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 道徳性の教育をどう進めるか   ~ 道徳の「教科化」批判(メモ)

  佐貫浩・法政大学教授の新著からのメモ。

「本来の道徳性の教育はますます重要な課題となっており、全力で取り組まなければならない」

 「子ども、若者がさまざまな困難にさらされ、自尊感情や未来への希望を奪いとられ、友達や大人社会を信じることができず、人間不信に陥り、時には自分が生きていくことそのものを呪うまでに追い詰められている状況 ~ その状況を切り開き、希望をもたらす教育を創り出すこと、その一環として子どもと若者の道徳性の形成は不可欠の課題」

 「今問われるべきは、個人の側の道徳性ではなく、社会の側の道徳性、社会規範として社会のシステムに組み込まれた道徳性(法)の水準 ~ 社会的正義の水準の低下の原因を突きとめ、人権と人間の尊厳という規範に従って社会が営まれるような条件を作り出す意志と探求の目を持つことが、今求められる個人の側の道徳性 / 道徳性が本来持っている社会的に開かれた性格を取り戻すこと。」

 「本来の道徳性―― 人間が、人間的な力を、最も強力に他者に働きかける力として獲得し、行使するためのもの /人間的な力を最高度にエンパワーすること」。「子どもを道徳性の主体、道徳性の担い手に育てるためには、子ども自身が社会の側の道徳性、他者の側の道徳性によって支えられ、励まされ、見守られ、人間的に処遇されることが不可欠」。

そ の「道徳性の教育」は、「生活の場」と科学的な「教科学習」で実践され、そのためには教育の自由が不可欠と、指摘している。 

本来の「道徳性の教育はどうあるべきか」という根源的な「道徳教育」批判を展開。メモは「序章」のみ。指摘している。

【道徳性の教育をどう進めるか   ~ 道徳の「教科化」批判】

  佐貫浩・法政大学教授

◆序章 道徳の「教科化」―― 問題はどこにあるか

・いじめ問題を端に発した道徳教育の強調、「教科化」の動き・・・その背景には、戦争する国づくり、改憲へ推進。そのために、国民の価値意識、歴史認識改造が不可欠 ―― 安倍教育「改革」の狙いがある。

・その批判は当然だが、では、いじめ問題をどう解決すべきか、そのためには、やはり道徳教育の強化が必要ではないかの問い生み出す

~ 結局、本当の道徳教育とはどういうものか、という問題に行き着く

☆本来の道徳性の教育はますます重要な課題となっており、全力で取り組まなければならない

~ 子ども、若者がさまざまな困難にさらされ、自尊感情や未来への希望を奪いとられ、友達や大人社会を信じることができず、人間不信に陥り、時には自分が生きていくことそのものを呪うまでに追い詰められている状況
~ その状況を切り開き、希望をもたらす教育を創り出すこと、その一環として子どもと若者の道徳性の形成は不可欠の課題

*よって、本来求められるものを「道徳性の教育」とし、教科化される「道徳教育」と峻別して記述

☆道徳性の教育の課題

~ 子どもの心のありようだけを問題にし、内面の行動規範だけ組み替えることなのか? / それは、社会の側には根本的な問題がないという仮定にたつことになるのではないか?
~ そのことを問わず、心のありようの問題と処理すれは、社会・政治の責任がすべて押し隠されてしまう。

☆そもそも、人間の道徳性とは

 自らの行動を点検し自己吟味する内的規範であるとともに、/ 社会の仕組みや正義がどうあるべきかを批判的に吟味する規範としての側面を持つ。

→ 人間の尊厳、平等、人権という価値的規範は、自らの行動すべき道徳律であるとともに、社会の中の理不尽な迫害、差別などに対する怒り、批判を生み出し、その理由を突き止め解決しようとする認識、行動へ個人を突き動かしもする

☆道徳性の形成・発達に働きかける教育とは

 自らを律する内的規範の形成と、社会に対する正義の視点から判断規範の形成とをともに発達させるもの
⇔ 社会に目を閉じさせる「自己責任」論は、人間の道徳性の本当の発達を押しとどめるもの

・現代社会の矛盾の本質を、人間らしく生きることができる道を切り開くために解明し、新しい共同を生み出す学びを展開できるなら、学校は、次代を担う知と情熱、現代を切り開く道徳性をもった世代を育てることができる


(1) 道徳の「教科化」の本質――価値と思想の直接的管理の強化

・道徳の教科化――価値意識そのものを、国家によって統制。今までとレベルの違う教育価値の国家統制
~ 「道徳科」には、対応する価格がない / 他の教科には、社会、理科など対応する科学の到達点がある。教科の内容は、第一に科学が決定 / 道徳科は、国家がストレートに第一義的に内容を決定

*学習指導要領の「道徳」の項目 ~ 人権、人間の尊厳、共同、平和、平等、国民主権、生存権、働くものの権利、表現の自由、意見表明権、自治、学習権 など、見事に排除
→ 権力による選択の意図性は明白/ 自己責任と国家政策を支持する国民意識を教科するもの

・戦前  「教育勅語」という絶対的な徳目に沿い、「修身科」を設置、筆頭科目とされ、「徳目」への忠誠を絶対的なものとして強制

~ 侵略戦争へ、自らの道徳行為として—天皇を中心とする日本という共同体の繁栄・存続に自らの命をも捧げることこそが最もすばらしい日本人としての生き方として信じて―― 参加・協力させられた / 人間が獲得した最も人間的な判断力を国家が操作することで、重大な過ちを犯した
→ よって、教育勅語、修身科を廃止し、道徳性を国家の統制から解放、人間的自由の核心として一人ひとりの自主的な判断力を形成することを、戦後教育改革の中心型とした

(2)「道徳教科書」と「評価」はどう機能するか

・道徳性の指導で、教師は、子どもの態度、価値意識を評価する / 評価なしに指導は成立しない

~ それは、子どもの人間としての値打ちを評価するためではない/ 教師と子どもという教育的指導関係の中においてのみ生きて働く評価。
~ その評価を、指導の場と時間を離れ、子どもの人格の評価として記述し、他者が人格的価値への評価として読み取れる状況をつくることは教育の基本原理に反する

→ 「徳目」の提示と「評価」とが行動評価として結合すると / 「建前」を演じることを求める力学が働き( メモ者 道徳教育のモデル校は、事業終了後、荒れている )、その徹底は、行動主義的訓練を通じ人格統制が進行
(メモ者 軍隊、独裁国家など) 

(3)道徳教育の「現場性」――「道徳性の教育」と「道徳教育」 ①

☆道徳性の教育は、どのような方法で実践すべきか?

①生活指導の場—- 道徳性が問われているその場面に直接関わって指導し、子どもを考えさせ、討論させ、子ども自身の行動や考えを組み替える成長させること(メモ者 自分の狭さの克服は、他者を通じて克服され豊かになる )

~ 一人の人間の価値意識、態度が組み変わるために必要な諸要素の全体 /子どもの認識、人間観、他者との関係、その態度をとらせている社会的要因・家族的要因、集団・友達関係の力学、教師の接し方・指導のあり方―― の組み換え、変革がもとめられる/ それは指導者にとっても(メモ者 教育者は教育させなければならない)

→ 生活そのものの変革、克服という重さをもって道徳性の指導が問われる / 「徳目」をいくら強調しても、現実のいじめが支配している空間の力学を組み替える生活指導なくしては、いじめは克服できない
→ 「教科」となり教科書使用義務が強制されると、「道徳性の教育の現場性」が失われる

(4)科学の学習と道徳性の教育の関係―― 「道徳性の教育」と「道徳教育」②

②道徳性の教育が展開される第二の場-- 各教科の学びの中にある

→ この問題を考えるとはに、道徳性はどこに存在するかという問いの検討が必要 / 結論は、個人の側とともに社会の側、あるいは人々の関係性の中にある、ということ。

☆例 「人間の尊厳」という道徳性 ~  もちろん、他者に対する行動を律する個人の道徳律である / 同時に、他者の尊厳が冒されたときに、それをとめたり、さらには個の尊厳を保障する社会の仕組みを作り出す意欲、態度を生み出すもの 

→ 本来の道徳性の教育はますます重要な課題となっており、全力で取り組まなければならない。人類の道徳性獲得の歴史的成果が、日本国憲法に記されている人権、人間の尊厳、幸福追求権、平等、生存権、学問の自由、国民主権など、社会的正義として確認されてきた / また、社会システムに組み込まれた正義の水準は、法によって強制された行動規範としてだけてはなく、人々の道徳性を高めるように循環的に規定していく

☆歴史的成果としての道徳性の水準はどう継承・発展されられるか

・社会的正義の水準を維持・発展させるためには、個人の道徳性に引き継いでいく学習が不可欠
→ 徳目として教え込むことでは継承できない / 例えば「人権は大事だ」と繰り返しても価値は継承されない

・人権獲得の歴史を学び、人権侵害を克服してきたたたかいを学び、現代社会に於ける人権の侵害を発見し、それと格闘する学習、実践が不可欠
(メモ者 解剖学など科学の発達が、人間の平等性の根拠に / 科学とヒューマニズムの関係 ) 

・ 平和・非暴力の道徳律 ~ 戦争が繰り返されてきた歴史を調べ、戦争を引き起こさない社会の仕組みを作り出す知恵と結びつける必要 /日本の侵略戦争の歴史を学び、アジア諸国と応答する責任を背負わなければならない

~ それは「徳目」として教え込んでも継承されない。/歴史学の到達点を学び、事実を調べ、主体的に、思想形成の自由ののもと、ことなった歴史観との対話を経て、自ら歴史観を獲得するしかない

→ ここに教科としての歴史学習の中心課題がある

☆個人にどのような道徳性が求められているかは、社会の側にどのような正義が求められているかと不可分
その視点を欠くと、自己責任を強要し、社会的責任をみえなくする。/よって、社会的正義を継承・発展させていく次世代の担い手になれえない

→ ワーキングプア、ブラック企業、過労死など生存権の剥奪と放置、社会の側の正義のと問う特性の破壊、水準の切り下げが展開している中、その困難、矛盾の解決を個人の道徳性だけに解決はできない/ それを「自己責任」の論理で放置し、生存のためのサバイバル競争に組む込むなら、他者を敵・競争相手として対抗する他に生きるすべはなくなる。


(5)あらためて現代社会の社会的正義の水準の切り下げを問うという視点

☆法的な規制によって維持されてきた人権や労働権の水準が、社会の道徳的正義の水準をもまた規定してきたという事実に、注目する必要がある。

→ 無制限の利潤追求を、労働時間の規制など社会的ルールで強制し、労働者に人間らしい生存の保障することを、企業の社会的責任として果たすことができるようになった。
→ 労働法制の改悪が、ブラック企業という社会的責任を放棄している現象を拡大した。 

☆今問われるべきは、個人の側の道徳性ではなく、社会の側の道徳性、社会規範として社会のシステムに組み込まれた道徳性(法)の水準

~ 社会的正義の水準の低下の原因を突きとめ、人権と人間の尊厳という規範に従って社会が営まれるような条件を作り出す意志と探求の目を持つことが、今求められる個人の側の道徳性 / 道徳性が本来持っている社会的に開かれた性格を取り戻すこと。


(6)道徳性の形成は子どもが生きられるようになるためにこそ

・「道徳」の強調 子どもの荒れ、非行を取り締まり、行動を管理する囲いとしての規範という意味で語られる傾向

~ だめな自分をどれだけ制限できるか、/他者に対する自分をどれたげ規制できるか /あふれ出す危険な自分本位の自己を抑え込む囲いを身につけるか 、だと理解されている。/そのもとで、強力な規制や法で反社会的な行為を取り締まる仕組みが、厳罰的なゼロ・トレランス教育として拡大、

☆本来の「道徳性」―― 人間が、人間的な力を、最も強力に他者に働きかける力として獲得し、行使するためのもの /人間的な力を最高度にエンパワーすること

 (メモ者 別の章では、安心できる環境で自分を表現できる大切さを、ハーマンの「心的外傷と回復」をもとに触れている。)

☆現代の社会的病理の中心問題

自己の能力への絶望や不信に襲われる子どもが現代ほど多い次代はなかったのではないか / 安全で心の安らぐ居場所を奪われ、他者に支えられて生きることの喜びを味わえないままに、排除のつらさと不安に苛まれている子どもが多数存在している非道

☆現代の「道徳性の教育」の中心課題

子どもを道徳性の主体、道徳性の担い手に育てるためには、子ども自身が社会の側の道徳性、他者の側の道徳性によって支えられ、励まされ、見守られ、人間的に処遇されることが不可欠。


(7)「道徳科」の強行の下でどうたたかうか

・現状は道徳科の設置が現実化す状況―― 文科省は、学校教育法施行規則の改定(文科省の一方的行政行為)で、「道徳科」を規定するだけで、小学校18年度、中学校19年度から施行できる ~ ではどう対処すべきか

①原点に立ち返る・・・本来の道徳性の教育を実現すべき生活指導と教科学習の場の取り組みを改めて中心に位置づける。それを道徳科の教育と深く関連づけ、有機的に結合する

②道徳科の内容を本来の意味に沿うように組み替える

 中教審答申にも 「特定の価値の押しつけたり、主体性をもたずに言われたままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向と対極にある」、「多様な価値観の、時には対立がある場合も含めて、誠実にそれらの価値と向き合い」、「多様で複雑な具体的事象に対し、一人一人が多角的に考え診断し」等の文言がある
→ この指摘からも、徳目の押し付けや行動の管理的統制は「本来」の趣旨に反する / 趣旨を生かすには、生徒の討論、自治が不可欠 

③民主主義教育こそ、道徳科の教育を中心に

 中教審答申 「道徳教育」は「教育基本法に定める『人格の完成』や『平和で民主的な国家及び社会の形成者としての必要な資質』の育成」の「実現にとっても極めて大きな意義をもつ」・・・とするならば、民主教育こそ、道徳科を中心におくことが、1つの対処方法

④道徳性の教育に不可欠な「現場性」は、教育の自由が不可欠、

・教師の教育の自由、学校教育の自由、授業編成の自由、教育行政による不当な支配の排除が決定的~ 子ども、クライ、学校の現実の課題と向き合い、それと切り結ぶ生活指導、学校づくりを、道徳性の教育と結びつける教師の業行く実践の自由、教育内容編成の現場性を欠いては、道徳教育は力を失う
→ 自由確保のためには、親との積極的な討論・協議をつうじて、切実な要求である「いじめ解決」に取り組むこと、そのための、子どもの主体的な道徳性を高める学校教育計画を創り出し遂行していく、教育関係者の自治的共同を高めること。

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