九条解釈の変更の持つ矛盾と問題(メモ)
浦田一郎・明治大学教授に聞く 「憲法と集団的自衛権――政府解釈の変更論を中心に」(前衛2014.1)
後半部分の備忘録。
前半は、「全体の動き」「政府の九条解釈と集団的自衛権」「安保締結と集団的自衛権」「現時点での政府の集団的自衛権の解釈」「政府の解釈は確かな議論か」「安保法制懇は集団的自衛権行使をどう解禁するか」・・・
【政府解釈の変更の持つ矛盾と問題】
・安部政権が、集団的自衛権行使の解禁を憲法解釈の変更でやろうとしている。
→ 法解釈の変更は、一般的にできないわけではない。が、法治主義、法的安定性を考えれば、安易に帰られない、慎重であるべきとの要請がある。
→ 憲法であればなおさら。しかも九条解釈には過去政府が行った膨大な国会答弁の積み重ねがある。
→ 集団的自衛権を行使できるとの解釈に変えることは、法的論理としてはほとんど不可能。
◆国際法との関係での不可能性
・集団的自衛権の九条のもとでも行使できる、となると、なおさら集団安全保障のために武力行使することも認められることになる。
→ 国連憲章下では、集団的自衛権は個別国家の私的なもの/集団安全保障は国連による公的なもの
→ すると九条が禁止しているのは、侵略戦争だけ。が、侵略戦争はもともと国際法上認められていない。つまり、九条は何も禁止(制約)していないことになる。
→ 実質的に九条削除したことになる。
◆明治憲法との関係での不可能性
・明治憲法でも憲法体制として侵略戦争ができることになっていたはずはない。/1928年のパリ不戦条約に明治憲法下の日本も参加。不戦条約で侵略戦争ができないことは明らか。
→ それ以外の戦争はできるのだ、ということになり、軍事に関しては内容的に、明治憲法と日本国憲法はかわらないことになる。
・明治憲法には、軍隊の最高指揮権、宣戦布告・講和など軍事力の根拠となる規定がある。が、日本国憲法には規定はない。
→ 明治憲法から日本国憲法への転換は、軍事力に関して根拠をなくすことになってしまう。
・一般的に、明治憲法は外見的立憲主義憲法。日本国憲法は本格的な立憲主義憲法。/ 立憲主義は、日本国憲法の方がより強い
→ その日本国憲法の下で、軍事力という、人権にとってもっとも危険で統制が必要なものについて、根拠規定をなくしたことに説明がつかない。
・自衛隊・自衛力論~ 日本国憲法の下で根拠なしで、軍事力がもてるのか、は当初より意識されていた。
防衛庁設置法、自衛隊法の立案にあたり、国会審議の表に立った加藤陽三保安庁人事局長「私録・自衛隊史」~「自衛隊は憲法九条に違犯しない」という説明を、自絵力論にもとづいて行った後、“自衛隊は憲法に違犯しないと説明はできるが、自衛隊が憲法に根拠があるという説明はできない。どの国でも、軍隊をもつ国には憲法の根拠がある、憲法に根拠なしに軍隊を持っている国を私は知らない。この点は「諒解」してもらうしかない”と書いている。
→ こうした根本問題はあるが /自衛力を、自然権、平和的生存権をもとに説明。よって自衛力を超える軍事力はもてない。集団的自衛権を認められない、との論理構成
→ その点で、九条の法的意味を認めているので、かろうじて議論に成り立つと言えないことはない。
→ 「一般的に集団的自衛権の行使をできる」とした場合、九条は何も言っていないことになり、法的な論理としてはほとんど不可能
◆立憲主義の問題と民主主義の問題
・立憲主義の点からのおかしさ
安保法制懇の立場“こういう軍事力も、あういう軍事力行使も必要だ。しかし、今の政府の憲法解釈ではできないことがたくさんいる。だから軍事的にやるべきことについて、法的根拠付けをしよう”
→ もともと九条があり、戦争と戦力を禁止しているから、出来ないことがあるのは当たり前。/「できないのはおかしい。できるように議論しよう」というのは、もともと九条の存在を前提にしない議論。
→ 議論の前提に結論が含まれている。/ 政府の自衛力論は、軍事力の正当化と制約の両面的な制約をもっているが、その制約を全部否定するもの
・民主主義の観点からもおかしい
集団的自衛権の行使を認めることは、九条を削除すること。/九条の削除となれば、96条の改憲手続きにより、衆参の特別多数、国民投票を得なければならない
→ にも関わらず“、政府が憲法解釈を変えることは政府の問題であり、閣議決定して国会に報告すればよい”とする立場は、国民主権、民主主義に反する。
→ 自民党は、改憲手続きの緩和を「3分の1の議員が反対すると国民投票ができない。過半数にして国民の意見が聞けるようにしよう」と、国民主権を理由に緩和論を言っておきながら、国民の意見を聞かずに、実質九条を削除するのは、「民主主義論」としても一貫しない。
【憲法解釈論における「必要最小限度」の集団的自衛権】
◆「地球の裏側まで」をめぐって
・解禁派の基本的スタンス~ 一般的解禁だが、法律や政策では「必要最小限度」の行使という仕分け
/が、解禁派の中にも、「地球の裏側まで」行くような個別的自衛権とあまり関係ない集団的自衛権は認められない、という議論もではじめている。
→ 自民党・高村正彦「地球の裏側まで行くようなことは憲法上できない」(朝日新聞)
・一般的解禁では、九条の法的意味がなくなる。「最小限度の行使」論は、その限りで法的効力を残す
・「必要最小限度」の集団的自衛権行使なら認められる・・・長い歴史がある。
60年安保 米軍への攻撃への共同対処 ~が、「日本領土内」での共同対処について、日本への攻撃と見なし、個別的自衛権として説明。
◆「必要最小限度」という議論の困難さ
・が、「必要最小限度」を超えるものは認められない、という論理では、アメリカの軍事戦略への協力と言う面では限界がある。いずれ撤廃がせまられる。
→ 「必要最小限度」との解釈を出すと、「もう変えないでしょうね」という議論になるが、政府は、「もう買えない」と約束できるか。そこで行き詰まってしまう。
・「必要最小限度」の集団的自衛権の具体化となると・・・
従来の流れによれば、周辺事態における集団的自衛権の行使となる。
~ 「周辺事態」は、もともと地理的概念ではなく、個別的自衛権に近いという意味で「周辺」と考えられていたが、国会審議のなかで「我が国周辺の地域における」という地理的限定が入った。
→ 日本の地理的周辺でアメリカと一緒にたたかうということ。/ まさに中国を刺激することになる。
→ それは、アメリカの意向にあわない。/ よってこの議論も難しさがある。
【現実の帰結】
・個別的自衛権を、単独で実施するのは難しい。/武力行使は、より強い国からより弱い国に対してなされるのが普通。だから実際上、個別的自衛権はあまり行使されない
・集団的自衛権は、その体制の中の弱い国が体制の外から攻撃をうけたとき、より強い国が助けるという形で武力行使できるというもの。
→ が、実際には、大国が体制内の小国に対し武力を行使することが多い。/ 実際は、個別的自衛権だけなら戦争になる可能性は少ない。集団的自衛権を認めることで、戦争が可能となる
→ 日本は、集団的自衛権を行使できないという憲法解釈の下で、60数年間戦争をしていない。/ベトナム戦争、アフガン戦争でも、アメリカの同盟国の軍隊は参戦しているが、自衛隊は戦闘を行っていない。
・解釈を変え、集団的自衛権を行使できるようにすることは、本当に戦争が出来ることになる。
・問題は複雑~ 法と政治、日本とアメリカ、自民党と与党・公明党や野党とのからみあいの中で、複雑な矛盾をもっている。 変えようとする側も苦労している。
→ 言い変われば、批判する側には、いろいろと突いていける場合がある。/ 改憲派からも、立憲主義からの強い批判が出ている。/ 立憲主義論と九条論の交流が大事になっている。
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