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最高裁「砂川判決」と集団的自衛権  法学館憲法研

 伊藤真氏が所長をつとめる法学館憲法研究所の「憲法時評」~“最高裁「砂川判決」と集団的自衛権”
集団的自衛権行使の「根拠」に砂川判決を「利用」していることについて、「『砂川判決』のどこをどう読めば集団的自衛権を認める根拠になるというのか。高村氏を含め自民党の議員たちは、そもそも、判決文を全部きちんと読んだことはないのだろう。」と、判決文を示し批判している。
 機密指定がとかれた米公式文書からアメリカが関与したことが明白になった砂川判決は、有効性そのものが問われている。
 閣僚経験者からも「ナチスと同じ愚」「詭弁」など・・・批判が相次いでいる。なにより国民が反対している。

【最高裁「砂川判決」と集団的自衛権  4/10 法学館憲法研】
【首相は「ナチスと同じ愚」 村上元行革相が批判4/9 共同】
【集団的自衛権の“限定容認”は詭弁だ 田中秀征・元経済企画庁長官4/10】
【集団的自衛権「砂川が根拠」 首相、歴代の議論無視 東京4/11】

【最高裁「砂川判決」と集団的自衛権  4/10 法学館憲法研】

浦部法穂・法学館憲法研究所顧問  4/10

 1959年12月16日に出されたいわゆる「砂川事件」の最高裁判決が、いま、変な形で「脚光」を浴びている。自民党の高村副総裁が、集団的自衛権の行使容認の根拠として、この「砂川判決」を持ち出したからである。曰く、《最高裁は「主権国家として持つ固有の自衛権」は憲法上否定されていないと言っており、そこでは「個別的」とか「集団的」とかという区別はしていない。これが自衛権に関する最高裁の判断として「唯一無二」のものだ。だから、集団的自衛権は憲法上禁じられているという解釈は相当無理がある。》と。そして、この高村氏の言い分に、自民党議員の多くが「納得」したという。いったい、「砂川判決」のどこをどう読めば集団的自衛権を認める根拠になるというのか。高村氏を含め自民党の議員たちは、そもそも、判決文を全部きちんと読んだことはないのだろう。以下、少々長くなるが、そして関係箇所だけになるが、判決文をそのまま引用しておく。このどこに集団的自衛権の根拠を見出すことができるのか、じっくり考えてもらいたい。

 「そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求』することを宣言し、また『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と規定し、さらに同条二項においては、『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
 そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

 「砂川事件」の最高裁判決は、日米安保条約とそれにもとづく駐留米軍が憲法9条2項に違反するとした1審判決(東京地裁1959年3月30日)を覆すために書かれたものである。日米両政府にとっては、1960年の「安保改定」を控えて、1審判決はなんとしても1959年中に覆しておかなければならなかった。1審判決が出た翌日早朝、当時のマッカーサー駐日米大使が藤山外相に会い、最高裁への跳躍上告を促したこと、8月には当時の田中耕太郎最高裁長官が米公使と「私的」に会談して、判決は12月に出され1審判決を破棄する内容になるだろうと話し、世論を「かき乱す」ような少数意見がつかないよう努力する旨を語ったこと、等々のことは、すでに数年前に新聞等でも報道され明らかになったことである。そういう意味で、この最高裁「砂川判決」は、もっぱら政治的な観点から、そして最高裁が自ら司法の「独立性」を放棄して書かれた文書であり、もはや裁判所の判決として尊重されるに値するものではない。日本の政治と司法にとって恥ずべき前例である。

 が、その点を差し引いて判決文を読んでみても、そこで言っていることは、要するに「日本を守ってもらうためにアメリカ軍を駐留させても憲法に違反しない」ということだけであって、「アメリカが攻撃されたときにアメリカを守るために日本が軍事行動することも憲法上許される」などということは、行間を読んでさえとうてい読み取れない。むしろ、私でさえ(?)その「卑屈さ」に腹が立つような内容である。そんなものを集団的自衛権正当化の根拠として持ちだそうとは、彼らもよほど「手」がないのだろう。朝日新聞の直近の世論調査によれば、集団的自衛権の行使容認に反対と答えた人が63%に増え、賛成の29%を大きく上回ったという。


【首相は「ナチスと同じ愚」 村上元行革相が批判4/9 共同】

 自民党の村上誠一郎元行政改革担当相が月刊誌「世界」のインタビューで、憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使容認を目指す安倍晋三首相の政治姿勢を批判した。ナチス政権が全権委任法によりワイマール憲法を形骸化させた歴史を引き合いに「同じ愚を繰り返す危険性がある」と指摘した。 解釈変更した上で自衛隊法などを改正するとの安倍政権の方針に関し「下位の法律によって上位の憲法の解釈を変えるのは絶対にやってはいけない『禁じ手』だ」と非難し、違憲訴訟が続発すると警告した。
 同時に「政治家が守らなければいけない三権分立や立憲主義の基本を無視し、壊す危険性がある」と非難した。(共同通信)

【集団的自衛権の“限定容認”は詭弁だ 田中秀征・元経済企画庁長官4/10】

 コラムより
“3日の自民党幹部との協議で公明党の山口那津男代表は、集団的自衛権行使の事例としている事態は「個別的自衛権などで対応できる」と強く反論したと言う。その通りである。 
自民党はその与党協議の場で、「限定容認論」について、「日本の安全保障に直結する必要最小限の事態だけに集団的自衛権を行使すること」と説明している。だがその事例の大半が個別的自衛権の範囲内で対応できるのだから、公明党の主張を受け入れればよいはずである。 
なぜ安倍政権は「集団的自衛権」に固執するのか。それは、この際集団的自衛権の全面的行使への突破口を開くことが一義的な目的だからだ。 ”


【集団的自衛権「砂川が根拠」 首相、歴代の議論無視 東京4/11】

 安倍晋三首相や自民党幹部が集団的自衛権の行使を容認するため、一九五九年の最高裁による砂川事件判決を根拠にする考えを相次いで示している。しかし、この判決は五十五年前のもの。歴代政権は判決を踏まえた上で、集団的自衛権の行使は「憲法上許されない」とした政府見解を三十三年前に定め、維持してきた。安倍首相らは今になって、判決に独自の考えを加えて解釈改憲に利用しようとしている。この判決の無効を求める動きまであり、憲法解釈の根拠とすることの正当性も揺らいでいる。 (金杉貴雄、新開浩)

 最高裁は砂川判決の一部で「わが国がその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得る」とし、憲法九条の下でも自衛権は認められるとの見解を示した。

 集団的自衛権については触れていないが、政府はその後、六〇~七〇年代に集団的自衛権に関する憲法解釈を国会答弁などで積み重ね、八一年に「集団的自衛権は憲法上許されない」との答弁書を閣議決定。現在まで政府の見解として維持されている。

 判決は個別的自衛権を認めたもので、集団的自衛権は問題になっていないとの考えが一般的な学説だ。歴代政権はこれを踏まえ、憲法解釈で集団的自衛権の行使を否定してきた。だが、首相は半世紀以上の経緯を無視するかのように「判決には集団的自衛権も入っている」と主張し始めた。

 長谷部恭男東大教授(憲法学)は「砂川判決から憲法上、集団的自衛権が行使できるとする結論は無理がある。判決で認められるなら、今までの政府見解に反映されたはずだが、そうなっていない」と指摘する。

◆元被告ら 再審請求検討

 この最高裁判決をめぐっては、有罪判決を受けた元被告らが夏ごろに再審請求する準備を進めている。請求の行方次第では、判決の存在自体が危うくなる。

 再審請求は、裁判長としてこの事件を担当した田中耕太郎最高裁長官(故人)が、判決直前にマッカーサー駐日米大使らと非公式に会談していたことが、機密指定を解かれた米公文書で判明したために提起されようとしている。

 日本の研究者らの開示請求で、二〇一一年に見つかった米国務長官宛ての公電(五九年十一月五日付)で、マ大使は、田中氏との会談の内容を報告。田中氏の言葉を「(一審を担当した東京地裁の)伊達(秋雄)裁判長が憲法上の争点に判断を下したのは、全くの誤りだったと述べた」と紹介し、「裁判長は、一審判決が覆ると思っている印象」と本国に伝えていた。

 開示請求にかかわった元山梨学院大学教授の布川(ふかわ)玲子氏(法哲学)は、これが評議内容を部外者に漏らすことを禁じた裁判所法に違反するとして、砂川判決自体を「無効」と指摘する。

 元被告の土屋源太郎氏(79)=静岡市=も「司法の中立を放棄した判決。安倍首相が解釈改憲の根拠にするのは問題」と批判。代理人の吉永満夫弁護士も「米公文書は再審の新証拠として十分成立する」と話す。


<砂川事件> 1957年、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入り、7人が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反の罪で起訴された事件。東京地裁は59年3月、米軍駐留は憲法9条2項が禁ずる戦力の保持に当たり、違憲として無罪を言い渡した。検察側の上告を受け、最高裁は同年12月、9条は日本に自衛権があると認め、安保条約のような高度に政治的な問題は司法判断になじまないとも指摘。一審判決は破棄され、その後有罪が確定した。


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