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はだしのゲン、売れ行き3倍に~愚かな決定への国民の反撃

 戦争の残虐さに目隠しする愚かなで、危険な決定に対する抗議があいつぎ、本の売上げが3倍になっている。これが国民の良識である。
 一部の表現が過激、教育的配慮という「理由づけ」に、
 広島の地方紙・中国新聞は“一部表現が衝撃的だったとしても、命の重みを考える「ゲン」の教育的な意味は変わるまい。 そもそも戦争とは残酷極まりない。子どもへの配慮を口実に、そこから目を背ける発想があるとすれば見過ごせない。”
 信濃毎日は“戦争は残酷で非人間的だ。そこから目を背けるばかりでは実態は伝わりにくい。松江市や鳥取市の措置は、中沢さんら被爆者の願いを踏みにじるだけでなく、表現の自由や知る権利に関わる重大な問題だ。見過ごすことはできない。閲覧制限を撤回すべきだ。”
【はだしのゲン、売れ行き3倍に 閲覧制限問題で注文増 朝日8/23】
【はだしのゲン 子どもに目隠しするな 信濃毎日8/21】
【「はだしのゲン」閲覧制限 戦争から目を背けるな 中国新聞 8/23】

【はだしのゲン、売れ行き3倍に 閲覧制限問題で注文増 朝日8/23】

 松江市教育委員会が同市立小中学校の図書館での閲覧を制限した「はだしのゲン」の売れ行きが好調だ。作者の中沢啓治さんが亡くなった翌年である上に、8月半ばに閲覧制限問題で注目が集まったことも一因という。「子どもにぜひ読ませたい」と版元に問い合わせも来ているという。
 全10巻を刊行している汐文社(ちょうぶんしゃ、東京)は7、8月の2カ月弱で、例年同時期の約3倍にあたる各約7千冊を出荷。中央公論新社(東京)の文庫版全7巻は例年の2・5倍程度出ている。
 中央公論新社の電子書籍版は制限問題が起きてからランキング上位に入ったという。同社の担当者は「中沢さんは子どもによく伝わるようにと表現に心を砕いていたとうかがっている。閲覧制限をやめ、多くの子どもたちが読めるようにしてほしい」と話している。


【「はだしのゲン」閲覧制限 戦争から目を背けるな 中国新聞 8/23】

 国内外にメッセージを送り続ける不朽の名作ゆえだろう。漫画「はだしのゲン」を小中学校の図書館で自由に手に取らせないよう求めた松江市教委への批判が全国に広がっている。
 どんな理由を付けたとしても、原爆の悲惨さを子どもたちに伝えることに後ろ向きだとみられても仕方あるまい。今回の判断がもたらす波紋を、どこまで深刻に考えていたのだろう。
 きのう市教育委員会議で閲覧制限の是非を協議したが、結論は持ち越された。この際、早急に撤回すべきである。
 ここは作品の意義を見つめ直したい。昨年死去した中沢啓治さんが父と姉、弟を原爆で失った体験を主人公に投影し、少年誌に連載を始めたのが40年前のことだ。最終的には被爆9年後までの生きざまを描いた。
 多くの国民が「ゲン」を通じて核兵器の脅威を脳裏に刻んだはずだ。原爆被害の告発だけではない。戦時下の生活や戦後の混乱も庶民の視線で描き、戦争とは何かを問い掛けてきた。
 今やヒロシマの代名詞ともいえよう。その重みを考えれば、市教委側が並べた理屈は、あまりにも空虚に思える。
 「過激な描写が子どもにふさわしくない」というのが、これまでの説明である。物語の後半に出てくる旧日本軍の残虐行為を指しているようだ。事務局が単独で判断したとするが、こうした部分を問題視した市民が撤去を求めた市議会への陳情が発端となったのは確かだろう。
 閲覧制限は歴史認識の問題ではなく、子どもの発達に影響を及ぼすためだとする言い分は説得力に欠ける。これまで普通に開架してきたはずだ。一部表現が衝撃的だったとしても、命の重みを考える「ゲン」の教育的な意味は変わるまい。
 そもそも戦争とは残酷極まりない。子どもへの配慮を口実に、そこから目を背ける発想があるとすれば見過ごせない。
 市教委による全小中学校長のアンケートでは「ゲン」の閲覧制限が必要としたのは1割だけだった。足元の教育現場も今回の措置には納得していない。
 いま若い世代は戦争被害を自分のものとして実感できなくなっている。一方で戦争の悲惨さに目をつぶり、正当化しようとする空気もある。だからこそ原爆や戦争の負の側面をしっかり子どもたちに教えるべきだ。もっと「ゲン」を読ませたい。
 広島市教委の取り組みを参考にしたい。本年度から独自のテキストに引用して平和教材として活用している。松江市はもちろん全国の学校も図書室に置くだけではなく、平和教育で「ゲン」をどう生かせるかを考えてはどうだろう。もし作品の表現が過激だと気にするのなら、教員がしっかり説明すればいい。
 図らずも今回の問題であらためて注目が集まり、版元は増刷に踏み切ったという。核兵器廃絶に向けた世論の高まりが求められる中、作品の再評価のきっかけとなるに違いない。
 政府の姿勢も問われよう。下村博文文部科学相は松江市教委の対応をあっさり容認したが、第1次安倍政権の「ゲン外交」を知らないのだろうか。当時外相だった麻生太郎氏が自らの肝いりで英語版を各国政府に配って核軍縮をアピールした。いうなれば「国家公認」の作品であることも忘れてはならない。



【はだしのゲン 子どもに目隠しするな 信濃毎日8/21】

 ぼくは、若い世代に期待しているんです。だから若い世代、子どもたちに語りかけていって、戦争と原爆の実態をしっかり教え込んでいくことでしか、日本は本当に平和を守れないのではないか―。
 広島での被爆体験を基にした漫画「はだしのゲン」の作者で、昨年12月に亡くなった中沢啓治さんは「はだしのゲンはヒロシマを忘れない」(岩波ブックレット)の中でこう書いている。
 炎に包まれて死亡した父の言葉「麦のように強く生きろ」を胸に、貧困や家族の死を乗り越えてたくましく生きる少年の姿を描いた「ゲン」は、多くの人に支持され、累計出版部数が1千万部を超える。英語をはじめ約20の言語に翻訳もされている。
 その「ゲン」を、松江市教育委員会が、子どもが自由に閲覧できない閉架の措置を取るよう市内の全市立小中学校に要請、各校が従っていたことが明らかになった。「一部に過激な描写がある」というのが理由だ。
 鳥取市立図書館でも、小学生の保護者のクレームをきっかけに2年前から児童書コーナーから事務室内に別置きしていた。
 戦争は残酷で非人間的だ。そこから目を背けるばかりでは実態は伝わりにくい。松江市や鳥取市の措置は、中沢さんら被爆者の願いを踏みにじるだけでなく、表現の自由や知る権利に関わる重大な問題だ。見過ごすことはできない。閲覧制限を撤回すべきだ。
 松江市のケースは制限の決定過程が不透明という問題もある。
 昨年8月、作品の歴史認識をめぐって市民が学校の図書館から撤去を求める陳情をした。市議会は不採択とした。にもかかわらず市教委は、議会で「大変過激な文章や絵がこの漫画を占めている」という意見が出たとの理由で、校長会に学校での閉架を要請した。
 しかも、このような重要な判断を教育委員に諮らず、当時の教育長ら事務局だけで決めている。合議の教育委員会制度を軽視するものだ。批判を受け、あす、教育委員が参加する会議を開く。
 子どもの感性をもっと信じてほしい。中沢さんは「―忘れない」で、こんなエピソードを紹介している。「ゲン」を読んだ子どもが「こわい」と泣き、夜トイレに行けなくなった―と親から抗議の手紙が来た。それにこう返信した。
 「あなたのお子さんは立派です。トイレにいくのをこわがるぐらいに感じてくれた。…褒めてやってください」

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