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亡国のTPP なぜアメリカ国民は否定したのか~本質的議論の必要性

1月23日のTPP11の主席交渉官会合をうけての鈴木宣弘・東京大学教授の解説。
 トランプのTPP離脱は、アメリカ市民の8割が「賃金が下がり、失業が増え、国家主権が侵害され、食の安全が脅かされる」とTPPの否定した結果であり、オバマ政権の否定や保護主義に走ったという日本の理屈は間違い。それは“「グローバル企業のための世界の私物化」という「自由貿易」への深い反省の時代に入ったことを意味する”。そのことを“「冷静に本質的な議論をせずに、日米のグローバル企業のために「TPPゾンビ」の増殖に邁進している日本政府の異常さを国民も気づくべきである。”と指摘。
欧米などでの手厚い補助金などにも触れ、本当に「強い農業」とは何かを解説する。
 亡国の安倍農政に関するコラム二本とあわせて
【TPP11主席交渉官会合を受けて  鈴木宣弘・東京大学教授2018.01.25】
【提言 金子勝・慶應義塾大学経済学部教授】農業・農協が「抵抗勢力」なのか 2018.01.09 
【「恣意的」試算は議論の土台足りえない ・鈴木宣弘・東京大学教授2017/12/29】

【TPP11主席交渉官会合を受けて  鈴木宣弘・東京大学教授2018.01.25】

 今回は、1月23日のTPP11の主席交渉官会合を受けたニュース解説番組用に準備した発言要旨を紹介する。

◆主席交渉官会合を受けて

 ちょうど1年前の今日(1月23日)、アメリカがTPPからの離脱宣言をした。そもそもアメリカ民の約80%がTPPをやめるべきだ(賃金が下がり、失業が増え、国家主権が侵害され、食の安全が脅かされる)との世論の大きなうねりが起きて、トランプ氏だけでなく、すべての大統領候補がTPP反対と言わざるを得なくなった事実は重い。
 トランプ氏が単に前政権のやったことを否定したかっただけという解釈は的外れ。「保護主義に走っただけだから、保護主義と闘わなくてはならない」という日本での理屈も間違い。アメリカ市民によるTPPの否定は「グローバル企業のための世界の私物化」という「自由貿易」への深い反省の時代に入ったことを意味し、「なぜアメリカ市民にTPPが否定されたのか」について冷静に本質的な議論をせずに、日米のグローバル企業のために「TPPゾンビ」の増殖に邁進している日本政府の異常さを国民も気づくべきである。
 アメリカではシカゴ学派の経済学が急速に影響力を失いつつあるという。アメリカでシカゴ学派の経済学に洗脳されて帰ってきた日本の信奉者たちは、実は「遺物」にしがみついていることに気づいていない。
 
◆TPP11の農業合意内容の評価

 最終的には、TPP12以上の国内農業への影響が出る、とみられる。
 アメリカを含めて合意した譲歩内容を、アメリカ抜きで、残りの国に全部提供する、例えば、乳製品の輸入枠7万トン、アメリカを含めた数量を、豪州、NZ、カナダが使える。世界最強の豪州、NZを中心に日本市場に世界で最も安い乳製品が入ってきて、酪農の打撃は増す。さらに、アメリカもだまっていない。自分にも、二国間でTPP以上の譲歩をしてくれと要求してくる。そうなれば、間違いなくTPP12以上の打撃に広がる。
 一方、コメは、アメリカ7万トンと、国別に決まっているから、これは当面は生じない。しかし、TPPが破棄されて一番怒ったのはアメリカのコメ協会などの農業団体だったことを想起してほしい。日本においしい約束をさせたのにどうしてくれるのだと騒いだ。ところが、アメリカ農業団体は切り替えが早い。石でTPPの墓をつくって、「TPPは享年何歳、もう死んだ。そもそも、TPPが不十分だったんだ。二国間でもっと譲歩してもらおう」、こういうことになっている。だから、こちらも、最終的にはTPP12以上の影響につながる。
 
◆日欧EPAの農業合意の評価

 TPP水準をベースにさらに上乗せしたTPP以上の譲歩である。TPPでゴーダ、チェダーなどハード系チーズの関税撤廃し、カマンベールとか、ソフト系は守った、と言っていたが、EUはソフト系が得意なので、ソフト系を撤廃してほしいと言われて、ソフト系も無税枠を広げていく形で、実質的関税撤廃した。結局、チーズは全面的関税撤廃になってしまった。
 チーズが安くなって消費者にはメリットだというが、乳業メーカーの社長さんたちも、このままだと近い将来に、バター不足では済まなくなり、国産の飲用乳が店頭から消える事態もありうると心配している。チーズが安くなっても国産牛乳が飲めなくなるような事態は国民の命にかかわる危機だ。
 国産の牛乳をチーズ向けに50万トン使おうといっていたのができなくなり、行き場を失った北海道の牛乳が都府県に流れ、乳価が下がって、酪農家の所得が減るからだ。
 
◆政府の影響試算の評価

 過小評価というか、「影響がないように対策するから影響がない」と言っているだけである。
 例えば、TPP11で、乳価は最大キロ8円下がると試算している。これは大変なことだが、生産量も所得も変わらないという。そんなことはふつうあり得ない。要は、政府が8円補填するか、コストが8円下がるということだが、根拠を示してもらう必要がある。
 
◆どんな対策が必要か

 イタリアの稲作地帯では、水田にはオタマジャクシが棲める生物多様性、ダムの代わりに貯水できる洪水防止機能、水をろ過してくれる機能、こうした機能に国民はお世話になっているが、それをコメの値段に反映しているか、十分反映できていないのなら、ただ乗りしてはいけない、自分たちがお金を集めて別途払おうじゃないか、という感覚が税金からの直接支払いの根拠になっている
 日本の農家の所得のうち補助金の占める割合は4割弱、漁業は15%程度で、先進国では最も低いほうである。かたやEUの農業所得に占める補助金の割合は英仏が90%前後、スイスではほぼ100%。「これが産業か」と言われるかもしれないが、命を守り、環境を守り、国土・国境・制海権を守っている産業を国民みんなで支えるのは欧米では当たり前なのである。
 これが食料を守るということだ。農業政策というと、我が国では農家保護政策に矮小化されてしまいがちだが、国民が自分の命を守るための食料をどう守るかという安全保障政策として、本質的議論をすべきである。
 
◆輸出振興策

 輸出の努力は否定しないが、「日本の人口は5千万人になるから、国内に市場はない。農業は輸出でバラ色の未来が待っている」と喧伝するのは、あまりも軽率、短絡的で、耳を疑う。
 さらに、世界各国の取組みを見てほしい。アメリカのコメがなぜ輸出できるか。それは競争力ではない。「農家には1俵4000円で輸出して下さい、でも農家に最低限必要な1万2000円との差額は全額政府が差額を払いますから、どんどんつくって下さい」というたぐいのことをやっている。アメリカは穀物3品目だけでも輸出向けの差額補填で多い年は実質1兆円も出している。巨額の輸出補助金だ。それに比べたら、日本の農業が過保護などというのは間違いである。日本の農家に輸出補助金はあるか。ゼロである。どうやって競争できるのか。日本の農産物は美味しいけれど高い。これを補助金ゼロで売る。アメリカは安い物をさらに1兆円の補助金をかけて安く売りさばいているのだから。しかもTPPでも日米FTAでも、アメリカの補助金はお咎めなし。日本は垣根を低くして、アメリカの補助金漬けの農産物で潰されようとしている。
 アメリカでは農家などからの拠出金(チェックオフ)を約1,000億円(酪農が45%)徴収し、そのうち輸出促進に300億円近く使っているが、それには同額の連邦補助金が付加される。つまり半額補助の「隠れた輸出補助金」で300億円にのぼる。アメリカ産牛肉の日本での販売促進も、半額は連邦補助金なのだ。しかも、この拠出金は輸入農産物にも課しており、これは「隠れた関税」だ。
 アメリカなどにとって、食料は武器、一番安い武器という感覚で、莫大な世界戦略的な支援を食料輸出に投じて、日本人の胃袋をコントロールしようとしている。日本も国家戦略としての食料戦略を策定しないと、とても世界の農産物輸出国とは太刀打ちできない。
 
◆成長産業、強い農業とは

 規模拡大によるコストダウンで豪州、ニュージーランドと闘って勝てるわけがない。
 カナダの牛乳は1リットル300円で、日本より大幅に高いが、消費者はそれに不満を持っていない。筆者の研究室の学生のアンケート調査に、カナダの消費者から「アメリカ産の成長ホルモン入り牛乳は不安だから、カナダ産を支えたい」という趣旨の回答が寄せられた。生・処・販のそれぞれの段階が十分な利益を得た上で、消費者もハッピーなら、高くても、このほうが持続的なシステムではないか(そのため、カナダはTPPでも欧加FTAでも、日本と違い、乳製品関税を死守した)。安さを追求しすぎて、安全・安心なホンモノをつくってくれる人がいなくなってしまったら、国民の命は守れない。ホンモノをつくってくれる生産者とそれを適正価格で支える消費者のネットワークで支えられた消費者と生産者の絆が「強い農業」である。
 
◆農協の役割

 農協は、疲弊しつつある地域を守る最後の砦だ。覚悟をもって自らが地域の農業にも参画し、地域住民の生活を支える事業も強化していかないと、日本の地域を維持することはいよいよ難しくなってきている。農協には大きな責任と期待がかかっている。



【提言 金子勝・慶應義塾大学経済学部教授】農業・農協が「抵抗勢力」なのか 2018.01.09 

◆日欧EPAとTPP11がもたらすもの

 2017年は日欧EPAの交渉が妥結、TPP(環太平洋包括連携協定)は米国抜きのTPP11として大筋合意した。これら通商交渉を推進してきたのは経済界だが、日本の大企業の不祥事が続々と発覚した年でもある。しかし経営者はほとんど責任をとっていない。「不正がまかりとおる無責任社会」と批判する金子教授に、農産物のさらなる市場開放がもらたす問題点と責任ある農業政策をどう構築すべきか、2018年の課題を提言してもらった。


◆無責任な財界こそ改革を
 安倍政権が発足してから、TPP、日欧EPAが推し進められ、農協が「改革」の対象とされてきた。経団連を中心とする財界は、政府に対してその推進を求めてきた。そして農業は、「市場原理」から見て「遅れた部門」であり、大規模化して民間企業とりわけ株式会社の仕組みを持ち込めば、「効率化」するという議論が行き交う。だが、本当だろうか。
 むしろ日本の大企業は失敗のモデルではないのか。この間、名だたる大手企業で無資格者による品質管理やデータ改ざんが相次いで露見している。神戸製鋼、日産自動車、富士重工、三菱マテリアルの子会社2社、三菱アルミと続き、いまや経団連会長の出身企業の東レまでが「不正」を行っていることが露見した。しかも、発覚しても経営者はほとんど責任をとっていない。
 
 不正がまかり通る無責任社会が始まったのは、1990年代の銀行の不良債権処理問題だった。経営者が責任をとらないまま問題の先送りが続けられ、2011年の福島第一原発事故後でも同じことが繰り返された。そして日本の産業衰退が止まらなくなっている。IT革命に遅れて、電機産業は新製品を生み出せなくなり、国際競争力を低下させていった。
 重電機産業と電力業でも、政府が原発再稼働・輸出路線をとってきたために、東芝の経営危機を招いた。そして、分散型エネルギーの送配電網の構築は遅れ、結果、新しいエネルギー産業の成長が遅れている。いまや自動車産業の電気自動車への転換(EV転換)でも遅れが目立ち始めている。経済界は、農業部門に犠牲を押しつけて貿易交渉を進め、そのために農業の「改革」が必要であるという前に、自らの「改革」が急務であるという自覚に欠けている。
 
◆深刻な貿易協定の打撃
 そうした中で、安倍政権は交渉内容を公開しないまま貿易交渉を行ってきた。日欧EPA(経済連携協定)が2017年7月に大筋合意、同年12月に交渉が妥結した。同年11月には、カナダは首脳会合を欠席する中、アメリカを除く11か国間でTPP(環太平洋包括連携協定)が大筋合意されたとされる。政府は両者でGDPを13兆円押し上げると効果を強調し、農水産業の損失は2600億円と見積もっているが、既存の農産物生産が落ち込まないことを前提とした試算に意味がない。
 日欧EPAの合意内容を見ると、乳製品で大幅な関税撤廃が行われる。ソフトチーズなどチーズを3.1万トンの輸入枠を設けて16年目に関税を撤廃する。脱脂粉乳・バターは6年間で、生乳換算で1.5万トンまで関税を低下させる。つぎに畜産では、豚肉が低価格帯にかける従量税を10年で現行1キロ当たり482円から50円に引き下げられ、牛肉は16年で従価税を38.5%から9%に引き下げられる。
 TPP11でも、米国からの輸入分も含めて7万トン(生乳換算)と設定された乳製品の低関税輸入枠の縮小ができなかった。この部分はオーストラリアとニュージーランドからの輸入が埋めていくことが予想される。
 これらの措置は酪農、畜産に深刻な影響を及ぼしかねない。チーズやバタ-の関税撤廃・引き下げは生乳の売れ先をなくす。とくに北海道の酪農の被害が大きいが、北海道の生乳が飲用向けに本州で販売されるようになれば、価格下落が起きる可能性がある。安い豚肉の流入は、飼料米の売れ行きに影響を及ぼしかねない。
 政府は、一応18年度予算で対策費として53億円を組んだ。一定の乳質基準を満たした酪農家が生産する生乳のうちチーズ向け1キロ当たり12円を交付する。自らチーズにしたり、チーズ工房に販売したりする生産者には、それに3円が上乗せされる。だが、現状では、相当の生産性上昇が起きなければ、これで29.8%の関税撤廃に対処できるか疑わしい。
 もちろん関税が撤廃される果物なども、賃金の安い国で商社が品質管理を行って、安いものが大量に入ってくる可能性もあるが、こうした点も十分に考慮されているとは言いがたい。
 日欧EPAとTPP11の大筋合意を契機に、次にトランプ米大統領がより強く日米2国間貿易交渉の圧力を強めてくるだろう。トランプ政権はロシアゲート事件で苦しい立場に追い込まれているからだ。中間選挙で勝つには、「自国中心主義」を掲げた以上、自国に有利な貿易協定を締結することが至上命題になってくる。実際、トランプ政権は、北米自由貿易協定(NAFTA)や米韓自由貿易協定(FTA)の再交渉を始めた。日欧EPAとTPP11の「合意」内容がベンチマークになって、それ以上の譲歩を求めてくることは必定だろう。
 
◆農業対策になっていない
 こうした一連の農業を破壊する合意内容に対して、政府が打ち出している対策には問題が多い。飼料米に補助金を出すことで当面、米価が上がっているが、減反政策の見直し、さらに豚肉・牛肉の関税の大幅引き下げが行われていけば、大量の外国産豚肉や牛肉が輸入されるので、飼料米の売り先がなくなってしまい、やがて対策は成り立たなくなってしまう。
 つぎに、農地を集積して大規模化を図り、株式会社を導入する政策も問題が多い。アメリカの平均耕作面積は約200ha、オーストラリアは約3000haもあるのに対して、日本はわずか2.9ha程度。そもそも、規模で競争することはできない。しかも、耕作放棄地になっているところは中山間地域が多く、大型機械も入らない所では、いくら土地を集積しても「効率化」は進まない。価格下落する下で、競って借金をして規模を拡大すれば、さらなる農産物価格の下落をもたらすだけだ。農業は農繁期と農閑期では労働需要が大きく違うので、常用雇用を雇うと経営は成り立ちにくい。農業生産は規模を拡大して株式会社化しても「効率化」は達成しにくいのだ。
 
◆新しい農家経営モデルを

 もう少し農家目線で考えてみよう。人々が農業をやってみようと思うには、農家1戸あたり最低500万円を稼げる見通しが必要である。農家は住居費や食費が低いので、サラリーマンの平均所得を上回れば、それなりに生活していける。
 では、どうしたらよいのか。まず、農業基本法以来とられてきた大規模専業農家モデルというドグマから解き放たれないといけない。中小零細農家の強みを活かすには、農薬を減らし安全と環境を「売り」にするとともに、いかにして兼業機会を自ら増やしていくのかが大事だ。この間、地方では工場はアジアに出て行き、兼業機会が大幅に減った。そして、若者が地域外に流出するようになった。工場誘致が難しくなった以上、産直や直売所、あるいは直接加工に乗り出すことによって、流通の中抜きを取り込むことで利益を上げていく垂直統合としての6次産業化が有効だ。6次産業化は農家に新たな兼業機会を創り出すこともできる。

 さらに、世界的な再生可能エネルギーへの転換に合わせて、ドイツやデンマ-クのようにエネルギー兼業農家になるのも一つの方法である。耕作放棄地や飛び地での太陽光発電設置、農地の上に細長い太陽光パネルを設置するソーラーシェアリング、貯水池や農業用水での小水力発電、海岸や牧草地での風力発電などを自ら行っても良いし、地域単位で出資するのもいい。同じ1次産業である再生可能エネルギーを生産することで、農家は地球環境と安全の守り手になる。こうした試みによって、農業は職業的ミッションを持った先端産業に変貌できる。

 あとは本業の農業で採算がとれるようにするには、もし関税による「保護」を無くすのであれば、WTOルールにしたがって直接に所得補償をすべきである。そうした所得対策抜きには担い手は育たない。下から所得を積み上げて、どんな人でも最低限生活が成り立つ、新たな農家経営モデルを若い世代に向かって提示することが求められている。


 

【「恣意的」試算は議論の土台足りえない ・鈴木宣弘・東京大学教授2017/12/29】

◆生産性向上効果の恣意性

 TPP11や日欧EPAの政府試算への信頼を回復するには「恣意性」を排除した値をまず示す必要がある。「価格が10%下落してもコストが10%以上下がる」と仮定すれば、GDPはいくらでも増やせる。「生産性向上効果」はドーピング剤だ。
 政府試算では、(1)生産性向上メカニズム、(2)労働供給増加メカニズム、(3)供給能力増強メカニズム、の3つの成長メカニズムを組み込んでいる。

(1)生産性向上メカニズム
「貿易開放度(GDPに占める輸出入比率)が1%上昇→生産性が0.1%上昇(TPP12のときは0.15%)」と見込む。
 2013年の当初試算では「価格1%下落→生産性1%向上」と見込んでいたのを上記のように改定してGDP増加は4倍以上に膨らんだのだから、これは「価格の下落以上にコストが下がる」と仮定しているのと実質的に同値とみなしうる。
 
◆賃金が上がるとは到底考えられない

(2)労働供給増加メカニズム

 生産性向上が実質賃金を上昇させ、「実質賃金1%上昇→労働供給0.8%増加」と見込む。雇用の増加数をこんな単純に見込むことの大胆さにも驚くが、そもそも、賃金が上がるとは到底想定できない。例えば、ベトナムの賃金は日本の1/20~1/30である。投資・サービスが自由化されたら、アジアの人々を安く働かせる一方で、米国の「ラストベルト」のように、日本の産業の空洞化(海外移転か日本国内での外国人雇用の増大)による日本人の賃金減少・失業・所得減少こそ懸念される。米国民のTPP反対の最大の理由が米国人の失業と格差拡大だったことを想起すべきである。

(3)供給能力増強メカニズム

 「GDP1%増加→投資1%増加」で供給能力が増強される。
 これは単なる希望的観測である。

 以上のように、価格下落以上に生産性が伸びるとか、下がるはずの賃金が上がるとか、GDP増加と同率で投資が増えるとか、どれも恣意的と言わざるを得ない。こうした勝手な仮定を置かずに、まず、純粋に貿易自由化の直接効果だけをベースラインとして示し、その上で、生産性向上がこの程度あれば、このようになる可能性もある、という順序で示すのが、「丁寧・真摯」な姿勢であろう。姑息な提示の仕方は逆に信用を失うことが、なぜわからないのか不思議である。
 
◆生産者損失の過小評価と消費者利益の過大評価

 農林水産物も、価格が下がれば生産は減る。価格下落×生産減少量で生産額の減少額を計算し、「これだけの影響があるから対策はこれだけ必要だ」の順で検討すべきを本末転倒にし、「影響がないように対策をとるから影響がない」と主張している。政府の影響試算の根本的問題は、農産物価格が10円下落しても差額補填によって10円が相殺されるか、生産費が10円低下するから所得・生産量は不変とし、その根拠が示されていない点である。

 例えば、TPP11で酪農では加工原料乳価が最大8円/kg下がると政府も試算している。8円/kgも乳価が下がったら、廃業や生産縮小が生じるはずなのに、所得も生産量も変わらないという。補給金が8円増加するわけはない。畜産クラスター事業の強化で生産費が8円下がる保証もないが、可能だと言うなら根拠を示すべきだ。しかも、加工原料乳価が8円下落しても飲用乳価が不変というのは、北海道が都府県への移送を増やし、飲用乳価も8円下落しないと均衡しないという経済原理と矛盾する。

 ブランド品への価格下落の影響は1/2というのも根拠がない。例えば、過去のデータから豪州産輸入牛肉が1円下がるとA5ランクの和牛肉は0.87円下がるという、ほぼパラレルな関係にあるとの推定結果もある。

 日本側の形式的評価と実際の影響が乖離する可能性は、輸出国側の評価でわかる。例えば、豚肉について、日本側は「差額関税制度が維持されたので9割は現状の価格で輸入される」としているが、EU側は「日本の豚肉は実質無税(almost duty free)になったも同然だ」と評価している。この意味は重大である。

 また、牛肉・豚肉は赤字の9割補填をするから所得・生産量が変わらないというのも無理がある。農家負担が25%あるから実際の政府補填は67.5%で、平均的な赤字額の67.5%を補填しても大半の経営は赤字のままだから全体の生産量も維持できない可能性が大きい。

 「食料自給率は変わらない」というのも説明不能である。輸入価格低下で輸入量が増加するから、かりに国内生産量が不変とした場合、食料自給率は低下するはずである。
 
◆野菜14品目だけで約1000億円の損失も

 当研究室での試算では、主要野菜14品目に焦点を当てて関税撤廃の生産者・消費者への影響を推定した結果、生産額の減少総額は992億円と見込まれ、これだけで農産物全体の政府試算の最大値にほぼ匹敵し、政府試算がいかに過小か、そして野菜類への影響はほぼ皆無とみなす政府試算は重大な過小評価だとわかる。

 一方、テレビなどで関税撤廃による消費者利益(注1)の大きさが強調されるが、輸入価格下落の50~70%程度しか小売価格は下がらない現実を考慮すると、野菜14品目の関税撤廃による消費者利益の増加総額は897億円と推定され、価格が完全に連動していると想定した場合の消費者利益の増加総額の推定値1448億円の6割程度まで縮小する。さらには、失う関税収入は野菜14品目だけでも101億円と計算される。
 つまり、政府試算は「意図的に」生産者の損失を過小評価し、消費者利益を過大評価している側面が強い。
 
◆TPP10の可能性

 さらには、カナダが抜ける可能性も考慮しないといけない。ケベック州(現首相の出身州)を中心にフランス文化圏の人口が多いカナダで、フランス文化圏の独自性を守る(出版、音楽ビデオ制作、テレビ・ラジオなどの文化産業を自由化の対象外とする)ことは極めて重大なことで、現行のNAFTA(北米自由貿易協定)でも例外としており(こうした事情についてJC総研の木下寛之顧問が詳しく整理している)、NAFTA再交渉でも死守する姿勢であるから、TPP11で簡単に認めることなどできない。「カナダがTPP11の大筋合意に応じなかったのが理解できない」と言った日本政府は愚かである。

 かりにカナダが間に合わず、TPP10で走り出すことになれば、オーストラリアとニュージーランドは、日本がTPP12で差し出した酪農などの輸入枠を2国で満喫して喜ぶが、日本は最強の農業国から攻められて打撃が増す。そのうち、怒った米国からの日米FTAでの上乗せも必定とすれば、日本農林水産業の打撃はどこまで増幅されるか。こうした点も影響試算に考慮すべきである。

 しかも「影響がないように対策する」と言いながら、出されている対策は、「看板の付け替え」の類(たぐい)が多く、影響を相殺できるような新味のある抜本的対策にはほど遠い。

 以上のように、結局、国民や農林水産業者を欺く数字を「意図的に」出させた責任は誰がとるのか。欺かれた国民がツケを払わされるだけでは済まされない。

(注1)消費者利益=(自由化前の価格-自由化後の価格)×(自由化前の消費量+自由化後の消費量)/2


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