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虚構の「市場原理」主義~ミクロ経済学の本質(メモ)

 川上則道・都留文化大学名誉教授「マルクスに立ちミクロ経済学を知る」からの備忘録。
 ミクロ経済学の「需要曲線と供給曲線との交差点で需給が一致し均衡価格が決定する」という需給均衡価格決定論は、市場メカニズムを解明したものだと言われ、“市場原理による価格変動を仲立ちし資源配分が効率的におこなわれる”という市場原理主義を支える経済学説となっている。その内容は、中高の教科書でも説明されており、市場原理主義を支えるイデオロギーが国民的規模で刷り込まれている。
が、そもそも需給曲線は成立しないと、ミクロ経済学の論理に沿いながら根本的な批判をしている。なおミクロ経済学の解説が難解なのは、商品経済の解明に失敗している学説を成功しているものとして解説しているからであり、「現実離れした前提を、そのまま受け入れないと理解できなない」点にあると指摘する。ミクロ経済計芸額のテキストにも「頭の体操」「実用性はまことに疑わしい」と説明されているモノもある。  
トンデモ理論でも、影響力をもっており、その批判は重要。同氏は、マクロ経済学には有用性を認めている。

以下は、関心のある部分についての、自分なりに整理したメモ。


Ⅰ ミクロ経済学について

(1).商品の価値を決めるものは何か

 資本主義生産の基盤は商品生産。商品とは価格が売買される生産物。よって、資本主義経済の仕組を明らかにしようとする経済学にとって、商品の価格は何によって決まるかを解明することか、基礎をすえる研究課題

◇需給によって価格が決まる?

・需給は、商品の価格を上下させる要因。均衡すれば上下させる作用はなくなり、本来の価格になると考えられるが、その本来の価格が何によって決まるかは明かにしていない。

→ が「均衡価格(需要曲線と供給曲線の交点)」で価格が決まると中高などの教科書で説明されている。

→ その前提は、需要曲線、供給曲線という2つの曲線(価格の関数)が成立している、というもの。

→ この曲線は「需要は価格の上昇によって減少し、供給は価格の上昇によって増加」するという条件のついた需給、価格によって需給の大きさが決まるもの。よって需給バランスが価格を決定する。

・また、技術革新によってコストが下がると供給曲線が。国民の所得増で需要増になる需要曲線がシフトする。

Data210


(2)需要・供給は価格の関数といえるのか。

・需給曲線グラフは、独立変数である価格の関数であることを示すグラフ
・関数~ 数量的な因果関係のうち、原因の数量を1つの値に決めれた、結果の数量が一定の規則によって1つの値に決まるような関係

◇商品の需要量は、どのような原因で決まるか

・トマトなど農産物の場合 産出量が季節など自然条件で変動する。
 出荷量が時期的に集中すると売り切るために値が下がる。旬の時期には消費量が大きくなり値があがる。 よって、 需要量の変動の真の原因は価格でなく、供給量である。

・ビール、クーラー 夏場に需要が高まるのは値が下がるからではない。秋口に需要が下がるのは値が高くなるからではない。

★ 需給が価格の関数というのは、それ以外の自然的、社会的条件を同一にしたり、ある一瞬で切り取って固定化する、という現実にはありえない設定をしたうえでの「理論モデル」でしかない。
 (「シフト」という考え方は、価格は常に変動するが、その以外は固定的であることを前提に、その後に、変動の要因をいくつか認めて対処するというもの)

→ 価格だけでなくそれ以外の条件も常に変動しており、需給曲線のシフトも常に起こっており、需給曲線は変動して定まらなくなる。


★需給を価格の関数とすることの意味~ 経済学を、単なる虚構の世界へと移行させる。
→ ミクロ経済学が難しいのは、現実を反映していない、頭の体操のようなもので、「そのようなもの」と割り切らないと、「理解」できないから。


(3)限界効用価値説の成立と変容

◇限界効用とは何か

・効用~購入者に与える主観的な満足度。商品そのものに備わっていない。
・「限界」~「マージナル」・・・「追加一個分」「追加分」というもの。

→ りんご1.2.3個と購入したら、1個目の限界効用を基準にすれば、2.3個目を測定できる。
(限界効用の概念の創設された時期は、限界効用の量は測定可能とされた)

例) 1個目のりんご100、2個目94、3個目83 などと測定でき、3個全部の効用は277.(全部効用)

→ 満足度は、商品の購入にしたがって小さくなる 「限界効用逓減の法則」
 (このように主観が数値かできるかどうかは、とりあえず脇に置く)

・「効用は購入のたびに逓減していく。かろうじて購入しようとする部分が限界購入分の効用を限界購入」(マーシャル)
→ 商品の交換比率の基準(価値)を意味していた。たんなる追加購入文の効用でなく、それ以上ない最後の限界購入分の効用という意味を持っていた。


◇限界効用の価値としての意味

 ~今日のミクロ経済学では、限界効用説は「価値論」としては放棄されている。

・商品交換の原理〜商品交換を行う両者が、交換によって自らが所有する商品の効用をできるだけ増やす、

例 A 馬5頭、B 牛5頭 所有。/限界効用 1頭目50 2頭目40 3頭目30 4頭目20 5頭目10 

  一頭目の交換  A 牛50-馬10 = 40の増加
  二頭目     A 牛40-馬20 = 20の増加
  三頭目     A 牛30-馬30 = 0   ・・ 交換をとめる「均衡点」

→ 限界効用60増加/ 双方の効用を最大にして、商品交換をとめる「最終効用度」について 

→ 互いの商品の「最終効用度」の比率が、価格を決める基準


◇限界効用は価値の資格があるのか?

・満足の程度は、同一の有用さをもつ商品であっても人によって非常に大きな差がある。/人によって交換比率が違う

→ 商品の効用は、様々な時と場所で幾度も行われる商品交換の統一した基準になりえない。

→ 価値としての資格を欠く。


★「限界効用逓減の法則」も・・・虚構の前提

 自分の商品と相手の商品について「限界効用の減り方(を示す直線)」について、交換する双方が共通する捉えかたをしている。というもの。
 
→ 上記のAとBが、馬・牛の限界効用の増え方、減り方について、違った捉えかたをしていると均衡点が1つにはならない。

◇価値論から均衡論へ

・労働価値説は、価値は価格の基準となるが、その価値は価格と乖離するのが状態。需給は不均衡であり市場価格が変動。(生産価格のことは脇におく)

→ が、価値と価格との乖離によって、需給の不均衡が均衡へもどされ、価格が価値にひきつけられる。そのことによって、社会の各需要に対応するように、総労働量が配分される。

→ 需要と供給によって調整される現実が、「需給で価格が決まる」という見方を生み出す土台に。


・限界効用価値説・・・価値と価格の乖離がない。/ 価値(限界効用)は主観的なもの。価格は市場で決まる客観的なもの

→ よって、価値を捉えることは無意味となり、市場の価格をそのまま受け入ればよいことになる

→ 結局、価値論としては不要に。


・現在のミクロ経済学のテキストでは、価値論として解説されることはまったくない /が、限界効用価値説によって生み出された基礎的な捉えかた、考え方が「公理」のように受け入れられている。

→ ≪継承されたもの≫
①商品交換の目的は効用を増やすこと。それが出来なくなる均衡に達すると交換が止まる
②商品交換によって得る効用の大きさは、所有する同じ商品が多いほど小さくなる
 (メモ者  貨幣については、限界効用は不変としている。)

≪継承されなかったもの≫
・均衡点の限界効用が価格を決める
→ 価格論は需給曲線グラフの交点で決まるという「需給均衡価格論」となる。

・①②は、需給曲線を根拠づける「理論」の位置を得る/ 消費論(家計均衡論)と形を変えていく
・また「限界」の考えは、生産費にも適用され、追加一個分の費用=「限界費用」として概念化

→ 需給曲線の均衡点で商品の価格が与えられたとき、価格と限界費用が等しくなる(均衡に達する)ような個数を生産するとき、生産者の利潤が最大となると捉える(生産論「企業均衡論)。

・需給均衡価格、消費者均衡、生産者均衡が相互に支えあう形で同時に成立するミクロ経済学の「均衡論」へ


(4)効用最大化と需要曲線

◇限界効用にもとづく消費論

・今日のテキストのほとんどは、限界効用にもとづく理論でなく「無差別曲線」「限界代替率」にもとづいた理論が解説されている。なぜか・・・

→ 効用の可測性の問題を解決するため。ミクロ経済学の進展のなかで「効用の量を測る」ことができるかが問題となり、下記のように決着する。

→ 2つの商品の効用が等しいか、どちらが大きいかは測れるが、一方が他方の○○倍としては測れない
(順序はわかるが、長さ、重さのように量の計数としては測れない)

・この「計数としては測れない」というもとで組みなおされたのが「無差別曲線」「限界代替率」


◇限界効用にもとづく消費論の虚構性

・消費論が需要曲線を成立させる論理 ⇒
①消費者は、効用(満足度)を最大化させるために商品を購入する
②同じ商品を買う個数が増えるほど最後の購入品の効用は減る
③購入者は満足度と価格を比べて購入するので、満足度が減っても価格が下がれば購入する。
④したがって、価格が下がれば購入を増やす

→ が、消費論には、大多数の消費者がこのように消費行動をとっている、ということの論証はない。
(メモ者 安くなったので「仏壇をもう一つ買おう」とは普通思わない。)

・消費者にとって、商品の購入の個数は、「生活の必要」「生活の欲求」によりおのずからほぼ決まる

→ それへの支払いと収入を比較して可能であるならば、購入をする、と考えられる。 

→ しかも、その生活は社会環境、自然環境の変化、また消費者自尽の生活の変化により時とともに変わる(商品の価格変化が購入個数に与える影響は限定的。)


・限界効用曲線が描けるのは、前提として、商品を購入する消費者の生活をある時点で固定

→ 消費者の生活上の必要と欲求が時とともに変化すれば、商品からえられる満足度も変動するばずで、そうなれば限界効用曲線は描けない。


◇無差別曲線と限界代替率にもとづく消費論

・効用は計数として測れない。なぜなら「りんご一個」の効用は、りんごの属性でなく、購入者の主観

→ そこで、等しいか、どちらが大きいかは測れるという序列数として決着。

例) 腕時計一個の効用とりんご5個の効用が等しい。と判断できても・・・ 腕時計一個の効用は、りんご5個分とは言えない〜 なぜならリンゴ5個のそれぞれの限界効用は違っているから。

*無差別曲線

 計数でないとして理論を再構築する場合に、「効用の等しさ」が注目されることになる。

→ 複数の商品の組み合わせものの効用を比較し、効用が等しくなる組み合わせをいくつも選び出す試みが「無差別曲線」〜 効用の大きさに差がない、という意味。等効用曲線のこと。

例)「リンゴ5個・鉛筆5本」と同じ効用の組み合わせを比較し、仮に、

 リンゴ1鉛筆20、リンゴ2鉛筆11、リンゴ3鉛筆7、リンゴ7鉛筆3、リンゴ11鉛筆2、リンゴ20鉛筆1、
とすると、同じ効用の点を7点を直線でむすべば、等しい効用7点を同一の線上にならんだ折れ線グラフとなる

→ このリンゴと鉛筆の組み合わせをもっと増やせば、滑らかな曲線に近づくものとかんがえら、「無差別曲線」が得られるとする。

Data208

(メモ者 商品がテレビとしよう。0.5台のテレビの効用というのが存在するのか? 1.5台のテレビと1台では同じでは・・・。よって無差別曲線が描けるというのは・・・「効用」そのものの問題を脇においても、現実を無視した「理論」モデルである。
 また、全部効用の異なる組み合わせも、同様に無限に連続することもなく、よって座標面を全部をとらえるということはない)


*代替率
 「リンゴ5・鉛筆5」と「リンゴ3鉛筆7」の効用が同じ。リンゴ2個の効用と鉛筆2本が代替

→ 比率をとってリンゴ1個あたりでみると、鉛筆1本が代替。代替率=1
・限界代替率・・・無差別曲線上でなりたつ代替率/ 無差別曲線上の接線の傾き(-を×)・・・微分による


*予算線
 予算で買える鉛筆・リンゴの組み合わせを示す直線
→ この予算線と無差別曲線の接点(できるだけ上方にある無差別曲線との接点)が、「効用最大化購入量」となる。

Data209


◇無差別曲線と代替率にもとづく消費論への根本的な疑問

・限界効用は計数としては測ることができないと組み立てられた理論であるにもかかわらず、限界効用にもとづく消費論と実質的に同じものになる

例)点A(リンゴ10個、鉛筆5本)がもっもと効果の大きいくみあわせ、の場合
→ 点Aの限界効用は・・・/ リンゴは10個目の限界効用、鉛筆は5本目の限界効用
→ 点Aにおける限界代替率・・・ /リンゴ1個減らしたとき鉛筆何本増やせば効用を維持できるかの比率
→ リンゴ(10個目)一個の限界効用=鉛筆(5本目)1本の限界効用×点Aの限界代替率
→ 点Aの限界代替率は価格の逆比とひとしいので
→ リンゴ(10個目)の限界効用/リンゴ一個の価格100円
=  鉛筆(5本目)の限界効用/鉛筆1本の価格(200円)

 〜この式は、「限界効用にもとづく消費論」の「限界効用均等の法則」と一緒。/計数で測れるとした消費
論と、計数として測れないものとした消費論が同一になる。

→ 点Aの限界代替率は、価格の逆比・・1/2(=0.5) ・・・要するに計数として測れる

 (メモ者 7つの点のところまでは、計数として測れない。無限曲線が引けるとしたことで、計数として測れることになった。無限曲線が引ける、と言う点に「論理の飛躍」があるのではないか)

(5)限界費用 〜 生産論の虚構性

◇ある一定のところまで限界費用は逓減するがそれを超えると逓増していく

Data211

例)1個100円の商品(価格は市場であたらえれ生産者は関与できない)
  利益= 100円- 限界費用

①1〜300個までが逓減。300個目の限界費用50円
②100個の限界費用が100円。それまでは損失
③101〜300個まで、利益が拡大。
④1000個目の限界費用100円、1001個目の限界費用101円とすると
301〜999個まで、利益は減少していくが、利益は出る
⑤1001目からは、損失が出続けるというもの。
⑥1000個目が均衡点。利益は最大となる。
というもの


◇「生産論」の要・・・限界費用と市場価格が等しくなる生産個数を決めると生産者の利益が最大になる

この前提は、ある生産量を超えると、限界費用は逓増することが不可欠

①限界費用曲線が右肩上がりになり、横軸に並行な価格直線を下から上に横切り、その交点が均衡点となる
②よって市場価格があがれば、交点が右にずれ生産量が増えることになる

⇒ が、この限界費用逓増という命題は、生産活動の現実で必ず成立するものではない。/逆に、限界費用は逓減する場合が多い(大量生産、スケールメリットなどなど)。

・これは致命的な問題点/ 利潤を最大にする均衡点、右上がりの供給曲線もなりたたない。

→ 限界費用逓増の法則とは・・・ 農業に適用された「収穫逓減の法則」/ある収穫量を越えると、肥料などの投入量を増やしても、投入量に見合った増加をしないという経験法則を、工業にも適用させたもの。

*この理論を提唱したヒックスは、後年「理論を守るために収穫逓減というものを前提とする。それが誤りの中心だ」と述べている。ノーベル賞をもらったとき彼は「私が否定した過去の理論にノーベル賞が与えられたことは、複雑な気持ちです」と語ったという。


Ⅱ 「市場原理主義」を支える理論

(1)需給均衡価格説の論理構造と市場原理主義


◇市場原理についての「ある現実的な把握」

・需要曲線、供給曲線は設立しないもの。なのに、なぜ市場原理を解明したものと受けっているのか

→ 市場メカニズム/価格が需給を調整すると同時に、需給が価格を調整する相互作用 〜 資本論は、基準となる「生産価格」を軸に、市場の調整作用を説いている。

→  需給均衡価格説がある説得力をもっているのは、(形の上では)この相互作用を捉えているから。

★が、需給を調整する「基準となる価格」が生産価格か、均衡価格か、の違いは決定的!

・生産価格  市場の外部で決まる 生産費+平均利潤。価値(生産に必要な労働時間)が形を変えたもの

・均衡価格  市場の内部で決まる

・「需要と供給」〜 市場に現われるものだが、市場の外部で決まる量。市場の外部で決まる需給への価格の作用は、「基準となる価格」が、市場の外部で決まるか、内部で決まるかで違ってくる。

・外部の場合/市場外部で決まる需給を、市場外部で決まる「基準となる価格」が市場をつかって調整する
→ 市場は、仲介者の役割

・内部の場合/ 市場の外部で決まる需給を、市場内部できまる「価格」が、市場を使い調整する
→ 市場は、仲介者でなく、調節者(支配者)となる

・需給均衡価格説の帰結「市場が均衡価格を決め需給を一致させるから市場にすべてまかせればよい」となる。
→ 市場を規制すると、市場が適正に機能せず社会的損失が発生する、という市場万能論となる。


◇市場規制が社会的損失を発生させるという議論

そもそも需要曲線も供給曲線の設定自体が虚構なので、虚構の上塗りにすぎないのだが・・・

Data207

例1)参入規制
高い価格(B)、生産量の少ない(N)点が 均衡点Eとなっている。
 規制をなくせば、供給曲線は、右にシフトし、より安い値段(A)、より多い生産量(M)の均衡点e’

→  消費者は、数量Nのとき B-Aの満足を得、それは数量Mまで続く
  生産者は 数量Nのとき、Aよりも安い価格Cで満足でき、A―Cの得がでる。それは数量Mまで続く
 
このそれぞれの三点に囲まれた面積の和が「参入規制による社会的損失」となる。
 
例2)米価の価格維持
・本来Aである価格が、Bとなっている。
・B価格による消費量はNに減少、供給量はLに増加となる。
・L―N分だけ供給過剰となり、減反政策が必要となる。
・どうように、EE’Fの社会的損失がでる。
・さらに減反部分の所得補償が、国民的負担となる。


◇もともとはマーシャルの消費者余剰、生産者余剰

・「需給曲線により均衡点Eが成立する」という前提のもと・・・
・Qxの時点では、消費者は価格PAでも満足できるのに、Peの価格となるので、Pe-Paの得
→ これが0〜Qeの時点までつづくので、濃い黒の三角形の部分の「消費者余剰」が生まれる
・Qxの時点では、生産者は価格Pcでも満足できるのに、Peの価格となるので、Pe-Pcの得
→ これが0〜Qeの時点までつづくので、薄い三角形の部分の「生産者余剰」が生まれる

Data212

・規制をすると、この余剰が減少し、その分が社会的損失となるというもの。
→ 需給曲線は存在しない虚構のもの。よって消費者余剰、生産者余剰も架空のもの。
→ が、「需給曲線」の存在を信じると、架空の「余剰」を信じ、社会規制などを排除する市場原理主義が正しいと錯覚してしまうこわさ。/派遣労働の拡大による労働者犠牲

★メモ者/ 実際は、需給曲線が、価格以外のものをすべて捨象しているように、現実の社会は、自然的、社会的環境とその持続性など多様なファクターによって動いていることを、捨象する。
→ 規制緩和が、非正規雇用を拡大し、ものづくりの基盤の劣化、少子化など社会の持続性と相容れないなど。また、農業であれば、食料がカネを出しても変えない状況になりつつあるとか、国土の保全など多面的機能とかを無視した論にいきつく。
  

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