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「平和ブランドの活用こそが国益にかなう」 元防衛官僚の語る安全保障政策

 ダイヤモンドオンライン「検証・安倍政権の安全保障政策(1)」
柳澤協二・国際地政学研究所理事長インタビュー(上)(下)。
 「安全保障というのは論理的な一貫性が非常に重要」とし、安倍政権の政策にはそれがないと指摘、日本の国力にあった持続可能な政策、とるべき政策について政策論として論理的に語っている。
とるべき道について「キーワードはグローバリゼーション。地球が経済的にはもう、国家主権も国境もないような世界になってしまった。それには2つの側面があります。大国間の戦争が割に合わないものになったということと、見捨てられた地域における、不平等感、不満の鬱積に、対応できなくなっている。・・・そういう問題に対処していくときに・・・(70年間一人の戦死者も出していない)“ブランド力”は、むしろ日本の強みとして生かしていける」
【元防衛官僚が斬る集団的自衛権の“正体”】
【平和ブランドの活用こそが国益にかなう】

【興味深い指摘の部分】

・「わが国に対する攻撃がなくても武力行使ができるようにした、という部分が集団的自衛権」。
・それは日本が戦争当事者になり、「逆に日本人がテロに逢う危険が高まる」

・グレーゾーン対応 「一番のポイントは、警察権で対応するのか自衛権で対応するのかということ」。「絶対シームレスであってはいけない」、「自衛隊が動けば必ず事態は拡大するわけですから。現場に任せてはいけない、それこそ政治が判断しなければいけない」

・15事例「軍事的な情勢や、作戦上のリアリティといったものとは無関係なところから出てきている」。日本人の親子が乗ったアメリカの輸送艦を守る話「シンボルによる、世論操作のために使われている事例だから、現実性がない」
・「『安倍首相がやりたいからやる』としか説明のつけようがない」「安全保障というのは論理的な一貫性が非常に重要なんです。それが結局、御本人の『やりたい』という意志が先行しているものだから、論理的な整合性が取れないまま、物事が進んでいっている。」

・新3要件は「まったく歯止めになっていない」「 『「ホルムズ海峡に機雷が撒かれて石油が止まる』といった事例も挙げていますが、日本は水とコメと空気以外輸入に頼っている国ですから、そんなことを言いだしたら無限に拡大していってしまう。」

・抑止力強化は「緊張を高めて軍拡競争に陥るという機能が、ずっと一貫してあった」。「そういう道を選ぶという選択肢はある。しかしそれが果たして日本の国力に合っているのか、そして、それでなければ本当に日本を守れないのかということは、もっとリアルに考えておく必要がある」

・「『「国際協調主義に基づく積極的平和主義』という言葉を、何度も使うけれど定義がない。国際協調主義と同盟協力が、矛盾したらどうするのか。その可能性はあるし、実際10年前のアフガンやイラク戦争で既にそういう経験をしているのですが、全く議論がない。言葉を都合良く使っているだけ」

・「いちばん重要なのは、(集団的自衛権による)抑止力に関して、楽観的なシナリオしか考えていないことですね。これはアベノミクスにも共通している。・・・経済でも安全保障でも相手があること。うまくいかないシナリオを、リスクとして、考えなければならない。」「安全保障で言えば、日本が進んで戦争当事国になることによる、攻撃を受けるリスクなどです。そういうことを重ね合わせて、どちらが得かというのを考えなければいけない」が、「安倍政権の政策は、経済も安全保障も、一言で言えば自分勝手な都合の良い読みに基づくものだという点で、非常に問題がある」

・尖閣の安保適用発言について・・・「アメリカは中国と、本気で戦争するつもりはない。むしろ中国との戦争に巻き込まれることを嫌がっている。冷戦時代と今の違いとして、今のアメリカと中国は、お互いにもう経済的に最大のパートナーで、戦争というものが、政策実現の手段として、あるいは対立を解決する手段としても、割に合わなくなってしまっている。」「そこで日本が、血を流すからということでアメリカを巻き込もうとしても、それは方法論が間違っている」

・「結局、合理的に考えれば大国間の戦争というのがお互いにもう成り立たなくなっているという認識、それが冷戦時代と今のグローバル化した世界のいちばん大きな違い」、中国とは「当面の対応では、危機管理としていかに早期に収拾をするか、事態を拡大させないかということです。そして長期的には、お互いルールを守るほうが得だという認識を共有していくということが、いちばん大きな方向性」

・「キーワードはグローバリゼーション。地球が経済的にはもう、国家主権も国境もないような世界になってしまった。それには2つの側面があります。大国間の戦争が割に合わないものになったということと、見捨てられた地域における、不平等感、不満の鬱積に、対応できなくなっている」。「そういう問題に対処していくときに・・・(70年間一人の戦死者も出していない)“ブランド力”は、むしろ日本の強みとして生かしていけるところ」


【元防衛官僚が斬る集団的自衛権の“正体”】

昨年7月1日、安倍内閣は新しい安全保障法制の整備のための基本方針を閣議決定し、集団的自衛権の行使容認に踏み切った。今年はその実行に向けて法整備の行われる重要な年だ。
経済政策への注力を強調する安倍晋三首相だが、“本当にやりたいこと”は、憲法改正と安全保障の見直しであるとされる。その行方は、日本の在り方を大きく左右する可能性がある。だが、集団的自衛権の行使容認をはじめとして、安全保障の論点は必ずしも分かりやすいものではなく、国民の理解も十分ではない。そこで意見を異にする2人の専門家に論点と賛否を聞き、4回にわたって掲載する。第1回は、元防衛官僚・内閣官房副長官補の柳澤協二氏のインタビュー(上)をお送りする。柳澤氏は集団的自衛権の行使に反対の立場をとる論客である。

■逆に日本人がテロに遭う危険が高まる
──昨年7月1日、安倍政権は、従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を認めることなどを閣議決定しました。内容を読むと、集団的自衛権だけでなく、離島などでのいわゆるグレーゾーン事態(※1)への対処、そしてPKOなどの国際的平和協力活動に関することの3つが扱われていますが、一般の国民にはなかなか分かりにくいところもあります。これらはそれぞれ何を意味し、どのような論点があるのでしょうか。

◎従来は、武力行使の要件として、わが国に対する攻撃があるかないかということで分けていたものを、とにかくわが国に対する攻撃がなくても武力行使ができるようにした、という部分が集団的自衛権ですね。 
それは国連による武力行使にも使えるわけですが、もう一つ、PKOなどの際の自衛隊の武器使用の拡大という問題があります。今までは、自己防御のための武器使用を基本として、それから戦闘地域・非戦闘地域という概念を使って(自衛隊の派遣は非戦闘地域のみとして)、イラク戦争までは対応してきた。 
それを、いわゆる「駆け付け警護」 (※2)で、他国の軍隊の警護も含めるという話になっている。

(※1)武力攻撃に至らない侵害。具体的には特に、尖閣諸島に対し漁民に偽装した武装勢力などが侵入するケースが問題となっている。
(※2)PKOなどで活動中の自衛隊が、他国軍やNGOなどの民間人が危険にさらされた場合に武器を使って守る行為。相手が国家に準ずる組織となる可能性があり、その場合憲法9条違反となるため、現在の憲法解釈では禁止している。閣議決定ではPKOで「『国家に準ずる組織』が敵対するものとして登場することは基本的にないと考えられる」としている。

私も、NPOやNGOの人、国連の非武装の職員といった人たちをもうちょっと守る分にはいいと思うのですが、他国軍隊の防護というのは、相当強力な武装集団との戦闘行為をするということですから、これはものすごく危ない。自衛隊にとって危ないし、そういうことをしたとたんに、日本も敵だということで、日本人がテロに遭う危険も高まるわけです。 
そこのリスクの判断を、ちゃんとしなければいけない。 

──PKOでの武器使用については、集団的自衛権とはまた違う問題となるわけですね。もう1つのグレーゾーンでは、何が問題でしょうか。

◎一番のポイントは、警察権で対応するのか自衛権で対応するのかということです。警察権で対応する限り、海上保安庁の力が及ばず、自衛隊が海上警備行動や治安出動で出るとしても、それは警察権の世界です。自衛権の世界になったときに初めて、国家の意志としての武力の行使ができる。相手が単なる漁民であるようなときには、やはり自衛権というわけにはいかない。 
そこで、閣議決定していたら間に合わないから、もっとシームレスに対応できるようにしようというのが、15事例 (※3)などで言われている動機なのですが、私は、基本的にそれは大きな間違いだと思います。
そこは本来、シームレスではない、絶対シームレスであってはいけないんです。必ず閣議決定する、政治がそこに関与しなければいけないことなのです。そんなもの現場の部隊長に任されても、困ってしまう。誰が責任を取ってくれるのか。自衛隊が動けば必ず事態は拡大するわけですから。現場に任せてはいけない、それこそ政治が判断しなければいけないことです。 
私の経験からすれば、閣議決定でも十分間に合うんです。10分でやったこともある。自衛隊も相手が何人いてどんな武器を持っているか分からず、やみくもに行くわけにはいかないですから、情報収集をして、官邸に報告して、認識をシェアしておけばいい。大事なのは、情報をシェアして、政治が責任を持つということです。 

■“安倍首相がやりたい”からやる
──今後、特に大きな議論となるのは、集団的自衛権をめぐる問題かと思います。

◎政府が提示した15事例は、与党のプロジェクトチームで検討していません。その検討が不十分な段階で、閣議決定の文言調整をやってしまっている。 
事例そのものも、軍事的なリアリティがないと私はずっと言ってきました。リアリティがない事例のために憲法解釈を変えると言われても、本当のところ何のためにやるのかさっぱりわからないことになります。 

(※3)2014年5月27日に開かれた「安全保障法整備に関する与党協議会」で、政府が現在の憲法解釈・法制度では対処に支障があるとして提示した15の事例。7月1日の閣議決定の叩き台となった。

自衛隊のインド洋の派遣にしても、イラク派遣にしても、あるいは朝鮮半島有事における周辺事態 (※4)にしても、私が防衛官僚としてやってきた仕事は、現実の具体的なニーズに対する対応でした。今回は、「(15事例のようなことが)ないとは言えない」と首相はさかんにおっしゃるが、逆に言うと確実にあるとも言えないことのためにやる、ということです。
例えば事例の中にある、総理が会見時にパネルを出して説明した、日本人の親子が乗ったアメリカの輸送艦を守る話 (※5)。われわれ防衛官僚は、現実にはあんなことは想定していなかったわけです。ああいう人たちは危険な状態になれば、まだ民間航空機が動いているうちに帰らせるのが原則で、どうしても残る人は最後に自衛隊機や政府専用機で運ぶというのが常識的な発想です。なぜあんなものが唐突に出てくるのか。仮にあんなことがあるとしたら、それは官邸の危機管理が失敗したことを意味している。
子どもを連れた母親を守らなくていいのか、と言えば、誰もそのこと自体は反対できない。そういう一つの、シンボルとして使っている。軍事的な情勢や、作戦上のリアリティといったものとは無関係なところから出てきている事例なんですね。シンボルによる、世論操作のために使われている事例だから、現実性がない。 

──では、安倍政権の狙いはどこにあるのでしょうか。

◎私の結論としては「安倍首相がやりたいからやる」としか説明のつけようがないと思います。 
祖父である岸信介元首相が60年安保(日米安全保障条約の改定)でアメリカの日本防衛義務を書き込み、日米の双務性を実現したけれども、自分はさらに「アメリカが攻撃されれば日本も血を流すことによって、イコールパートナーになっていく」と。しかし、イコールパートナーとは何かとか、そういう説明も何もない。そういう安倍首相の、情念というか脅迫観念から出発している話であるが故に、現実の世界に当てはめたときに、イメージがわかない、具体的なニーズが説明できない。 
それを補完する意味もあって、尖閣諸島に対する中国の脅威とか、北朝鮮のミサイルの脅威とかさかんに強調するけれども、しかし冷静に考えてみれば、尖閣の問題というのは、すぐに戦争に結び付く話というよりは、双方のナショナリズムを政治がどうコントロールするかという課題であるわけです。北朝鮮のミサイルの話で言えば、これはもう伝統的なアメリカの抑止力が完全に機能している。北朝鮮に今そんな本格的に戦争を起こすような国力があるとは、専門家は誰も思っていない。 

※4:日本周辺地域における、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態。1997年の「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)および99年の「周辺事態法」により、この場合、日本に対する直接攻撃でなくても、物資の輸送や補給などの米軍に対する後方支援が可能とされた。
※5:「例えば、海外で突然紛争が発生し、そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助し輸送しているとき、日本近海において攻撃を受けるかもしれない。我が国自身への攻撃ではありません。しかし、それでも日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る。それをできるようにするのが今回の閣議決定です」(安倍首相の会見より)。

そういうもので不安をあおる一方、他方でこういうか弱い親子を守らなくていいのか、と説得しようとしている。しかしそれは、理論的な話でも何でもない。イラク戦争や湾岸戦争の時に自衛隊を派遣したようなケースでは、武力行使の要件に該当しない、と言っているけれども、しかし日本人の親子が乗っているアメリカの船は該当するという。その基準がいったいどういう理由でそうなるのかがわからない。論理的な説明じゃないんですね。安倍首相の個人的な意志の表明にすぎない。 
安全保障というのは論理的な一貫性が非常に重要なんです。それが結局、御本人の「やりたい」という意志が先行しているものだから、論理的な整合性が取れないまま、物事が進んでいっている。 

■「抑止力」という考え方は軍拡競争に陥る
──集団的自衛権行使に関する国民の最大の不安は、これを容認することで、他国の紛争に加担する、あるいは巻き込まれるようになるのではないか、ということかと思います。安倍政権は、発生した事態が「新三要件」(※図参照)を満たしているかどうか政府が判断することを集団的自衛権行使の条件とし、これが歯止めになるとしています。

◎全く、歯止めになっていないと思います。 
 「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるとき」は、個別的自衛権は使っていいというのが、今までの解釈だった。問題は、日本が攻撃されていないのに、そういうことがあり得るかということです。
本来そんなことは論理的にあり得ない。論理的にあり得ないのなら閣議決定する必要がない。わざわざしているということは、やはりそれを使おうとしているわけですね。 
 「ホルムズ海峡に機雷が撒かれて石油が止まる」といった事例も挙げていますが、日本は水とコメと空気以外輸入に頼っている国ですから、そんなことを言いだしたら無限に拡大していってしまう。
つまり、そういう中間項を入れないと、あの基準というのは使いようがないのですが、中間項を入れだすと、世界中のあらゆることが対象になり得る。新三要件は全くできないことを言っているか、あるいはできるとすれば全く歯止めにならない、ということです。 

──安全保障の専門家の方たちは、現実主義の観点から、集団的自衛権の行使容認をはじめとする安倍政権の安全保障政策をおおむね高く評価しています。

◎集団的自衛権の行使容認も、一つの選択ではあります。今までの憲法の解釈は、ひとことで言えば「他国の戦争には加担しない」という原則だった。その解釈を見直すことで、確かに、相手を牽制する意味はあるだろうと思います。相手がそれで恐れて手を出さなくなるのであれば、安倍首相がおっしゃるように、抑止力が高まって、日本は平和になるという理屈が成り立つ。 
 ただ、事はそれほど単純ではない。「日本がそういうつもりだったら、こっちだってもっと強い姿勢に出るぞ」ということもあり得る。向こうだって抑止されたくないわけですから。抑止力は、お互いに軍事力を拡大する中でバランスを取る、その結果、戦争になったらあまりにも被害が大きいから戦争はしない、という考え方ですが、半面でそういう緊張を高めて軍拡競争に陥るという機能が、ずっと一貫してあった。 
そういう道を選ぶという選択肢はある。しかしそれが果たして日本の国力に合っているのか、そして、それでなければ本当に日本を守れないのかということは、もっとリアルに考えておく必要があると思います。 

──安倍政権は、一方で国際協調ということも強調しています。

◎ (安倍政権の言う)国際協調というのは、イコール同盟協力なんですね。それが、例えばイラク戦争のときにはものすごく矛盾した概念になっていた。国際協調は本来、日本自身の理念や哲学がものを言う世界であり、アメリカに対しても独自の主張をしていくという側面が伴わなければいけないと思うのですが、そういうものが全くない。
「国際協調主義に基づく積極的平和主義」という言葉を、何度も使うけれど定義がない。国際協調主義と同盟協力が、矛盾したらどうするのか。その可能性はあるし、実際10年前のアフガンやイラク戦争で既にそういう経験をしているのですが、全く議論がない。言葉を都合良く使っているだけだと思います。
日本防衛で言えば、尖閣諸島の話にせよ北朝鮮のミサイルにせよ、つまりそれは日本有事ということですから、個別的自衛権で対応すればいい。集団的自衛権には、確かに一般的にアメリカを補完するという意味はあるけれども、しかし日本防衛の際には、今でもアメリカの船を助けることができることになっているわけですから、個別的自衛権でね。 
その意味では、集団的自衛権の本質は日本の防衛ではなく、むしろアメリカの主導する国際秩序をどう維持していくか、そこに日本がどういう協力をするかという問題なんですね。 
その協力の仕方には、能力構築支援 (※6)や、あるいはルール作りを主導するなど、いろんなやり方がある。そこで軍事的な側面を強調して、「いざとなったらアメリカと共同行動を取るぞ」ということは、かえって相手を刺激して軍拡に正当性を与え得るという、マイナス面もある。
今までは「日本はぎりぎり、戦闘行為には参加しません」と言ってきたけれども、今度は最初から参加するということですから、そうなると当然、日本も相手にとっては戦争当事国になる。日本を攻撃する理由が生まれてくるわけです。そういうデメリットもある。 
政策には必ずメリットとデメリットがあります。集団的自衛権を使うことのメリット・デメリットをきちんと議論した上で、結論を出さなければいけない。 

※6:自国が有する能力を活用し、他国の能力の構築を支援すること。2010年の防衛計画大綱や中期防衛力整備計画において、自衛隊の能力活用が明記された。具体的には、人道支援・災害救援、地雷・不発弾処理、防衛医学、海上安全保障、国連平和維持活動などが挙げられている。



【平和ブランドの活用こそが国益にかなう】

集団的自衛権の行使に反対の立場をとる元防衛官僚・内閣官房副長官補の柳澤協二氏のインタビュー後編。柳澤氏は安倍政権の抑止力に対するシナリオは楽観的に過ぎ、集団的自衛権を強調することは日本の安全にマイナスと分析。第2次大戦後に築いてきた「平和ブランド」の活用こそが、長期的な国益にかなうと述べる。

■楽観的なシナリオしか考えていない
──安全保障政策の前提となる国際環境も、かつてとは大きく変わっているかと思います。

◎何が変わったかと言えば、一つは、冷戦時代のソ連を相手にした、最後は核の撃ち合いによる相互確証破壊といった、盤石な抑止構造がなくなっているということですね。もう一つは、抑止の対象がソ連から中国に変わっているということです。その中で、アメリカの力の相対的な低下、アメリカの一極支配が崩れているという構図がある。 
そういう大きなトレンドの中で、どうしていくか考えなければいけない。 
今のトレンドをそのまま単純に伸ばせば、やがて中国の軍事費がアメリカの軍事費を抜いて、アメリカを凌駕する日がくるかもしれません。しかし、実際には中国もいろんな問題を抱えていますから、いつまでそういう路線が続けられるか。 
そしてアメリカは、相対的に力が弱くなったとはいえ、いまだに中国の4倍から5倍の軍事費があります。今までのストックで言えば、アメリカ一国で残りの世界よりも多いぐらいの軍事費をずっと使ってきている。そのアメリカの優位性というのは、見通し得る将来にわたって、やはり揺るがないだろうと私は思います。 
もし本当にアメリカの優位性が揺らいでいくとした場合に、それを日本が補完するとしても、この財政状況でそんな大軍拡はできるわけはない。結局、軍拡によるバランスの維持ということを考えた場合には、どこかで息切れするわけです。そういう意味でも、政策に継続性があるのかということを考えなければいけない。 
もう一つは、日本とアメリカの関係です。地政学的に、日本はアメリカがアジアに展開するために必要不可欠な位置にいる。つまり、ソ連が相手であろうが中国が相手であろうが、日本が最前線の拠点であるという現実は、これまでと同じなんですね。 

──米国が日本に求めているものは何でしょうか。

◎そういう状況の中で、アメリカが日本に対して要請する一番大きな要素は何かというと、拠点である日本自身をしっかり守るということです。その基本的なニーズ、戦略的なニーズは、相手がソ連から中国に変わっても、全く変わっていない。 
ですから、アメリカが引く分を日本が肩代わりするというよりは、むしろ日本が自分をしっかり守ってほしいというのが、恐らくいちばん大きなニーズであるはずです。 
ではその日本という国をどう守るのか。 
日本は、南北には長いけれども東西には非常に細い、海岸線がやたら長いという地理的な特性があります。非常に守りにくい、われわれの言葉で「脆弱」と言いますが、ミサイルなどを撃ち込まれたら非常に弱い立場にいる。 
だから、日本自身をどう守るかを考えたときに、できるだけ紛争を局地化しなければいけない、そして早期に終結しなければいけないというのが絶対的な要請なんです。 

──集団的自衛権の行使は、それにそぐわない、と。

◎そうした全体の流れを考えたときに、軍事情勢が厳しくなればなるほど、原点に立ち返った防衛戦略を考えなければいけない。その答えが集団的自衛権かというと、私は違うだろうと思います。集団的自衛権でアメリカの船を助けている暇があったら、日本自身を守れということです。 
典型的なのが、15の事例の中にある、アメリカのイージス艦が飛んでくる弾道ミサイルを警戒しているときに、それを守るというものですね。日本にはミサイル防衛ができるイージス艦は、6隻しかない(今8隻に増やそうとしていますが)。一方アメリカは三十数隻あります。そこでどういう役割分担になるかといえば、日本の基地は日本が守れ、グアムやハワイはアメリカが守る、と。日本が自分の防衛をほったらかして、グアムを守りに出かけますなんてことは、全く想定できない。 
そういうことからしてあの15事例はリアリティがないし、日本の安全保障の、地政学的な要請にも合っていない。 
いちばん重要なのは、(集団的自衛権による)抑止力に関して、楽観的なシナリオしか考えていないことですね。これはアベノミクスにも共通している。お金を回せば経済活動が活発になって、賃金も上がって、税収も増える、という。それは一つのシナリオではあるが、経済でも安全保障でも相手があることです。経済ではマーケットという相手がある。その中で、うまくいかないシナリオを、リスクとして、考えなければならない。 
安全保障で言えば、先ほど申し上げた、日本が進んで戦争当事国になることによる、攻撃を受けるリスクなどです。そういうことを重ね合わせて、どちらが得かというのを考えなければいけないのですが、その議論が全くなされていない。私は、安倍政権の政策は、経済も安全保障も、一言で言えば自分勝手な都合の良い読みに基づくものだという点で、非常に問題があると思います。 

■米国も中国も本気で戦争する気はない
──日本も血を流さなければ、アメリカは確実に守ってくれないかもしれない、という考え方は、現実に合っていないのでしょうか。

◎もともと、岸信介元首相がおやりになったのは、基地の提供と日本防衛を、イコールとみなしたということです。その後、思いやり予算ということでお金も出すようになった。さらにその後、冷戦が終わった後は、戦後処理ではあるが人も出して協力するようになった。 
 そこまでしてまだ双務性がないのか、ということですね。今度は、本当に血を流さないと双務的でないのか。そこはまさに、どちらの方が利益が大きいのかという、バランスシートの問題としてしっかり、議論しなければいけない。 
先ほども申し上げたように、日本という基地やインフラがなければ、アメリカはアジアで軍事的な行動が取れず、プレゼンスも発揮できないわけですから、アメリカにとっては、日本はものすごく重要なんです。一方で、同盟関係ですから多少のことは目をつぶってもいいけれども、血も流さなきゃいかんというのは、全く次元の違う話です。 
実際に心配されているのはアメリカの介入の意志の問題だと思います。尖閣諸島問題で、オバマ大統領は「安保5条 (※7)の適用範囲だ」とは言ったが、具体的に何をしてくれるかという保証は全くない。むしろ見捨てられるんじゃないかという恐怖感があって、そこをつなぎ止めたいということなのだと思います。
しかし、アメリカの意志というのは、自国の大きな国益の判断から出てきているものです。 
アメリカは中国と、本気で戦争するつもりはない。むしろ中国との戦争に巻き込まれることを嫌がっている。冷戦時代と今の違いとして、今のアメリカと中国は、お互いにもう経済的に最大のパートナーで、戦争というものが、政策実現の手段として、あるいは対立を解決する手段としても、割に合わなくなってしまっている。そういう中で、意図しない争いが起きて巻き込まれるというのは、いちばん嫌がることです。それは、オバマ大統領だから、民主党だからという問題ではない。 
そこで日本が、血を流すからということでアメリカを巻き込もうとしても、それは方法論が間違っていると私は思います。 

※7:日米安保条約の中核的な規定で、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に対し、日米両国が「共通の危険に対処するよう行動する」と定めたもの。2014年4月、来日したオバマ大統領は尖閣諸島がその対象となると明言した。

── 一方で、中国の拡張主義も明らかだと思いますが、これはどう見ればいいでしょうか。

◎中国は今、非常に大国としての自信をつけてきており、また大国的に振る舞うことで、共産党の統治の正当性を確保しようとしているところがあります。それは日本に対してだけではなく、対フィリピンやベトナムといった、南シナ海で特に顕著に出ているのですけれども、今は軍事的な対応ではない、あくまでもコーストガード(沿岸警備隊)の世界でやっています。 
焦点は、南シナ海と西太平洋だと思っています。中国にとっては、そこでアメリカ軍が海をコントロールすれば、中国自身が危ないという理由がある。アメリカにとっての理由は、そこに中国の核ミサイルを積んだ原子力潜水艦がいれば、アメリカ本土が攻撃できるということです。南シナ海からはミサイルが届かないが、西太平洋からは届く。南シナ海には、資源の問題、領有権の問題、それから軍事的なバランスの問題と、いろんな要素があるけれども、いちばんクリティカルなのは、西太平洋へのアクセス経路でもあるということです。 
要はそこでの制海権をどちらが取るかという争いですが、中国は今、アメリカと本気で対決しない範囲でやろうとしている。 
中国には正面からの空母同士の決戦なんて力はないから、空母を狙う弾道ミサイルや、あるいは潜水艦などで対抗しようとしています。日本は特に潜水艦をやっつける能力は世界一ですから、そういうところで協力はできるでしょう。ただそれをやってしまうと、日本にもミサイルは飛んでくるという問題はある。そこはやはり、慎重に考えなければいけません。 

■「平和のブランド」が日本の“売り”になる
──となると、日本はどういう方策を取るべきでしょうか。

◎結局、合理的に考えれば大国間の戦争というのがお互いにもう成り立たなくなっているという認識、それが冷戦時代と今のグローバル化した世界のいちばん大きな違いです。 
確かに、「本気の戦争にならないなら多少のことはやってもいい」と相手は考えるかもしれない。そこで求められているのは、当面の対応では、危機管理としていかに早期に収拾をするか、事態を拡大させないかということです。そして長期的には、お互いルールを守るほうが得だという認識を共有していくということが、いちばん大きな方向性だろうと思います。 
今の自衛隊があれば、相手がある日突然来て島を取っていくようなことはできません。私はそれを「拒否力」と呼んでいるのですが、そういう拒否力としての防衛力は、静かに持っていればいい。 
集団的自衛権は、客観的には「何かあったらアメリカと一緒に戦争するぞ」という意思表明をしていることを意味します。そうやってあまり抑止力を強調し過ぎて、緊張を高めるようなやり方は、長期的に見て、かえって日本の安全にとってマイナスの面の方が大きいのではないかと思います。 

──日本の「平和のブランド」を活かせとおっしゃっていますが……。

◎私は別に、日米同盟や、防衛力をしっかり持つことが、不必要と言っているわけではありません。ただ、やはり専守防衛で、他国の戦争には関わらないという姿勢が、むしろ今こそ求められている時代だろうと思います。 
その結果、70年間1人も戦死者が出ていないというのは、実はすごいことなのです。他に先進国の中で第2次大戦が終わって70年間、戦死者を出していない国はおそらくあまりない。 
日本というのはそういう国なんだというのは、大きな“売り”になっていく。 
キーワードはグローバリゼーション。地球が経済的にはもう、国家主権も国境もないような世界になってしまった。それには2つの側面があります。大国間の戦争が割に合わないものになったということと、見捨てられた地域における、不平等感、不満の鬱積に、対応できなくなっているということです。 
例えばウクライナであるとか、中東の国であるとか、あるいはアフリカといった、見捨てられた地域においては、自分たちのアイデンティティが害されているという被害者意識を生んでいる。 
そういう問題に対処していくときに、アメリカのように軍隊を送り込んで政権を転覆する国という認識で受け止められるのではなく、イラクでも一発も弾を撃たずに、イラク人を一人も殺さなかった国なんだという、その“ブランド力”は、むしろ日本の強みとして生かしていけるところだと思います。 
それをもっと生かしていくことを考える方が、長期的には、世界の平和にもつながるし、日本の国益にも合う。第一それが、日本ができること、日本の身の丈に合ったことではないかと思います。 

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