場原理を超越したところに存在することを頭では分かったとしても、その市場原理の中で生産資材を購入し、そこそこの生活水準は維持しなければならないことです。そのギャップを政策や制度で埋めていくことが不可欠ですが、なかなかJAの力で解消できる話ではありません。
 
○内田 それでも、農業政策についての国民的合意形成を目指すために、生産の現場から「農作物は自給自足が原則です。食料は金で買うものではありません。金がなくなったら飢え死にするというような制度にしてはならない」ということを国民に訴え続けるべきです。確かにいまは海外から農作物を輸入できますけれど、パンデミックや戦争でシーレーンが途絶するということはありうるし、金がなくて外国から必要量を買えないということだって起こりうる。経済合理主義や市場原理に国民の運命を委ねることはできません。それについての国民的な合意をどうやって形成するか、それが最も大切なことです。農業関係者が市場原理に従っていれば、政権の思うつぼです。

◆自給率ゼロのシンガポールが日本の目標

○小松 いま、政権の思うつぼ、と言われましたが、農業問題も含めて現政権はこの国をどこに着地させようと舵を取っているのでしょうか。
 
○内田 行き先は、「シンガポール化」です。人口減局面で、政官財が日本の「明日の姿」としてひそかに目指しているのは、その方向です。シンガポールの国是は「経済成長」であり、すべての社会制度は経済成長に資するか否かを基準に適否が決定されます。ですから、「世界で一番ビジネスがしやすい国」だと言われている。この台詞を聞かれたことありますよね。安倍首相も言いましたから。そして今日のテーマに合わせれば、シンガポールは食料自給率ゼロの国です。

○小松 自給率ゼロと言うことはすべて輸入ですよね。
 
○内田 農地なんか地価を考えたらありえない。水さえマレーシアから買っているのです。生きるために必要なものはすべて金で外国から買うしかない。だから「まず金が要るのだ」というのは、シンガポールにおいては必然性があるのです。

○小松 最近与党の中で、「逆立ちした食料安全保障論」、つまり平和外交で安定した取引国を有することで、国民を飢えさせなければ良いんでしょ。何も自給にこだわる必要はない、と言う考え方が出てきたのもその流れでしょうか。

○内田 そうだと思います。シンガポールは金で食料を買って、国民を飢えさせていないわけですから、その点では成功モデルです。でも、どうして日本がシンガポールの真似をしなければならないのか。シンガポールにしても好んでそうなったわけではありません。資源がないからそれ以外に生きる道がなかったのです。金を稼いで、食料を買い、水を買うしかなかった。でも、日本は国情が全く違う。豊かな自然があり、植物も動物も多様な種が育っている。
 エコノミストは「フロー」の話ばかりしますけれど、わが国が有している「ストック」の厚みについては語らない。例えば、わが国の森林率は68%。これは欧米とは比較にならないほどの高率です。この豊かな資源をどうやって生かすかという議論にならず、投資対象として儲かるか儲からないかという「フロー」レベルで農業を論じている。

◆期待できるのは地方へ移住する若者たち

○小松 ということは、従来とは真逆の農政ビジョンが提起されなければならないわけですよね。現政権からは出てこないことが容易に想定されますが、どこに期待すべきでしょうか。

○内田 残念ながら、野党にも農政に関する長期ビジョンはありません。そんなものを構想しても票にはつながらないからです。だから、農業の未来について考えることにリソースを優先的には配分しない。でも、今野党が本気で明確な自給率向上政策を含んだ食料・農業・農村政策を打ち出したらかなりインパクトがあると思います。
 真剣に考えているのは、さきほどから紹介している、いまだ圧倒的に少数派ではあるが、地方へ移住して安全で安心な高品質農産物をつくろうと考えている若者たちですよ。でも、彼らは大量生産大量消費を前提とした今のJAの方針とは相容れない農業に取り組む人たちです。
 
○小松 何が彼ら彼女らを地方に、そして農業に向かわせたのでしょうか。

○内田 一言で言えば、「終わりつつある資本主義」に見切りをつけた直感的な行動だと思います。地方に惹かれてというよりも、都市生活の未来に絶望して、と言う方が正しいかも知れません。もう都市での賃労働生活に未来はないと分かっていながらも、地方移住を決意できない人たちはたくさんいます。その人たちをためらわせているのが仕事への不安です。地方で暮らした場合に、生活を支えるほどの収入が得られるかどうかが気になるのです。

○小松 農業という仕事を紹介することはJAにもできます。

○内田 だからJAに具体的にお願いしたいのは、農村と若者たちのマッチングに取り組むことです。地方移住希望者のニーズは極めて多様です。それぞれにこだわりがある。農業をやりたいという人もいるし、田舎でパン屋をやりたいという人もいるし、伝統的な技芸を受け継いでものづくりをしたいという人もいる。多様です。ですから、今必要なのは、農村の多様な「ミクロの求人」を掘り起こして、都市部の「ミクロの求職者」がそれをネットで一覧できる仕組みを構築することです。
 地方の求人の中には、数人いれば足りる、一人いれば足りる、でも一人もいなくなったら、その技術そのものが消失するというような「ミクロの求人」が無数にあるのです。それをマッチングする仕組みさえ作れれば、地方の過疎化は歯止めがかかるし、都市部の求職者の就業機会もずいぶん広がる
 
○小松 継承すべき技芸の一つに農業も入りますよね。

○内田 そうです。限界集落の高齢者たちの嘆きは、農業生産にかかわる技芸だけではなく、地域の伝統芸能や信仰神事、村人同士の関わり合い等々からなる、先祖から受け継いできた「地域の営み」総体を継承していく技芸が自分たちの代で途絶することです。そういう父祖伝来の文化が途絶することで失われるものの価値は経済的な指標では計量することができません。
 文化を伝えるのは世代を超えたミッションです。経済活動としての農業はその一部に過ぎません。そのミッションを果たすために、農業もJAもそのワンピースでしかない、されどワンピースなんです。まず自分たちの守備範囲でのミッションを果たすことに全力を傾注すべきです。

◆今の自民党は、かつての自民党ではない

○小松 全力を傾注することで、信頼を構築していけるとは思うのですが、こつこつ積み上げた信頼を一気に崩すことを繰り返してきたのがこの組織です。農村や農協界は、「自民党の票田」と呼ばれたように、ここまで痛めつけられているにもかかわらず、自民党の支持基盤です。その理由と、そこからの脱却するために何が求められているのでしょうか。
 
○内田 まずはっきりさせておかねばならないのは、今の自民党は、かつての自民党とは異なる政党だと言うことです。
 かつての自民党には、農業や農村のことを理解し、地元有権者に頼られていた保守政治家が少なからず存在してました。今の自民党には、そのような人はもういない。TPP反対から賛成への転換がその証左ですよ。
 今の自民党には第一次産業に対する長期的なビジョンはありません。目指す方向がシンガポール化なんですから、そんなものあるはずがない。農業や農村は切り捨てる。もう交通網も、行政サービスもない。学校も医療機関も警察も消防もない。それでも暮らしたいというのなら、どうぞ。でも自己責任ですから。病気になっても病院はないし、犯罪があっても警察も来ない。それでも田舎で暮らしたいというのなら、どうぞということです。
 そんな国家戦略には同意できない、と声を上げるべきなんです。人口減少そのものを国難と叫ぶけれども、人口5000万人といえば、明治40年代と同じ。その頃も、日本中で人びとは暮らしていたわけですからね。国難などと危機を煽って何がしたいの、と問うべきです。
 
◆ 「成長か、死か」がグローバル経済

○小松 問うと、経済成長がしたくないんですか、と反問されますよね。

○内田 その時は「経済成長しなくて良いですよ。できないものはできない。無理したらその反動は大きく、失うものがあまりにも大きい」と答えます。そもそも経済成長は、そうしなければ成立しようがない株式会社の論理です。生まれてたかだか二百数十年程度の歴史しかない非常に特異な株式会社の論理で、農業、教育、医療、さらには自治体や国家の運営まで作り替えていくのは、愚挙で暴挙です。

○小松 農業をはじめ第一次産業には、成長とか強いといった第二、三次産業の言葉が馴染まないことは私も常々言及してきました。

○内田 もちろん昨年よりもおいしいものができた、作り方がうまくなった、という質に関する成長は喜ぶべきことですが、例年作で御の字、という産業です。しかし、成長論者にとって成長率0%は産業の名に値しない、存在する価値のない産業、ということになる。

○小松 ということは、新自由主義一辺倒の政策ビジョンで株式会社をビジネスモデルとした制度設計に対して、「農業」も「協同組合」も適合できません。この二重の不適合から反動勢力に位置づけられ、農業協同組合は解体含みの改革を迫られているわけですね。

○内田 そうです。だから、農業とは何か、協同組合とは何か、どうあるべきかという原理原則をあきらかにして、それに基づいて、現政権の農業政策を批判してゆかなければならない。農業協同組合は農村地域や農業の最後の防波堤であるべきです。その歴史的使命を果たすためにも、冒頭で指摘した自己点検、さらには自己審判に早急に着手すべきです。

○小松 まったく同感です。これからも、農的世界に向けてラジカルな発言を期待しております。本日はありがとうございました。

【略歴】
(うちだ・たつる)1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。神戸女学院大学文学部教授を経て2011年退職。現在、神戸女学院大学名誉教授。京都精華大学客員教授。昭和大学理事。神戸市内で武道と哲学のための私塾「凱風館」を主宰。合気道七段。主著に「ためらいの倫理学」「レヴィナスと愛の現象学」「先生はえらい」など。「私家版・ユダヤ文化論」で第6回小林秀雄賞。「日本辺境論」で2010年新書大賞。執筆活動全般について第3回伊丹十三賞受賞。近著に『ローカリズム宣言―「成長」から「定常」へ』、『「農業を株式会社化する」という無理』(共著)など。

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