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英のイラク参戦「不当」調査委報告 ~検証せず、改憲にすすむ安倍政権

 大量破兵器はなかった、戦争でテロが急増した… この現実を前に、米国、オランダ、オーストラリアなどで検証が行ってきた。オランダは「国際法違反」と明確にしている。
  今回のイギリスの報告書は「欠陥のある情報」を持ち、「正当化できない確信」に基づき参戦を決めた。「あらゆる(軍事)介入の全ての側面は、最大限厳しく算定し、議論し、異論を唱える必要がある」が、こうした措置は取られなかった。国連安保理決議を得ない参戦であり、「法的根拠は十分にはほど遠い」。そして、
イラク戦争は「ひどい展開」になった海外介入で、その影響は現在に至って世界情勢に響いている、と指摘している。BBCが詳しく報道している。
 検証を拒否し、今も「正しかった」と強弁する自公政権〔米兵輸送という明白な違憲行為に踏み込んだ〕が、戦争法で海外での武力行使に踏み出そうとしている。

【英のイラク参戦「不当」 調査委最終報告 東京7/7】
【英のイラク参戦誤り 独立調査委が報告書 赤旗7/8】
【英イラク調査委、ブレア政権のイラク参戦は不当と BBC7/7】
【「何があっても」……英米首脳の私信も公開 英イラク調査委の報告書 BBC7/7】
5年前にも、取り上げたが・・
【イラク戦争検証 あやまちに向き合えない政治の貧困 2011/8】


【英のイラク参戦「不当」 調査委最終報告 東京7/7】

 【ロンドン=小嶋麻友美】二〇〇三年に始まったイラク戦争で、英国の参戦経緯を検証してきた独立調査委員会(チルコット委員長)は六日、最終報告書を発表した。英国の参戦は「イラクを武装解除させる平和的な手法を尽くしておらず、最終手段とは言えなかった」と指摘。情報機関やブレア元首相の間で十分な議論や反証がないまま、都合のよい事実だけを提示して戦争に導いたと結論づけた。

 国連安全保障理事会の決議がないままのイラク戦争参戦の違法性や、ブレア氏らの法的責任について明示しなかった一方で、「軍事行動に法的根拠があると判断した状況は、十分だったとは到底言えない」と批判した。
 ブレア氏は開戦前年の〇二年七月、当時のブッシュ米大統領への手紙で「何があっても追随する」と明言し、国連で決議するよう促した。結局、国連で軍事行動を認める決議はなされず、この点でも最終報告書は「ブレア氏は、イラク問題で自身が米国に及ぼす影響力を過大評価していた」と糾弾した。

 最終報告書の発表を受け、ブレア元首相は記者会見し、「全責任を引き受ける。皆さんが思っているより、はるかな悲しみと後悔、謝罪を表明する」と述べた。一方で、フセイン政権を排除したことは正しかったと反論した。
 調査委は、英軍の戦闘部隊が撤退した〇九年七月、参戦への世論の根強い批判を受け、当時のブラウン首相が設置。約十五万点の資料を検証し、約二百三十人の証言を公聴会や書面で集めた。ブレア氏の証人喚問は、一〇年一月と一一年一月に行われた。
 当初、報告までは一年程度とされたが、議論が長期化。最終報告書は二百六十万語を超え、総費用は一千万ポンド(約十三億四千万円)に上った。

◆日本、第三者検証なし

 【ロンドン=共同】二〇〇三年イラク戦争を巡っては開戦の大義とされた大量破壊兵器が見つからず、戦争を主導した米英両国ではなぜ誤ったのか調査、検証が行われてきた。一方、開戦を支持した日本では有識者ら第三者による公的な調査、検証はなく、責任追及や失敗から教訓を得る姿勢の違いが際立っている。
 米国では〇四年、米中央情報局(CIA)主導の調査団が大量破壊兵器はなかったと認定。〇五年に独立調査委員会が「大量破壊兵器を巡る判断で情報機関が致命的な誤りを犯した」との報告書をまとめた。〇六年に上院報告書が旧フセイン政権は国際テロ組織アルカイダと結び付きがあったとする当時のブッシュ政権の主張を全面否定した。
 日本は当時の小泉純一郎政権が米国を支持。戦後、南部サマワで陸上自衛隊が復興支援を行った。航空自衛隊もクウェートとイラク間で輸送業務に従事したが、名古屋高裁は〇八年、多国籍軍の武装した兵士を輸送したことは「他国の武力行使と一体化し違憲」との判断を示した。民主党政権下の一二年、外務省が大量破壊兵器存在の事実誤認はやむを得なかったとの報告書をまとめたが公表は概要だけ。全文は「他国との信頼関係を損なう」と開示していない。


【英のイラク参戦誤り 独立調査委が報告書 赤旗7/8】

 【パリ=島崎桂】2003年に米英主導で始まったイラク戦争への英国の参戦を包括的に調査する独立調査委員会は6日、英国が「平和的な選択肢を使い尽くす前に軍事介入を決めた」とする報告書を発表しました。報告書は「軍事行動は最終手段ではなかった」として、参戦を決めた当時のブレア英首相(労働党)の判断を厳しく批判しました。
 イラク戦争は、同国による生物化学兵器など「大量破壊兵器」の保有を根拠に米英などが参戦しましたが、戦後の調査で大量破壊兵器は見つかりませんでした。イラクでは開戦後、多くの一般市民を含む数十万人が犠牲となり、英兵179人、米兵4500人以上が戦死しました。
 調査委のチルコット委員長は報告書の発表にあたり、ブレア政権がイラク政府の大量破壊兵器保有という「欠陥のある情報」を持ち、「正当化できない確信」に基づき参戦を決めたと指摘。「あらゆる(軍事)介入の全ての側面は、最大限厳しく算定し、議論し、異論を唱える必要がある」が、こうした措置は取られなかったと語りました。
 報告書ではまた、国連安保理決議を得ない参戦であり、「法的根拠は十分にはほど遠い」と批判しました。

◆検証拒否自公政権

 英国のイラク戦争参戦を検証した独立調査委員会の報告書は約6000ページにおよぶ膨大なものです。英国以外でも米国、オランダ、オーストラリアなどで検証が行われています。
 これに対して日本は12年12月、わずか4ページの検証結果概要を公表しただけで、報告書本体の公表は「各国との信頼関係を損なう」として拒否。イラク戦争支持についても誤りだったと認めていません。米国の無法なイラク戦争を支持し、自衛隊を派兵しておきながら、検証もしない自公政権の態度が問われます。

◆イラク参戦は改憲の源流 日本も公開検証を 
 安倍政権はイラク派兵の検証を拒否するばかりか、イラク派兵での憲法の“制約”を突破しようと戦争法の具体化、憲法9条改悪へ突き進んでいます。
 2003年12月から5年におよぶイラク派兵は憲法と自衛隊との矛盾を極限まで激化させました。名古屋高裁は、空自による武装米兵空輸は「他国との武力行使との一体化」にあたり、憲法9条違反だと断定しました。一方、陸自は「戦闘地域にいかない」「武器使用は自己防護に限る」など、憲法上の“制約”により、1人の死者も出すことはありませんでした。
 日米同盟を「血の同盟」だと断言する安倍晋三首相はこれに強い不満を持ち、第1次政権(06年9月~07年8月)から憲法解釈の変更や「戦地派兵」、他国軍の「駆け付け警護」などの実現に着手。昨年強行した戦争法に、その内容が盛り込まれました。
 ただ、戦争法で可能なのは兵たん支援までです。イラク戦争型の米軍の戦争に全面参加するためには憲法9条を全面改悪する必要があります。その意味で、参院選後に狙われている「安倍改憲」の源流はイラク派兵なのです。
 政府はイラク派兵の検証を公開の場で行い、その誤りを一刻も早く認めるべきです。

【英イラク調査委、ブレア政権のイラク参戦は不当と BBC7/7】

英国のイラク戦争参戦とその後の経緯を調べる独立調査委員会(チルコット委員会)は6日、当時のブレア政権(労働党)がイラクのサダム・フセイン大統領の脅威を過剰に表現し、準備不足の英軍部隊を戦地に送り出し、戦後の計画は「まったく不十分だった」という見解を発表した。委員長のサー・ジョン・チルコットが記者会見で明らかにした。

独立調査委による7年間の調査にもとづく報告書を発表したチルコット委員長は、2003年3月の時点ではフセイン大統領からの「切迫した脅威」はなく、国連安全保障理事会の大多数が支持していた封じ込め政策の継続は可能だったと指摘。政府が得ていた機密情報は武力行使の正当な根拠となるには不十分で、外交手段を尽くしてもいなかったと批判した。
「イラクの大量破壊兵器は深刻な脅威だと言われたが、そこまで確信的に断言するにふさわしい正当な根拠はなかった。明確に警告されていたにもかかわらず、侵略がもたらす悪影響は過小評価された」とチルコット委員長は述べた。

発表後に記者会見したトニー・ブレア元英首相は、不正確な情報に基づく準備不足や作戦遂行の不手際について謝罪したが、参戦の判断については「間違っていたとは思わない」と謝罪しなかった。
2003年3月に始まったイラク戦争では、戦争そのものは約6週間で終わり、25年続いたサダム・フセイン政権は崩壊したが、これを機に激しい宗派間対立が勃発した。
英軍関係者および英国人179人が死亡し、介入を主導した米国は軍関係者4487人を失った。一方でイラク人の死者数は、9万人から60万人以上とも言われている。

◆能力の過大評価、判断ミス、準備不足

元公務員のチルコット委員長が率いるイラク調査委員会は、イラク戦争は「ひどい展開」になった海外介入で、その影響は現在に至って世界情勢に響いていると指摘した。
12巻260万語におよぶ報告書は、ブレア元首相や当時の閣僚たちが国際法に違反したかどうかには言及していない。しかし外交と軍事の政策決定に重大なミスが続いたと列挙している。その一部は次の通り――。

・英軍司令官たちは自軍の能力を「過大評価」したため、「判断ミス」につながった
・イラク派遣のため3旅団の準備を十分に整えるための「時間が不足」していた。閣僚に対して派兵リスクを「適切に特定し、十分に開陳」することもなく、このため「装備不足」の事態になった。
・誤った情報分析をもとにイラク侵攻が決定したが、政府内でその内容が問いただされることはなかった。
・ブレア氏は、イラクについて自分は米政府の判断を左右できると自らの影響力を過大評価していた。英米関係は、英国が米国を無条件に支えることが前提だと思い込んでいた。

◆元首相は時に揺れる声で

チルコット報告書の発表を受けて記者会見したブレア元首相は、時に感情で声を揺らしながら、イラクに英軍部隊を投入するという判断は「首相としての10年間で最も困難で重大な判断だった」と述べ、その決定の重みは「今後終生、抱え続けるものだ」と付け足した。
約2時間に及ぶ記者会見で元首相は、「この国の軍だろうが外国の軍だろうがイラクの人たちだろうが、イラクで愛する人を失った人たちの悲しみと無念は、とても言葉にできないほど深く痛切に感じている」と述べ、「開戦当時の情報分析は、結果的に誤っていた。戦後の状況は、予想をはるかに超えて敵対状況が激しく、流血にまみれて、長く続いた。(略)我々はイラクの人たちをサダムの悪政から解放したかったのだが、その国は代わりに宗派対立によるテロリズムに苦しむようになってしまった」と認めた。
「こうしたことのすべてについて私は、皆さんが決して味わうことも信じることもない、とてつもない悲しみと無念と謝罪の気持ちを表したい」と元首相は述べた。

その一方でブレア氏は、2003年3月にイラク戦争に参加すると決めた判断そのものについては、誤りではなかったと繰り返した。
「嘘は何もなかった。下院と内閣をミスリードしてもいない。秘密裏に開戦の約束を交わしたわけでもない。機密情報の改ざんはなかったし、誠実に判断を下した」と元首相は述べ、イラク戦争で死傷した人たちの犠牲は「無駄だったなどいう意見には決して同意しない」と強調。犠牲者は「世界各地で命を奪い、地域社会を分断するテロリズムと暴力に対抗するための、21世紀を形作る世界的な戦い」に貢献したのだと述べた。

フセイン政権の大量破壊兵器をめぐる情報は確かに「結果的に間違っていた」と認め、確かに戦争によってイラクは不安定化したと認めつつも、介入しないと判断したシリアの現状と比較して、首相は「サダム・フセインがいなくなった」現在の状態の方が、何もしなかったよりははるかにましだと確信していると強調。
では何について謝罪しているのかと繰り返し質問されたブレア氏は、「命を失った人たちに追悼の意を表し、誤りについて遺憾と謝罪の意を示すことと、判断そのものは正しかったと今でも確信していると言うことに、何の矛盾もない。そこには何の矛盾もない」と述べた。

◆ 今の労働党党首は謝罪

報告書の発表を下院に報告したキャメロン首相は、「未来に向けて教訓を学ぶ」ことの重要性を強調。政府内手続きや法律顧問の助言の取り扱い方の刷新などが必要だと述べた。キャメロン氏は2003年当時、保守党議員として武力行使に賛成票を投じている。
キャメロン首相は議会で、「適切な装備もなく勇敢な兵士たちを戦地に送り込んだことは、容認しがたい。この紛争からは様々なことを学ぶが、特にこんなことが二度とあってはならないと、われわれ全員が誓う必要がある」と、軍事作戦遂行にあたっての手続きの改善を約束した。

これに対して、2003年に労働党議員として参戦に反対票を入れたジェレミー・コービン労働党党首は下院を前に、チルコット報告書はイラク戦争が「誤った前提をもとに行われた軍事侵略行為だった」ことを証明していると非難。「圧倒的な国際世論はかねてから(イラク戦争を)違法だとみなしてきた」と指摘した。
死亡した英国兵たちの遺族と下院演説後に対面したコービン氏は、「自分の党を代表して、戦争に参加するという惨たんたる決定を、心よりお詫びします」と謝罪した。
コービン党首は「軍事侵略の罪を負うべき人々を訴追する権限」を国際刑事裁判所に与えるよう、英国政府も協力すべきだと促した。

2003年から2009年にかけてイラクで死亡した英国人179人の一部遺族は代理人を通じて、自分たちの愛する家族は「死ぬ必要がなかったのに、正当な意義も目的もないまま」死んだと声明を発表。「もし司法手続きが可能ならば」、チルコット報告書が指摘する失態に責任を負うべき人々には「法廷で弁明してもらいたい」と、提訴も視野に入れていることを示唆した。

◆ブッシュ前米大統領のコメント

ジョージ・W・ブッシュ前米大統領の広報担当フレディー・フォード氏はBBCニュースに対して、「ブッシュ大統領は本日、自宅の牧場で負傷兵たちを歓待しており、まだチルコット報告書を読むことができずにいる」と断った上で、「不正確な情報やその他の過ちはこれまでも認めてきた。その上でブッシュ大統領は今なお、サダム・フセインが権力を握っていない今の状態の方が、全世界にとって良いことだと信じている」と述べた。
「(ブッシュ氏は)対テロ戦争を戦う米軍と連合各国の軍の奉仕と犠牲に深く感謝している。トニー・ブレア首相率いる英国ほど、強力な同盟国はほかになかった」
「ブッシュ大統領は、それがどこだろうと過激主義と戦い続けて打倒するため、我々が今も団結して決意を強くしなくてはならないと信じている」

◆遺族は「無駄死に」と

チルコット委員長は、今回発表する報告書を通じて、イラク戦争で家族を失った人たちの疑問がいくらかでも解消されることを期待すると話した。
一方で、トム・キーズさんを21歳の誕生日の4日前にイラクで失った父親のレジさんは記者会見で、自分の息子は「無駄死にした」と述べた。
2006年にパトロール中に撃たれて死亡したリー・ソーントン砲撃兵の母キャレンさんは、BBCラジオに対して、ブレア氏が嘘をついたと証明されるなら戦争犯罪で訴追してほしいと述べた。「嘘をついた人たちは責任を問われるべきだ。あまりに大勢の命を奪った責任がある」。

【「何があっても」……英米首脳の私信も公開 英イラク調査委の報告書 BBC7/7】

英国のイラク戦争参戦の経緯を調べてきた独立調査委員会(チルコット委員会)は6日、7年間の調査にもとづく報告書を発表し、当時のブレア政権がイラクのサダム・フセイン大統領の脅威を過剰に表現し、外交努力を尽くさないまま軍事行動を開始したという見解を示した。またブレア首相が2002年の時点でブッシュ米大統領に「何があっても」米国を支持すると約束した私信31点など、これまで未公開だった資料も合わせて公開した。

◆ブレアーブッシュ書簡

チルコット委員会は、これまで機密指定されていた政府文書も数多く公表した。そこに含まれるブレア首相とブッシュ大統領の私信31点からは、フセイン大統領打倒を目指す英米両政府の共同歩調が、2001年9月11日の米同時多発テロから間もなく形成されていった様子がうかがえる。
同時多発テロの翌日、ブレア氏はブッシュ氏に、ハイジャック犯に正義の裁きを加えるため協力すると書き送り、「この悪事の次の段階」を見越している。ブレア氏はさらに書簡で、「生物化学兵器などの大量破壊兵器」制御に必要となる対応の内容に「ひるむ」者もいるだろうが、「今後さらにひどい大惨事が起きる日まで対応を延期するよりは、今のうちに行動しておいて、正当な根拠を示して説明する方がいい」と書いている。

公開された書簡によると、ブレア氏とブッシュ氏は2001年12月の時点ですでに、フセイン大統領排除をおおっぴらに相談していた。当時の米英はまだ、アフガニスタンでの軍事作戦を開始したばかりだった。
「アフガニスタンでどう終わるかは、第2フェーズにとって大事だ。人道支援を提供して、国民に新しい希望を与え、前より良い国にしてアフガニスタンを後にすれば、軍事だけでなく道徳上も勝ったことになる。そうすれば有志連合は、他地域での活動も支援してくれる」とブレア氏は書いている。

「体制転換を良い意味の言葉にすれば、イラクについて議論しやすくなる」

イラク侵攻開始8カ月前の2002年7月には、ブレア氏は「何があっても」ブッシュ氏を支援すると大統領に書いた。その上でブレア氏は、もっと幅広い軍事連合を望むなら国連の後押しが必要で、中東和平を前進させ、米英とアラブ諸国の世論を動かさなくてはならないと助言している。

《2002年7月28日の書簡でブレア氏はブッシュ氏に「何があっても、僕は君を支える」と書いた。》

首相は「秘密」「私信」の印がついたこの書簡を、当時のジャック・ストロー外相には見せたものの、ジェフ・フーン国防相には見せなかった。この判断についてチルコット委員長は、ブレア政権はこれほど重要な政策を閣議を通さずに決めていたと痛烈に批判した。

◆不正確な情報

当時は「フセイン政権の大量破壊兵器」がイラク戦争開戦の理由に使われた。しかしチルコット報告書は、政府が入手していた情報は、フセイン政権が生物化学兵器の製造を続けていると、「疑いの余地なく」証明していないと、他の調査報告書と同様に、裏付け不足を批判している。
ブレア氏は2002年9月に、フセイン大統領は命令から45分以内に発射できる生物化学兵器を保有していると発言した。しかしチルコット委員長は、「あの声明、および同日に発表された資料集は、正当な裏付けがないまま、強い確信をもってイラクの能力を判断している」と指摘した。
開戦前夜にブレア氏は下院に対して、テロ組織が大量破壊兵器を入手している可能性は「英国と英国の国家安全保障にとって、現実でそこにある危険だ」と話していた。
しかしチルコット委員長は、「軍事行動は英国と英国の国益に対するアルカイダの脅威を拡大させると、ブレア氏は警告を受けていた。また侵攻すれば、イラクの武器や攻撃能力がテロリストに渡りかねないという警告も受けていた」と批判する。

◆戦争の合法性

法務長官だったゴールドスミス卿は、軍事行動について国連から明確な承認を取り付けるようブレア氏に助言していた。しかし外交努力が失敗すると、1991年の湾岸戦争に遡るイラク関連の国連決議を根拠にすれば介入は合法だと説明した。
チルコット委員長は、報告書はイラク戦争の合法性を判断するものではないと言明。調査に協力した人たちは宣誓証言したわけではないし、報告書の内容に法的拘束力はないと指摘した。
しかしその上で委員長は、「英国の軍事行動には法的根拠があるという判断だったが、その判断にいたる状況は満足とは程遠いものだった」と批判し、ゴールドスミス卿はどのようにして意見を変えたのか書面で明示すべきだったと報告書で書いた。
英国は2003年3月の時点で軍事行動を承認する国連決議の成立を求めて運動したが、必要な支持が得られなかった。このときブレア首相とストロー外相は、国連の「膠着」はフランスのせいだと言い、英国政府は「国連安保理の権威を保つため」「国際社会を代表して行動している」と主張した。

しかしチルコット委員長は、実際はその真逆だったと結論する。
「軍事行動に過半数の支持を取り付けられなかった以上、英国はむしろ国連安保理の権威を損ねていたのだと判断する」と委員長は述べた。

◆戦後計画とその後

チルコット報告のかなりの部分は、戦後イラク統治の計画と、イラク南部バスラ周辺の広大な地域の治安維持を任された英軍の装備について触れている。戦後イラクの統治は当初、米軍主導の有志連合による暫定行政当局(CPA)が担当していた。
委員会の調査に応じた元閣僚や軍司令官の多くは、国防省が必要な兵站(へいたん)や装備を提供しなかったと強く批判している。また重要部分において英国が全般的に米国の言いなりになっていたという。

チルコット委員長は、「即席爆発装置の危険に国防省の反応は遅く、パトロール任務用に中型装甲車の配備が遅れたことは容認すべきではなかった」と批判。「これほどの能力の欠落を特定し指摘する責任が、国防省のどの人物や部局にあったのかははっきりしない。しかし、はっきりしているべきだった」。

ブレア氏は委員会の調査に対して、イラク侵攻後にどのような困難に直面するか事前に予測するのは難しかったと述べている。しかし委員会は、「国内対立」や地域不安定、イラク国内のアルカイダの活動のリスクはいずれも、「進攻前に明確に特定されていた」と指摘する。
「サダム・フセイン以降のイラクでの計画と準備は、まったく不十分だった。政府は当初に掲げた目的を実現できなかった」
報告書は、フセイン大統領追放という当初の作戦は成功したと認め、侵攻当時とその後の兵士や民間人の「素晴らしい勇気」は称えている。しかし英国の軍事的役割は「成功とは程遠いもので」、英国部隊への攻撃を止めさせるためにバスラの地元民兵組織と交渉し、攻撃中止の交換条件として捕虜にした民兵を釈放しなくてはならなかったのは、「屈辱的だった」と報告書は指摘している。

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