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テロとのたたかい~ 信頼醸成、平和構築こそ日本の役割

  シリアの反体制派を支援しているトルコが、アサド政権を支援するロシア軍機を撃墜。報道では、パラシュートで落下中の操縦士を銃撃・死亡させている。ロシアはISだけでなく、反体制派への攻撃を強めている。アサド政権排除に動いた欧米であるが、アサド政権が崩壊すると力の空白ができ、IS、アルカイダの温床になる危険がある。
  事態はいっそう複雑で混迷をきたしている。
  この地域で、かろうじて「武器を使用していない」という、他国にない日本の立ち位置をどう活かすか。安倍政権の外交・安全保障政策は、危険と混乱を拡大させるだけてある。


【安倍政権と安保法制が国内にイスラム過激派テロを呼び寄せる  リテラ11/15】

【西欧に対する「イスラムの怒り」とは? 内藤正典・同志社大学教授に聞く(前編)2015年1月26日】
【イスラムが求めるのは「神とともにある自由」 内藤正典・同志社大学教授に聞く(後編) 1/27】
【パリ同時多発テロが起きるほどに、IS膨張を許した戦犯は誰か? ダイヤモンド 北野幸伯11/20】

【安倍政権と安保法制が国内にイスラム過激派テロを呼び寄せる  リテラ11/15より】

 中東を専門とする国際政治学者で、イスラム国人質事件の際の的確な分析・論評が注目を集めた内藤正典・同志社大学大学院教授も『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』(集英社新書)で、まず、軍事力の行使や誇示は、対テロ戦争には役にも立たないどころか、さらなる危険を引き寄せるだけだと指摘している。

〈日本にとっても、イスラム戦争は他人事でも、遠くの出来事でもありません。国内では安倍政権が集団的自衛権を容認し、その行使を主張しています。中東・イスラム世界で想定されるのは、アメリカが自国に対するテロの脅威があるという理由で集団的自衛権の行使を同盟国に呼びかけ、日本もそれに呼応して派兵するケースでしょう。東アジアでアメリカに守ってもらうのだから、中東で恩返しをしなくては──もしそのような発想があるならば、日本にとってだけでなく世界にとって途方もない危険をもたらすことになるのです〉

〈日本で集団的自衛権の行使が議論され、海外への派兵の条件を緩和しようとしているさなか、世界の方が変わってしまったことに注意を向けなければなりません。日本が憲法にしばられて、自衛隊の海外派兵を躊躇している間に、軍事力の行使ではおよそ問題が解決しない方向に変わっていたのです。
 特に、イスラム世界で起きている現在の混乱において、軍事力の行使は、紛争解決に貢献しません〉

〈非対称の戦争では、いったい、誰に向かって宣戦布告をし、誰が降伏文書に調印するというのでしょう。アルカイダを相手にしているときは、象徴的にビン・ラディンが宣戦布告の相手だったように見えます。しかしいまや、何人もの相手がいます。アルカイダのアイマン・ザワヒリも、タリバンのムッラー・オマルも、イスラム国のバグダーディもそうです。一人を殺害しても、また次が出てきます。しかも世界中から〉

 では、いったい日本はどういう道をとるべきなのか。内藤氏が挙げるのは〈フィリピン政府と南部ミンダナオ島などを拠点とするムスリムの武装組織であるモロ・イスラム解放戦線とが和平への包括的合意に達した〉例だ。
 2011年、両者の仲介を行ったのは日本政府で、JICA(国際協力機構)の緒方貞子氏やNGOが協力。〈少なくとも、武力とは無縁の国際協力が平和構築に有効であることを示しました〉という。

〈アフガニスタンのタリバンでさえ、日本が軍を派遣しなかったことを理由に挙げて、和解のための会議に来ました。同じなのです。武力で強そうに見せることで、日米同盟の絆の強さをアピールすることと、武力は使わないと宣言して、対立している勢力の間に立って信頼醸成につとめ、平和構築に向かわせることと、どちらが現実的でしょう。日本人をグローバル化したいのであれば、世界の状況に謙虚に向き合うべきです〉

 だが、安倍政権は全く逆の方向を向いている。世界に向かって武力を誇示し、さらにテロを誘発するような外交戦略に次々打って出ているのだ。もしかすると、安倍政権はむしろ「テロ」を積極的に招き入れ、それを奇貨として、「緊急事態条項」を軸にした改憲世論を盛り上げるというシナリオを持っているのではないか。そんな陰謀論めいた不安さえ頭をもたげてくる。
 前出の内藤氏は同書の中で〈戦争が犠牲者を生み出し、怒りと悲しみを増幅させることは、これまでに起きた世界大戦も、今のこの戦争も同じです〉と語っている。卑劣なテロ、戦争の広がりを食い止めるためにも、安倍政権の自己陶酔的外交を食い止めなければならない

【西欧に対する「イスラムの怒り」とは? 内藤正典・同志社大学教授に聞く(前編)2015年1月26日】

◆「やり過ぎ」という批判が通用しないフランス人

――暴力は許されない、とはいえ、「シャルリ・エブド」紙のことさらにイスラム教徒の宗教的感情を傷つけようとするやり方には、日本人から見ても納得しがたいものがありました。

○日本だけでなく、イギリスでもアメリカでも「シャルリ・エブド」紙によるイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画は、風刺という範囲を超えて、神や預言者を冒涜しており、「やり過ぎである。表現の自由にも節度がある」という意見が多い。だが、「やり過ぎだから自制しなさい」という論理はフランスには通じない。
フランス共和国の理念は「ライシテ」というものだ。カトリック教会が個人の行動や価値観にまで干渉し、人生そのものを支配しようとして、王権と結託して、人民を抑圧してきた。これに対するフランス革命をはじめとする長年の闘いを経て、1905年に「国家と教会の分離法」を持って、「宗教は公の領分に関わってはならない」とした。これが「ライシテ」。
日本には「ライシテ」に合う訳語がないので、とりあえず「世俗主義」と訳しているが、単なる「政教分離」ではない。「政教分離」は「政治と宗教を切り離しなさい」程度の意味だ。しかし、「ライシテ」は個人が公の場で宗教を持ち出すことも禁じている。
これが徹底されることで、フランスは、宗教から自由になった。例えば、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人たちにとっては、生きやすい社会をつくることになった。フランス人にとってはかけがえのない権利である。
だから、言論の場で宗教や神におもねる必要もないので、「涜神の権利がある」ということすら言われる。「シャルリ・エブド」の風刺画にも宗教を題材とするものがある。
ただし、人種や民族や宗教を理由に特定の集団や個人を差別することはフランスでもできない。神や預言者を冒涜しても許されるが、「イスラムを信じる人は野蛮だ」といった女優は罪に問われている。

◆「シャルリ」はイスラムにとってはヘイトスピーチ

一方、イスラムにとっては、預言者ムハンマドと自分は分かちがたい存在であり、ムハンマドがいたからこそ自分がいるというほどの拠り所となっている。自分たちのアイデンティそのものであり、母親のようなもの。ちなみに、欧米ではイスラムは女性差別的だということばかり喧伝されているが、イスラム教徒の家庭で、一番偉いのはお母さん。だから、多くのイスラム教徒にとって、預言者を侮辱することは自分を全否定されたと感じ、ヘイトスピーチであり、人種差別であると受けとったはず。
両者は永遠に平行線です。フランス共和国のライシテ原理とイスラム教徒の原理は、協約不能な二つの原理だから、これからも衝突は続く。
不幸なことに、いじめの問題と同じで、フランスの人たちは、預言者を冒涜することがどれほどイスラム教徒を傷つけているかの自覚がなく、執拗に繰り返す。しかし、ここで考えなくてはならないのは、それほどの仕打ちを受けても、フランスにいるイスラム教徒500万人のうち、今回のような事件を起こすのはわずかな人数だということ。
逆にいえば、イスラムはそれほどに寛容な宗教。欧米社会では、イスラム教徒は暴力的だとかテロに走るとか思い込んでいるが、まったくそんなことはない。ムハンマドは商人であり、イスラム教は商人の宗教としての性格をもつ。平和でないと商売は成り立たない。イスラムでは商取引の公正は非常に重視されている。

◆「言論の自由」も二重基準であるので説得力を欠く

――事件後、国会ではフランスの議員達がラ・マルセイエーズを歌い、テロやイスラム過激派との戦いを宣言しました。

○「武器を取れ市民、隊列を組め、進もう、進もう、汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで」という歌詞。ふつうは歌わないとのことで、今回の事件で、右まで左まで一致団結したのだが、共和主義の高揚を感じる。
パリでの追悼大行進は「言論の自由」を掲げていたが、皮肉なことに、この行進に参加した外国の首脳たち、最前列でカメラに写ろうとしていた人たちがどれだけ、自分の国で言論弾圧をしていることか。特にイスラエルのネタニエフ首相が最前列にいたことは、中東諸国から厳しい非難の的となった。
参加者の中には、「私はシャルリ」というプラカードを掲げるほか、ペンを振っていた人も多かった。これはもちろん、「ペンにはペンを、言論には言論で対抗せよ」という意思表示。しかし、フランスは、中東やアフリカで何をやってきたのか。米国と一緒になって空爆することで、テロリスト以外の無辜の人々に犠牲者を出している。
イスラム教徒から見れば、これがダブルスタンダード(二重基準)でなくてなんだ、という怒りがある。フランスは過去の植民地支配についても国家として謝罪しておらず、こうした歴史認識も旧植民地の人々や移民のあいだに潜在的不満となっている。
日本人の多くはフランスを、自由で多元文化的な寛容な社会、美術館やブランド品に象徴される優れた文化の国と見なしているが、それは一面に過ぎない。こと世俗主義、政教分離、言論の自由などフランス共和国の原理に関わるテーマでは、妥協の余地がなく、7月14日(革命記念日)には戦車が街を走り回る戦闘的な面も併せ持っている。

◆多文化主義の国とフランスでは移民政策に違い

わたしはトルコの研究者なので、トルコがドイツを筆頭に西欧各地に大量の移民を送り出したことから、西欧でイスラム教徒が置かれた立場を、各地を訪問してフィールド調査してきた。
「政教分離」の論理は、欧州各国で異なるので、移民への対応の仕方はまったく異なる。
イギリスは、国家の教会としての英国国教会をもつが、多文化主義を取っている。だから、ベンガル、カシミール等の人たちがそれぞれに集まって住むと、そうしたコミュニティを認めて、それぞれに生活の便宜のために、ベンガル語の標識などができる。行政が公的に対応を取る。
オランダも多文化主義の国だが、多極共存型。カトリック、プロテスタント、イスラム、無神論者、それぞれがコミュニティを立てて、それぞれが平等で並立してきた。お互いに干渉しないことで、衝突を避けてきた。ただし、9.11以降は、イスラム教徒に対して、「あの人達は怖いテロリストではないのか」という嫌悪感が広がり、イスラム・フォビア(反イスラム感情)が急激に高まった。
これに対し、ドイツは伝統的に多文化主義をとらない。ドイツでは政教分離は弱く、キリスト教国と言っても間違いとはいえない。キリスト教徒には教会税も課される。ドイツのイスラムへの反感は、宗教の違いからきている。しかし、フランスのイスラムへの反感は、宗教を認めない世俗主義からきている。他の国のゆるい政教分離とはまったく異なる。

◆低所得者向け住宅から抜け出せない

しかし、それでは、平等主義を掲げるフランスに差別がないかと言えば、実態はそうではない。パリ中心から20キロメートルほどにある郊外に、イスラム教徒が多く住む公営団地がある。フランスは、そこに移民を閉じ込めたのではないし、イスラム教徒移民を隔離したのでもない。だが、彼らは低所得層向け住宅に集住している。彼らから見ると、平等は建て前で、移民イスラム教徒が今でも差別と偏見にさらされており、若者が世に出る展望を見いだせない現実がわかる。
たとえば、就職を希望してある会社に電話する。アフマド、アリー、オマールなどイスラム教徒に多い名前を名乗ったとたんに、「申し訳ございません。求人はありません」とスマートにかわされて、断られる。フランスなので、「イスラム教徒だから、移民だから」と属性による物言いは決してしないが、事実上属性で差別されている。
しかし、差別がないことが前提になっており、さらに、宗教を捨てて、個人としてのフランス人であることを要求し、コミュニティを認めていないので、政府は「イスラム教徒の移民」という集団として処遇することはない。アメリカのように、差別されてきた集団に一種の特別扱いをする必要があるという発想はない。

【イスラムが求めるのは「神とともにある自由」 内藤正典・同志社大学教授に聞く(後編) 1/27】

◆広がるイスラム教への覚醒とフランスとの軋轢

――お話を伺っているとフランスはイスラム教徒が暮らしにくい国という印象ですが、イスラム教徒は500万人もいるということですね。

○フランスの場合、移民イスラム教徒の出身地はチュニジア、アルジェリア、モロッコなどアフリカにおけるフランスの旧植民地が主。戦後、西欧が復興する過程で労働力不足が起きて、安い労働力を求めて、移民を受け入れた。
移民1世にとっては、生活が第一だから、イスラムを脇に置いた。貧しい中、イスラム教で禁止されているアルコール、麻薬、買春に走る移民も多数いた。
ところが、だんだんに生活が落ち着いてくると、拠り所を求めて、移民2世、3世の中で、1980年頃からイスラムへの回帰が始まった。
モスクへ通うようになった若者達は、そこで「癒やし」を見出し、素行不良が収まっていく。息子、娘がイスラムに覚醒して、道徳的な逸脱から脱したことを親たちはむしろ喜んだのである。
一方、フランス側はイスラム回帰の動きに対して、怒った。なぜ、フランス人にならないのか、なぜ、「啓蒙されないのか」と。フランス人の考えは、「遅れた連中を啓蒙してやっている」というもの。「21世紀にもなってなぜ宗教から離れられないのか」という。移民の支援団体の人でさえ、話をすると「彼らは遅れているから」と「遅れている」を何度も連発する
最初に行動したのが若い女子だった。1989年、いっさいの宗教的シンボルを排除する公立学校にスカーフを着用して通い始めた。スカーフを着用した女子は、受け身ではなく、積極的にライシテに挑んだ。だが、学校はスカーフ着用を認めなかった。その対応策として、フランス政府は2004年から法律で公立学校に通う生徒がスカーフやベールなどを着用することを厳格に禁止した。
2011年の9.11テロ以降は、ごく少数のイスラム原理主義者と普通のイスラム教徒を同じ「テロリスト」と見なす欧米のプロパガンダが広まり、嫌イスラム感情に拍車がかかる。こうした中、パリの「わたしはシャルリ」という行進にスカーフを被った移民が参加しているのは踏み絵を踏まされているような気持ちだろう。

◆「悪意ある挑発をした人間は罰せられない」

2006年FIFAワールドカップの決勝戦で、サッカーのスター選手ジネディーヌ・ジダンがイタリア代表のマルコ・マテラッツィに頭突きを食らわせて退場になった。サッカー人生の最後になぜそんなことをしてしまったのか。
フランスの多くのメディアが、人種差別的な発言をされたのだろうと書き立てた。それは違う。ジダンも何を言われたのか、問い詰められても答えなかった。そのとき、私はイスラム教徒たちに聞いてみた。皆「何を言われたかは想像がつくが、口にはできない」と答えた。イスラム教徒が瞬間的に暴力も辞さない怒りを爆発させるのは、女性の親族を性的な表現で冒涜されたときだけだ。これは最大の侮辱であり、そういうことをイスラム教徒にすると、刃傷沙汰は避けられない。
ジダンがその後、テレビに出てなんと言ったか。「サッカーファンの子ども達に謝りたい」と言った。しかし、それでは「頭突きを食らわせたことを後悔しているか」と聞かれて、「いつも悪意ある挑発をした人間は罰せられない。しかし、暴力で応じた人間は必ず罰せられる」と答えた。当時の大統領ジャック・シラクは、その後非常に気を遣って、彼を官邸に招いて、労をねぎらったりした。

――しかし、今回の事件では、フランスは国を挙げて挑発者を擁護したわけですね。

○だから、リスクは高まった。これからも事件は起きる。悲しいがこれが現実だ。フランスはテロの芽を摘むためには、自分たちも暴力に訴えざるを得ないと思っている。フランス人は隣の国すら受け入れていないライシテ、世俗化をユニバーサルな価値だと思っている。植民地支配についても「啓蒙してやった」としか思っていない。しかし、そういう姿勢でいる限り、テロの芽を摘むことはできないだろう。

◆ イスラム国の台頭、危険な安倍政権の選択

――傲慢すぎるのではありませんか。20世紀、21世紀と西欧の論理では戦争の繰り返しから脱却できていない。

○そうです。人権とか、民主主義とか、政教分離に尊い価値はありますが、それではなぜ、欧州は2度も大戦を繰り返して焦土と化したのだ、とイスラム教徒は言う。一方、イスラム側にも大きな問題がある。問題が起きたときに、「それは一部の過激主義者の問題でイスラムの問題ではない」と逃げる。しかし、欧米ではもう「容疑者はイスラム教徒」とされてしまう。

――イスラム法学者が解決を図れないのはなぜですか。

○宗教指導者たちは、現存する国家に属しています。国家に逆らって物を言うことができなくなっている。イスラムの多くは西欧流の自由ではなくて、「神とともにある自由」を求めている。そうして、救いがないなかで、歪んだ形で台頭したのが、「イスラム国」。不安な彼らの心に、過激なリクルーターが入り込むのは容易なことだ。

――先生は、最新刊の著書で安倍政権の集団的自衛権行使を可能にする政策に異議を唱えていらっしゃいます。

○安倍首相は集団的自衛権行使を可能にすることで、普通の国になると思っているが、世界は変わってしまっている。「国家対国家」の戦争の時代ではもうなくなり、「国家対テロ組織」の時代になっている。
現状からすると、米国が、いろんなところに手を出した結果、収拾に困ったところについて、日本に後方支援を求めてくる可能性が高い。米国が関与しているほとんどが中東、イスラム圏。残念ながら、日本では差別意識も低いかわりに、イスラムについて知識もない。
しかも、イスラムの人々は16億人、さらに数が増えていっていずれ20億人になる。敵に回すのではなく、ビジネスの相手とすべきです。

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