衝撃的スクープ NHKスペシャル「沖縄と核」(メモ)
9月10日法曹されたNHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」。
その「備忘録」が、前川史郎さん(原水爆禁止日本協議会勤務)のFBにアップされているので、当ブログに残しておきたいと紹介させてもらった。
この番組、NHKスペシャルHPの一面には出なくて、検索すると「歴史・紀行」のジャンルに入っていた。これも圧力を回避する知恵なのか・・しかし、この夏、戦争と平和についての報道で、特筆すべき頑張りを見せている。
【スクープドキュメント 沖縄と核 NHK】
【NHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」2017/9/10】
1960年代、本土復帰前の沖縄には、全世界を破壊できる規模の1300発にものぼる大量の核兵器が置かれていた。配備されていた核兵器の威力は広島に落とされた原爆の約70倍。
模擬核爆弾を使ったLABS(ラブス=低高度爆撃法)がおこなわれた。伊江島で訓練をおこなっていた元米空軍戦闘機パイロットの自宅を訪問して撮られたインタビューでは、「4機の戦闘機が核爆弾を積んでいた」と語られた。
アイゼンハワー大統領が沖縄への核兵器配備を指示したことが内部文書から明らかになった。その背景には、1953年にソ連が水爆実験に成功したこと、1950年から朝鮮戦争が続いていたこと、台湾への圧力を強める中国の存在もあり、沖縄を核戦力の拠点としたということ。そして、基地の拡大は核兵器が密接に絡んでいることも明らかにした。
沖縄にある基地の7割を占める海兵隊の存在について、1955年の海兵隊内部文書には、司令官の「核兵器の急速な進歩に対応するために、核兵器で武装して敵の核攻撃から身を守る」との言葉が書いてある。
アメリカは核ロケット砲オネストジョンを本土に配備することを計画していたが、「ビキニ事件」を契機として強い反核感情が国民の中に広がっていたため本土への配備を諦めざるを得なかった。そこで1959年末、沖縄の米軍基地が拡大し、本島の4分の1を占めることになるとともに、1958年には本土での配備を諦めたオネストジョンの訓練を繰り返した。しかし住民には一切知らされず、元琉球政府の知花成昇さんも「核兵器の話は聞いたことがない」と話す。
1957年にソ連がスプートニクを打ち上げることでICBM(大陸間弾道弾)の技術を獲得すると、58年には「沖縄ミサイル防衛計画」が出され、「沖縄は極東の中で最も核兵器が集中する場所だ」として弾薬庫への攻撃を恐れている記述が出てくる。
東京ドーム約600個分という嘉手納弾薬庫地区の広大な土地に核兵器のほとんどが貯蔵されていた。これを守るためにナイキ・ハーキュリーズ(迎撃用核ミサイル)が新たに配備された。地上レーダーから正確に目標に誘導することができた。これを嘉手納弾薬庫を取り囲むように8カ所に配備し、核によって核を守ることで基地が拡大された。
ナイキ・ハーキュリーズ部隊の日報(1959年)によると、ナイキの点火が原因で兵士が1人死亡する事故が起こっていた。ウィスコンシン州に住むナイキ部隊所属の元兵士の家を訪ねて話を聞くと、「訓練の最中に突然轟音が鳴り響き、ナイキが海に突っ込んでいた。地面には仲間が倒れて死んでいた」という証言が得られた。
1959年6月19日、那覇市に隣接した基地、今の那覇空港がある場所で1人の兵士が操作を誤ったため、突然ブースターが点火して水平に発射、海に突っ込んだ。ハーキュリーに付けられていた核弾頭の威力は広島型原爆と同じ20キロトンだった。米軍内部文書によると「核兵器の事故はアメリカの国際的地位を脅かす。すべての情報は関係者以外、極秘とする」と書かれていた。軍は密かに回収し、事実は隠されたままとなっていた。元兵士は「核弾頭が爆発したら那覇が吹っ飛んでいただろう」と語る。
1960年に締結された日米安全保障条約とともに、核兵器については日本国内に持ち込もうとするときには事前協議をするとした。一方、岸信介首相はアメリカの核兵器を抑止力として不可欠として考えていたことで、外務省に残されていた内部文書では将来的に沖縄返還を見据えてはいたが、「核持ち込み事前協議制度には沖縄を含まない」として日本政府は沖縄に核兵器を置くことを黙認。日米安保条約を成立させた結果、沖縄に核兵器を置き、抑止力とすることにした。
1953年、米軍は伊江島で土地接収をおこなった。ブルドーザーで農民の家を壊し、畑をガソリンで焼いて爆撃場を作り、訓練をおこなった理由がソ連との核戦争のためだということが初めて明らかになった。
伊江島では、民家のすぐそばに模擬核爆弾が落ちてくるが、住民は何の訓練がおこなわれているのかについて知らされていなかった。
1960年、MD-6水爆マーク28の投下訓練で使われる模擬核爆弾により伊江島の住民の石川清鑑さん(28歳)が即死した。妻が事故直後「ばかげた戦争や演習はもうやめて。9ヶ月になる子どもを抱えてどうして暮らしていけばいいのですか」と米軍に対して抗議の手紙を書いている。
事故当時、生後9ヶ月だった娘の與儀京子さん(58歳)が住む沖縄県豊見城市でインタビュー。息子さんは「戦争の不発弾で死んだと思っていた」。京子さんは「なんでこんなことで死んだんだろう」と絶句したあと、「土地を取られてなかったらそういうこともなかった」と悔しそうに語った。
オハイオ州の国立アメリカ空軍博物館に展示されている「メースB」は射程2400キロ、広島型原爆の約70倍の威力のある核兵器だったが、当時アメリカはそのことを伏せて沖縄への配備を決定。しかし、発射基地の建設に従事する現地の人の間では核兵器ではないかという噂が広がり、マスコミが報じ、琉球立法政府も日本政府に対して働きかけた。当時の外務大臣の小坂善太郎とラスク国務長官は会談で次のようなやりとりを交わした。
小坂「沖縄にメースなどの武器を持ち込まれる際、事前に一々発表されるため論議が起きているが、これを事前には発表しないことはできないか」
ラスク「アメリカの手続きとして、何らかの発表を行うことは必要と思われる」
小坂「事後に判明する場合には、今さら騒いでも仕方がないということで、論議は割合に起きない。事前に発表されると、なぜ止めないかといって日本政府が責められる結果となる」
そのことを知らされた元琉球立法議員の古堅実吉さんは「怒りが湧いてくるね。唯一の被爆国の外務大臣か」と語った。
1962年、沖縄の人たちの訴えは無視され、4つのメースBの発射基地が完成。同年のキューバ危機で米ソが一触即発となり、沖縄は核戦争の瀬戸際に立たされた。
当時任務に当たっていた元兵士オハネソン氏が基地の跡地を半世紀ぶりに訪れ、初めてテレビカメラが入った基地の内部を車イスに乗って案内した。キューバ危機の際、司令室で任務に当たっていたというオハネソン氏により、最高機密だった室内の装置の写真も明らかになった。オハネソン氏は「メースBが中国をターゲットにしていた」「アメリカ軍にとって中国こそが脅威だった」と明かす。ソ連と中国は一体の敵だとアメリカは見なしていた。沖縄が世界を巻き込む全面戦争の引き金となる可能性があった。当時、「DEFCON2(デフコンツー、核戦争の準備態勢)」が発動され、メースBがいつでも発射できる体制が整っていた。
嘉手納弾薬庫で任務に当たっていたポール・カーペンター氏は、当時の指令書を示し、「日本本土や韓国に核兵器を供給する拠点となっていた」と語る。カーペンター氏は沖縄で出会った良子さんと結婚し、嘉手納で暮らしていた家族にも打ち明けられず、二度と会えないと思っていた。「世界が終わるというより、沖縄が終わると思っていた。ソ連も核兵器を持っていたので、米軍の最重要基地である沖縄を核攻撃するだろうから」と。核戦争の危機は土壇場で回避されたが、沖縄は確かに破滅の瀬戸際にあった。
キューバ危機の後も沖縄の核兵器は増加し、1967年には1300発となった。沖縄の本土復帰を求める声が高まり、無視できなくなった日米政府は1969年11月、佐藤栄作首相とニクソン大統領が沖縄返還で合意し、12月にはメースBが撤去されたことをアピールした。しかし、沖縄返還と引き換えに「核密約」が結ばれていたことが明らかになっている。その内容は、緊急時には再び沖縄に核兵器を持ち込むことを約束するもので、「嘉手納、那覇、辺野古の核弾薬庫を使用可能な状態で維持しておく」と文書に書いてある。
「核密約」に深く関わった当時の米国防長官メルビン・レアード氏が昨年11月に94歳で死去する2ヶ月前にNHKの電話インタビューに応じていた。レアード氏は核密約の背景を「日本とアメリカは密約の重要性をお互いに認識していた。我々は日本を守り続けたかった。日本は核兵器を持たず丸裸なのだから。核を沖縄に持ち込まないのなら、他の場所を探さなければならない。結局、日本は沖縄を選んだ。それが日本政府の立場だったよ。公にはできないだろうがね」と話していた。
アメリカ国防総省は取材に対して「沖縄における核兵器の有無は回答しない」と答えた。一方、外務省は「核密約」について「『核密約』は現在は無効。非核三原則を堅持し、いかなる場合にも持ち込みを拒否する」方針を示している。
嘉手納弾薬庫地区は今、当時と大きく変わらない規模を維持している。かつて日米政府の思惑のもと「核の島」とされていた沖縄。「抑止力」という名のもと基地は残され、今なお重い負担を背負い続ける現実は変わらぬままだ。
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