在宅被災者~脱・罹災証明と災害ケースマネジメント
「大災害と法」の著者・津久井弁護士のコラム(同書は、緊急事態条項とかかわって、県議会質問で活用させていただいた)。
ほとんどの支援の施策が罹災証明と結びついている。が、罹災証明は住宅の壊れ具合をしめすだけで、被害の全容を示してはいない。宮城県石巻市では,5年が経過した今も,床がなくて地面が剥き出し,雨風さえしのげず,トイレも使用不能なボロボロの家屋で寝起きしている高齢者がたくさんいる。「在宅被災者」と呼ばれる方々。これを罹災証明だけで表現することは不可能と、一人ひとりの課題を,個別に捉える災害ケースマネジメントの必要性を強調している。
南海トラフ地震に備える高知県として重要なテーマ。関連するウェブサイトを探してみた。その中で、現地で活動するチーム王冠は「現在進行形の被災者の苦しみ、悲劇を見逃せば、将来同じ苦しみを味わうことになる」と問題提起をしている。
【熊本地震の復興と私たちの課題 津久井 進7/4】
【「在宅被災者」の現実に向き合う [弁護士が見た復興] 東北復興新聞】
【在宅被災者というサイレントマジョリティー チーム王冠2015/1】
【熊本地震の復興と私たちの課題 津久井 進7/4】■災害を我が事として受け止める
「天災は忘れた頃に来る」
関東大震災に遭った寺田寅彦(物理学者)が語った言葉とされています。
でも,この20年ぐらいを振り返ると「災害は忘れる前に来る」と言った方がピンときます。
東日本大震災の復興はまだまだ道半ば。広島や茨城の土砂水害もつい先日のこと。福島原発事故に至っては,原子力緊急事態宣言が発動されたまま解除されていません。
そんな時代の文脈の中で熊本地震が起きました。
日本は地震列島。北海道から沖縄まで,次の自然災害がいつ起きるかわかりません。
熊本で起きた災害ですが,私たちが第一にわきまえるべきことは,他人事ではなく「我が事」だということです。
他人事だから簡単に忘れてしまうのです。支援も,救済も,義援金も,寄添いも,制度改善も,防災も,すべて被災者の身になって思考するところからスタートするのです。
ちなみに,寺田寅彦は,熊本第五高等学校(現・熊本大学)の出身とのこと。寺田が天から私たちに「忘れてはならない」と警句を発しているような気がします。■熊本地震復興の3つの課題
熊本地震は,震度7の激震が2度にわたって被災地を襲い,約3か月経った今も余震が続くという前代未聞の被害を受けました。
災害直後の対応は一段落する時期を迎えていますが,これから長い長い時間を要する復興のプロセスを歩んでいくことになります。
いま,復興の課題を3つ挙げるとしたら,第1に一人ひとりを大事にする制度改善,第2に地方のプライドの回復,第3に風化という敵との闘い,と私は考えています。
第2の「地方のプライドの回復」というのは,憲法の用語に置き換えると,住民自治と団体自治の実現ということです。まず,熊本地震の固有の問題点を洗い出して,その解決のために"被災者本位"を旗印に高く掲げること。そして,ていねいに粘り強く住民合意を紡ぎ出して,これを実行する費用を国から引き出し,あとは官・民一体となって地元主導で進めることです。
このプライド回復のためのプロセスを実現するためには,第3の風化との闘いは欠かせません。風化が進むと潮が引くように支援の波は引いていくでしょう。社会全体の後押しは必要条件。全国の人々に熊本のことを"我が事"と認識してもらう必要があります。その実現手段として,熊本からどんどん情報発信をしていくことが最も有効です。一切遠慮は要りません。風化に抗する特効薬は「言い続ける」努力であり,それが被災地の責任でもあります。■脱・り災証明
では,第1に挙げた「一人ひとりを大事にする制度改善」というのはどんなことでしょうか。少し説明を加えておきたいと思います。
熊本の被災地では,全壊や半壊などを示す「り災証明書」の発行をめぐってトラブルが絶えません。被災者の方々は,少しでも高い認定を得ようと必死です。自治体の側はり災証明の発行が遅れに遅れています。
なぜそんなふうになるのか。
それは,半壊だったら被災者生活支援金が出ないとか,仮設住宅に入居できないなど,ほとんどの被災者支援の施策が,り災証明と結び付いているからです。お金等の支給条件である以上,どうしても自治体は間違いをおそれて慎重になるし,切実な期待を寄せる被災者は不利な結果には納得しにくくなるのです。「り災証明絶対主義」の弊害です。
しかし,よく考えるとおかしな話です。
というのは,り災証明というのは「住家」の壊れ具合を示すだけ。被災者の受けた被害を正しく表しているわけではありません。
被災者が,仕事を失ったり,生業の礎を破損した場合,住家ではないから,別の話になります。地盤がやられた場合も,り災証明の枠外です。怪我をしたり,家族が亡くなってしまって心身に深い傷を負うこともあるでしょう。高齢や障害など様々な理由で,破損の程度は軽くても厳しい生活を強いられる人々もいます。遠方に避難して環境が一変して戸惑っている人もいます。同じ世帯であっても,家族それぞれの被害観は違います。
被害の様相は,一人ひとり違うのです。東日本大震災の被災地の現実は,今,それを浮き彫りにしています。
宮城県石巻市では,5年が経過した今も,床がなくて地面が剥き出し,雨風さえしのげず,トイレも使用不能なボロボロの家屋で寝起きしている高齢者がたくさんいます。「在宅被災者」と呼ばれる方々です。
在宅被災者の多くは,生存権が保障されていません。不健康で,非文化的で,最低限のレベルさえ下回るような生活を余儀なくされているのです。
そういった方々が置かれた現状は,り災証明だけで表現することは不可能です。一人ひとりの課題を,個別に捉えることが必要になってきます。
いま,仙台弁護士会のメンバーの方々が,一人ひとりの在宅被災者の問題解決に取り組んでいるところです。力強い存在です。■災害ケースマネジメント
被災者を救う制度はたくさんあります。しかし,一律の支援制度は,被災者のニーズにマッチしないし,結果として無駄も生じます。だから,一人ひとりの抱える課題に応じた支援をするのが,実は最も合理的なのです。
日弁連は,本年2月,こうした視点から意見書を公表しました。そこでは,①被災者生活再建支援員を配置し,②被災者一人ひとりが抱える課題を把握し,③それを被災者台帳に書き込み,④一人ひとりに応じた支援計画を立て,⑤被災者生活再建支援員がケアも含めて計画の実行を見守り,⑤適宜計画を見直し,⑥その人にとっての平時の生活まで戻すことをゴールにする,という「災害ケースマネジメント」を提案しています。
熊本地震の被災地では,今後は一人ひとりの生活再建が課題になります。
そのとき,この災害ケースマネジメントの発想で,これからの復興に臨むことが望まれます。
そして,それを我が事だと思って,力強く後押しするのが,全国の未災地に住む私たちの役割です。そうすれば「天災を忘れる」こともなくなることでしょう。
【「在宅被災者」の現実に向き合う [弁護士が見た復興]】震災直後の被災者支援、復興計画における政策決定、事業者や生活者の再建支援など、復興の現場では様々な場面で弁護士が関わっています。現地での支援や後方支援に当たった法律の専門家から見た復興と法律に関するコラムを、現役弁護士がリレー形式で書き下ろします。
今回の執筆者は、阪神淡路大震災の後、1年生弁護士として神戸で復興支援を行った経験を持ち、東日本大震災では災害復興支援委員会副委員長として支援を行った津久井進弁護士です。■一人ひとりの目線
一人ひとりが大事にされていない!・・・つくづくそう感じます。
4年半が過ぎて今なお復興が進まない被災地の現実を目の当たりにすると、もどかしさがとめどなく湧き上がって止まりません。その原因がどこにあるのか、考えをめぐらすと、結局、一人ひとりの人間が大事にされていないというところに行き着きます。
弁護士は、一人ひとりの悩みに向き合い、一人ひとりの依頼に応えることが生業(なりわい)。為政者のように、顔の見えない“ヒサイシャ”全体を冷ややかに観察するのとは異なります。生の人間である一人ひとりの被災者の目線に立って、その現実をつぶさに認識し、問題の核心に迫るところから仕事が始まります。
だからこそ、この国の復興施策には一人ひとりを大事にしようとする思いが決定的に欠けていることが不条理に映り、また、それを克服できない現状をもどかしく思うのです。■石巻市の現実
そんな私も、4年経ってはじめて知る被災者の現実がありました。
石巻市には「一般社団法人チーム王冠」という市民ボランティア団体があります。代表の伊藤健哉さんから昨年(2014年)11月末に1通のメールが私のもとに届きました。「私たちは東日本大震災後、支援活動を始めた素人です」と書き出されたメッセージには、何枚もの信じられない情景の写真が添付されていました。写真1、2は、石巻市北上地区の高齢者の独居男性の家屋を写したものです。家の中も荒れ果てたまま。驚くべきことは、被災直後の写真ではなく、震災から3年8か月過ぎた時点における有様だということです。そこで今も老人は一人で暮らしているのです。
写真3は、石巻市大街道南の老々夫婦の世帯です。震災直後に宮城県の防災道路の計画が持ち上がったため、修理を躊躇して現在に至っていますが、3年経っても計画が進まず、今なおこの状態のまま暮らしているというのです。
写真4、5の世帯は、60代女性と障害者の娘、震災で失業した弟の3人家族です。一見すると全壊にしか見えませんが、津波基準のため大規模半壊にとどまり、今でも雨漏りがひどく5部屋のうち2部屋しか使えないというのです。
チーム王冠は、被災直後からずっとこれまで,行政等による被災者支援から漏れ落ちた人々に対する支援を続けてきました。
「漏れ落ちた」とはどういうことでしょう。
たとえば、(1)弁当は避難所にいる人にしか届かない、(2)自宅の修理制度を使うと仮設住宅には入れない、(3)一度仮設住宅を出ると二度と戻れない、(4)仮設住宅にいる人にしか支援物資も届かない、(5)そもそも支援制度を知らない人はそれを使うこともない。どれもこれも被災地で本当に起きている事態です。机上で想定した単線型の制度のレールから外れると、あらゆる支援の枠外になってしまうのです。仮設住宅にいる被災者との格差を比較すると、それは一目瞭然。■在宅被災世帯と仮設世帯との支援格差
こうした「制度のすきま」から漏れ落ちた人々は、どんな災害でも必ず存在します。だからこそ、そこに光を当てて何とかすることが在野法曹たる弁護士の役割だったはずです。
ところが、私は、チーム王冠の伊藤さんらの貴重な活動も、また、石巻市の現状も不明にして知りませんでした。
震災から間もなく5年。今こそ弁護士たちに頑張ってもらわなければならない!そういう訴えを突き付けられたような気がしました。■在宅被災者とは
何らかの事情で避難所や仮設住宅に行かず自宅で困難な生活を続けている被災者たちは、これまで「在宅避難者」、「自宅避難者」、「2階生活者」、「ブルーシート族」などと呼ばれていました。この問題を詳しくルポタージュした岡田広行氏の『被災弱者』(岩波新書)では、「在宅被災者」と定義しています。
在宅被災者には、これまで私もあちこちの被災地でお会いしました。
支援が行き届かないことが問題視され、私たちも改正を呼び掛け、2013年6月の災害対策基本法の大改正で、以下のような条文も新設されました。(避難所以外の場所に滞在する被災者についての配慮)
第86条の7 災害応急対策責任者は、やむを得ない理由により避難所に滞在することができない被災者に対しても、必要な生活関連物資の配布、保健医療サービスの提供、情報の提供その他これらの者の生活環境の整備に必要な措置を講ずるよう努めなければならない。この改正を契機に、在宅被災者にも一定の支援の手が届くと思い込んでいました。しかし、現実はそうではありませんでした。とりわけ、人口が多く大規模な被災を受けた石巻市には、特に在宅被災者の問題が深刻化していました。
チーム王冠は2014年10月~11月に石巻市内に在宅被災者の家屋修繕状況を調査しました。調査は、1100世帯以上に訪問して行われ、538件の有効回答が得られ、半数は修理未完成の状態。修理できない理由の半数は金銭的理由とのことで、支援制度の不足であることは明らかでした。そして在宅被災者の圧倒的多数が高齢者世帯でした。
在宅被災者は4年半にわたり、放置され続けていたのでした。3年前、在宅被災者は少なくとも1万2000人は存在しました。今、もし本格的な悉皆調査を行えば、在宅被災者の数は数千世帯にのぼると思われます。
なぜ声を上げないのか?と思う人もいるでしょう。だが、伊藤さんからのメールには、「被災者の心情としては、被災した家屋を直せないのは『恥ずかしい』のです」とありました。それが、一人ひとりの被災者の素朴な生の声なのです。
本当の意味で在宅被災者の目線に立って、支援の仕組みを建て直す必要がある、そう思いました。■一人ひとりが大事にされる災害復興法をつくる会
私は、2015年5月、仲間と呼び掛け合って、「一人ひとりが大事にされる災害復興法をつくる会」という任意団体を立ち上げました。
文字どおり、「一人ひとりを大事にする」ことを目標に、制度改善を求めていくことを目的とし、誰もが一人ひとりで参加できる形にしました。この会のことは、あらためてお話しすることにしたいと思います。
私は、この会の代表としてチーム王冠のアテンドを受け、在宅被災者のお家を7軒ほど訪問し、その実態を目の当たりにしました。共同代表の新里宏二弁護士も8月に石巻に足を運び在宅被災者宅を訪問しました。新里は、ある独居老人の家で、居間に置いてあるオマルにつまづき、トイレさえも補修できずに暮らしている惨状に気づいて深いショックを受けていました。
一人ひとりの会では、2015年8月28日に衆議院議員会館で院内集会を開催し、国会議員や復興庁の参事官などの出席も得て、次の動きに期待できる意見交換を行うこともできました。私たちの目指すところは、今、目の前で無言のままで困難な生活を強いられている一人ひとりの在宅被災者が救われることです。
具体的な施策として、在宅被災者を支援する支援協議会(あるいは公的なセンターまたは民間の受託機関)を立ち上げることを考えています。
ポイントは、在宅被災者の抱えている問題は、一人ひとり違うということです。問題解決のためには、一人ひとりの問題状況を把握し、計画を立て、それに応じた様々な社会リソースを組み合わせ(弁護士もそのうちの一つとなる!)、その支援を実行していく必要があります。
私たちは、その仕組みを「災害ケースマネージメント」と名付け、実現していくつもりです。文/津久井進 弁護士法人芦屋西宮市民法律事務所代表,阪神・淡路まちづくり支援機構事務局長
【在宅被災者というサイレントマジョリティー チーム王冠2015/1】■在宅被災者(在宅避難者・自宅避難者)とは?
東日本大震災によって各地でたくさんの避難所が設けられましたが、その避難所に居場所を確保できず、やむを得ず被災した自宅に戻って避難生活をした人たちがいます。時が経ち、被災者の生活場所が避難所から仮設住宅に移ってからも、仮設住宅には引っ越さず、自宅での生活を続けた人たちがいます。彼らを在宅被災者と呼びます。在宅被災者は在宅(自宅)避難者、2階生活者、ブルーシート族などの呼び方で、新聞、メディアでも度々紹介されてきました。東日本大震災で初めて大量に生まれた被災形態とも言われています。
在宅被災者は災害救助法や災害対策基本法で想定されていない被災形態だったために、長期間にわたる支援活動の中で、その扱いは被災した各自治体の判断に委ねられる形となりました。これは災害救助法の権限が都道府県知事にある一方で、災害対策基本法の責任が市町村の各首長に委ねられている「ねじれ現象」に起因します。時間が経てば経つほど各自治体の責任は重くなっていきました。
この問題を語るとき、石巻市は批判の的とされますが、反面、宮城県で唯一、在宅被災者の存在を認めて数々の施策を打っています。その施策の失敗を批判されているに過ぎません。
他の自治体はその存在を認めず、または認識しながらも有効な手を打ちませんでした。これによってもみ消された悲鳴があったことは真実であり、忘れてはいけません。石巻市で民間団体が行ったアセスメント調査によって、在宅被災者は推定12000世帯いると言われていて、チーム王冠でも宮城県全域で2700世帯以上を認識しました。2011年の内閣府ボランティア連携室でも度々議論され、JCN(東日本大震災支援全国ネットワーク)の議題に何度も上がりながら、実はその定義すら定まっていません。これまで公的な機関できちんと調査されたことがないことも大きいと思います。内閣府の防災担当は復興庁が管轄だと言いますが、復興庁はその存在も「在宅被災世帯」という言葉も知りません。
2014年(平成26年)6月、災害対策基本法が改定されました。大きなポイントは2つ。ハンディキャップを持つ障害者に対するケア、福祉避難所創設に関することと、避難所に避難しない在宅被災者に対する支援に言及した点です。一体誰が、何の目的で法律を改定したのでしょうか?あの頃は民主党政権だったからと現与党議員は言いますが、この法律の見直しを決めたのは平成25年当時の内閣府であり、現政権です。つまり現政権与党は、東日本大震災で問題があったことを認めつつ、法律だけを改定し、法律は過去に遡らない「法の不遡及」の原則を逆手に取ってだんまりを決め込んでいるのではないかと勘繰りたくなる状態が2015年1月現在です。
では、在宅被災世帯の現状はどうなっているのでしょうか?
ここに2014年11月に公表した「家屋修繕状況調査報告書」(チーム王冠編)があります。
ダイジェスト版を見るだけでも、おそらく多くの人は驚くと同時に様々な疑問が浮かんでくると思います。
▼参考資料 「1ページで知る在宅被災世帯」 ※リンク先はいずれも外部サイトです
■何故、在宅被災世帯は被災者として扱われず、支援を受けられなかったのか?
1.前例がなく、どう対応するべきかの判断が、混乱する各自治体任せになった。
2.災害対策基本法などの法律は、在宅被災世帯を想定していなかった。
3.災害規模が大きく、現場の判断で優先順位が下げられた。
4.前例のない在宅被災者を支援する民間の支援団体に活動費が出なかった。
5.時間だけが過ぎて行き、支援するべき判断材料がないまま置き去られた。簡単に説明できる問題ではありませんが、多くの人に認識してもらい、将来のために大いに議論していただきたいと思います。そのためにも、現状をしっかりと把握しておくことは重要です。将来、広域で現れる可能性のある未知の被災者を、各自治体任せにしておくことは間違っています。
東日本大震災を含めた過去の震災を語るとき、時々、「自ら選んだ道」「自己責任」という声を聞きますが、一度立ち止まって想像して頂きたい。あなたが自分の地区の指定避難所に入れないことを。
地域全体が被災して数千、数万人が同時に被災者となった場合、あなたの地区の避難所は全員を収容できるでしょうか?また、例えば障害者を家族に持つ人はどうでしょうか?要介護者、持病を持っている人は?ペットを飼っている人は?数百、数千の人が雑魚寝せざるを得ない中の一人になることをあなたは想像できますか?
まだ不安はあります。かろうじて残った、被災した家屋から大事な財産を盗まれる恐れがあるとしたら、あなたならどうしますか?そこには現場にいなければ、被災者にならなければわからない背景があったことを想像してほしいと思うのです。
■現在進行形の被災者
断言します。在宅被災世帯は東日本大震災の被災自治体すべてに存在しています。宮城県だけを挙げても、仙台市、名取市、岩沼市、山元町、亘理町、多賀城市、塩釜市、七ヶ浜町、東松島市、女川町、南三陸町、気仙沼市、そして石巻市。玄関のドアもない、壁のすきまから雪が舞い込む家、床の無い家、鍵がかからない窓、雨漏りが止まらない屋根、壊れた湯船、落ちた天井、ぶよぶよの床、カビの生えた壁・・・。これは2011年の話ではありません。2015年の今日を生きている在宅被災世帯、サイレントマジョリティの話です。血縁者が面倒を見るのは道理ですが、たった三千円の支援を子供たちに乞うただけで親子の縁を切られていのが被災地で起きている現実です。ストーブを支援されたけど灯油が買えない。病気が体を蝕んでいるけどお金が無くて病院に行けない。1日3食どころか2日を1食で耐えている。津波で濡れた畳を捨てダンボールを敷いて暮らしている。雨漏りを直せず雨のたびに車で寝ている。泥出しが出来ずに家屋が腐り、カビ臭のする中で暮らしている。そういう人たちが現実としてまだまだいます。
支援を受けられない在宅被災世帯やみなし仮設(借り上げ仮設)の人たちの悲痛な思いに触れるたびに、阪神淡路大震災の悲劇から学んだプレハブ仮設(応急修理仮設)への支援は正しいと思うことができます。
今、この悲劇を見過ごせば、将来高い確率で起こると言われている大地震、大津波の被災者が、また同じ苦しみを味わうことになるのです。
東日本大震災は被災者の中では現在進行形です。そして、多くの被災者にはまだ終わりが見えていません。
2015年1月
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