戦前から続く社会保障崩壊のルーツ~渋沢栄一の嘆き
法学館憲法研究所の「今週の一言」から、本田 宏さん(NPO法人医療制度研究会副理事長 医師)のレポート。
「日本の医療費は先進国最低に抑制され、一方で医療機関が購入する薬剤や医療機器は世界一高いという理不尽な構図」になっており、「医師の絶対数11万人不足、医学生数も先進7カ国最低!」であり、さらに社会保障給付分を考慮した税・釈迦保険料等の負担率=「純国民負担率」が非常に高いことを指摘している。
そして、日本の社会保障崩壊のルーツには、日本資本主義の神様といわれる渋沢栄一が嘆いた「社会貢献意識が乏しい経済人と官尊民卑の官僚政治の問題」が現在も続いている、と指摘している点は興味深い。
市民運動の高揚、野党の共同… 日本社会ははじめて民主主義を自らの手で獲得しようとしている、と思う。明治以来つづく、社会保障崩壊のルーツを断ち切る第一歩となりうる選挙である。
【「本当の医療崩壊はこれからやってくる」本田 宏 5/30】
「本当の医療崩壊はこれからやってくる」
本田 宏さん(NPO法人医療制度研究会副理事長 医師) 2016年5月30日
【はじめに】
昭和54年に弘前大学医学部を卒業し、平成元年から26年間、先進国一医師不足の日本の中で最も医師が不足する埼玉の地域中核病院で勤務しました。昨年3月で36年間の外科医生活に終止符を打ち、現在は医療再生のための情報発信活動に加えて、安保関連法(戦争法)反対や憲法25条を守る市民活動等に全力を投じています。
私が外科医を引退した最大の理由は、明治維新以来続くクレプトクラシー(収奪・盗賊政治)を変えなければ、医療・介護崩壊はもちろん日本が抱える多くの問題の解決が不可能と悟ったからです。本稿では日本の医療や社会保障崩壊の実態と、そのルーツについて解説したいと思います。
1、日本医療・社会保障体制の実態
1)日本の医療費は先進国中最低
日本は世界の経済大国ですが、目前に未曽有の超高齢化社会が迫っているのに、医療費は先進国最低に抑制され、一方で医療機関が購入する薬剤や医療機器は世界一高いという理不尽な構図となっています。さらに医療費の国民自己負担は先進国最高なのに、昨年も医療・介護総合法案等で、医療費のさらなる削減と患者負担増が断行されました。
社会実情データ図録より http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/shushi.html
その上昨年は多くの国民の反対にもかかわらず、違憲の安保関連法が強行採決され、案の定防衛予算は過去最高に増額される一方で、先進国最低の医療費は40兆円を超えると繰り返し危機感が煽られました。
しかし大手メディアは報道しないものの、40兆円の医療費の内訳は、国や地方の公費負担が40%弱で、患者の保険料と窓口自己負担の合計と同じ程度に過ぎないのです。
2)医師の絶対数11万人不足、早急に大幅増員を
救急患者のたらい回し(≒受け入れ不能)や診療科や病院の閉鎖等、医師不足が全国各地で問題となっていますが、日本の人口当たり医師数は、WHO(世界保健機構)加盟国63位で、OECD(経済協力開発機構)加盟国の中でもビリから4番目、OECD平均と比較すると約11万人も不足しています。
その結果日本の医師の労働時間は先進国最長となっています。ここで注意しなければならないのは、日本の医師だけが59歳まで週間の平均労働時間が60時間を超えて、月80時間以上という過労死認定基準を超えていること。さらに英・仏・独の医師の労働時間調査は60才以上で終わっていて、日本のように高齢医師は働いていないと推察されることです。つまり日本の医師数には80歳を超えた高齢医師が含まれ、その医師が週に30時間近く働いていることがわかります。
次の3つの図は大阪府医ニュース(2006.8.2)に掲載された大阪府医師会勤務医部会のアンケート調査です。「勤務環境に関するアンケート調査(1)、対称;府医会未入会医師、49歳以下、有効回答369人」
この調査結果からも、いかに勤務医が長時間労働に苦しんでいて、それが医療事故の温床にさえなっていることが読み取れます。さらに日本では医師不足によって、産科や小児科だけでなく、本来は病院に不可欠な救急医、麻酔医、腫瘍内科医、緩和ケア医等も絶望的に不足しています。たとえば日本の救急専門医は米国の1/7しかいないために、救急専門医でない内科や外科等の医師が夜間や休日は救急医として病院で働かざるを得ない状況が続いているのです。
そのため、一人何役を当然のように求められる地方や医師不足の病院から、より人員がそろった都市部の大病院へ医師が集中するという、医師不足による偏在の問題も生じるのです。
3)医学生数も先進7カ国最低!
日本は医師数だけでなく、人口当り医学部卒業者数も先進国最少です。医療崩壊の先輩英国はすでに医学部定員50%増を断行し、日本より人口当たり医師数が多い米国でさえ、将来の高齢化に備えて30%の医師増員が計画されているのです。
「メディカルスクールとPA導入で医師の増員と負担軽減を」本田 宏 月刊/保険診療2015年6月号より
4)日本の国民負担率は低いは嘘、あまりにも低い社会保障給付費!
政府は日本人の国民負担率(税や保険料等)は低いのだから、社会保障充実は困難と説明し、社会保障充実のためにと消費増税を断行しましたが、果たして本当なのでしょうか。
かつて民主党政権時代に、子供手当てが「バラマキ」と批判されましたが、アメリカ以外の先進国では社会保障給付費として、子育て支援は当たり前、出産・育児も保育も教育も介護も、もちろん医療にいたるまで多くの手当が給付されています。一方現在の日本では本来国民の権利として保障されるはずの医療や教育等に高額な自己負担を強いられており、日本国民の純国民負担率は非常に高くなっているのです。
2、日本の社会保障崩壊のルーツ
1)明治時代;渋沢栄一が指摘した官僚と経済人の問題
日本資本主義の神様といわれる渋沢栄一(天保11年2月13日~昭和6年11月11日:1840~1931)は「論語と算盤」(国書刊行会)で「道徳経済合一論」の真骨頂である「金儲けだけでは駄目だ、論語に立ち返って社会貢献も考えなければならない」と経済人に訴え、さらに同書の「時期を待つの要あり」の部で「官尊民卑」について以下のように述べています。
『(前略)私は日本今日の現状に対しても、極力争ってみたいと思うことがないでもない、いくらもある、なかんずく日本の現状で私の最も遺憾に思うのは、官尊民卑の弊がまだ止まぬことである、官にある者ならば、いかに不都合なことを働いても、大抵は看過されてしまう、たまたま世間物議の種を作って、裁判沙汰となったり、あるいは隠居をせねばならぬような羽目に遭うごとき場合もないではないが、官にあって不都合を働いておる全体の者に比較すれば、実に九牛の一毛、大海の一滴にも当らず官にある者の不都合の所為は、ある程度までは黙許の姿であるといっても、あえて過言ではないほどである。これに反し、民間にある者は、少しでも不都合の所為があれば、直ちに摘発されて、忽ち縲絏の憂き目に遭わねばならなくなる、不都合の所為あるものはすべて罰せねばならぬとならば、その間に朝にあると野にあるとの差別を設け、一方は寛に一方は酷であるようなことがあってはならぬ、もし大目に看過すべきものならば、民間にある人々に対しても官にある人々に対すると同様に、これを看過してしかるべきものである、しかるに日本の現状は今もって官民の別により寛厳の手心を異にしている。』
日本の社会保障崩壊のルーツには渋沢栄一が嘆いた、社会貢献意識が乏しい経済人と官尊民卑の官僚政治の問題があるのです。実はこの体制は敗戦後も変わることなく、1981年には土光臨調が「米・国鉄・健康保険が経済の足を引っ張る3K」と答申し、1983年には厚生省保険局長が自身の論文で「医療費亡国論」を唱え、経済界と官僚が一体となって医療費抑制を主導した歴史があるのです。
2)明治時代、海外から見た日本は
渋沢が嘆いた明治維新以降の日本の状況を世界はどう見ていたのでしょうか。私は昨年3月に二度目のキューバ視察に参加し、キューバ国民から革命の使徒として絶大な尊敬を集めているホセ・マルティが残した文章にそのヒントを見つけました。
ホセ・マルティ(1853年1月18日~1895年5月19日)は第二次キューバ独立戦争(1895年~1898年)でスペイン帝国を相手に戦い、戦闘中に亡くなった思想家ですが、マルティはフィデル・カストロやエルネスト(チェ)・ゲバラらによる1959年のキューバ革命に多大な影響を与えました。今でもホセ・マルティ国際空港や革命広場等でその姿を偲ぶことができます。
革命記念館のマルティ像
経済大国と言いながら医療や福祉を軽視する日本で、10年以上医療再生を目指して情報発信を繰り返してきた私にとって、米国の過酷な経済制裁下においても医療や教育を無償で提供するキューバは憧れの国家でした。
キューバの精神的支柱とされるマルティに強く興味を抱いた私は、キューバ視察から帰国後に、「椰子より高く正義をかかげよ ホセ・マルティの思想と生涯」(海風書房)の冒頭にマルティ研究所副所長のペドロ・パブロ・ロドーリゲスが日本語版への序文として書いた以下の一文を発見したのです。
(マルティは)ベネズエラの読者にもこう書いている。
「近代生活は、激しくきらびやかに、日本にどっと入り込んでいる」。これは、多くの人々が観察した事実が証明しているところであるが、彼は「激しくきらびやかに」と述べるにあたって、それを反語的に紹介しているのである。(中略)
天皇は反動的な人々に対抗して若者や次の世代の人々に共鳴していた。天皇が「皇室内の金の彫像であり、目に見えない神」であったとき、首相や取り巻きが国の収入や運命を手中にして、自分たちの高い身分の保障と利益のために、国民を無知と貧困の状態に置いていたのである。
当時マルティが指摘した「反動的」な一部の人々とは、まさに渋沢が嘆いた戊辰戦争で勝利をおさめた薩長を主体とする官僚と、彼らと手を結んで巨利を貪っていた政商のことではないでしょうか。それにしても明治維新以降の日本の有り様が、海外のマルティによってこのように喝破されていたことには驚くばかりです。
【おわりに】
マルティが明治時代に指摘した、「首相や取り巻きが国の収入や運命を手中にして、自分たちの高い身分の保障と利益のために、国民を無知と貧困の状態に置いていたのである」という構図は、敗戦後70年経過した現在の日本で変わっているでしょうか。私には日本のごく「一部の人々」は明治維新から敗戦までは"天皇"を、敗戦後から今日までは"米国"を錦の御旗に掲げて国の収入や運命を手中にし、自分たちの高い身分の保障と利益のために、国民を無知と貧困の状態においているように見えます。
一昨年の特定秘密保護法、昨年の安保関連法(戦争法)や原発再稼働、そしてTPP合意や辺野古基地移設も、そして社会保障充実のためと消費増税してその2割しか社会保障にまわさずに五輪や軍事費に大金を注ぐのも、日本が明治以来変わらぬクレプトクラシー(収奪・盗賊政治)と考えれば納得できます。
昨年9月にはベトナムで開催された第7回キューバ連帯アジア太平洋地域大会に出席し、今年の3月にはブータンの大学を視察で訪れましたが、海外から日本の有り様を眺めると明治維新はクーデターによる徳川幕府から薩長への権力移譲で、敗戦後の民主主義はマッカーサーがタナボタで与えたものにすぎず、私たち日本人は、未だ民主主義を自身の手で勝ち取っていないのだと痛感しました。
しかしどうしたら明治以来続く日本のクレプトクラシーを倒すことができるでしょうか。私は本稿で述べた日本が抱える歴史的問題を一人でも多くの人々に伝え、幅広い国民各層の「連帯」を強化し、選挙の投票率を大幅に高めて選挙による政治革命を目指しています。
今後も目の黒いうちは情報発信に加えて、市民活動への参加を通して幅広い連帯の強化に全力を尽くす所存です。皆さまの応援を心からお願いいたします。
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