明治以降 日本の韓国への出兵(メモ)
本日、4.28式典~国際社会への復帰というが単独講和であり、侵略の最大の被害国・中国、韓国などは対象外とした講和であることを忘れてはならない。
近代だけでなく秀吉の朝鮮出兵は、韓国側では、今でも民族の記憶に残っていると聞くが、とりあえず、明治維新以降の韓国への出兵等の歴史を整理・・志位和夫「綱領教室1」より
◇1875年 江華島事件
・軍艦6隻を、ソウル入口の江華島に行かせて、意識的に衝突を兆発。砲撃戦で砲台を占拠、戦利品として砲台30門を獲得。
◇1876年 日朝修好条規
・片務的領事裁判権の設定や関税自主権の喪失といった不平等条約
◇1894年 東学農民革命の弾圧
・官吏の腐敗と重税に対する農民革命戦争の発生(韓国の最初の民主革命運動)。
・奴隷解放、土地改革を主張する農民の運動が、「人すなわち天」とする人間平等主義を柱とする「東学」という宗教組織の拡大とともに勢力を伸ばし全羅道、その首都・全州を占領。
・朝鮮政府が清国に軍隊派遣を要請。日本は頼まれてもいないのに派兵
・外国軍介入の口実をなくすため、朝鮮王朝と農民軍との間で官吏の不正収奪防止などを確認、全州和約を結び、全州城入城から10日目に農民軍は撤退。
・日清戦争開始とともに、再蜂起。50万の農民が立ち上がった革命運動の鎮圧で、大殺りくが行われた。犠牲者は3万人、5万人と言われる。
◇ 1894 朝鮮王宮軍事占領
・朝鮮王朝 東学農民の蜂起が沈静化したので、清と日本に撤兵を求める。
・日本は応じず、8000人の日本軍を配置。朝鮮国王のいる王宮を奇襲攻撃して軍事占領。
・朝鮮国王・高宗、王妃・閔妃(ミンび)を「虜」にし、高宗の父・大院君を政権につけ「日本に清国軍を排除して欲しい」という要請を出すように強要。
・この「要請」を口実に、日清戦争に突入。
◇1895年 王妃・閔妃の殺害事件
・日本の朝鮮支配に反対する中心人部・閔妃を、三浦悟楼・公史が命令し、王宮を襲撃・殺害。遺体を焼いて井戸に投げ込む。 → 韓国では、誰もが知っている事件
◇1904年 日露戦争での朝鮮半島の戦場化
・閔妃虐殺など日本の暴虐への反発が広がる中、ロシア大使館に逃れた国王・高宗が実権回復。ロシアの影響力が拡大、遼東半島も返還させられロシアのものに。
・韓国からロシアの影響を排除するために、日露戦争開戦。
・韓国政府 日露戦争直前に「局外中立」を宣言。
・1904年 日露開戦と同時に、日本がソウルを軍事占領。「日韓議定書」を強要し、日露戦争への協力を約束させる。
・朝鮮半島の戦場化による甚大な被害
日本による電信・通信機関、鉄道、軍用地の占拠、官吏を駆逐し腹心の配置、警察権の代行、集会禁止、軍用人夫の強制徴発、税・財政の管理、私有田畑の奪取・開墾の強要、徴用労働拒否者の逮捕・拷問・斬殺など 「朝鮮独立運動の血史 1」より
・日露戦争のうけとめ~インド独立建国の父の一人 ネルー「父が子に語る世界歴史」
「日本のロシアに対する勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかを、われわれはみた。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国つけくわえたというにすぎなかった。・・・
日本は帝国としての政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった。日本はヴェールでつつんでごまかすこともせずに、おおっぴらに漁りまわった」
◇1905年 軍事圧力のもとでの韓国の属国化 ~日韓保護条約
・1904年「第一次日韓協約」を強要。日本政府の推薦する顧問を「韓国政府」に押し付け、財政と外交の事実上の実権を掌握
・1905年 日露講和・ポーツマス条約 第二条で韓国への日本の支配権を全面的に認めさせる。
(南樺太の割譲、中国東北部の権益奪取も)
・1905年 「第二次日韓協約」(韓国保護条約)の締結
王宮の外てば、日本軍が「演習」と称する大規模な軍事的威嚇をやるなか、伊藤博文が憲兵をつれて王宮に押し入り、退出しようとする大臣に対し、伊藤博文は「あまり駄々をこねるなら殺ってしまえ」など脅しながら、強引に調印させる。
→ 外交権を完全に奪取。「総督府」を設置。
◇1906-11年 「反日義兵闘争」の鎮圧、「韓国併合」
・韓国の植民地支配に対する運動への日本による「鎮圧戦争」。犠牲者4万人と言われる。
・09年 「義兵闘争」の指導者の一人・安重根が、「闘争」の一環として、伊藤博文・韓国総督を射殺
・1910年 「韓国併合条約」の締結
◇1919年 独立もとめる「3.1運動」の弾圧
・「韓国併合」後、日本の一地方とされたが、反日運動を弾圧するため憲兵警察は、裁判なしで朝鮮人を処罰する権限をあたえられた。
・1919年3月1日、朝鮮人は「独立万歳」をさけんで立ち上がった。日本軍は厳しい弾圧をもってのぞみ、虐殺・逮捕・拷問をほしいままにした。(「現代韓国史)
・デモ回数は1542回、延べ参加人数は205万人に上るといわれる。
・その後、総督府は「文化政治」を宣言。憲兵警察制度は廃止したが、普通警察を3倍に強化。「治安維持法」を適用。内部に協力者を要請し、植民地支配に利用
→ 日本の敗戦後、独立後の韓国の権力機構を担ったのが「親日派」の勢力。そのもとで軍事独裁政権が維持されていく。最近になり、祖国を裏切った「親日派」の清算という問題が政治日程に登る。民族の中に深い傷跡を残したのが「文化政治」
◇31-45年 「植民地ファッショ体制」
・「内鮮一体」、朝鮮民族の「皇国臣民化」政策。日本語教育を「国語」として38年に朝鮮語教育を完全に廃止。「創氏改名」の強要(約八割が応じる)
・中国侵略戦争への人的動員として「志願兵令」(38年)、「学徒志願兵」(43年)、「徴兵制」(44年)、強制徴用、勤労動員、性奴隷の強要。
【今日的視点として、さらに広く、深くとらえるべき視点】
◇朝鮮半島の分断の淵源
・1950-53年の朝鮮戦争がその契機
・出発点は、日本の敗戦による米ソによる分割占領。朝鮮は、敗戦国の植民地として終戦したことに端を発する。
◇1987年まで続いた軍事独裁政権
・東学農民革命など、韓国の民主革命、反封建・反帝国主義の運動の芽を弾圧。その後も人権を抑圧し、民主主義的な政治体験を積む機会を剥奪してきた。
◇過去にさかのぼり植民地支配の責任を問う国際政治の到達点
・2001年 ダーバン会議 「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連する不寛容に反対する世界会議」、国連を中心にし、170カ国、950のNGOが参加
・「大西洋越え奴隷取引は常に人道に対する罪」として16-18世紀の奴隷貿易も、アフリカ社会の自主的発展に極めて重大な打撃を与えたもので、数世紀前のことであるが断罪された。
・「植民地主義によって苦痛がもたらされ、植民地主義がおきたところはどこであれ、いつであれ、非難され、その再発は防止されなければならないことを確認する」
~ 植民地支配は「どこであれ、いつであれ」、「非難」されるというのが、21世紀の国際政治の到達点。
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