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「ありき」でないと不可能…認定前に「教員、用地、建物のめど」 まさに「順序が逆」

認定前に、「教員、用地、建物のめど」をつけるのは「認定されることが明らか」でないと取り組めない。「加計ありき」だったから準備〔投資が無駄にならない〕が出来たのである。菅長官の発言…「語るに落ちた」とはこのこと。
 文春が決定2ヶ月前に獣医師会に「加計にきめた」ことを伝えた記事論を入手したと報道。
郷原氏は、水掛け論になる問題をやめて、どこを追求すべきが整理しており、論点整理の仕方の勉強にもなる。
 閣議決定された4基準が、どう評価・検討されたのか。なぜ加計は認定前から教育確保にふみきれたのか、なぜ30年4月開校なのか、なぜ細菌を取り扱う研究室建設の実績のない岡山の中堅企業の建設なのか、・・・「手続きは適正」という意外、説明責任は何もはたされていない。

【「加計に決めた」政府決定2カ月前に山本大臣発言 議事録を入手 文春7/19】
【京産大は「物事の順序逆」=菅長官 時事7/19】
【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」 郷原信郎7/18】

 【「加計に決めた」政府決定2カ月前に山本大臣発言 議事録を入手 文春7/19】

獣医学部の新設を巡る問題で、内閣府の山本幸三担当大臣が、政府が学校法人を決定する2カ月前に、加計学園に決めたと日本獣医師会に通告していた議事録を「週刊文春」が入手した。
 獣医師会の議事録によると、2016年11月17日、山本大臣は、日本獣医師会本部を訪問し、会長ら役員に次の通り述べている。
〈獣医師が不足している地域に限って獣医学部を新設することになった〉
〈四国は、感染症に係る水際対策ができていなかったので、新設することになった〉

議事録に残る「加計ありき」 禁無断転載/文藝春秋

学部新設に前のめりの山本大臣 ©共同通信社
 四国では、加計学園が愛媛県今治市で獣医学部新設を目指しており、加計学園に決まったことを獣医師会に通告した形だ。
 この日は、獣医学部の新設をどの学校法人が担うかを政府が決定する2カ月前だったが、この議事録により、「加計ありき」で進んでいたことが裏付けられた。
さらに、山本大臣は、
〈今治市が土地で36億円のほか積立金から50億円、愛媛県が25億円を負担し、残りは加計学園の負担となった〉
 と、「加計学園」と明言して事業費の負担額を詳細に説明し、加計学園に決めた理由を語っていた。

一大学校法人を率いる加計理事長 ©共同通信社
 加計学園、山本大臣はともに、小誌の事実確認に応じなかった。一方、山本大臣との会合に同席した獣医師会の北村直人日本獣医師政治連盟委員長を直撃すると、「詳細に自治体の負担額をあげて、『加計に決まった』と言われたので、驚きました。反対意見を申し上げた記憶があります」と答え、小誌記者が議事録を見せると、本物であることを認めた。
 7月20日発売の「週刊文春」では、問題の議事録の詳細を報じる。あわせて教職員から学部新設に多数の反対意見が上がっていたことなどを紹介し、加計学園の経営実態や加計孝太郎理事長の知られざる素顔についても詳報する。


(「週刊文春」編集部)

【京産大は「物事の順序逆」=菅長官 時事7/19】

菅義偉官房長官は19日の記者会見で、国家戦略特区を活用した獣医学部の新設を目指していた京都産業大(京都市)が、教員確保のめどが立たず準備期間の不足を理由に計画を断念したことについて「教員や用地、建物の確保や開学時期のめどがつかなければ特区認定の要件を満たすことは困難で、準備期間が足りないという以前に物事の順序が逆ではないか」との認識を示した。
 2018年4月とした開学時期に関しては「スピーディーな開学の実現を制度上担保するために設けたもので、今治市や加計学園ありきでも京産大を排除すべきものでもない」と強調した。(2017/07/19-12:44)

【加計学園問題のあらゆる論点を徹底検証する ~安倍政権側の“自滅”と野党側の“無策”が招いた「二極化」 郷原信郎7/18】 ・・・略

私のブログ記事としては過去に例がない程の長文になってしまったので、最初に内容を全体的に示しておきたい。

第1 安倍首相の指示・意向という「事実」に関する問題
第2 利益相反、公正・中立性の確保という「コンプライアンス」に関する問題
第3 規制緩和をめぐる「挙証責任」に関する問題
第4 「犯罪性」に関する問題
 第5 安倍政権側と野党側の対応を“斬る”

第1「事実」に関する問題([A])

●安倍首相の指示・意向の有無と意向の「忖度」
加計学園問題をめぐる最大の争点が、「『腹心の友』の加計孝太郎氏が経営する加計学園に有利な取り計らいをするよう安倍首相の指示・意向が示された事実があったか否か」であることは間違いない。しかし、この点についての事実が明らかになる可能性はほとんどないに等しい。仮にその事実があったとしても、安倍首相がそれを認めることはあり得ないし、その指示・意向を直接受けた人間がいたとしても、それを肯定することは考えられないからだ。

安倍首相の直接的な指示・意向のほかに、官邸や内閣府の関係者が、安倍首相の意向を「忖度」して、加計学園の獣医学部新設が認められるように取り計らったのではないかも問題となるが、【官僚の世界における“忖度”について「確かに言えること」】でも述べたように、「忖度」というのは、される方(上位者)にはわからないものだし、行う本人も意識していない場合が多い。「忖度」があったかなかったかを、安倍首相にいくら質問しても、関係者をいくら追及しても、事実を明らかにすることは、もともと極めて困難である。

しかし、それらの事実が直接証拠によって立証されることはなくても、間接事実によって推認されることはあり得る。国家戦略特区の枠組みによって加計学園の獣医学部新設が認められた経緯の中での関係者の発言のほか、手続自体が「最初から加計学園ありき」としか考えられない「歪んだもの」だったとすれば、その背景に、安倍首相と加計氏との関係があることが影響したことが合理的に推測され、安倍首相の指示・意向や、忖度が働いたことが強く疑われることになる。

立証命題としての「事実」は、安倍首相の指示・意向([A]①)と意向の忖度([A]②)だが、実際には、「間接事実」によって、[A]①及び[A]②の事実が推認できるか否かという問題([A]③)に尽きる。
その点に関して重要なのが、前川氏の証言と文科省の内部文書の存在である。その主な内容が、以下のようなものだ。

[前川証言]
ア 2016年9月頃、和泉洋人首相補佐官から、「総理は自分の口から言えないから、私が代わって言う」と言われた。
イ 同年8月下旬頃、木曽功加計学園理事(元文科省官僚)から、「国家戦略特区制度で、今治に獣医学部を新設する話、早く進めてほしい。文科省は(国家戦略特区)諮問会議が決定したことに従えばいいから」と言われた。
ウ 11月9日の諮問会議で「広域的に獣医学部の存在しない地域に限り」という条件が付され、11月18日の共同告示のパブリックコメントの際に「平成30年度開設」という条件が付され、1月4日に共同告示が制定された際に、「一校に限り」という条件が入り、結局加計学園だけが残ることになった。初めから加計学園に決まっていた、加計学園に決まるようにプロセスを進めてきたと見え、このプロセスは内閣府あるいは内閣官房の中で進んできた。

[文科省文書]
エ 「これは総理のご意向だと聞いている」
オ 「これは官邸の最高レベルが言っていること」
カ 「閣内不一致を何とかしないと文科省が悪者になってしまう」

これらを総合すると、[A]③の間接事実としては相当程度有力なものであるといえ、これらを否定する根拠、合理的な説明・反論がない限り、[A]①及び[A]②が推認されることになる。とりわけ、文科省側の事務方のトップであった前川氏が、「初めから加計学園に決まっていた」と具体的な根拠を示して証言したことの意味は極めて大きい。存在が明らかになっている文科省内の文書も、その内容だけでは、内閣府等の関係者の言動を正確に示すものとは必ずしも言えないが、文科省と内閣府の間のやり取りについて、内閣府側からは、文科省側の文書を否定する文書・資料は全く開示されておらず、担当大臣の山本氏の説明も、前川氏の指摘に対する合理的な説明・反論になっているとは言い難い。そのため[A]①及び[A]②の事実に関して、[A]③の間接事実による推認が、相当程度強く働いていると言わざるを得ない。

●加戸守行氏の証言と京都産業大学の記者会見

閉会中審査における前愛媛県知事の加戸守行氏の証言と、その後に行われた京都産業大学の「獣医学部開設断念」の記者会見の内容をどう評価するかも問題となっている。これらによって、加計学園をめぐる安倍首相の疑惑が解消されたかのように評価する声もあるが、いずれも、加計学園をめぐる疑惑を解消することにつながるものではない。

加戸氏については、愛媛県知事の時代から、今治新都市開発の一環として大学誘致に熱心に取り組んできたこと、同氏にとって獣医学部誘致が「悲願」だったことは、国会で切々と述べたとおりであろうし、教育再生実行会議での同氏の、唐突な、いささか場違いとも思える「獣医学部新設問題」への言及からも、誘致への強い熱意が窺われる。しかし、加戸氏は、獣医学部の認可を求める側の当事者、政府にとっては外部者であり、政府内部における獣医学部新設をめぐる経過とは直接関係はない。また、「愛媛県議会議員の今治市選出の議員と加計学園の事務局長がお友達であったから、この話がつながれてきて飛びついた」というのも、今治市が加計学園の獣医学部を誘致する活動をする10年以上前の話である。その後の誘致活動、とりわけ、前川氏が「加計学園に最初から決まっていた」と思える「行政の歪み」があったと指摘する2016年8月以降の経過に、安倍首相と加計理事長の「お友達」の関係がどのように影響しているのかとは次元の異なる問題である。

また、長年にわたって誘致活動を進めてきた加戸氏の立場からは致し方ないことのようにも思えるが、同氏の話にはかなりの誇張がある。愛媛県知事時代の「鳥インフルエンザ、口蹄疫の四国への上陸の阻止」の問題を、公務員獣医師、産業担当獣医師の数が少ないことの問題に結び付けているが、加戸氏自身も認めているように、上陸阻止の手段は、船、自動車等の徹底した消毒であり、獣医師の「数」は問題とはならない。獣医師が必要になるとすれば上陸が阻止できず感染が生じた場合であろうが、実際には、四国では鳥インフルエンザも口蹄疫も発生していない。また、加戸氏が長年にわたって今治市への獣医学部誘致の活動をしてきた背景には、知事時代に今治市と共同して進めた新都市整備事業で予定していた学園都市構想が実現しておらず、土地が宙に浮いた状態だったという事情があったことを加戸氏自身も認めている。獣医学部誘致に今治市民の膨大な額の税金を投入することを疑問視する市民も少なからずいることを無視して、獣医学部誘致が「愛媛県民の、そして今治地域の夢と希望」と表現するのは、現実とはかなり異なっているように思える。

結局のところ、加戸氏の国会での発言は、政府の対応を正当化する根拠にも、前川氏の証言に対する反対事実にもなり得ないものであり、加計学園をめぐる疑惑に関しては、ほとんど意味がないものと言える。

次に、京都産業大学が7月14日に記者会見を開いて獣医学部設置断念を公表した件だが、そこで明らかにされた理由は、

・1月4日に公表された文科省告示で『平成30年4月開学』が条件とされたことで、準備が間に合わないと判断したために応募は断念した。
(獣医学部を断念した理由について)加計学園が来春、愛媛県今治市に獣医学部を開学する予定であることで、国際水準に足る質の高い教員を確保することが難しくなった

というものだった。

既存の獣医学部などが「広域的に存在しない地域に限り」新設を認めるとした条件について「これで対象外になったとは思わなかったが、ちょっと不利だと思った」とも述べている。この会見での説明からすると、「30年4月開学」という条件が付けられたことで、京都産業大学が応募を断念せざるを得なくなり、しかも、加計学園が先に開学することで教員確保が困難となり、結局、国家戦略特区諮問会議で決定された条件のために、「加計学園のみ獣医学部設置」という結果につながったことが明らかになった。

京都産業大学の記者会見での説明は、「平成30年開学」の条件が、「加計ありき」につながったとの前川氏の指摘を裏付けるものと見ることができ、[A]③の間接事実による[A]①及び[A]②の推認を、むしろ強める方向に働くものである。

ところが、高橋洋一氏は、この京都産業大学の記者会見について、獣医学部設置断念の理由についての説明を、《「教員確保が困難だったため」としたうえで、今回の戦略特区の選定作業が不透明だったか否かについては、「不透明ではなかった」と明言している。》などと引用し、加計学園をめぐる疑惑が晴れたかのように述べている(現代ビジネス【加計問題を追及し続けるマスコミの「本当の狙い」を邪推してみた】)が、「平成30年4月開学」の条件が付されたことが特区への応募断念の決定的な理由であったとの大学側が繰り返し述べた理由を意図的に除外している。しかも、表面上は公開の手続で決定されたのであるから、内閣府と文科省との間で何があったのか知り得ない同大学側が「不透明だった」と言う根拠もない。会見の内容を歪曲して、疑惑が晴れたとの結論を導こうとしているものである。

第2 コンプライアンスに関する問題([B])

次に、国家戦略特区に関する権限を有する総理大臣と、加計学園理事長とが「腹心の友」であることの「利益相反」という問題がある。これは、公正・公平な判断ではない疑いが生じる「外形」の問題である。過去50年以上にわたり認められてこなかった獣医学部の新設を、安倍首相がトップを務める内閣府所管の国家戦略特別区域法に基づき、大学認可を所管する文科省の従来の方針を変更して実現しようとしているのであるが、その権限を持っているのは安倍首相自身だ。首相と加計理事長との親密な関係が、国家戦略特区の枠組みによる獣医学部新設認可の判断に影響を与えることがないようにする必要があった。それは、安倍首相が強調するように「関与していない」「指示していない」ということで済む問題ではない。安倍首相と加計理事長の親密な関係が、「忖度」等によって事実上影響した可能性もあり、外形上そのような疑いが生じること自体が問題なのである。

これが、事業を行う組織のトップの「利益相反」というコンプイアンス問題であり、それを[B]-①と呼ぶとすれば、もう一つ、この点に関して重要なのが、「利益相反」が生じかねない枠組みという[B]-②の問題である。

国家戦略特区の枠組みは、基本的に有識者の諮問会議やワーキンググループ(WG)の民間議員が中心である。「岩盤規制」を守ろうとする規制官庁と、それを崩そうとする側との間では激しい意見対立が生じ、その意見対立に対して「中立・公正な立場での判断」が必要となる。ところが、現在の諮問会議とWGの民間議員のメンバーは、ほとんどが安倍首相の支持者、アベノミクスの推進者など、その動きや判断が安倍首相の意向に沿うものとなることが確実なメンバーだ。このような民間議員にWG、諮問会議で「判断」を行わせること自体に、公正・中立の確保というコンプライアンスに関して問題がある。

重要なことは、「利益相反」というコンプライアンス上の問題は、あくまで「外形上」の問題であり、実質的な問題ではないということだ。当事者が、その問題を認識・理解し、適切な対応をとれば、大きな問題にはならないし、ましてや、政権を揺るがす問題になるなどということにはならない。要するに、加計学園の獣医学部の新設認可に向けての手続きが取られたことが、その獣医学部の新設計画の中身や、実質的な価値、社会への貢献などの面から、全く問題ないことを安倍首相自身、あるいは加計学園側が十分に説明し、納得を得ることができれば、外形上の問題は結果的には解消されうるのである。

ところが、国会で「加計学園の理事長・加計晃太郎さんと7回食事をしています。2年半で13回も食事。総理、なぜ規制緩和をしたのですか?」と野党側からの質問を受けたのに対して、安倍首相は、「特定の人物や特定の学校の名前を出している以上、確証が無ければ極めて失礼ですよ!」などと言い返し、その後も、「(国家戦略)特区の指定や規制改革項目の追加、事業者の選定のプロセスは関係法令に基づき適切に実施しており、圧力が働いたことは一切ない。」との答弁を続けた。野党側は、安倍首相と極めて親しい関係にある加計氏が経営する学校法人が国家戦略特区で有利な扱いを受けた疑いを、さしたる根拠もなく質問しただけだったのだが、安倍首相は、[A]-①、②を否定するだけではなく、「関係法令に基づき適切に実施している」と言って、[B]-①、②の問題を全く問題ないかのような答弁をしたのである。

「関係法令に基づき適切に実施」というのが、この問題に対する説明にも反論にもならないことは明らかだ。法令上、国家戦略特区法は、諮問会議の決定等の手続を経て従来の行政の判断を変更することを可能にしているのであり、その手続に則って行われている以上、法令上問題がないことは当然である。しかし、だからと言って、「法令遵守」を超えたコンプライアンス問題である[B]の問題を否定できるわけではない。

安倍首相としては、この段階で、次のように答弁すべきだった。

加計孝太郎氏は、私の古くからの「腹心の友」ですが、今回の獣医学部の新設認可に関して、私は、全く口を出していないし、加計学園を優遇するように指示したことも全くありません。しかしながら、国家戦略特区において、52年ぶりに獣医学部が新設されるという「岩盤規制の打破」が実現したことについて、総理である私と親しい加計氏が経営する加計学園だけが認可されたという結果になったことで、加計氏が私の親しい友人であることが、官邸や内閣府の関係者に認識され、忖度が働いたのではないかとの疑いを受けたこと、また、現在の特区諮問会議等の枠組みが、そのような疑念を払拭できるものではなかった点に問題がなかったとは言えないと思いますし、特区諮問会議の議長である私自身が、利益相反についての問題意識が若干欠けていたことは反省すべきだろうと思います。今後、国家戦略特区の運用においてこのような疑念が生じることのないよう、「岩盤規制」を守ろうとする規制官庁と、それを崩そうとする民間議員との間で、公正・中立な判断が行われ、規制緩和の恩恵を受ける事業者の選定においても疑念を受けないようにするための枠組みを作ることなど、改善を検討していきたいと思います。

このように[B]のコンプライアンス問題を意識した適切な答弁を行い、国家戦略特区諮問会議の構成や運営を改善する方針を示していれば、加計学園問題は、その時点で収拾できていたはずだ。

ところが、「全く問題ない」と言い切ったために、実際に、安倍首相の指示・意向があったか否かは別として、国家戦略特区の枠組みで、従来の文科省の方針に反して獣医学部の設置認可を迫られたことに対する文科省関係者の反発を招き、その後、「総理のご意向」などと書かれた内部文書の存在が指摘され、前川氏が記者会見で「文書は確かに存在した」「文科省の行政が捻じ曲げられた」と発言するという、安倍首相にとっても内閣にとっても最悪の事態に発展していった。

そして、さらに火に油を注ぐことになったのが、このような文科省側の動きに対して、菅義偉官房長官を中心とする首相官邸側が、読売新聞を使って前川氏の個人攻撃を行うという「禁じ手」まで使い(【読売新聞は死んだに等しい】)、一方で、文科省の文書に関する調査に関する要求には、「法令遵守」を振りかざす対応に終始したことである。文科省の当初調査では文書の存在が確認されず、その後、文科省の事務次官を務めていた前川氏が「確かに存在していた」と証言したが、菅氏は「怪文書のようなもの」と切り捨てた。それによって、内部からの告発証言が相次ぎ、再調査を求める声が高まっても、「法令に基づいて適切に対応している」と言い続けて、再調査を拒否し続けた。そして、結局、再調査をせざるを得ない状況に追い込まれ、再調査の結果、文書の存在が確認された。当初の調査は、文書の存在を確認するためのものだったのに、実際にはその文書を隠ぺいした疑いが日に日に高まっていった。「隠ぺい」は組織に対して厳しい批判の根拠となる事実だが「法令違反」の問題ではない。そういう問題について、「法令に基づいて適切に対応している」という言葉だけで済ませようとしたのは、明らかに間違っていた(日経BizGate【「法令遵守」への固執が安倍内閣の根本的な誤り】)。

菅氏の対応は、「利益相反」という「法令遵守を超えたコンプライアンス問題」であった加計学園問題について、内部告発的な動きがあったのに対して、「法令遵守」の考え方で押し切ろうとしたところに最大の問題があった。

このように、安倍氏や菅氏が[B]の問題を十分に理解せず、さしたる根拠もない[A]について躍起になって否定するという対応を重ねていったことで、逆に、安倍首相の指示・意向ないし「忖度」という[A]の事実について、疑いが相当程度あるように世の中から認識されるようになっていった。


第3「岩盤規制」と規制緩和をめぐる議論([C])

[A]の安倍首相の指示・意向等の事実に関して直接の証拠はないものの、前川氏の証言等によって、相当程度推認が働き、[B]のコンプライアンスの問題については、問題意識を欠いたまま「法令遵守」的対応を繰り返して墓穴を掘った官邸・内閣府側からの「反撃材料」として出てきたのが、獣医学部新設の規制緩和に関連する「挙証責任」論だった。それは、[A][B]に関して、致命的な誤りを犯してしまった政府側にとって、極めて重要な「防衛線」であった。

国家戦略特区諮問会議の有識者議員(民間議員)及び同ワーキンググループ(WG)委員は、6月13日に記者会見を行い、今治市に獣医学部の新設を認めた手続にも経過にも全く問題はない(「一点の曇りもない」)と断言した。その理由とされたのが、

獣医学部の新設を「門前払い」する文科省の告示は、もともと不当なものであり、それを維持するのであれば文科省に「挙証責任」がある。「挙証責任」を果たさなかった文科省は、その時点で「負け」であり、告示を改正して獣医学部の新設を認めるのが当然であり、その当然の結果として、特例として加計学園の獣医学部新設が認められた。

という「挙証責任」論だった。

高橋洋一氏は、それに加えて、《2016年3月末の期限までに挙証責任を果たせなかったことで「議論終了」、文科省の「負け」が決まり、「泣きの延長」となった2016年9月16日時点でも予測を出せずに完敗》との理由で、国家戦略特区で獣医学部の新設を認めたことに「総理の意向」が働く余地はないとの主張(「議論終了」論)を、ネット記事やテレビ出演等で繰り返した。

そして、この高橋氏の主張の「受け売り」のような発言をしていた国家戦略特区を担当する地方創生担当大臣の山本幸三氏は、閉会中審査の答弁で、

国家戦略特区の基本方針に、規制所管府省庁が規制、制度の見直しが適当でないと判断する場合には、正当な理由を適切に行わなければならないと書いてある。その規制監督省庁はこの場合文科省なので、文科省が責任を持って、ちゃんと需要が足りている、あるいは4条件を満たしていないということをきちっと説明しなければ、基本方針にのっとって、当然そういう説明がない、つまり正当な理由がないということになって獣医学部を新設するということになる。

と述べた。

また、閉会中審査に参考人として出席した国家戦略特区諮問会議WG委員の原英史氏は、「そもそも規制の根拠の合理性を示す立証責任が規制の担当省にあり、いわゆる4条件もその延長上にある」との前提で、その文科省の告示で「門前払い」していた獣医学部新設を、特例として認めたことについて、「4条件」が充たされている。

と説明した。

さらに、自民党の青山繁晴議員は、

9月16日WGで文科省の課長補佐が挙証責任は大学や学部を新設したいという側にあるとの発言をしたが、これに対して原氏が「挙証責任が逆さまになっている」と指摘し、その後文科省側の反論が一切ないので「議論はそこで決着」してしまっている。

と述べ、さらに

なぜ挙証責任が文科省にあるかといえば、大学や学部新設の許認可は全て文科省が握っているからだ。文科省もこれがわかっているから反論しなくて、言わばそれで決着している。

と、高橋氏と同様の「挙証責任」「議論終了」論を、WGの議事録に基づいて主張し、参考人の前川氏に意見を求めた。

これに対して前川氏は、

内閣府が勝った、文科省が負けた、だから国民に対してはこれをやるんだと説明する、というのでは国民に対する説明にはならない。挙証責任の在りかということと、国民に対する説明責任とは全く別物で、国民に対する説明責任は政府一体として負わなければならない。挙証責任があって、その議論に負けたから文科省が説明するんだという議論にはならないはずだ。

と答えた。

首相官邸、内閣府、自民党、国家戦略特区民間議員等の側が、最近の議論では、「挙証責任」論を最大の根拠としているのに対して、その「挙証責任」論を真っ向から否定する主張をしているのが前川氏である。しかし、この点の議論は、民進党、共産党等の野党の国会質問ではほとんど取り上げられておらず、もっぱら[A]に関する追及を続けている。

● 「挙証責任」論をめぐる主張の整理

このような政府側、諮問会議、WG民間議員側の「挙証責任」に関する主張を[C]と表現して整理してみよう。

まず、首相官邸側、自民党側が言いたいことは、

《告示によって獣医学部の新設を一切認めないという岩盤規制を50年以上守り続けてきた文科省には、規制の正当性に「挙証責任」があり、それが果たせなかったので、告示が一部改められて獣医学部の新設が認められたのは当然だ》
ということだ。

その根底には、「そもそも、経済活動は自由が原則であり、それを規制する官庁には、その合理性についての挙証責任がある」という考え方がある。2014年2月25日の国家戦略特別区域基本方針の閣議決定における

「新たな規制の特例措置の実現に向けた規制所管府省庁との調整は、諮問会議の実施する調査審議の中で、当該規制所管府省庁の長の出席を求めた上で実施する。その調整に当たり、規制所管府省庁がこれらの規制・制度改革が困難と判断する場合には、当該規制所管府省庁において正当な理由の説明を適切に行うこととする。」

との記載を、規制官庁には規制の合理性について「挙証責任」があるとの趣旨として理解するものだ。国家戦略特区諮問会議の民間議員らが記者会見で述べた主張がまさにそれである。

しかし、規制一般について、このような「挙証責任」論によるべきというのが国の方針と言えるのかどうかは問題である。また、それが獣医学部の新設の問題にそのまま適用できるかどうかは、別の問題である。獣医学部の新設については、直接的には、石破茂氏が地方創生担当大臣の時代の2015年6月30日の「4条件」の閣議決定があるのであり、そこで、一般的な規制緩和についての「挙証責任」論とは異なる考え方がとられていれば、その閣議決定を根拠とすべきということになる。

そこで、「挙証責任」論によって獣医学部新設が正当化できるという主張を、規制緩和一般についての[C]①と区別して、[C]①+と表現することとする。

WG議員の原英史氏の閉会中審査での

「『4条件』の閣議決定も『挙証責任論』に基づいており、加計学園の獣医学部新設は『4条件』を充たしている」

とする上記発言は、まさに[C]①+の主張である。

このような[C]①及び[C]①+をさらに過激化させ、文科省の「総理のご意向」等を内容とする文書や前川氏の証言の証拠価値を完全に失わせようとするのが、[C]②の高橋洋一氏と青山氏の「議論終了」論である。

これらの主張が認められるのであれば、文科省文書も、前川氏が「行政が捻じ曲げられた」と述べている経緯も、獣医学部新設が実質的に決定されて何の議論の余地もなくなった後の文科省内の「負け惜しみ」の話で、加計学園をめぐる疑惑は全く存在しないのに、それを敢えて問題として取り上げる前川氏や文科省内の内部告発者は、「官僚の風上にもおけない人間」ということになる。

それに対して、前川氏が主張しているのは、第一に、「加計学園の獣医学部新設は『4条件』を充たしていない」とするもので、[C]①+を否定するものだ。また、その背景となる[A]①の主張に対しても、上記のとおり「国民に対する説明責任は政府一体として負わなければならない」と反論している。

● [C]①+と[C]②の主張の誤りは明白

 【加計問題での”防衛線”「挙証責任」「議論終了」論の崩壊】でも述べたように、上記の[C]の各主張のうち、高橋洋一氏が主張する[C]②については、7月8日放送のBS朝日【激論!クロスファイア】で、少なくとも、「2016年9月16日国家戦略特区WGで議論が終了した」との主張は、WG議事録からは、むしろ9月9日の諮問会議での安倍首相の発言を受けて9月16日WGが開かれ、そこから獣医学部新設問題が議論されていることは明らかであるとの私の指摘で、ほぼ完全に否定された。また、[C]①+の主張についても、この「4条件」の閣議決定の

《現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり、かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。》

の文言からは、文科省側に、4条件すべてについて「挙証責任」があるとは考えられないし、実際に、2016年3月末までに文科省が「挙証責任」を果たさなかったことで、獣医学部新設についての議論が決着したことを前提にした動きは、文科省側にも内閣府側にも全くなかった。少なくとも、「挙証責任」論を獣医学部新設の問題の根拠とする余地がないことは明らかだ。

[C]①+、[C]②の主張は、それが正しいとすれば、[A]①の安倍首相の指示・意向の推認につながる前川氏の証言や文科省の文書の証拠価値を否定し、獣医学部の新設の問題への安倍内閣の対応を正当化することにつながるが、既に述べたように、全くの誤りである。WG議事録に基づいて2016年9月16日WGで「議論終了」だとする青山氏の主張も、獣医学部新設が「4条件」を充たしているとの原氏の主張も「4条件」の閣議決定に関する[C]①+の主張が否定されれば根拠を失うことになる。

ところが、前回の閉会中審査では、この点についての野党側の反論は全くなく、前川氏が、質問に答えて説明しているだけである。そのため、加計学園問題に関するネット等の議論の中で、今なお[C]①+、[C]②が根強く主張されている。

そして、それらの主張の根底にある[C]①の規制緩和一般についての「挙証責任」論が声高に主張され、国家戦略特区の規制緩和策を進めていくことが「岩盤規制の撤廃」として全面的に肯定されるかのような認識を生じさせているため、そのような主張の信奉者にとっては、加計学園の獣医学部新設は、「岩盤規制の撤廃」による当然の結果であり、疑惑など何もないという認識につながり、疑惑を指摘する側と、真っ向から意見が対立し、全くかみ合わない状況になっている。

そこで、そのような[C]①の主張の背景にある

《長期間続いている「岩盤規制」は、既得権益を擁護しようとするだけのもので、それを擁護する側の規制官庁が、規制を求める側が納得するような「説明」を行わない限り、規制は撤廃されるべき》

との考え方に基づいて、国家戦略特区の場で一刀両断的に規制緩和を決定しようとすることが果たして正しいのかを、改めて考えてみる必要がある。それは、加計学園をめぐる疑惑に関してだけではなく、我が国の経済政策や行政における規制の在り方論にもつながる重要な問題である。

●「挙証責任」論は正しいのか

[C]①の規制緩和一般についての「挙証責任」論に関しては、そもそも、「挙証責任」という言葉を、国家戦略特区の枠組みでの規制緩和の議論において持ち出すことが適切なのかという根本的な疑問がある。

「挙証責任」という言葉は、一般的に、我々弁護士が関わる訴訟の場で使われる言葉である。挙証責任を負う当事者側が、その責任を果たすことができなければ敗訴し、それによって不利益を受けるということである。

国家戦略特区に関して論じられている、規制緩和に関する「挙証責任」というのは、規制の合理性を主張する官庁側と、規制の撤廃を求める国家戦略特区諮問会議及びWGとの間の争いである。訴訟の場における挙証責任と決定的に違うのは、訴訟の場合は、挙証責任が果たされたか否かを「中立かつ独立の裁判所」が判断するのに対して、国家戦略特区の枠組みには、「挙証責任」が果たされたかについての「中立的な判断者が存在しない」ということである。諮問会議やWGの議論を主導する「民間議員」は殆どが、規制官庁側に規制緩和を徹底して求めている人達であり、そのようなメンバー構成の会議で、規制官庁側の説明に民間議員が納得しなければ、規制緩和の結論が決まるというのは、「挙証責任」の世界の話ではない。訴訟の場における「挙証責任」との比較という面からは、国家戦略特区での規制緩和の議論に関しては、「挙証責任」という言葉を持ち出すこと自体が適切とは言い難い。

もっとも、「岩盤規制の撤廃」に関して持ち出される「挙証責任」論は、訴訟の場で使われる「挙証責任」とは異なった意味で用いられているようだ。

《岩盤規制は、既得権益を保護する「利権集団」と規制官庁が結託した「悪」そのものであり、当事者の規制官庁が、その正当化事由を説明できなければ当然に撤廃すべきもの》

と主張することが目的で、「挙証責任」という言葉は、規制官庁側の「規制維持論」を抑え込むため「反論・説明のハードル」を上げる手段として使われているように思える。

確かに、これまで多くの分野で「規制緩和」が経済社会に、そして、消費者に利益をもたらしてきたことは事実である。例えば、酒税徴収の確保を「表面上の理由」とする酒類販売の「免許」制は、長らく零細な酒類販売店の既得権益を保護してきたが、今では、その規制は大幅に緩和され、消費者に利益をもたらしている。一般医薬品のネット販売のように、行政訴訟に対する最高裁判決で「国の規制は違法」とされて規制緩和が行われ、消費者の利便が拡大した例もある。

実際に、このような「岩盤規制」の「緩和」「撤廃」が消費者に大きな利益をもたらしてきたことは確かであり、世の中には、この「岩盤規制=悪、規制を擁護する官庁=悪、弁解がなければ撤廃が当然」という主張はわかりやすく、支持されやすい。

しかし、問題は、規制の緩和・撤廃の方法如何では、逆に大きな社会的問題が発生する場合もあるということである。

貸切バス業界は、最低運賃が法定されていて運賃が高値に維持され、免許制で参入も規制されていた、まさに「岩盤規制」に守られた「既得権益」の世界の典型だったが、2000年に「免許制」が廃止され、運賃設定の大幅規制緩和の結果、小規模事業者の新規参入が増え、一気に過当競争の状態になった。運賃は下落の一途をたどり、貸切バス事業者の経営状態は悪化し、運転手の待遇が劣悪化した。それが、2007年2月の長野県のあずみ野観光の大阪でのバス事故、2012年の関越自動車道のバス事故、2016年1月に、軽井沢でツアーバスが谷底に転落して多くの大学生等が死傷する事故などの重大な事故が相次いだ。

「岩盤規制」を撤廃して競争を機能させ消費者利益を図るという方向自体は間違っていないが、その規制を緩和し競争の機能を高めていこうと思えば、安全を確保するための、違法行為、危険な事業に対する監視監督が必要だ。ところが、国交省の所管部局にはそれを適切に行う力がなかった。「岩盤規制=悪、規制を擁護する官庁=悪、弁解がなければ撤廃が当然」との考え方で行政当局の抵抗を押さえつけて規制の撤廃・緩和を強要するやり方には危険な面もある。

また、獣医学部の新設がまさにそうであるように、国家資格の取得を目的とする大学・大学院については、国家資格が取得できるだけの教育の水準を維持すること、そのための教員を確保することが特に重要となり、それと、国家資格取得者の需給関係を考慮することには合理性がある。

法科大学院は、全国で74校が認可申請し、ほとんどフリーパス同然に認可されたが、結果的には、既に35校が募集停止に追い込まれている。各法科大学院に膨大な額の無駄な助成金、補助金が投じられ、巨額の財政上の負担を生じさせたばかりでなく、司法の世界をめざして法科大学院に入学した多くの若者達が、法曹資格のとれない法科大学院修了者となり、資格が取れても受け入れ先が十分ではなく、路頭に迷うという悲惨な結果をもたらした。その直接的な原因は、法科大学院の教育の質が確保できなかったことにある。最近、法科大学院を修了せずに司法試験を受験する資格が得られる予備試験合格者の方が、法科大学院修了者より、はるかに合格率が高いということからも、法科大学院が、少なくとも司法試験という国家試験合格のための教育の質を確保できなかったことは明らかだ。

そもそも、それまで法学部を設置していた大学に、法科大学院を上乗せして設置を認めたことが重大な誤りだった。(アメリカには学部修了後のロースクールはあるが、法学部はない。韓国では法科大学院設置に伴って法学部を廃止した。)法曹資格取得のための法律の専門教育を行う人材がどれだけ確保できるかということを十分に検討せずに、フリーパスで法科大学院の設置を認めたために、教育の質が確保できなかったことが失敗を招いたのである。

教育の質の確保は、大学の設置認可において、規制撤廃が常に善だとする考え方に対する制約要因になることは否定し難い。

そして、もう一つ重要なことは、規制の撤廃は、その手法によっては、今回の獣医学部の新設問題がまさにそうであるように、公正・中立が疑われる事態を招くということである。

規制を全体的に緩和するのではなく、一定の地域のみ、しかも、それに条件を付けて規制の例外を認めるやり方は、規制緩和の恩恵を社会全体にもたらすのではなく、特定の事業者だけに利益をもたらすことになりかねない。この点において国家戦略特区での規制緩和の枠組みにはなお大きな問題が残されていると言える。

● 規制緩和をめぐる議論が置き去りにされている国会の現実

ところが、加計学園問題に関連して、規制緩和と行政の在り方という重要な問題が議論された形跡は全くない。内閣府や諮問会議、WG民間議員の側が、「4条件」の閣議決定の解釈や国家戦略特区での議論の経過を捻じ曲げて主張しても野党側は放置し、その背景にある「規制緩和万能論」に対する疑問を示す姿勢も全く見られない。

民進党は、加計学園問題の追及と併せて、国家戦略特区を廃止する法案を提出したようだが、それならば法案に関連し、規制緩和の進め方・岩盤規制の撤廃が新たな利権を生むことがない仕組み作ることなど、現在の国家戦略特区の制度を抜本的に改めることを国会で議論すべきだろう。単に廃止法案を出したというだけでは、安倍政権と国家戦略特区の関係を非難するだけの目的で行っている非生産的議論とみなされても致し方ない。

このような議論が国会でほとんど行われないことが、ネットの世界等で「挙証責任」などという言葉が持ち出され、議論が全くかみ合わない現状にもつながっている。


第4 「犯罪の疑い」はあるのか

ネットでしばしば見られるのが、「加計学園をめぐる疑惑に関しては、違法行為の疑いも犯罪の疑いもないではないか」という安倍首相支持者からの意見だ。

もともと、国家戦略特区という法律による枠組みを使って獣医学部新設が認められたのであり、その手続自体が適法に行われることは当然であり、違法行為がなかったからと言って問題ないとは言えないことは、第2でもコンプライアンスに関して詳述した。

かかる意味では、表面に出ている事実に関して「違法行為」を窺わせる事情はない。

しかし、「犯罪の疑い」というのは、もともと表面化しにくいものであり、捜査機関の捜査によらなければ明らかにならないものだ。

今回の一連の動きの中で、私が、もし、現職検事であれば関心を持って、内偵を行っていたと思えるポイントを、いくつか指摘しておこう。

(1)「平成30年4月開学」という条件設定
最大の問題は、「平成30年4月開学」という条件が設定された理由である。

前川氏も、閉会中審査で、

設置認可申請・審査・認可に至るプロセスは1年あればできるが、それ以前に文科省の担当者が十分に申請予定者と打合せをする必要があり、獣医学部については申請ができない建前になっていたので、事前相談ができないので、30年4月の開学に間に合うように準備を進めることは難しいと思っていた。

と述べていた。

しかし、実際には、昨年8月に、担当大臣が石破氏から山本氏に変わった後、国家戦略特区WGでの議論が再開され、「平成30年4月開学」に向けて、内閣府から文科省に強い要請が行われ、結局、その条件に沿うようなスケジュールでの決定が行われた。

そして、「平成30年4月開学」に間に合う時期に、獣医学部の正式な認可申請が出され、大学施設の建設工事に着工している。今治市での獣医学部の設置が決定されたのが、今年1月12日の国家戦略特区今治分科会で、加計学園は、その2ヶ月余り後の3月下旬には、文科省に設置申請を提出し、建設工事に着工している。

(2)高度なバイオ研究施設であること

今回の国家戦略特区での獣医学部新設の認可は、「ライフサイエンス等の新たな分野における獣医師養成や研究」という目的で認められたものであるが、獣医学部のそのような教育・研究を行うとすると、施設面や人的な安全対策が十分であるか否か慎重な検討が必要であることは言うまでもない。

「人畜共通感染症を初め、家畜、食料を通じた感染症の発生が拡大する中、創薬プロセスにおける多様な実験動物を用いた先端ライフサイエンス研究を行う」(第2回今治分科会における柳澤岡山理科大学学長の発言)ということをビジョンとして掲げているのであるから、細菌・ウイルスなどの微生物・病原体等を取り扱う実験室・施設のバイオ・セーフティー・レベル(BSL)が問題となる。

今年3月24日の今治市議会国家戦略特区特別委員会で、実験施設での病原体の取り扱いについての質問があり、市の秋山直人企画課長が

危険度を分類したバイオセーフティーレベル(BSL)で3(鳥インフルエンザ、結核菌など)に対応する施設を整備するが、現時点では取り扱う病原体は2(インフルエンザ、はしかなど)以下のレベルと聞いている。

と答えたとされているが(毎日)、「BSL3に対応する施設」には、「排気系を調節し、常に外部から実験室内に空気を流入させること」「実験室からの排気は、高性能フィルターを通し除菌した上で大気に放出する」「実験は生物学用安全キャビネット(バイオハザードを封じ込めるため排気を滅菌するドラフトチャンバーを設置した箱状の実験設備)」などの施設が設けられ、AAALACによる動物実験認証等、動物実験施設が安全であることの認証を取得することも必要となる。

新学部の設置が検討されている場所は、人里離れた土地ではなく、今治新都心の区画整理事業でできた土地であり、近隣には住宅もあり、大規模ショッピングモールもある。鳥インフルエンザ等の人畜共通感染症のウイルス自体を取り扱ったり、実験動物に感染させたりすることが必要になるのであれば、排気等を通じて万が一にも実験施設の外に出ることがないよう、十分な安全が確保される構造で建築設計をした上、設計通りの安全な施設が建設されるよう信頼できる建築業者に工事を施工させることが必要になることは言うまでもない。

(3)事業決定後2ヶ月余で建設工事着工

ところが、信じ難いことに、今治市での獣医学部の設置が決定されたのが今年1月12日の国家戦略特区今治分科会、その2ヶ月余り後の3月下旬には、加計学園は、今治市での校舎建設工事に着工しているのである。

しかも、このような高度なバイオ研究施設であれば、そのような施設建設の経験・ノウハウを持った企業に発注するのが当然のはずだが、工事を受注したのは、加計学園と同じ岡山の地元建設企業のアイサワ工業という、資本金15億円、直近の年間売上250億円余という中堅の建設会社であり、凡そ、世界の最先端のバイオ施設の150億円もの規模建設工事を受注するのに相応しい企業とは思えない。

(4)加計学園側の「特別の事情」があった可能性と今治市の対応

常識的にはあり得ない「平成30年4月開学」を、何が何でも実現せざるを得ない「特別の事情」が加計学園側にあったのではないかとの疑問が生じる。しかも、加計学園は、全国多数の大学を運営しているが、公開されている大学の収支のほとんどが赤字で、特に、2004年に銚子市から巨額の補助金を受けるとともに用地の無償貸与等を受けて建設した千葉科学大学も、各学部が軒並み定員割れの状況であり、大きな損失を生じている可能性がある。

このような状況で、今治市に建設される加計学園の獣医学部に対しては、今治市から総額96億円の補助金に加えて、36億円の用地を無償譲渡することが決定されている。

この無償譲渡は、銚子市からの「無償貸与」よりも加計学園にとって有利な方法であり、土地を担保に入れることも許容されており、要するに、土地の無償譲渡を受けることによって、加計学園にキャッシュフローで大きなメリットをもたらすのである。

しかも、今治市が提供する市有地は、取得にコストがかからない遊休地ではない。「今治新都市」の区画整理事業で巨額の費用をかけて土地開発公社が造成した土地で、今治市は、まだ加計学園が事業者に決定していない昨年12月に、30億円以上の市税を使って土地開発公社から土地を購入し、それを、加計学園に無償譲渡したのである。

(5)加計理事長は、なぜ一切「説明」しないのか

それに加え、「平成30年4月開学」は、加計学園側の財務状況に関連する「特別の事情」によるものだったのではないか。今治市が獣医学部新設に巨額の負担を行うことが合理的なのか、加計学園のアイサワ工業への発注の価格は適正なものだったのか、支払われた工事代金が、加計学園側にキックバックされている可能性はないのかなど、私が、今も現職の特捜検事であれば、関心を持って内偵捜査しているであろうと思える点は多々ある。

そして、最大の問題は、加計理事長が、本件が問題化して以降、全く公の場に姿を現さず、加計学園側は何の説明も行っていないことである。それどころか、学校法人加計学園としても、今回の獣医学部新設問題が国会で取り上げられても、学部新設計画の中身やその価値などについて、世の中に対して説明し、納得を得るための努力は一切行っていない。

学校の新設認可をめぐって、国から不当に優遇を受けた疑いから問題が表面化した森友学園の問題では、理事長の籠池氏は、早い段階から、マスコミに対応し、記者会見も開くなどしていた。それと比較すると、加計理事長及び加計学園側が全く沈黙していることは、獣医学部の新設をめぐる動きや学園の運営等について説明し難いことがあるのではないかとの疑いを持たれることにつながる。

第5 安倍政権側と野党側の対応を斬る

 1 加計学園問題についての安倍政権側の対応の問題

加計学園の問題に対する安倍内閣側の対応が、拙劣極まりないものであったことは、これまで述べたとおりである。もともと、「利益相反」というコンプライアンスの観点からは問題がないとは言えなかったのに、安倍首相は「関係法令に基づき適切に実施している」などと全く問題がないかのように言い続けてきた。その[B]に関する対応の誤りが、文科省からの内部文書の噴出、前川氏の公の場での発言という事態を招き、それが、逆に、[A]の安倍首相の指示・意向についての疑いを深めることにつながった。それに加えて、内閣府側の文書・資料を全く示さず、菅官房長官が「法令に基づき適切に対応」と言って文科省の文書についての再調査を拒否し続けるなど、拙劣極まりない対応を続け、内閣への信頼失墜、支持率の急落を招いた。その経過は、ほとんど「自滅」に近いものである。

このような対応を行ったのが、安倍首相側に、加計理事長との関係で何らかの「隠したいこと」「表に出せないこと」があったことによるものであれば致し方ないとも言える。しかし、もし仮に、安倍首相側に本当に何もやましいことがなく、官邸・内閣府に対する指示・意向も全くなく、安倍首相と加計氏との親密な関係は、国家戦略特区での加計学園の獣医学部新設を認めることに全く無関係だったとすれば、それにもかかわらず、安倍首相にとってここまで深刻な事態に至ったことは、すべて安倍政権側の対応の誤りのためということになる。そうだとすると、安倍政権の危機対応能力の欠如は、ほとんど病気に近いものと言わざるを得ず、これからの国の内外における様々な危機対応は本当に大丈夫かという深刻な疑問が生じざるを得ない。

少なくとも、今後、国会の閉会中審査等での加計学園問題への対応に関しては、改めて、何が問題であったかを、コンプライアンス上の問題も含めて、全体的に検証し、今後は、問題の本質に即した適切な対応を行っていく必要がある。もちろん、ここまで不信を拡大してしまったというのが現実なのであるから、[C]の問題を防衛線にするだけでなく、[B]について改めて問題意識を説明し枠組みの改善に言及し、[D]の「犯罪の疑い」についても、可能な限り調査を行って疑惑を払拭する努力を行うべきであろう。

2 野党側の追及の問題

一方、誠に深刻なのは、ほとんど「自滅」に近い安倍政権側の拙劣な対応に対して、国会で、何が問題なのかということを理解しているとは思えない拙劣な「追及」しかできなかった野党側、とりわけ民進党の対応である。

加計学園問題に対する野党側の対応は、[A]の安倍首相の指示・意向に関する有力な間接事実として表に出てきた文科省の内部文書や前川氏の発言に便乗して[A]に関する追及をしているだけで、本来、国会の場で行うべき、加計学園問題の本質に関わる重要な指摘は全くできていない。

[B]のコンプライアンス問題については、野党側はほとんど問題を指摘し追及した形跡がないし、安倍政権側が、防衛線としてきた反論[C]については、閉会後審査で、原英史氏等が、誤った解釈に基づいて一方的な発言をしているのに、全く質問も反論も行わなかった(少しは、問題の所在を理解してもらいたいと考えて、閉会中審査に間に合わせるべく出したブログ記事【加計問題での”防衛線”「挙証責任」「議論終了」論の崩壊】も全く効果がなかったようだ。)。

加計学園問題は、単に、総理大臣が「腹心の友」に有利な指示・意向を示したか、という個別の問題だけではなく、その背景となった、規制緩和と行政の対応の問題、国家戦略特区をめぐるコンプライアンスに関する議論など、多くの重要な論点が含まれているのであり、国会での追及は、そのような点に関連づけて幅広く行っていくべきだった。そのような姿勢をとっていれば、今回の問題を通して国会の議論を深めることにもつながっていたであろう。しかし、実際の野党の追及は、そのような「政策」を意図することなく、安倍首相に対する個人攻撃ばかりを繰り返す「政局」的な追及に終始してしまった。

このような国会での追及の状況からは、安倍政権への支持が急速に低下しても、野党がその受け皿になり得ないのは当然のことである。その結果、最近の世論調査では、「支持政党なし」が6割を超えるという異常な状況になっているのであるが、実際に国会で政治を行っている議員のほとんどは政党に属しているのに、国民の3分の2近くが「支持政党なし」という現状は、多くの国会議員は、国民から支持されないで政治を行っているということであり、そのような状況を早急に何とかしないと、日本の民主主義は崩壊してしまうことになりかねない。

3 安倍首相が出席する閉会後審査で、野党が行うべきこと

安倍首相も出席して行われる予算委員会での閉会後審査で、野党が行うべきことは、[A]の安倍首相の指示・意向に関する追及ではなく、問題の本質である国家戦略特区の在り方、「規制緩和」論について、[B]のコンプライアンス上の問題も踏まえて、安倍首相に対して中身のある追及を行うことである。

第3で[C]の「挙証責任」の問題に関して、いくつかの事例に即して述べたが、「安全と競争」の関係、教育の質の確保、若年世代の職業選択と高等教育の関係など、規制緩和の進め方と行政の対応の在り方にしては、様々な問題があるのであり、「岩盤規制の撤廃」が常に絶対的な「善」だとする「規制緩和万能主義」の考え方に基づいて、国家戦略特区の枠組みで一刀両断的に押し切ってしまうやり方には議論の余地があり、その枠組みそのものの是非こそが、重要な政治上の議論になるべきであり、ある意味では、その点についての考え方の違いは、与野党の政策の対立点にもなるべき事項であろう。

[A]に関しては、安倍首相をいくら追及しても実質的にはあまり意味はない。文科省の文書や前川氏の証言で、[A]に関する間接事実としては既に十分であり、官邸・内閣府側が、従来の不誠実な対応を抜本的に改めない限り、疑いが解消されることはあり得ない。(その点の追及を期待する国民も多いので、ある程度はやらざるを得ないであろうが、基本的には、政府側の対応に応じて考えれば十分だと思われる。)この点に関して、前川氏が証言する「前川氏が和泉首相補佐官から『総理は自分の口から言えないから、私が代わって言う』と言われた事実」について野党側は、和泉補佐官の参考人或いは証人としての喚問を強く要求しているが、それ程意味のあることとは思えない。もし、和泉氏が参考人等で国会に出席し、上記発言について質問されたとしても、「前川氏との会話の中で、『加計学園』のことに言及する際、『総理が言えないから』というような言葉を使った可能性はある。それは、文科省が岩盤規制を撤廃しようとしないので、文科省側を説得するために、安倍首相から格別の指示はなかったがそのような言い方をして文科省側を動かそうとしただけだ」と答弁されてしまえば、それ以上、追及のしようがない。

第4で述べた「犯罪の疑い」の問題についても、基本的には捜査機関の判断の問題であるが、指摘した問題について野党として調査検討することは重要である。特に、本件の加計学園のように、私立大学が、ほとんどの資金を地方自治体等からの公的な補助によって大学施設を建設しようとしている場合、工事の発注について何らのチェックも受けず、勝手に業者を選定して任意の価格で発注できるとすれば、そこには、制度上重大な問題があるのであり、公費の支出の在り方に関連するものとして、まさに国会で議論すべき重要な課題である。

野党が慎まなければならないのは、安倍首相の指示・意向に関する[A]についての追及に終始するという「愚」を繰り返すことである。

安倍政権側の「自滅」と野党側の「無策」のため、加計問題をめぐる重要な論点が国会で議論されないまま置き去りにされていることで社会の「二極化」を招いている現実に目を向けなければならない。

安倍首相が出席する予算委員会では、問題の本質に迫る中身のある追及と議論が行われることを期待したい。


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