収入ファーストの「オリンピック」~抜本見直しの機会では?
放映権やグッズなど巨大な利権が発生し、アスリートに最悪な季節にしか開催しないオリンピックに公的価値はあるのか。 開催地の「美名」のもと、税金を投入し、ボランティアの名で搾取し、その結果、一部もものが巨額の利益を得る構造がある。
すでに、それぞれ世界選手権があり、十分に鍛えあげた技量にふれることができる。情報技術の発達で、どこでも触れることが可能であり、マイナーなスポーツも発信できる。それで十分ではないか。
劣悪な環境をアスリートに強要する。これらはオリンピック憲章に反するもの。
それがスルーされて、会社は休め、学校は授業・試験をいれるな、通販は控えよ・・・など「オリンピック総動員令」みたいな、発信がされるのは、「理不尽なことに耐えよ」「国家に逆らうな」という「教育的効果」をねらったものと思っている。
真にアスリートファーストの大会・・・情報技術が驚異的に発展して今、別に各国を転々として開催しなくても、一番アスリートが力を発揮できる環境のところで実施したらよい。バァーチャル・リアリティで感じることも出来る事態にきている。
大会開催の在り方を抜本的に見直すべきだ。アスリートを一部のものの利益のために犠牲にしてはならない。
一方、障害者スポーツは目にする機会が少ない。また、またまだマイナーな中で、競技者が交流しあうことも大きな意義があると思う。パラリンピックは、障害をかかえた人々の可能性、チャレンジ精神を発信する場として、アスリートにとって環境のもとで実施してもらいたい、と思う。
追記/ どの国の選手がメダルをとろうが、同じ「地球人」としてリスペクトする。高校野球も、「県外の子どもばっかりの私学」「地元の公立」とかには、まったく興味がない。一人ひとりは、みな夢をおって頑張っている若者である。
なぜそんなに『枠』をつくりたがるのだろう。そして選手には、国や地元への「責任」など感じてほしくない。1人の人間として可能性に挑戦している姿で、十分美しい、と思う。
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