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ホンモノでない! 「良き伝統」の正体  

  毎日「特集ワイド」が、「同姓は日本の伝統」、「礼儀正しさを伝統する日本人と異なる中国観光客」という「主張」や道徳教育にとりいれられた「江戸のしぐさ」などを取り上げ、“最近は、新しく、ウソに近い「伝統」がやたらと強調されている気がする”とし、「少数者、異論の抑圧」「排外主義〔他国を見下す思想〕」につながる、その危うさを指摘する。
  それは事実や科学的検証を否定する反知性主義でもある。

【特集ワイド それホンモノ? 「良き伝統」の正体  毎日1/25】

【“偽物の歴史”を教育に用いるのは、倫理の根幹を破壊する行為~「江戸しぐさの正体」著者・原田実氏インタビュー】

【特集ワイド それホンモノ? 「良き伝統」の正体  毎日1/25】

〔写真の解説・・・東京五輪の2年前、国鉄(現JR)東京駅近くの路上風景。植え込みも路上もごみだらけ=東京都中央区京橋1丁目で1962年5月27日、池田信さん撮影〕

 日本人は「伝統」という言葉にヨワいらしい。例えば選択的夫婦別姓制度の是非を巡る議論。安倍晋三首相ら反対派は「同姓が日本の伝統だ」と主張し、いくら専門家が「同姓は明治中期以降の新しい制度」と指摘しても聞く耳を持たない。このように最近は、新しく、ウソに近い「伝統」がやたらと強調されている気がするのだが……。【吉井理記】

■銀座はゴミの山だった

 中国の旧正月・春節(今年は2月8日)が近い。流行語にもなった中国人観光客の「爆買い」だが、彼らのマナーはどうだろう。
 「(ホテルで)酔って従業員に絡む人も」「寝間着にスリッパでロビーをウロウロする人は少なくなったが、じゅうたんにツバを吐いたりたばこを捨てて焦がしたり」「ひどいのはロビーのイスで足を開いて高イビキ」……
 中国人は、礼儀正しさを伝統とする日本人とは違うなあ……と、あえてそう思い込んでしまう書き方をしたが、実は全て日本人がやらかしたこと。東京五輪の年、1964年3月19日付毎日新聞の東京都内版が報じた日本人のマナーの悪さを嘆くホテル側の声の一部である。前年7月1日付では「汚れ放題東京の顔 銀座の歩道はゴミの山」との見出しで、通行人のごみのポイ捨てや住民が路上にぶちまけた「台所の残り物」が散乱する様子を伝えている。
 そして今、日本のマナーに反する中国人観光客はいる。列に並ばなかったり、ごみを捨てたりする人を記者も見たことがある。だが−−。

 「そこは『お互い様』です。最近まで私たちもそうでした。僕は70年代に米国留学したのですが、向こうで何に驚いたかというと、『割り込み』せず、みんなが列を作ること。当時の日本と大違いでした」と振り返るのは、社会心理学者で一橋大特任教授の山岸俊男さんだ。
鉄道利用者のマナーの悪さを報じた1951年2月の「サン写真新聞」(60年廃刊)に掲載された「割り込み乗車」の写真。「乗るときは一番後ろにいて、電車が来ると横に回り、ねじるように押し入る」らしい

 日本の駅で当たり前になっている「整列乗車」が生まれたのも戦後である。東京では47年ごろ、営団地下鉄(現東京メトロ)渋谷駅が最初らしい。駅長や駅員が整列乗車を訴えるプラカードを首から下げ、並び方を指導したのが始まりだ。これが後年、国鉄(現JR)などに広がった。整列乗車の成り立ちは「営団地下鉄五十年史」(91年)などが伝えている。
 銀行やスーパー、コンビニなどでも客に並んでもらうためにロープを張る、床にテープで線を引く、といった工夫をしてきた。街も、東京など各自治体が罰金・罰則を設けたり、「美化デー」を設けて清掃活動に力を入れたりしたことで清潔になっていった。

 つまり、戦後のさまざまな取り組みによって今のマナーの良さがある、ということ。これ自体は素晴らしいのだが、なぜか山岸さんは顔を曇らせる。

 「怖いのは、そうした過去を忘れ、今あるものを『これが日本の伝統だ』『昔からそうだった』、そして『だから日本人は昔から優れていた』と思い込むこと。これは非合理的な思考だし、他国を見下す思想につながる。近ごろはそんな風潮が広がっているようで心配です……」

■現状否定のため過去を美化

〔写真の解説・・・ごみが散乱する約60年前の旧国鉄の列車内。日本人は昔から礼儀正しかった……とは必ずしも言えないようだ=1953年11月、旧国鉄の尾久駅で〕

 では、冒頭の選択的夫婦別姓はどうなのか。戸籍が作られた奈良時代から明治中期までは別姓が基本だったし、初めて同姓を強制したのは1898年の明治憲法下の旧民法で、当時は同姓が基本だった欧米に倣ったのだ。
 「でも、現在では同姓を強制している国は極めて例外的。なぜ日本はこれほど不自由なのでしょうか」と首をひねるのは武蔵大の千田有紀教授(現代社会論)である。欧米でも近年は別姓も選べるようになっているし、逆に別姓が基本だった中国では同姓も選べる。
 「明治以降の夫婦同姓が家族本来のかたち、という考え自体が『日本の伝統』と呼べるのかは疑問だし、『別姓を認めると家族の一体感が損なわれる』という反対論も根拠があるのでしょうか」
 確かに別姓で家族の絆や一体感が崩壊した、あるいは別姓夫婦の子供の「個」の形成に問題が生じた、という国は聞いたことがない。離婚や再婚、事実婚や一人親が珍しくない今、親の姓が同一ではないことを問題にするのは意味があることなのだろうか。

 中央大の山田昌弘教授(家族社会学)も苦笑いする。「『多数派がやっていること』を伝統と言い換え、少数派を従わせようとしているだけです。自分と異なる考えを認めない。それを正当化するために『家族が崩壊する』と言い出す。そもそも結婚には昔、通い婚などがあったし、家族の形も各地で本家や分家、隠居制のあり方などに違いがあってさまざまでした。それが日本の伝統なんですが……」

 では、なぜ新しいものを「伝統」と考えたがるのか?

 「根底にあるのは『伝統の捏造(ねつぞう)』と同じ考え」と分析するのは著書「江戸しぐさの正体」で知られる作家で歴史研究家の原田実さん。現在の道徳や公民の教科書が取り入れている「江戸の商人・町人の心得・風習である江戸しぐさ」なるものが、実は1980年代に創作されたことを2014年に著書で指摘し、今もなお教育界に波紋を広げている。
 原田さんによると、「江戸しぐさ」を創作したのは高校教員や雑誌編集長を務めたとされる芝三光(しばみつあきら)さん(99年死去)。彼は日本人や社会のモラル低下を嘆いていた。現状を否定し「昔は良かった」とばかり「ユートピア」を過去に求めた結果、道徳が優れている「想像上の江戸時代の人々の風習=江戸しぐさ」を生んだ。
 「『昔は良かった』という考えがクセもの。この考えに従うと『今ある良いものは昔からあったはずだし、昔はさらに良かったはずだ』との考えに陥りやすい。だから『日本人の道徳・マナーは昔から優れていた』と考えてしまう。『戦後日本から道徳やモラル、公の心が失われた』と言う人は戦前を評価する傾向にあるが、これも同じ。本当にそう言えるのでしょうか」

 試しに統計を見れば、戦前・戦中(1926〜45年)の殺人事件の人口10万人当たりの発生件数は1・25〜4・14件で、2014年の0・83件より高い。「現状否定のために過去を美化しても、史料に裏切られるのがオチ」と原田さん。

■「理想の人間づくり」行く末は

 「昔は良かった」と考える人が強調するその道徳教育、安倍政権は18年度以降に小中学校の「特別教科」とすることを決めた。著書「新しい国へ」で盛んに「問題はモラル低下だ」と指摘していた安倍首相らしい。山岸さんは「20世紀で、最も道徳教育に力を入れたのは旧ソ連や中国など社会主義国家でした。自分より公を大切にせよ、と。でも結果はご存じの通り。歴史上、どんな国・社会も道徳教育で『理想の人間づくり』に成功した事例はありません。これこそ『伝統』なんですが」。

 年始から夏の参院選について「憲法改正を訴えていく」と力を込める安倍首相。自民党の憲法改正草案の前文には「良き伝統を……末永く子孫に継承する」とある。その「伝統」の正体を注視したい。

【“偽物の歴史”を教育に用いるのは、倫理の根幹を破壊する行為~「江戸しぐさの正体」著者・原田実氏インタビュー】

「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」「うかつ謝り」…。江戸っ子の知恵に基づくマナーとして注目され、公共広告機構(AC)のCMに利用された「江戸しぐさ」をご存じだろうか。江戸時代の歴史に基づいているとされ、道徳教育に適していることから、現在では、企業研修や学校の授業などにも利用されているという。しかし、この「江戸しぐさ」がまったく偽物の歴史だとしたら、どうだろうか。「江戸しぐさ」の内容を歴史的に検証した著書「江戸しぐさの正体」を上梓したばかりの原田実氏に話を聞いた【取材・文:永田 正行(BLOGOS編集部)】

■歴史的考証にまったく耐えられない「江戸しぐさ」

―まず最初に「江戸しぐさ」の概略と、今回の検証本を書かれた経緯からお話しいただけますか?

○原田実氏(以下、原田): NPO法人「江戸しぐさ」が主張するところによると、「江戸しぐさ」は、「江戸時代の町人文化によって形成された生活哲学、行動哲学」であり、それが200年以上続く江戸時代の平和を守る基本になってきたそうです。

こうした「江戸しぐさ」が本格的に社会に知られるようになったのは、今世紀に入ってからです。「江戸しぐさ」伝承の語り部とされている越川禮子さんが2000年に講談社から出した本(商人道「江戸しぐさ」の知恵袋)がきっかけとなって、様々な学校の校長クラスに働きかけが行われた結果、あちこちの学校の道徳教育に採用され、さらに企業の社員研修などにも使われるようになりました。

そして、2004~5年に公共広告機構(AC)のテレビコマーシャルに採用されることで、一気にメジャーになり、普及していきました。2008年にはNPO法人「江戸しぐさ」という団体が設立され、そこで現在流通している「江戸しぐさ」の内容を管理するようになっています。

私は、ACの広告を見た時から、「これはちょっとおかしいんじゃないか」と思っていました。何故なら「江戸しぐさ」と言いながらも、電車内での席の譲り方などといったものがメインだからです。現代の生活の中でしか通用しない、江戸時代に存在しなかったものを想定したマナーが、歴史的に正しいわけがありません。当時から私と同じことを考えている人がいて、ネットの一部では批判も出ていたのですが、「こんな荒唐無稽なものだから、それほど影響力をもたないだろう」と思っていました。

ところが、調べてみるとNPO法人「江戸しぐさ」が設立されてからは、特に教育方面の世界に非常に大きな影響力を持っていて、TOSS(教育技術法則化運動)のように、「江戸しぐさ」を教材に取り入れて、普及している団体も出てきていた。それで、「いや、これは基本的に江戸時代のものではありえないんだよ」ということを、きちんと誰かが説明しないとマズイだろうということで、本格的に調べ始めたんです。

―今回の著書の中で、原田さんは「『江戸しぐさ本』の中には、『江戸っ子はトマトをよく食べた』というような描写があるが、当時のトマトは観賞用だった」というように一つ一つ「江戸しぐさ」の内容を否定しています。こうした歴史的考証に耐えられない内容にもかかわらず、何故専門家から「江戸しぐさ」に対する批判が出てこなかったのでしょうか?

○原田:専門家から見れば、あまりにばかばかしいので、「いちいち反論しようという気もおきない」というのが、正直なところだったのでしょう。ところが、歴史家からの反論がないということで、そこからちょっとずれた業界では、広く受け入れられてしまった。

例えば、学術論文のリストを見てみると、「江戸しぐさ」を扱った論文というのは、教育学や企業経営といったジャンルでは何十本もあります。一方で、歴史学、民俗学、近世文学など、実際の江戸の文化に関わるような専門分野での論文というのは皆無なわけです。

■「江戸っ子狩り」という虐殺があったとする荒唐無稽な主張

―「傘かしげ」(狭い道などですれ違う際に、傘を少し倒して相手のためのスペースを作る動き)など、「江戸しぐさ」の代表的なものでも、ちょっとした考証にすら耐えられないのでしょうか?

○原田:「傘かしげ」に関しては、和傘と洋傘の構造の違いが一番大きいですね。和傘であれば、かしげるのではなく、すぼめる方が早い。江戸時代においては、傘は大きく広げるよりも、すぼめるように持つのが主流でした。浮世絵などで大きく開いているのは、本当に見栄をきるような、非日常的ポーズとして描かれているからです。実際に歩いている人を描いた当時の絵などを見ると、全部開ききらないように持っている人の方が多い。

また、江戸の家の造りというのは、路地に土間が面していて、大きく外にむけて開いている構造になっているんですよね。その構造のところで、傘かしげをやると、下手をすると、店頭や人の家の台所に水をぶちまけることになってしまう。そういうおかしさが「江戸しぐさ」には所々あるのです。

―NPO法人「江戸しぐさ」は、「江戸しぐさ」に関する文献資料が残っていない理由を、「江戸っ子が明治政府によって虐殺されたからだ」と主張していますが、これも荒唐無稽ですよね。

○原田:この本が出た直後に越川さんを招いて合宿を行った団体があり、それに参加した方のブログを見ると、「『江戸しぐさ』が嘘だといっている人がいるらしいけれども、歴史というのは、勝者の歴史から残らないんだ」というようなことを言っていたそうです。

彼らの「虐殺があった、そして虐殺があったことさえ隠蔽されてしまった」という歴史観は、ある種の人たちにとっては、非常に魅力があるわけです。それがなかったら、「江戸しぐさ」が何の記録にも残っていないということを説明できないわけですから。

ですが、江戸というのは、武士にしろ町人にしろ、とにかく書き物を残す人が非常に多かった時代なんです。実際、幕末から明治初期にかけては日記や随筆によって、かなりいろいろなことが復元できる。事実関係が相互に矛盾しているというケースというのは見られますが、そうした記録にまったく残らないものがあったというのは信じられません。

歴史学においては、考古学史料にしても、文献にしても、伝来の経緯は常に追及されます。しかし、「江戸しぐさ」はその追及に耐えないわけです。現代まで伝わってきた経緯そのものが明確な虚偽であるということが最も致命的なんです。つまり、ぐずぐずな土台の上に、立派な建物が建つはずがないんですよ。

■過去に対する過剰な幻想を持ってはいけない

―「江戸しぐさ」の内容の多くは、江戸文化の専門家に聞けば、「何を言ってるんだ」というレベルのものなんですね。

○原田:そうですね。学問的におかしな内容のものが、先入観と合致したら普通の人は先入観を優先してしまうんです。科学というのは、先入観も含めて前提自体を疑うものですから、先入観に基づいて行動するという通常の人間の行動パターンを否定するやり方なんです。

ですから、自然科学的な思考法というのは、ある程度人間の行動のパターンに逆らうところがある。だから、この場合は歴史ですが、科学を装っている偽者、学問を装っている偽者は、むしろ先入観に受け入れられやすい形を取るわけです。ゲーム脳の話とかが典型ですよね。

「江戸しぐさ」の場合は、「江戸は太平だった」「昔の人はモラルがきちんとしていた」という人々の先入観にまず答えたことが功を奏したわけです。

―そうなると現状では、わずか数人によって生み出された偽の歴史が流通して、教育行政にまで入り込んでいることになります。にわかに信じがたいのですが、何故ここまで支持が広がったのでしょうか?

○原田:基本的に人は“いい話”を疑いません。また、現在の「江戸しぐさ」を語り継いだとされる芝三光氏は1999年に亡くなっていますが、彼の晩年となった70~80年代には「江戸ブーム」が盛り上がってきていました。「江戸時代のいいもの」を受け入れるような社会的な土台が出来ていたんですね。

さらに、「隠された真実」というものに対する欲求を刺激した部分があると思います。先ほども話に出ましたが、NPO法人「江戸しぐさ」は、「江戸しぐさ」に関する文献資料が残っていない理由を、「明治維新の際に、新政府による“江戸っ子狩り”という虐殺が行われたからだ」と主張しています。こうした「明治政府から抹殺された真の歴史があるんだ」という主張は一部の人には非常に魅力的ですよね。また、越川さんが説く江戸っ子のイメージが、時代劇でお馴染みの江戸っ子のイメージとかけ離れていることも好影響を与えたと思います。つまり、このことによって、「時代劇というのは、あくまでフィクションで歴史じゃないんだよ」と言いたがる人たちにも影響力を持てたのです。

そして、ある程度広がると、今度は細かいことを気にしない、いわゆる「時代劇的な江戸時代のよさ」を愛するような人たちにも、「江戸のいいものだ」ということで受け入れられるようになってしまった。その時点から、いままで主張していた歴史的にはかなり怪しい話がそぎ落とされて、マナー、ハウツーとしてマニュアル化された「江戸しぐさ」の本が越川さんの監修の形で大量に出るようになったんです。こうした本は非常に売れていて、版を重ねているものも多いです。

いったんそういう支持層が出来ると、各地の教育委員会や商工会議所が、大きな受け皿となって道徳教育用、研修用ということで、需要が形成されていくのです。さらに越川さんやお弟子さんを講師に迎えて、「江戸しぐさ」の講演会や勉強会も盛んに行われるようになっています。

―歴史的に「なかったこと」を証明するのは非常に難しいと思います。教科書にまで浸透している現状を考えると、批判するだけでは「江戸しぐさ」の拡大は防ぐことは難しいと思うのですが、更なる拡大を防ぐためには、どのようなことが必要でしょうか?

○原田:「江戸しぐさ」が、本当の江戸時代の文化と異なるということを知らせるには、歴史的に正しい江戸文化に関する知識の普及が必要でしょう。教育現場で、江戸時代の文化をきちっと調べなおすという作業をやってくれるだけで、ずいぶん違うはずです。

また、江戸時代に限りませんが、過去に対する過剰な幻想を持ってはいけない。そういう認識が広がることが重要だと思います。

「江戸しぐさ」の世界観に浸ってしまった人は、それを捨てることはできないでしょうから、根絶されるということはないのでしょうが、少なくとも教育現場で安易に用いるべきものではないでしょう。私が「江戸しぐさ」の一番の問題点だと考えているのは、教育現場で用いてしまうと、虚偽を根拠にして道徳を説くことになってしまうという点なのです。

それは、道徳の根幹である信頼というものを否定する行為です。「江戸しぐさ」が虚偽であることを承知した上で使うのであれば論外ですし、虚偽であることを知らない、認めないというのであれば、無知とか欺瞞の証明にしかならないわけです。よって、少なくとも教育現場で使うべきものではありません。

例えば、「イソップ童話」のようにフィクションを道徳教育で用いること自体は問題ないでしょう。しかし、「江戸しぐさ」の場合、フィクションであると言った途端に、そのありがたさが失われてしまう。芝三光という一人の老人の愚痴を江戸時代に仮託したからこそ、ありがたみをもってしまったのですから。

―「江戸しぐさ」の場合、「結果的によいマナーが浸透すればいいじゃないか」という擁護もありますよね。

○原田:ただ、そうすると形だけのマナーのために倫理の根幹を破壊することになりますよね。

―本が出てから数ヶ月ですが、「江戸しぐさ」側からのカウンターは出てきていますか?

○原田:TwitterやFacebookで「この本がトンデモだ」と批判している人もいるようです。 ただ、その批判の内容というのが、「『江戸しぐさ』というのは固定的なものではなく、常に移り変わっていくものなのだ」というような主張なので、むしろ足元を掘り崩しているんじゃないでしょうか(笑)。

―最後に未読の方にメッセージをお願いします。

○原田:今回の本が出るまで、学校で「江戸しぐさ」が教えられていることを知らなかった人も多いようです。これを機に、「今、学校教育がどういうことになっているのか」ということに関心を持っていただきたいと思っています。教育もやはり社会を構成する重要な要素ですから、その内容をしっかりと監視、そこまで行かなくとも把握していく必要はあるでしょう。

今までも、イデオロギー的な立場からの監視なり、批判なりは行われてきましたけれども、現在進んでいる事態は、イデオロギーですらなく事実段階から怪しいものが入ってきているということです。そういう事態に注意を払ってもらいたいと思っています。

―本日はありがとうございました。

■プロフィール
原田実(はらだみのる)歴史研究家。
1961年生まれ、広島市出身。龍谷大学卒。八幡書店勤務、昭和薬科大学助手を経て帰郷、執筆活動に入る。元市民の古代研究会代表。と学会会員。ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)会員。日本でも数少ない偽史・偽書の専門家であり、偽書『東日流外三郡誌』事件に際しては、真書派から偽書派に転じ、以降徹底的な追及を行ったことで知られる。


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