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「4・28」政府式典~「属米」記念日

 講和条約の本質は、アメリカが「望むだけの軍隊を望む場所に臨むだけ駐留させる権利」(ダレス使節団来日、最初のスタップ会議 1951/1/26)にあり、当時の日本側の外交官も、「行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは今日までにあきらかになっている」「つまり本能寺(本当の目的)は行政協定にこそあったのだ」(寺崎太郎外交自伝)と述べている。

 4月28日は、世界の世論の前に占領をつづけられなくなった状況で、形式上の独立、実質的な属米の継続を決定した出発日、「属米」記念日である。
今日の沖縄の事態、全国で繰り返される低空飛行訓練・・・の原点の日である。そのことを学び、考える日としてなら意義がある。

【「主権回復」式典 過重負担押し付け祝宴か 琉球新報・社説3/13】
【「4・28」政府式典]2度目の「屈辱の日」 沖縄タイムス・社説3/9】
 これは以前にまとめたもの。
【米兵犯罪・オスプレイ強行  占領を継続する地位協定・安保 2012/10】

【「主権回復」式典 過重負担押し付け祝宴か 琉球新報・社説3/13】

 政府は、1952年のサンフランシスコ講和条約発効の節目である4月28日を「主権回復の日」とし、式典を開催すると閣議決定した。安倍晋三首相は「日本の独立を認識する節目の日だ」と意義を強調するが、沖縄からすれば式典開催に強い違和感を覚える。 沖縄、奄美など南西諸島、小笠原諸島が日本から切り離され、米軍による異民族支配が始まったこの日を、沖縄は「屈辱の日」として語り継いできた。政府がそうした歴史を顧みず「主権回復」をことほぐのは、県民を愚弄(ぐろう)するような話だ。
 米軍は条約発効後、沖縄の住民が暮らしていた土地の強制接収を始め、基地拡大を加速した。53年4月、真和志村(当時)の安謝、天久、銘苅に土地収用令を発令し、その後も伊江、読谷、小禄、宜野湾の各村に武装兵を動員し「銃剣とブルドーザー」で住民を追い出し、家屋を次々となぎ倒した。
 27年間の過酷な米軍統治を経て、沖縄の施政権は72年に日本に返還された。だが、県民が望んだ「核抜き本土並み」という米軍削減は進まず、今でも沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中している。
 日米両政府は、県知事や県議会、県内41市町村の全首長や議会が反対する普天間飛行場の辺野古移設に固執する。米海兵隊MV22オスプレイは傍若無人に、沖縄や日本本土の空を飛び交う。日米地位協定で特権的地位を保障された米軍は日本国内で基地の自由使用をほしいままにする。主権は「回復」どころか、脅かされたままだ。
 安倍首相は沖縄の反発を受け、「わが国の施政権の外に置かれた苦難の歴史を忘れてはならない」と述べた。7日に式典開催を表明した際は、沖縄に全く言及しなかった。首相自身も「苦難の歴史」を失念していたのではないか。
 首相は「主権を失っていた7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」と主張する。それを言うなら、沖縄が今も基地過重負担にあえいでいることを知らない、知ろうとしない国民が増えていることこそ問題だ。
 繰り返すが、沖縄を政治的質草にして独立を果たし、戦後68年間も在日米軍基地の大半を沖縄に押し付けながら、「主権回復」を祝うなど、理不尽極まりない。「4・28」の教訓に何を学ぶか、根本的な問い直しが先決だ。


【「4・28」政府式典]2度目の「屈辱の日」 沖縄タイムス・社説3/9】

 安倍晋三首相は、7日の衆院予算委員会で、サンフランシスコ平和条約(対日講和条約)が発効した4月28日を「主権回復の日」と位置づけ、政府主催の式典を開く考えを明らかにした。
 講和条約は1951年9月8日に調印され、翌52年4月28日に発効した。敗戦に打ちひしがれた本土の国民の多くが主権の回復を歓迎し、お祭りムードに浸ったのは歴史的事実である。
 だが、講和条約には別の側面があることを忘れてはならない。第3条によって北緯29度以南の奄美、沖縄、小笠原が日本から分離され、日本の独立と引き換えに米国の施政権の下に置かれたのである。
 奄美の人々は郡民大会や断食祈願、復帰陳情などを繰り返し、条約が発効した4月28日には弔旗を掲げて抗議した。沖縄の人々はこの日を「屈辱の日」と呼んだ。
 民間の式典であればとやかく言うつもりはないが、県民が「屈辱の日」と位置づけてきた4月28日を政府主催で祝うとなると、話は別だ。
 政府が講和条約を祝うことは、27年に及ぶ米軍統治によって県民が受けた有形無形のさまざまな犠牲や被害を無視することを意味する。
 米軍普天間飛行場の辺野古移設やオスプレイの強行配備をめぐって本土と沖縄の間に深刻な溝が生じているこの時期に政府が「4・28」式典を強行すれば、政府との関係改善はさらに遠のき、不信感だけが広がることになるだろう。安倍首相には強く再考を求めたい。
 
   ■    ■
 琉球警察は米兵に対する逮捕権も捜査権ももっていなかった。現行犯に限って民警察による逮捕が認められたが、身柄は米軍に引き渡され、軍法会議で無罪となるケースも少なくなかった。
 上山中学校の国場秀夫君(当時13歳)は63年2月、青信号の横断歩道を横断中、信号を無視して突っ込んできた米軍トラックにはねられ、即死した。今年は事故発生から50年に当たる。加害者の米兵が軍法会議で無罪になったことが、無念の思いと共に、今も県民の記憶から消えない。
 戦後68年の間に発生した米軍の事件・事故は、数え上げたらきりがない。
 戦後沖縄の軍事要塞(ようさい)化は米軍による排他的統治によって可能になったものだ。
 「4・28」が主権回復の日であるというのは、沖縄を除いたときに言えることであって、沖縄にとっては、主権が事実上失われ、行使できなくなった日なのである。

    ■    ■
 沖縄の半主権的状態は今も続いている。沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したときの、地元警察、地元消防を排除した米軍の現場検証と機体押収がその典型例だ。
 米軍は、基地運用について政府の介入を許さない排他的管理権を持っている。国内法の適用が大幅に制限され、その結果、住民の権利が脅かされている現実は、半主権状態というほかない。
 この際、「4・28」を沖縄の戦後史と基地負担を考える日と位置づけてはどうだろうか。首相に提案したい。


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