日清戦争120年、東学農民戦争120年 ~ゆがめられた「歴史認識」
中塚明・奈良女子大学名誉教授による「日清戦争120年、東学農民戦争120年 ――ゆがんだ日本の「歴史認識」をどう正すか」〔前衛2014.8〕の備忘録。
“ 明治維新からの歴史的大変化の中で、政府・軍部は、決定的に重要な事実を意図的に隠してきた。この歴史の隠蔽・改ざんが、昨今、内外で問われている日本人の歴史認識に影を落としている。今日の問題”
とし、主に、朝鮮王宮占領から始まった日清戦争、王宮占領に対する抗日運動・東学農民第二次蜂起に対する皆殺し作戦について取り上げている。
そして当時の政府・軍と同じく「安重根は犯罪者」と公言する日本政府の認識が特に問われることのない状況に問題を投げかけている。
【日清戦争120年、東学農民戦争120年 ――ゆがんだ日本の「歴史認識」をどう正すか】
中塚明・奈良女子大学名誉教授 前衛2014.8
●はじめに
・日清、日露戦争をたたかい、明治維新から40年余で、帝国主義列強の1つにまでに大変貌
~ 多くの日本人は「明治の栄光」とみなしている。
→が、この歴史的大変化の中で、政府・軍部は、決定的に重要な事実を意図的に隠してきた。/この歴史の隠蔽・改ざんが、昨今、内外で問われている日本人の歴史認識に影を落としている。/今日の問題
・今年一次大戦開戦100周年/が、日本人にとっては日清戦争から120年を改めて自覚する必要がある。
・日清戦争 日本がアジアで唯一、他国を圧迫する国に転じた画期となった戦争/ そのもとで、日本は大規模な抗日闘争に直面。今年は朝鮮でおこった東学農民戦争〔革命〕120年
~ 日本は、何をし、どう振る舞い、今日に何を残したか、それが「負の遺産」ならどう克服するか
Ⅰ 歴史の偽造を重ねてきた明治以降の日本
(1) 江華島事件(1875、M8)以来、日本政府が朝鮮で行ったこと、その事実を隠してきたこと
・明治政府の誕生以後、朝鮮を支配することを対外政策の重要な目標としてきた。/その武力行使の第一歩が江華島事件
~事件のスケッチ/ソウルの玄関口にある江華島前面の海域に日本の軍艦が侵入。戦火を交え、江華島などの砲台を破壊、大砲を奪い、民家に放火し、長崎に帰った事件
・明らかに日本が挑発し,仕掛けた戦闘。3日間も国交のない国の領海で戦闘を実施
→日本政府/飲料水を求めて陸地に近づいたところを攻撃され、やむなく応戦。期間も1日とし、内外に報道
☆それ以降も、多くの事実とその隠蔽があるが、/この論考では、日清戦争がどうして始まったか、その日本軍に対する朝鮮人の抗日闘争に日本政府・軍が皆殺し作戦を展開したこと、について述べる
(2-ⅰ) 日清戦争は朝鮮の王宮占領からはじまる
・日清戦争/ 日本では「朝鮮独立のための戦争」、日本は率先して「朝鮮を独立国」として世界の国々の仲間に迎えいれようとしたが、清国は「朝鮮を属邦」としている、その非道をただし東洋の平和のために戦う、というのが、政府が明らかにした戦争目的~ 天皇の宣戦の詔勅の核心
・が、日本軍の武力行使の第一撃は、首都ソウルの王宮の占領、国王を事実上虜にしたこと
~ なぜ「朝鮮の独立を守る戦争」なのに、朝鮮王宮占領から、戦争が始まるのか?!/ その矛盾を封印するため、日本政府のウソを流布した。
・84年春 南朝鮮南部一体で、圧制に抗議する農民の大衆的武装蜂起がおこる/東学農民の蜂起
→ 日本では長らく「東学党の乱」とよばれ、「まじない的な性格の東学」を信じる徒党=乱民とみなされてきた。/が、これは誤り。東学は、19世紀後半の朝鮮社会が直面していた内外の困難な状況を打開し、社会革命をめざした思想。だから、広範な農民に支持しれた。現在、韓国では「東学農民革命」と呼ばれる
(メモ者/ 韓国においても同様の見方であったが、光州事件〔圧制に抗議する民衆、弾圧する権力、という同じ構図〕を含む民主化過程の中で見直しが進み、「東学農民革命」として名誉回復)
・この蜂起を機として、日・清両国が出兵。日清戦争の契機になる出兵
〔メモ者 東学農民軍は各地のたたかいで地方軍を打ち破り、中央軍とのたたかいにも勝利、1894年5月31日(旧4月27日)全羅道の首府である全州城に入城。/ 朝鮮王朝は、反乱を制圧するため清に軍隊の支援を要請。清の出兵に対し、日本軍も遅れじと出兵〕
・東学農民軍の指導者は、国際情勢にも通じており、日・清の出兵を知り、外国勢力の干渉を避けるために、政府軍と和解、蜂起は沈静化する
〔メモ者 中央官僚・地方の官吏の不正収奪や米の流出防止を確認のうえ全州和約を結び、全州城入城から10日目に農民軍は撤退〕
・朝鮮王朝は、蜂起の沈静化で、清と日本に撤兵を要請
→ が、日本政府は撤兵を拒否/ 交戦の機会を探るが、欧米列国が納得しそうな口実が見つからず、そこで〔用意周到に8,000人の日本軍を配置し奇襲攻撃を〕実施したのが王宮占領(7月23日)
・当時の大本営参謀だった東条英教(東条英機の父親)の記述
~ 日清戦争後、参謀本部編纂部長として戦史編纂の責任者。参謀次長交代後、異動。が、個人の著作「征清用兵隔壁聴談」とする簡潔な日清戦史を残す
・東条の記述(著者による現代訳)「日本軍がソウルから南進して清国軍と交戦することになると、大島圭介(朝鮮駐在)公使は外交官としての職務上心配なことがあった。それは日本軍が清国軍と衝突するのに適当な口実を得ることであった。…最も穏当で日本の責任を免れるには、朝鮮政府の方から清国兵の撃退を日本に依頼させるのが一番よい。それを朝鮮政府から依頼させるには武力をもって朝鮮政府を脅かすのが一番だ」
・が、宣戦布告もしてない国の、政治の中枢を襲撃し、国王を虜にした事実をどう世界に生命するか
→ 日本政府は「日韓兵士の偶然の衝突事件」とし、朝鮮政府にも事件の究明を行わない旨を約束させる(94年8月20日「日韓暫定合同条款」)
(2-ⅱ)抗日に立ち上がった朝鮮人を皆殺しにした作戦
・王宮を占領され、国王を虜にされた朝鮮人の抵抗
→東学農民の第二次蜂起/ 春の蜂起と比較にならないほど大規模で、地方の役人なとも参加。抗日の旗印を鮮明にした蜂起が各地で展開される。
・この蜂起に対し、日本の大本営は「悉(ことごと)く殺戮すべし」と日本から弾圧部隊を派遣
~94年11月から翌年にかけ、ジェノサイドを展開、朝鮮の南西端、珍島に追い詰め、皆殺しにした。
〔メモ者 東学農民軍は、旧式の武器しか持たず、5万人もの東学農民軍の命が奪われた。
攻略作戦の指揮をとった竹内特務曹長の報告文には、“最後まで抵抗したのは25人、その中には28,9歳の若い身重の女性がおり、銃で撃たれて死亡したこと、また、1歳位の女児を抱きかかえて、崖を飛び降りたものがいたこと。身体は岩にぶつかり飛び散り、「即死セリ、其惨状言フ可カラズ」”と書かれている。〕
・作戦は、軍部だけの行動ではなく、日本の最高機関・大本営で決定されたもの
首相伊藤博文の盟友で、内務大臣をやめ朝鮮公使となった井上肇が、着任早々に、伊藤博文に弾圧部隊の派遣を要請、広島の大本営で、伊藤首相(文官であるが、天皇の親任を得て大本営に参画)が、川上操六らと相談し決定。東京にいた陸奥宗光外相とも十分連絡をとっていた。
・この作戦の実相をあきらかにする記録が最近見つかっていること
~ この作戦で唯一戦史した徳島県出身の兵士の実相を詳細に記録した「陣中日記」の発見 ~捕虜を見せしめとして、一斉に銃剣で突き殺す様など・・・
☆日本の侵略戦争は、1931年の満州事変以後という歴史の見方が、いがに事実とちがうか/ 「朝鮮独立のための戦争」という主張が、いかに事実とちがうか。
~ それゆえ、政府・軍は、この作戦を隠蔽した。/現在の教科書にも、東学農民の第二次蜂起に、たいていは記述されていない。
Ⅱ 事実を探求せず偏見だけを受容してきた日本人~われわれの主体的問題
(1) 近代日本でひろめられた朝鮮侵略に都合のよい「理論」
・明治以降、日本は一貫して朝鮮を支配下におくことをめざしてきた。
・「朝鮮を他国が支配したら日本は発展できない。朝鮮では百姓一揆がしきりに起こり、政治は乱れている。いまが朝鮮への出兵のチャンスだ」(江華島事件の主役「雲揚」艦長・井上良馨による海軍中央への進言)
~それを承知で、海軍は「雲揚」を朝鮮の西海岸に派遣/ その結果、江華島事件が発生
・繰り返される主張/ 山県有朋首相・施政方針演説(1890年)「主権線(国境)防護」だけでなく、その外側に「利益線」を定めそれを「保護」するために「軍備の拡張」を、と主張/ 「利益線」とは朝鮮
→ 日清戦争、日露戦争の目的が、日本が朝鮮を支配するための戦争だったと理解している日本人は少ない
・2つの戦争は日本の「防衛戦争」だったのか /「防衛戦争」という時、決まって出てくる朝鮮の見方
~①自分の国を自分で守れない ②経済的に停滞し落伍している ③大国に頼る自主性のない国
→ この見方を、日本を代表するような学者・知識人・作家が発言
①03年 経済学者・福田徳三「韓国の経済組織と経済単位」で、停滞・落伍を主張
②06年 新渡戸稲造「枯れ木のように死んだ国」~国際連盟の事務次長にもなった代表的国際人
③司馬遼太郎「坂の上の雲」にも連続/日清戦争の「原因は、朝鮮にある。といっても、韓国、韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば、朝鮮半島という地理的存在にある」「李王朝はすでに五百年も続いており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の遺志と力でみずから運命をきりひらく能力は皆無」
(メモ者 司馬は、当時の人の意識・立場で執筆しており、歴史を検証する立場にない )
(2) 日本では見失われる朝鮮の民族的な主体――朝鮮独立の動き
・日本の「戦争責任」の議論をする人でも、満州事変以降の話はしても、明治に遡って論じる人は稀。
・「日清戦争」を日本と中国の戦争、「日露戦争」を日本とロシアの戦争とだけ見るのは大きな間違い
→ 両方とも、日本軍はまず朝鮮に上陸し、朝鮮を占領し、朝鮮・韓国の政府と人民、領域を制圧することを大きな目標としていた。
が、朝鮮でさまざまな抵抗に直面する
(3) 当然である――朝鮮は数千年の歴史と伝統をもつ国家・民族なのだ
・10世紀はじめ、高麗王朝が朝鮮半島全体を統一 /日本は、平将門の時代
~それからでも千年間、半島では共通の生活を営み、民族的な文化を育んできた
・高麗にかわり、李成桂が、朝鮮王朝を建国したのは1392年 /日本 南北朝時代が終了した年
・建国から500年の歴史を持った王朝(江戸時代の倍)
・日本に対しては、300年前の豊臣秀吉の侵略の辛酸、それを撃退した民族的記憶を国民が共有している
(4)「朝鮮停滞論・落伍論・他律論」では朝鮮独自の動きが見えない
・19世紀末、独自の外交関係を持つ/日清戦争当時、日、米、清、英、独、伊、露、仏など9カ国。日露戦争の前には、ベルギー、デンマークがプラスし11カ国~当然、困難な国際状況の中での努力が払われてきた
→「停滞論…」では、こうした動きが目に入らない/ 日本の歴史観の欠陥
・「日本が保護しないと朝鮮は中国、ロシアの食い物にされ、日本の安全は守れない」という「理屈」
→ 朝鮮戦争を「正当する」のと、日清・日露戦争で日本が朝鮮で行った行為を覆い隠す「理屈」
(5)これは「日本問題」ではないか
・「停滞論…」では朝鮮独自の動きは見えない/ 実際、日本が朝鮮を制圧する過程で様々な抵抗を受けた
→ が、日本はその公表を妨害し圧殺してきた/ 王宮占領、朝鮮人の抵抗を皆殺しにした軍事作戦など
・これらは朝鮮の問題ではなく、日本政府、日本軍のしたことで、「日本の問題」
→ 日清戦争の不義・不法は日露戦争でも輪をかけておこなわれた/ この不義・不法が、後に何を遺すか、わが身「日本」にどんな後遺症をもたらすか /政治・軍事の指導者達は考えられなくなった。狎れたのだ。
Ⅲ 歴史の偽造の果てに来たもの
(1) 歴史を偽る靖国神社
・「東学農民の第二次蜂起」皆殺し作戦で唯一戦士した兵士(94年12月10日、忠清道連山で戦士)
・上官が遺族に送った書簡(12月13日付)が「徳島日日」に載っている(1月23日)
・が、「靖国神社忠魂史」では、日本軍が日清戦争で最初に清国軍と交戦した成歓の戦い(94年7月29日)で
戦死したことになっている。/が、そのときには、召集をうけ四国の松山にいた
→ 「朝鮮独立のために戦いっている天皇の軍隊に、朝鮮人の抗日闘争などあるはずなし」「朝鮮人に撃たれて日本軍兵士に戦死者が出るはずもなし」と言わんばかりのウソ
(2)「機密事項はすべて削除されている」公刊戦史
・03年7月1日 参謀本部部長会議で、編纂責任者・大島健一大佐が、日清戦史の編集方針改定を提案
「草案を読んでみたが…(朝鮮王朝占領のこと)など詳しく書くのは「宣戦ノ詔勅ト矛盾スルノ嫌アリ」、こういうことは書かないで編集しなおし、もっぱら清国が日本に敵対してきたので、日本はやむなく応じざるを得なくなって戦争になった。というふうに改める」(「日清戦史第一第二篇進達ニ関シ部長会議ニ一言ス」)
/参謀本部がこれを了承 /公刊戦史は、ウソの作り話と変えられた。
・戦史改ざんは、日露戦争後いっそう系統的になる
~参謀本部「日露戦史編纂綱領」/ 精緻な事実を叙述する史稿(草案)を編纂するのを第一期。第二期ではその全部にわたり分合増さんし、かつ機密事項を削除」して「本然の戦史を修訂し、これを公刊するものとする」→ 少数の関係者を除いて真相を知るものはなく、公刊戦史が「戦争の真実」であるかのようにした。
(3)日清戦争から50年で「大日本帝国」は崩壊。それから69年、いまの日本は
・歴史の偽造を、公権力が行うことが日常のこととなった結果、どうなったか
→日清戦争からわずか50年、日露戦争からでは40年。朝鮮、中国を犠牲にして成り上がった大日本帝国は崩壊した。
・その敗戦から69年 /が、「安重根は犯罪者だ」と断定する政府が日本にある
→「安重根」は、韓国・北朝鮮では「民族独立の英雄」として知らない人はない
→ それを「犯罪者」といい続けている。/中韓による記念施設建設の合意に、官房長官は「安重根は犯罪者だと伝えてきた。このような動きは、日韓関係のためにならない」と記者会見で不快感を示した
・伊藤博文暗殺に対し、小村寿太郎外務大臣の命で事件を調査した倉知鉄吉・外務省政務局長の報告
この事件は「(ウラジオストック)にある若干の不逞鮮人が計画した」もの、その「根源は、浦塩にあり。余り大規模なものではない」と結論づけ、「この際なるべく事件を小さく取り扱うことが必要」と政府に進言。日本政府も大体その方針をとるつもりだった、という。
→ 安重根を民族運動と切り離し、不逞の輩として片付けるのが当時に日本政府の方針/「安重根は犯罪者だ」という安倍内閣の言説は、当時の日本政府の見方と基本的に変わらない
→また、この発言を正面から批判する意見が日本のマスコミにまったくなかった。驚くべき日本の現実
☆日本の公権力による歴史の偽造・改ざんは、いまも公的にただされず、生き続けている /今日の日本の頽廃、頽廃を頽廃と思わない歴史的無知、その底に歴史の偽造・改ざんの遺産は重く横たわっている。
●むすび—この歪んだ日本の歴史認識を正す道は
・著者は、4/25、韓国で「緑豆大賞」を受賞。その意味を考えたい
・同賞は、「高敞(こちゃん)東学農民革命記念事業会」が、東学農民革命の精神を継承発展させるために制定した賞。7回目、日本人は初めて
~「緑豆」とは、農民革命の小柄な最高指導者の愛称。高敞は生誕の地、革命発祥の地
・受賞の理由 王宮不法占拠を明らかにした「歴史の寄贈をただす」、皆殺し作戦を明らかにした「東学農民革命と日本~もうひとつの日清戦争」の刊行、06年以降「東学農民革命の歴史を訪ねる旅」を毎年実施し日・韓の草の根の親善と相互理解、友好増進に寄与したこと。
・安倍内閣の暴走を考えたとき、「いま、なぜ初めて日本人の受賞か」を痛切に考えざるを得なかった/日本人へのメッセージとして、この大賞を受賞した。
~「緑豆大賞」の額皿には、ナショナリズムを煽る言葉は1つもない。「東学農民革命の自主と平等の崇高な精神を継承発展させる」、「自主、平等」のための事業が東学農民革命の本旨。そのことを韓国の人が継承・発散させようとしている。/ 「東学革命謀議塔」の基壇に、浮き彫りにされていたムクゲの花が一昨年なくなっている~ムクゲは韓国の国花であり、上から押し付ければ国家主義を煽ることになると、東学農民革命記念財団がとりはずした。
・韓国の人が何をめざしているのか。日・韓の草の根の民間交流を促し、今の韓国の人たちの考えを知ること、そして日本人が過去の歴史的事実にしっかり向き合いそれから目をそらさないこと/ 「緑豆大賞」の受賞を改めてそのことを自覚した。
« 原発避難計画 受入れ自治体の策定13% | Main | “それぞれの「戦争論」” ぜひ一読を »
「備忘録」カテゴリの記事
- 202408地方議員学習交流会資料+α(2024.08.15)
- マルクスと自由・共産主義と自由 メモ(2024.06.27)
- 2405地方議員学習交流会・資料(2024.05.16)
- 日本のジェンダー平等を考える ~家族モデル、政治、教育、賃金格差、DV(メモ)(2024.05.05)
- キャンセルカルチャー 「大衆的検閲」の行く先(2024.03.13)
Comments