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 “文系不要論”の愚かさ ・・・財界にも否定される

 東京新聞の社説。だいたい日ごろ歴史・伝統など騒いでいる文科省が・・・・「文系不要論」と称される通知を出し、これに学術会議や大学が反発。それに関連して震源地と指摘された財界も異議をとなえる声明を出した。
しかし、文部省の有識者会議が、若者の過半が大学に行く状況のもと、経済・社会がもとめる「質の高い専門職業人養成の量的拡大」を目的に「大学体系の中に位置付ける方向で制度設計」という答申をしており、財界の意向をうけた安倍政権の「成長」戦略にそったものであることは明らか。が、財界に「対極」といわせた意義は大きい。
【週のはじめに考える “文系不要論”の愚かさ  東京9/13】

【“即戦力だけ”は「産業界の求める人材とは対極」 経団連、国立大の文系学部見直しに声明 itmedia 9/11】

【「これからの大学のあり方-特に教員養成・人文社会科学系のあり方-に関する議論に寄せて」 日本学術会議幹事会声明7/23】

【実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の在り方について審議のまとめ 3/27】

【週のはじめに考える “文系不要論”の愚かさ  東京9/13】

 国立大学改革に伴って持ち上がった“文系不要論”の衝撃は大きかった。文部科学省は「誤解」と否定していますが、それでも疑念は拭えないのです。
 文科省が去る六月に全国の国立大あてに出した通知が発端でした。教員養成系や人文社会科学系のリストラを求めたのです。
 確かに、社会の変化はすさまじい。子どもの人口は先細りですし、地方は過疎化が進み、都市との格差は広がる一途です。人間活動は情報化、グローバル化し、国際競争はし烈を極めています。

◆成長戦略下の大学

 大学はレジャーランドでは許されない。それなりの教育研究の成果を社会に還元しなくては、存在意義さえ問われます。時代の情勢に見合った組織への脱皮は急務という文科省の理屈は分かります。
 では、そのような改革がどうして“文系不要論”と映るのか。
 それは政府の成長戦略と連動しているからでしょう。産業界の利益追求や社会的有用性に奉仕する学問を優遇し、成果を競わせるという発想が読み取れるのです。
 科学技術振興やイノベーションの土台となる理系人材の育成はいうに及ばず、文系人材の育成でも職業能力の開発や実践力の向上に主眼が置かれているといえます。いわば、稼ぐ力の強化という視点のみからの改革というほかない。
 とすると、実利実益との結びつきが見えにくい人文社会科学は切り捨てられるという懸念が強まるのも当然です。これは学問の自由にかかわる問題でもあるのです。
 幕末の開国以来、激動期の為政者は国家の命運を科学技術に託してきた面があります。
 「高等生徒を訓導するには、之(これ)を科学に進むべくして、政談に誘うべからず」。明治の元勲伊藤博文の言葉です。西欧列強に対抗して近代化を急いだ時代でした。

◆文系の「有害無益」論

 大戦中には、文系の高等教育機関は理系への転換を強いられ、科学技術の即時戦力化が推進されました。学徒出陣で戦地に送られたのは、主に文系の学生でした。
 「文系の学問は国にとって有害無益なのでしょう」と手厳しいのは、滋賀大学長で経済学者の佐和隆光さん。「社会にどう役立つかで学術的価値をはかる、あしき慣行が国にはある」というのです。
 高度成長期の一九六〇年、岸信介内閣の松田竹千代文部相は、国立大は理系を担い、文系は私立大に任せたいとの意向を示したという。多くの国立大文系の学生が安保闘争に参加していたという背景があった、と指摘しています。
 「文系の学識とは批判精神です。それで自由や民主主義も守られてきた」と説くのです。
 とすれば、昨今の異論排除の風潮と文系軽視の風潮とは、必ずしも無縁ではないのかもしれません。国家が知的資源を一元管理して成長戦略に投入する姿は、開発独裁体制すら想像させます。
 科学技術はまた独り歩きする面もあります。その日進月歩ぶりを目の当たりにして、夏目漱石は大正期に著した小説「行人」で登場人物にこう語らせている。
 「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止(とど)まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。(中略)どこまで伴(つ)れて行かれるか分(わか)らない。実に恐ろしい」
 現代にも通じるような話です。ITやロボット、人工知能、遺伝子工学…。利便性や効率性ばかりを追求した果てに、どういう社会が待ち受けるのか。全ては科学技術の赴くままにという実情です。
 最近では、このような将来予測も公表されています。
 ・二〇一一年度に米国の小学校に入った子どもたちの65%は、大学卒業時にいまは存在しない職業に就く(米ニューヨーク市立大学のキャシー・デビッドソン氏)。
 ・今後十~二十年程度で、米国の雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い(英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン氏)。
 しかし、科学技術文明には公害や環境破壊、地球温暖化、大量破壊兵器といった負の遺産を生み出してきた歴史がある。その功罪を含めて人間の生存や社会の発展、継承のための「知」を探究するのは人文社会科学の使命なのです。

◆学問を市民の手に

 名古屋市で先週、市民手づくりの哲学カフェが開かれました。教育をテーマに、見知らぬ人同士十人余りが意見を交わした。結論を出すのではない。互いの違いを認め合い、思索を深めるのです。
 今やこうした「対話の場」は全国に広がる。稼ぐ力ではなく、本物の「知」に飢えているのではないでしょうか。本来、学問は国家のものではなく、市民のもの。無論、理系と文系を隔てる垣根など最初から存在しないのです。

【“即戦力だけ”は「産業界の求める人材とは対極」 経団連、国立大の文系学部見直しに声明 itmedia 9/11】

経団連はこのほど、文系学部の見直しを求めた文科省の通知について、「即戦力を求める産業界の意向を受けたものとの見方があるが、産業界の求める人材像はその対極」との声明を発表した。

 日本経済団体連合会(経団連)はこのほど、文部科学省が6月に各国立大学に通知した、文系学部の見直しを求めた通知について、「即戦力を求める産業界の意向を受けたものとの見方があるが、産業界の求める人材像はその対極」との声明を発表し、安易な見直しへの懸念を表明した。

 文科省は6月、各国立大学に通知した「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」で、18歳人口の減少を見すえ、教員養成系や人文社会科学系の学部について、「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努める」などとした。

 経団連は、産業界が求める人材像として、「理系・文系を問わず、基礎体力や幅広い教養、課題発見・解決力、外国語によるコミュニケーション能力」などが大切とし、大学・大学院では、専門分野の習得に加え、留学などを通じた文化・社会の多様性の理解などが重要と指摘。理系でも文系科目を学ぶこと、文系でも理系の基礎知識を身につけることも必要と指摘する。

 一方で、日本の公教育は「画一的、知識詰め込み型」で、産業界の求める人材に必要な能力は身につけにくいと指摘。各大学が学長のリーダーシップの元、強みや特色を生かす形で機能分化を進め、主体的な改革・経営刷新を行うことを求めている。また、政府に対して、大学の主体的な改革を最大限尊重するよう求めている。

 経団連は、大学幹部との直接対話などで意見交換に努めるほか、企業人講師の派遣やカリキュラム作りでの協力、海外留学のための奨学金事業などを通じ、大学との連携を強化するとしている。


【「これからの大学のあり方-特に教員養成・人文社会科学系のあり方-に関する議論に寄せて」
日本学術会議幹事会声明7/23】

文部科学大臣は、去る6月8日、各国立大学法人に対して、「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」の通知1を行った。そこでは、国立大学法人の組織の見直しに際して「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」とされている。このことがわが国における人文・社会科学のゆくえ、並びに国公私立を問わず大学のあり方全般に多大な影響を及ぼす可能性について、日本学術会議としても重大な関心をもたざるをえない。

1.日本学術会議は、先に公表した「第5期科学技術基本計画のあり方に関する提言」(平成27年2月27日)2において、現代社会における人文・社会科学の役割について、次のように指摘した。
「今日、社会が解決を求めている様々な課題に応えるために、自然科学と人文・社会科学とが連携し、総合的な知を形成する必要があるとの認識はかつてなく高まっている。その際、現在の人間と社会のあり方を相対化し批判的に省察する、人文・社会科学の独自の役割にも注意する必要がある。自然・人間・社会に関して深くバランスの取れた知を蓄積・継承し、新たに生み出していくことは、知的・文化的に豊かな社会を構築し次世代に引き継いでいくことに貢献すべき科学者にとって、責任ある課題であることを認識しなければならない。」このように、総合的な学術の一翼を成す人文・社会科学には、独自の役割に加えて、自然科学との連携によってわが国と世界が抱える今日的課題解決に向かうという役割が託されている。このような観点からみると、人文・社会科学のみをことさらに取り出して「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を求めることには大きな疑問がある。

2.大学は社会の中にあって、社会によって支えられるものであり、広い意味での「社会的要請」に応えることが求められている。このことを大学は強く認識すべきである。しかし、「社会的要請」とは何であり、それにいかに応えるべきかについては、人文・社会科学と自然科学とを問わず、一義的な答えを性急に求めることは適切ではない。具体的な目標を設けて成果を測定することになじみやすい要請もあれば、目には見えにくくても、長期的な視野に立って知を継承し、多様性を支え、創造性の基盤を養うという役割を果たすこともまた、大学に求められている社会的要請である。前者のような要請に応えることにのみ偏し、後者を見落とすならば、大学は社会の知的な豊かさを支え、経済・社会・文化的活動を含め、より広く社会を担う豊富な人材を送り出すという基本的な役割を失うことになりかねない。

3.教育における人文・社会科学の役割はますます大きなものとなっている。例えば、「グローバル人材」の養成が時代の要請として語られているが、「グローバル人材」とは単に国際的な競争力をもつ人材というだけでなく、人類の多様な文化や歴史を踏まえ、宗教や民族の違いなど文化的多様性を尊重しつつ、広く世界の人びとと交わり貢献することができるような人材でなければならない。そうした人材育成において欠かすことができないのは、英語などの外国語の能力とともに、我が国及び外国の社会、文化、歴史の理解をはじめとする人文・社会科学が提供する知識とそれらに基づいた判断力、そして批判的思考力である。また、文系の学生に対しても最低限の科学・技術リテラシーが求められるのと同様に、理系の学生にとっても理系の知が働く人間的・社会的文脈についての理解が不可欠であることは、科学・技術に関わる近年の様々な出来事が示すとおりである。総じて、現代世界において次々に生起する一義的な正解の存在しない諸問題について、学際的な視点で考え、多様な見解を持つ他者との対話を通して自身の考えを深めていく力が学生たちに求められている今、教育における人文・社会科学の軽視は、大学教育全体を底の浅いものにしかねないことに注意しなければならない。

4.教員養成系学部・大学院の見直しは、とりわけ、18歳人口の減少という見通しと関連するものと思われるが、人口動向は教員養成に対する社会的需要を判断する上で重要な要素のひとつではあるものの、教育の質的向上をいかに進めるかといった他の諸条件も含めた熟慮が必要である。18歳選挙権の実現ひとつを考えても、高校までの教育の質に対する期待と要請は高まっており、それを支える教員の質と量については多面的な検討が求められる。ここでも文系・理系の別はない。現役教員の再教育等の新たなニーズを把握しつつ、国立大学の教員養成系学部・大学院の質の向上を図り、その上で必要な再編等に着手するべきである。

5.大学は、教育の場であるとともに研究の場でもある。大学教員は、専門教育と教養教育の両面にわたって教育者としての役割を果たしつつ、研究者として学術の継承と発展の一翼をも担っている。したがって、教育の場において人文・社会科学が軽んじられ、研究者として培ってきた力を生かす場が狭められることがあるとすれば、これから研究者としての道を歩もうとする者の意欲を削ぎ、ひいてはバランスのとれた学術の発展を阻害することになりかねない。

6.一方、人文・社会科学に従事する大学教員は、変化が著しい現代社会の中で人文・社会科学系の学部がどのような人材を養成しようとしているのか、学術全体に対して人文・社会科学分野の学問がどのような役割を果たしうるのかについて、これまで社会に対して十分に説明してこなかったという面があることも否定できない。人文・社会科学に従事する大学教員には、社会の変化と要請を踏まえつつ、自らの内部における対話、自然科学者との対話、社会の各方面との対話を通じて、これらの点についての考究を深め、それを教育と研究の質的な向上に反映するための一層の努力が求められる。

日本学術会議は、先の提言において「大学等が今後も持続的にその役割を担い続けるためには、適切な大学等の形態やその数も含め、我が国における大学等のあり方の全体像を検討する時期にあると考えられる」としたうえで、「検討するに当たっては、大学改革が我が国の将来に多大な影響を及ぼすことを十分に認識し、長期的な展望、百年の計を持って立案することが強く望まれる」と指摘した。日本学術会議はこれまで、分野ごとに「大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準」を作成して公表する3など、大学教育のあり方についても発言してきた。
さらに現在、「学術振興の観点から国立大学の教育研究と国による支援のあり方を考える検討委員会」を設け、審議を行っているところである。
特に、この審議を通じて、人口減少社会、国家財政の再建の必要等の現下の課題と国公私立大学の役割分担についての考察を踏まえた大学のあり方に関する考えを提示する所存である。


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