九条改憲と領土紛争
領土紛争などが、九条改憲の足場にされようとしているが・・・ 少し考えを整理したい。
領土問題に解決では、東シナ海ガス田共同開発が教訓的。
日中の排他的経済水域の境に位置すガス田の開発について、中国側企業のもとに日本が参入する形で共同開発することに合意した。その重要な意味合いが考える必要がある。
中間点というが、最近の国際司法裁判所の判例では、中間点プラス特殊事情で判断されている。起点が大陸と島では大陸側に優位に排他的経済水域の境界線をひくのである。
つまり、国際的な裁定をうければ中国側の水域が大きく拡大する。
それを承知で、中国が共同開発にふみきったのは、一刻も早く開発をしたいからだう。また日本の経済力も生かしたいと思ったからだう。日本側にとっても有利な提案である。
中国が、きわめて合理的な判断をしたという、こういう側面もあることを視野にいれておくべき。
そのうえで、中国企業に日本が参入する形で、中国のプライドを守り、互いに実利を確保しようとしたのである。外交とはこういうものではないか。
これも領土紛争で頓挫しているが・・・
自民党政府は、日中国交回復の過程で、領土問題が存在することを認め、「棚上げ」合意をしている。いまさら「領土問題は存在しない」という理屈は、国家間の信義を踏みにじる行為で、通用しないばかりでなく、領土問題の解決を複雑にする。(紛争が発生したあとに、施設を建設するなど実効支配を強化するための措置は、国際法上、クリティカルデートの規定により無効)
棚上げ論の時点にもどり、また中国にもその線を守るように主張(周恩来、鄧小平が示した路線であり、中国側も簡単に否定できない)し、そのもとで解決策(共同開発など)をさぐるべきなのである。
そうしないのは、国内向けには「領土問題は存在しない」とウソをついてきことがバレるから。 堂々と外交交渉で解決する道をふさぐのはそのため。
さらに、侵略戦争を美化し、中国・韓国のナショナリズムに火をつけ、領土問題の解決や拉致問題解決のための共同決を難しくして、それと「戦う」ポーズで人気取りをし、「九条があるから国を守れない」とミスリードに利用する。
拉致問題、北朝鮮の核開発の解決には、中韓の共同は不可欠。日本一国で経済封鎖してもなんの役にもたたない。「強い姿勢」は単なるポーズ。
解決ではなく、北朝鮮を利用し、集団的自衛権の発動や改憲、その先には日本も核武装を、のレールをしくための材料にしたいのだろう。
拉致や領土問題をまともに解決しようとしていない。 自民党の支持率アップと、アメリカと一緒に戦争できる国にすることが目的と見ると行動に一貫性が見えてくる。
「九条があるから・・」はデマのたぐい。
九条は、自衛権を否定していない。政府解釈は、自衛隊は、自衛のための最小限の装備、実力であり「戦力」でないとの規定。だから専守防衛。
自衛権とは、①武力行使がおこなわれたとき、②外交などの他の手段がないとき ③相手の攻撃に見合う規模で反撃(反撃を超えて、相手国に攻め入るとか、相手国を殲滅するとか、は「過剰防衛」、報復戦争)できる権利というのが、国連憲章や国際法上の規定。
だから、九条でてきないのは、自国がせめられていないのに、海外で武器行使をすること。自衛の範囲を超えて抑止力(相手に耐え難い損害をあたえる力)を持つこと。
つまりアメリカの軍事戦略には同調できない、ということ。
九条は、アメリカと一緒に戦争する国になる障害であっても、自衛の障害にはならない。むしろ専守防衛に徹するから、平和外交の道義的な力を発揮できる。アセアンのような平和の地域共同体づくりを、この東アジアで推進する力となる。
国際的に見ても・・・
武器輸出規制のルール、小火器の規制の国際会議で日本は議長国として力を発揮している。
アフガンの軍閥の武装解除に力が発揮できたのも九条をもつ国だからこそ・・
このオンリーワンとも言える力の発揮こそ、真剣に追及すべきこと。戦争を違法化してきた世界の流れに沿う大道である。
領土問題の平和的解決を、リードすることが、日本の国際的権威をたかめる。
ところで、日本共産党の自衛隊についての見解
第1段階 海外派兵などアメリカの戦略に沿った軍事拡大を中止する(専守防衛に徹する)
第2段階 安保破棄と軍縮
安保とは自衛の範囲を超える核抑止力。米軍の戦略から抜け出て、東アジアでの軍縮をすすめる
第3段階 国民の合意のもとで自衛隊の解消(国民が合意しない限り、専守防衛の自衛隊の存続)
という現実的な路線を提起している。
アメリカの戦争(多くは侵略戦争)のために、日本の若者の命を捨てさせない。九条にもとづく平和外交とのもと、専守防衛と災害支援で国民、国益を守る存在としての価値
自衛隊員とその家族に届く、憲法九条の意義を発信できるよう工夫したい。
憲法は権力の暴走に歯止めをかけ、政治の中身を正していく足場。
幸福追求権、生存権、勤労の権利、教育の機会均等・・・九条だけでなく、多くの人権条項に照らし、現状は問題をかかえている。それを是正する足場が憲法である。その「不断の努力」が要と思う。
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