欧州のテロをあおるイスラム宗派間の争い 火に油を注ぐ米大統領の中東訪問
トランプ大統領はサウディで「対テロでの団結」を強調したが、その対象は「イランやヒズブッラーやハマース」で、肝心の対「イスラーム国」対策は具体的には打ち出していない。
イランとその味方のシーア派勢力を封じ込めたいサウジの支援することが柱で、イスラム社会の宗派間、宗派内対立を再燃させようとしているとのコラム、レポート。
サウジは過激な原理主義でテロ集団の精神的支柱を提供してきたし、サウジ・湾岸諸国の富裕層からの資金提供も報告されている。また、抑圧的な政治体制が、暴力的なイスラム主義が育つ環境を提供してきた。
そうしたことへの視点もなく、また、イラン、アフガン戦争で宗派対立、テロの拡大をもたらした自らの責任もふれることのなく、対立の火に油を注ぐような外交では、中東に平和はこないし、テロの拡散も防止できない。こんな米国に付き従っていたら日本は大変なことになる。
【トランプの露骨なイラン包囲網に浮足立つイスラム社会 酒井啓子 中東徒然日記 5/31】
【欧州のテロを煽るイスラム宗派間の争い 英マンチェスター爆破テロとトランプ米大統領の中東訪問 FT5/26】
【イスラーム過激派:ロンドンでの襲撃事件 中東調査会6/5】
【トランプの露骨なイラン包囲網に浮足立つイスラム社会 酒井啓子 中東徒然日記 5/31】<イランとその味方のシーア派勢力を封じ込めたいサウジの思惑に乗ったトランプ。イスラム社会の宗派間、宗派内対立の火種を再燃させるおそれが>
5月20-21日に実施されたトランプ大統領のサウディアラビア訪問は、サウディアラビアとトランプ側の報道を見る限りでは、大成功のうちに終わった。アラブのみならず、南アジアや中央アジア、東南アジアのイスラーム諸国からも参加を得て、サウディ主導のイスラーム諸国サミットは、大盛況。米国側も、1100億ドルの武器輸出契約をサウディと結んで、商売繁盛にご満悦の様子だ。
だが、結集したイスラーム諸国の首脳を前に、トランプ大統領が「テロに対して一致団結を」と演説をぶち上げたのに水を差すような出来事が、その後続いている。英マンチェスターでのコンサート会場での自爆事件に続いて、エジプトではコプト教徒への襲撃事件が起きた。
大体トランプ大統領はサウディで「対テロでの団結」を強調したが、その対象は「イランやヒズブッラーやハマース」で、肝心の対「イスラーム国」対策は具体的には打ち出していない。結局のところ、イランとその味方の勢力を中東で封じ込めたいサウディの言いなりになっただけじゃないか、という声が聞こえてくる。案の定、イランや反サウディ系のメディアでは、「イスラーム国の最大の支援者であるサウディを糾弾せずして、何が対テロ政策か」との非難が相次いだ。
東はマレーシアやインドネシア、西はセネガル、北はカザフスタンから南はマダガスカルまで、イスラーム諸国がこぞって首脳級を派遣したのに、すっぽり抜けている国がある。それがイランだ。「イスラーム諸国会議」の体をとりつつも、シーア派外しになっている。同じくシーア派イスラーム政党が与党となるイラクは、クルド出身の大統領を派遣して、体裁を整えた。
【参考記事】イランはトランプが言うほど敵ではない
露骨なイラン=シーア派包囲網成立に、宗派対立を煽るムードが生まれる。サミット最終日にバハレーンでは、同国最大野党ウィファークの精神的指導者でシーア派宗教指導者のイーサ・カースィムへの有罪判決が下され、それに反対するシーア派住民によるデモが激化、官憲と衝突した。
それまで宗派対立を回避しようとしてきた努力すら、放棄されるふしもある。イラク戦争以前にシーア派、スンナ派が共存してきたイラクでは、戦後も、要所要所の宗教行事では、宗派間の調整が行われてきた。
ラマダン(断食)月の開始日の決定が、良い例である。いつラマダン月に入るか、スンナ派とシーア派の宗教界でしばしば判断がずれるが、イラクでは両派は同じ日にラマダンを開始できるような努力が見られていた。今年も、スンナ派宗教界の「ファトワー庁」は、最初シーア派最高権威のシスターニー師の意向に沿う予定としていた。だが結局のところサウディなど他のスンナ派諸国と同じ日のラマダン開始となったのである(もっとも、シーア派でもシスターニー以外はスンナ派の日程と同じにしたようだが)。
サウディアラビアとアメリカが「反イラン」で合意したことで、イラン、あるいはシーア派に対する対立意識が露呈し、中東・イスラーム世界で宗派対立が激しくなるだろうことは、容易に予想がつくが、それだけではない。
同じスンナ派諸国の間でも不協和音が生じている。カタールのタミーム首長が、サミットの3日後にトランプを批判し、「イランは中東地域の強国で、むしろ安定のために重要だ」と述べたのである。この発言が報道された後、カタール政府は、この発言は国営メディアがハッキングされたせいだ、と弁明に努めたが、怒り心頭のサウディアラビアやアラブ首長国連邦は、カタールに拠点を置くアルジャズィーラ衛星放送などカタールのメディアを遮断した。
そもそもカタールとサウディアラビアの間には、深刻な対立がある。歴史的背景から地域のソフトパワーを巡る対立まで、さまざまあるが、近年の対立の原因のひとつに、イスラーム勢力への支援を巡る政策の違いがある。ムスリム同胞団を軸にイスラーム主義勢力を支援するカタールに対して、サウディアラビアは、支援するとしたらサラフィー派、あるいは非政治的な宗教勢力である。
その対立は、2011年「アラブの春」後にエジプトで成立したムスリム同胞団政権を巡って、先鋭化した。ムルスィー政権を全面的に支援するカタールに、スィースィーの反ムルスィー・クーデタを全面的に応援したサウディアラビア。その対立が、今リビアで展開されている。シリア同様内戦状態に陥り、シリアのあとの「イスラーム国」の活動拠点となりつつあるリビアでは、イスラーム系の勢力がカタールと良好な関係を持っているのに対して、ハフタル将軍率いる東部勢力をエジプトやアラブ首長国連邦が支援し、権力抗争を繰り広げているからだ。
シリア内戦が、サウディアラビアの支援する反政府勢力とイランの支援するアサド政権の間で展開されているのに対して、リビア内戦での対立軸は、エジプト=アラブ首長国連邦対カタールとなっている。
トランプ大統領の訪サウディ以降、宗派間、宗派内の対立要因が噴出した感があるが、そこには、久しぶりのサウディ・米国間蜜月関係を巡る周辺国の、さまざまな憶測・深読み・希望的観測が交錯している。サウディ・米関係が本格的にぎくしゃくしたのはオバマ政権後半だが、ブッシュ政権がイラク戦争でフセイン政権を倒したときから、ぎくしゃく観は始まっていた。そのぎくしゃく観を払拭して、両国が昔ながらの蜜月関係に戻るのであれば、さて一体、いつの「蜜月関係」に戻るのだろうか。
【参考記事】トランプ政権の中東敵視政策に、日本が果たせる役割
サウディと米国の声高なイラン封じ込めコールを聞いていると、一番近いのは80年代のレーガン時代の両国間関係ではないか、と感じる。サウディが湾岸アラブ諸国を仕切っていた時代。イラクを前線国としてイランを武力と外交で孤立化させていた時代。トランプの訪サウディは、そんな時代に戻るのではという、漠然とした懸念と期待を中東地域に振りまいたのではないか。
トランプの訪サウディの数日前、あるイラク人が言っていた。米国はイラクの現政権に見切りをつけて政府幹部を総入れ替えし、米国が直接統治に乗り込んでくる、という噂がイラク国内で広がっている、と。腐敗、汚職のひどい現政権に対する庶民の憤懣を現した噂だろうが、イラク戦争で政権をひっくり返した米国が、その後のイラク情勢の「不安定」に業を煮やして、戦前の「安定」していた状態に戻すのでは、との期待観(?)を、トランプ政権の新たな対中東政策は、刺激している。
その刺激によって、ある人は「これでイランを追い出すことができる」と思い、ある人は「イラク戦争前の旧体制派が戻ってくるかも」とも思う。トランプ大統領がそこまで長期的計画と包括的視野をもってリヤド詣でをしたかどうかは怪しいが、そこから生まれるさまざまな誤解と邪推と疑心暗鬼が生む衝突は、リアルである。
【欧州のテロを煽るイスラム宗派間の争い 英マンチェスター爆破テロとトランプ米大統領の中東訪問 FT5/26】リヤドでの出来事とマンチェスターでの出来事との間に直接的な関係はなかった。米国のドナルド・トランプ大統領がアラブ諸国の首脳に向けてサウジアラビアの首都で行ったスピーチと、イングランド北部のポピュラー音楽のコンサート会場で実行された邪悪なテロとの間に、明らかなつながりはなかった。
それでも、この2つが同じ時間に行われたことについて、我々は穏やかではいられないはずだ。マンチェスターであったような壮絶な爆破テロでは、実行犯だけがその責めを負う。「もし」や「しかし」、あるいはまやかしの道徳的等価性の議論などを差し挟む余地はない。イスラム主義の過激派は西側諸国の政策に関心がないなどと偽ることも、やはり間違いだろう。
欧州の都市はかなり以前から無差別攻撃を受けており、最も基本的な点において言うなら、今回のテロで改めて思い出されたのは、外の世界との間に壁を築くことはできないということだ。
今回の実行犯は英国のパスポートを保持していたが、このようなテロを実行しようという着想の根源は、中東で行われている宗派間の武力紛争にある。ゆがめられたイデオロギーに若者が染まったり、殺人のノウハウがデジタル形式で伝授されたりするのを阻止できるほど高い壁を作ることはできない。
トランプ大統領は、アラブ諸国の君主たちに向けて行った演説の中で、この点をことさらに強調した。大統領が「イスラム教徒は我々を憎んでいる」と決めつけ、イスラム圏数カ国からの入国を禁じる大統領令に署名したのはそれほど昔の話ではない。それが今では、サウジアラビアとペルシャ湾岸諸国は身近なところで起こるテロとの戦いを強化すべきだというメッセージを送っている。
そして、お馴染みの偽善の出番だ――もっとも、大統領のアドバイザーたちは、これを外交政策のリアリズムだと呼びたがると見て間違いあるまい。
考えてみよう。トランプ氏がスピーチしたのはサウジアラビア、つまり多くのジハード主義者に神学的支柱を提供している過激なワッハーブ派(イスラム教スンニ派の一派)を広めている国だ。2001年にニューヨークとワシントンを襲った同時多発テロに参加した殺人犯のほとんどは、サウジアラビア国籍だった。
大統領はスピーチで、そうしたつながりには一切言及しなかった。自分を迎えてくれた国々が圧政や人権侵害を行っていることにも触れなかった。トランプ氏がここを訪れたのは米国の兵器のシステム――総額1100億ドル――を売るためであり、サウジアラビアの投資を米国に呼び込むためだった。すべては「雇用、雇用、雇用」のためだと大統領は言い、自分の政権が同盟国の国内問題に干渉しようとすることはないと約束した。
その代わりにトランプ氏は米国を、イランと対抗するスンニ派のアラブ連合の先頭に立たせた。以前約束したように、核開発をめぐるイランとの合意を破棄することはできないために、アラブ世界を――イスラエルも含めて――まとめ上げてイスラム教シーア派のイランに対抗させようとしているのだ。
「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」のジハード主義者はスンニ派かもしれないが、トランプ氏の考えでは、この地域の大部分を傷つけている宗派間対立の責任はイランにある。この構図は以前にも見たことがある。1980年代にイランとイラクが戦ったとき、米国はイラクのサダム・フセインを後押しした。米国にとって、ペルシャ湾岸の君主国と緊密な関係を保つことは長い間、対中東政策の既定路線だった。
トランプ氏の前任者であるバラク・オバマ氏は、中東地域の平和――ひいては過激派に対する勝利――の達成には、スンニ派の頭であるサウジアラビアとシーア派の頭であるイランとが何らかの妥協をすることが必要だという理にかなった判断を下した。そしてイランと核合意を結ぶにあたっては、イランを国際社会に復帰させるべく計算した、バランスの取れたアプローチを導入した。片やトランプ氏は、宗派間対立の火に油を注ぐことの方を好んでいる。
イランがシリアのバシャル・アル・アサド政権の支援に加わっていることや、スンニ派諸国の体制をゆさぶるために代理の部隊を送り込んでいることなどについては、大目に見るわけにはいかない。イランを自由と法の支配の模範だなどと形容する人は、ほとんどいないだろう(サウジアラビアやエジプトと比較する場合は、その限りでないかもしれないが)。
しかし、カニのような歩みではあるものの、イランは民主主義のようなものに向かって動いている。トランプ氏がサウジアラビアで封建時代のスタイルのもてなしを受けているときに、イランでは大統領選挙が行われ、国民が改革派のハサン・ロウハニ氏の続投を支持することにより神政政治を拒否した。
米国と西側の同盟国は、中東を「正す」ことなどできないということをもっと早い時期に学んでおくべきだった。ジョージ・W・ブッシュ、トニー・ブレア両氏は、巡航ミサイルを先方に突きつければ西側の民主主義を移植できると思っていた。今日のイラクとシリアで見られる暴力は、この2人が間違っていたことの証明にほかならない。
しかし、アラブの専制君主たちの支援も、うまくいったわけではなかった。暴力的なイスラム主義が育つ環境を提供したのは、彼らの抑圧的な政治体制そのものだったからだ。今後は状況が違ってくるとは思えない。
とはいえ、西側諸国は少なくとも、損害を回避する方向に自らの船首を向けなければならない。それについては、2つのことが確実に言える。1つは、サウジアラビアと湾岸諸国が米国からハイテク兵器をどれほどたくさん購入しても、イランを打倒することはできないということ。
もう1つは、リヤドとテヘランがスンニ派対シーア派の争いを続ける限り、中東地域の和解が成立することはなく、ジハード主義者の安住の地を奪う見通しも立たないということだ。マンチェスターに話を戻そう。爆弾を爆発させ、夜の外出を無邪気に楽しんでいた子供やその親を殺害したり大けがを負わせたりしたサルマン・アベディ容疑者がいったい何を考えていたのか、我々には想像できない。
我々が知っているのは、こうした蛮行が行われたら、実行犯とは断固戦うという態度を、そして実行犯が破壊しようとしているリベラルで民主主義的な価値観を守るという態度をすぐに示すしかないということだ。
もう1つ、残念ながらはっきり言えることがある。それは、宗派間の権力闘争でどちらかの側に肩入れするやり方は、いつか実現するはずの過激派の打倒を遅らせる結果にしかならないということだ。By Philip Stephens
【イスラーム過激派:ロンドンでの襲撃事件 中東調査会6/5】2017年6月4日、ロンドンの繁華街に自動車が突っ込んだ上、乗っていた3人が周囲の人々を刃物で襲う事件が発生、7人が死亡した。容疑者3人は警察によって射殺された。この事件について、5日になって「イスラーム国」の自称通信社「アアマーク」が短信を発表した。
◆評価
「アアマーク」の短信は、これまでのものと同様内容に乏しく、これをもって「犯行声明」と解することも、襲撃に「イスラーム国」がどの程度関与したか判断することもできない。
一方、イギリスで「テロ」事件が相次いでいるが、これは2011年以降、同国が「イスラーム国」への大口の人員供給源だったことに鑑みればなんら不思議なことではない。
アメリカの治安企業であるSoufan Groupによると、2015年末の時点でイギリスからは760人が「イスラーム国」に送り出されている。これは、ヨーロッパ諸国の中では、フランス(1700人)に次ぐ第2位(ドイツも同数で2位。3位はベルギーの470人。)である。また、同時期の人口100万人あたりの送り出し数を見ると、1位はベルギーの42人、以下、オーストリア(35人)、スウェーデン(31人)、フランス(26人)、デンマーク(22人)、オランダ(13人)、イギリス(12人)となっている。上記のような実績を見る限り、ヨーロッパ諸国で「イスラーム国」による「テロ」が発生したことになっている諸国は、いずれも「イスラーム国」にとっては大口の人員供給源だったことがわかる。「イスラーム国」への潜入・合流は、全く組織的働きかけがない個人が何の準備もなく試みて成功するものではない。つまり、「イスラーム国」に多数の人員を送り出したということは、そのような国々には人員供給のための勧誘・教化・旅程支援のような活動を行う組織的基盤がある程度広汎かつ強固に存在しているということである。このように考えれば、2015年11月のパリでの襲撃事件以来の「イスラーム国」による「テロ」は、予測不能な場所で予測不能な者たちが引き起こしている行為では決してないことは明らかである。
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