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国民安保法制懇見解──安保関連法制定から1年を経て  政府の姿勢は「非民主的、独裁国家にふさわしい」

元内閣法制局長官、元防衛・外務官僚、憲法学者ら「国民安保法制懇」の声明。

「自衛隊の活動やがて国民の安全を脅かすリスクを説明なしに強引に進める政府の姿勢、リベラル・デモクラシーの政府でなく、形ばかりの選挙を施行する非民主的な独裁国家にふさわしい」「政府が集団的自衛権容認の根拠としてあげた憲法第13条にいう国民の生命、自由、幸福追求の権利を真に守るのであれば、同条が定めるように、すべての国民を個人として尊重することこそが、政府には求められるであろう」と指摘。

 あわせて、日刊ゲンダイにのった伊藤真弁護士のインタビュー
【国民安保法制懇見解──安保関連法制定から1年を経て 20169/19】

【伊藤真弁護士「2つのルートで安保法はひっくり返せます ゲンダイ】

【国民安保法制懇見解──安保関連法制定から1年を経て 20169/19】

 愛敬 浩二(名古屋大学教授)青井 未帆(学習院大学教授)伊勢崎賢治(東京外国語大学教授)伊藤 真(弁護士)大森 政輔(元内閣法制局長官)小林 節(慶應義塾大学名誉教授)長谷部恭男(早稲田大学教授)樋口 陽一(東京大学名誉教授)孫崎 享(元外務省国際情報局長)柳澤 協二(元内閣官房副長官補)


 われわれ国民安保法制懇のメンバーは、集団的自衛権行使容認へと踏み出した2014年7月の政府見解、昨年5月に法案が提出され同年9月に制定された安全保障関連法等、憲法9条を正面から破壊しようとする安倍政権の行動を批判し、日本の安全保障および自衛隊の活動に関する冷静で理性的な判断と対応を求めてきた。安全保障関連法の制定から1年が経過したことを踏まえ、現時点でのわれわれの見解を示したい。

 政府は、参議院選挙後の8月24日、安全保障関連法に基づく自衛隊活動の訓練を順次実施すると発表した。選挙が終わるまではなりをひそめて安保法への目を逸らし、選挙が終わってから安保法を運用に移したことになる。さらに、いかなる訓練を行うかについて、具体的な説明はまったくない。予想される訓練の中には、PKO活動に参加する国連やNGOの職員らが武装集団等に襲われたとき、武器を携行して救援に赴く「駆けつけ警護」も含まれる。

 焦点となるのは、今後、南スーダンPKOに派遣される部隊に「駆けつけ警護」の任務が付与されるか否かである。最近の南スーダンでは、首都ジュバで大規模な戦闘が行われるなど、そもそも派遣要件であるPKO参加5原則、中でも紛争当事者間での停戦への合意が満たされているか否かに疑いがある。そうした状況下で自衛隊に「駆けつけ警護」の任務を与えるならば、自衛隊員の安全に従来を大きく上回るリスクをもたらすことが予想される上、「駆けつけ警護」任務での武器使用が、憲法の禁止する武力の行使に踏み出すことになりはしないか、再度の慎重な検討が必要となっている。

 また、自衛隊の武器使用が不幸にも民間人の殺傷をもたらした場合に、それがいかなる責任をもたらし、その責任を国と個々の自衛隊員がいかに分担することになるかがきわめて不分明であることも懸念材料である。さらに、1999年8月12日付国連事務総長告示「国連主導多国籍軍による国際人道法の遵守」はすでに、戦闘時においてPKO部隊が紛争の当事者として限定的に交戦権を行使することを一般論として想定しており、PKO活動に関する内外の認識が大きく変容しつつあることも、自衛隊の任務遂行の是非に関して考慮すべき要素であろう。

 安保法はすでに本年3月に施行されている。自衛隊の活動によって生じる現地での住民感情の悪化や緊張の激化は、やがては国民の安全を脅かすリスクを含むのであるから、この法制の下でどのような活動を行い、どのようなリスク・効果が見込まれるのかにつき、政府は国民に真摯に説明し理解を求める努力を行うべきであった。しかしながら、政府から国民に対する真摯な説明は全くなされていない。

 国民への説明を怠って選挙を戦い、選挙が終わりさえすればあたかも国民の白紙委任を得たかのように周囲の声に耳を傾けることなく、強引にことを進める政府の姿勢、人がそれぞれ自律的な判断主体であることを無視し、説明を通じて納得を求めることもしない政府の姿勢、すべては選挙結果を目当てとして人心を操作するための術策であるかのように振る舞う政府の態度は、普遍的価値を標榜するリベラル・デモクラシーの政府にはおよそ似つかわしくない。それは、形ばかりの選挙を施行する非民主的な独裁国家に、むしろふさわしい。

 政府が集団的自衛権容認の根拠としてあげた憲法第13条にいう国民の生命、自由、幸福追求の権利を真に守るのであれば、同条が定めるように、すべての国民を個人として尊重することこそが、政府には求められるであろう。
 以上


【伊藤真弁護士「2つのルートで安保法はひっくり返せます ゲンダイ】

◆最後の砦は裁判所と国民の支持
 憲法違反の集団的自衛権の行使を容認した安保法が成立し、いよいよ自衛隊は南スーダンなどでの活動を活発化させる。それを阻止するには先の参院選で自公政権に鉄槌を下す必要があったのだが、結果は衆参で改憲勢力3分の2超を許してしまった。まともな国民はついつい絶望的になってくるが、この人は意気軒高だ。安保法での議論でも反対の論客として鳴らした弁護士が語る「この憲法を守る方法」――。

――安保法の議論の時はシールズを中心にあれだけ盛り上がった抗議運動も選挙結果にガックリし、最近は安倍一強支配体制にあきらめムードみたいなものが漂いますね。このまま、平和憲法は骨抜きにされるのかと思いがちですが、伊藤さんは闘われていますね。

 憲法を守るには、2つの「ルート」があると考えています。ひとつは政治ルートで、選挙によって政権交代を実現し、法律改正を促していくこと。もうひとつは司法のルートで、裁判所に「安保法制は違憲である」「それによって、精神的苦痛を強いられている」「国家賠償せよ」という訴訟を提起し、司法判断を仰ぐことです。私が共同代表を務める「安保法制違憲訴訟の会」は既に4月26日に東京地裁で第1次提訴を致しました。その後、福島や高知、大阪など計9カ所で違憲訴訟が提起されています。600人以上の弁護団、2000人を超える原告の方が声を上げています。
――大がかりですね。

 こういった訴訟を通じて、市民運動を活発化させていくことが何より重要なことだと思います。全国各地で市民運動の火種を絶やさないようにする。そうすれば、「政治ルート」にもつながっていきます。先の参院選では、野党統一候補を立て、1人区では善戦しながら、力及ばなかった。2年後の衆院選挙まで頑張って運動を継続しなければいけません。そのために政治ルートと司法ルートを一体化させて取り組んでいく。

――活動の手応えはありますか。

 裁判所はとても真摯に向き合ってくれています。この手の違憲訴訟は1回目の提起で門前払いということも多いんです。

――裁判の争点はどこになりますか。

 裁判所がどこまで安保法制に立ち入って判断を下せるか。政治が絡むと遠慮してしまうのが今までの裁判所の傾向で、法律が「憲法違反」だったという判決は、これまで10件しか下されていません。なぜこんなに少ないのか。内閣法制局が事前に法案をチェックしていたからです。法制局がチェックしていたからこそ、裁判所が事後的に審査し、法律が「違憲」であると判断を下す必要がなかった。ところが、今の法制局は政府の言いなりで、法の秩序を歪めてしまった。法制局は機能不全に陥っています。となると、憲法秩序を守るのは裁判所しかない。「最後の砦」になるのです。

◆破綻した抑止力も「道半ば」として軍備増強

――しかし、その裁判所も司法官僚ですからね。司法の独立が担保されているのか。懐疑的にならざるを得ません。

 そこで、国民の「支持」が大変重要になってくるのです。国民が、政府の言いなりのような裁判官を求めれば、裁判官もそういう方向に流れていく。逆の声が大きければ、そうはなりません。

――集団的自衛権の行使に踏み込んだ安保法は憲法に違反しているだけでなく、その際、政府が説明に使った「抑止力」も破綻していますね。中国や北朝鮮の挑発はエスカレートする一方です。

 安倍政権はアベノミクスの失敗を認めず、まだ「道半ば」だと強弁して、さらに推し進めようとしています。抑止力についても同じで、中国、北朝鮮の挑発には「まだ道半ばだから、攻められる」「もっとやらなければいけない」という論法を振りかざしている。この論法が正しければ、世界最大の軍事力を有する米国は世界最大の抑止力を持っていなければおかしい。米国民は世界で最も安全ですか。違うでしょう? 日本は今、こっちが強くなれば相手も負けずに強くなるという「安全保障のジレンマ」に陥っていることに気づくべきです。

――南スーダン情勢をどう見ていますか。日本は国連平和維持活動(PKO)参加について、停戦合意の成立や紛争当事者の同意、中立の立場の厳守など5つの条件を定めていますが、泥沼の内戦でむちゃくちゃです。それなのに、稲田朋美防衛相は「PKO法上の武力紛争は新たに生じておらず、紛争当事者がいるわけではない」と活動継続を明言しています。

 よくも、そんなことを言えたものです。原則も法律もありません。そこに今度は、憲法違反の安保法で「駆けつけ警護」などの任務を認め、武器の使用基準を拡大してしまったわけです。自衛官は今後、戦闘に巻き込まれ、犠牲者、もしくは加害者になる可能性がある。国民的な議論、合意もないまま現地に送られる自衛官の思いはいかばかりでしょうか。

――それこそ、精神的苦痛になる。そうした自衛官、あるいは家族が違憲訴訟の原告になりませんか?
周到な政府は、家族が反対運動に参加しそうな自衛官は危ないところに行かせないんですよ。

――そこまでやっているんですか。それにしても、この政権には順法精神というものがあるのかどうか。そこからして疑いたくなりますね。

 憲法と現実がズレたから、「改憲しよう」と言い出すくらいですから、もともと憲法を守る気があるとは思えません。そもそも、憲法は現実とズレがあるから存在意義があるのです。例えば、憲法14条は法の下の平等を規定していますが、男女の差別はいまだ残っている。国民に健康で文化的な最低限の生活を送る権利を保障する憲法25条にしろ、現実とズレがある。憲法だけでなく、法律とはそういうものです。「泥棒をやれば刑罰に処す」と刑法235条は定めていますが、現実は泥棒はなかなか減りません。では、現実に合わせるために「泥棒は少しくらい許す」と、235条を変えますか。そんなわけありませんよね。「べき論」を示すのが法律であり、現実と食い違っていても何とか「べき」の方向に現実を近づけていくことが政治家の仕事です。安倍政権は、「少しくらい泥棒をしてもいいじゃないか」と言っているようなものです。

――その政権が、参院選で憲法改正発議が可能な3分の2の議席を獲得。憲法審査会などを含め、改憲のスケジュールが固まりつつあります。

「3分の2」にはそれほど大きな意味はありません。憲法改正というのは、具体的に「この条文を変えたい」と言って初めて発議します。例えば、「国防軍を創設したい」「教育費を無償化したい」などと、具体的なテーマに対して発議するのです。今の段階では、公明党などはさすがに軍隊を持つことに賛成するのは難しいのではないでしょうか。何となく「憲法を変えた方がいいんじゃない」という人が「3分の2」いるというだけではあまり意味がありません。

――それにしても、「憲法を守る」情熱、活動、凄まじいですね。その原動力は安倍政権の怖さですか?

 私は子供の頃、2年ほどドイツで生活しました。そのとき、「日本人としての誇りは何か」と考えました。西洋のマネをして、米国の二軍みたいな軍隊を持つことが日本人の誇りといえるのか。どこの国にもないような独自性を主張していくことこそ、日本人の誇りでしょう。それが憲法9条だった。武道には、武器を持っていなくても、その人の人格だけで相手に手を出させないような凄みがある。国家だって、そういうことはできるんじゃないか。それに何よりも自由で個性が尊重される社会。これが居心地が良くて、好きなんです。

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